TOOL 2
黄色味を帯びた肌に、赤茶色の髪を生やした少年。
名前はグラビティ。名前と言っても、親からもらった名前では無い。ただ、そう呼ばれるようになっているから、それが自分の名前になっていた。
グラビティは狭いケージの中、ごろりと寝転んでぼんやりとしていた。
あの時に見たものが、今でも目の前に見えてるように覚えてる。
暗い部屋に座っていたヤツ。
名前はエレクトロだったか。体中にケーブルやコードが繋がっているのが、印象的だった。
いきなり部屋中が銃だらけになったのは、正直恐かった。まぁ、勝手に部屋に入ったのは悪いのかもしれないけど、こっちだって都合があったんだ。
撃たれなくて良かったと思うのがいいかもしれない。あれは、眠らされるヤツじゃなかった。きっと血がいっぱい出るヤツだ。
アイツが、あの全部の銃を操っていたのは何となく分かる。きっとそれがアイツの“力”だ。
全く分からないヤツだけど、きっと自分とどこか同じだと思う。
そう感じた。
少なくとも、この部屋の連中よりは。
自分が生まれたのが、いつなのかなんて知らない。
ただ、分かるのは、自分はここに居てはいけないという焦燥感があるということと、他人とは違う“力”があること。
そして、時々遠く古い記憶の奥底にある、何者かの声が響く。顔も知らない、どんな声でどんなことを言われたのかも覚えていない。知らない覚えていない誰かが、自分の中にいる。
それらから自分が弾き出した答えはひとつ。
生まれ育ったここを捨てて、知らない外の世界へ。
帰る所も無い、行き先の無い脱出を。
「ギィギィ!!」
金切り声を上げて、向い側のケージに入っていた硬そうなウロコを身体に纏った大きなイモ虫みたいなヤツが、研究員たちに連れて行かれた。
その様子をグラビティを始め、部屋内の実験体が見ていた。金切り声に反応してギャアギャア騒ぎ始めるヤツもいた。狂ったように自分の身体を掻きむしって喰らい付くヤツもいた。
ここにいる連中は、いつ自分がそうなるか恐怖に縛られていた。研究員に連れて行かれれば、自分が自分でなくなって戻ってくる。少しづつ自分の身体に異物を投入されて、自分のものではない身体の一部が増えて行く。時には二度と戻って来ないヤツもいた。
研究員が実験体を連れて行った今がチャンス。暫くは実験に夢中になって、研究員はこの部屋に戻って来ない。
グラビティは身体を起して、鉄格子を握った。
脱走を察したのか、右隣りのケージにいるワニの頭をした6本足の獣が目を開ける。
「…ソト…イク…ヤメ。シヌ…サレル」
ガラガラした聞き取りにくい声で、その獣が言ってきた。
「悪いな、そういうワケにはいかねぇんだよ」
「ソト…ナイ…。ココ…スベテ」
「無いんじゃねぇよ。知らねぇだけだ」
グラビティは握った鉄格子を睨み付けた。バキンと音がして、握っていた鉄格子が小さく潰れて外れた。同じことをやって身体が出られるくらいにまで鉄格子を数本外すと、グラビティはケージを出て、慣れた動作で積み重なったケージを飛び下りる。10メートル以上もの高さから、ふわりと音も無く床に足を付いた。
それを見ていた何体かの異形の生物たちが、訴えるように声を出してきたが、グラビティは聞こえないふりをして部屋を出た。
人の気配のない廊下は、灰色しかない通路。冷たい光をぼんやりと放つ蛍光灯が天井に並んでいる。
グラビティは慎重に一歩を踏み出して、感覚を研ぎ澄ました。
獣と同じ聴覚も、嗅覚も、視覚も、所詮は人間の娯楽による付加物でしかないけれど、それが嫌でも役に立つ。
冷たい床をひたひたと裸足で進む。どっちの方向が出口だなんて分からないけれど、進むしか無い。
ジジっと微かな音がした。人間ならば絶対に聞き取れない小さな音。その音の方向にを見上げると、壁の上、天井近くに円いガラスがあった。
監視カメラ。そう思った時には手後れだった。
辺りはたちまち警報音に包まれる。
何でこんなに監視カメラの反応が速くなっているのだろう。以前は監視カメラなんてあって無いようなモノでしかなかったのに。所詮、人間が遠くの部屋で見ているだけだから、見落とすことが殆どであったのに。
「くそ!」
グラビティは叫んで走り出した。できる限りここから離れなければ。
全速力で廊下を駆け、突き当りを曲がろうとしたが、分厚い鋼鉄のゲートに塞がれていた。慌てて反対方向に身体を返したが、その方向は、今まさにゲートが閉まる所であった。
ゴオンと音がしてゲートが閉まると、先にも後にも進めない廊下に閉じ込められた。
「な…んで?」
おかしい。こんなはずじゃなかった。どうしてこんなにも正確に位置を把握出来るのか。まるでこの巨大な建物自身が生きていて、見張られているようだった。
グラビティはぐぅっと力を入れて鋼鉄の壁を睨み付けた。
「潰れろ!!」
ドン!!
耳を壊しそうな音が響き、鋼鉄の壁が見えない鉄球にぶつかったかのように丸く窪んだ。勢いに乗って第二波の力を込め、再び放とうとした時、信じられない事が起きた。
鋼鉄の壁が見る見る内に元の形に戻っていく。得体のしれない奇妙な事態を、グラビティは呆然となって見ていた。
「どうなってんだ…」
恐る恐るゲートに近付き、そっと手を触れる。普通の冷たい鉄だった。ただ、以前とはひとつだけ違うことがあった。人間ならば感じない、微弱な電気が流れている。この電気が鋼鉄の壁を直したとも思えないが、これでは今までのようにゲートを破壊して突破することができない。
グラビティは、この僅かに感じる電流を知っていた。
あの時の、あの部屋。壁や天井が一瞬にして重火器に変化したその時に、足の裏に感じたものと酷似していた。
「エレクトロ…?」
予想の中の人物の名前を呟く。
ゴゥンと音がして、後ろ側のゲートが開いた。僅かに開いた先には、警備員が隊列を組んで銃を構えている。
はっとして力を込めようとした時、首筋にチクリと痛みがした。
「く…」
首筋に刺さった麻酔針を抜こうと手をかけたところで、意識が遠退いた。
ズキズキとする頭の痛みに、グラビティは顔をしかめながら、ゆっくりと目を開けた。麻酔の抜け切らない身体は、酷く重い。見慣れたケージの小さく低い天井が、焦点の合わない目に入った。
ふわふわとした意識の中で、鋼鉄のゲートが元に直っていく様を思い出す。
「卑怯じゃねぇかよ…」
グラビティは、ろれつの回りきれてない声で心の内を外に吐き出した。
監視カメラの反応の速さ、鋼鉄のゲートの修復。…アイツの“力”なのだろうか。真紅の髪をしたあの子供。無表情で、生きた感じのしない生き物。
アイツさえいなければ。そう思った。思ったけれど。そうじゃない。違うんだと自分に言い聞かせた。忌むべきは、人間。アイツは、人間に捕われ操られているはずだ。
だから、自分はもう一度、アイツに会わなければならない。ココから逃げるためにも、アイツのためにも。
しかし、もう一度会いに行くにも、このままの状態では歯が立たない。いくら何を考えても、エレクトロに会いに行く手立てが思い付かなかった。
ふと気が付けば、右の二の腕に小指の爪くらいの小さな傷があった。身に覚えのない傷に、グラビティは目を細める。
明らかに人為的な、肉を抉る傷。細胞をサンプルとして採取した後の傷跡だった。
つづく