TOOL 19

 自分は、主の為に生きていると、ずっとずっと…そう思っていた。
 決めていた事を変えてしまったのは、意志の弱さだったのか、それとも勇気だったのだろうか。
 新たに得た、たったひとりの者の為に、その意思を変えてしまったのだから…。
 
 
 
-良かったと思いますよ-
 
 それは、空気を伝わらない言葉。
 
-あはっ、君に言われてもねー。君とは逆の選択だったし-
 
 伝える者と伝わる者の両方に、その能力が無ければ、不可能の会話。
 ごく一部の者同士だけの、特殊な会話。
 
-君は、自分を犠牲にしてみんなを助けようとしているのに、僕は、自分の為に全てを犠牲にしようとしてるんだよ~?-
 
-全てが犠牲になんてならないですよ あなたはあの少年とこの施設から出る事を選んだ …ただそれだけの事でしょう?-
 
-ははっ、そう思ってるの~?-
 
 友人でもない、仲間でもない。
 ただ、利害が一致しただけの、そんな2人の会話。
 
-準備は進んでいるんだけどねー。攻性プログラムが、上手くいかないんだよね~-
 
-それは いずれアーミィが手伝います エレクトロのシステム構造の解析データをアーミィの頭に直接送るつもりでいますから …その代わり エレクトロのシステム妨害は ジェノサイドさんにお任せしますよ-
 
-うん、任せてよ。僕、頭いいからねー。それより…軍人君は、君の事をどう思うかなー?-
 
-どう思われても構わないですよ もう未来は決まったから…-
 
-君がそう言うのならいいけどね。管理者君に気付かれずに侵入できるのは、君だけだからねー。頼りにしてるよ~-
 
-僕の力じゃないですよ 神様との契約…だから…-
 
 苦笑いだろうか。言葉の端が歪んだ。
 
-上手くいくと思う~?-
 
-大丈夫ですよ 神様がついてますから 神様もこの施設にご立腹ですからね-
 
-君が契約した神様は、7区の神様と同じ超高次元の神様らしいね~。そりゃあ怒っちゃうよね~?-
 
-気ままな神様ですから 本当の目的は解らないですけどね-
 
-必然なる軌跡を司る運命の神様と、偶然なる奇跡を司る革命の神様かー。何だか、偶然と必然を繰り返して時を紡ぐ全てのもの、そのままだよねー。互いに交差して延々と続く、二重螺旋の遺伝子みたいだと思わない~?-
 
-面白い事 言うんですね-
 
-あはっ、良く言われるよ~-
 
 俄に変わる空気。2人は、それを敏感に感じ取った。
 
-これは… アーミィの様子が…変わりましたね 何が起きたか…知っていますか?-
 
-7区の研究員が遊んでいるんだよ。6区の使えなくなった実験体や、弱い実験体をかき集めて造った、生き物をねー。軍人君と遊ばせたんだよ~-
 
-そう…ですか アーミィの精神に傷がついた事で 中に眠っていたあなたの能力が暴走したようですね-
 
-みたいだねー。今、こっちにも振動がきたよ~。7区の実験場は大破かな。僕の遺伝子なんか使うから…ククッ-
 
 明らかに敵意に満ちた嘲笑い。
 
-他の地区も あなたの遺伝子に興味を持っているみたいですよ-
 
-あはっ、そうなの~? 僕、モテモテだねー。…そうそう、ギガ君がね、僕の事、軍人君に似てるって言ったんだよ。信じられないくらい感が良いから、見抜いたんだろうね~-
 
-あの少年には 特別な能力がありますね …だから ここに連れて来られたんでしょう-
 
-そうみたい。でもギガ君、自分の能力に優越感と劣等感、両方を持ってるみたいだね-
 
-今は彼の能力の数値を計る事に着目していますが あまり長くこの施設にいると…いずれは遺伝子に手を出されてしまいますよ-
 
-それは絶対にさせないよ~。そうになったら、僕、本気出しちゃうからね~-
 
-ええ 僕も善処します …彼の能力は 強大な軍をたった独りで完璧に操れる程の力になり得る…そんな力が悪用されては危険ですから-
 
-危険な存在ばかり集まってるからねー、この施設。そう言えば…どうして6区が僕の遺伝子情報を持っていたのか、解らないんだよね~-
 
-エレクトロですよ-
 
-管理者君が…? いつ…?-
 
-この施設全てが エレクトロですから…壁に手を触れたり 床に髪が落ちたら もうそれだけで 遺伝子情報を与えてしまうようなものなんですよ 6区には優秀なハッカーがいて その人がエレクトロからあなたの遺伝子データを得たんです そのハッカーだった研究員は自害しました-
 
-あはっ、参ったなぁ~。管理者君がそこまで完成された存在だったなんて思わなかったよー。・・・本当に恐ろしいなぁ管理者君は。早く何とかしないとね~-
 
 
 
 
 彼は、神との契約者だった。そう、自分で言ったのだ。
 けれど、実際は違う。
 神の為の、犠牲者だった。
 契約した神は、気の遠くなるような周期で転生するらしい。
 その転生に使われる身体だった。
 薬漬けの身体で生きているというよりは、生かされている状態。そんな彼が神に選ばれた。
 彼は神の転生の犠牲になる代わりに、エレクトロに気付かれずにハッキングする力を神に願った。
 気まぐれらしいその神は、その願いを聞き入れた。
 この施設の崩壊を、神も面白がったのだ。
 同じ身分であるらしい他の神の欠片が、7区に捕われているから、その怒りもあったようだった。
 7区に捕われている神を、何度か見に行った事がある。黒い大きな翼を生やした男神であったり、光り輝くような美しい女神であったり、その神の姿は見る度に入れ替わっているようだった。
 この施設からの逃亡、この施設の崩壊。
 それは多くの者が望む事。
 
 
 
-上手くいくと思う~?-
 
-ええ もちろんですよ-
 
-無理しないでね~、契約者君~?-
 
-ふふっ 皮肉な呼び名ですね …僕は大丈夫ですよ ジェノサイドさんこそ後悔しないように…-
 
 
 お互いに、気休め程度の励ましをかけ、言葉の無い会話は終わった。
 
 
 
 
 
未完


TOOL 18

 何で、どうして。
 事態に混乱して、逃げるように自分の部屋に帰った。
 あれから、ギガデリックはジェノサイドの部屋に行かなかった。正確には、行けかなかった。
 ベッドの上にうつ伏せになって、枕に顔を埋める。
 ジェノサイドが実験体だった。
 醜いバケモノが存在していた。
 そのバケモノをあっと言う間に消したジェノサイド。
 血と残骸。
「オレは…」
 番号で呼ばれた自分は、実験体なんだろうか。
 ベッドの傍らに浮いている目玉型メカが、心配そうにころりと傾く。
「ジェノ兄は…。ジェノ兄は、オレのコト、デリックって呼んだ…」
 本名だった。
 この施設に来る前まで、呼ばれていた名前。
 しかし、その名で呼ばれるのは、いつも決まって咎められる時だった。
 自分の能力を、誰も認めてはくれなかった。
 いつだったか幼い頃、この能力を信じてもらえなくて近所の子と大喧嘩になり、思わず言ってしまった。「お前なんか、車にひかれちまえ!」と。
 ちょうど近くを通っていた車を、怒り任せに操って、その子を引かせてしまった。幸い、かすり傷だけですんだ。運転手は車が勝手に動いたと言い張っていたが、当然そんな事は信じてもらえず、警察は運転手の不注意という事にした。
 …誰も、この能力を認めてはくれなかった。
 居心地の悪い、世界だった。
 昔読んだ小説や漫画の、魔法だとか超能力だとか、そんな不思議な力が使える主人公を、みんな憧れていた。ごっこ遊びだってやっていた。大人だって、その話を夢中で読んでいた。
 それなのに、現実では、その能力は認めてもらえない。
 矛盾した世の中だなと、幼心に思った。
 いっその事、この漫画の世界に入れれば、主人公みたく世界を救う冒険に…なんて、そんな馬鹿げた事も考えた。
 現実と空想の世界の間で、どっち着かずな自分の存在を、どこか諦めて冷めたように思えてきた時、この施設に呼ばれた。
 誰も咎めなかったし、咎める名前を呼ぶ人もいない、そんな世界。
 本気で嬉しかった。どんなに喜んだ事か。
 けれど、あの時、ジェノサイドに本名を呼ばれて、気付かないようにしていた想いに、無理矢理気付かされた。
 何となくでしかないけど、これが真実なんじゃないかと思う。
 どうして両親が、この能力を認めてくれなかったのか。
 それはきっと、普通の人間でいて欲しい、と、そんな最後の願いだったんじゃないかと。
 能力を使わなくても、人間は生きていけるんだから、と、それを解って欲しくて、両親は泣きながら怒っていたのかもしれない。
「オレ、気付くの遅過ぎだっつーの…」
 ギガデリックは、寄り添っている目玉型メカを抱き寄せて、また溜め息をつく。
「でも、今更、戻れねーよな…」
 この施設では、普通じゃない事が、普通だから。
 もう、この世界でしか生きられないような気がする。ここはあまりにも居心地が良過ぎた。
 それに、もう、どんな顔をして両親に会えば良いのか解らない。
 両親への殺意は、完全に消えたと言うのに…。
「どーすればいーのか、解んね…」
 主人の気落ちが心配なのか、目玉メカは、大きな目を細めた。
 再び溜め息をしようと息を吸い込んだその時、ジェノサイドが部屋に入って来て、ギガデリックは弾かれたように飛び起きた。
 あの時に見た、実験の記憶が鮮明に蘇る。
 数秒の沈黙が流れて、ジェノサイドは口を開いた。
「ごめんね…」
 ただ一言、小さくそう言った。
「何で…ジェノ兄が…謝の?」
「あのね、ギガ君…」
 恐く無いと言えば、答えは嘘だ。
 だから、本能的にだったのかもしれない。
 1歩近寄ったジェノサイドに、ギガデリックは身を引いてしまった。
 その様子を敏感に悟ったのかもしれないジェノサイドは、身体を縮こませて背中を向けた。
「ごめん…。もう…、会わない方がいいよね。謝りに来ただけだから、もう二度と…」
「待てよ!」
 部屋から出ようとするジェノサイドを呼び止めたが、止まろうとしないジェノサイドに、ギガデリックは駆け寄ってコートの裾を引っ張った。
「まだ帰るな! 言いてーコトと、聞きてーコトがあんだよ!」
 部屋のドアに念じてドアを閉めさせると、ロックも掛け、そのパスワードも変更させた。その一瞬の素早い対応に、ジェノサイドは少し驚いて、こちらに振り向いた。
「ごめんね、ごめんね…」
 ただただ、震えを帯びた声色で謝罪を繰り返す。
 違う。聞きたいのは、謝罪の言葉なんかじゃない。
 本当なら、謝るのは自分の方。来るなと言われたのに、行ってしまった自分。
「ごめんね、恐かったでしょ…。僕は、バケモ…」
「黙れ」
 低い声で、その先の言葉を止めさせた。
「僕が実験体を処分する所、見たでしょ? 僕も、人間じゃな…」
「うっせぇ! オレが聞きてーのはそれじゃねーっつの!!」
 力任せに怒鳴ると、ジェノサイドは、はっとして身体を固まらせた。
「オレだって、普通と違うっつの! 機械操れるし! まだ誰にも言ってねーけど、少しくらいなら、動物だって操れんだよ!! だけどな! 誰が何つっても、オレは人間だ!!」
「ギガ君…」
「ジェノ兄は、オレの力と違うけど、きっとオレと同じなんだよ! だから人間! それともテメェ、オレが人間だっての否定すんのかよッ!?」
「ち…違うよ、そんな事…」
「じゃあ、ジェノ兄も人間。分かったか!? 分かったよなッ!!」
「ギガ君は、僕の事、人間だと思ってくれているんだね…」
 ジェノサイドは、ゆっくりと息を吐く。
「当りめーだっつの!」
「ありがと…。それだけで、僕、人間でいられる気がする…」
「バカなコト言ってんじゃねーよ。人間だろーが」
「うん…」
 ジェノサイドが落ち着いたのを確認すると。ギガデリックは、部屋の端からパイプ椅子を引っ張り出してジェノサイドを座らせすと、自分は、ベッドの端に座って向き合った。
 何を言えばいいか…。少し迷っていると、自分の口は、言葉よりも、質問の方が素直に出てくれた。
 ゆっくりとした口調で訊いてみる。
「ジェノ兄はさ、何で、この施設に来たの?」
 そうだ。この質問。何度も会ってるのに、一度も始まりの事を訊いた事がなかった。
「僕ね、記憶が無いんだ。この施設に来る前の、記憶が。気がついたら、ここに居たんだよ」
「え? でもジェノ兄、大学の教授やってたって言ってたじゃんか」
「それは…教えてもらった記憶なんだよ。…本当は、そんな過去だったなんてウソだって…知ってる。だけど、ここに来る前の事。何も覚えてないなんて寂しいから…ウソの記憶でも欲しかったんだ」
「……」
「唯一ね、覚えてる事があるんだ」
「何?」
「ある人がいて、僕はその人の為に生まれて…今でも、その人の為に生きてるって事」
「ソイツだれ? ドコにいんの?」
「第1地区で眠ってるよ。もう…ずっと…」
「分かってんなら行けばいーじゃん! ソイツに会えば、ジェノ兄の記憶戻るかもしれねーし!」
「無理だよ。管理者君の奥の部屋だから」
「管理者が何だっつーの! オレがぶん殴ってでも会わせてやるよ!」
 声を荒げて言うと、ジェノサイドは、はっとして大きく息を吐いた。
「・・・あはっ、やーだ、恥ずかし。僕ったら、泣いちゃったじゃない。今のナシね」
 いつものヘラヘラした態度に必死に戻そうとしているのが解った。
 ゴーグルで見えない先の目が泣いてた事くらい、もう知っていた。
 そして、最後にジェノサイドは言った。
 また実験だから…と、部屋を出て行く寸前に。
「ギガ君…、僕の事…嫌いにならないでいてくれるんだね…」
「嫌いになる理由なんか、ねーよ」
 ジェノサイドの実験を止められるだけの権利は無いし、着いて行ってジェノサイドの実験を見たら、今度こそ、自制が効かずに研究員を殺してしまうかもしれなかった。
 ギガデリックは部屋のドアを開けて、ジェノサイドの背中が見えなくなるまで見送った。聞きたい事は、もっとあったのに、何から訊けばいいのか分かんなくて。
 でも、言いたい事は言えた。
人間だ、と。
 ジェノサイドを見送った後、ギガデリックはベッドの端に座って、目を閉じた。
 本当は、気付いていた事だった。
 確かではないが、自分には相手が何であるかを本能的に見極める能力もある。でも、この能力は100%のものではなかったから、自分でも信じていなかった。
 ジェノサイドからは、人間の気配が殆どしない。
 だから、初めて会った時に機械なのかと思って、思いっきり脛を抓った。それを痛がっていたから、やっぱり人間なんだろうと思っていた。
 ほんの少しだけは、人間の気配がするから、きっと、…いや、絶対に人間なのだろう。
 それだけで十分だと思う。
 あんなに酷い実験をする研究員の方が、人間だとは思えない。
 また実験だからと、出て行ったジェノサイドの事を考えると、いてもたってもいられなかった。
「どうすればいーんだか…」
 溜め息混じりに、言葉を吐く。天井近くで、目玉型メカたちが、太陽系を真似して円を画いて公転している。その内の、太陽役をしていた赤い目玉型メカが、すとんとギガデリックの膝の上に下りて来た。
「そっか…」
 その様子を見て、閃いた。
 簡単に考えれば、ジェノサイドが実験されなければいいワケだ。ここの連中は、ジェノサイドが人間だと思って無いから、あんな酷い実験をする。要はジェノサイドが異質である事を知らない人たちの所へ行けばいい。
 この施設から、抜け出せばいい。その1区にいるという、大事な人も一緒に。
 閃きにも似た考えだった。
 でも。
「あれ…?」
 ギガデリックは、この施設の出口を思い出そうとしてみたが、思い出せなかった。
 自分は、どこから、この施設に入ったのだろう。
 この施設に初めて来た時の事だけが、ぽっかりと記憶から抜けていた。
 そこから辿ってみると、抜け落ちた記憶は、それだけでは無かった。
 この施設に来る前、自分はどうやってここの研究員と知り合ったのか、どうやって家から出たのか、その時の両親はどういう様子だったのか。
 無に塗りつぶされたような、空白の時間。
 不安が、じわじわと襲ってきた。
 僕ね、記憶が無いんだ。…と、ジェノサイドの言葉を思い出す。
 ギガデリックは、頭を抱えた。
 記憶を消されたんだと、確信した。
「オレの記憶を消さなきゃならねーコト、したってコトだよな」
 生まれた不安は、すぐに危険信号へと変わった。
 ここに居てはいけない。
 そうだ、ジェノサイドを連れて、ここから出よう。
 それしかない。
 冷静さに欠いた頭で、ギガデリックは必死に考えた。
 出口を探さなければ。
 研究員に吐かせるか。
 自分で探すか。
 研究員に吐かせた方が早い。
 施設側は、11地区のチーフであるジェノサイドの記憶も奪った。
 研究員が出口を知ってる保証は無い。
 自分で探す。
 この施設の事を知らない。
 知ってるのは管理者。
 殴ってでも出口を吐かせる。
 管理者を探す。
 管理者は2区にいる。
 管理者に会って、1区で眠っているジェノサイドの大事な人を連れ出して…。
 でも、ずっと前から興味半分で管理者のいる2区を探しているのに見つからない。
 ふと、ジェノサイドがホリックに2区へ行くように言っていたのを思い出した。
 けれど、あのホリックというヤツは気に話しかけるのは喰わないし、いつもどこにいるのか知らなかった。
 どうすれば…。
 深くは考えられない焦った思考でいっぱいになっていたその時、突然、部屋のドアが開いて、誰かが入って来た。
「・・・あ…」
 お互いに目が合って、間抜けなくらい目も口も大きく開けていた。
 ドアはロックされていた。
 それなのに、いとも簡単に入って来た。
 もしかしたら、自分と同じに機械を操れるヤツなのだろうか。
 ギガデリックは目玉メカたちにいつでも戦闘態勢に入れるように待機させ、様子を伺う事にした。
 ゆっくりとベッドの端から立ち上がる。
 すると、相手は恐る恐る手を挙げた。
「よ、よぅ…」
 挨拶のつもりだろうか。引き攣った笑顔を作る。その口の端に大きな牙が見えた。
「よう」
 挨拶をしてきたのだから、とりあえず、こちらも軽く挨拶を返してみる。
 入って来たヤツは、黄色っぽい肌をした、赤茶色の髪。年齢は、自分と同じくらいに見えた。
 よく見れば、人間の目をしていなかった。暗闇に浮かぶような、血の色の目。
 ギガデリックは、自分が能力を使っている時に、瞳の色が深紅色に変わる事をふと思い出した。
 目を細く凝らし、探ってみると、ジェノサイドとは全く違うが、人間の感じはあまりしないという共通点があった。
 こいつも実験体だと、確信した。
 侵入者は、くるりとドアの方に向く。
「おい、エレクトロ。中に人いるじゃねぇか! ・・・いや、研究員は居ないって言ったけどよぅ…」
 何やら、独り言を始める様子に、ギガデリックは顔をしかめた。
 いわゆる、危ない人ではないだろうか。
「…そんな事言われてもよぅ…」
 やや泣き言のような弱い声を出して、侵入者がこちらに向き直った。
「あの、えっと…。迷子…ってやつだ」
「あ?」
 何を言ったのか、一瞬理解できずに、ギガデリックは首を傾げた。
 すると侵入者は大慌てで、再びドアの方を向く。
「疑われてんぞ! …だって、そんな事…。…うぅー」
 最後には犬のうめきに似た声を出す。
 どうやら、姿の見えない誰かと話をしているようだった。
 もしかしたら、本当に自分と同じに機械と対話して操れるヤツなのではないだろうか。
 同じ者との出会いによる、孤独からの解放の歓喜。
 特別なのは自分だけではなかったという、優越感の崩壊。
 そんな思いが頭をぐるぐると回っていると、侵入者は、またこちらを向いてきた。
「オレは、7区に帰りたいんだけど、研究員に見つかるわけにはいかねぇんだ。ちょっとでいいから、ここにいさせてくれ」
「ああ、いいぜ」
 ギガデリックは、あっさりと願いを聞き入れた。
 どんなヤツなのか解らないが、興味が湧いたからだった。
 7区に帰りたいという事は、コイツは7区の実験体の可能性が高い。
 研究員に見つかりたく無いという事は、研究員に対して悪い事をしている証拠。
 外地区への許可証も持っていないのに、自分の地区から出るという事は、よほどの何かをしているのではないだろうか。
 その内容も気になった。
「本当か」
 許可を出すと、侵入者はぱっと顔を明るくした。
「ありがとな」
 無邪気に笑顔を見せて、侵入者は安心したらしく、軽く伸びをする。
 相手に警戒が無いと知ると、ギガデリックは問い質す事にした。
「なぁ、どうして迷子になったんだ?」
「え、ああ…。どうしても会いたいやつがいて、そいつに会った帰りだったんだ」
「実験体は普通、地区から出るのは禁止だろ」
 と、言った後に、ギガデリックは、マズい事を言ったと思った。
 侵入者が実験体である事は、まず間違いないだろうが、今の発言ではこちらに警戒させるようなものだった。
「そうなんだけどよ。何か、心配だったんだよ…」
 しかし、相手は特に気にしなかったようで、普通に返事をしてきた。
「ふーん」
 ギガデリックは軽く頷く。
 実験体に心配されるようなヤツなんて、この施設にいるのか。
「許可証無しで別の地区に行くのが、下手すりゃ処罰される事だって知ってんだろ? 何で、そこまで…」
「友達だからな」
 少し照れくさそうな笑顔で答えてきた言葉に、ギガデリックは微かに羨望のような感情が湧いた。
「…ん。ああ、そうかよ。…もう大丈夫みたいだ。匿ってくれて、ありがとな」
 また姿の見えない相手と会話をしたらしい。侵入者は部屋から出て行こうとした。
「お、おい。お前、さっきから誰と話てんだ? 機械…か?」
 ギガデリックは慌てて、一番知りたかった事を訊いた。
「機械みたいだけど、機械じゃねぇな…。ここの管理者なんだとよ」
「な…」
 信じられない言葉に、ギガデリックは目を見開いた。
 ずっと興味を持って探してたヤツの知り合いを見つけた。この機会は絶対に逃したらだめだ。
 部屋を出た侵入者に駆け寄り、手を掴んで、部屋に引き戻した。
「おい、待て! 管理者って…!!」
「ん?」
 部屋に戻されて、驚いた顔の侵入者が振り返る。
「ドコにいんだよ、そいつ!」
「えーっと…。右行って左行って左行って……あれ? 右か? うー、覚えてねェや…」
 侵入者は、心底困った表情で頭を掻く。
「オマエ、エレクトロに何かあるのか?」
「2区に行って…、大事な話があんだよ」
「そうか。良くわからねェけど、会いたいのか。・・・どうするエレクトロ? オマエに会いに行きてェんだとよ」
 侵入者は、管理者と話を始めた。
「許可が必要だって言っても…。…でもよ、オマエに用があるって、言ってるんだぞ。オレだって、オマエに会いに行ってるじゃねぇか」
 その様子を、ギガデリックは、複雑な思いで眺めていた。
 そうか、管理者の手伝いがあったから、パスワードでロックの掛かっていたドアを開けられたのだろう。
 特別とも思えない実験体が、管理者と同等に話している。
 この狂気に満ちた施設の全てを知り、厳重に管理している者が、一体何故…。
 もしや、この侵入者は、実はとても偉いヤツなんだろうか。ジェノサイドみたいに実験体でありながらチーフか、それ以上の。
 いや、そうだとしたら、地区移動の許可証を持っているはずだ。
 話が終わったらしく、侵入者は、こちらを向く。
「オマエ、機械持ってるのか?」
「あ? 目玉のコトか?」
「エレクトロが、2区までの順路データを作るって、言ってるぞ」
 ギガデリックは、目玉型メカを呼ぶと、侵入者の前で滞空させる。
「あ…。オマエも、オレと同じに重力が操れるのかよ!?」
 侵入者は、空間に浮かぶ目玉型メカとこちらを交互に見て、感激したように顔を輝かせる。
「重力じゃねーよ。オレは、どんな機械でも操れんだぜ」
「へぇ、エレクトロみてぇだな。オレと同じなのかと思った」
 侵入者の苦笑いに、ギガデリックは自分が思った、同じ者との出会いによる、孤独からの解放の歓喜と、特別なのは自分だけではなかったという、優越感の崩壊を思い出す。
 きっと、同じ思いなのかもしれない。
 孤独と優越感を抱いて生きているという所は、仲間なのかもしれない。
 そう考えが辿り着くと、ほんの少し仲間意識が現れた。
 仲間だとしたら、一緒にこの施設から出るべきだろうか。
 いや、管理者の友達なのだから、この施設から出るなんて、考えもしない事だろう。
 侵入者は、耳の穴から、小さな部品のようなものを出し、目玉型メカの上に置いた。
 目玉型メカは、ギガデリックを不安げに見詰めていたが、やがて目を大きく見開いた後、ゆっくりとまばたきをする。2区への順路データを取得したと、伝えてきた。
「これで、いいか?」
 侵入者は小さな部品を耳の穴に戻すと、ギガデリックを見る。
「ああ、確かにデータもらったぜ」
 そう答えると、侵入者は最後に軽く挨拶をして、部屋を出て行った。
 目玉型メカを抱き寄せると、ギガデリックは、笑った。
 管理者に会える。
 出口を教えてもらい、ジェノサイドと、ジェノサイドの大事な人を連れて、逃げればいい。
 もし、管理者が拒否したら…。
 ・・・侵入者には悪いが、力づくで管理者を…。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 17

 施設の外にいる兄弟に、会ってみたい。
 初めて、自分から望んだ事だった。
 けれど…。
 命令で与えられたものではない自分で決めた事は、どうすればいいのか。
 それが解らなかった。
 目的を見つけても、そこへ辿り着くには、どうすればいいのか…。
 ミニマのいる部屋に研究員が入って来て、アーミィは部屋から出るように言われてしまった。
 無感情な蛍光灯の明かりに照らされる、静まり返った廊下。
 ドアを背に、アーミィは焦点の合わない目線を床に落としていた。
 この施設内どころか、第6地区からも出た事が無い。
 それなのに、施設の外の兄弟に会う事ができるのだろうか。
 何をどうすれば良いのかも解らないまま、アーミィはふらりとドアから離れた。
 研究員は、暫くはミニマの部屋から出る気配は無く、アーミィは仕方なく独房のような自分の部屋に戻る事にした。
「こんな所にいたか」
 廊下を歩いていると、やれやれといったふうに2人の研究員がやって来た。
「お前が何百人といれば、十分な戦力になるだろうな」
「7区の連中が、お前に遊び相手を造ってくれたぞ」
 日常会話のような、気楽な口調の話の奥に、アーミィは微かに危険を感じた。今まで何とも感じていなかった研究員の存在に、不安が芽生えていた。
 この施設に連れてこられたのだと、知った時から…。
 研究員に付いて来るように言われ、アーミィは無言で後を追った。
 2人の研究員は仲が良いらしく、下らない談笑をしながら歩く。
 聞いていた所で、自分には関係無いと知ると、アーミィは研究員たちの会話を意識から外した。
 2人の研究員が進んで行くのは、初めて通る廊下。とは言え、良く似た造りの無彩色の廊下が続いているだけだった。
 嫌でも視界に馴染んでしまった廊下を進んで行くと、大きな広い通路へと出る。
 あまり変わり映えの無い、廊下が広くなっただけのような大通路だった。
 その大通路の先を、見上げるような大きく重厚な鋼鉄のゲートが塞いでいる。
 片方の研究員が白衣のポケットからカードを取り出し、鋼鉄のゲートの左端になる端末にカードを翳と、赤いランプの点灯していたゲートが青いランプに変わり、重々しい音を立てながらゲートが開いた。
 その後も、大通路のゲートを数カ所通過し、施設内用輸送車も入れる大きなエレベーターに乗る。エレベーターは動いている事を、あまり感じさせなかった。
 広いとはいえ閉ざされた空間に、研究員の他愛のない会話が響く。
「あのジェノサイド博士って、知ってるか?」
 不意に、知っている名を耳にして、アーミィは2人の研究員話に耳を傾けた。
「あー。見た事はないが、11区の人だろ? 何してるのか知らないが、いろんな地区に顔出してるらしいな」
「一部の噂によると、本部関係者らしい」
「何で本部の関係者が、『TOOL』に来てるんだ?」
「さぁな。ジェノサイド博士と話した事がある奴が言ってたんだが、何考えてるのか解らない変な人らしい」
「本部と言ったら…、兵器の視察にでも来てるんじゃないか?」
「俺もそう思ったんだが…。そうではないような様子らしい」
「ははは。それじゃあ、本部から左遷されて来ただけなんじゃないか?」
 ゴウンと音がして、エレベーターが止まり、ドアが開く。
 ここでエレベーターから降りるのかと思い、アーミィは顔を上げたが、研究員は立ち止まったまま会話を続けている。
 開いたドアの先には、輸送車があった。
 ゆっくりと輸送車がエレベーターに入ると、正確なタイミングでドアが閉まる。再びエレベーターが動き出した。
 アーミィはすぐ隣に停車している輸送車を見る。運転席の無い、完全自動輸送車だった。
 アクリル板に囲まれたケージが3つと、水槽を積んでいる。それぞれには、大鷲に似た生物と、ライオンに似た生物、蠍に似た生物が入っているのが解った。水槽にも何か生物が入っているらしかったが、よく見えなかった。
 この施設には、動物を扱っている区域もあるのかもしれない。
 アーミィは、生きているのか死んでいるのかも解らない、動かない生物たちから目を離した。
「これは15区の…? 完成した…のか…?」
 研究員のひとりが、輸送車の積み荷を見て、緊張に震えた声をだす。
「まさか…」
 もうひとりの研究員が、馬鹿な事は言うなと呆れたように肩を上げる。しかし、その顔は明らかに引き攣っていた。
 その後、2人の間に会話は無く、重い空気に包まれた。
 数分くらいして、エレベーターが止まり、輸送車は開いたドアの先へと消えて行った。
 輸送車を降ろしたエレベーターが動き始めると、2人の研究員は、思い出したかのように、他愛のない雑談を再開する。
 気に留めるような内容では無い会話だったから、アーミィは視線を床に落とした。
 自分は、この施設が全てだと思っていた。
 研究員の命令は絶対に従い、あらゆる格闘技や暗殺術を体得していれば良かった。他のアーミーたちと戦って勝ち、生き残る事だけを考えていれば、それだけで良かった。
 けれど、自分はこの施設の外にいる双子の片割れで、無理矢理ここへ連れて来られたのだと教えてもらってから、今までの全ては何だったのか、疑問が浮かび始めた。
 …兵器。
 ああ、そうだ、兵器を造っているんだ。
 ふと、そんな事を思い出す。何の感慨も無く、アーミィは理解をしていた。
 兵器は誰よりも強くなくてはいけない。兵器を造る理由は知らないけれど、自分は兵器である事は、当たり前だった。
「ここだ。降りるぞ」
 研究員に声をかけられ、アーミィは顔を上げた。
 2人の後を追い、エレベーターから降りる。
 第7地区、と大きな文字で書かれている通路が見えた。
 ここが、7区。
 6区と変わらない、殺風景な無彩色の通路。
 微かに、獣の匂いと薬品の匂いが漂っている。どこからか聞こえる、何かの鳴き声。沢山の生物のいる気配がありありとする。
「死んだ同僚は、昔、この地区だったんだ」
「へぇ、そうだったのか。この地区は、6区や4区よりもずっと優秀な者たちの集まりだろう? 初代の高位生体兵器も、ここからの出だと聞いたぞ」
「そうなんだが…。ここの実験体に噛まれて、怖くなって6区へ来たんだ。だがな、噛んだ実験体が病気持ちで、感染してて・・・感染の拡大を防止する為に殺されたんだ」
「え…、そんな事…」
「正直…言うと、この地区は、あまり好きではない」
 苦笑いを浮かべながら話す研究員は、足早に通路を進み、岐路の廊下へと曲がる。
 アーミィは遅れないよう、小走りで2人の研究員を追った。
 曲がり入った廊下には、7区の研究員が立っていた。6区のものとは少しデザインの違う白衣を身に纏っていた。
「ようこそ第7地区へ」
 薄い笑みを口に浮かべ、7区の研究員は軽くお辞儀をする。
「これが、そうです」
 と、研究員がアーミィを前へ促す。
 7区の研究員の前へ出されたアーミィは、俯き加減に7区の研究員を見上げた。興味深そうな視線が降りてくる。
「ほう、これが6区の完成品かね」
 7区の研究員は身を屈めて、アーミィと目線を合わせる。
 まじまじと顔を見詰めた後は、ぺたぺたと腕や肩を叩いてきた。
「優良そうだね」
 ひとり満足そうに呟く、7区の研究員。
「では、こちらへ…」
 7区の研究員は先導を始めた。
 アーミィは、3人になった白衣の大人の後ろを歩く。
 獣のような声が、遠く、近く、聞こえる廊下。
 6区に比べて、研究員の人数も多いらしく、廊下で何人もすれ違った。
 先を歩く7区の研究員の後ろで、2人の研究員は小声で会話を始めた。
「全然違う雰囲気の地区だな。随分と、実験体の数が多そうな所だ」
「ここは、マッドサイエンティストの集まりだって話だ。かなり力を入れている地区らしいぞ。一部では、神の具現化の実験もしているらしい。・・・ここは…我々の地区よりも酷い事をしてるんじゃないか?」
「そう…かもな…」
 複雑な表情を浮かべている研究員の横顔を見ていたアーミィだったが、あちこちで聞こえる動物のような鳴き声の方が気になって、歩きながら空いているドアの奥を覗き始めた。
 部屋の中に、たくさんのケージが積まれているのが見える。ケージは空であったり、動物が入ってた。
 ケージの中の生物は、図鑑に載っている動物たちの姿があったが、一体何なのか名称が浮かばない、明らかに人為的な遺伝子操作で生まれたような生き物の姿もあった。
 異形な姿の動物に、アーミィは、恐怖よりも、哀感を抱いた。自身の事でなく、他の者に対して感情を持つのは、自分でも驚くくらい珍しい事だった。
 …それほど、惨烈な姿をしている生物だった。
 生物たちに気を取られ、研究員たちとの距離が遠くなっているのに気付いて、アーミィは早足で研究員たちに近づく。
 アーミィが研究員たちとの距離を詰めた丁度その時、7区の研究員が他とは少し色の違うドアの前で足を止めた。
「こちらの部屋が武器庫。その奥の部屋が戦闘場所です。6区に合わせて造らせました」
 7区の研究員は、ドアに取り付けてあるカードリーダーに、カードを翳してロックを解除する。
「さぁ、どうぞ、6区の兵器。好きな武器を持って、奥の部屋で暴れておいで」
 7区の研究員が、気味が悪いくらいの、にこやかな笑顔を向ける。その笑顔が、上辺だけのものだと、アーミィはすぐに解った。
「隣がモニター室です。こちらへどうぞ」
そう言い、7区の研究員は、隣のドアを開けて、部屋に入って行った。
 7区の研究員の姿が消えると、6区の研究員のひとりが、武器倉庫のドア前に立っているアーミィに声をかけた。
「アーミィ、ターゲット撃破して、その一部を持ち帰って来い」
「おい、そんな事…」
 もうひとりの研究員が制止に入る。
「こちらの研究に役立つかもしれないだろ?」
「しかし…」
「他の地区のサンプルが手に入るかもしれないんだ。こんな機会、滅多にないじゃないか」
 言葉を詰まらせる相方を宥め、研究員はアーミィに向き直った。
「いいか、7区に気付かれないように、持ち帰るんだぞ。危険な場合は、中止しろ。お前は大事な完成品なのだから」
 アーミィは、研究員の言葉に頷いた。
 命令だ…。久しぶりの。
 全身の毛が逆立つように、殺気が湧いてくる。
「行け。ミッションスタート」
 合い言葉のような、始まりの合図。毎日のように聞いていた、戦闘訓練開始の言葉。
 その言葉を聞き終わるか終わらないかの内に、アーミィは動き出した。
 入った部屋は、6区の武器倉庫よりは、だいぶ狭かった。とは言え、その整然と並ぶ銃器の光景に、ふつふつと戦闘訓練を思い出す。自分の眼光が鋭くなるのを自覚した。
 アーミィは武器庫内を駆け足で見て回り、自分が良く使用していたものと同じ銃を見つけ、走りながら手に取る。
 程良い重さの…同年の普通の者には重く感じるであろう重さが手に馴染んで、微かな安心感をくれた。
 次はライフルを掴み取って背負った。走る勢いはそのままに、反対の棚にある手榴弾を麻袋に6個入れる。最後にサバイバルナイフを握った。
 6区で他のアーミーたちを倒していた時は、サバイバルナイフと拳銃一丁で事足りていた。
 けれど、今回は相手が全くの不明。どんな戦略が有効で、相手がどんな戦闘術を有しているのかも解らない。
 それでも、アーミィは、大抵の相手には負ける気がしなかった。
 ターゲットの撃破と、その一部を持ち帰る。
 これが、命令。
 命令は、絶対なのだから。
 部屋を縦断するように走り抜けた先に、もうひとつのドア。
 この先で、戦闘がある。
 アーミィは、ドアの前で止まり、大きく深呼吸をしてから、慎重にドアを開けた。
 薄暗い武器倉庫とは一転して、明るい…6区の偽造都市と似た空間が広がっていた。
 6区の偽造都市と比べて少し狭い広さではあったけど、造りは良く似ている。
 7区の研究員が言っていた「6区に合わせて造らせました」とは、この事なのかもしれない。
 アーミィは良く似た雰囲気の偽造都市を見回った。
 相手に見つかる前に、相手を見つけなければいけない。
 気配と息を殺し、ビルの壁に沿いながら、周囲に注意を払う。
 そんなアーミィの予想を裏切り、ターゲットは堂々と気配をまき散らしていた。
 向かいのビルの先に見える、生物というには、あまりにも歪な姿。
 3メートル程の高さの小さな山のような形に、巨大な虫の足に似たものが沢山生えている。慣れていないようで、虫のような足はぶつかり、絡まりそうになりながら、覚束無い足取りだった。
 視界が悪いのか、障害物に対する意識が低いのか解らないが、何度もビルの壁に身体の端をぶつけながら、その度に方向角度を変えて進んでいる。
 アーミィは目を大きく開けて、不気味な生物を凝視した。
 自分の知識の中に無い、得体の知れない生物。7区の廊下を通っている時に見た不気味な生物とはまた違う、奇妙な生物。
 あれは…、弾丸や手榴弾の効く類いのものなのだろうか。
 だが、研究員に言われたのだから絶対命令であり、ターゲットを倒すミッションは必ず成功させなければいけない。
 アーミィは、十分に間合いをとりながら、ターゲットに近づいた。
 化け物のような標的は、想像以上に鈍重で、こちらの存在には全く気付いていない。
 それでも、まずは様子を見た方が良いだろうと思い、アーミィはターゲットが向かう先にあるビルに先回りして、外付けの非常階段を駆け上がった。
 3階の高さでビル内に入り、窓を開けてターゲットを見下ろす。
 のろのろした動きに狙いをつけるのは、いとも簡単な事だった。手榴弾のピンを抜いて、投げ付ける。窓から首を退くと、間もなくして爆発音が響く。
 慎重に窓から顔を出してみると、ターゲットは沈黙して、その場に停滞していた。
 直撃であったと思われる箇所は、ぶすぶすと煙が上がっている。
 致命的なダメージとは思えないが、死んだのだろうか。
 知識内にある生物なら、どの程度の殺傷になれば死に至るか大体は知れている。しかし、想像を絶するような見た事もない生物が相手では、全く見当もつかない。
 何の反応も無いまま、数分が過ぎた。
 アーミィはライフルを構え、ターゲットの身体の中心辺りに銃口を向ける。
 乾いた音とほぼ同時、狙った通りの場所に、弾丸が食い込んだ。
 血とは言い難い、青い蛍光色の液体が吹き出す。
 確かなダメージである事は、液体の量から解るものの、それでもターゲットに何の動きも無かった。見た目の不気味さとは相反して、生命力の強い生物ではないのかもしれない。
 ターゲットの一部を持ち帰るように言われていたのを思い出し、アーミィは一階に降りて、動かなくなった生物に近づいた。
 近くで見れば、増々気味が悪い生物だった。
 視覚や聴覚に使われていそうな器官らしきものは無く、僅かに湿り気のあるごつごつした表面が広がっているだけの皮膚。
 虫のような足は、かなり堅い外殻らしい事が見た目ですぐに理解できた。とても一部だけ持ち帰られるようなものではない。
 アーミィはサバイバルナイフを取り出して、ぎゅっと握りしめた。
 ごつごつした皮膚に、刃先を突きつける。
 その瞬間、ごつごつとした皮膚の山いっぱいに、大きな目が開いた。
 …いや、一瞬目だと思ったのは、人間の顔だった。たくさんの顔。その顔たちは、見覚えのあるものばかりだった。
 6区の、自分が倒してきた、アーミーたちの顔。
 その顔が、一斉に、アーミィを虚ろな眼差しを浴びせている。
 
 我々の地区よりも酷い事をしてるんじゃないか?
 
 研究員の言葉が、頭に響いた。
 みんな、何故こんな事に。
 今まで戦って生き残ってきたのは…。
 こんな姿になる為に、強くなってきたんだろうか。
「っ…」
 サバイバルナイフを持った左手首が締まる感覚に、アーミィは動かない身体のまま、何とか目だけ動かして、自分の手首を見た。
 腕…だろうか。
 木の皮のようにゴツゴツとした表面に、鉄骨やコードなどの配線が所々に剥き出しになっている。全体的な形こそ腕のように見えるが、人の腕と言うには程遠いものだった。
 それが、手首を強い力で掴んでいた。
「オマエモ…、コッチヘコイ…」
 声というよりは、音に近いような言葉が聞こえた。
 ぞわり。
 全身に鳥肌が立つような悪寒。爆発しそうなくらいに動く心臓。
 逃げろ、逃げろ…と、心の中で叫んでも、身体は固まったまま、時間を忘れたかように動けなかった。
 腕のようなものは、1本、また1本と生え、次々に身体を掴んでくる。
 アーミィは、力の限り叫んだ。
 視界が、段々と白く染まっていった。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 16

 人間に造られて、有益なら人間に使われ、無益なら処分される。
 それが当たり前の虚無世界。
 そんなこの世界から逃げ出したいという、そんな想いから全てが大きく変わり始めたような気がする。
 グラビティは、廊下を走っていた。
 エレクトロとの通信が途絶えて、急に心配になったから、またエレクトロの所へ行こうと決めた。
 エレクトロのいる部屋までの道のりは、決して短くはないけど、道順は完全に頭に入っていた。
 それなのに…。
 通路のあるはずの所には鋼鉄の壁、壁だった所が通路になっている場所が多く、進むにつれて方向感覚が狂ってしまった。
 生き物のように姿を変える、この建物。
 それは、全てエレクトロの一部であるから。
 道が解らなくなってしまったが、不思議と不安は無い。
 グラビティは確信していた。エレクトロが、通路を操作している事を。
 作り替えられた廊下を進みながら、時々、自分の耳の中にあるエレクトロのカケラに声をかけてみるが、エレクトロの返事は無かった。
 研究員と出くわす事もなく、遠回りしながらも、見覚えのある場所へと着いた。
 足を止めたのは、一際頑丈そうな鋼鉄の扉の前。
 この奥にいるのが、この施設の管理者。全てを知っていて、でもそれが何なのかは解らない存在。
 友達…というよりは『同類』に近い。そんな存在だと思う。
 扉の前に立つと、音も無く扉が開いた。
 薄暗くて灰色の世界が広がる。
 その無機質な部屋には大きな筒状のガラスが置いてあり、中には薄い緑色の溶液が詰まっていた。
 見なれないそれに、グラビティはゆっくり近付いた。
 中で何十本ものコードに繋がれながら、胎児のように逆さまに漂っている紅色の髪のエレクトロがいる。
 こんなのは、初めて見た。
 グラビティは異様な雰囲気を感じて暫く見とれていたが、ぺちぺちとガラスを叩いてみた。
 すると、薄らと目を開けた。死んでいる訳ではないらしい。グラビティの姿を確認すると、少し眠た気にまだ作り慣れていない笑顔を見せた。
「なぁ、エレクトロ。こんな水ん中で、何してんだ?」
 そう問いかけると、ごぼごぼと空気を吐きながら口を開いたが、何を言っているのかさっぱり聞こえない。
「何? 聞こえねぇよ」
 顔をしかめると、エレクトロは少しぎこちない動きで部屋の右側を指差した。
 そこには、以前来た時には無かったモニターの機械が置いてある。
 そこへ近付いてみると、モニターに文字が表示された。
 エレクトロと会話する為に、研究員が設置したものなのだろう。
 でも。
「オレ、字ぃ、読めねぇんだけど?」
 エレクトロが悪い訳ではないが、不貞腐れた顔で文句を言う。
 エレクトロは、反対側の方を指差した。さっきとは違う機器が並んでいる。
 その中の一つにスピーカーが付いていた。
『グラビティ、元気か?』
 突然の合成音声にドキっとした。
 エレクトロの声では無いが、エレクトロの言葉なのだとグラビティは理解した。
『第7区のメインコンピュータがハッキングされた。データの流出とクラッシュは防いだが、俺は声帯と左腕を失った』
 沢山のコードで隠れていたが、良く見るとエレクトロの左腕は、ぼこぼこした肉塊にコードや金属の破片が絡むような感じになっている。
 とても腕には見えないものだった。
 それを見て、グラビティは、自分の耳にあるエレクトロのカケラが、どうして返事をしなかったのかが分かった。
『この培養液の中は、細胞が活性化する養分が入っているし、ナノマシンが効率良く増殖できる微弱な電流が流してあるから、修復が早い。グラビティに渡した通信機も、もう暫くすれば直る』
「何でンな遠くのモンが壊れそうになっただけで、お前が怪我すんだよ」
 第7区はグラビティが生まれた地区。ここからは、随分と離れている。
『メインコンピュータを守らなければならない。こちらにハッキングを転送した方が被害が少ない。俺は他のコンピュータと違って自己修復ができるから』
「別に、ヨソのが壊れても、エレクトロには関係ねぇだろ」
『けれど、俺がやらなければならない。俺にしか出来ないと言っていた』
「あぁ、そ…」
 エレクトロは人間の言う事を聞く。グラビティには理解出来ないことだった。
 第2区施設で、天才マシンが造られた。
 以前、研究員がそんな会話をしていたのを思い出す。
 この施設の全てのコンピュータを統括する、優秀な機械人形だと言っていた。
 多分、エレクトロの事だと思う。
 でも、グラビティから見れば自分と似たような子供にしか見えない。
「…今日はよく喋ってくれんだな」
 いつもエレクトロは口数が少なくて、質問した事に最低限しか答えてはくれないのに。
『身体の修復の為、代行コンピュータが2割くらい演算を負担している。少し…楽だ。他の事も考えられる』
「何か分かんねーけど、大変そうだな」
『心配してくれているのか? 嬉しいな』
 そう言って、エレクトロは笑った。
 子供が見せる、自然な笑顔だった。
「お前、今日、変…」
 グラビティは首を傾げた。いつもと違う雰囲気なのは、身体を治すための異様な様態だけでは無い気がする。
 変だけど、こっちのエレクトロの方が良いと思う。
『変? 逆さまだからか?』
 溶液の中でエレクトロが身じろいだ。体勢を直そうとしたのだろうが、コードが絡まるらしく、すぐに動くのを止めた。
『この状態で研究員に入れられたから…』
「まぁ、居心地は悪そーだな」
 逆さまだから変なのでは無いはず。
 何か、こう。今まで見知っていたエレクトロよりも、生き生きしている気がする。
 機械ではなく、本当に生き物のように感じる。
「出たいか?」
『狭いし、動きにくい。でも、出ても俺は自分で喋れないし、左腕も言う事を聞いてくれないだろうな』
「どっちなんだよ」
『出たい』
 ガシャン!
 エレクトロが言い終わる前に、グラビティは溶液のガラスを叩き割った。
 ざぁ…と薄緑色の液体が白い床に広がる。
 ビーッ! ビーッ! ビーッ!
 途端に、警告音がなり始めた。
 グラビティは、ハッとして、青ざめる。
「ヤベ…」
 後先考えずに行動してしまう事があるのは、自分の性分だと分かってはいるのだが…。
 今回のは、あまりにも失敗だと思った。
 せっかく抜け出して来たのに、これでは自分からここに居ると研究員に教えるようなものではないか。
 慌てて辺りをウロウロするグラビティを横目に、エレクトロはガラスケースから這い出る。
 慣れた手付きで体中に繋がるコードを、数本だけ残して抜いて、一瞬だけ目を細めた。
 それと同時に、轟音に近い警告音はぱったりと止まった。
「あれ…?」
 グラビティは目をぱちぱちする。
 エレクトロはゆっくりとした足取りで歩く。左腕から、肉塊や、鉄の破片がぼとりぼとりと落ちるのを見て、グラビティは顔をしかめた。
 落ちた肉塊や鉄の破片は、まだ生きているらしく、もぞもぞと動きながら、お互いに寄り合って元の形に戻ろうとしているみたいだった。
 気持ち悪く無いわけがない。グラビティは視界に入らないように目を逸らした。
 エレクトロはグラビティと会話していたスピーカーに近付くと、後頭部に繋がっているコードをそのスピーカーの後側に接続する。
『警報は止めた』
「…え?」
『何人か、警報に気付いたみたいだが、誤作動として報告したから、大丈夫』
 そう言って、エレクトロはモニターの方に目を向けた。
 何か赤い文字が光っていたが、グラビティには読めなかった。
『代行コンピュータのお陰で、電子頭脳のメモリが余っているなんて、そうは無い機会だと思う。折角だから、グラビティと話がしたい』
 エレクトロはグラビティに向き直った。
『今、第6区施設で新しい生物兵器の発表をしている。だから、殆どの研究員は第6区に行っている』
「生物兵器?」
 嫌な感じがする。
 もしかしたら、自分やエレクトロと同じような境遇にいる者が増えたかもしれないから。
 そう思うと、異常な嫌悪を感じる。その兵器にではなくて、人間に。
『DNA操作で、超人的な力を持つ人間を造る実験が成功したみたいだ。テスト結果も想像以上の好成績。…異常な結果だ。平均的な人間の身体能力を凌駕している』
「超人…?」
『でも、俺やグラビティよりは人間に近い存在だ』
「だろうな」
『第4区で、その生物兵器のクローンを造る計画も出ている。量産して軍隊を編成する目的だ』
「良く知ってんな、エレクトロ」
『俺が全地区のデータを管理しているから。グラビティの事も知っている』
「あー、オレのコトはオレの前で言うなよ。何と混ぜて生まれたかなんて知りたくねェし、遊びで造られたってのは知ってるからな」
 胸くそ悪ィ。…とグラビティは言い捨てた。
 人間なんて嫌いだ。
「逃げ出してェな…」
『…この施設から?』
「ああ、ここの人間のいない所がいい」
『施設内のものは全て外部に出すなと言われている。データも、人も、実験体も』
「その固い考えが無けりゃなぁ…」
 グラビティは苦笑した。
 第7区の実験室からここまで来るのに警報が鳴らないのは、エレクトロのお陰。
 それと同時に、自分が施設から逃げだせないのは、エレクトロの仕業。
 施設内のあらゆる所に張り巡らされた監視ネットワークが、どんなに小さな事でもエレクトロの所に送信される。
 誰がどこで何をしているのかも、瞬時に知られてしまう。
 でもエレクトロが憎いと思った事は無い。ただ、そういう風に、人間に都合のいいようになるようにされてきただけなのだから。
 エレクトロだってきっと被害者だ。それくらいは分かっている。
 だから、グラビティは心に決めた。エレクトロと一緒にここから逃げようと。
 それにはまず、ここの人間にいいように利用されている事がどういう事なのかを、エレクトロに解ってもらわなければならない。今のエレクトロでは、人間に従順すぎる。
 しかし、グラビティには、エレクトロを説き伏せる程の知識も、説得力も持ち合わせてはいなかった。
 ここから出る為の手立てが、まだ足りない。それが何なのかは、解らないけれど。
「エレクトロは、出たいと思わねぇの?」
『…解らない。そういう事はプログラムされていない』
 でも…、と言葉を区切るエレクトロ。
『グラビティが前に言っていた、本物の空を見てみたい』
「空…か」
 グラビティはあの時の事を思い出す。
 この施設の出口から見えた、広い広い青色。白でも灰色でもない、綺麗な色。
 出口まで辿り着いて、結局は研究員に捕まったけれど、あの時の色は鮮明に覚えている。
『画像データとしての空じゃなくて、本物の。研究員にお願いした事があったが、必要無いと言われた』
「役に立ってるお前にすら、そんな態度かよ」
 グラビティは、はっと呆れた声を出した。
『でも、必要な無いと言われたのだから、必要無いものなんだろう?』
「お前・・・」
 次の言葉が浮かばなくて、グラビティは焦れったく頭を抱えた。
 不安げな顔で、エレクトロが見詰めてくる。
 グラビティは脳内の少ない語彙から言葉を考えたが、答えになるようなものは見つけられなかった。
「研究員の言う事なんか、聞かなくていいんだよ! お前が見たいんだろ? それで十分じゃねぇか」
『必要無いのに、見る必要があるのか?』
「見たいなら、見る必要があるんだよ!」
『うーん…』
「そこ悩むトコじゃねぇだろ」
『グラビティの言う事は難しい…』
「オレは、エレクトロの考え方が難しいっての」
 ぼりぼりと頭を掻いて、グラビティは溜め息を付いた。
 困惑の表情を浮かべるエレクトロを、ちらりと見てから目線を逸らす。
 部屋の殆どを埋め尽くす大きな機械が嫌でも目に入った。
『グラビティ…』
「何だよ」
『第6区の発表が終わった。研究員が戻って来る。このまま施設から逃げるのを続けるのか? それとも、第7区に戻るのか?』
「…逃げても、どうせ逃げ道を塞いでオレの居場所を言うんだろ?」
『そうしなければいけない』
「やっぱり?」
 グラビティは苦笑して立ち上がった。
「とりあえず、7区に戻るぜ。その超人ってのも気になるからな」
『解った。…第5区の地下を通って戻れば、研究員との接触確率は0.6%だ』
「第5区? あそこは、いつも人だらけじゃねぇか」
『ゲートが封鎖されたままになっている』
「まさか…オレ以外に、逃げ出せたヤツがいるのか!?」
 グラビティは目を丸くして、エレクトロに詰め寄った。
『第3区の実験体が逃げ出した』
「…いつだ!?」
『2時間12分前。その43分後に…射殺された』
「…そうか。そうだよなぁ…」
 グラビティは、諦めた苦笑を浮かべた。
 ほんの少しだけ期待してみたのに。やっぱり期待なんてするもんじゃない。
 逆らえば殺される。そんな世界だ。
 殺されるのが恐くて、逃げ出そうとするヤツなんていやしない。
 稀に逃げ出す者がいても、その末路は死でしかない。
 自分は、たまたま重力を操る能力のお陰で、生かされているだけ。
『グラビティは、一緒に逃げる仲間が欲しかったのか?』
「その根性のあるヤツとな…」
 グラビティは小さく言って、部屋の出口の方を向いた。
『グラビティが第5区の地下に着いたら、地下の全てのゲートを開ける。第5区を過ぎたら、第7区までは第11区を経由して戻る方がいい』
「分かった…。じゃあな、エレクトロ」
 無機質な部屋を後にする。
『グラビティ』
「ん?」
 部屋を出る寸前、エレクトロに呼び止められて、グラビティは振り返った。
 薄暗い部屋の中、エレクトロの紅色の髪がやたらと目を引いた。
『俺は…本物の空を見る事が、必要な事だと思っていてもいいのか?』
 少し躊躇いがちに、エレクトロが言った。
「当り前だろ」
 にっと笑うグラビティ。
「一緒に見ようぜ!」
 グラビティは、笑顔で軽く手を挙げて、部屋を出た。
 広い広い施設であるせいで、内部を詳しく知る関係者ですら、迷う事が多いのだろう。廊下には、時々、簡易的な道標が画かれていた。
 エレクトロが居るこの2区は、他の地区の壁には道標が画かれていない。その意味が、グラビティには理解できた。
 エレクトロは、内部の者ですら、広く知られてはいけない存在なのだろう。2区とされている場所は、エレクトロのいる部屋と、その両隣りの合わせて4部屋までらしい。この施設の大きさから考えると、あまりにも狭い空間だった。
 数字くらいなら読めるグラビティは、道標に従って、5区へ向かう。
 もし迷ったとしても、研究員に会いそうになっても、きっとエレクトロが通路を操作してくれるかもしれない。
 そんな安心感はあったが、グラビティはそれでも、研究員の気配を探りながら、慎重に進んだ。
 神経を研ぎすましてはいても、頭の中はいつも色々な思考が、ぐるぐると渦を巻くように、現れては消える泡のように混沌としていた。
 本当に、この施設から出られるのか。その時、エレクトロはどうするのか。
 ジェノサイドとかいうヤツは本当に信用していいのか。
 ジェノサイドが、神様と呼んだ黒い翼の者は、もしかしたら、遠い過去に忘れてしまった自分の知り合いなのではないだろうか。
 7区の部屋にある、もの凄い早さで成長している胎児は、どうなるのか。
 6区に生まれた超人は…。
 エレクトロが、この施設から出たら、この施設はどうなるんだろうか。エレクトロの一部だという事は知っている。自分の一部から、離れられるんだろうか。もし、離れられなかったら…?
 いくら考えても、答えの見つからない事ばかり。
 グラビティは、いつも決まって、考えるのをやめてしまう。
 きっと、考えるより、行動して結果を見つけた方が、自分には合ってるんだと思う。
 冷めた廊下は、延々と続いていて、本当に外があるのかどうか疑わしく思える。
 あの時に見た空というのは、本当に空だったのだろうか。自分が信じていたものすら、崩れそうなくらいだった。
 長い間進み続けて、階段を上り下り、5区の地下に入った。
 5区には、かすかに硝煙と血の匂いが残っていた。エレクトロの言った通り、ここで実験体が射殺されたのだろう。
 人の気配は全くと言っていい程、無かった。
 ごうんと、重い音がして、グラビティは驚いて思わず飛び上がった。
 封鎖されていた鉄の壁が、ゆっくりと上がっていくのを見て、ふうと息を吐く。
 エレクトロが、通路を開け始めたらしい。
 グラビティは、誘われるように、ゲートが開く方の通路を進んで行った。
 5区は他と比べて比較的狭い地区らしく、思っていたよりもずっと通り早く抜けた。
 壁の道標を見て、11の数字を見つけると、それが指し示す通路へ足を向ける。
 グラビティは道標を見て、ふと思った。
 1区は、どこだろう。
 エレクトロと同じく、知られてはいけない地区なのだろうか。1区を示すものは、今まで見た事がなかった。
 1という数字が、最初だったり、最上だったりを意味する事くらいは何となく知っている。
「1区って…どこだ…」
 ぽつりと出た言葉。
“俺にも、それが何処なのかは解らない”
「うへぁ!」
 突然、耳から聞こえたエレクトロの声に、グラビティは間の抜けた声を上げた。
 どうやら、耳の中にあるエレクトロのカケラが治ったらしい。
「お、おい、治ったんなら、先に言ってくれよ。ビックリするじゃねぇか」
 痛むくらい鼓動が大きい胸を押さえて、グラビティはエレクトロに文句を言う。文句は言ったが、嬉しかった。
「良かったな、怪我治ったのか?」
“声帯と通信機の修復は完了した”
「…腕は、どうしたよ」
 グラビティは、とても腕とは思えないカタチだったエレクトロの腕を思い出す。
“腕は、まだだ。完全には直らないかもしれない”
「何でだよ、お前だったら、どんな怪我でも治るんじゃねぇのか?」
“皮膚が上手く結合できないらしい。生体皮膚の回復は不可能だと判断した。代わりに、金属外皮にする”
「鉄じゃ、冷たいだろ」
 そう言っておきながら、グラビティは、つまらない事を言ってしまったと、心の中で舌打ちした。
 エレクトロにとっては、鉄は身体の一部みたいなものだから。
「さっきの話だけどよ」
 すぐさま、話題を変える。
「お前でも、1区は知らねぇのか?」
“データにはある。でもパスワードがかかっていて開けない。俺も、このパスワードは知らない”
「意味がわからねぇ…。記憶はあるのに、思い出せねぇってことか?」
“そういう事になるかもしれない”
「そうか」
 グラビティは、そういうものかと、納得した。
 エレクトロにも、思い出せないデータというものがあるらしい。
“グラビティ、その通路は左ではなく、右だ”
「え…」
 エレクトロとの会話ができるようになって、すっかり安心してしまったグラビティは、何も考えずに見知らぬ通路を通っていたのだが、エレクトロに言われて、身を引き締めた。
 気を配りながら右側へ移動する。
“そこで、少し止まっていてくれ”
 エレクトロに言われ、グラビティが足を止めると、左側の通路の先のドアから、2人の研究員が出て来た。
 その研究員たちは、無駄話は一切しないまま、無表情で歩き、グラビティが通って来た通路を戻るように歩いて行った。
“もう、大丈夫だ。左の通路を進んでくれ”
「おう」
 研究員たちの後ろ姿が消えたのを確認して、左の通路へ戻る。
“グラビティ、まずい。さっきの研究員が戻って来た。忘れ物をしたらしい”
「おいおい! 何だよそれ」
 グラビティは慌てて…しかし、慌てた所で、どうして良いものか分からない。
“今そこから戻ると、見つかる。グラビティ、そのまま通路を進んで、4つ目の部屋に入ってくれ。その部屋に、研究員はいない。ドアのロックは解除しておく”
「分かった」
 急いで通路を進み、4つ目のドアを開けて飛び込むと、ドアを閉じた。
 ドアに背もたれたまま、グラビティはふうと息を吐く。
 部屋の中には、研究員は居なかった。
 研究員はいなかったが、子供がいた。
「・・・あ…」
 その子供と目が合い、グラビティは目と口を大きく開けた。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 15

 結局、第2地区の場所は解らず、ギガデリックは納得のいかない足取りで戻る事にした。迷子にならずに戻れるのは、いつも傍らに浮かんでいる目玉型メカのお陰だった。
 広い。この施設は広過ぎる。闇雲に進んでも目的の場所に行き着けない。
 そんな苛立ちはあったが、新しい発見もあったりして、少なからず楽しんではいるのだけれど。
 とりあえず、ジェノサイドの部屋に行こうと思う。
「ジェノ兄だ…」
 大きな廊下を右に曲がった所で、広い吹き抜けの向こう側の通路に、3人の研究員に連れられているジェノサイドの姿が見えた。
「じぇーのーにぃー!」
 大声で呼ぶと、ジェノサイドはこちらに気づいて、手を振ってきた。
「ギガくーん! こんな時間に、散歩~?」
「んー。ま、そんな感じ。ジェノ兄こそ、どこ行くんだ?」
 ジェノサイドが他の研究員と出かけるなんて、ギガデリックにとっては初めて見る光景だった。
「僕は、これから、研究のお手伝いだよ」
「えー! 今からジェノ兄んとこ行く気だったんだぜ。遊べねーじゃん」
「ゴメンネ~。ホリックとじゃダメ?」
「ヤだ! アイツ、気持ち悪ィ!」
「あはは…嫌われてるねー」
 ジェノサイドは肩を竦めて、くくっと笑った。
「なぁ、オレも、一緒に見に行っていいだろ?」
「ダ~メ。僕の研究はアブナイから。明日なら部屋にいるから、明日おいでよ~。ね?」
 ジェノサイドが苦笑する。そしてそのまま別れを告げると、研究員たちと行ってしまった。
 つまんねー…と、文句を垂れて、ギガデリックは仕方なく自分の部屋に戻る事にした。
 数日前から、毎日のように部屋から出て歩き回っていたから、ちょっと疲れていたし。戻って寝よう。
 そう思って、軽く伸びをした、…が。
 突然、ギガデリックは、ジェノサイドたちが進んで行った通路の方へ振り向いた。
「オレに、嘘つきやがった…?」
 黄色いゴーグルの奥の目は、嘘をついていたのかどうかなんて、見えなかったけど。
 研究の手伝いだと言った。
 でもその後に、僕の研究だと言っていた。
 その言葉の違いに、ギガデリックは感付いた。
「オレに嘘ついてんだから、ホントのコト教えてもらわねーと。…なぁ?」
 傍らに浮かぶ一抱えの大きさの目玉に、目線を送る。
 目玉型メカは、返答に困ったように、ゆっくりと傾いた。
「よし、追うぞ」
 ギガデリックは目玉メカの上に乗って広い吹き抜けを飛び越えると、ジェノサイドたちの後を追いかけた。
 長い廊下の先で見失いそうになれば慎重に距離を詰め、廊下を曲がれば身を隠してその先の様子を伺う。
 ジェノサイドは、始めの頃はちらりちらりと、後ろを振り返っていた。
 やっぱり、気にしているらしい。
 その様子で、ギガデリックはジェノサイドの嘘を確信した。
 10分くらい尾行していると、やがてジェノサイドは振り向かなくなった。追われていないと思い込んで安心したらしい。こっちとしては、追いやすくなった。
 ジェノサイドと研究員たちが進んで行くのは、人通りの無い廊下だった。普段から、あまり使われていないような、冷たいくらい静かな場所。
 鋼鉄のゲートも何度か通り抜けたが、機械を操れるギガデリックにとって、そのゲートを開くパスワードを知る必要は無かった。機械に命令して、開けさせればいいだけの事。
 それからまたしばらく進んだ。もう、どこの地区を歩いているのか、分からない。どこまで進んでも同じような灰色の壁ばかりで、代わり映えしない風景に、ギガデリックは飽きてきた。
「!」
 廊下を曲がった先の間近に白衣が見えたから、ギガデリックは慌てて身体を退いた。
 尾行に気付いていない事を知って、距離を意識しなくなっていたから、想像以上に距離を詰めてしまっていたらしい。
 どうやら、ここが終点みたいだった。
 狭い部屋。何に使うのか解らない機械が並んでいた。その奥には分厚いガラスで遮られた広い部屋があった。
 ガラスの奥の広い部屋の更に奥に、電柱くらいの太さがある鉄格子があり、その先には想像を絶するようなバケモノが蠢いていた。大きく裂けた口から剥き出す不格好な大牙、5つもある大小の目。枯れ木のように細く枝分れした、2本の大きな腕のような一部。腐りきってドロドロとした下半身。
 その鉄格子の前に、白い検査衣に身を包んだジェノサイドが歩いて現れた。色素の薄い髪と肌に、その白さは反って、目立って見える。身体にはいくつもの計測器のコードが繋がっていた。
 何だろう。と、ギガデリックは顔を顰めた。実験というのは、そこにいる気味悪いバケモノを…実験体を調べることだろう?
 研究員のひとりがガラスの奥の部屋に入り、ジェノサイドの斜後ろに近付いて、そっとジェノサイドの黄色いゴーグルに手をかける。
 ギガデリックは、以前ジェノサイドの部屋に行った時のことを思い出す。
 珍しくジェノサイドが眠っていたものだから、悪戯心にゴーグルを取ろうとした。パァンと手を叩かれて、その一瞬の出来事に硬直していると、ジェノサイドは顔色を変えて謝ってきた。「ゴメンね、ゴメンね」と、ウザったいくらいに謝っていた。
 あの日から、ジェノサイドのゴーグルについては触れないようにしていたのに。よっぽど、顔を見られるのが嫌なんだと思っていたのに。
 それなのに。
 研究員に素直に取らせたジェノサイドに、ギガデリックは複雑な気持ちになった。
 ジェノサイドのゴーグルを取った研究員は、分厚いガラスの端にある小さいドアから、機械の並ぶ狭い部屋に戻り、ガラス越しにジェノサイドの方を見る。
「やれ」
 研究員が低い声で言うと、びくっと身体を震わせて、ジェノサイドはゆっくりと前傾姿勢をとった。ジェノサイドの長めの前髪のせいで目は見えなかった。
 地響きのような低い音とともに、太い鉄格子が上がっていく。
 あっと言う間とは、こういう事を言うのかもしれない。
 ギガデリックは、その光景を理解できずに、ただ見入っていた。
 人間とは思えない速さで、人間では無い何かに飛びかかって・・・砕けるような音と、金属を擦るような不快な叫び声がした。
 巨大なバケモノは、黒い煙を吹き上げながら、見る見るうちに蒸発していった。
 消え去るバケモノを前に、ジェノサイドはふらりと後退すると、大きく肩を上下させて咳をする。
「はぁ…はっ…ゲホッ」
 押さえた口から、血が出ているのが見えた。
 それを見て、ギガデリックは我に返った。
「データを採るにはまだ不足だ。もう一度やれ」
 機械の前で何が作業をしながら、研究員のひとりが言った。
 あんなに苦しそうにして、血まで吐いているというのに、まだやらせる気なのか。
「どうした。早くしろ」
「っ…」
 研究員に言われ、ジェノサイドはふらふらしながら、態勢を立て直す。
 鉄格子の奥に、さっきとは違うバケモノの影が現れた。さっきの大きなバケモノとは違い、人間よりひと回り大きい程度の狼人間に似たバケモノ。
 そのバケモノはジェノサイドを見るなり物凄い勢いで飛びかかってきた。とても生き物とは思えないくらいのスピードで。
 ジェノサイドは、はっと顔を上げ、襲いかかって来た狼人間の頭を片手で掴むように手をかざす。
 バン!…と、狼人間の頭が砕けた。ビクビクと身体を痙攣させて、バケモノが床に倒れる。倒れたバケモノはぶくぶくと泡となって消えた。
「…っぐ、…ゲホッ…ゲホッ!」
 また大きく咳き込んで、血を吐く。さっきよりも大量に。
 ジェノサイドは自分の身体を抱くように身を屈めると、ふらりとその場に倒れた。
「いつ見ても…、化物以上の魔物だな」
「今のは、初めて見る波形のようだ」
「まだ、計測するには不足だ。叩き起こせ」
 研究員たちがブツブツと言う。
 心に何かぶつかるような衝撃に、気が付くとギガデリックは観測室に飛び込んでいた。
 出入り口に一番近かった研究員を思いっきり殴る。
「何だ、お前は!」
 研究員たちが大声を上げる。
「うるせーッ!!」
 ギガデリックは念じて、目玉を怒鳴った研究員に体当たりさせて壁に叩き付けた。
「ギガ君…、ダメだ…!」
 倒れていたジェノサイドが、身体を起して叫んだ。その弱った、か細い様子に、一瞬だけ身体が止まりジェノサイドの方に振り向く。
 しかし、血に塗れた凄惨な姿を見て、ますます抑えきれないモノが込み上げた。
「オラァーッ!」
 まだ倒れていない3人目の研究員を蹴り倒し、仰向けになった所を馬乗りにする。力いっぱい顔を殴りつける。1発、2発…。
「デリック!」
 絞られたような掠れた叫び声。その名前の響きに懐かしさと嫌悪を感じて、ギガデリックはビクリと身体を止めた。
 頼りない足取りで、ジェノサイドが近づいて来て、ふわりと抱き着かれた、とても人とは思えない、冷たい腕に。
「…ギガ君…やめてくれ…」
「ジェノ兄…?」
 ふっと力が抜けて、ギガデリックは研究員から身体を離した。
「ギガ君…落ち着いて…」
 ジェノサイドは、ギガデリックを庇うように研究員の前に出る。研究員たちは、険悪な顔で睨んでいた。
「【11-173-NG】は、【11-176-DB】の実験を見てしまい、恐怖で自我を失いかけた。現在は平常である…」
「…そう報告書に書けと?」
 研究員が呆れたような声を出す。
 ジェノサイドはこくりと小さく頷いた。研究員たちは少しの間、険悪な顔のままだったが、やがて大きく息を吐いた。
「まあいい。今回の事は大目に見てやる」
 無感情にそう言うと、小さなカプセルをジェノサイドに投げ渡した。
「あっ…と」
 ジェノサイドはそれを上手く受けられずに手落とす。
「…落としちゃったんだけど~…装置の下の隙間に・・・」
「ドジな奴」
 研究員は嘲笑って、カプセルをもうひとつ投げた。
 今度はしっかりと受け取ってカプセルを飲み込むと、ジェノサイドは静かに俯いた。
 研究員たちはそれを確認すると、計測装置から印刷された書類を纏めて実験室を出て行った。
 ギガデリックは俯いたままのジェノサイドをじっと見る。一回目に取り損ねたと思われたカプセルを、左手に握っているのを知っていた。
 ジェノサイドは俯いて笑っていた。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 14

 いつもと同じ鋼鉄の椅子の上で。
 エレクトロは、グラビティとの通信を中断して、目を閉じた。
「防御システムに移行」
 静かに機械音だけが響く部屋で、見た目には解らない戦いが始まる。
 閉じた目には長い英数字が映り、物凄い早さで駆け抜けていく。それを瞬時に見極めて、的確な数列を送り返す。
 
“プロテクト強化。ウォール展開・・・侵入者、第2防壁ヲ突破”
 
 目に見えない侵入者。
 ハッカーだった。
 しかも、今までのハッカーとは比べ物にならない程の。
 これまでにも、何度かハッキングがあったが、それらは全てエレクトロの第1防壁の辺りで尽く阻止され、何事も無かったかのように隠滅されていた。
 それなのに。
 今回のハッカーは、データを探りながらも、メインコンピュータをクラッシュさせるのが目的のようだった。
 目に見えない侵入者は、エレクトロの防壁をかいくぐり、第7地区のメインコンピュータにまで入り込んだ。
 破壊される。
 メインコンピュータを破壊されるよりは…。
「侵入者を転送」
 エレクトロは、小さく呟いた。
 
“侵入者ヲ、本体へ転送シマス”
 
 本体へ。
 つまり、自分自身に侵入者を向けさせた。
 各地区のメインコンピュータよりは、それらを統括している自分の防壁の方が格段に強固であるし、多少破壊されても修復が出来る。
 侵入者は特に破壊する目的のものを決めていないらしく、エレクトロの方に転送されても、何ら変化は見せなかった。
 とはいえ、自分への負荷は予想以上だった。
 身体を崩されるような感覚に、僅かに指先が震える。
 部屋の壁が、腐蝕でもしたかのように、所々が崩れ落ちた。
 自分の一部でもある、ナノマシンで構築されたこの施設の、その全体にまでは及んでいないようだったが、被害が広がるのは時間の問題かもしれない。
「各地区のメインコンピュータに、それぞれのナノマシン修復を担当させる。…いつでも実行可能なように、準備を」
 
“各地区ニ、命令ヲ発信シマシタ”
 
 これで、施設の損傷は抑えられる。
ハッカーの勢いは弱まる事なく、エレクトロは瞼を更に固く閉じた。
 
“侵入者、第3防壁ニ到達”
 
 信じられない。第3防壁にまで入り込まれるだなんて。どれほどのスペックと実力を兼ねた存在なのだろうか。
 このまま防御を続けていても、こちらが不利になるだけだ。
「守勢から攻勢に変更」
 こちらの存在を明確に知られてしまう可能性があるし、防御が薄れるため、攻撃体勢に入るのは極力避けたいが、もう、そう言っていられない状態だった。
 
“侵入者ノ撃退開始”
 
 侵入する数列を辿り、本体を探す。
 相手もそれなりの防壁を用意していたが、それを崩す数列をぶつけ、本体へ向かう。
 幾重もの防壁を突破し、本体を発見した。
「ターゲット発見…、破壊する」
 バシンと、大きな音がして、自分の左腕が破裂する。それと同時に、侵入者の本体がクラッシュしたのを確認した。だが、完全に破壊するまでには至らなかった。
 数列は相殺となって、戦いの幕を閉じた。
 エレクトロは左腕の痛みに、身を屈めて耐えた。赤い血と半透明の緑色の液体が流れ、混ざりながら床に広がった。
「ごほっ…」
 手の平に血を吐いて、深呼吸をする。
 声帯も損傷したらしい。声が出ない。
 すぐに痛覚は脳から遮断されて痛みは無くなり、ナノマシンの修復で血と体液の流出も止まった。
 侵入者、『αCLOCK』…。
 クラッシュさせた時に、ハッカーの名と、居場所を逆探知した。
 いつ再び侵入してくるか解らない。このまま、一気に攻撃して再起不能にまでさせた方が安全かもしれない。
 しかしエレクトロは、それを中断し、通常システムに移行させた。
 優先すべきは、施設の管理。それに自分のダメージの事も考えると、100%の勝算にはならない。これ以上は無謀な行為だと判断した。
 自分の身体が破損した事を研究員にネットワークを通じて連絡すると、程なくして数人の研究員が部屋へ入ってきた。
 研究員たちは、各々台車で持ってきた装置を手際良く組み立て、エレクトロにケーブルやコードを繋ぐ。
 組み上がった装置の所為で、狭い部屋は更に狭くなった。
 その装置の中央に立てられたガラスの筒の中に、エレクトロは半ば乱雑に放り込まれて、ガラスの筒の中のは薄緑色の半透明の液体で満たされた。
 ガラスの筒の中に逆さまに入れられてしまって、エレクトロはガラス越しに逆さになった世界を眺める状態になる。
 研究員たちは何か話し合いながら、部屋を出ていった。
 その後、研究員から電子メールが送られてきた。どうやら、代行コンピュータを用意してくれたらしい。演算処理の一部を代行コンピュータに任せて、修復に専念しろという命令だった。
 エレクトロは、いつもと違う風景に見える自分の部屋を眺めて、目を細めた。
 流れた血と体液は後から来た清掃員が綺麗にしていったが、その場所をじっと見つめる。
 初めて、自分の血を見た。
 人間と同じ、赤い色。
 自分は管理者で、『TOOL』の全てを統括している機械道具のはず。
 機械に赤い血は無い。それに、この赤い液体が血であると、自分は検索するよりも先に認識した。
 何故だろう。
 エレクトロは失った左腕を、そっと見遣った。
 コードと鉄骨と肉塊が絡むように、ゆっくりと元の姿を形成しようとしている。
 機械とも生物とも言えない異様な物体。
 自分は、生物では無いはず。
 それなのに、この言い表せない複雑な違和感は何なのだろうか。
 エレクトロは、薄く目を閉じる。廊下を走っているグラビティの姿が、監視カメラからの映像で見えた。
 この施設から逃げるのではなく、ここに向かっているみたいだった。
 ここへ来たいのだろうから、来させるべきなのだと思う。
 研究員に見つかったらきっと、ゲートを封鎖し、グラビティを捕らえるよう命令が来るだろう。そうなってしまったら、グラビティは困るのかもしれない。
 友達とは、命令なんかよりも大事なんだから、と。ジェノサイドに言われた言葉が、映像と共に再生される。
 初めて、命令されてもいないのに、プログラムを実行した。
 研究員と接触させないように、ゲートの開閉して、グラビティをこの部屋まで誘導する。
 来て欲しい…。
 そんな不可思議な要求が、どこからか現われた。
 自分でも、理解不能だった。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 13

 はっきりとしない意識で、アーミィはあの部屋へ向かった。
 もし…、ミニマの言う事が本当だとしたら…。
 そんな想いが、見慣れた風景をどこか遠くの世界のように感じさせる。そして、それを引き戻すかのように冷たい床が、素足に不快なくらい染みて感じる。
 ミニマと話をしたら、今までの自分が、自分でなくなってしまうのではないだろうか。そんな恐怖もあった。
 しかし、その恐怖を上回る、自分の事や、色々な事を知りたい好奇心もあった。
 あの部屋まで辿り着くのに、どれほどの思考や想いが駆け巡っただろう。あまりにも複雑過ぎて、破片すら思い出せなかった。
 ミニマの居る部屋のドアの前に立つと、ドアは音も無く開いた。
 開いてすぐに、アーミィは飛び退いた。
 部屋の中には、まだ研究員がいる。見つかったら、また追い出される。
 研究員に対して身を隠すなんて、初めてだろう。研究員に逆らっている自覚はあった。だから、自然と反射行動をとったのかもしれない。
 ドアのすぐ隣の壁に背を付けて、アーミィは深呼吸をする。訓練の時ですら、呼吸が乱れる事も少なかったのに、今は身体が異常な程に緊張しているのが解った。
 耳を澄ませば、部屋の中の研究員の会話が聞こえた。どうやら、2人いるらしい。
「良い材料が出来た事だし、早急に次の段階へ進まねば」
「複製の準備を、第4地区に任せてある。ところで、他の【アーミー】を第7地区へ回したと聞いたが?」
「ああ、あそこの神だバケモノだと大喜びするマッドサイエンティスト共が、我が地区の実験成果を祝して、ナンバー160の遊び相手を造るそうだ」
「第7地区から戻って来た実験体に、マトモなのがいた記憶がないなぁ…。みんなイカレて戻されて来るじゃないか」
「それもそうだ。まあ、不良品なら引き取らなければいいさ」
 ささやかな談笑は終り、研究員は書類の束とノートパソコンを持って、部屋から出て来た。
 研究員と目が合い、未だに複雑な思考に支配されていたアーミィは、どうすれば良いかを考える暇も無く、肩を竦める。
「はは、散歩か? 第6地区からは出るなよ」
「お前は優秀な兵器だぞ。他のクズとは違うのだからな」
 緊張しているアーミィとは正反対に、気楽な研究員は、アーミィの赤いヘルメットを軽く撫でた。
 研究員はドアに設置されているテンキーを押して、足早に去って行く。静寂の広がる廊下に、アーミィだけが取り残された。
 2人の研究員の後ろ姿が、廊下を曲がって完全に消えたのを確認し、さらに辺りを見回して、近くに誰も居ないかどうか慎重に調べた。
 人の気配が近くに無いと知ると、アーミィはドアのテンキーに指を触れる。
 パスワードは、さっき研究員が押していたのを見た。だから、知っている。
 アーミィの記憶力とその正確さも、常人を超えた領域にあった。
 慣れた手付きで素早く、十数もの数字を押していった研究員の指を思い出し、それをアーミィは間違う事無く、押していった。
 ドアが開くと、アーミィはそっと部屋の中へ入る。
 機械音だけが静かに響く部屋。そこに、前に会った時と全く変わらずに、彼は居た。
 丸いシェルターの分厚いガラスの前に、アーミィは近寄る。
「ねぇ、起きてる?」
 覗くように顔をガラスに近付ける。
-来たんだね-
 頭の中に、響く声。冷たさを感じない、心地よい声。
 アーミィは、口を開いたが、次の言葉が出て来なかった。
 何を訊けばいいんだろう。知りたい事はたくさんあるのに、何から訊ねれば良いのか、どう訊ねれば良いのか、言葉に詰まった。
-迷わなくていいよ 大事なのは 君がどうしたいのか だから-
「僕が?」
-そうだよ-
 シェルターの中の少年は、ゆっくりと目を開いた。
 その少年の瞳に映って見える自分の姿に、アーミィは息を飲んだ。
 似ている。いや、似ているというよりも、同じだった。
 自分とミニマは、同じ顔をしていた。
「ねぇ…」
 アーミィは震えた小さな声で、問いかける。
「僕は…、誰…?」
 全てを知る為の、最初の質問だった。
-君は 外から連れて来られたんだよ-
「外って、何?」
-この施設の外 君は 双児の天才児の片割れで 無理矢理連れて来られたんだ-
「覚えてない…」
 アーミィは、古い記憶を探ってみるが、訓練場で銃の引き金を引いているのしか、思い出せなかった。
-この施設に連れて来られたら 殆どの人が記憶を消されてしまうから-
「ねぇ、ここって、本当は何なの? 他にも、僕みたいな人がいるの?」
-ここは『TOOL』という組織 とても巨大で唯一の施設 強過ぎる好奇心と 行き過ぎた探究心が この施設を生んだんだよ-
「『TOOL』…」
 アーミィはぽつりと呟いた。
 いつも頭に被っているこの赤いヘルメットにも、『TOOL』と白く書かれているのを思い出す。
-この施設は 沢山の地区に分かれていて それぞれ目的ごとにチームが編成されている 君や僕みたいな実験体も沢山いるよ-
「僕は…、最後の【アーミー】は、これから、何をすればいいの?」
-その答えは 君自身が決めなければ 意味が無いんだよ-
 ミニマの言葉に、顔を顰めるアーミィ。
 何をすればいいのか、どうすればいいのか解らないから、訊ねているのに…。
 アーミィはゆっくりと息を吐いて、ガラスの向こうの少年から目を離した。
 この、もやもやとした気持ちは何だろう。
 今までの事、ミニマと会った事、自分の想った事。全てを整理しきれず、片付かない頭で、必死に何をすればいいのかを考えてみる。
 しかし、命令されてもいない事をするのは、とても難だった。
-間違わないで 何をすればいいのかじゃない 何をしたいのか だよ-
 ミニマの言葉が終る寸前、アーミィは部屋の外の足音に気付いた。
-アーミィ 隠れて-
 ミニマに言われるのとほぼ同時に、アーミィは部屋を見回して、隠れられそうな棚の裏へ、身体を押し込む。かなり狭い隙き間で、細身で小柄な身体でも呼吸し辛いが、見つかるよりは遥かにマシだった。
 思った通り、足音はこの部屋に入って来た。
「へ~。この子が、IQ200を超えるっていう天才児かぁ~」
 聞き覚えのある声。
 思い出した。あのギガデリックという少年の担当研究員。確かジェノ兄と呼ばれていたはず。
 アーミィは全く視界が塞がっているので、目を閉じて聞き耳を立てた。
「ええ。しかし、外にいる片割れは、学年でも成績は中レベルだそうです。実力を隠しているとの話もありますが、確証は無いですね。優秀な方がこちらに残ってくれて良かったと思ってますよ。並の者は必要無いですから」
 もう1人の研究員、こっちの声は初めて聞く声だった。
「ふ~ん。随分と、弄ったみたいだけど~?」
「まぁ、仕方ないですよ。多少は遺伝子を組み換えましたし、サンプル採取も頻繁に行ってましたからね」
「で、その結果が薬品漬け~?」
「代償は付き物でしょう? 代わりに、もっと良い“兵器”が出来ましたから、問題ありませんよ」
「会ったよ。その子に。確かにあの子は優秀だね~。ギガ君も褒めてたよ。…で? その例の軍人君は、ドコにいるの~?」
「今は命令もしてないですから、倉庫にでも寝てると思いますよ」
「あはは、待機の命令もしてないんじゃあ、ドコカに出掛けてたりして~?」
 へらへらと緊張感の無い笑い声をあげながら、核心的な事を言う。
 アーミィは、煩くなってきた心音を抑えるように、ぎゅっと目を閉じた。
「ここに居ないんじゃあ、また今度にするよー。こう見えても、僕、忙しいからね~」
「それは大変ですね~」
 皮肉を込めたのか、口調を真似て研究員は言い返した。
「やだ、その言い方、キモチワル~イ」
「貴方に言われたく無いですけどね」
 棘のある強い口調で言い返されても、ギガデリックの担当研究員は特に動じてはいないようだった。
 その後、研究員たちが部屋を出て行き、完全に気配が消えてから、アーミィは棚の隙き間から出た。
 数回深呼吸して、再びシェルターの前へ駆け寄る。
「君にも、兄弟がいるの?」
 さっき、研究員が話していた事を思い出して、アーミィは聞いてみた。
-うん… でも 違う…かな-
 今までの、しっかりした言葉ではなく、答えを濁すミニマに、アーミィは不安を覚えた。
「どういう事?」
-…僕は 君のクローンだから 君の兄弟の事を言ったんだよ…-
「え…?」
 クローンというものが、どういうものなのか、それくらいは知っていた。
「君は、僕のクローンなの?」
-…そうだよ さっきの話を聞いていたでしょ 僕は遺伝子を組み換えられて 細胞採取もされた だから もうこの中でしか生きられない身体になってしまったんだよ-
「そう…なの?」
 厳重な丸いシェルターを見回して、アーミィはミニマと目を合わせた。
-僕だけじゃないよ 君が今まで訓練として戦ってきた子供たち皆 元々は君から生れたクローンなんだよ-
「……」
 アーミィは硬直した。
 何の為の訓練だったんだろう。自分は、自分を殺してきたのか。
「でも…、僕に、似てる奴なんていなかった。皆違う顔だったよ。僕と同じなのは、君だけ…」
-クローンでも 遺伝子を変えられたり 他のと組み合わせたりしていたから 顔が違うのはその所為だよ 僕と君だけが さほど外見が変わらなかっただけだから…-
 アーミィは、力が抜けたように、ゆるゆるとした動作で、その場に座り込んだ。
 自分が自分でなくなってしまうような恐怖の予想は、残念ながら的中してしまった。
 自分が何であるのか解らなくなりかけた時、ふと思い出す。
 外には、自分の兄弟がいる。
 その兄弟だけは、自分の存在を証明してくれるような気がした。
「外って、どうやって行くの?」
 アーミィの問いかけに、ミニマは、ゆっくりと目を閉じる。
-外へ 行きたい?-
 逆に問われて、アーミィは目を大きくした。
 外へ、行きたいのかもしれない。
「行きたい。…僕、双児の兄弟に会ってみたい」
 きっとそうだ。外へ出て、兄弟に会いたい。
 確かな自分の意志で、アーミィは答えた。
-この施設から出るのは 不可能に近いくらい難しい事だよ 頑張れる?-
「うん」
-見つかったね 君の何をしたいか が-
 薄暗くて良く見えなかったけれど、ガラス越しにミニマが笑っているように見えた。
-忘れないで 君の兄弟の名前は 刃雪達磨 君と同じ顔の 茶髪の男の子だよ-
「ハユキ…タツマ…」
 アーミィは、心に刻むようにその名を呟いた。
 
 
 
◆◇◆◇◆◇◆
 
 
 
「残酷な嘘を、ついたねー」
 
-僕は これで良いと思ってる-
 
「いつか、気付かれてしまうかもしれないよ~?」
 
-その時は その時に…-
 
「隠し事をするのは、大変だよー?」
 
-それはお互い様 でしょう? ジェノサイドさん…-
 
 
 
 
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 不正確な世界に、ゆらゆらと漂う身体。
 不鮮明な自我に、ふわふわと霞む意識。
 
 今頃、どこで何をしているだろう。
 もう、会う事はないだろうけれど、それでも構わない。
 あの茶髪の幼児は、たったひとりの大事な兄弟だから…。
 だから、せめて、自分の分身とも言える人と、会ってもらいたい。
 この最後の我が侭を、どうか許して欲しい…。
 
 
 
 
 
つづく