たったひとりの成功作

アーミィの独白。思い付きのお話。


 馬鹿げた人体実験を繰り返す生活から逃げ出すことができたのも、そんな人体実験の成果の賜物だった。
 成功と同時に大失態となったラボは、飼い犬に手を噛まれた気分だっただろう。いい気味だ。
 唯一気掛かりなことと言えば、弟とはぐれてしまったこと。
 弟と言っても同じ親から生まれた弟じゃない。頼んでもいないのに勝手に造られたクローンだ。自分によく似た他人に、兄として慕われていただけ。
 
ただ、それだけの存在。
 
 
 
 最初に会ったころは、正直言って気持ちのいいものじゃなかった。自分そっくりの少し幼い他人が雛鳥みたいに後ろを付いてきて、見様見真似をしているから。真似を失敗することもあって、知能は低いという差に気付けたけど、失敗している姿が自分を彷彿とさせる。出来の悪い自分を見ているようで気分が悪い。
 よく似た他人は話しかけてくるわけでもなく、ジロジロとこちらを見ながら飽きもせずに真似ばかりしていた。
 
 ある日、酷い実験や訓練が度々重なって腹が立っていた自分は、当然のように後ろを付いてくるアイツを日頃から邪魔ったく思っていたのもあって、八つ当たりで怒鳴り叩いてしまった。
 アイツはとても驚いた顔をして動かなくなった。だけど、すぐに表情を変えた。どこか嬉しそうな顔だった。
 ああ、そうだ。“初めて”目を合わせて、声をかけて触ったんだ。
 この日から、今まで空気みたいに見て見ぬふりをしていたアイツの存在が、少しだけ変わった気がした。
 
 それからしばらく日が経って、アイツは苦しそうにしていた。後ろを付いて歩くのも辛そうだった。
 原因はさっき飲まされた薬のせいだと分かる。自分はもう慣れたけど、初めてあの薬を飲まされたときは、立つこともできなかった。それを思い出したら、自分はいつもよりも遅い速度で歩いていた。
 数分くらい懸命に後ろを付いてきていたけど、アイツは堪えられなくなったらしく、廊下の端で足を止めてうずくまった。見ないふりをして先へ行こうと思っていたのに、そうはできなかった。
 何のためにこんなことをするのか。
 自分はアイツのすぐ隣に座っていた。用事も、理由も無いのに。
 どれくらいか時間が過ぎて、こちらに気付いたアイツは安心したように目を細める。そして呼吸の音と同じくらい小さな声で「兄ちゃん、ありがと」と言った。
 礼を言われる意味が分からなかったし、兄と呼ばれて変な気分になった。
 よく似た他人だと思っていたのに、こっちのことを兄だと思っていることを、初めて知った。
 
 いつからか、アイツだけ大人たちに連れて行かれることが起きるようになった。今まで自分と同じ扱いをされていたのに。戻ってくれば今まで通り後ろを付いてきて真似をするけど、妙に荒っぽい時や元気が無い時が多かった。
 そんな中、アイツが大人たちに【クロウ】と呼ばれているのを知る。アイツの名前なんて訊こうと思わなかったし、興味も無かった。でもどうしてか、アイツの名前を知って、晴れた気分になった。
 “自分とは違う名前”だからだろうか。
 
 薬の副作用で、アイツは高熱を出した。そんなこと、自分にもよくあることだから気にしてなかった。
 部屋の隅で音を立てずに寝転がっている姿を視界の端で見るのも、3日くらい続いた。
 さすがに気になってしまって毛布と水で濡らしたタオルを渡すと、アイツは泣きながら掠れた声で「ごめんなさい」と言った。
 その理由が知りたくて、何で謝るのか訊くと「何でって?」と訊き返してきた。その心底不思議そうな様子がとても間抜けで、思わずくすっと笑ってしまった。つられたアイツもくすっと笑った。
 
 後ろを歩いていたクロウは隣りを歩くようになっていた。
 まるで鏡に映った自分を、自分とは違う名で呼ぶような感覚。名を呼べばクロウは厭わずに嬉しそうに返事をする。
 目を合わせる回数が増えて、それと同じかそれ以上に話しかけることが増えた。
 クロウに対する嫌悪感は心の奥に埋もれてすっかり消えている。
 自分によく似た他人は、クロウという存在になっていた。
 
 クロウには言わなかった。言う切っ掛けも機会も無かったし、言う理由も無かった。クロウがひとりではないことを。
 自分によく似た他人は、クロウの前に何人も会っていた。でも、そのどれもがただの他人のままだった。いつの間にかどこかへ消えていったし、泣きも笑いもしない虚ろな目は合うことがなく、話が通じないヤツばかりだった。そのどれもが“クロウになれない他人”だった。
 
 たくさんいた他人の中の、たったひとりだけ。
 “Ⅸ籠”の名を持つ、自分によく似た他人。
 ただ、それだけの存在。
 
 
 それなのに。
 自分によく似た弟のような他人が、ずっと心の中に残っている。
 
 
 
 
 
終わる

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