鴉、浴すれば風雨の示し

クローン隊のある日の話。元ネタは諺から。


 そろそろ夕飯の支度をしようと、刺斬は読んでいた本を閉じてソファーから立ち上がった。
 鎖が部屋を出る時に閉め忘れたらしいドアに気付いて、ドアノブに手を伸ばす。と、そこで薬の瓶を片手に持ったⅨ籠が廊下を通り過ぎて行った。
「ボス!?」
 慌てて声をかける。何でもなければ後姿に声をかけるつもりはなかったが、Ⅸ籠は血だらけだった。怪我ではなく、返り血であるとすぐに分かって少し安心した。
「何?」
 呼び止められたⅨ籠は面倒そうに振り返った。出撃から帰還したばかりで殺気立っているのが伝わってくる。こういうときのⅨ籠に近付くのは危険であったが、それ以上に自分自身に無頓着なⅨ籠を放っておけない気持ちの方が重かった。
「そのまま寝るつもりですね? ダメです」
 刺斬はⅨ籠の手を取り、部屋に引き入れる。思った通りにⅨ籠は睨んできた。
「お前に関係ないだろ!」
「ええ。無くても体洗ってから寝てください」
 手を振りほどこうとするⅨ籠の腕を掴み直して、黒いヘルメットを取った。Ⅸ籠は嫌がるような態度をしているが力を入れて離れようとはしていなかった。これなら押せると、刺斬は確信した。
 そこへ鎖が戻って来た。刺斬とⅨ籠を見るときょとんと眼を大きくする。
「何してんだ?」
「ああ、鎖さん、いいところに」
 刺斬はⅨ籠を腕を鎖に渡す。事情の分からない鎖は逃げようとするⅨ籠の腕を掴む。
「クロウさんを風呂に入れてやってほしいんスけど」
「はぁ!? なんで俺が」
 鎖が声を大きくする。その隣でⅨ籠は小さく「鎖じゃ、やだ…」と呟いた。
 2人の仲はあまり良くない。それは重々知っている。
 それでも。
「俺は夕飯の支度があるんで」
 …というのは建前で、本当は鎖とⅨ籠がもう少し仲良くなってほしかった。文字通り裸の付き合いでもさせてみようと思ったからだった。
 鎖はう~んと唸ったあとは深く考えなかったらしく、にぃと笑うとⅨ籠の腕を引く。
「オラァ! こっち来い! 服脱げ!」
「オレに触んな!!」
「鎖さん、もうちょっと穏やかに…」
 力ずくでⅨ籠を連れて行く鎖に少々肝を冷やしつつ、Ⅸ籠は本気で嫌がっていなさそうだったのでそのまま行かせることにした。
 刺斬はバスタオルを2枚用意した後、浴室に気を向けながら夕飯の支度を始めた。
 浴室に入った2人は最初は無言であったが、鎖の方から何か話しかけるようになり、しばらくした後にはⅨ籠も話を返すようになっていた。
「それで、その研究員がよ、腹立つことしか言わねえ」
「ああ、アイツ嫌い」
「注射も下手だよな。毎回痛ぇんだよ」
 2人の会話を聞きながら、刺斬は穏やかな空気を感じて嬉しくなった。これで2人の仲が良くなるかもしれない。
 気分上々になった刺斬は作る料理に気合が入り、鼻歌交じりになる。
「鎖のちんちん大きいな」
「はははっ! 本気出せばもっと大きくなるぜ!」
 だいぶ砕けた話をするようになったらしい。会話の弾む2人の邪魔をしたくはないけれど、そろそろ湯から上がらないとのぼせる心配がある。
「2人共、夕飯できたんで、そろそ…」
 刺斬が浴室に向かって言いかけた瞬間、水を滴らせた鎖が飛び出してきた。
「テメェッ!!」
 続いてⅨ籠が凄まじい剣幕で出てきて鎖を追う。
「何があったんスか!?」
 和気あいあいとしていた2人の変わりっぷり刺斬は呆然とする。
 Ⅸ籠が鎖に殴りかかり、鎖がすんでのところでそれを避ける。Ⅸ籠の拳は空振りにならず壁に当たってヒビを入れた。
「いやぁ、ちょ~っとからかったらブチ切れちまった。ははっ」
「笑いごとじゃないっスよ!」
 水浸しで全裸のままの2人が部屋の中を走り回る。飛び散る水、散らかっていく部屋。その光景に刺斬は血の気が引いた。2人の距離を縮めようと気を逸ってしまったことに後悔した。
 そして、2人が湯冷めして風邪を引いたのは言うまでもない。
 
 
 
 
 
終わる

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