TOOL 13

 はっきりとしない意識で、アーミィはあの部屋へ向かった。
 もし…、ミニマの言う事が本当だとしたら…。
 そんな想いが、見慣れた風景をどこか遠くの世界のように感じさせる。そして、それを引き戻すかのように冷たい床が、素足に不快なくらい染みて感じる。
 ミニマと話をしたら、今までの自分が、自分でなくなってしまうのではないだろうか。そんな恐怖もあった。
 しかし、その恐怖を上回る、自分の事や、色々な事を知りたい好奇心もあった。
 あの部屋まで辿り着くのに、どれほどの思考や想いが駆け巡っただろう。あまりにも複雑過ぎて、破片すら思い出せなかった。
 ミニマの居る部屋のドアの前に立つと、ドアは音も無く開いた。
 開いてすぐに、アーミィは飛び退いた。
 部屋の中には、まだ研究員がいる。見つかったら、また追い出される。
 研究員に対して身を隠すなんて、初めてだろう。研究員に逆らっている自覚はあった。だから、自然と反射行動をとったのかもしれない。
 ドアのすぐ隣の壁に背を付けて、アーミィは深呼吸をする。訓練の時ですら、呼吸が乱れる事も少なかったのに、今は身体が異常な程に緊張しているのが解った。
 耳を澄ませば、部屋の中の研究員の会話が聞こえた。どうやら、2人いるらしい。
「良い材料が出来た事だし、早急に次の段階へ進まねば」
「複製の準備を、第4地区に任せてある。ところで、他の【アーミー】を第7地区へ回したと聞いたが?」
「ああ、あそこの神だバケモノだと大喜びするマッドサイエンティスト共が、我が地区の実験成果を祝して、ナンバー160の遊び相手を造るそうだ」
「第7地区から戻って来た実験体に、マトモなのがいた記憶がないなぁ…。みんなイカレて戻されて来るじゃないか」
「それもそうだ。まあ、不良品なら引き取らなければいいさ」
 ささやかな談笑は終り、研究員は書類の束とノートパソコンを持って、部屋から出て来た。
 研究員と目が合い、未だに複雑な思考に支配されていたアーミィは、どうすれば良いかを考える暇も無く、肩を竦める。
「はは、散歩か? 第6地区からは出るなよ」
「お前は優秀な兵器だぞ。他のクズとは違うのだからな」
 緊張しているアーミィとは正反対に、気楽な研究員は、アーミィの赤いヘルメットを軽く撫でた。
 研究員はドアに設置されているテンキーを押して、足早に去って行く。静寂の広がる廊下に、アーミィだけが取り残された。
 2人の研究員の後ろ姿が、廊下を曲がって完全に消えたのを確認し、さらに辺りを見回して、近くに誰も居ないかどうか慎重に調べた。
 人の気配が近くに無いと知ると、アーミィはドアのテンキーに指を触れる。
 パスワードは、さっき研究員が押していたのを見た。だから、知っている。
 アーミィの記憶力とその正確さも、常人を超えた領域にあった。
 慣れた手付きで素早く、十数もの数字を押していった研究員の指を思い出し、それをアーミィは間違う事無く、押していった。
 ドアが開くと、アーミィはそっと部屋の中へ入る。
 機械音だけが静かに響く部屋。そこに、前に会った時と全く変わらずに、彼は居た。
 丸いシェルターの分厚いガラスの前に、アーミィは近寄る。
「ねぇ、起きてる?」
 覗くように顔をガラスに近付ける。
-来たんだね-
 頭の中に、響く声。冷たさを感じない、心地よい声。
 アーミィは、口を開いたが、次の言葉が出て来なかった。
 何を訊けばいいんだろう。知りたい事はたくさんあるのに、何から訊ねれば良いのか、どう訊ねれば良いのか、言葉に詰まった。
-迷わなくていいよ 大事なのは 君がどうしたいのか だから-
「僕が?」
-そうだよ-
 シェルターの中の少年は、ゆっくりと目を開いた。
 その少年の瞳に映って見える自分の姿に、アーミィは息を飲んだ。
 似ている。いや、似ているというよりも、同じだった。
 自分とミニマは、同じ顔をしていた。
「ねぇ…」
 アーミィは震えた小さな声で、問いかける。
「僕は…、誰…?」
 全てを知る為の、最初の質問だった。
-君は 外から連れて来られたんだよ-
「外って、何?」
-この施設の外 君は 双児の天才児の片割れで 無理矢理連れて来られたんだ-
「覚えてない…」
 アーミィは、古い記憶を探ってみるが、訓練場で銃の引き金を引いているのしか、思い出せなかった。
-この施設に連れて来られたら 殆どの人が記憶を消されてしまうから-
「ねぇ、ここって、本当は何なの? 他にも、僕みたいな人がいるの?」
-ここは『TOOL』という組織 とても巨大で唯一の施設 強過ぎる好奇心と 行き過ぎた探究心が この施設を生んだんだよ-
「『TOOL』…」
 アーミィはぽつりと呟いた。
 いつも頭に被っているこの赤いヘルメットにも、『TOOL』と白く書かれているのを思い出す。
-この施設は 沢山の地区に分かれていて それぞれ目的ごとにチームが編成されている 君や僕みたいな実験体も沢山いるよ-
「僕は…、最後の【アーミー】は、これから、何をすればいいの?」
-その答えは 君自身が決めなければ 意味が無いんだよ-
 ミニマの言葉に、顔を顰めるアーミィ。
 何をすればいいのか、どうすればいいのか解らないから、訊ねているのに…。
 アーミィはゆっくりと息を吐いて、ガラスの向こうの少年から目を離した。
 この、もやもやとした気持ちは何だろう。
 今までの事、ミニマと会った事、自分の想った事。全てを整理しきれず、片付かない頭で、必死に何をすればいいのかを考えてみる。
 しかし、命令されてもいない事をするのは、とても難だった。
-間違わないで 何をすればいいのかじゃない 何をしたいのか だよ-
 ミニマの言葉が終る寸前、アーミィは部屋の外の足音に気付いた。
-アーミィ 隠れて-
 ミニマに言われるのとほぼ同時に、アーミィは部屋を見回して、隠れられそうな棚の裏へ、身体を押し込む。かなり狭い隙き間で、細身で小柄な身体でも呼吸し辛いが、見つかるよりは遥かにマシだった。
 思った通り、足音はこの部屋に入って来た。
「へ~。この子が、IQ200を超えるっていう天才児かぁ~」
 聞き覚えのある声。
 思い出した。あのギガデリックという少年の担当研究員。確かジェノ兄と呼ばれていたはず。
 アーミィは全く視界が塞がっているので、目を閉じて聞き耳を立てた。
「ええ。しかし、外にいる片割れは、学年でも成績は中レベルだそうです。実力を隠しているとの話もありますが、確証は無いですね。優秀な方がこちらに残ってくれて良かったと思ってますよ。並の者は必要無いですから」
 もう1人の研究員、こっちの声は初めて聞く声だった。
「ふ~ん。随分と、弄ったみたいだけど~?」
「まぁ、仕方ないですよ。多少は遺伝子を組み換えましたし、サンプル採取も頻繁に行ってましたからね」
「で、その結果が薬品漬け~?」
「代償は付き物でしょう? 代わりに、もっと良い“兵器”が出来ましたから、問題ありませんよ」
「会ったよ。その子に。確かにあの子は優秀だね~。ギガ君も褒めてたよ。…で? その例の軍人君は、ドコにいるの~?」
「今は命令もしてないですから、倉庫にでも寝てると思いますよ」
「あはは、待機の命令もしてないんじゃあ、ドコカに出掛けてたりして~?」
 へらへらと緊張感の無い笑い声をあげながら、核心的な事を言う。
 アーミィは、煩くなってきた心音を抑えるように、ぎゅっと目を閉じた。
「ここに居ないんじゃあ、また今度にするよー。こう見えても、僕、忙しいからね~」
「それは大変ですね~」
 皮肉を込めたのか、口調を真似て研究員は言い返した。
「やだ、その言い方、キモチワル~イ」
「貴方に言われたく無いですけどね」
 棘のある強い口調で言い返されても、ギガデリックの担当研究員は特に動じてはいないようだった。
 その後、研究員たちが部屋を出て行き、完全に気配が消えてから、アーミィは棚の隙き間から出た。
 数回深呼吸して、再びシェルターの前へ駆け寄る。
「君にも、兄弟がいるの?」
 さっき、研究員が話していた事を思い出して、アーミィは聞いてみた。
-うん… でも 違う…かな-
 今までの、しっかりした言葉ではなく、答えを濁すミニマに、アーミィは不安を覚えた。
「どういう事?」
-…僕は 君のクローンだから 君の兄弟の事を言ったんだよ…-
「え…?」
 クローンというものが、どういうものなのか、それくらいは知っていた。
「君は、僕のクローンなの?」
-…そうだよ さっきの話を聞いていたでしょ 僕は遺伝子を組み換えられて 細胞採取もされた だから もうこの中でしか生きられない身体になってしまったんだよ-
「そう…なの?」
 厳重な丸いシェルターを見回して、アーミィはミニマと目を合わせた。
-僕だけじゃないよ 君が今まで訓練として戦ってきた子供たち皆 元々は君から生れたクローンなんだよ-
「……」
 アーミィは硬直した。
 何の為の訓練だったんだろう。自分は、自分を殺してきたのか。
「でも…、僕に、似てる奴なんていなかった。皆違う顔だったよ。僕と同じなのは、君だけ…」
-クローンでも 遺伝子を変えられたり 他のと組み合わせたりしていたから 顔が違うのはその所為だよ 僕と君だけが さほど外見が変わらなかっただけだから…-
 アーミィは、力が抜けたように、ゆるゆるとした動作で、その場に座り込んだ。
 自分が自分でなくなってしまうような恐怖の予想は、残念ながら的中してしまった。
 自分が何であるのか解らなくなりかけた時、ふと思い出す。
 外には、自分の兄弟がいる。
 その兄弟だけは、自分の存在を証明してくれるような気がした。
「外って、どうやって行くの?」
 アーミィの問いかけに、ミニマは、ゆっくりと目を閉じる。
-外へ 行きたい?-
 逆に問われて、アーミィは目を大きくした。
 外へ、行きたいのかもしれない。
「行きたい。…僕、双児の兄弟に会ってみたい」
 きっとそうだ。外へ出て、兄弟に会いたい。
 確かな自分の意志で、アーミィは答えた。
-この施設から出るのは 不可能に近いくらい難しい事だよ 頑張れる?-
「うん」
-見つかったね 君の何をしたいか が-
 薄暗くて良く見えなかったけれど、ガラス越しにミニマが笑っているように見えた。
-忘れないで 君の兄弟の名前は 刃雪達磨 君と同じ顔の 茶髪の男の子だよ-
「ハユキ…タツマ…」
 アーミィは、心に刻むようにその名を呟いた。
 
 
 
◆◇◆◇◆◇◆
 
 
 
「残酷な嘘を、ついたねー」
 
-僕は これで良いと思ってる-
 
「いつか、気付かれてしまうかもしれないよ~?」
 
-その時は その時に…-
 
「隠し事をするのは、大変だよー?」
 
-それはお互い様 でしょう? ジェノサイドさん…-
 
 
 
 
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 コポコポ、コポコポ…。
 
 不正確な世界に、ゆらゆらと漂う身体。
 不鮮明な自我に、ふわふわと霞む意識。
 
 今頃、どこで何をしているだろう。
 もう、会う事はないだろうけれど、それでも構わない。
 あの茶髪の幼児は、たったひとりの大事な兄弟だから…。
 だから、せめて、自分の分身とも言える人と、会ってもらいたい。
 この最後の我が侭を、どうか許して欲しい…。
 
 
 
 
 
つづく

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