時ゆくとき 2
クローン隊と仲良くなれるかもしれない夢小説だよ。
2章:毒の空
「夢乙女…」
声。誰かの声がする。
懐かしいような、その呼び声。
この声の主を知っている。
その名前を呼ぼうとした瞬間、沈み切っていた身体が急激に浮上した。
「!」
びくりと身体が動いて、夢乙女は目を見開いた。どきどきと心臓の鼓動が早い。
なんだ夢かと思った所で、夢の中の人物は誰だったのか忘れてしまった。懐かしいという感覚しか残っていない。
「んー…」
夢乙女は布団の中で伸びをする。ゆっくりと身体を起こして目に入ったのは、見慣れない部屋。
そうだった。訳が分からないまま、連れ去られてしまったんだった。
これから、どうすればいいんだろう。不安な気持ちが蘇ってきた。
ベッドから降りて、部屋の中を見渡す。急ごしらえとはいえ、元々は物置に使っていたと思われる色味の少ない部屋は整然と片付けられて、少し物寂しいものがある。
廊下へと繋がるドアのノブに手を触れた所で、夢乙女は手を止めた。
あの3人の誰かと一緒でないと、外へ出てはいけないと言われたのを思い出す。よくよく考えてみれば、軟禁状態のようなものだ。
部屋の外に出ないならいいよね…と、自分に言い聞かせて、そっとドアを開ける。隙間から廊下を見ると、防護服を着た人たちが何人か通り過ぎて行った。
重たそうなガスボンベを背負う後ろ姿が小さくなっていくのを眺めていると、防護服の人たちが足を止めて軽く会釈をする。その先から刺斬が歩いて来るのが見えた。
「刺斬さん」
廊下へ出て声をかけると、刺斬は目を細めて微笑んだ。
「おはようございます。早起きですね。それとも、寝付けませんでした?」
「お…おはようございます。夢見るほど寝てました」
「それなら、よかったです。朝飯もうすぐなんで、こちらで待っててください」
刺斬は安心したように言って、斜め向かい側のドアを開けた。
昨日のリビングルームに入ると、中には誰も居なかった。代わりに、ほんのり甘みのある香ばしい匂いが広がっている。
「もしや、部屋から出ないで待ってたんですか?」
刺斬が気が付いたように言う。
「ひとりで部屋を出ちゃダメって、言われたから…。でも、起きて、ちょうど刺斬さんが戻ってきました」
「昨日の言い方では分かりづらかったですね。ここの廊下周辺は大丈夫ですよ。この区画はクロウさんが仕切っていますし、この部屋の近くで騒動を起こすような隊員はいませんから。この部屋との行き来も遠慮なくどうぞ」
そう言いながら、刺斬は部屋の奥へ進んだ。
隊員と聞いて、それがあの分厚い防護服に身を包んでガスマスクとゴーグルを着けた人たちであることは、容易に予測ができた。具体的に何をしているのかは分からないけれど、映画なんかで時々見るような特殊部隊を頭に浮かべる。
奥にある食卓の席に案内され、促されるまま席へ座ろうとしたが、夢乙女は思い直して刺斬を見上げた。
「あ、あの…。ありがとうございます。私が迷い込んでいた街は、危ない場所だったんでしょう?」
「礼には及びません。俺はボスの指示に従っただけなんで」
「でも、あの時、刺斬さんに会えなかったら…。だから、本当にありがとうございます!」
夢乙女は万遍の笑顔で、深く頭を下げた。
刺斬は少し驚いて目を大きくする。
「…どーいたしまして」
照れ隠しなのか、刺斬はニット帽の端を少し下げて目を隠した。
「もうすぐパン焼けるんで、用意しますね」
そそくさと、奥にある…多分キッチンであろう部屋へ歩いて行った。
夢乙女は席に着いてひと息つく。
パンと聞いて、急にお腹が空いてきた。部屋に漂うちょっと幸せな気持ちにさせてくれるこの匂いの正体がパンだと分かって、夢乙女は大きく息を吸った。
刺斬さん、パン焼くんだ…あの顔で。強面なのに、ふかふかのパンを作っているのを想像したら、何だかおかしくてふふっと笑ってしまった。
程なくして、刺斬が戻ってきた。4人分の四隅の丸いランチョンマットを敷き、その両端にナイフとフォークを置く。まるでレストランのようだった。
「いつも、こうなんですか?」
「緊急で出ることがなければ」
「はぁ…」
夢乙女は感嘆した。よほど料理好きなのか、こういう仕事をしていたのか。
「まだ、あなたの街は分からないそうです。迷惑かけます」
「いえ、私のほうそこ、お世話になっちゃって」
「お気になさらず」
申し訳なさそうな笑顔を向けると、刺斬は優しく笑ってくれた。
ごんごんと、やや乱暴な音が響いて、夢乙女と刺斬は音のしたドアの方へ顔を向けた。
「クロウ連れてきたぜ」
ドアを開けて鎖が顔を出す。Ⅸ籠の手を引いて、ゆっくりと部屋へ入ってきた。
「無理に起こさなくても…」
刺斬が足取りの重いⅨ籠を見ながら言った。
「ふらふら歩いてたんだよ」
「あぁ…」
小声で口早に言う鎖に刺斬はよそよそしく返事をして、再びキッチンへ向かった。
「おはよ!」
鎖は荒っぽい見た目に似合わない、子供っぽさすら感じる笑顔で夢乙女に挨拶する。月のような瞳とは裏腹に、太陽みたいな人だなと夢乙女は思った。
「おはようございます!」
負けじと笑顔を向けると、鎖は「おうおう、元気が一番」と呟いて、夢乙女の隣の席にⅨ籠を座らせた後、自分はその向かい側の席に座った。
夢乙女は隣の席に座ったⅨ籠に目を向けた。昨日の凛とした態度とは打って変わって、どこを見ているわけでもなく、気が抜けたようにぼんやりとしている。
「クロウくん、おはよう」
声をかけて顔を覗き込むと、Ⅸ籠はこちらへ顔を向けたが、鈍い動作でまた何も無い空間を眺め始めた。
「あー、寝起きで反応悪ぃだけだ、気にすんな」
鎖が苦笑いを浮かべる。
それから、夢乙女は鎖といくつかの話をした。その殆どがよくある他愛も無い世間話。鎖たちが何をしているのか気になっていたが、それはきっと触れてはいけない話題なんだろうと感じていた。何より、ここでの事は全て忘れることを約束している。深い詮索はしないほうがいい気がした。
「譲ちゃん、お前はいい女になる」
それを知ってか知らずか、鎖は会話の最後に、にっと笑ってそう言った。
鎖は話をしながらも、時折思い出したようにⅨ籠の目の前で手を振って様子を伺っていた。それの6回目になって、Ⅸ籠の意識は覚めたようだった。
「よ、寝ぼすけ大将」
鎖がいの一番にからかう言葉を投げると、Ⅸ籠は半目で鎖を睨んだ。
「寝てたわけじゃ…」
「刺斬、飯早くー! 大将がお目覚めだぞー!」
Ⅸ籠の言葉を遮るように、鎖が大げさな声を上げる。その意図に気付いたらしいⅨ籠は、口を閉ざした。
奇妙な雰囲気を感じながらも、夢乙女はⅨ籠の顔を覗き込んだ。
「起きた? おはよう」
「おは…よ…」
Ⅸ籠は、こちらをちらりと見た後、首を縮めて顔を伏せた。
「お待たせです」
刺斬が料理を運んできた。
焼きたてのテーブルロール、ベーコンエッグ、鮮やかなサラダに具沢山のクリームスープ。彩りも盛り付けも、やはりレストランの朝食のようだった。
Ⅸ籠がクリームスープを細目で見つめた後、刺斬を見上げる。
「刺斬、キノコ入れたな?」
「さすがボス、見事な直感です。でもダメです。食べてください」
「オレは視認できる大きさのカビを食べ物とは認めてない」
「屁理屈言わないで食べてください」
「鎖、お前が食べろ」
「やなこった」
鎖はⅨ籠が押し付けたスープを、そのままⅨ籠の方へ戻す。
夢乙女は3人のやり取りに口を挟んでいいものか迷っていたが、我慢できずにⅨ籠に訊いてみる事にした。
「…キノコ、嫌いなの?」
ぴくりとして、Ⅸ籠の動きが止まった。否定しない肯定。疑問は確信に変わる。
「せっかく刺斬さんが作ってくれたんだし、好き嫌いしないで食べようよ。ね?」
「……」
言い聞かせるように言うと、Ⅸ籠は黙ってスープを食べ始めた。あまり噛まずに飲み込んでいるようだったが、食べないよりはいいと思った。
ふと、刺斬をみると、両手の平を合わせて拝むように天を仰いでいた。一方、鎖はガッツポーズを決めている。
2人の突然の行動に状況が飲み込めず、夢乙女は目をぱちぱちと瞬いた。
「譲ちゃん、よくやった…!」
感じ入ったように、鎖が力を込めて言った。その横で刺斬はうんうんと大きく頷いている。
Ⅸ籠はその後、何か話を持ち掛けられれば答えるくらいで、静かに食事をしていた。
刺斬の料理は、驚くほど美味しかった。
ほかほかのパンは中はもちっとして外はカリカリ。ベーコンエッグのベーコンは厚切りなのにやわらかく、クリームスープは濃厚で味わい深い。サラダのドレッシングは今まで食べたことのない味だから、きっと手作りかもしれない。
こんな美味しい物を毎日食べられるⅨ籠と鎖が、何だか羨ましく思えてしまった。
食事をしながら、少しだけ、ここの事を教えてもらった。ここは大きな国の中にある特別な組織で、国からの信頼も厚いそうだ。この建物はいくつかの区画で構成され、各区画にはそれぞれボスの存在がある事。そのために、区画間で抗争が起きてしまう問題もあるらしい。そして、組織の上層部の命令で活動している事。何を目的とした組織なのかは教えてもらえなかったが、緊急で出てしまう事があるからその時にはひとりにさせてしまうかもしれない事を、申し訳無さそうに話していた。
食事が終わると、鎖は用事があるからと早々に部屋を出て行った。
Ⅸ籠はソファーに座ると、刺斬から書類を受け取って目を通し始め、何枚か見終わると刺斬に返した。刺斬は書類を受け取って奥の部屋に行った。
夢乙女は用事が終わったのを見計らって、Ⅸ籠の隣に座った。
「飴食べる?」
夢乙女はポケットから大粒の飴玉を出した。食事中に上着のポケットに飴がいくつか入っていたのを思い出して、それをⅨ籠にあげようと思っていた。
「それ、何の弾丸だ?」
Ⅸ籠は不思議そうに飴玉とこちらの顔を交互に見た。
「だんがん? 大きめだけど、飴だよ。飴嫌い?」
「あめ…」
と、確認するように言いながら、Ⅸ籠が夢乙女の手から飴を取った。個包装から出すと、飴玉を注意深く観察する。
「火薬が入ってない…。毒性物質もないし魔力も感じない。これじゃ、殺傷力は低いな。投げれば頭を撃ち抜くくらいはできるか…」
まじまじと飴玉を見ながら、よくわからない事を小声で呟くⅨ籠を見て、夢乙女は首を傾げた。
「もしかして、飴知らない?」
声をかけると、Ⅸ籠は自分が考えが間違っているのを理解したようで、顔を上げてじっと見つめてきた。
「飴だよ、飴。食べられるんだよ」
夢乙女はポケットからもうひとつ飴を出して袋を開けると、自分の口に飴を入れた。
それを見て、Ⅸ籠は真似するように飴を口に入れた。分かってもらえてよかったと思った 次の瞬間。
がり。
はっきりと聞こえる、砕けた音。その後もぼりぼりと硬質な音が続く。
まさか硬い飴を噛み砕くとは思ってなくて、夢乙女は口を半開きにしてⅨ籠を見ていた。
「これ、美味しいな…」
ぱっと表情を明るくして、Ⅸ籠が言った。
「よかった。もっとあげる。これしかないけど…」
残りの飴を全てⅨ籠に渡す。イチゴ、マスカット、レモン、オレンジ、ミルク味の飴がひとつずつしか残っていなかった。
「…ありがと…」
Ⅸ籠は、はにかんだ笑顔で言うと、飴を両手で握り締めて立ち上がる。
「解析班に渡してくる。量産できるかも」
そう言い残し、嬉々とした様子で部屋を出て行った。
夢乙女はⅨ籠を見送った後、飴工場でも作る気なのかなあと、そんな事をぼんやり考えた。飴は噛み砕くものではない事を教えるのを忘れてしまったから、後で教えてあげなければ。それにしても飴を知らないなんて珍しい。この地域は飴が一般的ではないのかもしれない。
刺斬が言った通り、Ⅸ籠は大人しい子だなと思った。ボスというから、わがままで威張り散らすような子だと思い込んでいたが、その考えを改める事にした。もしかしたら、元々は父親がボスでⅨ籠は二代目なのではないかと、そんな想像もした。だから先代にお世話になったであろう刺斬と鎖がⅨ籠を可愛がっているのではないだろうか。
夢乙女は朝食の後片付けをしている刺斬を手伝った後、部屋に戻る事にした。
廊下に出ると、少しだけ冷えた空気と静けさが広がっている。青白い蛍光灯の光が少し頼りなく見えた。
自分に宛てがわれた部屋のドアへ手を伸ばして、思いとどまる。ここの廊下近くは安全だと聞いたのだから、少し見て周ろうと思い立った。廊下は長く遠くまで続いている。反対側の先には非常口らしいドアが見えた。
そういえば、この廊下には窓がひとつも無い。廊下だけではなく、リビングルームも、借りている部屋にも窓が無かったことに気付く。
「外…」
ぽつりと夢乙女は呟いた。外に出れば、もしかしたら見覚えのある風景が見えるかもしれない。自分が住んでいる国ではないのは確かにしても、ニュースや本で見た事がある物があれば、おおよその場所の特定はできるのではないだろうか。あの3人の話から推測すると、この国はとても大きいらしいから、きっとどこかで見たような建造物がある気がする。
夢乙女は吸い寄せられるように、非常口へと近づいた。重たそうな鉄製のドアには、何か張り紙でもしてあったのか、古びて黄色くなったセロハンテープの跡と、誰がやったのか「開けたら必ず閉めてね☆」と細い文字で彫られていた。
見た目よりも重いドアを力を入れて押す。ギギギと軋みながら開いたドアの先は、2メートルほどしかない薄暗い通路。その先にまた同じようなドアがあったが、2つ目のドアにも鍵は掛かっていなかった。
外の風景は…。
「……」
眼前に広がっていた世界に、夢乙女は言葉を失った。
薄暗い世界。まだ日が暮れる時間ではないのに、空は夕焼けを濁したような薄汚い赤い色だった。どの方向を見ても砂埃でノイズが掛かったような掠れた景色。空に浮かぶ雲らしいものも、淀んだ黒色をしている。ひゅうひゅうと騒がしく吹く風は、時折、猛威を振るって暴風へと変わる。苦味を感じる風だった。
夢乙女は、螺旋型の非常階段があるバルコニーへ足を踏み出す。ざり、と、砂粒を踏んだ音がした。風に髪を乱されながら、フェンスへ歩み寄り、地上を見下ろす。
砂埃のせいで視界が悪く、地上の様子を見ることは出来なかったが、この階は高層ビルの最上階に近い場所であるのが分かった。
突然、フェンスの格子を掴んでいた手から力が抜け、滑り落ちるようにその場に座り込んでしまった。
「あれ…」
痺れて震える手。全身から力が抜ける感覚と同時に、寒気に襲われて鳥肌が立つ。
身の危険を感じた時には既に遅く、身体がゆっくりと倒れて、意識が遠のいた。
「夢乙女」
呼ぶ声がする。
「聞こえるか?」
夢で聞いた声。
「その組織は危ない。早く…」
この声。そうだ、ずっと前によく聞いていた声に似ている。
幼馴染で、隣に住んでいた・・・。
「!」
がばっと飛び起きた。視界に入ったのがあの赤い空ではなくて、借り部屋の風景に少しだけ安心する。
「はぁ…」
大きく息を吐く。赤い空は夢か、と、そう思ったところで、視界の端にいるⅨ籠に気づいた。ベッドの傍の椅子に座って、やや驚いた顔をしている。
Ⅸ籠は目が合うと、安堵したらしく肩を下げた。そしてすぐに表情を固くして、こちらに身を乗り出した。
「どういうつもりだ? どうしてこんな日にそのまま外に出た? 対毒性がある身体じゃないだろう? まさか死にたかったのか?」
「え…え?」
Ⅸ籠の質問攻めに思考が追いつかず、どう返答すればいいのか考えていると、Ⅸ籠は、はっと何かに気付いたように目を大きくした。
「お前の住んでいる所は、地下都市か海底都市なのか? もしかして宇宙都市…? それとも、街全体を覆うような大規模な防砂設備があるのか? それならある程度は街を特定できるかも…」
「ま、待って待って。ごめん、話がよく分からないんだけど…」
夢乙女は、首をかしげながらあれこれと思案するⅨ籠に制止をかけた。物静かな子だと思いきや、口早に色々と言うものだから面食らってしまった。
Ⅸ籠の様子から、良からぬ事態だった事は容易に推測できた。つまり、あの赤い空は夢じゃなくて、自分は外へ出て気を失ってしまったのだと。
話を止められたⅨ籠は、夢乙女をじっと見つめて次の言葉を待っていた。
「訊いてもいい?」
「いいぞ」
「今日って、何かあるの? 外、凄いことになってたんだけど…」
「今日は濃毒砂の日だ。ここは、他の地域に比べて毒砂が濃いから、驚くだろうな」
「…毒砂って、何…?」
「え?」
Ⅸ籠が怪訝な顔をする。
「お前、まさか記憶喪失…?」
「えっ? 何でそうなっちゃうの? 私、自分のことも、昔のことも覚えてるよ?」
「毒砂を知らないなんて…。お前、どこから来たんだ…」
心底驚いたように、Ⅸ籠は背筋を伸ばした。
それからⅨ籠は、毒砂について説明してくれた。砂埃に混じった有害な毒が、風と一緒に吹き荒れているという事を。毒砂の少ない日であれば、1日外へ出ても問題は無いらしいが、濃い日は十数分で命を落としてしまうらしい。
月の周期の影響を受けて特に酷い日が3日ほど続く事、そして今日がその日であった事。毒砂は決して珍しいものではなく、濃度の差はあるものの、世界中で当たり前にあるという事を教えてもらった。
でも、夢乙女は今までで毒砂なんて聞いた事がなかった。命に関わるほど危険な毒であるのなら、報道されないはずが無い。
心の底で萎みかけていた不安は、急に膨れ上がった。
夢乙女はぎゅっと目を閉じ、両手で顔を覆った。ここはどこなのか。見たことが無い空。自分の知らない事が当たり前の世界。頭の中で考えが纏まらない。纏まるはずがない、未知の領域に踏み込んでいるのだから。理解できるわけが無い。
うな垂れる夢乙女の様子を、Ⅸ籠は静かに眺めていた。どう声をかけていいものか、分からないようだった。
「…ごめんね、心配かけて。助けてくれて、ありがとう」
気が落ち着いてきた頃、夢乙女はⅨ籠に謝った。
「気にするな。ここが、お前に合わない環境なだけだ。必ず帰してやるから、お前は何も心配しなくていい」
Ⅸ籠は大きく深呼吸して、立ち上がった。足音も無く部屋の出入り口へと進み、そこで振り返る。
「お前が住んでいる場所は、毒砂が無いんだな。オレ…、そんな世界があるなんて、知らなかった…」
Ⅸ籠が目を細めて、ゆっくりと言った。それは無知な自分を蔑んでいるようであり、夢乙女が遠い存在である事を憂いているようでもあった。
-終-