TOOL 5

 コポコポ、コポコポ…。
 
 不正確な世界に、ゆらゆらと漂う身体。
 不鮮明な自我に、ふわふわと霞む意識。
 
 見たのは、茶髪の幼児。まだ物心が芽生えたか芽生えないかの、幼い男の子。
 その子が白い大人たちに連れて行かれる所。
 その子と離れたくなくて、手を伸ばした。透明な壁に指先が当たった。
 
 あの子は、何処へ行ってしまったのだろう・・・。
 
 
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 
 
◆◇◆◇◆◇◆
 
 
 
 【アーミー】とよばれる少年たちは、互いの命を奪い合い、生きる権利を獲得しようとしていた。教えられた知識は同じ、身体に叩き込まれた技術は同じ。だから、個々としての力が勝敗を決めた。
 特殊な改造を施された少年たちは人間の大人を遥かに凌ぐ身体能力を持ち、誰も住んでいない廃虚にも似た街が納まった巨大な地下室で、毎日のように殺し合いを行う。
 殺される前に殺せ。あらゆる手段で命を奪え。それがいつも言われている言葉。
 訓練について行けない者たちは、次々と姿を消していった。
 そんな【アーミー】たちの中でも、特に驚異的な能力で勝ち抜いてきたのは、ナンバー160だった。真っ白な髪をした、小柄な少年。鋭い眼光で捕らえたターゲットは絶対に逃さなかった。
 
 ボロボロになった廃屋ビルの廊下。
 尋常では無いスピードで走り抜け、激突するかの様に壁に背を当てて、身を伏せる。
 ドカンと音がして、間もなく熱風が身体を横切っていった。
 熱風が過ぎ去り、静寂に戻った廊下を、ナンバー160は逆戻りに走る。立ち止まった部屋の中には、黒い死体が横たわっていた。
「ナンバー284を爆破」
 ナンバー160は、小さな通信機で上官に連絡をした。
 通信を切ると再び走り出し、ターゲットとなる【アーミー】を探し始める。
 唐突に気配を感じて、ナンバー160は振り返った。
 ひゅうと空を切る音と共に、鋭利なナイフの先が頬を掠める。
「ちっ」
 舌打ちの音。廊下のガラスを破って外へ飛び出していく人陰が見えた。この階は3階。【アーミー】なら、飛び下りても何の問題も無い高さ。
 ナンバー160は、すぐさま、窓に駆け寄った。窓から顔を出そうとして、すぐに顔を引っ込める。
 ひゅんと目の前をナイフが突き上げた。
 窓の縁にナンバー083がぶら下がっている。彼はニィと笑うと、片腕で身体を持ち上げて廊下に入り、ナイフを構えて飛び掛かってきた。
 それを最小限の動きで躱し、ナンバー160はナンバー083の背中にナイフを突き立てた。
 低いうめき声をあげて、ナンバー083は倒れた。広がっていく赤い液体に何の感慨も無く、ナンバー160がナイフを抜いた。
 絶命させる為に、拳銃を構えると、通信機から訓練終了のアナウンスが流れた。
 訓練終了になれば、もう【アーミー】たちは殺し合をしない。
 眼下に横たわる、自分とあまり変わらない年齢の子供をじっと見てから、目を閉じる。
 瀕死状態。この子供をそうさせたのは自分。命は助かるだろうけれど、負けた“兵器”は使い物にならない。使い物にならくなった“兵器”は、異常なサンプル採取と過酷な身体実験の末に処分されるだけ。生きる権利なんて無い。
「ねぇ、訓練の時間は終わったけど…」
 ナンバー160は、血溜まりにうつ伏せになっているナンバー83に声をかけた。
「医務室に行く? それとも、今ここで…殺して欲しい?」
 せめてもの選択肢を与える。
 ナンバー83は、小さく殺してと言った。
 パァンと、乾いた音が偽りの街に響いた。
 
 ナンバー160は、左腕に掠り傷と口内を切ったくらいの怪我で、5時間の間に38人の“兵器”を殺した。
 日増しにその功績を上げ、他の“兵器”から突出した力に、研究員たちは満足しているようだった。
 この日、他のナンバーを持つ“兵器”たちは、研究員に連れて行かれ、二度と戻らなかった。
 お前はたった1人の【アーミー】になったのだと研究員は言った。
 アーミィ、と。番号では無く、称号で呼ばれるようになった。
 明日から、訓練では誰を殺せばいいのだろうか。そんな考えが頭を過る。
 アーミィは医務室から出ると、薄暗い廊下を歩き始めた。
 部屋に戻る途中、いつもなら閉まっているはず扉が開いているのに気付く。
 歩きながら何気なく視線を部屋の中へ向けると、大きな機器が沢山並んでいた。その部屋の真ん中に、1.7メートル程の球体型のシェルターがあり、分厚いガラスの奥に人陰が見えた。
 新しい【アーミー】だろうか。いや、違う。研究員が言った言葉から考えて、もう【アーミー】は自分以外には存在しない。
 奇妙な感覚に捕われながら、アーミィは通り過ぎた。
 医務室から少しだけ離れた所に、薄暗い部屋がある。研究員はいつも手枷と足枷を付けて、頑丈な鉄格子の独房に、閉じ込める。ここが、アーミィの、【アーミー】たちの部屋だった。
 2メートル四方の冷たいコンクリートの上で横になって、ナンバー160は薄く目を閉じた。拘束されてはいても、そんなに不自由では無い。この鎖を引き千切るくらい、容易い事。それくらい研究員も知っているはず。
 それでも拘束したがるのは、研究員たちの傲慢さかもしれない。
 アーミィは浅い眠りについた。
 
 
 
 翌日、アーミィは独房部屋の中で、ぼんやりとしていた。
 支給された栄養剤を飲んで、何をする訳でもなく、虚ろに天井を見る。昨日までの、生きるか死ぬかの訓練を繰り返していたのが急に無くなってしまったものだから、拍子抜けしたのかもしれない。
 訓練以外に、やる事なんて無い。自分の手を見ると、銃を握った時の手付きになっていた。身体の一部のように手に馴染んでいる銃器やナイフは、訓練の時でないと触らせてもらえない。手持ち無沙汰で、手を握ったり開いたりしてみた。
 足枷も手枷も無く、鉄格子には鍵も掛かっていない。好きに行動しても良いという暗黙の命令なのだろう。けれど、そんな命令をされても、どうして良いのか解らない。
 普通の人ならば、暇だと思うのだろう。けれど、アーミィは暇になるという経験をした事が無かった。
 静かで平穏な時間が、逆に焦燥を感じさせる。
 居ても立ってもいられず、アーミィは独房部屋を出た。
 無愛想な灰色の廊下。行く宛も無く、ふらふらと歩いて行き着いたのは、訓練に使っている地下の偽造都市だった。有刺鉄線が張られ、立入禁止の看板が下がっている。
 ここに来ると、心無しか警戒して、顔付きが険しくなるのが自分でも解った。
 壊れたビルは、不思議といつの間にか元の形に直されていた。
 ふと、地下都市の視界に入る遠くの道路の端に拳銃が落ちているのを発見した。普通の人ならば見えたとしてもただの石にしか見えない様な距離だが、鮮明に見えていた。
 さっさと回収して、上官に渡さないと。
 そう思い、アーミィは2メートルを超える金網を軽く飛び越えて都市に入り、足早に銃を拾うと出入り口に戻る。
 その帰り途中、来た時には崩れていたはずのビルの壁が直っているのが目に付いた。
「……」
 立ち止まり、誰も居ない街を振り返る。
 誰も居ない。居ないのに気配がするのは何故だろう。生き物とは違う、何かの気配。建物に紛れた、確かな存在がある。
 訓練の時には戦闘に夢中で気付かなかった何かが。
「っ…」
 不確かで得体の知れないものに対して、苛立ちにも似た感覚になる。
 アーミィは、目を細めて偽造都市を睨むと、金網を飛び越え、地下都市の部屋を出た。
 上官のいる指令室に向かう廊下で、またあの部屋の前を通った。
 丸いシェルターが嫌に印象的に見えた、あの部屋。そこで、何やら慌ただしい雰囲気が漂っていた。
 緊急事態でも起きたのだろうか。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 4

「君は両親に殺されそうになったんだ。ここにいれば安全だ。その代わり、君には協力してもらいたい」
 
 ここに来て、初めて聞かされた言葉はそれだった。
 そうだったのかと頷いた。
 ここに来る少し前の記憶なんて、よく覚えていなかった。
 
「君には特別な力がある。それを君の両親は恐れ、殺そうとした。君の力は実に素晴らしいものだ。それを理解出来なかったんだよ」
 
 『力』があるのは知っている。機械とかに念じるだけで、自由に動かせた。いつの間にか使えるようになってた。
 電気も無いのにどうして動かせるのかと親に聞かれたことがあったけど、手足を動かすのと同じくらい当たり前のことだから、「わかんない」としか言えなかった。
 この『力』を使うと、決まって親は怒った。怒鳴りながら泣いていた。
 
 
 
 『TOOL』に来てから、2ヶ月近く過ぎた。
 毎日のようにやる訓練も慣れてきた。小さなロボットを遠くから操るなんて、ギガデリックにとってはもう朝飯前の事。最近は、一度に10体くらい操れるようにまでなった。成績をあげる度に、研究員は褒めてくれた。『力』を使うと必ず怒った親とは、全く逆だった。
 “特別な子”…と。そう呼ばれて悪い気はしない。だって、この『力』は他の連中には無い特別なモノで、それを使えるのは自分だけだから。
 ある日、研究員は一抱えはある丸いモノを持って来て、ギガデリックの前に置いた。ギガデリックが、その丸いのに念じると、丸いのはゴロっと動いて、大きなひとつ目を開けた。
「それを、どのくらい性能を出し切れるか、いずれテストさせてもらう」
 そう言って、研究員は部屋から出て行った。
 物と仲良くなるというのも変だけど、ギガデリックはその目玉をとても気に入って、いつも自分の傍らに浮かばせていた。
 
 第11地区は、創設されてからまだ年月が浅く、研究の方向性がまだ漠然としていた。実験体の数は少なく、実験体が暴れるという危険性は殆ど無い。
 そのため、ギガデリックは部屋の外に出る事がしばしばあった。多少強引に…殴ったりもしたが、研究員に外出許可を貰っていた。部屋から出る時は、必ず番号の書いてある紐付きのカードを首から下げるように言われ、邪魔だとは思いつつもギガデリックは仕方なく首に下げた。
 第1地区と第2地区と第7地区に行くことだけは絶対に許して貰えなかったが、他の地区なんかに用は無い。同じ11地区の、地下18階。施設の最端に孤立するようにある部屋にしか、行く気は無かった。
 ギガデリックはフワフワと浮かぶ丸い目玉を従えて、冷たい色をした蛍光灯の並ぶ無彩色の廊下を進む。
 時々すれ違う、研究員の目が気に食わなかった。白衣を着て、色の無いような感情の顔をする。挨拶をするわけでも無く。
 気持ちワリィ…。
 ギガデリックは足を早めて、目的地に急いだ。
 
 
 
「ジェノ兄ー! 来てやったぞ!」
 堂々とオートロックの機械を操って開けさせ、遠慮無しに部屋に入る。
 いつものようにパソコンと向き合っていたジェノサイドが、振り返って頭を掻く。
「ちゃんとドアの前で言ってくれれば、ロック解除するってば~」
「ちっせーことは、気にすんな。ジェノ兄だって、わざわざ開けんのはメンドーだろ? オレが開けてやってんだからいいじゃん」
「それ、屁理屈~」
「うるせ」
 ギガデリックは口を尖らせて、ジェノサイドの隣の椅子に逆に座る。背もたれに頬杖を付いて、パソコンを覗き込む。
 ギガデリックがよくこの部屋に来るようになって、その度にジェノサイドの椅子を奪って座るものだから、最近もう1脚だけ椅子を増やした。
「あれ~? その目玉って・・・」
 ギガデリックの後ろで待機するように浮いている、大きな目玉型メカの存在に気付き、ジェノサイドが声を上げる。
「コイツ、最近オレの部下になったヤツ。まだ、どんなヤツなのか良く解らんねーけどな」
「この目玉ねー、僕が設計したんだよ」
「マジ? ウソくせー」
 訝し気な顔をして、ギガデリックはジェノサイドをじとりと見遣る。
「ホントだよー。凄い機能がいっぱい付けてるんだ。浮かんだ時に、ビックリしなかった?」
「あー、そだな」
 操った時に、普通に浮いたものだから、当り前に思っていたが、良く考えてみれば、ジェットもプロペラも無いのに、静かに浮いているのだから、凄いのかもしれない。
「目からビーム出せるよ。鉄くらいなら溶かせる。あとねー、映像と音声の保存機能とか、電波妨害、疑似空間発生装置、電磁波の・・・」
「はぁ…」
 ニヤニヤ笑いながら言うジェノサイドがいまいち信じられない上に、何を言っているのか解らない単語が続き、ギガデリックはつまらなそうに息を吐いた。
 その様子に気付いたジェノサイドは、言葉を打ち切って、浮いている目玉を撫で始めた。
「シンプルで高機能なのが作りたかったんだ。でもねー、電気の消費が激し過ぎて、結局、放置されちゃってたんだよ~。ギガ君が操るなら電気要らずだから、使ってもらえそうだねー」
「ふーん。ま、オレにしかできねーことなら、もっと褒めろよ」
「うん。エライエライ」
 ジェノサイドは目玉を撫でていた手を、ギガデリックの頭に乗せて撫でた。
 ギガデリックは、はっとしてその手を退けた。
「撫でんなッ」
「んー?」
 心外そうな顔をして、ジェノサイドは首を傾げる。
「子供を褒める時は、こうするんでしょ~?」
 ゴチン。と、ジェノサイドの頭に、拳を下ろした。
「痛い…」
「ガキ扱いしてんじゃねーよ!」
 ほんのりと赤面した顔で、ジェノサイドを睨む。
「あはは~、照れてるの~? 可愛いねー」
 ゴチン! と、さっきよりも大きな音が殺風景な部屋に響いた。
「いったぁ~!」
 ジェノサイドは、ふるふると肩を震わせて首を縮める。
「叩かなくてもいいのに…」
「っせぇ」
 すっかり機嫌が傾いてしまい、頬を膨らませていると、ジェノサイドはそっと顔を覗き込んできた。
「ゴメンね~」
「もー、いいっての!」
「あは…」
 荒っぽく答えると、ジェノサイドは苦笑いを浮かべて顔を引っ込めた。
 ふと、パソコンからポンと音がした。
「あ…」
 ジェノサイドは立ち上がって、入り口のドアに向かった。ロック解除のキーを押して、ドアを開ける。ドアの向こうには、研究員が立っていた。
 その研究員は、ジェノサイドに何かを渡して、ジェノサイドは小さなそれを飲み込んだ。研究員はボソボソと何かを言い残して、帰って行った。
「何?」
 再び椅子に座ったジェノサイドに訊く。
「薬を貰ったんだよ」
「え?」
 ギガデリックは眉を寄せた。
 ジェノサイドが薬を飲んでいるだなんて、知らなかった。色白で病人っぽく見えるが、話している時に病気のような症状が出たことは一回も無い。
「ジェノ兄、病気?」
「そんな事無いよー」
 けらけらと笑って、ジェノサイドは答えた。
「身体がすごく弱いから、薬飲んでいないと死んじゃうだけだよ~」
「大袈裟だな。死ぬわけねーだろ?」
「あはは。やっぱり、そう思う? でもね、本当なんだ~。特殊な薬を貰う代わりに、パソコン使ってる仕事とは別の実験のお手伝いしてるんだよ。僕、頭良いから、大事にされてるんだ~」
「もしかして、ジェノ兄ってさ、結構エライ研究員?」
「11区のメカ開発のチーフだよ~」
「すげーじゃん!」
「えへへ。スゴイでしょ?」
 ジェノサイドは、他人事のように笑って言った。そして。
「あ、そうだ」
 と、ギガデリックの目玉を両手で抱えて、デスクの上に置く。目玉はギョロリとジェノサイドを見上げた。
「ねぇ、ギガ君。どうやってこれを操ってるの?」
「あー? 何つーか…こっちに来いとか、あっちに行けとか…心ん中で、命令してんだ。この位置に浮かんでろとか」
「動きを全部、指示してるんだね~。そんな気はしてたけど。それってさ、これ一体だったら楽だろうけど、複数になったら大変じゃないかな?」
「まーな。でも、ま、ちょっとキツくても、オレならできる」
「もっと楽になるように、人工知能入れてあげるよ。自己判断で守ったり敵を攻撃してくれるようになれば、ギガ君は大まかな命令と電源さえ供給してればいいんだから」
「よく分かんね」
「だからね、具体的に言うと…。遠くに敵がいたら、ギガ君は目玉ちゃんに敵を倒せって命令するだけで、目玉ちゃんは自分で状況判断して敵を倒してくれるんだ。別の敵が突然現れても、目玉ちゃんはしっかり対応してくれるよ~」
「マジ? 超楽ちんじゃん!」
 ギガデリックは目を輝かせて喜んだ。今まで壱から拾まで自分が考えて機械を操っていた。それが簡単な命令だけで動いてくれるというのだから、喜ばないはずはない。
「ちょっと待っててねー」
 ジェノサイドはデスクの引き出しからディスクを取り出して、パソコンのドライブに入れた。目玉の天辺を指先で触ると、パカッと丸い蓋が開き、そこにパソコンと繋がっているケーブルを差し込む。
「はーい。ギガ君、こっち」
 ギガデリックが座っている椅子を動かして、目玉の目の前に移動させるジェノサイド。
「目玉ちゃんに、顔を覚えてもらってね~」
 そう言い、パソコンのキーボードに指を走らせる。
「っ…!」
 ジクっとした鈍く短い頭痛を感じて、ギガデリックは歯を食いしばった。
「? …ギガ君?」
「気にすんな。コイツの痛みだから」
 ギガデリックは目玉に目線を向けた。機械を操っている時は、その機械が受ける感覚が自分にも返ってくる。ほんの少しの感覚でしかなく、機械が破壊されて自分が怪我をするわけではないが、それなりの痛みは感じてしまう。
「不思議だよね~」
 ギガデリックの事を察したらしく、パソコン画面を向いたままジェノサイドは呟くように言った。
「普通の人間には測れない、凄い能力だよ~」
「だろ? オレは特別だからな! オレの力を認めてくれなかった親に、いつかこの力で復讐してやるんだ」
 ギガデリックは、ニィっと得意気な笑顔を浮かべる。それを見てジェノサイドは哀しそうな笑顔をした。ゴーグル越しでその表情は良くは見えなかったけれど。
「ねーぇ、ギガ君。無数の人間たちの中に、そういう不思議な力を持って生まれてくるのは、神様からの贈り物だと思わないかい?」
「はァ? 神なんかいるわけねーじゃん」
 片眉だけ釣り上げて、目を細める。神なんて想像上の存在でしか無いと、ギガデリックは考えていた。
「神だとかオバケとか、オレは信じねーよ。目に見えねーじゃん」
「リアリストなんだねー」
「ジェノ兄はどーなんだよ? 願いごとでもあんの?」
「んー。気が…楽になれるかもしれないから…。ギガ君は、その力のせいで不運になった事を呪ったことはない? 神様の所為にできるでしょ~?」
「いもしねーヤツの所為にしても、気は晴れねーよ」
「そうだね」
 自嘲にも似た表情でジェノサイドが答えた。キーボードの入力を終え、目玉の天辺に繋がっていたケーブルを引き抜く。
「面白いこと、教えてあげる~」
「あ? 何だよ」
「ギガ君、きっとビックリするよー」
「だから、何?」
「つい昨日、7区の研究員が、神様の波長を見つけたんだって」
「はァッ?」
 いかにも馬鹿馬鹿しそうなことだと言わんばかりに、ギガデリックは大声を出した。第7地区のことは、少しだけ知っている。話に聞いただけだけど、動物を合成したり、変なバケモノを造っているらしい。いかにも怪しいし、信じられない研究だった。
「あとは、その波長を、どう具現化するかが課題だって、報告されてるよ~。もし、成功したら見に行こうよ~」
「超ウソくせー!」
 ギガデリックは舌を出して苦い顔をする。だいたいココの研究員なんて、空想をダラダラと長い語りで本当のように言い聞かせてしまう、限り無く現実に近い空想に溺れた、変なことばっかり考えているヤツらの集まり。
 はぁと溜め息をついて、ギガデリックは目玉を浮かせた。目玉はころりと空中で回転して、大きな目でパチパチと瞬きする。
「軽い…」
 ぽつりとギガデリックが無意識に呟いた。
 負担が、軽くなっていた。いつも機械を操る時には、かなりの集中力を必要とするものだから、グッと力を入れなければならなかったのに。人工知能を入れてもらった目玉は、ちょっとその存在を意識するだけで、思うように動いてくれるようになっていた。
 すっかり機嫌が良くなったギガデリックは、椅子から立ち上がって自分のお気に入りの帽子を投げた。命令しなくても、目玉はヒュンと動いて、放り上がった帽子を自らの丸い身体の上でキャッチした。
「おー、いい感じ!」
 フワフワとギガデリックの前に目玉は下りて来て、手の出しやすい位置で止まり、帽子を差し出すようにピョコピョコと上下に揺れる。
 ギガデリックは帽子を受け取って被り直すと、目玉をぎゅっと抱き締めた。
「何か、生き物みてーだな。ジェノ兄、サンキュー!」
 万遍の笑顔でお礼を言うと、ジェノサイドはドウイタシマシテと言い、にっこりと笑った。
 それから、ギガデリックは目玉と追いかけっこをしたり、目玉の上に乗って浮かんでみたりと、狭い部屋で遊びながら、ジェノサイドの仕事の様子を眺めていた。パソコンに向かってキーボードを打って、手元の紙に何かの図形を描いたりと、その繰り返し。時々、あくびをして、くしゃみをして。
「なぁ?」
 ギガデリックは目玉に乗ったまま、ジェノサイドの横に寄った。
「なーに?」
「ジェノ兄はさ、ココ来る前は、何してたんだ?」
「ん~。この施設に来る前は、別の施設にいて、誰も入らせてもらえない白い無菌室で暮らしていたよ。小さい頃から頭だけは良かったから、点滴しながら大学の教授をしてたんだー。“モニター越しの若教授”なんてアダ名まで付けられちゃってさー。面白いよね~」
 ジェノサイドは、小話のようにけらけらと笑いながら語る。
「ココに来てからは、薬貰ってるから、こうして他の人と同じ部屋に居られるようになったんだよ~」
「ふーん。生まれた時から、そんな弱っちかったのか。じゃあさ、ココに来て、普通の身体になって、良かったじゃん?」
「…そうだね」
 ジェノサイドは薄く笑った。
 その様子に、何か引っ掛かるものを感じたが、乗っている目玉がピクッと反応して、部屋の出入り口の方を向いた。
「マスター、コーヒー持ってきたよ」
 ドアが開いて入って来たのは、ジェノサイドのとは違う形のゴーグルを着け、首周りに派手な羽飾りを纏った髪の長い男。研究員にしては、あきらかに不自然な格好だった。
「おや、君が噂のギガデリック君かな?」
 その男は、こちらを見ると、声をかけてきた。
「誰だ、テメェ」
「ボクはホリック。マスター…ジェノサイドの助手…かな?」
 チラリとジェノサイドの方を見遣るホリック。ジェノサイドはぷっと噴き出した。
「“お手伝い”でしょー?」
「その呼び方、やめて欲しいのだがね。いかにも雑用って感じがしないかい?」
 ホリックは、デスクの上にコーヒーカップの乗ったトレーを置いた。
「え~、実際そうでしょー? ギガ君にもコーヒー淹れてあげて~」
「了解。ギガデリッ君は、砂糖とミルクはいくつ入れるかい?」
「あ!? んだよ、その呼び方、キモッ!」
 今までに呼ばれたことのない、変な呼ばれ方に、ギガデリックは顔を顰めた。しかし、ホリックは気にもせずに笑っている。
「良い呼び方だと思うのだがね」
「お前、キライ」
 ぷいっと顔を逸らせると、ホリックはクスクスと笑った。
「子供は、すぐ、拗ねてしまうのだね」
「テメェ、うぜーよ!」
 ムッとしたギガデリックは、乗っている目玉の天辺をポンと叩いた。その瞬間、目玉の目から、ビームが発射された。
「おや…」
 それを予測していたかのように、ホリックは避けた。結い上げた長い髪が、少しだけビームを掠る。目標に当らなかったビームは、部屋の壁を少しだけ抉って焦がした。
「避けんなッ!」
「危ないな。子供には相応しく無い玩具のようだね」
 ホリックは、やれやれと言ったような様子で肩を竦める。
「ホリック、ホリック!」
 ジェノサイドはあわあわと慌てて、ホリックとギガデリックの間に入った。
「ギガ君、ホリックは悪気があるわけじゃないんだよ~」
「ムカツク…」
 苛立ちを残したまま、身を引いたものの、ホリックを睨みつけてやった。ホリックは相変わらず余裕ぶった笑顔をしている。
「もー、帰る! そろそろ訓練の時間だし」
 ギガデリックは目玉から降りて、目玉を抱えた。
 ドアに近付いたところで、振り返る。
「ホリックとか言ったな、砂糖は4つ、ミルク5つだかんな。覚えとけよ!」
「了解」
 ホリックは変わらぬ表情で答えた。
 部屋を出てドアが閉まる帰り際、ギガデリックは、ジェノサイドがホリックに第2地区へ行くように頼んでいる声を聞いた。
「2区…」
 冷たい色の廊下を歩きながら、ギガデリックは呟いた。
 第2地区は、ここ『TOOL』の管理者がいると噂で聞いたことがある。ソイツは、ここの全てを知っているのだろうか。
 今まで気にもしなかったその存在が、少しだけ気になり始めた。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 3

 ヅー ヅー ヅー ……
 警報音が鳴り始めてもう何時間かが過ぎた。
「煩いなー…」
 細い白銀の髪を掻きむしるように頭を掻いて、溜め息をつく。
 轟音に近い警報音のせいで、パソコンのプログラミングが全く捗らない。
 7区の実験体が脱走したのだろうか。あそこは化け物だらけだから、時々脱走する実験体がいる。監視役のエレクトロは何をしてるんだ。通路を閉鎖して退路を断てばすぐに終わるのに。
 悪態を内心でついて、プログラミングの終わりの意を込めてエンターキーを押す。
 ERROR。
「……」
 …ま、いっか。
 ふうと息を吐いて、伸びをする。ゴーグル越しに蛍光灯を見上げる。
 エレクトロがここまで手こずる脱走者がいるだなんて。きっと警備員は、もっと手こずっているんだろう。何だか可笑しくて笑いそうだった。いっそ、もっと大騒ぎになったら面白いのに。
 そんな思考を廻らせていると、部屋に誰かが入って来る音がした。
 振り返って見れば、硬そうな黒髪を生やした目付きの悪い子供がいた。
 どこの地区から来たんだろうか。迷子なら、研究員が探して拾いに来るはず。
 放っておこうと思い、パソコンのモニタに向き直った。
「おい!」
「えっ」
 いきなり怒鳴られて慌てて振り返ると、少年はすぐ近くまで来ていて、低い身長の目線で見下ろしていた。
「無視してんじゃねーよ」
 思いっきり不機嫌な顔を浮かべている。
「キミ…誰?」
「人にモノ聞くなら、お前の名前言えよ」
 黙って入って来たくせに、少年は大きな態度で言い切った。
「キ…。いや、僕はジェノサイドって呼ばれているけど」
「ふーん」
 興味無さそうに少年は答えて、ジェノサイドをじっと見た。
「オレは、デリック…じゃねーや、ギガデリックだ。ギガ様って呼んでいいぜ」
 一瞬だけ顔を曇らせたが、ギガデリックは勝ち誇ったようにニィと笑った。
「ギガ君、面白い子だねー」
 ジェノサイドは、けらけらと笑う。
「あ、そーだった。ちょっと隠れさせろ」
 何かを思い出したらしく、ギガデリックは強引にジェノサイドの足を退けてデスクの下に入り込んだ。
「バラしたら、ぶっ殺すかんな!」
 足下でそれだけ言い、静かに身を縮めて蹲る。
 それから10分もしない内に、部屋にまた人が入って来た。息を切らして肩を上下させている研究員だった。
「子供を…見ませんでしたか?」
 研究員はジェノサイドに尋ねた。
「ああ、それなら……いっ!」
 突然、足の臑に痛みを感じてジェノサイドが視線を落とすと、小さな手に思いっきり臑を抓られていた。
「い、いいや。見ていないけど~?」
「そうですか。失礼致しました」
 研究員はいそいそと退室して行った。
 その少し後になって。
「テメェ、バラそうとしてんじゃねーよッ!」
 と、隠れていたギガデリックはデスク下から這い出て睨み付けてきた。
「痛いんだけど…」
「当り前じゃん。痛いように抓ったんだからな」
 当然の酬いだと言わんばかりに、ギガデリックはふんと鼻を鳴らした。
「・・・もしかしなくても、この警報が鳴ってるのって、キミが逃走してるから?」
「あ? しらね。さっきからウゼーよな、耳痛ェ」
 ジェノサイドは暫し考え込んだ。もしかして7区のクリーチャーが、こんな遠くの地区まで来たのだろうか。このギガデリックという少年は、いかにも人間らしい姿をしているものだから、てっきり施設の関係者か、その子供なのかとも思っていた。
「ギガ君は、実験体?」
「はぁ? ちげーよ。オレの力が必要なんだって頼まれたからココに来てやったんだよ。でもさ、毎日毎日やる訓練ってのがメンドーになったから、研究員ぶん殴って、部屋出て来た」
「勇敢だね~」
 ギガデリックは生まれつきの異能者らしい。スカウト…と言うのだろうか。自分と似たような状況だなとジェノサイドは思った。
「ちょっと、いいかな?」
 ジェノサイドが立ち上がって、ギガデリックの後ろに回った。
「あー、何?」
 首の後ろを触られて、ギガデリックはくすぐったくて肩を竦めた。
 ギガデリックの後ろ髪を撫であげると、うなじには“11-173-NG”と小さな文字が彫られていた。
 実験体に付けるナンバーだった。
 頼むと言って騙して攫っ来たのだろう。きっと両親は殺されたに違い無い。
 先頭番号が11ということは、11区。つまりここの地区。
「ちょっと、待って」
 ジェノサイドはキーボードに指を走らせて、全てのデータが集約する中枢の監視役であり管理人でもあるエレクトロに繋ぎ、“11-173-NG”のデータを探す。
 まだ数人しか知られていないデータがあった。
 【11-173-NG・ギガデリック:精神感応能力。念力の一種。機械に呼び掛けるようにして念じると、その波動の及ぶ範囲内の機械を操れる。現在、訓練により波動有効範囲の限界を拡大中。能力の詳細については調査中。性格に難があり、洗脳の必要性有り】…と記されている。実験体に他ならない内容だった。
 警報音は、やっぱりこの子の脱走のせいらしい。エレクトロが手こずる理由も解った。封鎖ゲートの機械を操作して無理矢理開けて逃げて来たのだろう。
「ギガ君、ここに来て、どれくらいなの~?」
「さーな、一ヶ月くらいじゃん? あ、今何時?」
 ぱっと表情を変えて、ギガデリックはきょろきょろと時計を探した。しかし、殺風景でパソコンくらいしか無い部屋で、時計は見当たらなかった。
「19時過ぎたよ」
「そ。じゃ、オレ帰る。訓練の時間終わりだし」
 ジェノサイドに言われ、ギガデリックはほんの少しだけ安堵したように笑って、部屋の出入り口に向かった。
 ふと足を止めて振り返る。
「オレ、お前気に入ったから、また来るぜ。他の研究員みたいにエラソーなこと言わねーし、命令しねーし」
「あはは。まぁ、僕は、他の研究員とは違うかもしれないねー」
 ジェノサイドは他人事のように笑って、ひらひらと手を振った。
「今度来たら、顔見せろよ」
「あー、ダ~メ。これ無いと何も見えないんだ。目弱いんだよー」
 ギガデリックの黄色いゴーグルの事を言われて、ジェノサイドは苦笑した。
「ギガ君、悪いこと言わないけど、研究員の言う事は聞いた方がいいよ?」
「はっ! 冗談じゃねーっつーの!」
 ギガデリックは舌を出して睨むと、部屋を出て行った。その後、しばらくしてから警報音は止まった。
 ジェノサイドはくすっと笑って、プログラミングをやり直し始めた。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 2

 黄色味を帯びた肌に、赤茶色の髪を生やした少年。
 名前はグラビティ。名前と言っても、親からもらった名前では無い。ただ、そう呼ばれるようになっているから、それが自分の名前になっていた。
 グラビティは狭いケージの中、ごろりと寝転んでぼんやりとしていた。
 あの時に見たものが、今でも目の前に見えてるように覚えてる。
 暗い部屋に座っていたヤツ。
 名前はエレクトロだったか。体中にケーブルやコードが繋がっているのが、印象的だった。
 いきなり部屋中が銃だらけになったのは、正直恐かった。まぁ、勝手に部屋に入ったのは悪いのかもしれないけど、こっちだって都合があったんだ。
 撃たれなくて良かったと思うのがいいかもしれない。あれは、眠らされるヤツじゃなかった。きっと血がいっぱい出るヤツだ。
 アイツが、あの全部の銃を操っていたのは何となく分かる。きっとそれがアイツの“力”だ。
 全く分からないヤツだけど、きっと自分とどこか同じだと思う。
 そう感じた。
 少なくとも、この部屋の連中よりは。
 
 自分が生まれたのが、いつなのかなんて知らない。
 ただ、分かるのは、自分はここに居てはいけないという焦燥感があるということと、他人とは違う“力”があること。
 そして、時々遠く古い記憶の奥底にある、何者かの声が響く。顔も知らない、どんな声でどんなことを言われたのかも覚えていない。知らない覚えていない誰かが、自分の中にいる。
 それらから自分が弾き出した答えはひとつ。
 
 生まれ育ったここを捨てて、知らない外の世界へ。
 帰る所も無い、行き先の無い脱出を。
 
 
 
「ギィギィ!!」
 金切り声を上げて、向い側のケージに入っていた硬そうなウロコを身体に纏った大きなイモ虫みたいなヤツが、研究員たちに連れて行かれた。
 その様子をグラビティを始め、部屋内の実験体が見ていた。金切り声に反応してギャアギャア騒ぎ始めるヤツもいた。狂ったように自分の身体を掻きむしって喰らい付くヤツもいた。
 ここにいる連中は、いつ自分がそうなるか恐怖に縛られていた。研究員に連れて行かれれば、自分が自分でなくなって戻ってくる。少しづつ自分の身体に異物を投入されて、自分のものではない身体の一部が増えて行く。時には二度と戻って来ないヤツもいた。
 研究員が実験体を連れて行った今がチャンス。暫くは実験に夢中になって、研究員はこの部屋に戻って来ない。
 グラビティは身体を起して、鉄格子を握った。
 脱走を察したのか、右隣りのケージにいるワニの頭をした6本足の獣が目を開ける。
「…ソト…イク…ヤメ。シヌ…サレル」
 ガラガラした聞き取りにくい声で、その獣が言ってきた。
「悪いな、そういうワケにはいかねぇんだよ」
「ソト…ナイ…。ココ…スベテ」
「無いんじゃねぇよ。知らねぇだけだ」
 グラビティは握った鉄格子を睨み付けた。バキンと音がして、握っていた鉄格子が小さく潰れて外れた。同じことをやって身体が出られるくらいにまで鉄格子を数本外すと、グラビティはケージを出て、慣れた動作で積み重なったケージを飛び下りる。10メートル以上もの高さから、ふわりと音も無く床に足を付いた。
 それを見ていた何体かの異形の生物たちが、訴えるように声を出してきたが、グラビティは聞こえないふりをして部屋を出た。
 
 人の気配のない廊下は、灰色しかない通路。冷たい光をぼんやりと放つ蛍光灯が天井に並んでいる。
 グラビティは慎重に一歩を踏み出して、感覚を研ぎ澄ました。
 獣と同じ聴覚も、嗅覚も、視覚も、所詮は人間の娯楽による付加物でしかないけれど、それが嫌でも役に立つ。
 冷たい床をひたひたと裸足で進む。どっちの方向が出口だなんて分からないけれど、進むしか無い。
 ジジっと微かな音がした。人間ならば絶対に聞き取れない小さな音。その音の方向にを見上げると、壁の上、天井近くに円いガラスがあった。
 監視カメラ。そう思った時には手後れだった。
 辺りはたちまち警報音に包まれる。
 何でこんなに監視カメラの反応が速くなっているのだろう。以前は監視カメラなんてあって無いようなモノでしかなかったのに。所詮、人間が遠くの部屋で見ているだけだから、見落とすことが殆どであったのに。
「くそ!」
 グラビティは叫んで走り出した。できる限りここから離れなければ。
 全速力で廊下を駆け、突き当りを曲がろうとしたが、分厚い鋼鉄のゲートに塞がれていた。慌てて反対方向に身体を返したが、その方向は、今まさにゲートが閉まる所であった。
 ゴオンと音がしてゲートが閉まると、先にも後にも進めない廊下に閉じ込められた。
「な…んで?」
 おかしい。こんなはずじゃなかった。どうしてこんなにも正確に位置を把握出来るのか。まるでこの巨大な建物自身が生きていて、見張られているようだった。
 グラビティはぐぅっと力を入れて鋼鉄の壁を睨み付けた。
「潰れろ!!」
 ドン!!
 耳を壊しそうな音が響き、鋼鉄の壁が見えない鉄球にぶつかったかのように丸く窪んだ。勢いに乗って第二波の力を込め、再び放とうとした時、信じられない事が起きた。
 鋼鉄の壁が見る見る内に元の形に戻っていく。得体のしれない奇妙な事態を、グラビティは呆然となって見ていた。
「どうなってんだ…」
 恐る恐るゲートに近付き、そっと手を触れる。普通の冷たい鉄だった。ただ、以前とはひとつだけ違うことがあった。人間ならば感じない、微弱な電気が流れている。この電気が鋼鉄の壁を直したとも思えないが、これでは今までのようにゲートを破壊して突破することができない。
 グラビティは、この僅かに感じる電流を知っていた。
 あの時の、あの部屋。壁や天井が一瞬にして重火器に変化したその時に、足の裏に感じたものと酷似していた。
「エレクトロ…?」
 予想の中の人物の名前を呟く。
 ゴゥンと音がして、後ろ側のゲートが開いた。僅かに開いた先には、警備員が隊列を組んで銃を構えている。
 はっとして力を込めようとした時、首筋にチクリと痛みがした。
「く…」
 首筋に刺さった麻酔針を抜こうと手をかけたところで、意識が遠退いた。
 
 
 
 ズキズキとする頭の痛みに、グラビティは顔をしかめながら、ゆっくりと目を開けた。麻酔の抜け切らない身体は、酷く重い。見慣れたケージの小さく低い天井が、焦点の合わない目に入った。
 ふわふわとした意識の中で、鋼鉄のゲートが元に直っていく様を思い出す。
「卑怯じゃねぇかよ…」
 グラビティは、ろれつの回りきれてない声で心の内を外に吐き出した。
 監視カメラの反応の速さ、鋼鉄のゲートの修復。…アイツの“力”なのだろうか。真紅の髪をしたあの子供。無表情で、生きた感じのしない生き物。
 アイツさえいなければ。そう思った。思ったけれど。そうじゃない。違うんだと自分に言い聞かせた。忌むべきは、人間。アイツは、人間に捕われ操られているはずだ。
 だから、自分はもう一度、アイツに会わなければならない。ココから逃げるためにも、アイツのためにも。
 しかし、もう一度会いに行くにも、このままの状態では歯が立たない。いくら何を考えても、エレクトロに会いに行く手立てが思い付かなかった。
 ふと気が付けば、右の二の腕に小指の爪くらいの小さな傷があった。身に覚えのない傷に、グラビティは目を細める。
 明らかに人為的な、肉を抉る傷。細胞をサンプルとして採取した後の傷跡だった。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 1

 カタカタカタ…
 薄暗い空間に、無機質なコンピュータの音だけがする。
 
 思考を埋め尽す、0と1の螺旋。延々と続く、数列。
 
 狭くは無いはずの部屋は、整然と並ぶ大型コンピュータにすっかりと支配され、本来の広さなど微塵も感じさせない。
 
 
 紅い髪の小さな子供が鉄の椅子に座っていた。
 
 気が付いた時には、そこにいた。
 今まで何をしていたかなんて解らない。
 けれど、自分のやるべき事は知っている。経験の無い記録ばかりがある。
 だから、その記録に従っていた。従うしか無かった。
 それしか無かった。
 どうしてかは解らないけれど、そういうふうになっていた。
 
 身体中に接続された沢山のコードは、大きな知識の鉄塊たちに繋がっている。
 互いに0と1を交換し、それが何であるのかを瞬時に理解し、それをどう処理するのかを即断する。
 
 ずっと、ずっと。
 ただ、それの繰り返し。
 
 膨大な量の数列が駆け抜ける毎日。
 数列の情報を知ってはいても、それが何なのか知ろうとは思わなかった。
 それが、当たり前の事だから。
 知りうる情報を理解した所で、どうなりもしない。
 与えられた事だけを義務的に行う。
 
 
 それが、当り前。
 
 
 
 
 
 
 
 ドオン!
 
 ある時、部屋の近くから地響きにも似た音が聞こえた。
 初めての事だった。
 何よりもまず、情報を護らなければならないと判断した。
 全ての情報をネットワークを通じて、安全な所へとコピーする。
 この部屋から最も遠い地区のメインコンピュータに、一時的な避難を。
 
 ゴシャン!
 
 鉄を砕くような音がして、部屋の中が少しだけ明るくなる。
 部屋の扉が、無くなっていた。
 無くなった扉の代わりに、誰かがいた。
 
 それは情報の中に無い存在だった。
 白衣を着た研究員ではない。
 大人ですらない。
 
 自分より少しだけ幼い子供。
 赤茶色の髪をした子供。
 暗い部屋で、その真っ赤な目だけが異様に目立っていた。
 
「誰?」
 
 こちらが声を発するのと同時に、その子供も同じ事を言った。
 次の瞬間には、電子頭脳が反応した。
 
“侵入者確認… 侵入者ハ 排除セヨ”
 
 消さなくては。
 殺さなければ。
 
 神経回路を部屋全体に繋ぐ。
 床や壁、天井の鉄板が瞬時に変型して重火器になる。
 その全てが侵入者に標準を合わせる。一寸の狂いも無く、正確に。
 
 赤茶色の髪をした少年は目を丸くして、半歩だけ後ずさる。
 
「お前、名前は?」
 
 小さな侵入者は、そう尋ねてきた。それは予測範囲に無い行動だった。
 まだ撃つ必要は無い。侵入者の危険性の確認してからでも遅く無い。
 
「喋れないのか? 名前を知らないのか?」
 
 名前。
 自分の名前を知っている。
 一度も呼ばれたことは無いけれど。
 
「エレクトロ…」
「ふうん。エレクトロか」
 
 名前は、呼ばれて初めて意味を持つ。
 自分の存在を、この子供は認識してくれた。
 少しだけ、演算処理が遅くなる。
 何だろう、これは。これは、知らないものだ。
 テキストデータに残せない、文章に出来ない、何か。
 
「オレはグラビティって呼ばれてる。…お前、利用されてんのか?」
 
 グラビティ。その固有名詞を記憶しておく必要はあるだろうか。
 人間が自分を使うのは当り前の事。どうしてそれを訊くのだろう。
 
「人間に利用されるのは、当然の事だ」
「・・・そういうふうに、教えられたんだな」
 
 この少年が、何を言っているのか理解出来ない。考えようとすると演算処理が遅れる。
 常時、直接に電子頭脳に流れる情報とは違い、外部からの情報を受けるのには慣れていないせいもあるかもしれない。
 
「なぁ、エレクトロ。ここは…」
 
 パン!
 
 乾いた音がして、グラビティと名乗った侵入者はゆっくりと倒れる。その首には麻酔弾が刺さっていた。
 数人の警備員が部屋に走り込んで少年を掴み上げると、部屋を出て行った。
 
「データは無事か?」
 
 後から入って来た研究員が、そう訊いた。
 頷くと、その研究員は何も言わずに部屋を出て行った。
 データの消失も損傷も無い。遠くの地区に一時的に避難させたコピーデータはもう必要無い。
 
 その後、すぐに扉は修理されて、薄暗い部屋に戻った。
 
 
 
 繰り返す、0と1の螺旋。
 記憶して、整理して、交換して。
 それだけを考える。
 
 
 
 
 
 あくる日、研究員に連れられて、初めて部屋を出た。
 連れて行かれたのは、隣の部屋。
 その部屋の中央にある大掛かりな手術台に寝かされて、一時だけ眠った。
 
 “目”が繋がった。
 
 ここの施設内のあらゆる所に付けられ、網の目のようにネットワークで繋がる“目”。
 その“目”で、不審な事が無いか監視するように命令を受けた。自分と“目”が繋がる以前の映像データの保存も任された。
 何かあればセキュリティを作動させ、地区を封鎖するなどの処置をするように。
 巨大な施設の全てに神経回路が繋がり、自分の身体の一部になった。
 
 第7地区で、あの時の侵入者の姿を見た。
 多量に並ぶ檻のひとつ。その中で眠っていた。
 その檻を抜け出して、ここまで来たのか。
 
 グラビティ。
 この固有名詞を削除しなかった。
 必要のないデータでしかないけれど、削除しなかった。
 知識として得た記録では無く、経験として得た記憶。
 
 …削除したくなかった。
 
 初めて、自分がそうしたいと思った事だった。
 どうしてだろう。あり得る可能性をいくら想定しても、それが解らない。
 有り余る、莫大な量の知識を持っていても、答えを出せない。
 
 意識では無く、“意志”だった。
 
 
 グラビティはあの時、何を言いかけていたのだろう。
 “ここ”が、何だと言いたかったのだろう。
 考えようとすると、演算処理が遅れる。
 
 遅らせてはいけない。
 だから、これ以上は考えてはいけない。
 
 
 
 与えられた事だけを義務的に行う。
 ずっと、ずっと。
 ただ、それの繰り返し。
 
 
 
 それが、当り前。
 
 
 
 
 
終わる