竜使いと白いドラゴン5 ~彫刻家~

 爽やかな風が吹く草原の中の道。見渡す限りの草の絨毯。
 程よい涼しさの風を浴びながら、ライエストはサージェイドを連れて拓かれた細い砂利道を進んでいた。
 サージェイドと同種のドラゴンを探すために村を出たものの、明確な手掛かりや当てがあるわけではなかった。
「お前、どこから来たんだ?」
 今更ながらサージェイドに聞いてみると、サージェイドはクゥと小さく鳴いて首を傾げる。分からないと言っているように思えた。
「分からないんじゃ、仕方ないよなぁ」
 ライエストはサージェイドの青い鬣を撫でて「お前の仲間、見つかるといいな」と呟く。
「何かを探すときは誰かから聞いたり、本を読むといいって聞いた。大きな国には人がいっぱいいるからそこで話が聞けるかもしれないし、色々な竜族がいる場所とか探して行けばいいよな。あと、本がいっぱいある国があるんだって」
 幼い頃、長老であるバーシルに訊いた話を思い出す。村からとても遠く遠く離れた場所に世界中の知識を集めたような巨大図書館を保有する、書庫の国と呼ばれる大国があると教えてくれた。何となくその国を探せばいいんじゃないかと思っていた。
 しばらく一本道を進んでいると、道の遠くから馬車が近づいてくるのが見えた。ライエストは馬車の進行の邪魔にならないようにサージェイドと道の端に寄ると、馬車は速度を落として止まった。
「ずいぶんと大きな牛だねぇ」
 馬車に乗っている男がサージェイドを見ながら声をかけてきた。
「牛じゃない」
 ライエストは首を横に振って答える。同時に、ここの地方はドラゴンに馴染みが無いんだなと思った。
 馬車の男はサージェイドのことは特に気にしてなかったようで、今度はライエストをじろじろと見ながら眉をひそめた。
「まだ子供なのに一人旅かい? ここから一番近い街に着くには、牛の足じゃ明日の朝になってしまうよ」
 馬車の男の話の意味が分からず、ライエストは返事に困った。そもそもサージェイドは牛ではないし、街に着くのが明日の朝になることに何か問題があるのか。
「この辺りは、夜になると狼の群れが徘徊するからね」
「ああ、そうなのか」
 話を理解したライエストは納得して頷いた。狼が徘徊しているということは、この付近に草食動物が多くいるはず。それに狼は太ももが美味い。
 食うに困らないことが分かって笑顔になるライエストを見た馬車の男は不思議そうな顔になった。
「平気かい? よかったら、近くの街まで送っていくよ? 馬の足のほうが速いから夕方までには街に着けるから」
「うん、平気。教えてくれて、ありがとな」
 ライエストは馬車の男にお礼を言って、再び歩き始めた。そんなライエストの背中を見ながら馬車の男は「大丈夫かなぁ」と呟いて馬に馬車を引かせた。
 
 砂利道を進み続けて街に着いた。夕方になる前に着いたものだから、ライエストは馬車の速度は思っていたよりも遅いんだなと思った。
 狼対策のためなのか、街は2メートルほどの高さの鉄柵に囲まれている。
 街に入ると人の険悪な空気を感じて、ライエストは顔を顰めた。石畳の通りを進んでいくと、数十人もの人だかりが見えてきた。
 女の悲痛な叫び声と男の激怒した罵声。周囲の者たちへ恨み言葉を撒き散らす。
 街の広場で、公開処刑が行われていた。
 がやがやとした喧騒とぴりぴりとした場の空気を肌で感じながら、ライエストは足早に人ごみの中を遠巻きに通り過ぎようとした。ライエスト以外の誰もが、処刑台の罪人たちに向かって非難の声を投げつけている。
 きょりきょろと辺りを見回すサージェイドの首を叩いて小走りするのを促しながら、誰とも目を合わせないように下を向いたまま進む。1秒でも早く、この場から離れたかった。
 時折、人とぶつかりそうになり「こんなところで牛を連れて歩くな」と言われ、サージェイドは牛じゃないと心の中で言い返しつつ、目立たないように静かにしていた。
 処刑の罪状は異種恋愛。人間の男とエルフの女には子供がいたらしかった。子供は少し前に処刑台で命を絶たれ、無残な姿を晒していた。
 無意味に命を奪うことよりも、異質な命を存在させる方がずっとずっと罪が重い。そのことを知らしめるため、こういった公開処刑を行っている地域がしばしばあった。
 秘境の村で幼い頃からそういう話は耳にしていたけれど、実際に村の外で目の当たりにしてしまい、ライエストは平常心ではいられなかった。自分だって混血なのだから。しかも、エルフよりも人の形からほど遠い、ドラゴンとの。
 エルフの女がひときわ大きな声で叫ぶ。その声が掠れて消えていくころ、続くように男の叫び声が上がり、やがて消えていく。
 しんと静まり返る周囲。次の瞬間にはわぁっと人々が騒ぎ出す。悪者をやっつけたような歓喜の声だった。
 ライエストは様々な声を背中で浴びながら、サージェイドを連れて広場から離れて行った。
「はー。着いて早々、嫌なもの見ちゃったなぁ」
 街の公園らしい場所にある円型の噴水の縁に座って、大きなため息をする。そんなライエストにサージェイドは頬を擦り寄せた。
「あんなの見ちゃったら、お前だって嫌だよな」
 ライエストがサージェイドの頭を撫でながら優しく声をかけると、サージェイドはクルルと喉を鳴らせて目を細める。
「…そんなに、悪いことなのかな…」
 違う血が混ざった存在は生きてるだけで罪人扱いされる。理由はわからないけれど、そういう世の中だった。
 公園の噴水は、鳥の翼の生えた人間の姿の彫刻が壺を持っていて、その壺から水が出ている。年代物なのか彫像には緑色の苔が少し生えていたけれど綺麗に手入れされているようだった。
 ライエストはその彫像をじっと見る。魔物とは違う姿。これだって、人間と鳥の間の姿ではないのだろうか。こういうのは美術品として大事に扱うのは何故だろう。
 身を乗り出してまじまじと彫像を見ているライエストの所に、水色のワンピースを着た女が歩み寄って来た。
「あなた、珍しい服を着ているけど、この街に観光に来たの? その彫像はこの街のシンボルよ。綺麗でしょ」
「この街は通りかかっただけ。…なぁ、この壺持ったやつ…翼の生えた人間っているのか?」
「あなた、天使を知らないの?」
「てんし?」
 聞いたことのない言葉に、ライエストは聞き返した。女はくすっと笑ってにこやかな笑みを浮かべる。
「天使は神様の遣いなの。ああ、素敵…。とても美しくて清楚で、慈悲深くて。この彫像は500年も昔にとても有名な彫刻家が造った最高傑作なの。その彫刻家はこの天使を領主様に献上した後、姿を消したそうよ。きっと…本物の天使様だったんだわ! この街に降り立った神の御使いなのよ! だから…」
 まるで自分に酔っているかのように恍惚とした表情で虚空を見詰め、両腕で自分を抱きしめながら語りだす。
 正直、何を話しているのか全く分からない。ライエストは徐々熱が入り声が大きくなっていく様子に薄気味悪さを感じて、気付かれないよう静かに離れた。程よく離れたところで振り返ると、女は昂った感情が抑えられなかったのか一人で踊りだしていた。
 ライエストは当ても無く街中を歩きながら、注意深く周囲の人たちを見ていた。この街の道行く人々の誰もが、サージェイドを牛だと思っているようだった。牛っぽい角が生えているけれど、体格が全然違うし、太い尻尾も生えている。小さいけれど翼だって生えているのに、牛に見えるらしい。
 ドラゴンを知らない場所では何の情報も得られないだろうと判断して、すぐにこの街を出ることにした。
 街から出るころには空は朱色になっていて、街を囲む鉄柵の門が閉められる直前だった。
 鉄柵の門番は、こんな時間に街の外に出るライエストを気遣って呼び止めた。狼の群れが出るから危ない、と。
 ライエストは平気だからと軽く言い返して、サージェイドと一緒に閉まりかけている門の隙間から出た。
 賑やかな街中と違って、外は風の音だけがする。少し離れた場所に森が見えたので、そこへ行くことにした。狼の群れ相手に引けを取る気は無いけれど、数十匹もの群れだとしたらさすがに分が悪い。森の中なら木の上で狼の群れをやり過ごせる。
 森に着くなり狼たちの唸り声が聞こえていた。狼たちは鳴き合って連携をとり、獲物を追っているのが分かる。
 薄暗い森の中で狼たちが追っていたのは。
「…人間か?」
 ライエストは森の奥に目を凝らした。狼たちに追われているのは人間の男だった。
 弱肉強食は世の掟だし、狼の食事の邪魔をするつもりも無い。けれど、人間に人間として認めてもらうには、助けるべきなんだと思った。それに腹も減っている。2~3頭くらいは狼が欲しい。
「サージェイド、行くぞ」
 ライエストはサージェイドに声をかけて駆け出した。
 獲物を追う狼の群れは十数匹程度で、左右に広く展開して男を囲もうとしている。
 最後尾を走っていた狼がライエストとサージェイドに気付き、声を上げて仲間に知らせる。すると狼の群れは2つに分かれ、分かれた群れは速度を落としてライエストとサージェイドに並走する形をとった。
「へえ、この群れのボスは賢いかも」
 走りながら弓を構え、ライエストは狼を1頭ずつ見定める。
「ガウッ!」
 大きな口を開けた狼が飛び掛かってくる狼をライエストが避けると、サージェイドはその狼を口に銜えた。
 ライエストはサージェイドによくやったと目線で伝えて、逃げる男に飛び掛かる狼に矢を射る。矢は狼の後ろ脚を貫いて、狼は悲鳴を上げて草むらに落ちた。走りながら狼を拾い上げて、縄で縛って背中に担ぐ。
 狼たちは互いに鳴き合い始めると、急に進路を変えて森の奥へと消えていった。
 逃げていた男は狼の群れから逃れられたと知ると、ふらふらと減速して倒れるように地面に倒れた。
「おい、大丈夫か?」
 倒れた男に近づいて声をかけると、細身の男は酷く興奮した様子で立ち上がって敵意が篭った目を向けてきた。
「クァ!」
 サージェイドがライエストを守るように前に飛び出す。襲い掛かってきた細身の男はサージェイドの首にぴたりと両掌を付けると、そのまま動かなくなった。
「え、いや、まさか…」
 男は小さく呟くとサージェイドから離れ、自分の足元に生えていた小さな花を無造作に摘み上げる。しおしおと枯れていく花とサージェイドを交互に何度も見ると、信じられないといった表情を浮かべて、その場に膝をついた。
「どうしたんだ…?」
 訳が分からないまま、ライエストは男に近づく。男の頭から流れている。狼に噛まれた怪我なのは容易に想像できた。怪我の様子が知りたくて手を伸ばすと、男は目を見開いた。
「私に触っては駄目だ!」
 男は声を大きくし、ライエストは驚いて手を挙げた。
「…す、すまない。取り乱していたんだ。許してくれ。助けてくれてありがとう」
 男は驚いて後退するライエストを見て、深々と頭を下げる。
 何か事情がありそうだと思ったライエストは、男の話を聞いてみることにした。男が自分の名前をヘンリックと明かして土の上に座ったので、向かい合うように草の上に座る。サージェイドがライエストに身を寄せるように座り、ヘンリックをじろじろと眺め始めた。
 ヘンリックは大きく深呼吸をし、ゆっくりと口を開こうとしたとき、ライエストは思い出したように「ちょっと待って」と言葉を遮った。落ちてる木の枝を集めて火を熾すとサージェイドと自分が捕えた狼を慣れた手つきで捌き始める。
「腹減ってたんだ。お前も食うか? 狼は太ももが美味いぞ」
「あ、いや…私は狼はちょっと…」
 ヘンリックはライエストの空気を読まないマイペースぶりに微かに気を悪くしたが、狼の群れから助けてもらった恩があるため苦笑いをして返した。それに狼を食べるなんて信じられなかった。
「話、してもいいかな…?」
「あっ、いいよ。聞きたい。焼きながら聞くから」
 ヘンリックが遠慮がちに言ってきたので、ライエストは切り分けた肉を枝に刺しながら相槌を打った。
「私は…死神に呪いをかけられたんだ」
「死神様の呪い? そんなことあるのか?」
「本当なんだ! 嘘ではない。頭がおかしいと思われるかもしれないが、信じてくれ!」
 立ち上がって必死の形相で声を荒げるヘンリックに、ライエストは不思議そうに首を傾げる。
「死神様は真面目で穏やかな性格だってババさまに教えてもらった。人に呪いをかけるような神様じゃないだろ?」
「あ…ああ、君は死神を信じている国の出身なのかい? 死神を信じてくれない人が多くて…。よかった、なら話は早そうだ」
 落ち着きを取り戻したヘンリックは座り直して話を続ける。
「私は、売れない彫刻家だったんだ。だけどチャンスが訪れて、領主様に天使の彫像を依頼された。成功すれば家族がしばらく生活に困らない金が入る。絶対に…完成させなきゃいけなかったんだ」
 ヘンリックは当時の事を思い起こして、組んだ両手に力を入れた。
「それなのに私は、重い病を患って余命を宣告されてしまった。残された時間では彫像の完成は不可能だった…。絶望したよ。家族は私の身を労わってくれたが、私は家族に顔向けできなかった」
「それは、辛かったなぁ」
「そんなある日、死神に会ったんだ。死神が見えるということは死期が近いんだと実感したよ。私は死神に彫像の完成に余裕のある期日まで生き延びたいと頼み込んだ。しつこく言い寄っていたら死神は折れてくれて、死期を伸ばしてくれた。私はアトリエに篭って 必死に掘り続けた。妻と娘は残りの時間を私と共に過ごしたいと言ってくれていたが、私の頭の中にあったのは私が死んだ後も家族が安心して過ごせるように、彫像を完成させることだけだった」
「ふぅん。それで、ちょーぞうってのは完成したのか?」
「ああ、もちろんだ。領主様にとてもお喜びいただけた。大絶賛だったよ。私の噂は街中に広がって、今まで世間に見向きもされていなかった彫刻家が一躍有名人だ」
「へえ、よかったな! でも、どうして死ななかったんだ? 病気が治ったのか?」
「それが…。世間から賞賛の目を向けられるようになって、次々と仕事の依頼をしたいという人が訪れるようになった。私は…死ぬのが惜しくなってしまったんだ。だから死神と約束した日に、私によく似た別人を死神に会わせたんだ。すぐに気づいた死神は、激怒してしまって…」
「あー、そりゃあそうだよなぁ…」
 ライエストはそれ以上何も言えなくなった。死神との約束を破ったヘンリックが悪いと思うし、ヘンリックの生き延びたくなった気持ちも分かる。
「それで死神は、私に死ねなくなる呪いをかけ、私は触ったものの寿命を吸ってしまうようになってしまったんだ」
「そんな呪いあるのか?」
 ライエストはう~んと唸る。死神が人間に呪いをかけるなんて聞いたことがないし、死なない人間だとか寿命を吸うだなんて信じられなかった。
「死神は信じてるのに、私の呪いは疑うのか? …じゃあ証拠を見せるよ」
 ヘンリックは近くに生えていた一輪の花を摘むと、ライエストの目の前に差し出す。花はすぐに鮮やかな色を失い、あっという間に枯れ落ちた。
 たった数秒の出来事は、死神の呪いが本物であることを証明するのに十分だった。唖然とするライエストと、枯れた花に鼻を近づけてふんふんと鼻を鳴らすサージェイド。
「信じてくれたかい? …それで、君が連れている牛に触っても死ななかったから、何か呪いを解くヒントがあるんじゃないかと思って」
「牛じゃないけど…」
「頼む! 呪いを解く方法を一緒に探してくれ!」
 ヘンリックは両手を地面につけて、深く頭を下げる。ライエストは気まずくなって唇を噛んだ。
「俺、呪いとか全然わかんないし…。死神様に謝るのがいいんじゃないか?」
「どこを探しても死神に会えないんだ。街を離れて死神を探していたんだが、どこを探してもいない。死期がなくなったせいで、見えなくなってしまったんだと思う。君は見慣れない格好をしているが、魔法使いか呪術師なのか? 魔法でも何でもいい、解呪してくれ!」
「そんなこと言われても…。魔力使うのはダメだし」
 申し訳無い気持ちになりながら、ライエストは言葉を返した。魔法の類いが全く使えないわけではないが、竜の血を帯びた魔力は人間が使う魔法と相性が悪く、村では使用禁止にされている。
「この呪いのせいで、私は愛しい娘を抱きしめて死なせてしまった。老いることも出来なくなってしまった体で、世間に気づかれないように家に籠るしかなかった。老いていく家族たちと死に別れ、私は人目を忍んで街を離れ…」
「あ、キノコ生えてる!」
 ライエストは木の根元に生えているキノコに気付いて、それを採った。このキノコは笠のぶつぶつした部分が美味い。
「聞いてるかい!?」
 ヘンリックはキノコに木の枝を刺して焼き始めるライエストに向けて大声を出した。
「うん。聞いてるぞ」
 焼き上がった狼の肉をサージェイドにやりながら、ライエストは悪びれる様子もなく答える。
「私は、もう…この体から解放されたい。湖に入ったら息が出来ずに苦しいだけで死ねなかった。火に飛び込んで体中が焼けただれても死ねなかった。崖から飛び降りたら体は潰れたが、それでも死ねなかった。体が元に戻るまで何ケ月も激痛を味わったんだ! もう十分、罰を受けたんじゃないかと思う。君もそう思うだろう!?」
 鬼気迫るように話すのに気圧されて、ライエストはやや身を引く。話の内容が想像を超えていて、夢物語なんじゃないかと思ってしまう。死なない人間なんて、本当にいるのだろうか。
「それに…私が魔物だという変な噂が広がったらしくて、数日前からどこからか討伐隊が来るようになった。矢で射抜かれ剣で斬られて酷い目に遭った。何とかして逃げ出せたが、また来るかもしれない。もう、痛い思いはしたくない。こんな生き地獄、終わりにし……って、いい食べっぷりだなぁ!!」
 ヘンリックは皮肉を込めて声を荒げる。うんうんと頷きながら話を聞いているライエストは盛大に肉を食べていた。
「食える時に食っておかないとな。明日も必ず獲物が手に入るとは限らないし」
 皮肉が通じなかったライエストは、真面目に言葉を返した。
 ヘンリックは込み上げる何を抑えて咳払いをする。
「私は呪いを解いて元に戻りたいとずっと願っている。今はそれだけが望みなんだ。他人の寿命を吸って死なない体なんて、なりたくなかった」
「クァ!」
 突然、今までずっと静かに話を聞いていたサージェイドが鳴いて、身を起こした。
「どうしたんだ?」
 ライエストがサージェイドを見上げると、サージェイドは普段は小さい翼を大きく広げていた。白い骨組みだけのような翼には、まるで星々の輝く夜空のような飛膜が見える。
 その時、ヘンリックが慌てて立ち上がりサージェイドと対峙した。
「ああ、そうだ。そうしてくれ!」
 サージェイドに向かって、ヘンリックは声を弾ませ期待に満ちた目になる。
「数百年の時間が帳消しになるのなら、それでいい」
「え?」
 ヘンリックとサージェイドの様子をライエストは訝しむ。ヘンリックだけが話しているように聞こえるけれど、サージェイドと会話をしているかのようだった。
「この不死の呪いを、代わりに」
 ヘンリックは目に涙を浮かべていた。
 空気が張り詰める。周囲がざわつくような感覚。
 サージェイドの周りにぽつりぽつりと光の粒が現れ、薄暗い森の中を明るく照らす。
「クォォォン!」
 サージェイドが天に向かって大きく鳴いた。
 それと同時に、光の粒は一点に集まり一筋の光となって天へと昇って行った。
「君たち会えて本当に良かった。君の牛のお陰で私は、やっと」
 ヘンリックは見る見るうちに年老いていき、髪が抜け落ちて痩せ細っていく。それはまるで、本来の寿命を超えて生き過ぎていた時間を急激に戻しているようだった。
 ライエストは変わりゆく様に恐怖を感じて、目を逸らす。きしきしと骨の軋む音、草の上に何かが落ちていく音。
「ありがとう…」
 しわがれた声が小さく聞こえた。
 恐る恐る視線を戻すと、ヘンリックが居た場所には、服と砂のようなものが小さな山となって残っていた。不思議な出来事に思考が追い付かず、呆然と砂の山を眺める。
「お前…死神様の呪いを解いたのか?」
 声をかけると、サージェイドはいつもの無邪気な様子で「クァ」と鳴いた。
「……」
 ライエストは暫く黙り込んだ。
 そして、にっと笑うとサージェイドに抱き着く。
「すごいな! 死神様の呪いを解くなんて!」
 サージェイドは嬉しそうにクルルと喉を鳴らす。
「そっか。お前、魔法が使えるドラゴンなんだな!」
 ライエストは、またひとつサージェイドのことを知れてよかったと思った。それに魔法が使えるドラゴンは種類がとても希少だった。竜種の特定がしやすくなる。これでサージェイドの仲間を探すために一歩近づけた気がする。
「よし! 明日、別の街に行こう! …あ」
 ライエストはヘンリックだった砂の山を見て、気付いた。
 街の噴水になっていた500年前の天使の彫像を思い出す。
「きっとヘンリックが作ったんだ…」
 街に帰れなくなって、ずっとこの森で暮らしていたのかもしれない。
 ライエストはヘンリックの砂を丁寧に袋に詰めた。
 翌日に街に戻り、噴水の池にそっとヘンリックを流す。
「家族のために作ったやつ、この街で大切にされてるみたいだぞ。よかったな」
 水の中でキラキラと光る砂を見ながら、ライエストは呟いた。
 
 
 
 
 
つづく

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