カレー

刺斬の代わりに鎖とⅨ籠が料理をするお話。
頭がゆるいお馬鹿な内容でも許せる人向け。


 けほ。と、乾いた咳をする。刺斬は放心した目つきで天井を眺めていた。
 何故、こうなるんだ。まさか風邪を引くなんて。
 不甲斐無い自分を責める。声も全くでない状態だった。
 いや、問題はそこではなくて。
 少しふら付きはするが、動けなくはなかった。だから日常生活においては何の問題もなかった。それなのにあの2人は。
 鎖かⅨ籠のどちらが先だったのか忘れたが、安静にしてろ、と言い出した。
 普段、2人は互いに小さな言い合いをして、時には喧嘩に発展する仲なのに、こういう時は阿吽の呼吸で謎の団結力を発揮するのか。
 身の危険を感じて逃げ出そうとしたが、Ⅸ籠の影の力に捕まった。こんなことに特殊能力を使う意味はあるのか。いや、無い。というか、病人相手にやるようなことではないはずだ。物事の加減を知らなすぎる。
 そして動けない所を鎖に縄で縛られて、ベッドに転がされて布団を掛けられた。
 2人の優しさが厳しいっス…。
「ゆっくり寝てな」
 と、心配してるのか楽しんでるのか分からない笑顔の鎖に言われて。
「刺斬にはいつも世話になってるからな。たまには世話してやる」
 と、いつもは隠そうとする子供らしい無邪気さでⅨ籠に言われて。
 恐ろしいことに、2人は「何か作る」と言って、キッチンに入っていった。
 素直に喜べる状態ではない。気持ちだけで十分っス。いや、遠慮ではなくて。本当、余計なことして欲しくない。
「はぁ…」
 額の上に乗せられた、ひたひたに水を含んだタオルの水滴がこめかみの辺りを流れていくのを気にしながら、刺斬は溜め息をついた。
 ほどなくして、キッチンの方から物音がし始めた。聞き耳を立てて意識を向ける。
「クロウ。カレー作ろうぜ」
「分かった」
 どうやらカレーを作る気らしい。少し安心できる。以前、鎖と一緒にカレーを作ったことがある。無難な料理を選んでくれた。これなら余程のことが無い限り失敗しないし、多少味が悪かったとしても後から挽回もできる。
「そっちにジャガイモ無かったか?」
「……鎖、これ? これ、じゃがいもってやつ?」
「それだ。それ10個もってこい」
 は? 10個? まてまて、3人分っスよね…?
 冷蔵庫を開ける音がする。
「ニンジン…。あと、何を入れてたっけかなぁ? これも入ってたような…」
「これ、刺斬がよく食べてるやつだ。これ入れたら、きっと喜ぶぞ」
「んじゃ、それも入れようぜ」
 何を…何を入れる気っスか…。
「包丁は危ねえ。俺が切るから、お前はジャガイモ洗え」
「お前、殴るしか能が無いだろ。オレのほうが斬るの得意だ」
「何で刀抜いてんだよ」
「オレにやらせて。こっちの方が使い慣れてる」
「まな板ごと切る気かよ。やめろ」
 喧嘩になるかなと刺斬は気を揉んだが、その後2人は静かになった。
 とんとん、と、少しぎこちない音が響く。
「…ってぇ。指切った」
「だからオレにやらせろって言っただろ」
「るせえよ。お前、武器しか握ったことねえだろが」
「武器以外も持ったことあるし!」
「言葉の綾だ。真に受けんじゃねえよ」
 また少し険悪になりながらも、2人は喧嘩をせずにいるようだった。
 刺斬は気を張っていたが少し緩んだ。鎖は切るのに慣れてきたらしく、音の間隔が短くなっていった。指は大丈夫だろうか。速さよりも、慎重に切って欲しいのだが。
「ぐああっ!」
 突然、鎖が声を上げた。
「何だこれ! 危険物か!?」
 Ⅸ籠が驚いた声を出す。
え、何スか? 危険物? そんなものは置いてないはず。
「やべぇ! クロウ、離れろ!」
 緊張した雰囲気に包まれる。
 刺斬は慌てて身を起こそうとしたが、無理だった。こんなことなら縄抜けを学んでおけばよかったと、悔やむ。2人の身に何かあったらと思うと気が気でなかった。
「目ぇ、閉じるな。閉じるとよけいに痛くなるぞ! 早く、目ぇ洗え」
「刺斬はこんな危険なもの切ってるのか…。ねえ、これ粉砕して相手に投げつければ催涙弾の代わりになる?」
「食べ物粗末にすんな」
 玉ねぎ…。
 刺斬は一気に力が抜けた。
 それから暫くして、包丁の音が止まった。
「刺斬が作るのは、もっと色々入ってるよな」
「そうなの? オレ分からない」
「何か、探せ」
 ばたばたと、冷蔵庫を開ける音と、戸棚や引き出しを開ける音が続く。
 数分後、Ⅸ籠がヘンテコな叫び声を上げて騒ぎ始めた。
「それをオレに近づけるな!! 殺すぞ!! あー! 入れるな!」
 ボスのこの取り乱し様は…キノコかな…。
「ダメだっての、食え。…あっ、コラ! てめぇ!」
 ガシャン!
 部屋に響く、硬質な高音。
 皿を割ったなと、刺斬は察した。
 キッチンからこちらを覗く2人の顔が視界の端に映る。2人が怪我をしていないか心配だったが、こちらに気を使わせる気がして、寝たふりをした。2人はぼそぼそと小声で囁き合いながら、顔を引っ込めた。
 間もなくして、カチャカチャと割れたであろう皿を片付ける音がする。指を切らなければいいが。
「これ、刺斬はいつもカレーに入れてるぜ?」
「刺斬には、入れるなって言った!」
「お前が、気付いてねえだけだ。いつも入ってんだよ」
 あー! 鎖さん、何で言っちゃうんスか。ボスには秘密にしてたのに!
「刺斬に訊くといつも、大丈夫ですって言ってたぞ!」
「その大丈夫ってのは、お前が気付かねえように入れたから食えるよって意味だろ」
「…刺斬め…!」
 ……。それを言っては…。
 身も蓋も無い。刺斬は溜め息をした。次はどうやって気付かれないようにキノコを入れようか。警戒心が高まったⅨ籠を欺くのは相当に苦労しそうだった。
「これも入れていい?」
「あ? ああ、それか。まあ、いいんじゃねえ?」
 今度は何を入れたのか。鎖が断らないのだから、問題ないものだと信じたい。
 他にも何か入れているようだった。でも、2人の話し声からそれを窺い知ることはできなかった。
「隠し味に、果物入れるといいって刺斬が言ってたな」
 鎖が思い出したように言った。
 鎖さん覚えていてくれた。林檎摩り下ろして入れてくださいね。
「う~ん…。何入れたんだったかな…」
 そこは覚えてないのか。頑張って思い出してください。
「忘れちまったなあ。…とりあえず、これ入れるか」
「いくつ入れるんだ?」
「5本でいいんじゃねえ?」
 本!? 本単位で数えるもの!?
 刺斬は目を見開いて、思考をフル回転させた。冷蔵庫に入っている果物で、本単位で数えるものを必死に検索する。
 …バナナだ。
 カレーにバナナを入れるのは上級者向けだ。一歩間違ったらとんでもないことになる。5本は間違いなく適正範囲を超えている。
 これはまずい。2つの意味でまずい。
 やがて部屋に漂ってくる、むせ返るほどの甘ったるいトロピカルな香り。自己主張の強いバナナが猛威を振るい始めた。
 せめて…、せめて換気扇回して欲しいっス…。
 至近距離にいる2人の嗅覚はどうなっているのか。もうすでに麻痺しているのか。
「あー、あったあった、これだ。これ入れるとカレーになるんだ」
 鎖がカレールーを見つけたようだ。というか、カレールーを見たからカレーにしようと計画したのではないのか。もし見つからなかったらその煮込んだものはどうするつもりだったのか。
 刺斬は棚の手前にカレールーの箱を置いておいてよかったと心から思った。
「ねぇ、この石みたいなの、全部入れるのか?」
「知らねえ。テキトーに入れちまえ。もう1箱ある」
 鎖さん? 鎖さん!? 箱の裏に使用目安が書いてあるのに! 強行突破はやめてください!
 鼻に纏わり付くバナナの香りが、鼻の奥をツンと刺激させる香辛料交じりに変ってきた。
「何か、刺斬が作るやつとちょっと違うけど、刺斬が美味しいって言ってたのいっぱい入れたから大丈夫だな!」
 そうですね、ボス。多分、ちょっとどころじゃないですけどね。過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉、覚えましょう。
「今まで作ったことねえカレーを作ったからな。きっと刺斬は驚くだろうぜ!」
 挑戦することはいいことっス。でも鎖さん、その勇気ある行動は無謀です。すでに十分驚いてます。肝も冷えてます。
 足音が近づいてくる。
「刺斬ー! よく寝たか?」
 鎖が快活な声を上げて戻ってきた。
 いや、全く。全然眠れてないっス。
「顔色悪ぃな」
 ええ、お陰様で…。
「カレーっぽいの作ったぞ!」
 自信ありげな笑顔で、Ⅸ籠が見上げてきた。
 っぽい…。広義的にはカレーに分類されるとボスも思ってるんですね…。
 刺斬は、極力笑顔を浮かべるようにする。何にせよ、2人は頑張ってくれたのだから。
 縄を解かれて食卓の席に案内される。卓の上には鍋が置いてあった。
 米は炊かなかったのか。まあ、それはこの際気にしない。2人も忘れていそうだった。
 鎖が鍋の蓋をとる。
 中身を見て、刺斬は目が点になった。まず目に入ってきたのは、青々と茂る、まるで小さな樹だった。
 何でブロッコリーが丸ごと入ってるんスかねえ!? 飾りつけ!? 飾りつけのつもりっスか!? 豪快で許される規模じゃないっスよ!?
 バナナの強い香りに誤魔化されていた。嗅ぎ分けると青臭い。
 あろうことか、カレーのようなものを皿に盛り、その上にブロッコリーを乗せた。それを目の前に差し出される。
 …何故。これを…齧れと…?
 嫌でも存在を見せ付けてくるブロッコリーは見なかったことにして、刺斬はカレーに混ざる具を注視した。
 この大きめの具…白い半透明。これは…大根…。もしや、俺がよく食べてるって言ってたのはこれっスか。大根もバナナに並ぶ調整が難しい具材だ。…まあ、これくらいなら。俺を思ってくれてのことだし。…ん? この白い玉のようなものは何スか? 小粒のじゃが芋にしては小さ…いや、これは…ボスの好物の白玉団子!? しかも、こし餡が入ってるやつ! 鎖さん、何故ボスを止めなかった…!? …あ、これは輪切りのピーマン……じゃねぇ!? 何だ!? 何でキュウリ!? 嘘だろ!? まさかピーマンと間違えたのか!?
 もう冷静でいられなかった。
 他にも、カレーには似つかわしくない具が見えるが、もうその正体を知る勇気が無い。
 想像を絶する摩訶不思議な状況に身が震える。これは只事ではない。
 刺斬は数回深呼吸して、気分を落ち着かせようとした。笑顔にしている口の端が引きつる。
 期待の眼差しを向ける2人を裏切るわけにはいかない。
 恐る恐るカレーのようなものを口へ入れる。
 今まで数々の修羅場も死線も越えてきた2人だ。万にひとつでも、可能性はあるかもしれない。
 世の中、神はいなくても、奇跡が起きるときはある。
 ……起きなかった。
 ガタンと音を立てて、刺斬はテーブルに突っ伏した。
 形容詞にしがたい、例えようのない味だった。喉に力が入る。風邪のせいで狭い気道が、更に締まるような息苦しささえ感じる。
 すごい。こんな味初めてだ。全身の毛が逆立ち悪寒が走る。体が本能レベルで危険を感じて飲み込むのを拒否してる。
「よかったな、鎖。刺斬、喜んでるぞ」
 Ⅸ籠が鎖に声をかける。
 ええ。お気持ちは大変嬉しいです。…お気持ちだけは。
 自分が今、どういう感情なのか分からなくなった。あらゆる感情が高まると、人は無心になれる。
 刺斬は、手近にあった取り分け用の小皿を手に取る。大変心苦しいが、この現実を2人に伝えなければいけない。
 カレーのような何かを小皿に盛ると、2人の前にそれぞれ差し出した。
 2人は各々それを食べる。
 自信満々だった表情が見る見るうちに険しくなっていく。鎖は口元を押さえ、Ⅸ籠はゲホゲホと咽た。
 青ざめた顔で2人が頭を垂れる。
「…ごめんなさい…」
 2人の声が、消え入るようなか細い声で重なった。
 
 
 
 
 
終わる

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