籠ノ鴉-カゴノトリ- 3

前妄想全開だけど、懲りずに書いた。今回は鎖視点。


 上から連絡があって、鎖は部屋から出た。
 殺風景な狭い廊下に出ると、ざわざわとした嫌な気配を感じた。
 遠くから響く、恐怖に染まった悲鳴と、狂ったような甲高い笑い声。
 上から入った連絡は、『Ⅸ籠を止めろ』だった。
 地下14階の大通路にいるらしいと追加の連絡を受けて、鎖は足を速めた。
 血の匂いが濃くなる。下っ端や隊員たちの無残な死体が床に点在していた。
 首を切り落とされた者、心臓を貫かれた者、内臓を引きずり出された者。強固な防護服の上からでも仕留める手腕は、見事なものだった。が、感心している場合ではない。
 床に血痕と何かの引っ掻き傷が続いている。それと辿っていくと、大通路から入った狭い廊下の先で血に塗れた後姿を見つけた。
 鎖は廊下には入らず、様子を伺った。
 Ⅸ籠は一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと歩きながら、返り血が滴り落ちる黒いマントを揺らしていた。得意武器としている身の丈ほどある巨大な手裏剣を片手に持って引きずっている。床の引っ掻き傷はそのせいだと分かった。
 廊下を通りかかった下っ端がⅨ籠を見るなり悲鳴を上げて逃げ出したが、Ⅸ籠はすぐに飛び掛かってその頭を片手で壁に叩きつける。ガスマスクが潰れて隙間から血が溢れ出た。
 小さい身体からは想像もつかない速さと力強さ。あまりにも一瞬の事だった。
「あはっ、あはははっ!」
 心底楽しんでいるような無邪気な笑い声。だけど明らかに正気とは思えない狂ったものを含んでいた。
 気配を隠して十分に距離を取っていたのに、Ⅸ籠はこちらを察して、ゆっくりと振り返った。その顔付きはいつも見る顔とはまるで別人で、張り付いたような笑顔だった。
 にやりとⅨ籠が笑みを濃くすると、頭を潰した下っ端をこちらに投げつけてきた。
 鎖は咄嗟に右へ避けた。が、目の前にⅨ籠の巨大な手裏剣が飛んできていた。死体を避けるのを見越して時間差で投げてきたらしい。
「チッ…」
 間一髪で身を屈めて避ける。手裏剣の刃が赤い髪先を掠めていった。
「おい、クロウ!」
 Ⅸ籠に向かって声を投げたが、視界にⅨ籠の姿は無かった。
 急いでその場から飛び退く。自分が居たコンクリートの床にクナイが数本刺さった。
 鎖はすぐに床を蹴ってまた避けると、今度は突き刺すように刀を構えたⅨ籠が上から降ってきた。
 微かな音だけで着地したⅨ籠は、目標を取り逃がしたのが気に入らなかったのか、笑顔が消えていた。首をかしげて、冷ややかな目で鎖を見つめる。
 空を切る音と共に巨大な手裏剣が落ちてきて、Ⅸ籠はそれをぴたりと片手で受け止めた。
「落ち着け。どうしたよ?」
 もう一度Ⅸ籠に声をかける。
「く、くく…、あは、ははっ…」
 Ⅸ籠が引きつった笑い声を出す。でも、その顔は笑っていない。
 気味が悪い。いつものⅨ籠はこんな笑い方をしないはず。
「何があった?」
「ふふっ…」
 Ⅸ籠はこちらを無視して、迷子の子供のようにきょろきょろと辺りを見回す。まったく落ち着く様子が無い。
「お前…」
 口を開いた瞬間、Ⅸ籠が間合いを詰めてきた。鎖は身体を仰け反らせると、刀の刃先が首の皮を斬る。迷いの無い一太刀。本気で殺そうとしてる。
 鎖は刀を叩き落とそうと刀を握る手に拳を向けたが、すぐに手を引いた。その刹那、手裏剣の刃が目の前を横切った。
「くそっ!」
 後ろに飛び退いて、間合いを取る。あのまま殴っていたら手を斬り落とされる所だった。
 Ⅸ籠は相変わらず、視線をあちこちへ向けていた。とても戦闘に集中しているようには見えないが、狙いは正確だった。
 次に瞬きをした後、床に突き立てた巨大な手裏剣だけ残してⅨ籠の姿は消えていた。
 鎖は神経を研ぎ澄まして身構えると、天井から立て続けにガラスが割れる音が響いた。それに合わせて照明が消えて景色が暗くなる。少し間をおいて、たくさんのガラスの破片とⅨ籠が降ってきた。
 嫌な予感がした。暗所はⅨ籠にとっては好条件だ。
 鎖は暗がりに目を凝らした。常人ならば暗くて何も見えないだろうが、軌跡の神の加護を受けたグラビティのクローンである鎖には、Ⅸ籠の姿を捉える事ができる。
 闇の世界で、Ⅸ籠は幼い子のようにはしゃいで飛び跳ねていた。
「くくく…。オレは、あいつの影でしか、いられないの? あははっ! ねぇ? そうなの?」
「え…」
 やっとⅨ籠の言葉を聞けた。けど意味が分からなかった。悲しそうな顔で笑っている。
 Ⅸ籠は巨大な手裏剣を天井へ投げ、こちらへ3本のクナイを投げると同時に刀を構えて飛び掛ってきた。
 明るかった時よりも速い。
 鎖はクナイを全て叩き落として、Ⅸ籠の刀を避けた。刀を振り下ろしたⅨ籠の腕を掴もうとすると、Ⅸ籠は身体を反転させて躱す。瞬時に投げてきたクナイが鎖の頬を掠めて赤い線を描いた。
 一歩踏み込み、Ⅸ籠のみぞおちを狙って拳を放つと、突然目の前に鉄の壁が現れて、それを突く。鉄の壁はⅨ籠が投げた手裏剣だった。防御するために投げたのか。
 鎖は後ろへ飛び退く。床に突き立った巨大な手裏剣の向こう側で、Ⅸ籠はこちらに背中を向けたまま両腕を広げていた。その姿は影の世界を快楽する小さな鴉に見えた。
「クロウ、さっき何の事言ったんだよ?」
 話が通じるかと思って声をかけたが、Ⅸ籠には全く届いていないようだった。鎖の方へ振り返ると、目を細める。
「冥暗…闇…影…従え…」
 Ⅸ籠は両手の指で印を結び、踊るようにその場でくるりと身体を1回転させた。煌々と輝く金色の目が合う。
 その瞬間。
「っ…!」
 眩暈がして、急に感覚が鈍った。夢の中にいるような、不確かな世界になる。
「てめぇ!!」
 鎖は声を張り上げた。身体が重くなる。Ⅸ籠の特殊能力である影の支配だった。
 徐々に感覚を奪われていく身体に悪寒が走った。
「鎖さん!」
 ふいに、聞き慣れた声が大通路に響いた。
 Ⅸ籠の後ろ側の廊下に、刺斬が小隊を連れて来ていた。隊員たちはサーチライトや麻酔弾のライフルを持っている。
 サーチライトの光で辺りが眩しくなると、Ⅸ籠はわぁっと叫んで腕で顔を覆った。それと共に身体が軽くなった。
 Ⅸ籠は振り返って刺斬たちを睨むと、巨大な手裏剣をそちらへ放った。その隙を狙って、鎖はⅨ籠との間合いを詰める。鎖に気が付いたⅨ籠が刀を振り下ろしたが、それよりも速くⅨ籠の首を片手で掴んだ。
「ぅぐっ…」
 Ⅸ籠が短い呻き声を上げて、刀で鎖の腕を斬ろうとする。その腕をもう片方の手で掴んで、そのまま床に押さえ付けた。
 刺斬たちへ目を遣ると、巨大な手裏剣は床に倒れていた。刺斬が何とかしてくれたらしい。小隊も無事だった。
「すんません、遅くなりました」
 刺斬が駆け寄って来る。
「鎖さん、首…」
「掠っただけだ、心配すんな」
 鎖は口早に返事を返す。Ⅸ籠との戦いに集中してて気が付かなかったが、首から流れる血は思ったよりも多かった。
 押さえ付けているⅨ籠に違和感を覚えて見下ろすと、Ⅸ籠は身体の力を抜いてうっすらと笑っていた。それは挑発的でほのかに妖艶さを感じる、諦念したような顔だった。しかし首を絞める力を抜くと血相を変えてまた暴れて、首を掴む手を自分から首に押し付けた。
「お前、まさか…」
 それは、殺してほしいかのような行動だった。
「…様子がやべぇ、早く眠らせろ」
 そう言うと、刺斬はすぐに隊員に指示をした。
 
 
 
 白い壁と、眩しいくらい明るい蛍光灯の光が照らす医務室の個室。
 鎖はパイプ椅子に座って小さい円卓の上に頬杖を付いていた。
 小さなサイドテーブルの上には十数枚もの書類。目を通す気にもなれない小さい文字の連なりは、Ⅸ籠に対する警告文や処分等の内容だという事は読まなくても分かっていた。
 すぐ傍のベッドの上で寝ているⅨ籠の両手両足には、枷が付けられてベッドの四隅に繋がれていたが、Ⅸ籠が目を覚ませば、そんなのすぐに引き千切られる。
 上はⅨ籠を分かってない。甘く見てるし、軽く思ってる。
 ここで造られたクローンは、組織から制御されるように造られている。でもそれは能力を抑制してしまい、最大限の力が出せないという見えない二重の枷だ。
 だけど、Ⅸ籠にはその二重の枷は無い。【最強の永久少年】を超える事を目的とされて造られたⅨ籠は、誰にも制御されない放し飼いの生物兵器だ。
 Ⅸ籠は、ここで生まれ育って、ここに兄たちが居る、それだけの理由でこの組織に居る。組織に対しての忠誠心なんか無い。
 組織の存在は、Ⅸ籠の鳥籠にならない。それが、どれほど危険な事か。
 鎖は立ち上がって、蛍光灯を半分消して部屋を薄暗くした。Ⅸ籠は片方の目が暗い方が良く見えるという特殊な目をしているから、明るい所を嫌う。目を覚ました時に、少しでも嫌な思いをさせたくなかった。
 鎖はパイプ椅子に座り直して、眠っているⅨ籠を眺める。いつも被っている黒いヘルメットが無いと、余計に幼く見えた。
 永久少年は、歳を取らない。成長が止まるタイミングは個体差があり、長い年月をかけてゆっくりと成長を続ける個体もいるが、必ず歳が止まるか若返る。
 皮肉なものだと思う。自分は永久少年のひとりであるグラビティのクローンだ。けれど、歳を重ねて成長している。今ではすっかり、オリジナルのグラビティよりも年上の見かけだ。それはつまり、永久少年としての複製に失敗している可能性を示唆している。
 でもⅨ籠は違う。Ⅸ籠はクローンであっても永久少年としての特性を失っていない。もしそれが、組織からの抑制を受けずに造られたからだという理由だとしたら。
 何ものにも縛られない、自由な存在こそ、永久少年。そう思えてくる。
 暫くして、Ⅸ籠の小さいうめき声が聞こえた。布団の中で身じろぐ音が聞こえる。
「…?」
 目を覚ましたⅨ籠は、予想通りに左腕の枷を引き千切った。身を起こそうとするⅨ籠を、鎖は押さえた。
「鎖、何のつもりだ…」
「俺がやったんじゃねぇよ。それ外すな。もっと邪魔くせぇの付けられちまうぞ。大人しく横になってろ」
 なるだけ優しい口調で言うと、Ⅸ籠は訝し気な表情ながらも力を抜いた。状況が把握できないらしく、不安と不満が混じった目で見上げてくる。暴れる様子は無く、平静に戻っていた。
 Ⅸ籠があそこまで気をおかしくして暴れるのは久しぶりだった。少しずつだが、Ⅸ籠の精神状態は良くなってきていたはず。
 それなのに。
 鎖はパイプ椅子をベッド近くに引き寄せて背もたれ側を前にして座ると、背もたれの上で頬杖を付いた。
「どうして暴れた? 何があった?」
「え…?」
 こちらの問いかけに、Ⅸ籠は眉を寄せた。
「20人以上殺したら、処罰されるって言われてただろ?」
「…うん…」
 鎖の言葉に、Ⅸ籠は静かに頷いた。
「お前が殺した人数は、20人どころじゃねぇぞ」
「何のこと?」
「とぼけんな」
「オレ、殺してないよ?」
「あぁ?」
 Ⅸ籠の返事に、鎖は唖然とした。冗談じゃない。
「お前、ふざけんな…!」
 少し声を荒げると、Ⅸ籠は肩をすくめて、目の下まで布団を被った。威嚇する野良猫のような目を向ける。布団を握る手は微かに震えていた。
「あー、いや、違う。怒ってねぇぞ?」
 鎖は目を伏せた。こういう時、刺斬だったらもっと上手く話せるんだろうなと思う。刺斬はⅨ籠の件で状況報告に行ってるから、暫く戻ってこない。優しく話すというのは苦手だ。
「その…、なんだ。暴れまわるような理由があったんだろ?」
「さっきから何言ってんだ? …言ってることが、分からないよ…」
 お前こそ何言ってやがんだ!と、言いたいのを我慢した。喉に詰まった言葉を押し込むために、咳払いをする。
 鎖は様子がおかしかったⅨ籠の事を思い出す。Ⅸ籠とは別人だったと思えば、そう思えなくもない。だが、医務室まで担いできたのは、紛れも無くこの子供だ。
「…鎖、ケガしたのか?」
「あ?」
 すっかり忘れていたが、刺斬に包帯を巻かれていたのを思い出す。Ⅸ籠は憂う目で鎖の首を見ていた。
「お前が首にケガするなんて、珍しい…」
「……あぁ。…そうだな…」
 鎖はゆっくりと返事をした。本当に覚えてないのだと確信した。
「部屋に帰りたい…」
 Ⅸ籠がぽつりと言った。
「それは…」
 鎖は言葉に困った。円卓の上の書類に目を遣る。書類を受け取ったときに視界の端に入った文字は「指定の部屋にて監禁」だった。
 書類を手に取ると、Ⅸ籠の前に差し出した。Ⅸ籠がどう言い訳しようと、結果は変わらない。上層部からの決定だからどうしようもない。
 鎖から書類を受け取ったⅨ籠はそれに目を通すと、目を見開いた。
「何で…。オレ、知らないよ…。殺してない…」
 青ざめた顔をして、こちらを見てくる。
「こんなの、やだ…、やだよ…。兄さんたちと一緒にいたい!」
 悲痛な声を上げるⅨ籠に、鎖は固まった。
「うぅ…っく、やだぁ…、兄さんたちに、会わせて…。何でもするからぁっ…!」
「おい、泣くなよ…」
 困った。予想外の事態だ。Ⅸ籠なら、怒って怒鳴り散らすと思っていた。暴れるならいくらでも捻じ伏せるつもりだったが、泣かれるとなるとどうしていいのか分からない。
 声を上げて泣くじゃくるⅨ籠の横で、鎖はこめかみに指をあてて唸る。
「刺斬、早く戻ってきてくれ…」
 無意識に口を付いた言葉で、ふと思い出した。昔、幼かった頃の自分はよく泣いていた。泣いていた理由は忘れたが、刺斬がいつも頭を撫でてくれた。撫でてもらうと、不思議と気分が落ち着いた。
 Ⅸ籠の頭を撫でようと手を伸ばすと、Ⅸ籠は顔を背けて拒絶した。その行動に手を下げようか迷ったが、透けそうなくらい白い髪が生えた頭を撫でた。すると、Ⅸ籠は泣き腫らした目で、こちらを見上げてきた。恐怖とは違う、忌避するような目だった。
 鎖は撫でる手を戻した。信用されてないのか。普段怖がらせてる事があるから、仕方ないのかもしれない。
 Ⅸ籠は目を細めて、小さく口を開いた。
「鎖は…悪くないよ…」
 その言葉の意図が何であって、何に対してだったのかは分からなかった。
 長く泣き続けていたⅨ籠が少し落ち着いてきたころ、鎖は真剣にⅨ籠を見据えた。
「本当に、やってねぇんだな?」
「やってないよ…」
「…分かった。俺と刺斬で上に掛け合ってやる。でも、期待すんじゃねぇぞ」
 どうあってもⅨ籠の仕業に他ならないのだが、Ⅸ籠は自分が何をしたのか全く覚えていない。
 自分にとって謂れの無い罰を受ける事がどんなに残酷な事であるかは、それを経験してる鎖にはよく分かっていた。だから他人事には思えなかった。
 
 
 
 その後、鎖は戻ってきた刺斬と一緒に上層部に足を運んだ。
 今回の件について、Ⅸ籠の状態が平常ではなかった事を理由にして、処罰の軽減を申し出た。
 お偉い連中は、互いに目を合わせて口を閉ざした。長い沈黙の後、手のひらを返したように、処罰内容を5日間の自室軟禁に変えた。殆ど自室に籠って過ごしているⅨ籠には痛くも痒くもない。好転した結果をⅨ籠に伝えると、飛び跳ねるように喜んでいた。
「どう思います?」
 刺斬の部屋に戻ってソファーに腰を下ろすと、すぐ隣でタバコに火を付けた刺斬が言った。
「何か怪しいな。クロウが暴れた理由、上の連中は知ってんじゃねぇのか」
「そんな気がするっスね」
「釈然としねぇなぁ」
 鎖は大きく息を吐いた。
 Ⅸ籠の首を絞めた時に、Ⅸ籠が死にたがっているような行動をした事は、刺斬には黙っていた。確証は無かったし、不愛想な見た目のくせに心配性な刺斬に負担をかけたくなかった。
 その代わり、Ⅸ籠の頭を撫でたら嫌がられた事を、笑い話として話した。「俺、クロウに嫌われてんだよなぁ」と苦笑いをすると、刺斬は「俺もっスよ。頭撫でたらそっぽ向かれました」と苦笑いをした。
 2人で大笑いした。そして2人同時に溜め息をして、Ⅸ籠に嫌われている事に落ち込んだ。
 
 
 
 
 
つづく

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