TOOL 17

 施設の外にいる兄弟に、会ってみたい。
 初めて、自分から望んだ事だった。
 けれど…。
 命令で与えられたものではない自分で決めた事は、どうすればいいのか。
 それが解らなかった。
 目的を見つけても、そこへ辿り着くには、どうすればいいのか…。
 ミニマのいる部屋に研究員が入って来て、アーミィは部屋から出るように言われてしまった。
 無感情な蛍光灯の明かりに照らされる、静まり返った廊下。
 ドアを背に、アーミィは焦点の合わない目線を床に落としていた。
 この施設内どころか、第6地区からも出た事が無い。
 それなのに、施設の外の兄弟に会う事ができるのだろうか。
 何をどうすれば良いのかも解らないまま、アーミィはふらりとドアから離れた。
 研究員は、暫くはミニマの部屋から出る気配は無く、アーミィは仕方なく独房のような自分の部屋に戻る事にした。
「こんな所にいたか」
 廊下を歩いていると、やれやれといったふうに2人の研究員がやって来た。
「お前が何百人といれば、十分な戦力になるだろうな」
「7区の連中が、お前に遊び相手を造ってくれたぞ」
 日常会話のような、気楽な口調の話の奥に、アーミィは微かに危険を感じた。今まで何とも感じていなかった研究員の存在に、不安が芽生えていた。
 この施設に連れてこられたのだと、知った時から…。
 研究員に付いて来るように言われ、アーミィは無言で後を追った。
 2人の研究員は仲が良いらしく、下らない談笑をしながら歩く。
 聞いていた所で、自分には関係無いと知ると、アーミィは研究員たちの会話を意識から外した。
 2人の研究員が進んで行くのは、初めて通る廊下。とは言え、良く似た造りの無彩色の廊下が続いているだけだった。
 嫌でも視界に馴染んでしまった廊下を進んで行くと、大きな広い通路へと出る。
 あまり変わり映えの無い、廊下が広くなっただけのような大通路だった。
 その大通路の先を、見上げるような大きく重厚な鋼鉄のゲートが塞いでいる。
 片方の研究員が白衣のポケットからカードを取り出し、鋼鉄のゲートの左端になる端末にカードを翳と、赤いランプの点灯していたゲートが青いランプに変わり、重々しい音を立てながらゲートが開いた。
 その後も、大通路のゲートを数カ所通過し、施設内用輸送車も入れる大きなエレベーターに乗る。エレベーターは動いている事を、あまり感じさせなかった。
 広いとはいえ閉ざされた空間に、研究員の他愛のない会話が響く。
「あのジェノサイド博士って、知ってるか?」
 不意に、知っている名を耳にして、アーミィは2人の研究員話に耳を傾けた。
「あー。見た事はないが、11区の人だろ? 何してるのか知らないが、いろんな地区に顔出してるらしいな」
「一部の噂によると、本部関係者らしい」
「何で本部の関係者が、『TOOL』に来てるんだ?」
「さぁな。ジェノサイド博士と話した事がある奴が言ってたんだが、何考えてるのか解らない変な人らしい」
「本部と言ったら…、兵器の視察にでも来てるんじゃないか?」
「俺もそう思ったんだが…。そうではないような様子らしい」
「ははは。それじゃあ、本部から左遷されて来ただけなんじゃないか?」
 ゴウンと音がして、エレベーターが止まり、ドアが開く。
 ここでエレベーターから降りるのかと思い、アーミィは顔を上げたが、研究員は立ち止まったまま会話を続けている。
 開いたドアの先には、輸送車があった。
 ゆっくりと輸送車がエレベーターに入ると、正確なタイミングでドアが閉まる。再びエレベーターが動き出した。
 アーミィはすぐ隣に停車している輸送車を見る。運転席の無い、完全自動輸送車だった。
 アクリル板に囲まれたケージが3つと、水槽を積んでいる。それぞれには、大鷲に似た生物と、ライオンに似た生物、蠍に似た生物が入っているのが解った。水槽にも何か生物が入っているらしかったが、よく見えなかった。
 この施設には、動物を扱っている区域もあるのかもしれない。
 アーミィは、生きているのか死んでいるのかも解らない、動かない生物たちから目を離した。
「これは15区の…? 完成した…のか…?」
 研究員のひとりが、輸送車の積み荷を見て、緊張に震えた声をだす。
「まさか…」
 もうひとりの研究員が、馬鹿な事は言うなと呆れたように肩を上げる。しかし、その顔は明らかに引き攣っていた。
 その後、2人の間に会話は無く、重い空気に包まれた。
 数分くらいして、エレベーターが止まり、輸送車は開いたドアの先へと消えて行った。
 輸送車を降ろしたエレベーターが動き始めると、2人の研究員は、思い出したかのように、他愛のない雑談を再開する。
 気に留めるような内容では無い会話だったから、アーミィは視線を床に落とした。
 自分は、この施設が全てだと思っていた。
 研究員の命令は絶対に従い、あらゆる格闘技や暗殺術を体得していれば良かった。他のアーミーたちと戦って勝ち、生き残る事だけを考えていれば、それだけで良かった。
 けれど、自分はこの施設の外にいる双子の片割れで、無理矢理ここへ連れて来られたのだと教えてもらってから、今までの全ては何だったのか、疑問が浮かび始めた。
 …兵器。
 ああ、そうだ、兵器を造っているんだ。
 ふと、そんな事を思い出す。何の感慨も無く、アーミィは理解をしていた。
 兵器は誰よりも強くなくてはいけない。兵器を造る理由は知らないけれど、自分は兵器である事は、当たり前だった。
「ここだ。降りるぞ」
 研究員に声をかけられ、アーミィは顔を上げた。
 2人の後を追い、エレベーターから降りる。
 第7地区、と大きな文字で書かれている通路が見えた。
 ここが、7区。
 6区と変わらない、殺風景な無彩色の通路。
 微かに、獣の匂いと薬品の匂いが漂っている。どこからか聞こえる、何かの鳴き声。沢山の生物のいる気配がありありとする。
「死んだ同僚は、昔、この地区だったんだ」
「へぇ、そうだったのか。この地区は、6区や4区よりもずっと優秀な者たちの集まりだろう? 初代の高位生体兵器も、ここからの出だと聞いたぞ」
「そうなんだが…。ここの実験体に噛まれて、怖くなって6区へ来たんだ。だがな、噛んだ実験体が病気持ちで、感染してて・・・感染の拡大を防止する為に殺されたんだ」
「え…、そんな事…」
「正直…言うと、この地区は、あまり好きではない」
 苦笑いを浮かべながら話す研究員は、足早に通路を進み、岐路の廊下へと曲がる。
 アーミィは遅れないよう、小走りで2人の研究員を追った。
 曲がり入った廊下には、7区の研究員が立っていた。6区のものとは少しデザインの違う白衣を身に纏っていた。
「ようこそ第7地区へ」
 薄い笑みを口に浮かべ、7区の研究員は軽くお辞儀をする。
「これが、そうです」
 と、研究員がアーミィを前へ促す。
 7区の研究員の前へ出されたアーミィは、俯き加減に7区の研究員を見上げた。興味深そうな視線が降りてくる。
「ほう、これが6区の完成品かね」
 7区の研究員は身を屈めて、アーミィと目線を合わせる。
 まじまじと顔を見詰めた後は、ぺたぺたと腕や肩を叩いてきた。
「優良そうだね」
 ひとり満足そうに呟く、7区の研究員。
「では、こちらへ…」
 7区の研究員は先導を始めた。
 アーミィは、3人になった白衣の大人の後ろを歩く。
 獣のような声が、遠く、近く、聞こえる廊下。
 6区に比べて、研究員の人数も多いらしく、廊下で何人もすれ違った。
 先を歩く7区の研究員の後ろで、2人の研究員は小声で会話を始めた。
「全然違う雰囲気の地区だな。随分と、実験体の数が多そうな所だ」
「ここは、マッドサイエンティストの集まりだって話だ。かなり力を入れている地区らしいぞ。一部では、神の具現化の実験もしているらしい。・・・ここは…我々の地区よりも酷い事をしてるんじゃないか?」
「そう…かもな…」
 複雑な表情を浮かべている研究員の横顔を見ていたアーミィだったが、あちこちで聞こえる動物のような鳴き声の方が気になって、歩きながら空いているドアの奥を覗き始めた。
 部屋の中に、たくさんのケージが積まれているのが見える。ケージは空であったり、動物が入ってた。
 ケージの中の生物は、図鑑に載っている動物たちの姿があったが、一体何なのか名称が浮かばない、明らかに人為的な遺伝子操作で生まれたような生き物の姿もあった。
 異形な姿の動物に、アーミィは、恐怖よりも、哀感を抱いた。自身の事でなく、他の者に対して感情を持つのは、自分でも驚くくらい珍しい事だった。
 …それほど、惨烈な姿をしている生物だった。
 生物たちに気を取られ、研究員たちとの距離が遠くなっているのに気付いて、アーミィは早足で研究員たちに近づく。
 アーミィが研究員たちとの距離を詰めた丁度その時、7区の研究員が他とは少し色の違うドアの前で足を止めた。
「こちらの部屋が武器庫。その奥の部屋が戦闘場所です。6区に合わせて造らせました」
 7区の研究員は、ドアに取り付けてあるカードリーダーに、カードを翳してロックを解除する。
「さぁ、どうぞ、6区の兵器。好きな武器を持って、奥の部屋で暴れておいで」
 7区の研究員が、気味が悪いくらいの、にこやかな笑顔を向ける。その笑顔が、上辺だけのものだと、アーミィはすぐに解った。
「隣がモニター室です。こちらへどうぞ」
そう言い、7区の研究員は、隣のドアを開けて、部屋に入って行った。
 7区の研究員の姿が消えると、6区の研究員のひとりが、武器倉庫のドア前に立っているアーミィに声をかけた。
「アーミィ、ターゲット撃破して、その一部を持ち帰って来い」
「おい、そんな事…」
 もうひとりの研究員が制止に入る。
「こちらの研究に役立つかもしれないだろ?」
「しかし…」
「他の地区のサンプルが手に入るかもしれないんだ。こんな機会、滅多にないじゃないか」
 言葉を詰まらせる相方を宥め、研究員はアーミィに向き直った。
「いいか、7区に気付かれないように、持ち帰るんだぞ。危険な場合は、中止しろ。お前は大事な完成品なのだから」
 アーミィは、研究員の言葉に頷いた。
 命令だ…。久しぶりの。
 全身の毛が逆立つように、殺気が湧いてくる。
「行け。ミッションスタート」
 合い言葉のような、始まりの合図。毎日のように聞いていた、戦闘訓練開始の言葉。
 その言葉を聞き終わるか終わらないかの内に、アーミィは動き出した。
 入った部屋は、6区の武器倉庫よりは、だいぶ狭かった。とは言え、その整然と並ぶ銃器の光景に、ふつふつと戦闘訓練を思い出す。自分の眼光が鋭くなるのを自覚した。
 アーミィは武器庫内を駆け足で見て回り、自分が良く使用していたものと同じ銃を見つけ、走りながら手に取る。
 程良い重さの…同年の普通の者には重く感じるであろう重さが手に馴染んで、微かな安心感をくれた。
 次はライフルを掴み取って背負った。走る勢いはそのままに、反対の棚にある手榴弾を麻袋に6個入れる。最後にサバイバルナイフを握った。
 6区で他のアーミーたちを倒していた時は、サバイバルナイフと拳銃一丁で事足りていた。
 けれど、今回は相手が全くの不明。どんな戦略が有効で、相手がどんな戦闘術を有しているのかも解らない。
 それでも、アーミィは、大抵の相手には負ける気がしなかった。
 ターゲットの撃破と、その一部を持ち帰る。
 これが、命令。
 命令は、絶対なのだから。
 部屋を縦断するように走り抜けた先に、もうひとつのドア。
 この先で、戦闘がある。
 アーミィは、ドアの前で止まり、大きく深呼吸をしてから、慎重にドアを開けた。
 薄暗い武器倉庫とは一転して、明るい…6区の偽造都市と似た空間が広がっていた。
 6区の偽造都市と比べて少し狭い広さではあったけど、造りは良く似ている。
 7区の研究員が言っていた「6区に合わせて造らせました」とは、この事なのかもしれない。
 アーミィは良く似た雰囲気の偽造都市を見回った。
 相手に見つかる前に、相手を見つけなければいけない。
 気配と息を殺し、ビルの壁に沿いながら、周囲に注意を払う。
 そんなアーミィの予想を裏切り、ターゲットは堂々と気配をまき散らしていた。
 向かいのビルの先に見える、生物というには、あまりにも歪な姿。
 3メートル程の高さの小さな山のような形に、巨大な虫の足に似たものが沢山生えている。慣れていないようで、虫のような足はぶつかり、絡まりそうになりながら、覚束無い足取りだった。
 視界が悪いのか、障害物に対する意識が低いのか解らないが、何度もビルの壁に身体の端をぶつけながら、その度に方向角度を変えて進んでいる。
 アーミィは目を大きく開けて、不気味な生物を凝視した。
 自分の知識の中に無い、得体の知れない生物。7区の廊下を通っている時に見た不気味な生物とはまた違う、奇妙な生物。
 あれは…、弾丸や手榴弾の効く類いのものなのだろうか。
 だが、研究員に言われたのだから絶対命令であり、ターゲットを倒すミッションは必ず成功させなければいけない。
 アーミィは、十分に間合いをとりながら、ターゲットに近づいた。
 化け物のような標的は、想像以上に鈍重で、こちらの存在には全く気付いていない。
 それでも、まずは様子を見た方が良いだろうと思い、アーミィはターゲットが向かう先にあるビルに先回りして、外付けの非常階段を駆け上がった。
 3階の高さでビル内に入り、窓を開けてターゲットを見下ろす。
 のろのろした動きに狙いをつけるのは、いとも簡単な事だった。手榴弾のピンを抜いて、投げ付ける。窓から首を退くと、間もなくして爆発音が響く。
 慎重に窓から顔を出してみると、ターゲットは沈黙して、その場に停滞していた。
 直撃であったと思われる箇所は、ぶすぶすと煙が上がっている。
 致命的なダメージとは思えないが、死んだのだろうか。
 知識内にある生物なら、どの程度の殺傷になれば死に至るか大体は知れている。しかし、想像を絶するような見た事もない生物が相手では、全く見当もつかない。
 何の反応も無いまま、数分が過ぎた。
 アーミィはライフルを構え、ターゲットの身体の中心辺りに銃口を向ける。
 乾いた音とほぼ同時、狙った通りの場所に、弾丸が食い込んだ。
 血とは言い難い、青い蛍光色の液体が吹き出す。
 確かなダメージである事は、液体の量から解るものの、それでもターゲットに何の動きも無かった。見た目の不気味さとは相反して、生命力の強い生物ではないのかもしれない。
 ターゲットの一部を持ち帰るように言われていたのを思い出し、アーミィは一階に降りて、動かなくなった生物に近づいた。
 近くで見れば、増々気味が悪い生物だった。
 視覚や聴覚に使われていそうな器官らしきものは無く、僅かに湿り気のあるごつごつした表面が広がっているだけの皮膚。
 虫のような足は、かなり堅い外殻らしい事が見た目ですぐに理解できた。とても一部だけ持ち帰られるようなものではない。
 アーミィはサバイバルナイフを取り出して、ぎゅっと握りしめた。
 ごつごつした皮膚に、刃先を突きつける。
 その瞬間、ごつごつとした皮膚の山いっぱいに、大きな目が開いた。
 …いや、一瞬目だと思ったのは、人間の顔だった。たくさんの顔。その顔たちは、見覚えのあるものばかりだった。
 6区の、自分が倒してきた、アーミーたちの顔。
 その顔が、一斉に、アーミィを虚ろな眼差しを浴びせている。
 
 我々の地区よりも酷い事をしてるんじゃないか?
 
 研究員の言葉が、頭に響いた。
 みんな、何故こんな事に。
 今まで戦って生き残ってきたのは…。
 こんな姿になる為に、強くなってきたんだろうか。
「っ…」
 サバイバルナイフを持った左手首が締まる感覚に、アーミィは動かない身体のまま、何とか目だけ動かして、自分の手首を見た。
 腕…だろうか。
 木の皮のようにゴツゴツとした表面に、鉄骨やコードなどの配線が所々に剥き出しになっている。全体的な形こそ腕のように見えるが、人の腕と言うには程遠いものだった。
 それが、手首を強い力で掴んでいた。
「オマエモ…、コッチヘコイ…」
 声というよりは、音に近いような言葉が聞こえた。
 ぞわり。
 全身に鳥肌が立つような悪寒。爆発しそうなくらいに動く心臓。
 逃げろ、逃げろ…と、心の中で叫んでも、身体は固まったまま、時間を忘れたかように動けなかった。
 腕のようなものは、1本、また1本と生え、次々に身体を掴んでくる。
 アーミィは、力の限り叫んだ。
 視界が、段々と白く染まっていった。
 
 
 
 
 
つづく

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