ヘヴン

2004/11/17

この話の主人公役が出来るのは士朗しかいないと思った(笑)
ボケ、突っ込み、言いたい事を素直に遠慮無く言い、クルクルと動けるのはコイツしかいない!(褒めてるよ)
お笑い小説を目指して、方向を向いただけで進めて無い(苦笑)
 ふらふらと宛も無く歩き続けて、どれくらいの時が経っただろうか。
「どこなんだ、本当に…」
 押さえきれない不安感から、士朗は呟いた。
 呟いてみたところで、聞いている人なんていないだろうけれど。
 花畑。
 そう、一面に広がる花畑がある。
 地平線の先まで、ずっとずうっと花畑と冴えた蒼い空。
 始めはその色とりどりの鮮やかで神秘的な美しさに心弾んでいたが、もうそれどころではなくなった。
 歩きっぱなしで足が痛いし、ここがどこなのかも解らなくて不安で堪らない。
 いい加減、花を見るのもうんざりしてきた。
 自分がどうしてこんな所にいるのか、それすらも士朗は解らなかった。
 つい昨日までは、見慣れた場所だったのに。
 バイトして、ゲーセンに行って、皆と話して・・・。
 その全てを消し去ってしまったかのよう。
 今までのことが夢だったのだろうか。そんな考えすら浮かんでしまう。
 目に涙が浮かびそうになったきた頃、遠くに、ぽっつりと大樹が見えてきた。
 その樹の下に、微かに動くものがある。
「誰か…いる…?」
 士朗は心無しか早足に歩いた。
 大樹の根元にアンティーク風のテーブルと椅子があり、1人の女性がお茶を嗜んでいる。
 美しく気品のあるその姿。どこぞの貴族の娘かもしれない。
 という事は、ここはその貴族の庭園で、自分はいつの間にか他人の敷地内に侵入してしまったという事か。
 無意識とはいえ勝手に入ってしまったのだから、とにかく謝ってからここの出口を教えてもらおうと思った。
「あの…」
「貴方は…?」
 清水のように繊細で澄んだ声。
 美しい金糸のような髪が、そよ風に馴染んで揺れている。
 自分よりも年下にも見えるが、静かで憂うような眼差しがそうは思わせない。
 聖女…いや、女神を彷佛させる。
 ゾッとするくらい美人だった。
「あ、し…士朗…です…」
「士朗…。私はtraces…」
tracesと名乗った女性は、ふんわりと微笑んだ。
「お座りなさい…」
 そういうと、どこからか肩に乗るくらいの鳥達が集まって一脚の椅子を運んで来た。
「え?」
 鳥だと見ていたが、良く見ると人…小さな天使に見えた。
 幻覚かと思い目を擦っていたら、椅子だけがテーブルの前に残っていた。
 狐に化かされたかのような複雑な気分で、士朗は椅子に座る。
「どうぞ…」
「あ、はい。いただきます…」
 こんな綺麗な人といると、何だか緊張してしまう。
 士朗は遠慮がちにクッキーを摘んで口に入れた。柔らかなメイプルシロップの風味がする。
「よく此処へ…。貴方は何処からいらしたの…?」
「あの、それが…。自分でも良く解らなくて…。気がついたらこの花畑にいて…」
「そう…。迷い人…」
 tracesはゆっくり瞬きをして、じっと見つめてきた。
「貴方が還るべき処へ、送りましょう…」
「ありがとう。こっちこそ、勝手に庭に入っちゃって…すみません」
「いいえ…」
 tracesは立ち上がって、何も無い空間に何かを画くように指先を動かした。
 指の通った跡に白い光の線が遺る。
 見えない壁に、三重円のようなものと記号が円状に並んでいる。どことなく時計盤の様にも見えた。
 その中心にそっと手をかざすと、ぐにゃりと空間が歪んで大きな丸形の穴が空いた。
 空いた穴の先に何色とも言い難い、うねるような空間が広がっている。
「ついていらして…」
 その中へ入ろうとして、tracesは、はたと足を止めた。
 ゆっくりと士朗の方へ振り返る。
「貴方に、この空間が渡れるか…解らない…。精神に傷がついてしまうかもしれない…」
「え?」
 何かよく解らない事を言われて、士朗は眉を寄せた。
 この出口は、何かの痛みを伴うものらしい。
 士朗はそっと指先をその空間に入れてみた。
 その瞬間。
「わッ!」
 脳みそを掻き回されるような不快感に襲われて、反射的に指を引っ込めた。
 目眩がして膝をつく。
「な…何だ…?」
 覚えの無い風景が頭を掠めては消える。様々な意識が駆け抜けて行くようだった。
 頭が酷く痛む。
「やはり…」
 tracesは士朗の前まで来ると、身を屈めて士朗に顔を寄せた。
「全てを知る空間は渡れないのね…」
 士朗の額を白い指でなぞる。
 すると、すうっと頭痛が消えた。
「……」
 士朗は目を閉じ、頭を押さえながら、余韻のように残る不思議な感覚に顔を歪める。
「では、飛んで行くしか…」
 tracesは花の咲くような可憐な声で囁いた。
 ようやく元に戻った士朗は椅子の背もたれを掴んで立ち上がる。
「え、何? 飛ぶ…?」
 士朗はtracesを見上げた。
 が、tracesはいなかった。
 目の前に、金の鎧に身を包んだ黒い翼の鳥の化け物がいる。
「誰だ、あんたぁーッ!?」
 士朗は力の限り叫んで、寄り掛かっていた椅子ごと倒れた。
 がさがさと花を掻くように、慌てて立ち上がる。
 鳥の化け物はいかにも心外そうな顔をする。
「…先程まで其方と話していたではないか」
「は、話してたって…?」
 さっきまで話していたのは綺麗な女性で、こんなRPGの魔王みたいなヤツじゃない。
「だっ…誰…?」
「…tracesだが?」
「嘘だ」
「…偽ってなんとする」
「だって…え? 男?」
「…おかしな奴だな」
「あんたが、おかしいよ!」
 士朗は恐る恐るその鳥の化け物に近寄って、じっと顔を見た。
 雪のような白い肌はまったく同じで、どことなく雰囲気も似ている。
「本当に…tracesさん…?」
「…疑り深い…」
「これって…あの、コスプレってやつ?」
 tracesの周りをぐるりと一回りして、黒い翼をそうっと触ってみた。
 人工羽毛ではなく、本物の羽根の触り心地がする。
 一体、何羽の鳥を使ったんだろう。
 お貴族様は少し変わったものを好むと言うが、随分と手が込んでいる。
「? …何かの呪文か、それは?」
「あはは…。まぁ、呪文かも…」
 士朗は苦笑いを浮かべた。
 成り切る人は、大概こんな事を言うもんだ。
 ちょっと悪戯してみようと思い、長く大きな風切り羽根を引っ張った。
「っ…!」
 ぴくっと身体を揺らせて、tracesが怪訝そうな顔をして士朗を見る。
「…何をする」
「え? あれ? 痛かった!? うそ…。えッ!?」
 士朗は、ずささっと後ずさって身構えた。
「ほ、本物…? あんた、何者だよ!」
 反射的に刀に手を伸ばしたが、何故か今日に限って持っていなくて、空気を握った。
 何で家に忘れてるんだ、こんな時に。
「…物覚えが悪いのか? tracesと名乗ったであろう?」
「名前なんか、聞いて無い!」
 今更になって震えがきた。本物の化け鳥だ。
 身を護る刀も無い。それが恐怖に不安を上乗せした。
「…何を恐れている? 先程まで、平常心ではなかったか」
 それは人間だと思っていたからで。
「騙したな」
「我が騙したと?」
 tracesは困惑したように僅かに眉を寄せた。
「あんたが化け物だと解っていたら、話し掛けなかった!」
 ビシィっとtracesを指を差して、士朗は言った。
「…化け物?」
「だって、そうだろ! その羽根! 白なら天使かもしれないけど、黒いし! 目ェ恐いし!」
 tracesは細い目を俄に大きくして、気落ちしたようにそろそろと椅子に座る。
「…酷な事を言う…」
 目を伏せてティーカップを持つと、静かに紅茶を飲んだ。
 僅かに尾羽根を上下させて、ぱさぱさと翼を揺らしている。
 …もしかして、拗ねてるのか。
 よくよく考えてみれば、人間のようにティータイムを楽しんでいるのだから、もしかしたら人に危害を加えないちょっと変わった動物なのかもしれない。
 人間と会話できるだなんて、珍しい動物じゃないか。オウムや文鳥よりも凄い。
 ちょっと言い過ぎたかもしれないと士朗は思った。
「その…。ごめん…」
「…よい。人間から見れば、皆…其方と同じ思いであろう」
 tracesは静かにカップを置くと立ち上がる。
 さっき椅子を運んで来た鳥たちが集まり、慣れたようにティーセットとテーブル、椅子を運んで去って行く。
 士朗は、今度こそ、じっと見ていた。
 間違い無く、小さな天使たちだった。金の翼をした、小さな妖精のような。
 恐くは無い。その幻想的な光景に見とれていた。
「…恐怖心は、自己保存の為の防衛本能の一部だ。限り有る生命だからこそ…」
 儚く美しい…と、tracesは言った。
「tracesさんは…」
「…何だ?」
「いや…何でもないよ…」
 解らない。
 この人は・・・?
「…恐れは消えたか?」
「え…。あ、ああ…」
「…では、行こうか。長らく其のままでおると、転生が出来なくなるぞ」
「へ?」
 士朗は目を丸くした。
 今、何て言った?
「…其方、己が絶命した事すらも解らなかったのか?」
「俺・・・死んだのか!?」
「…地上の生命がここへ迷ったのだから、それしかあるまい」
「ここ、て…天国?」
 士朗は辺を見回した。天国には花畑があるだとか、川があるだとか聞いた事がある。
 鮮やかな花の絨毯が広がっている。大樹に気を取られて気がつかなかったが、遠くに川らしきものも見えた。
「そのまんますぎだ…!」
 顔を引き攣らせて、士朗は絞るような声を上げた。
「嘘…。俺の人生、短いよ。まだ、やりたい事もいっぱいあるのに・・・」
「…嘆くな。すぐに、その様な気持ちは消える」
「う~ん…」
 士朗は頭を抱えた。
「tracesさん、俺…自分が死んだなんて、納得出来ないよ。自分が何で死んだのかも解らないんだ」
 自分が死んでしまっただなんて、いまいち実感が湧かない。
「納得もしないで生まれ変わっても…そんなの嫌だ」
「…ふむ…」
 tracesは目を閉じる。それもそうかと考えているようだった。
 数秒間目を閉じていたtracesが、ふいに目を開けた。
「…其方の名を呼ぶ声がする。死ぬなと叫んでおるぞ」
「え…。俺には何も…」
 士朗は耳を澄ませてみるが、そよ風に揺れる草花のさらさらとした音しか聞こえない。
「…聞こえぬのか?」
「それって、第六感とかってやつ…か?」
「…情けない…。それでも生物界の最高地に君臨する種か」
「そんな事言われてもなぁ・・・」
 何だか自分が人間代表でお小言を言われているようで、士朗は複雑な気分になった。
「俺には空を飛ぶ翼も無いし海を泳ぐヒレも無い、獲物を狩る牙も無いよ。動物の中で一番優れているとは思えない」
「…ほう。自らが優秀と称する種にしては、珍しい。無垢な意見だ…」
 tracesは目を細めて薄らと笑った。
 その表情はあの女神のようなtracesと酷似していた。
 改めて、この人があの女性なのだと思える。
 どういう原理で性別が変わるのかは解らないけれど。
「…悠長にしてはおれぬ。其方が決めよ」
「え、何…を?」
「…すぐに転生するか、死因の確認をするかだ」
「そっち! どうして死んだのか気になる! 自分で確かめなきゃ、tracesさんがダメって言っても生まれ変わらないからな!」
「…そうか。すぐに発つぞ」
 tracesは翼を羽搏かせて身体を浮かせると、士朗の両肩に両足を乗せた。
 この状態って、まさか…。
「待ってくれよ! 腕! 腕あるんだから、そっちで運んでくれ!」
「…我の腕は其方を持ち上げられる程に丈夫では無い。故に…甘んじて受けよ」
「まんま、鳥が物運ぶみたいじゃないか! その手はティーカップ持つためだけのものかよ!」
「…ぶ、侮辱か、それは…!」
「爪が! 鳥足の爪が痛そうなんだけど!」
「…加減している、案ずるな」
 騒ぐ士朗を制止して、tracesは大きく羽搏いた。





 フレッシュクリームのように真っ白な雲を通り抜けると、見慣れた街の、初めて見る風景が広がっていた。
 飛行機に乗っていたって、空からこんな間近にビルの屋上を見るなんて出来ない。
「すげー!」
 子供のように、きゃっきゃと騒ぎ出す士朗。
 どうしてtracesは教えていないのに、ここだと解ったのか疑問に思ったが、さっき言っていた呼んでいる声を辿っているのかもしれない。
 ふわりと下ろされた場所は、普段に良く通る大通りだった。
 いつもと違うのは、人集りが出来ていること。
 こんなに人がいて、tracesみたいな目立つ人がいるというのに、誰ひとりも目線を向けない。
 違和感を感じながらも、士朗は人集りを潜り抜けて中に入ってみた。
 人集りの中心に、男女がいた。
「士朗、士朗ー! 目を開けてよぅ!」
 泣きじゃくるエリカだった。
 そして、その腕に抱かれている自分がいる。
 ここにいる…自分を見ている自分は・・・?
 とても信じられない光景だった。
「エリカ…」
 声をかけても、見てくれない。
 士朗はそうっとエリカに触れようとした。
 するりと手がエリカの頭に入った。
 びくっとして、手を引く。
「・・・」
 思い出した。
 エリカとのデートだった。
 待ち合わせに遅刻しそうになってたから、慌てて走って。
 走って…それで、車にぶつかった。
「俺…やっぱり死んだのか…」
 現実を目の当たりにして、改めて虚無感を覚えた。
「…士朗」
 tracesが歩み寄ってきて、士朗の横顔に声をかける。
「これ、本当の…現実なんだよ…な?」
「…其方の依り代は…」
「もう、エリカと一緒にいられないんだ…」
「…まだ生きるに十分な…」
「せっかく…エレキとも昔みたいに仲良くなってきたってのに!」
「…我が言を聞け」
「もう少し…もう少しで、穴『colors』がクリア出来るところなのに!!」
「…聞かぬか!」
 tracesが少しだけ声を大きくすると、士朗はようやく我に返った。
「何だよ、tracesさん…」
 不服そうな顔で、士朗はtracesを見る。
「…嘆くには、まだ早い」
 tracesはエリカに抱かれている士朗の身体を指差しす。
「…命を失う程の損傷では無い。軽く当たった程度だ」
「え?」
「…転生の必要は無かろう」
「ほ、本当か!?」
 士朗は、ぱぁっと顔を明るくした。
「生き返られる?」
「…可能だ」
「やったぁ! ありがとう、tracesさん! ホントありがとう!」
 士朗はtracesに抱き着いて、何度もお礼を言った。
「…あまり付くでない…」
 離れない士朗を半ば無理矢理引き剥がす、traces。
 人に触れられるのがあまり好きではないらしく、tracesは士朗との距離を置く。
 だが、士朗はそんな事とは解らずtracesの両手を掴むと、万遍の笑顔でぶんぶんと振った。
「tracesさん、大好き!」
「…早く戻れ」
 複雑な表情をしているtracesの手を放すと、士朗は跳ねるように自分の身体の方に走った。
 が、ぴたりと止まる。
「tracesさん…」
「…今度は何だ」
「・・・どうやって戻るんだ?」
「……」
 tracesは目をぱちぱちする。
「…自ら出たというのに、解らぬのか?」
「うん…。だって俺、出たくて出た訳じゃないんだ」
「…身体に重なればよい」
「そっか、ありがとう!」
 士朗はエリカに抱かれている自分の身体に、ぴったりと合うよう身体を重ねてみた。
 夢から覚める時に似た、がくんと落ちる感覚がして、びくっと飛び起きる。
「し…士朗…!?」
 エリカが驚愕の顔で見詰める。
「エリカ! 俺が見える?」
「??? わ、訳わかんない事、言わないで…っ、ぐすっ…」
 みるみると涙が溢れて、再び泣き出すエリカ。
「心配かけたな…」
「ひっく…、いいよぉ、士朗が…生きててくれた…んだもん…」
「ごめん、エリカ…。ありがとう・・・」
 士朗はエリカを抱き締めた。
 野次馬たちも、おお…だとか、良かったわね…だとか騒いでいた。
「神様のお陰だね」
「神…様…?」
 エリカの言葉が、今までの事を思い出させる。
「tracesさ…」
 振り返ったが、tracesの姿は無かった。
 自分が身体に戻ったから見えなくなってしまったのかもしれない。
 霊的存在。
 ようやく解った。あの人が何だったのか。
 それと同時に、罪悪感が湧いた。
 タメ口を聞いてしまったし、失礼な事をしたような気がする。
 それなのに、わざわざ地上まで戻してくれて…。
 もしtracesに会えなかったら、自分は本当に死んでいただろう。生まれ変わることすらも出来なかったと思う。
 士朗は昇りきった太陽の眩しい空を見上げた。
「ご、ごめんなさい…」
 震える声で謝罪する。
 輝く太陽の光を横切るように飛んで行く黒い影が、一瞬だけ見えたような気がした。





終わる

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