TOOL 5

 コポコポ、コポコポ…。
 
 不正確な世界に、ゆらゆらと漂う身体。
 不鮮明な自我に、ふわふわと霞む意識。
 
 見たのは、茶髪の幼児。まだ物心が芽生えたか芽生えないかの、幼い男の子。
 その子が白い大人たちに連れて行かれる所。
 その子と離れたくなくて、手を伸ばした。透明な壁に指先が当たった。
 
 あの子は、何処へ行ってしまったのだろう・・・。
 
 
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 
 
◆◇◆◇◆◇◆
 
 
 
 【アーミー】とよばれる少年たちは、互いの命を奪い合い、生きる権利を獲得しようとしていた。教えられた知識は同じ、身体に叩き込まれた技術は同じ。だから、個々としての力が勝敗を決めた。
 特殊な改造を施された少年たちは人間の大人を遥かに凌ぐ身体能力を持ち、誰も住んでいない廃虚にも似た街が納まった巨大な地下室で、毎日のように殺し合いを行う。
 殺される前に殺せ。あらゆる手段で命を奪え。それがいつも言われている言葉。
 訓練について行けない者たちは、次々と姿を消していった。
 そんな【アーミー】たちの中でも、特に驚異的な能力で勝ち抜いてきたのは、ナンバー160だった。真っ白な髪をした、小柄な少年。鋭い眼光で捕らえたターゲットは絶対に逃さなかった。
 
 ボロボロになった廃屋ビルの廊下。
 尋常では無いスピードで走り抜け、激突するかの様に壁に背を当てて、身を伏せる。
 ドカンと音がして、間もなく熱風が身体を横切っていった。
 熱風が過ぎ去り、静寂に戻った廊下を、ナンバー160は逆戻りに走る。立ち止まった部屋の中には、黒い死体が横たわっていた。
「ナンバー284を爆破」
 ナンバー160は、小さな通信機で上官に連絡をした。
 通信を切ると再び走り出し、ターゲットとなる【アーミー】を探し始める。
 唐突に気配を感じて、ナンバー160は振り返った。
 ひゅうと空を切る音と共に、鋭利なナイフの先が頬を掠める。
「ちっ」
 舌打ちの音。廊下のガラスを破って外へ飛び出していく人陰が見えた。この階は3階。【アーミー】なら、飛び下りても何の問題も無い高さ。
 ナンバー160は、すぐさま、窓に駆け寄った。窓から顔を出そうとして、すぐに顔を引っ込める。
 ひゅんと目の前をナイフが突き上げた。
 窓の縁にナンバー083がぶら下がっている。彼はニィと笑うと、片腕で身体を持ち上げて廊下に入り、ナイフを構えて飛び掛かってきた。
 それを最小限の動きで躱し、ナンバー160はナンバー083の背中にナイフを突き立てた。
 低いうめき声をあげて、ナンバー083は倒れた。広がっていく赤い液体に何の感慨も無く、ナンバー160がナイフを抜いた。
 絶命させる為に、拳銃を構えると、通信機から訓練終了のアナウンスが流れた。
 訓練終了になれば、もう【アーミー】たちは殺し合をしない。
 眼下に横たわる、自分とあまり変わらない年齢の子供をじっと見てから、目を閉じる。
 瀕死状態。この子供をそうさせたのは自分。命は助かるだろうけれど、負けた“兵器”は使い物にならない。使い物にならくなった“兵器”は、異常なサンプル採取と過酷な身体実験の末に処分されるだけ。生きる権利なんて無い。
「ねぇ、訓練の時間は終わったけど…」
 ナンバー160は、血溜まりにうつ伏せになっているナンバー83に声をかけた。
「医務室に行く? それとも、今ここで…殺して欲しい?」
 せめてもの選択肢を与える。
 ナンバー83は、小さく殺してと言った。
 パァンと、乾いた音が偽りの街に響いた。
 
 ナンバー160は、左腕に掠り傷と口内を切ったくらいの怪我で、5時間の間に38人の“兵器”を殺した。
 日増しにその功績を上げ、他の“兵器”から突出した力に、研究員たちは満足しているようだった。
 この日、他のナンバーを持つ“兵器”たちは、研究員に連れて行かれ、二度と戻らなかった。
 お前はたった1人の【アーミー】になったのだと研究員は言った。
 アーミィ、と。番号では無く、称号で呼ばれるようになった。
 明日から、訓練では誰を殺せばいいのだろうか。そんな考えが頭を過る。
 アーミィは医務室から出ると、薄暗い廊下を歩き始めた。
 部屋に戻る途中、いつもなら閉まっているはず扉が開いているのに気付く。
 歩きながら何気なく視線を部屋の中へ向けると、大きな機器が沢山並んでいた。その部屋の真ん中に、1.7メートル程の球体型のシェルターがあり、分厚いガラスの奥に人陰が見えた。
 新しい【アーミー】だろうか。いや、違う。研究員が言った言葉から考えて、もう【アーミー】は自分以外には存在しない。
 奇妙な感覚に捕われながら、アーミィは通り過ぎた。
 医務室から少しだけ離れた所に、薄暗い部屋がある。研究員はいつも手枷と足枷を付けて、頑丈な鉄格子の独房に、閉じ込める。ここが、アーミィの、【アーミー】たちの部屋だった。
 2メートル四方の冷たいコンクリートの上で横になって、ナンバー160は薄く目を閉じた。拘束されてはいても、そんなに不自由では無い。この鎖を引き千切るくらい、容易い事。それくらい研究員も知っているはず。
 それでも拘束したがるのは、研究員たちの傲慢さかもしれない。
 アーミィは浅い眠りについた。
 
 
 
 翌日、アーミィは独房部屋の中で、ぼんやりとしていた。
 支給された栄養剤を飲んで、何をする訳でもなく、虚ろに天井を見る。昨日までの、生きるか死ぬかの訓練を繰り返していたのが急に無くなってしまったものだから、拍子抜けしたのかもしれない。
 訓練以外に、やる事なんて無い。自分の手を見ると、銃を握った時の手付きになっていた。身体の一部のように手に馴染んでいる銃器やナイフは、訓練の時でないと触らせてもらえない。手持ち無沙汰で、手を握ったり開いたりしてみた。
 足枷も手枷も無く、鉄格子には鍵も掛かっていない。好きに行動しても良いという暗黙の命令なのだろう。けれど、そんな命令をされても、どうして良いのか解らない。
 普通の人ならば、暇だと思うのだろう。けれど、アーミィは暇になるという経験をした事が無かった。
 静かで平穏な時間が、逆に焦燥を感じさせる。
 居ても立ってもいられず、アーミィは独房部屋を出た。
 無愛想な灰色の廊下。行く宛も無く、ふらふらと歩いて行き着いたのは、訓練に使っている地下の偽造都市だった。有刺鉄線が張られ、立入禁止の看板が下がっている。
 ここに来ると、心無しか警戒して、顔付きが険しくなるのが自分でも解った。
 壊れたビルは、不思議といつの間にか元の形に直されていた。
 ふと、地下都市の視界に入る遠くの道路の端に拳銃が落ちているのを発見した。普通の人ならば見えたとしてもただの石にしか見えない様な距離だが、鮮明に見えていた。
 さっさと回収して、上官に渡さないと。
 そう思い、アーミィは2メートルを超える金網を軽く飛び越えて都市に入り、足早に銃を拾うと出入り口に戻る。
 その帰り途中、来た時には崩れていたはずのビルの壁が直っているのが目に付いた。
「……」
 立ち止まり、誰も居ない街を振り返る。
 誰も居ない。居ないのに気配がするのは何故だろう。生き物とは違う、何かの気配。建物に紛れた、確かな存在がある。
 訓練の時には戦闘に夢中で気付かなかった何かが。
「っ…」
 不確かで得体の知れないものに対して、苛立ちにも似た感覚になる。
 アーミィは、目を細めて偽造都市を睨むと、金網を飛び越え、地下都市の部屋を出た。
 上官のいる指令室に向かう廊下で、またあの部屋の前を通った。
 丸いシェルターが嫌に印象的に見えた、あの部屋。そこで、何やら慌ただしい雰囲気が漂っていた。
 緊急事態でも起きたのだろうか。
 
 
 
 
 
つづく

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