レシピの愛情

Ⅸ籠と刺斬のほのぼの話。


 Ⅸ籠は、狭いキッチンに立って料理をしている刺斬の微かな鼻歌を聞きながら、テーブルに肘をついて手持ち無沙汰に読む気の無い本をめくっていた。刺斬の機嫌はとても良さそうで、鼻歌は…多分聞こえてないと思ってるだろうけど、Ⅸ籠にはしっかり聞こえていた。何の歌なのかは知らないが。
 刺斬が食事時に必ず呼びに来るものだから、いちいち呼ばれるのも面白くないので、今日は先に来た。ただ、それだけの理由だった。タバコの匂いが微かに残るこの部屋は、正直言って好きではない。水槽に入った兄たちのいる部屋の方が落ち着くし、居心地がいい。
「ピーマンとパプリカ、どちらにします?」
 刺斬は背中を向けたまま、声をかけてきた。
「どっちでもいい」
 Ⅸ籠は気の無い返事をする。本当に、どうでもよかった。食に興味が無い。肉体維持に必要な栄養なんて薬で摂れば十分なのに、刺斬が部下に配属されてから食事を煩く言われるようになって、やむなく食べるのを付き合っている。その程度だった。それでも、付き合ってやれば刺斬は嬉しそうにする。そんな刺斬を見るのは嫌ではない。
「刺斬は、料理が好きだな」
「はは。そうですね。食べるのも好きですけど、作る方がもっと好きです」
 刺斬が手を止めずに言う。
 知ってる。と、Ⅸ籠は思った。そして作るよりも、鎖が「うまい」と言って喜んで食べるのがもっと好きだということも。
 やがてじゅうじゅうと油の跳ねる音が部屋に響き始めた。
「ボスが今読んでる本、鎖さんが好きな料理が多く載ってるんでよく読むんですけど、ボスは気になるのあります?」
 刺斬に再び声をかけられて、Ⅸ籠は興味なく眺めていた本に焦点を合わせた。暇つぶしに近くにあった適当な本を広げただけで、読みたかったわけではない。
 本は料理のイラストと、手書きの文字で材料と手順が書かれていた。写真を載せるほうが簡単なのに、精巧な描写のイラストと手書き文字にしているあたり、手の込んだ本であることが分かる。本の表紙を見ると「大切な人に作ってあげたい栄養バランスレシピ」と書かれていた。
「その本、他のレシピ本とはちょっと雰囲気が違うんですよ。かなり昔に刷られた本らしいんですけど、体に良さそうなんで俺も気に入ってます」
「ふぅん」
 Ⅸ籠は相槌を打って、ぱらぱらと本のページを送る。刺斬が作ってくれたことのある料理のイラストが所々に見受けられた。気になるものはあるかと言われても、興味の無いものを気にすることなんてできなかった。
「その本に載ってる料理の材料欄に必ず愛情って書いてあるんですが、作り方の手順には入れる工程が書いてないんですよ。本の冒頭には愛情を入れると料理は美味しくなるって書いてあるんですけどね。なのでその本のレシピは成功したことがないんです。気持ちを入れるという事なのは何となく解るんですけど、どう入れたらいいのやら…」
 と、刺斬が半分は独り言のように言った。その声色からは少し残念そうな雰囲気が感じられた。
「…気持ち…?」
 Ⅸ籠は不可解になって本に集中を向けた。確かにどのレシピの材料にも「愛情をたっぷり」と書いてある。
「鎖さんは味が濃いのが好きなんですけど、塩分は控えたほうがいいそうで。戦闘で怪我するのは仕方無いにしても、健康な体でいて欲しいんですよね。もちろん、ボスもですよ。なので、塩を少なくして代わりに酢や出汁粉や香辛料を入れてます。あ、これは鎖さんには内緒で…」
 刺斬はいつも自分の事よりも他人…特に鎖の事を考えている。鎖は煩いしすぐ怒るけど、刺斬にとっては兄弟みたいなものだから、大事に思う気持ちは分からなくはない。
「刺斬がそうやって、鎖のこと考えて作ってるのが、気持ちを入れたってことになるんじゃないか?」
「え?」
 刺斬は手を止めてⅨ籠の方へ振り返った。
「だから鎖はいつも、うまいって言って食べてる。それは成功してるってことだろ?」
「…ははっ、そういうことスか…」
 刺斬は小さく呟いて、ニット帽を深くかぶり直し目を伏せる。
「ボス、教えてくださって、ありがとうございます」
 そう言いながら、刺斬はキッチンの方へ向く。その間際で、刺斬のとても嬉しそうな横顔が見えた。
 料理を再開する刺斬の鼻歌は、少しだけ大きくなっていた。
 
 
 
 
 
終わる

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