竜使いと白いドラゴン2 ~出会い~ 

 温かい。心地よい気分に浸りながら、ライエストは寝返りを打った。ふわふわとした手触りが気持ちよくて、無意識にぽんぽんと叩く。
「…はっ!」
 息を呑み込んで飛び起きる。視界いっぱいに広がる真っ白で柔らかい毛に包まれていた。自分の身の状況が分からないまま獣毛をかき分けて上半身を起こすと、真っ白な獣毛に覆われたドラゴンの胴体と尻尾に挟まれていた。
 白いドラゴンは、青空のような鬣を揺らしてこちらへ振り向く。赤い瞳と目が合った。
「えっと…」
 ライエストは口を半開きにして固まった。全く身に覚えのない出来事に混乱する。呆けていると白いドラゴンは気が済んだように立ち上がり、湖の方へ向かって行った。
 ライエストは慌てて白いドラゴンの後を追う。白いドラゴンは湖の岸に着くと、見る見るその姿を白い水龍に変える。獣毛は短くなって鱗に変わり、胴体は大蛇のように長く伸びて湖に落ちていった。
「待ってくれ!」
 岸の縁に両手を着いて湖を見下ろす。2メートルほど下の湖面で、白い水龍が不思議そうな表情で見上げていた。
「その…、俺を助けてくれたんだよな? ありがとう」
 人語が通じるか分からなかったけれど、お礼を述べた。すると、白い水龍は湖面に尻尾を出して左右に揺らし、「クァ」と短く鳴いた。
 話が通じたかもしれない安心感を得たライエストは、それに代わるように不可解な疑問が沸いた。この白い水龍は、湖で溺れた自分を助けてくれたのは間違いない。けれど、先ほどまで毛の生えたドラゴンの姿だった。勝手な予想だけれど、水で冷えた体を温めてくれていたんだと思う。でも、別の竜種に姿が変わる竜族なんて、聞いたことがない。
「お前、水龍なのか? それとも…」
 言いかけて、言葉を濁した。この白い水龍が突然変異か奇形種、あるいは混血種だとしたら、同族から避けられているのも納得できる。呪われた生き物だからだ。
 ライエストは意を決して、真剣な眼差しを白い水龍へ向けた。
 もしこの水龍が呪われた生き物なら、孤立して長くは生きられない。
「俺は、ライエスト・トゥルパだ。西の地に住んでる。なぁ、俺の村に来ないか? お前のこと、ひとりにしておけない」
 白い水龍は目を離さずに話を聞いてくれていた。
「今のままじゃ、寂しいだろ? 俺の村にはいろんなドラゴンがいて、仲良く暮らしてるんだ。…ああ、でも、時々はケンカする。こんな大きな湖は無いけど、村の近くに滝と川があって、魚がいっぱいいるから食うに困らないぞ。肉がいいなら、森に猪や熊がいる。魔物もいるけど…」
「クァ」
 白い水龍は返事をするように鳴くと、するすると湖面から体を伸ばし、水龍にあるはずのない羽翼を生やして飛び上がる。岸に着地すると同時に、大蛇のように長かった姿が、体躯のしっかりしたドラゴンに変わった。
 信じられないけれど、やはり姿が変わる。それを目の当たりにしたライエストは微かな悪寒に似た畏怖を感じて、じっと白いドラゴンを凝視した。
 そんなライエストの微量な心境の変化そ察したのか、白いドラゴンは頭を下げ見上げてくる。
 不安気な眼差しを向けられて、ライエストは我に返った。きっとこのドラゴンは他の竜族から奇異の目で見られて生きてきたはず。不安なのはこのドラゴンの方だ。そんな気持ちにさせないために、村に連れていくんじゃないか。
「名前。そうだ、名前」
 気を取り直して、白いドラゴンに笑いかける。名前が無ければ呼ぶときに不便だと思い、どんな名前がいいのか頭を捻った。
 一方、白いドラゴンは、腕を組んで思考を巡らせるライエストの周りをうろうろと歩き、外套の端を銜えて引いたり鼻先で背中をつついたりと、様子を伺っていた。
 ライエストは我ながら良い名前を思いついたと自信あり気な表情で後ろにいる白いドラゴンに振り向く。
 その時、一瞬だけとても眩しい閃光が目に入る。白いドラゴンの姿が、別の”何か”に見えた気がした。空気が凍り付いて固まったような長い一瞬の後、白いドラゴンがじっとこちらを見据えていた。
 頭の中を掠める、聞いたことのない言葉と、見たことのない文字。
「サージェイド…?」
 その言葉と文字の意味を考えるより先に、その名を呟いていた。白いドラゴンは笑うように目を細めてクルルと喉を鳴く。
「そうか。お前、サージェイドっていうのか」
 ライエストは不思議な出来事に小さく震える手をゆっくり伸ばして、白いドラゴンの頬を撫でた。
「いい名前だな! 俺が違う名前付けなくてよかった」
 うんうんと頷き、サージェイドという名を覚えるように頭の中で唱える。昔、村で竜使いになった者がドラゴンに名を付けたとき、その名をドラゴンが気に入らなくて仲が険悪になったことがあったのを思い出す。
 俄かには信じがたい現象に手の震えはまだ続いていたけれど、竜族の中には特殊な能力をもったものもいると村の長老から聞いたことがある。このサージェイドと名を教えてくれたドラゴンが、まさにそれなのだろうと確信した。
「あれ…?」
 ライエストはサージェイドの翼を見て首を傾げた。湖から飛び上がってきたときには羽毛が綺麗に生え揃った翼だったのに、その羽毛は無く、それどころかコウモリの骨格だけのような翼で飛膜すら付いていなかった。
 けれど、水龍に羽翼という異様な姿よりは違和感が無く、この翼こそが本当の翼なんだと何の気なしに感じられた。
「それじゃ、サージェイド。俺の村に…」
 歩き始めようとして、ライエストは足を止めた。水龍を狩りに来た男たちが引いてきた荷車が目に映る。
 もしかしたら、あの男たちがまた水龍を狩りに来るかもしれないし、別の連中が水龍の噂を聞いてこの湖に来るかもしれない。ここはもう安全な場所ではなくなっている。
 ライエストは両手の拳に力を入れて大きく息を吸った。
「おーい!! ここは危ないぞ! もっと西に逃げろ!」
 力の限り水龍たちに向かって大声を上げる。しかし、いくら声を張り上げてみても水龍たちはこちらを警戒するだけで、湖から離れようとしなかった。
「ここにいたら、また怖い人間が来るかもしれないんだぞ! ほら!」
 ライエストは足元にあった小石を拾って、水龍たちの近くに向かって投げた。小石はぽちゃと頼りない水音を立てて湖の底へ消える。
 その様子を見て、サージェイドは地面を見回し、近くにあった小石を見つけて、前肢で湖に払い落とした。ぼちょんと音がすると、それが気に入ったらしく、また小石を探して湖に落とし始める。
「俺は遊んでるんじゃない。真似しなくていいってば」
 サージェイドはぴょこぴょこと軽快に跳ねながらライエストから離れた。完全に遊んでいると思っている。
「お前の友達が危ないかもしれないんだ、遊んでる場合じゃ…」
 話が終わる前にサージェイドは後ろに回り込み、ライエストの股の間に頭を突っ込むとそのまま首を上げた。
「なっ、えっ!」
 サージェイドの首の上を滑って、背中に乗る形になる。サージェイドは笑うように目を細めると翼を広げて飛び立った。いきなりの行動に目を丸くしていると、サージェイドはゆっくりと飛行し、湖の水龍の群れに近づいた。
 水龍たちは近づいて来たサージェイドに警戒し、やや後退しながら口を開けて威嚇し始めた。
「ガァアアア!!」
 サージェイドが大きく咆哮する。水龍たちは慌てふためき、ばしゃばしゃと水面を荒らすように逃げ惑う。
「お、おい、急にどうしたんだよ」
 ライエストは、サージェイドが水龍たちに牙をむいているのを知って戸惑った。噛みつかんばかりに勢いで大きく口を開け、低く大きな声で唸っている。逃げる水龍たちを水面すれすれに飛んで追い回し始めた。さっきまで無邪気な姿からはとても想像できないことだった。
 あまりの変わり様にライエストは焦り、サージェイドを止めようと首を叩いて注意を引こうとするも、全く効果は無かった。
 やがて、1体の水龍が恐怖に耐えられなくなって、前肢の大きなヒレを羽ばたかせて湖から飛び上がった。それを見た他の水龍たちも続けざまに飛び上がり、雨のように水滴を落としながら西の方角へと飛び去って行く。サージェイドは去り行く水龍たちを追うことはせず、空で静かに見送っていた。
 水龍たちが西の方へ飛び去って行く姿を呆然と見ていたライエストに、サージェイドは首だけ振り返ってじっと見つめた。その顔は「これでいいんだろう?」と言っているように見えた。
「お前、まさか…」
 ライエストは、サージェイドの行動が水龍たちを心配する自分に対しての行動だったことを知り、そっとサージェイドの首に抱き着いた。
「ありがとな」
 礼を言うと、サージェイドはクルルと鳴く。その優し気な鳴き声を聞いて、ライエストは目を細めた。
 頬を撫でるようにそよぐ風。いつも地上で浴びる風とは違う風が、空には吹いていた。
 
 
 
 
 
つづく

← 作品一覧に戻る