時ゆくとき 3
クローン隊と仲良くなれるかもしれない夢小説だよ。
3章:灰色の町
夢乙女が元気が無いと、話を聞きつけたらしい鎖は、毒砂の少ない日に夢乙女を外へ連れ出した。
黒いサングラスをかけた鎖は燃えるような赤い髪を風に靡かせながら、落ち着いたモスグリーン色の大型二輪バイクを操る。
夢乙女は、そんな気遣いが、嬉しくもあり、また申し訳なくも感じながら、後ろから鎖の腰に両腕を回してしがみ付いていた。腹に響く低いエンジン音と、風を切る音。ロングコート越しからでも分かる、温かい体温とがっしりとした筋肉質の身体は、思っていたよりも細身である事に驚いた。
景色は見渡す限りの広い荒野。所々に崩れたビルの鉄骨やコンクリートの残骸が見える。ここは昔は町だったのだろうか。どこかに見たことのあるものがあれば…と、微かな思いで目を凝らしてみる。毒砂で掠れた景色は、遠くにビル群らしきものが見えるのと、何か巨大な建造物の黒い影が見えるのと、濁って紫色がかった空と荒野の薄茶色が広がっているだけだった。
「毒砂がない空を見たことあるなんてなぁ。俺も一度は拝んでみたいもんだぜ」
鎖が言った。夢乙女は目線の先にある巨大な建造物が気になって見入っていたため、話を半分くらいしか聞いていなかった。
「ごめんなさい、よく聞いてなかった…」
「毒砂のない空、俺も見てぇなって」
「それじゃあ、私の街に来ますか?」
「デートの誘いなら喜んで行くぜ!」
朗らかな笑い声を上げる鎖に、夢乙女は沈んでいた気分が少しだけ浮き上がった。この人は他の人まで巻き込んでしまうくらい、元気で明るい。
駆け抜ける風はお世辞にも爽やかと言えないし、濁った空は気分の良いものではないけれど、こんな場所でも笑顔で生きていられるんだなと、夢乙女は感慨深かった。
暫く走り続けて、崩れた大きなビルのすぐ近くを通り過ぎると、鎖は後方を見遣った。
「面倒くせぇのが来たな…」
倒れたビルの陰から、バイクの急発進音が重なって響く。振り向けば、いかにもガラの悪そうな男たちが数人、バイクに跨り追いかけて来ていた。
「はははっ! 俺に挑むたぁ、いい度胸じゃねぇか。譲ちゃん、しっかり掴まってな!」
鎖が声を張り上げ、エンジン音が高鳴ると共に速度が一気に上がった。
強い風圧に薄く目を開けると、流れる景色の速さの中、怖そうな男たちは徐々に距離を詰めていた。片手には鉄の棒やら木刀やらを持っている。
「譲ちゃんには刺激が強いかもなー、目ぇつぶってたほうがいいかもなー。あと、舌噛んじまうから、しっかり口閉じてな?」
冗談なのか本気なのか、鎖が意味ありげに言った。
追走しているひとりが急激に速度を増し、すぐ右側へ車体を寄せる。振り下ろされた鉄の棒を鎖は前腕で受け止めると、すぐさま鉄の棒を掴んで奪い取った。鉄の棒を奪われた男は、バランスを崩して失速し、過ぎる景色の中に小さくなっていった。
「ほぉら、ダチの得物返してやるよ!」
悪戯な声を上げて、鎖は鉄の棒を真後ろに走っていた男へ投げつける。見事に顔面に喰らった男の身体が仰け反ってバイクから浮き上がり、地面に叩きつけられるようにして落ちた。
怒りの表情で左側へ寄って来た別の男に、鎖は勢い良く脇腹へ蹴りを入れた。ぐらりと体勢を崩した男は、眼前に迫っていたビルのコンクリートの壁に…。
夢乙女はぎゅっと目を閉じた。一瞬だけ見えた、恐怖の張り付いた男の顔が目に焼き付いて離れない。それから目を開けられないまま、夢乙女は鎖の背中に額を付けていた。
右へ左へと揺れる身体、時折走る衝撃、風圧の轟音の中から聞こえる何かがぶつかる鈍い音、鎖のからかう声と男たちの怒声。
ずっと力を入れ続けていた腕が痺れてきたころ、バイクはゆるゆると減速して止まった。
「大丈夫か?」
鎖の声に、夢乙女は目を開けて顔を上げた。
鎖がサングラスを少し上げて、こちらを見下ろす。
「危ねぇ目に遭わせちまったな。刺斬だったらもっと早くあいつら倒せてたかもなぁ。クロウだったら…いや、何でもねぇ」
肩を竦めて苦笑い。夢乙女も釣られて笑顔を作ったが、まだ身体に緊張が残っていたせいか微妙な笑顔になってしまった。
「悪ぃな、怖かったろ」
鎖は目を細めて、夢乙女の頭をぽんぽんと叩いた。大きな手は、優しい暖かさだった。
怖くなかったと言えば、嘘になる。本当はとても怖かった。…でも。そう言いたくは無かった。
「大丈夫ですよ」
夢乙女は、今度こそしっかりと笑顔を向けた。
「譲ちゃん、クロウに負けないくらい強がりだなぁ」
鎖はくくっと笑った。
「!」
突然の頬の冷たさに、夢乙女はびくりと身体が跳ねた。
「お疲れさん」
振り向けば、鎖が薄く水滴の付いた缶コーヒーを手にしていた。夢乙女はお礼を言って缶コーヒーを受け取った。
町外れの小さな公園。鎖は夢乙女をここへ連れて来たかったらしい。鎖の話では、この田舎町は小さいけれど、この辺りで一番綺麗で一番治安が良いのだそうだ。人通りは少ないが、ビルや住宅家屋が見える方からは、がやがやとした賑わいの音が聞こえる。初めて来た場所ではあったが、ありふれた日常風景にほのかな懐かしさを感じられた。鎖は田舎町だと言ったが、高層ビルや高架橋が多くあり、とても田舎には見えない都会街だった。
2人で公園のベンチに座り、遠くを眺める。
夢乙女は缶コーヒーをひと口飲む。甘いカフェオレで、冷たさとコクのある苦みに頭がすっきりした。ふぅと、深くひと呼吸する。
「鎖さんって、喧嘩強いんですね」
バイクで追いかけて来た男たちを思い出しながら、夢乙女は言った。
「ははっ。それほどでもねぇよ。まだアレならマシな方だ。もっと危ねぇのがわんさかいるからな。この辺は平和なもんだ」
鎖は飲み終わったコーヒーの空き缶を投げた。大きな弧を描いて飛んで行く缶は、30メートルほど離れた場所にあるアルミのゴミ箱にカランと音を立てて入った。音に驚いた数羽の小鳥が、薄茶色の芝生から飛び立って行く。
鎖の見事な投擲に見惚れていると、夢乙女はこの公園から感じていた違和感に気が付いた。芝生はあるが木が1本も無い。大抵の公園は木や花が植えてあるのだけど、ここの公園には見当たらなかった。町の方へ目を遣ってみても、街路樹すらも無い。緑の無い、灰色の町だった。
「この町には、よく来るんですか?」
「この町はまたに、だな。外出しすぎだって刺斬に言われてんだけどよ、俺ぁ外出てる方が好きなんだ。“外”は広くていいぜ。閉じ篭ってたら、身体にカビ生えちまうよ」
ケラケラと笑いながら、鎖が答えた。
ふと、細かな振動音がして、鎖がコートの中から何かを取り出した。見た目には携帯端末だったが、一般に良く見る物と違っているように見えた。少し気が引けたが、横目で画面を見ると「刺斬」の文字が映っていた。鎖はばつが悪い表情を浮かべてひと呼吸した後、電話には出ずにコートの中に戻す。
いいのかなぁ…と、思いながら、夢乙女は再びカフェオレを口にした。
空に太陽が昇り切っているが、やはり毒砂のせいで曇り空のような明るさしかなく、青みがかった灰色だった。ぼやけて頼りない太陽の光は、世界を照らす事を諦めているような雰囲気を感じる。
遠くを見遣ると、来る時に見えていたあの巨大な建造物の影が、ここからでも見えた。見る角度が違うからなのか、形が少し変わっていた。あの存在感は、不気味さを感じさせるせいなのだろうか。
「チェインさん、お久しぶり!」
公園に若い男の声が響いた。見れば、ぞろぞろと十数人の青年が集まっていた。
「おう、元気だったか?」
鎖が軽く手を挙げて挨拶を返す。
夢乙女は鎖がチェインと呼ばれた事に疑問を感じていると、鎖がそっと耳元に顔を寄せてきた。
「俺ぁ、外ではチェインって通り名だ。大っぴらに外歩けねぇ日陰者だからよ。ちなみに、刺斬は”ムラサメ”、クロウは”八咫烏”な」
と、小声で囁いた。
「こないだ、西町の暴れ者ぶっ倒したっての、チェインさんっしょ?」
期待の眼差しを鎖に注ぎながら、青年が尋ねた。
「西町? あー、あいつらなー。あっちから吹っかけてきやがったんだよ」
「うお! やっぱり! みんな手ェ焼いてたとこだったんですよ! さっすが!」
「あんまり言うなよ? 言い囃されんのは性に合わねぇ」
興奮する青年を制するように、鎖は少し低い声で返した。
青年は「分かってますって」と言いながら上機嫌で鎖の傍を離れると、入れ替わるようにして別の青年が寄って来る。
「前に、八咫烏さんが赤いキャップの子と茶髪っ子と3人で歩いてたんスけど、お友達スか?」
「何だって…?」
鎖が急に立ち上がった。
「いつだ!? どこで見た!?」
常とは違う真剣な顔で、鎖が大きな声を出した。声をかけた青年は、何事かと目を大きくする。
「北町の空き地の先歩いてましたよ。…1ヶ月も前スけど」
「…そ、そか。…あー、いや、そいつぁ八咫烏じゃねぇ。そんなダチいねぇよ」
鎖は肩を落として、ゆっくりとベンチに座り直した。
「違うんスか。世の中にはソックリな人がいると言うっスしね」
「あ、ああ…。そだな…」
鎖は白々しい返事をして、俯いた。その横顔を夢乙女は見ていた。サングラスの隙間から覗く、思い詰めた緊張の表情と突き刺すような鋭い目。獣の牙と見間違うくらい大きな犬歯でぎりりと歯を噛んでいたが、すぐに気分を入れ替えるように深呼吸をして顔を上げた。じっと夢乙女に見られていた事に気付いた鎖は、いつもの陽気な笑顔を見せた。
「ところで…」
おずおずとした態度で、また別の青年が夢乙女をちらちら見ながら鎖に声をかける。
「その可愛い子…。ま、まさか、チェインさんの女…ですか?」
「へ?」
突然の質問に、夢乙女は固まった。
「ぷっ…ぶははっ! バカ言うな、大事な客だ。お前ら、手ぇ出したらタダじゃおかねぇぞ!」
鎖は上を向いて大笑いをして、青年をジロリと見た。
「うっひょ、怖ぁ~!」
青年が大袈裟に怖がる仕草で飛び上がってみせると、どっと笑いが広がった。
他愛の無い談笑が続き、のどかな時間が過ぎる。夢乙女も青年たちとの会話に交じり、沢山の笑顔をもらい、沢山の笑顔を返した。
それじゃあ、また。と、最後まで残っていた青年が別れを告げると、公園には静けさが戻った。
日は傾き、薄暗さは増して、空は赤みを帯びてきている。
「さぁて、そろそろ戻るとすっかぁ」
鎖は立ち上がって大きく伸びをした。
「ありがとうございます。何だか、元気になれました」
夢乙女は立ち上がり、鎖に頭を下げた。突然の事に、鎖はぽかんと口を開ける。
「…お、おう…」
人差し指で頬を掻いて、鎖が照れくさそうに顔を伏せる。
「俺ぁ、その…人の励まし方とか分かんねぇから、ちっとでも気晴らしになったんなら、よかった」
わしゃわしゃと、大きな手で頭を撫でられて、夢乙女はくすぐったさに肩を竦めた。
気さくな笑顔。強さを鼻にかけない真っ直ぐな性格は、爽快そのもの。多くの人が鎖の人柄に惹かれている理由が、分かった気がした。もし鎖が地元の街に来てくれたら、毒砂の無い空に輝く太陽を指差して「鎖さんって太陽みたいだよね」と言ってみようと心に決めた。
鎖のバイクに乗ると、視界にあの巨大な建造物の影が見えて、夢乙女はそれを眺めた。
ここに来て見た時と形が変わっている。そんなはずは…と、思いながら記憶を辿るが、やはり形が違っていた。
「アレが気になんのか?」
夢乙女の目線の先に気が付いた鎖が、声を掛ける。
「アレは管理者がいる廃施設だ。一般人はまず近づかねぇ」
「管理者…?」
そういえば、Ⅸ籠が前にその名を言っていたのを思い出した。
「管理者は、何でも知ってんだ。クロウはエグゼに頼んで管理者のデータから譲ちゃんの街を調べてもらってる。エグゼはセキュリティ突き破ってデータ探してくれるんだが…今回は上手くできねぇらしい。あー、エグゼってのはクロウの知り合いな。ダチってわけじゃあねぇが」
話しながら、鎖はバイクに跨って、エンジンを掛ける。振動を伴う低い音が身体に響いた。
「直接、管理者に会うにも、あの”廃施設そのもの”が管理者だからな。そう簡単に入れてくれねぇ」
「あの建物、生きてるの?」
「ははっ、面白ぇこと言うな。でも間違っちゃいねぇ。生きてるって言ってもいいくらいだ。たま~に形が変わってやがる。前に運よく中に入れた連中は、内部構造が次々変わるって言ってたぜ。ありゃあ迷宮だ」
「そう…なんだ…」
夢乙女は遠くの廃施設から目を離せずに、半ば空返事で相槌を打った。
どうしてかは分からないけれど、管理者の事が気になって仕方が無かった。
日が沈む前に鎖たちの住む高層ビルに戻った。
リビングルームに入ると、険しい顔でタバコを咥えた刺斬がソファーに座っていた。目が怖い。
「おかえりなさい。楽しかったですか? …と、言いたいところっスけど…」
ふぅと、タバコの煙を吐く刺斬。
「鎖さん…。何故、電話出なかったんスか。勝手に夢乙女さん連れ出して。…クロウさん、ご機嫌斜めです」
「おうおう、機嫌損ねちまったか。んじゃ、こってり絞られに行って来ますかねぇ」
悪びれる様子も無く、鎖は陽気に手をぷらぷらと振る。
「譲ちゃん、またな!」
片目をつぶって万遍の笑顔を残し、軽やかな足取りで鎖は部屋を出て行った。
-終-