TOOL 12

 ジェノサイドの考案により、グラビティは何事も無く、7区に戻れた。
 ホリックとか言うヤツの上で寝転がっていたせいで、あちこち身体が痛い。アイツの身体は、何であんなに硬いんだろうか。
 白くて広い部屋は、沢山のケージが並んでいる。まるで図書館の本棚のように高く積んである。
 その中に、一体ずつ潜む生物。
 動物と言うには人間に近く、人間と言うには動物に近い生き物たち。中には、明らかに異常な姿をしたものもいる。
 ケージの中で暴れるもの、奇声を上げるもの、動かないもの。…死んでいるものもいるだろう。
 そんなケージのひとつの中に、グラビティは戻された。
「なぁ、エレクトロ。オマエは、退屈じゃねぇのかよ?」
 狭いケージの中で、クラビティは寝そべったまま、エレクトロに声をかけた。
 声をかけたと言っても、自分の耳に入っている、エレクトロとの通信機にだけど。
“退屈?”
「だって、オマエよぅ、ずっとその部屋で座ってるんだろ?」
“うん。でも俺は、退屈という事がどういう感情から生まれるものなのか、解らない”
「ああしたいとか、こうしたいとか、そんな風に思わねぇのか?」
“解らない…”
「まぁ、いいけどよ」
 グラビティは、話しを止めた。
 エレクトロを悩ませてしまうと、いつもやっているという、演算処理とかいうのが遅れて困るだろうし。
 エレクトロは、こちらから話し掛けなければ、何も言わなかった。そして、この施設のことの質問にも、答えてくれないことが殆どだった。
 だからグラビティは、時々だが他愛のない会話をエレクトロにしていた。
 エレクトロは解らないだとか、そういう命令はされていないとか、答えることが多かったけど、それでも少しは嬉しそうに言い返してくれるから、きっと話をするのが楽しいんだと思う。
 グラビティにとっても、今までの苦痛なまでの退屈な時間を過ごすよりは、ずっとずっと楽しかった。
 グラビティは、数分くらい間をおいて、また話し掛けた。
「なぁ、ここにはさ、どれくらいのヤツがいるんだよ?」
“長く『TOOL』に居る者か? 能力値の高い実験体の事か? それとも、『TOOL』の総人数の事か?”
 グラビティの言葉の足らないせいで幅広くなる問いを、エレクトロはいつも正しく答えようとしてくれる。
「数だ、数。研究員じゃねぇヤツの数だ」
“今現在、未登録の実験体もいるし、死亡したが未報告の実験体もいる。正確な数は解らないが、約632万体だ”
「ふーん」
 グラビティは、万の単位の数がよく分からなかったけど、とりあえず、とても多い数であることは勘付いた。
「その中で、逃げ出そうとしたヤツは?」
“グラビティも含めて2410体だ”
「ここから出られたヤツは?」
“0だ”
「あー、そう…」
 0か。と、グラビティは小さく呟く。その可能性の全く無い数に、グラビティは目を伏せて、大きく息を吐いた。
 それだけ、エレクトロが完璧なんだろう。
“でもグラビティは、俺が『TOOL』と一体化する前に、あと少しの所まで逃げられたんだろう?”
「あぁ」
 グラビティは、目を閉じる。
 この施設の外を、見た事があった。出口から見えた外の世界は、冷たい灰色なんかじゃなくて、キレイで、手の届かないくらい広い水色の天井だった。その天井は空という名前だということを、誰かから教えてもらった。
「キレイだったぞ、外の空」
 エレクトロには見えていないかもしれないけど、グラビティは、にんまりと笑顔を浮かべた。
“俺は、グラビティのその脱出の日から、数日経たない内に『TOOL』を任された。もし、俺が『TOOL』と一体化していなかったら、グラビティは今頃、『TOOL』から出てたかもしれない”
「よせよ。それはオマエのせいじゃねぇ。オレが逃げ出そうとしてるから、オマエが色々と大変になったのかもしれねぇしな」
“グラビティ、俺は…”
「うん?」
 グラビティは、エレクトロの声が曇っていくのを感じた。
「どうした?」
“すまない。通信を中断する…”
 そう言い残して、エレクトロの声はぷつりと切れた。
 グラビティはきょとんとして、目をぱちぱち閉じる。
 いつもの演算処理が遅れるとか言うのなら、エレクトロは少し待っててくれと言うのに。
 何だか、嫌な予感がした。
 寝返りをして、身体を横にすると、格子の間から、隣のケージの実験体が見えた。皿に入っている餌をボリボリと食べている。こちらと目が合うと、その実験体はふいっと顔を逸らした。
 グラビティは身体を起こした。
 行くか。エレクトロの所へ。
 何があったのか知らないけど、このままじっとしていても、心配で落ち着いていられない。
 段々とケージの造りが頑丈になってきていたけれど、グラビティにはどうという事も無い。
 ただ、潰して壊すだけ。
 偶然なのか、神様とかいうヤツが味方してくれたのか、グラビティは他の者とは違う特殊な能力を持って生まれた。
 自分と、自分の視界に入るモノに掛かる重力を操れる。
 あらゆるモノを、羽根よりも軽く、鉄槌よりも重く。
 この力を使って、今まで何度も逃げ出そうとしてきた。物を壊したし、研究員だって殺した。
 かなりの問題児であるにも関わらず、研究員が手放そうとしないのは、やはりこの力を欲しているのかもしれない。
「冗談じゃねぇ…」
 無意識に呟いた。
 鉄くずになったケージを蹴飛ばして、部屋の出口に向かう。
 ケージの外を歩くグラビティを見て、怒鳴ってきた実験体もいるが、グラビティには何を言っているのか分からなかった。
 身体に流れる血液と同じ色をした瞳で睨みつけてやる。
「うるせぇ。潰されたくなきゃ、大人しくしてろ」
 そう短く言い放って、通り過ぎた。
 ふと、あの薄緑色の液体の入ったガラスの筒が目に入った。
 ガラスの筒の中で、指先くらいの大きさだった小さな物体は、今は握り拳くらいの大きさになっている。成長が異常に早いらしい。
「おっきくなったな」
 聞こえているかどうか分からないけど、胎児に声をかけてみる。やっぱり、何の反応も無く漂ってるだけだった。
 グラビティは無彩色の廊下に出ると、体中の神経を研ぎ澄ませた。
 研究員は実験やら会議やらで滅多に通路には出ないが、それでも全く遭遇しない訳では無い。
 たった1人にでも見つかれば、あっと言う間に数十人になる。
 特に自分は頻繁に逃げ出すものだから、その人数も捕獲手段も大掛かりになっていた。
 足音を立てないように、素早く走る。
 向かう先はひとつ。
 施設の中枢部。エレクトロのいる部屋。
 廊下の監視カメラに、きっと自分は映っているだろうけど、警報が鳴らないのは、多分エレクトロのお陰だろう。
 グラビティが廊下駆け抜け、その先を曲がろうとしたその時、見覚えのあるヤツと鉢合わせになった。
「やぁ、また会ったね」
「テメェは…」
 研究員とは全然違う、奇妙な姿のコイツは、確かホリックと呼ばれていたヤツ。
「テメェ、またエレクトロの所に行く気かよ?」
「そう言うキミこそ、エレくんの所へ向かっているようだがね?」
 ホリックはふふっと笑い、わざとらしく肩を竦めた。
 この余裕の態度が、何だか腹立たしくて、グラビティは異常に発達した犬歯をギリリと噛み合わせた。
「黙れよ。テメェと付き合ってるヒマはねぇんだよ。…どけ! 潰すぞ!」
「ハハハ。ボクは暴力は反対だよ。キミに壊されては、またマスターに迷惑をかけてしまうからね。マスターは、ああ見えて忙しい人だから」
 ホリックは手をひらひらさせると、グラビティの後ろを指差した。
「ボクはこれから、12区から来たツンケン蝙蝠と怪力鷹の世話をしに行くから、エレくんの所へは行かないさ。キミはエレくんと仲良しで、正直妬けてしまうがね」
 腕組をして、ホリックは深呼吸するように肩を大きく上下させた。実際、呼吸している気配はなかったけど。
 グラビティは、そんなホリックの横を素早くすり抜け、ある程度距離をおくと、ホリックの方へ振り返った。
「オレが逃げ出したって、チクらねぇのかよ?」
「ハハ、報告して欲しいのかい? 7区の実験体が逃走しても、ボクには関係ないさ」
 他人事のように笑って、ホリックは手をひらひら振る。
「今の時間帯なら、研究員は滅多に部屋から出ない。エレくんの監視から免除されたキミなら、すぐにエレくんの所へ行けるよ。…では、御機嫌よう、重力蜥蜴くん。キミを縛る“鎖”には気を付ける事だね」
 ホリックはそう言い残して、振り返りもせずに歩き去って行った。
「ヘンなヤツ」
 グラビティはふんと鼻を鳴らすと、エレクトロの所へ走り始めた。
 
 
 
 
 
つづく

← 作品一覧に戻る