いい子

鎖とⅨ籠のお話。


 そもそも、Ⅸ籠の顔なんて、下っ端の連中がはっきりと覚えているはずもなかった。遠巻きに見るのが殆どだったし、Ⅸ籠に近づくと殺されるという悪い噂もあったから、無闇に寄ってくるような物好きもいない。
 単純に、黒いヘルメットに黒いマントの子供という認識でしかなかったから、その2つが無い状態ではⅨ籠だと気付きにくく、ただの子供にしか見えないのは仕方のないことだった。
 至極簡単な理由で、Ⅸ籠だと分かるその2つを、Ⅸ籠が部屋に忘れてきただけだった。
「あんなに慌てて逃げなくてもいいのに。気に入らなかったら殺すけど、痛いのなんて一瞬だし」
 今日はⅨ籠の機嫌が良いようだった。良いといっても、悪い方向にだが。
 鎖は、一緒にいる子供がⅨ籠だと知って血相変えて廊下を走り去っていった隊員を半眼で見送る。廊下を歩いていた隊員が、軽装のⅨ籠を見るなり立ち止まって首を傾げた。それを真似るようにⅨ籠も首を傾げたのだが、隊員はⅨ籠だと知るや否や来た廊下を走り戻って行ったのだった。
 無理も無い。事情を知らなければ、誰が見てもそこら辺にいるような子供の姿。ただ、その眼光の鋭さは、ある程度の者ならすぐに察しがつくであろうものだった。
「ねぇ? 鎖もそう思うだろ?」
 屈託の無い顔で見上げてくるⅨ籠。
「俺には分からねえな」
 鎖は素直に自分の気持ちを言葉にした。Ⅸ籠の考え方は、共感し難いものが多いし、意味不明なこともある。
 死に対して恐怖を感じるのは生き物として当然の事。Ⅸ籠は相手が誰だろうと殺すことに何の迷いも無いのだから、逃げ出したいと思うのは当然だった。
「痛え、痛くねえの問題じゃねえんだよ。気分で殺すなんて考えるなよ? お前だって、死にたくねえだろ?」
 そう言うと、Ⅸ籠は廊下を進みながら不思議そうな表情を浮かべて見上げてきた。
「オレが死んでも代わりはいるって言ってたよ? だから、平気だって」
「は?」
 鎖はⅨ籠の言っている意味がすぐに理解できずに口を開けた。Ⅸ籠の代わりがいるなんて、鎖は初耳だった。大方、上の連中がⅨ籠を煽るために嘘を言ったということだろう。言われた本人は煽られたとは微塵も思ってないだろうし、そのままの意味で受け取ったに違いない。
「あ、でも、永久少年のクローンって造るの大変なんだって。そう言ってたんだ」
「…おい」
「大丈夫だよ。オレ、人間だから薬も飲んでるし、兵器だからメンテナンスしてもらってる。殺されるまではずっと戦えるから。もし死んでも、鎖や刺斬にはオレの代わりがいるから、だから心配しなくていい」
 気懸りなことでもあるのか、訴えるように話すⅨ籠に、鎖はやや気負けした。Ⅸ籠が何かに固執している様子は前々から感じていたが、それが何なのかまでは、鎖には分からなかった。
「そうじゃねえっての…」
 Ⅸ籠の少し後ろを歩きながら、鎖は溜め息交じりに言った。Ⅸ籠と上手く話ができる自信が無い。刺斬は何であんなに話を正確にⅨ籠へ伝えられるのか。
 鎖の晴れない様子に、Ⅸ籠も顔を曇らせた。
「あー、なんつーか…その…」
 鎖は何とか話を好転させようと続けたが、その先が思いつかずに言葉がつかえた。Ⅸ籠は鎖の言葉の続きを待って、真剣な眼差しで顔を向けながら前を歩いていた。
 その時。
 廊下の交差点の左側から、数名の隊員が足早に歩いて現れた。その中のひとりに、Ⅸ籠が身体を掠めた。隊員たちはすぐさまⅨ籠を取り囲む。
「ここは子供が来る所じゃない。早く帰れ!」
 そう言って、隊員のひとりが片手を振り上げる。
 鎖はⅨ籠を殴ろうとして手を挙げた隊員の腕を止めようとしたが、それよりも速く、Ⅸ籠が隊員の顔を片手で掴んで廊下の壁に叩き付けた。
「やめろ!」
 咄嗟に叫んで、鎖はそのまま頭を潰そうとするⅨ籠の腕を掴み上げ隊員から離した。突然のことに状況が飲み込めない隊員たちは立ち竦んでいる。
「よく見ろ、こいつはクロウだ。お前ら、後で説教だからな! 早く行け!」
 逃げるように促すと、隊員たちは全力で走り去っていった。
 鎖は追いかけようと暴れるⅨ籠を何とか壁に押さえつけたが、殺気を帯びた目で睨まれて腕に爪を立てられた。本気のⅨ籠なら一撃目で隊員の頭を潰していただろうし、こんなに簡単に捕まるはずがない。それを思えば、多少なりとも理性は残っていたらしい。
「隊員に手ぇ出すなって言われてるだろ!」
「オレのこと、攻撃しようとした。あいつ敵だ。殺さなきゃ…」
「攻撃じゃねえ! お前のこと心配して、ちょっと小突きたかったんだよ」
「どうしてオレのこと心配するんだ?」
「あいつらは、お前がクロウだと気付かなかったんだよ。普通の子供がここにいたら危ねえだろ。だから注意したんだ」
「……」
 Ⅸ籠は腑に落ちない顔のまま、ゆっくりと力を抜く。それに合わせて、鎖もⅨ籠から手を離した。
「鎖は、すぐ怒る…」
 Ⅸ籠が目を伏せて、小さく呟いた。さっきまでの鋭い凄味は何だったのかと思うくらいの変り様だった。
「怒ってねえよ。お前が知らねえこと教えてんだ」
 しょぼくれたⅨ籠にちょっと同情しつつ、鎖はなるべく穏やかな口調で言った。するとⅨ籠は表情を急に変えた。
「本当に? 怒ってないんだ?」
 Ⅸ籠が目を見開いて心底驚いたような顔をする。
「お、おう…」
 鎖はたじろいだ。まさか、怒られていると思っていたんだろうか。確かに口調が荒いのは自覚しているが、怒っていたわけではない。
「そうか。鎖、怒ってなかったんだ…」
 Ⅸ籠は嬉しそうに独り言をいって、クスクス笑った。
 鎖は、いまいちⅨ籠が何を考えているのかわからないまま、とりあえずは機嫌がよくなったことに安心した。
 そして気が付いた。Ⅸ籠は自分が知っていること、言われたことの中で「いいこと」だけを選んで行動しているのではないだろうか。その知識量があまりに少なく偏ってるせいで、周りには理解しがたい言動になっているのかもしれない。
「お前が知らねえ悪いことやったら注意するからな。んで、お前が知ってて悪いことしたら怒るからな」
「悪いことしないよ。オレ、いい子にしてるし」
 鎖の言葉に、Ⅸ籠は全く悪びれる様子も無く言い返した。
 その自信がどこからくるのか理解に苦しむが、鎖は思い当たった予想がほぼ間違っていなさそうだと確信した。Ⅸ籠の機嫌を損ねるのもよくないと思い、「これからも、いい子でいろよ」と半ば祈るように小さい声で返した。
 
 
 
 
 
終わる

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