anomaly・短編

「TOOL」のグラビティの補足というか、おまけ話。
何故グラビティが重力を自在に操れるのか。それは神様からの授かり物だから。
グラビティがtracesと同じ目をしているのは、traces魔王から重力の魔力を貰ったからだと言い張ってみる話。


「traces、ついておいで」
 何を見つけたのか、Aがtracesの白い手を引いた。
「…何処へだ?」
「地上界」
 tracesの問いに、何ら躊躇いも無く答えた。
 地上界に行く事等、本来ならば無用な行為。
 しかし、常とは異なるその道化の様子に、tracesは些か不安を感じた。
 
 
 気紛れな道化師が空間に穴を開けた先は、人間から見れば広いであろう白い部屋。
 多数の生命の息吹を感じる薄暗い所。
 壁の様に積まれている、幾つもの格子のある箱、その中に生物が入っている。
 しかし、其れらの生物は、何処か不思議な姿であった。
「どう思うカイ?」
 異形の生物を見回していたAが問いかけた。
「…是等の生命をか?」
「そうだヨ」
 tracesはすぐ近くの格子の箱の中の生命に手を翳した。その生命は怯える様子も無く、tracesの掌に見入る。
 生命の細胞がもつ奥底の記憶を読み取り、tracesは細い目を少しだけ見開いた。
「…世の摂理から外された者…」
「御名答」
 Aはくくくと喉を鳴らせた。
 此処が地上界の何処かは解らないが、此の様な生命が存在する事は有り得ない。
「ニンゲンが、面白い遊びを見つけたらしいヨ。これらがその結果」
 複数の種を一つにするすべを、人間は得たというのか。
 tracesは部屋を見回す。異形の者たちは、静かな目線でこちらを見ている。
 覇気の無い、生きることすらも諦めたような瞳。助けを請う事すらもしない。
 何と哀れで不様な事か。
「どう思うカイ?」
 Aが再び問いかけてきた。
「…貴様、何を企んでいる?」
「何も企んではいないヨ。ただ、ニンゲンが隠れてこんなコトをしているのを教えたかっただけだヨ」
「……」
 暫し考えてから、tracesは辺りの生命に目をやり、その中でまだ幼く小さい生命に目を留める。
 他の者より比較的人間に近しい波動と容姿を持つそれに近付き、tracesは己の背に有る黒い翼を広げた。
 深い眠りについている幼い生命の頭に、そっと手を触れる。
「…我は人間が嫌いではない。だが、この禁忌なる行為を我が直に説いた所で、人間は何も変わらぬだろう」
「寧ろ、神の実在に歓喜し、支配しようと愚行に走るかもしれないヨ。ニンゲンは悪食だかラ」
 Aは嘲笑った。tracesも、その見解に賛同であった。この時代の人間は生物界の最高地に立ち、畏伏する事を知らない。
「…此の者には、強い生命力を感じる。地上を支配する地の魔力…。少しだけ分けてやった」
「ほぅ…。地上の者に直接関与したがらないキミが、珍しいネェ」
「…少々過ぎた力だが、人間の禁忌を止めるには十分だ」
「面白いネ」
 ゆっくりとAが笑顔を作る。
「己の生み出した生命に牙を向かれるニンゲンは、さぞかし後悔するだろうヨ」
 先が楽しみだ…と、道化は愉快そうに言った。
 tracesは再び部屋を見回す。
「…是等は、地上の者よりは、我らに近しいのかもしれぬな」
「ここらの生命が夜空の星程集まった所で、ワタシ達には釣り合わないヨ。…情でも湧いたカイ?」
 道化師の笑みでAが顔を覗き込んできた。
「…否」
 tracesは目を瞑って短く言葉を紡ぐ。
 空間に穴を空け、此の場を後にした。
 
 
 
 地の魔力以て地を翔よ。
 生の限り運命に抗い、道を築くが良い。
 
 造られし、ヒトの子よ。
 
 
 
 
 
終わる


 ざぁざぁ…と降り続けて、どれくらいの時が過ぎただろう。
 弱まる気配は全く無く、このまま世界中が海にでもなってしまうのではないだろうかと思えた。
「止まない。いつまで降るんだろう」
 廃屋ビルの18階。
 窓ガラスのない窓から身を乗り出して、空を見上げるエレクトロ。
「今日は、ホリックが遊びに来てくれるはずだったのに」
 雨は数日前から降り始めた。
 それからずっと、昼も夜も休まず降り続けている。
「しばらく降るよ」
 アーミィは、愛用の銃の手入れをしながら、エレクトロの背中に声をかけた。
「今夜、仕事?」
 アーミィの声に振り返って、エレクトロは聞く。アーミィは、透けるような白銀の髪を揺らすように、無表情のまま無言で頷いた。
「仕事前には止むといいね」
 エレクトロは静かな口調でそう言うと、また空を眺めた。
「雨は、神様の涙なんだって」
 囁くような柔らかい声でエレクトロが言う。
「俺は、大気中の蒸気が冷えて水滴になって落ちているんだと思っていた」
「そっちが正解」
 ノートパソコンを起動して、データ入力を始めたアーミィはさらりと答えた。
「そうなのか? 神様の涙だと、本には書いてあった」
「神様なんていないよ」
 冷たくも思えるアーミィの返答だったが、エレクトロにとっては真実をくれる大切な言葉。
「いないのか…」
 少し残念に思う。もし会えたら、命をくれてありがとうとお礼を言いたかった。
 こんな身体で、半分以上は作り物でしかないけれど、生きているのはきっと神様のお陰なんだと信じていた。
 目線を地上に落とす。
 死んだ街並が雨を受けて、僅かに息を吹き返しているようにも見える。
 エレクトロはすぐ隣の窓辺で眠っているグラビティを見てから、アーミィの方へ歩み寄った。
「でも、俺は、神様を見た事があるよ」
「え…?」
 アーミィはキーボードを打つ手を止めずに、怪訝そうな顔でエレクトロを見上げた。
「この目で見た訳じゃないけれど」
「夢…?」
「施設にいた頃。グラビティが生まれて3年と7ヶ月経ったくらいの時、グラビティのいた実験室の監視カメラの映像データで」
「見間違いじゃないの」
「そのデータは施設のデータだから、解除キーが無いと読み出せないけれど、俺の脳の方も少しだけ覚えている」
「エレクの脳じゃ、増々信憑性が無い」
 アーミィは呆れたような笑顔を見せた。
「うーん…あれは神様だと思っていたのになぁ…」
 苦笑いを浮かべて、エレクトロは窓辺に戻る。
 相変わらず強くも弱くも無い雨音が響いている。
「じゃあ、エレク。神様がいたとして、その神様はどうして泣くの?」
「悲しいんだ」
「何故?」
「神様には、名前が無いんだ。だって、同じような存在がないし、神様よりも上にいる存在もないから。誰にも名前を付けてもらえない。誰にも呼んでもらえないと、自分の存在が解らなくなる。それが悲しんだ」
 ゆったりと言葉を綴るエレクトロ。
「…でも、神様はいないんだろう?」
「いないよ」
 アーミィの即答に、エレクトロは頷いた。
「いなくても、いると信じていてもいいのか?」
「いいよ」
「解った」
 エレクトロは嬉しそう笑って、灰色の澱んだ空に向かって大きく手を振った。
「神様。アーミィが仕事に行く前には泣くのをやめてくれ。もし会えたら、俺が名前を考えてあげるから」
 神に対して願う祈りの姿勢とはまったく違うその様子に、アーミィはぷっと噴き出す。
「エレクらしい…」
 聞こえないように小さくアーミィは呟いた。
 
 
 
 
 
終わる


双子

「いらっしゃい。…って、君か」
 店に入ると『ROOTS26』の店長であるセムが笑顔で迎えた。
「よ!」
 軽く片手を挙げて、ダルマも笑顔で答える。
「どうしたんだい? 君が来るだなんて、珍しいね」
「あー。ジャンケンで負けたから、セムの兄貴に伝言しに来たんだ」
「伝言?」
「そ。最近、ゲーセン来て無いだろ? 皆、気にしてたぜ? だから『たまには、顔出せ』だってさ」
「ああ、そうだったのか」
 セムが苦笑いを浮かべる。
「最近、忙しくてね。店の事もあるけど、私事が増えたから」
「ふーん。なんか始めたの?」
「まぁね」
 忙しいと言いながらも、楽しみでもあるような笑みを浮かべる。
 セムはこうして店を開いて、更にはカフェのオーナーまで営んでいる。昼夜問わずに働く。
 それもこれも、大切な妹…リリスのため。
 一人っ子のダルマには、兄弟がいないから、どうしてそんなにも頑張れるのか不思議でならない。
「サイレンのヤツがさ、『病気にでもなったんじゃないデスカ? 心配デース』って、言ってたぜ。心配性だよな」
「ほう…」
 笑顔だったセムの顔が、引きつった。
 ダルマは何かまずい事でも言ったのかと思い、口を開けたまま黙り込む。
「あの髭が、ね…」
「ひ…ヒゲ?」
「いや、こっちの事さ」
 セムは咳払いをして、元の笑顔に戻す。
「そうだね、僕もそろそろ皆の顔が見たいな。でも、まだ一段落しそうもないから、もう少し待っててくれ。皆にも、そう伝えてくれるかい?」
「いいぜ」
 ダルマは軽く伸びをすると、店を出た。
 
 さっぱりと晴れた空が眩しい。ここ数日ぶりの晴天の日だった。
 行き着けのゲームセンターへの近道をしようと、公園に入る。
「あ…?」
 素早くすり抜けるようにすれ違った少年に、一瞬だけ気が引かれた。自分と同い年くらい、同じ身長くらいの少年。
 学校の知り合いかもしれなくて、声をかけようと急いで振り返った。しかし、角を曲がってしまったのか、その姿はもう無かった。
 ザワザワと風が公園の木々を騒がせる。不思議な感覚に襲われて、まるで見知らぬ街にいるような気分になった。
 すれ違った少年の記憶を探るが、心当たりのある思い出が見つからない。
 一人だけの公園で、ダルマは振り返る姿勢のまま虚空を見詰めていた。
「誰…だっけ?」
 聞き慣れて聞こえなくなっていた街の騒音が、煩く感じた。
 
 
 
 数日後、ダルマはまた『ROOTS26』に行く用事ができた。
 ツガルの誕生日が二週間後で、服でも買ってあげようと思っていた。自分が誕生日の時に手作りのケーキをくれたから、そのお返し。
 ツガルが、エリカの服が可愛いと言っていたのをダルマは覚えていた。とはいえ、女の子がどんな服を好むのかなんて解らない。エリカ達の服をデザインしたセムなら、何かアドバイスをくれるかもしれないと思った。
 店の前に来たところで、入れ代わるように店から出て来る客がいた。
 公園で見かけた、あの少年だった。
「あ…、おい!」
 用も無いのに、呼び止めようとした。
 何て話しかければいいのかも解らないのに、声をかけずにはいられなかった。
 けれど、少年には聞こえていなかったらしく、走り去って行く。
 ダルマは、慌てて追いかけた。追いかける必要は無いはずなのに。
 気持ちが昂る。期待感のような、胸騒ぎのような…。
 見知ったような知らない少年は、思ったよりも足が速くて、見失わないようにするのがやっとだった。
 自分は決して足の遅い方ではない。学年の中でも、速い方だ。
 それなのに。
 人込みの中を、まるでツバメが飛ぶかのように、すり抜ける少年がいる。
「どんな、運動神経…してんだよ…」
 息も切れ切れに悪態を付く。
 それでも必死に追いかけた。
 
 どれくらい走っただろうか。喉は乾ききって、声を出すと吐きそうだった。
 気が付けば、街外れ。崩れかけた廃屋ビルが並ぶ、忘れられた地区。
 ダルマは、そこで少年を見失ってしまった。
「っ…」
 目的を失って、我に返る。
 コンクリート壁と廃材のジャングルの中、自分だけが独り。辺りを見回しても、生き物の気配すら無い。
 死んだ街が広がっていた。
「え…っと」
 手の甲で顔の汗を拭いながら乱れた息を整えて、改めて辺りを見回す。
 時刻は夕暮れ。
 薄暗くなった空が、廃虚をより不気味に染めていた。
 これ以上、ここにいても仕方ないと判断したダルマは、足早にこの場を去った。
 
 
 
 翌日、ダルマは早々にセムの店に来ていた。
「なぁ、知ってんだろ?」
「何をだい?」
「だからぁ! 俺と同い年くらいの客。昨日、来てただろ?」
「さぁ…。お客さんは沢山来るから…。最近、オーダーも増えたしね」
 いくら問いただしても、セムは知らないの一点張り。隙あれば話題を変えようとしてくる。
 ダルマは大人の嘘が見抜けない子供ではない。稀に見せる抜群の集中力と200を超えるIQで、相手の僅かな仕種の変化で嘘を判別できる。
「ところで、ダルマ」
 何か企むような笑顔に変えるセム。
「何だよ。話を逸ら…」
「うちのリリスに、ちょっかい出して無いだろうね?」
「…ぇ。…だ、出して…ねーよ」
「僕の目を見て言ってごらん?」
「……うっ…」
 ぴくぴくと口の端を引きつらせ、目線をゆっくりと横に逸らせるダルマ。
 出して無いと言えば嘘。リリスだけに限らず、エリカにセリカ、彩葉にも。抱き着いては、ぶん殴られている。もう毎度の事。
 セムは目を細めて、カウンターから少しだけ身を乗り出す。
「おいたが過ぎるようだが?」
「…今は、そんな話…」
 ダルマはカウンターから少し離れると、むっとしてセムを睨んだ。
「いくら隠しても、無駄だからな!」
「しつこいな、君は」
 セムは呆れた態度で一呼吸すると、何の気無しに出入り口に目をやる。
 すると、一瞬にして血相を変えた。
 ダルマがそれを見逃すはずが無い。
 出入り口に振り返ると、例の少年の姿。
「アーミィ!」
 セムが一喝するように声をかけると、その少年は頷いて走り去った。
「待てよ!」
 ダルマは出入り口に駆け寄り、外を見回したが、少年の姿は消えていた。
「ちくしょう! やっぱり知ってたんじゃねーかよ!」
 カウンターに戻ってセムを睨む。
「君の方こそ、あの子をどこで知った? あの子の何なんだ?」
 大人の険しい顔に怯みそうになりつつも、ダルマは気丈な態度を崩さなかった。
「知らねーよ! 何でもねーよ! だけど・・・」
「だけど?」
「…だけど、知ってる…気がする!」
 根拠は無い。ただ、そう思っただけ。
 遠い昔に会ったのか、夢の中で会ったのか、そんな朧げな存在。
 セムは睨み上げているダルマの顔を暫く見て、表情を和らげた。
「…似ているね」
「え…?」
「あの子は君のように怒鳴ったり、色々と感情を変えたりはしないけれど」
「アー…ミィ?」
「そうだよ。あの子の名前だ」
 なだめるような穏やかな声で、セムが答える。
 そしてカウンターの奥に入って、ティーカップ二つとクッキーの乗ったお皿を持って戻って来た。
「正直な所を言うとね、僕もアーミィについては、名前くらいしか知らないんだ」
 慣れた手付きでポットから紅茶を注ぎ、カップをダルマの前に置く。
「知らない関係なら、何で名前怒鳴っただけで、アイツは解ったように逃げたんだよ」
 ダルマは紅茶を啜るが、馴染みの無いオレンジペコの味に、片眉を上げる。
「状況判断が上手いからね。あの子とは、二ヶ月くらい前に会ったんだ」
 カップに口付けるように、セムが紅茶を一口飲む。
 二ヶ月前。ちょうどセムがゲームセンターに顔を出さなくなった時期と重なる。
「裏路地で、怪我をして蹲っていたんだ。出血が酷いから病院に連れて行こうとしたんだけど、どういう訳か嫌がって言う事を聞いてくれなかった」
「病院、嫌いなのかな」
「そうでは無いんだと思う。傷に問題があったんだ」
「傷?」
「…銃創だったんだよ」
「…!」
「弾丸は自分で取り除いたらしかったけど、傷が塞がらなくて」
「それじゃ、ケーサツざたじゃねーか! 拳銃なんか持った危ねーヤツがいるのに、何で通報しなかったんだよ!」
 ダルマは反射的にカウンターを両手で叩いた。
「僕だって、したかったさ…」
 ゆっくりと視線を伏せて、セムは黙る。
「じゃあ、何で!?」
「・・・」
「何でだよ!」
「…近くに死体があった。・・・殺したんだよ。アーミィが…」
 絞り出すような小さな声で、セムが答えた。
「で…でも、正当防衛ってやつ…だろ?」
「そうなんだろうけど、やり方が手慣れているようだった。素人が見ても解る。首の頸動脈を一切りだ。あれは、かなりの経験者の…プロの殺し方だ」
「嘘…」
「本当さ。事情のある子なんだよ。僕達に予想も出来ないような事情の」
「……」
 ダルマは言葉を失って、大きく息を吐く。頭の中で絡まりそうな思考が気持ち悪かった。
「勘違いはして欲しく無い。アーミィは、本当は良い子なんだ。怪我を手当てしたお礼だと言って、時々店の手伝いをしに来てくれる。…あの子には理解者が必要なんだよ」
「理解…」
 短く呟くと、ダルマは立ち上がった。
「俺、アイツに会ってくる!」
「アーミィに?」
 セムは目を見開く。
「会って、いろいろ聞いてくる」
「あの子が何処にいるのかなんて、僕でも解らないよ?」
「きっと、あそこにいる…」
 忘れられた、死んだ街に。
 あそこで見失ったからじゃない。あそこに居るんだと思えた。理由の無い、確信がある。
「変わった味だったけど、紅茶サンキュー!」
 思い立ったら、すぐ実行。
 ダルマは急いで店を出た。
 
 
 
 街外れの荒んだ地区。昨日来た時よりも明るい時間帯のせいか、陰鬱な雰囲気が柔らかい。
「アーミィー! いるんだろー!」
 ビル郡に向かって大声を出す。
 しかし、何の応答も無い。
 ダルマは崩れかけたビルの中に入ってみた。
 外から見ていたのとは違い、中はもっと酷く崩れていた。一部の天井のコンクリートが落ちていたり、鉄骨がむき出しになっている所もある。
 こんな所で独りきりだと、好奇心が段々と恐怖に変わってくる。
 吹き抜ける風が、不快な音を残して去っていった。
 ダルマは何度も呼び掛けた。余計な事を考えないためにも。
 ゴトリ…
 そう離れていない後ろで音がした。
 反射的に振り返ると、突き当たりの廊下を人陰が曲がって行くのが見えた。
「あ、おい!」
 ダルマは急いで後を追う。
 廊下を曲がると、クセのある茶色の髪を大雑把に纏めたロングコートの少年が階段を上がって行く所だった。
「ちょっと、待ってくれよ!」
 声をかけると、ロングコートの少年は、一瞬動きを止めたが、その直後は階段を駆け上がって行った。
「待てって、言ってるだろ! 聞こえてんだろ!」
 慌てて後を追う。
 階段を四階まで上りきり、通路を走る。
「何で逃げんだよ! 男のクセに逃げんな! それでもタマ付いてんのかよ!」
 ぴたり…とロングコートの少年は足を止める。
「この、クソガキが…。言ってくれるじゃねぇか…!」
 こちらに背を向けたまま、唸るような低い声を出した。
 ダルマは十分に距離をおいて足を止める。
 ロングコートの少年は振り返ると同時に、大声で喚いた。
「潰れろっ!」
 その瞬間、空気が降ってくるような感覚に襲われた。
「なっ…?」
 見えない圧力に堪えられなくなって、ダルマはその場で倒れた。
 空気が重い。いや、自分の身体が重いのか。
「…っぐ」
 内臓すらも潰されそうな力に、息が出来なくなる。
「はっ! 脆いヤツ」
 ロングコートの少年は歩み寄ると、しゃがんで顔を近付ける。
 白眼であるはずの部分が黒くて、血色の瞳に猫のような瞳孔をしていた。
「お前、苦しいか? 苦しいよなぁ?」
 たわい無い悪戯を楽しむような顔をして、からかい半分に言う。異様に発達した犬歯が見え隠れした。
 考えられないけど、この少年が見えない力を操作しているのだとダルマは判断した。
 テレビアニメや漫画に登場するような存在に殺されるのかと思うと、現実なのか夢なのか解らなくて頭がおかしくなりそうだった。
 だけど、この痛みも苦しみも、本物以外のなにものでもない。
 このまま意識を手放したら楽になるかな…と柄にもない事を考えてしまった、その時。
「グラビティ、やめてくれ。本当に、死んでしまう」
 奥の廊下から、紅色の髪を生やした少年が走って来た。
「エレク…」
 ロングコートの少年は、ふっと力を抜く。
 すると、重たかった空気は嘘のように消え去った。
「…だって、このガキがよぅ・・・」
うー、と犬の唸り声に似た声を出す。
「ッ…ケホッ…」
 一気に空気を吸い込んで咽せていると、紅色の髪の少年がひょいと身体を持ち上げて立たせてくれた。
「すまない。グラビティは力の加減を知らないから…」
「あ、うん…」
 事態が飲み込めないが、助かった事は理解できた。
 紅色の髪の少年は鋼鉄製のヘッドギアでも付けているような格好で、絡まりそうなくらい沢山のチューブやらケーブルを身体に巻いていた。
「君は、どうしてここに来た? 迷子なのか?」
 首を傾げて、まじまじとダルマを見詰める。
「ここは、危ない。早く帰った方がいい」
「エンドなんかに見つかったら、一口で食わそうだもんな、こんなチビ」
 ロングコートの少年が、わざとらしく笑う。
「グラビティ、よせ」
 紅色の髪の少年は目線で制すると、再びダルマに視線を合わせた。
「危ないから、途中まで送る」
「違う、迷子じゃない」
 帰り道を催促されて、ダルマは踏みとどまった。
「アーミィを…探しに来たんだ」
「!」
 二人の少年が顔を見合わせる。
「アーミィの知り合い?」
 どうやら二人の少年は知っているらしい。
 ダルマは、ほっとして胸を撫で下ろした。
「俺、セムの友達で、その…アーミィと友達になりたくて」
「セム…人間の大人の? そうだったのか」
 事情を話すと、二人の少年は安心した表情で笑った。
 ロングコートの少年も悪い事をしたとダルマに謝った。
 そして、アーミィは今、用事のために出掛けているから暫く待つように言われた。
 グラビティと名乗ったロングコートの少年は、さっきまでの警戒心が綺麗に無くなったらしく、満遍の笑顔で話し掛けてきた。笑うと自分と同い年に見えた。
 一方、エレクトロと名乗った紅色の髪の少年は、大小様々な機械にケーブルを繋いで何かの作業をしている。よく見れば、そのケーブルは身体と繋がっている。本当に、何をしているのだろう。
 荒廃したこの街で、ずっと生きてきたのだろうか。
 壊れたものばかりで、誰に頼る事も無く。ずっと…。
 自分の知っている世界とは全く違う世界が、こんな近くにあるのに、ダルマは理解できずにいた。
「う…」
 楽し気に会話をしていたグラビティが、突然に顔を顰めた。
「どうしたんだよ?」
「悪い。ちょっと、暴れてくる」
 そう言って、ガラスの無い窓から飛び出して行った。
 確か、ここは四階。
 ダルマは慌てて立ち上がろうとした。が、
「大丈夫」
 と、エレクトロが言ってきた。
「グラビティに、高さは関係ない。落ちてはいない、下りたんだ」
「何? 下りた…?」
「ものが落ちるのは、重力の影響による。ものに重さがあるのも重力の力。地球の自転による遠心力と、質量の積に比例し距離の二乗に反比例する万有引力が合わさったもの。グラビティはその力を操作できる特異能力がある」
「えー…っと、どう言う事…?」
 言われている事を理解できるだけの頭脳はあるが、それがどうして可能なのか解らず、ダルマは眉を寄せた。
「自分の身体を羽根のように軽くして、着地できるという事になる」
「それは解ってるけど、何でできんだよ!?」
 ダルマはエレクトロに詰め寄った。
 エレクトロは少し驚いた顔をして目をぱちぱちする。
「それは、解らない。だけど、超能力の部類に属すると推測される」
「超能力ぅ? SFみてーだな」
「確実に重力をコントロールできれば、熱核反応より強力な重力を起こしてブラックホールを発生させられる。きっと、ゴミ問題も無くなると思う」
「え…ああ、そう?」
 ゴミ問題の話が出て、ダルマは苦笑した。いきなりリアルな話に持って行かれてもピンと来ない。
 こういう風に話が突然ズレると、銀髪ポニーテールの猫好き兄ちゃんを思い出す。
「でさ、何しに行ったの? グラビティ」
「時々、力が暴走するらしい。昔はもっと突発的で、目の前で暴れられて大変だった。危険だから、追わない方がいい」
「ふーん」
 何だか解らないが、ダルマは頷いた。
 重力がどうこう言っていたのを思い出して、空気が重たくなったような怪現象と繋がった。あれは重力の力だったのか。
 自分は貴重な体験をしたのかもしれない。…死ぬかと思ったけど。
「帰って来た」
 膝上のノートパソコンのディスプレイを見ていたエレクトロが、ふいに顔を上げてダルマに微笑む。
 程なくして軽い足音が近付いて来た。
 現れたのは、紛れも無いあの少年。
 前に会ったのと違うのは、赤い大きなヘルメットを被っているのと、薄緑色のマントで身体を覆っている事くらい。
「お帰り」
 エレクトロが言うと、アーミィは頷いてMOディスクを投げ渡した。
「解析? いつまでに?」
「明後日…」
 小さく呟くと、アーミィはダルマの前に来て、座っているダルマを見下ろした。
「アーミィに会いに来た、お客さんだ」
 タイミングを見計らうようにエレクトロが答える。
「俺、ダルマってんだ。セムの友達で、その…どうしても会いたくて」
 ダルマは立ち上がった。
 アーミィは無表情の中に僅かに笑顔を見せて、ダルマの手を引っ張った。
「え…何?」
「二人きりで話がしたいから、ついて来いだって」
 専属の通訳であるかのように、再びエレクトロが言った。
「おう!」
 ダルマはニッと笑って、アーミィに手を引かれるまま、ついて行った。
 
 
 
 アーミィが手を引いて連れて行ったのは、ビルの屋上。
 眩しいくらいの蒼い空が、いつもよりも綺麗に見えた。
 見慣れた街が、遠くに見える。反対の方向には崩れた街。
 騒音と静寂の狭間に自分はいる。
 倒れた石柱に並んで腰掛けると、アーミィは赤いヘルメットを取ると白銀色の髪を風に任せて揺らした。
 ダルマも緑色のフードを外して、栗色の髪を広げた。
 顔を合わせると、アーミィは驚くほど自分に似ていた。
 配色が違うだけの、鏡のように。
 ふっと心に湧くものがあった。
 もしかして。でも、そんなはずは無い…と。
「あの、さ…」
 遠慮がちに声をかける。
 でも、次の言葉が思い付かなくて、そのまま言葉を失った。
 アーミィがゆっくりと目を閉じて、口を開く。
「もう、気付いてるんだろ?」
 その一言に、ダルマは目を伏せて「ああ」とだけ答えた。
 本当は気付いていた。あの公園ですれ違った時から。
 ただ、その真実に迷っていただけ。
 言いたい事が沢山あるのに、その言葉を見つけられなくて。
 聞きたい事が沢山あるのに、その言葉を待つしか出来なくて。
 こうして会えたのに、割り切れない自分がいる。
「僕は、気付いて欲しくはなかったよ」
「え、何でだよ?」
「だって、僕が兄弟だって解ったら、『家に帰ろう』って言うんだろ?」
「当たり前じゃねーか。帰りたくないのかよ?」
「帰らないよ」
 思ったより冷たく言われて、ダルマは少しばかり、むっとした。
「兄弟が一緒にいちゃ、ダメなのか? そんなことねーだろ?」
「・・・今更…普通の暮らしなんて、出来ない」
「……」
 冷たいくらい冷静な言葉に、ダルマはそれ以上言い返せなくて黙った。
 『普通の暮らし』という言葉に、セムから聞いたあの話を思い出す。
 今までに、どんな所で、どれくらいの人を殺したのだろう…という考えが頭に浮かんだ。
 感慨は無い。ただ、少しだけ心に痛むものがあった。
「お前がさ、今までどんな生活をしていたのかなんて、どうでもいいよ」
 ダルマは遠くを見詰めながら呟く。
「ただ、さ。兄弟がいたことが嬉しいんだ」
「そう…だね。…会えるとは思わなかった…」
 アーミィはゆっくり頷いた。
 空が赤く染まり始めるまで、二人は一言ひとこと、短い会話を繰り返した。
 お互いの生活環境や生立ちの話題には触れないような会話だった。
 今は、それでいいと思えた。
「また、会えるよな?」
 帰り際に、ダルマは途中まで送ってくれたアーミィに言う。
 アーミィは何も言わなかったけれど、微かに笑顔で見送ってくれた。
 
 
 
 あの日から数日が過ぎて、偶然にもツガルとのデートコースで街外れの地区を通りかかった。
 双児の兄弟が住む地区に。
「どうしたの? ダルマくん」
 ダルマに買って貰った服を着て、上機嫌のツガルが顔を覗き込んできた。
「ん…ああ、何でもねーよ」
 ダルマは笑い返す。
 あれから、何かと用事ができてしまって、ここに来れなかった。
 だから、明日こそは。
 そう思っていた。
 だけど・・・。
「あ! ここ、テーマパークになるのね」
 忘れられたはずの街は、完全に封鎖され、大きなテーマパークの工事が始まっていた。
 轟音と共に砕かれていくビル。
 信じられなくて、目を見開いた。だって、ここには住人がいるのに。
「もう…会えねーなんて事、ないよな…?」
 無意識に出た言葉。
「え? なぁに?」
 ツガルが首を傾げる。
「へへっ、ヒミツ!」
 ダルマは舌を出して、ツガルの鼻先を指先でつついた。
「あっ! 何よ、もう!」
 ぷうとほっぺを膨らませるツガル。
「わりぃわりぃ。映画観に行こうぜ。ツガルが見たがってた映画、この先の映画館でやってんだ」
「本当? 早く行こ!」
 ツガルはくるりと回って小走りに先へ進み、「早くー!」と手を挙げた。
 ダルマはほんの一瞬だけアーミィの気配を感じたような気がして振り返った。
 けれど…。
 目に入ったのは、崩れかけたビルを取り壊している風景だけだった。
 
 
 
 
 
終わる


・‥… 暦 …‥・

 限られた存在だけが知る空間。
 あの世だとか、冥界だとか、神の住まう国だとか言われている場所。
 足下の遥か下に広がる、暗闇に包まれた地上を見詰めている存在がいる。
 大きな漆黒の翼を生やした、男。
 世俗との関わりの無い彼に、名前は無い。
 けれど、その存在を知っている者は、彼をtracesと呼ぶ。
 tracesは夜闇の地上を見下ろしながら、翼を広げて軽く羽ばたきをした。
 空間を歪める羽ばたき。
 ふと、何かの気配を感じて、tracesはゆっくりと後ろに振り返った。
 そこには、片手で掴めるくらいの小さな白い兎のヌイグルミが立っていた。
 白兎のヌイグルミは生き物のように動き始める。左右に大きく身体を揺らして歩き、その歩いた軌跡にはポンポンと音を立ててチューリップの花が咲く。
「寂シイ コノ場所ニ オ花ヲ 咲カセテ アゲルヨ」
 壊れたゼンマイのような掠れた声で、そのヌイグルミが言った。
 こんな奇妙な事をする者は、ひとりしかいない。
「Aか」
 と、tracesは言った。
「御機嫌よう、traces…」
 何の前触れも無く声がして再び振り返ると、どこか狂気じみた雰囲気の道化師が立っていた。
 ヤギに似た大きな耳をピクッと動かして、口の端を上げて笑う。
 この道化師のような存在もtracesと同じく名は無い。
 存在を知る者だけが、Aと呼んでいる。
「何をしに来た?」
 tracesの黒目に赤い瞳が道化師の姿を捕らえる。
「そろそろ夜明けの時間だと思いましてネ」
 Aはtracesの目線も気にせずに、足下に広がる地上を見下ろした。
「ワタシは、この世界が永遠の闇に凍り付こうが、永久の光に燃やし尽くされようが、関係ナイ。ケレド…」
 バシィ、と黒い翼の羽音が響く。
「世界の昼夜を管理するのは、我の役目だ。軽んじて語るな道化…!」
 切れ長の目を更に細くして、tracesはAを睨んだ。
 しかし、tracesの牽制にもAはまばたき一つせずに、ニィと笑みを浮かべた。
「クク…。いや、失礼。仕事熱心なのだネェ」
 視線をtracesに向ける。
「闇と光が入れ代わる…。ワタシはその瞬間が好きダヨ」
 Aはゆっくりと近付き、tracesの周りを回るように歩き始めた。
「輝きでもなく、陰りでもない、その瞬間がネ」
 ふいに鈍い痛覚を感じて、tracesはぎゅっと目を閉じた。
「痛かったカイ?」
 tracesの前に来て、覗き込むようにして顔を近付けるA。
 その手には、黒い一枚の羽根。tracesの翼から引き抜いたものだった。
「痛かったのなラ、失礼」
 ぱたぱたと黒羽を振るA。とても詫びている態度には見えない。
「…貴様…」
「いつも怒ってばかり…。笑ったらどうダイ?」
 Aはtracesの黒羽を両手で挟んでから、ゆっくりと両手を開く。不思議な事に、黒い羽根は黒い兎のヌイグルミに変わっていた。
 黒兎のヌイグルミは先程に現れた白い兎のヌイグルミと同じように動きだし、Aの手から下りると、可愛らしい動きでtracesの周りをぴょんぴょんと跳ねて回った。
 どこからか再び白兎のヌイグルミが現れて、黒兎のヌイグルミとワルツを踊り始める。
 いつのいつの間にか、おもちゃの楽器を持った犬や猫、カエルなどのヌイグルミも現れていて、優雅な音楽を奏でていた。
 tracesは視界の隅でそれを見ていたが、すぐにAに顔を向けて睨んだ。
「目障りだ。我の邪魔をする気ならば去れ」
「おや。御気に召さないようデ…」
 軽く肩を竦めて、Aはパチンと指を鳴らす。ヌイグルミ達は、ぶくぶくと血色の泡になって崩れ溶けていった。
「楽しませてあげようと思ったのにネェ」
「必要無い」
「ココはつまらない場所ダ。たまには地上に下りたらどうダイ?」
「……」
 tracesは少しだけ考え込んだが、首を振った。
「アナタのお陰で、凍えることも焼かれることもなく生きていける存在がいるのダヨ。そうとは知らずに生きてイル…」
 実に愚かしく愛しい。と、Aは言った。
 tracesはAが時折、地上に降りている事を知っていた。しかし、自分達と地上の生命では、存在の次元が違うのだから、干渉する事が善しとは思えない。
「ほんの少しだけ手を下せば、『奇跡』だとか言っテ、喜々とし恐怖スル。喜ばせるのモ、怖がらせるのモ、楽しくてしかたナイ…」
「地上に関与するのは愚行としか思えぬな」
「他の生物との距離を縮める事デ、知る事がアル。考え方も変わるヨ」
「…何が言いたい?」
「いえ、別に」
 Aは意味深気に笑って目を逸らせた。
「さて、もう時間ダヨ。朝にならナイと、地上のモノが煩く騒ぎ出すヨ。特に小聡いニンゲンはネ」
「ふん」
 tracesはAから少し離れると、目を閉じて翼を広げる。指先で空間に文字のような記号を描き、その文字の羅列は輪になってtracesを囲んだ。
 大きく広げれられた漆黒の翼は羽根を散らす。舞い落ちる羽根は黒い閃光を放って消えていった。
 光の粒子が集まって、空に漂う羽衣を形成する。tracesは凛とした女神に姿を変えた。
 そのわずか数秒にも満たない間、Aはまばたきせずに、ずっと見入っていた。tracesの変身が終わると、足下の遥か下の世界が柔らかな光に照らされ始める。
「美しい…」
 Aは、わざとらしく笑む。
 そしてtracesの手を取ると、手の甲にそっと口付けをした。
「私に触れるな、道化」
 透き通るような、けれど芯の強い声でtracesは言い、Aの手を振り払った。
「綺麗な花には棘が有る。…ニンゲンは上手い事を言うネェ」
 Aはクククと喉を鳴らす。
 そして左腕を大袈裟な仕種で広げて、深く頭を下げた。
「では、サヨウナラ、光の姫君。また会いに来るヨ…」
 言い終わるか終わらないかの内にぐにゃりと空間が渦巻き、Aの姿は消えていた。
 tracesは深く息を吐くと、ゆっくりと空間の中を歩き始める。
 足下には広がる地上。
 数えきれない程の生命が宿る。弱く、脆く、儚い生命。
 尊ぶ訳でも無く、哀れむ訳でも無く、tracesは静かに見詰めた。
 
 
 
 
 
終わる


誕生日

「出掛けてくるよ」
 短く小さく、言い捨てるようにだけ言って、アーミィは立ち上がった。
「ドコにだ?」
 窓の縁で寝そべっていたグラビティが頭を起こす。
「仕事は、明日だろう?」
 それに遅れるように、エレクトロが配線コードの整理している手を止めた。
「どこか」
 わざと意地悪く答えないで、アーミィは二人に背を向けた。
 
 
数時間後。
 
「帰って来た…」
 アーミィの発信機を探知して、エレクトロが声を出す。
 暫くして、足音が近付いて来た。
 しかし、いつもの軽く素早い足音では無く、ゆっくりとしたものだった。
 ただいまの声と共に、アーミィが現れる。
 三つの箱を重ねて、大事そうに抱えていた。
「買い物かよ」
 グラビティが重そうに持っているアーミィから、ひょいと箱を持ち上げて机に置いた。
「静かに置いてよ」
 箱を気にして、アーミィはグラビティの脇腹を肘で突く。
「そんなに荒く置いてねぇよ」
 口を尖らせるグラビティを横目で一瞥して、アーミィは重なっている箱を、机の上に並べて置いた。
 その箱のひとつを開ける。
 出て来たのは、チョコレートケーキだった。
「ケーキ? どうしたんだい、それ?」
 エレクトロが目をぱちぱちしながら問う。
 アーミィは、その問いには答えず希薄な表情で笑った。
「エレクはこれ」
 もう一つの箱を開ける。
 中にあったのは、果物の沢山乗ったフルーツタルト。
「フルーツ、好きだから」
「わぁ、綺麗だね。この赤いの…さくらんぼ、大好きだ」
 嬉しそうににサクランボを指差すエレクトロ。
「グラビティはこれ」
 最後の箱を開けると、出て来たのは丸いスフレチーズケーキ。
「あんまり、甘く無いのだって」
「ん…」
 自分の肌の色に似たケーキをまじまじと見るグラビティ。
 言葉には出さないが、喜びの表情の浮かんだ顔をする。
「今日、誕生日」
 エレクトロとグラビティにフォークを手渡して、アーミィは言った。
「…え?」
「はぁ? 誰の誕生日だよ」
「僕らの、誕生日」
「俺は、いつ造られたかの正確なデータは無いが…」
「オレも、誕生日なんて知らねぇぞ」
 理解不能の表情を浮かべる二人。
「僕が決めた」
 と、はっきりと大きな声の答え。アーミィにしては珍しい声だった。
「施設から逃げ出した日だよ。僕らが自由になった日」
 目を閉じて、いつもの小さく淡々とした声に戻す。
「自分が、自分として生きられるようになれた日だから…」
 言い聞かせるように、ゆっくりとアーミィが言った。
 エレクトロとグラビティは顔を合わせた後、アーミィを見て笑顔になる。
「そうだった」
「ああ、大事な日だな」
 
 
 
その日の夜。
三人は微妙な顔つきでケーキとにらめっこをしていた。
それぞれの目の前には食べきれて無いケーキ。
8号のケーキは、数人で食べるものだとは知らず、胃もたれと格闘していた。
 
 
 
 
 
終わる


鋼鉄の翼

翼の損傷が原因で
 
壊れてしまった鳥を見つけた
 
その目にはまだ空が映っていた
 
 
焼却して灰になった鳥は
 
風に乗って空へと帰って行った
 
そうまでして空に帰る鳥を
 
ずっとずっと目で追い掛けた
 
 
 
 
 
空には、何があるのだろう・・・
 
 
 
 
 
◆◇◆◇◆
 
 
 
 
 
「う…」
 不快な音で、アーミィは目を覚ました。
 金属と金属の擦れるような音がする。
 起き上がって辺りを見回すと、ガラスの無い大きな窓でネコのように身を伏せて眠っているグラビティがいた。耳障りな音が煩いというのに、よく寝ていられる。丈夫というか、神経が太いというか。廃屋ビルの14階、下手したら落ちてしまうような場所で寝てしまえるのだから、普通の神経では無いのだろうけど。
 アーミィはヘルメットを被ると不快な音源を辿る事にした。
 確信に近い予想はある。
 そして少し離れたフロアに着くと完全に確信になった。
「エレク…」
 原因に声をかけると、紅色の髪を揺らしてエレクトロが慌てた様子で振り返った。
「すまない、起こしてしまったか?」
 申し訳無さそうな苦笑いを浮かべる。
 アーミィは首を振った。起こされた事はどうでもよかった。それよりも、エレクトロが造っているらしいソレが気になる。
 鉄の…翼のようだった。
「これかい?」
 アーミィの視線に気付いて、エレクトロは鉄の翼を指差した。
「俺は、鳥のように空を飛んでみたい。もうすぐ完成するから、昼ごろにはテスト飛行する」
 アーミィは頷くと、部屋の壁に寄り掛かるように座った。それを完成まで待つの意と認識したエレクトロは、再び作業を始めた。
 飛行は無理だ。
 アーミィは思った。翼長が短いし、ジェットエンジンも付いていない。鳥のように羽ばたいて飛ぶつのりらしいが、羽根と金属では明らかに重さが違う。誰がどう考えても結果は解る。
 解っているのに言わなかったのは、エレクトロの笑顔が真剣だったから。
 不可能も可能にしてしまえそうな何かを見た気がしたから。
 黙々と作業をするエレクトロの後ろ姿を見ながら、アーミィは膝を抱えて目を細めた。
 生き物とは言い難い存在が、自分よりもずっと生き物らしいと思えた。
 
 昼ごろにはと言っておきながら、夕暮れ時になっていた。
 理由はエレクトロが小さな失敗を連発していたからに他ならない。
 俗に言う、おっちょこちょい。ドジとも言う。
「完成した」
 嬉しそうな声を上げて、エレクトロは鉄の翼を背中に接続して、翼を広げた。
 窓の外から射す西日が、冷たい翼を赤い炎のように染める。
 機械の天使に見えた。
 立ち上がってエレクトロに歩み寄ると、エレクトロは頭に手を置いてきて照れるような笑みを見せた。
「すっかりタイムオーバーだ。算出した時間より大幅に経過している。俺は予測が不得意らしい。待たせて悪かった」
 アーミィは首を振ると、エレクトロの後について屋上に向かった。
 風の静かな夕暮れ。遠くで鳥の群れが飛んでいる。
「空には、何があるのだろう・・・?」
 迷う事無く屋上の縁に立って、エレクトロが言った。その言葉が自身に言ったものなのか、こちらに言ったものなのかは解らなかった。
 17階下の地面には一瞥もせずに、空を仰ぐ。
 次の瞬間、エレクトロは鉄の翼を広げて空へと跳んだ。
 
飛べた。
 
 …ように見えただけだった。
 ひゅう…と空気を切る音が小さくなっていく。
 ガシャン!!
 派手な音がした。
 アーミィは血の気が引くような寒気を感じて、急いで階段を駆け下りた。
 運動量を上回る鼓動の速さと、冷静でいられなくなっている思考が気持ち悪い。
 生まれて始めての、不快感に似た焦燥感だった。
 17階分の階段はとても長く思えた。残り三階からは待てなくて飛び下りた。
 現場に着くと、グラビティの姿があった。あの大きな音で目を覚まして来たらしい。エレクトロを抱き起こして、声をかけている所だった。
 コンクリートの地面が凹んでいて、そこを中心に金属の部品が散らばっている。鉄の翼は原形を失っていた。
「おい…おい! エレク!」
 グラビティが頬を叩きながら大声で呼ぶと、エレクトロはゆっくりと目をあけた。
「…グラビティ…起きたのか?」
「バカ。そりゃあ、こっちのセリフだ。お前、何したんだよ」
「飛べると思った…」
 そよ風にすらも掻き消されそうな声で、短くエレクトロが言った。
 アーミィは目の奥が熱くなるのを感じて、エレクトロに抱き着いた。
「アーミィ、心配をかけた」
 背中を撫でてくれた手は、全く温かくなかったけれど、速まっていた鼓動がゆっくりと元に戻っていった。
 
 エレクトロは翼と一緒に右腕も大破していた。頭部を守るための代償だった。腕はナノマシンで修理できるから大丈夫だと言った。
「どうして飛ぼうなんて考えたんだ?」
 階段を上る途中、グラビティが背中におんぶしているエレクトロに訊いた。
 アーミィもその理由が知りたかった。
「どうしてだろう? 解らない」
 不思議そうに首を傾げながら、エレクトロが答える。
「まぁ、いいけどよ。無理すんなよ。ったく、心配するこっちの身にもなれっての」
「うん。もう飛ぼうとはしない。二人に心配をかけたくない。それに…」
 少し口籠るように声を小さくする。
「落ちている時、衝突が原因で記憶装置が故障して二人の記憶データが壊れてしまったら、と考えた。そう考えたら思考回路が鈍くなって、視界が薄暗くなった。何て言えばいいのか…」
「悲しい…って言うんだよ」
 アーミィは静かな声でエレクトロに言った。
 エレクトロはゆっくり振り返ってきて、笑顔で頷いた。
「うん。悲しい。…悲しかった。だから、もう飛びたくはない」
 悲しい。
 階段を駆け下りていた時、自分も考えた。エレクトロが死んでしまったらと思っただけで、心臓が小さくなるような痛みを感じた。
 きっと、エレクトロと同じ気持ちだった。
 アーミィはグラビティの横に並んで、エレクトロの左手を握った。
 その手はやっぱり温かくはない。
 だけど、不思議と安心した。
 
 
 
 
 
◆◇◆◇◆
 
 
 
 
 
空には自分が望むようなものは無いのかもしれない
 
飛ぶ必要は無かった
 
大切なものは
 
自分のすぐ近くにあるから
 
それに気付かせてくれたのは
 
飛べない翼
 
重くて冷たい鋼鉄の翼
 
 
 
 
 
終わる