籠ノ鴉-カゴノトリ- 2

前回の「籠ノ鴉」の続き的な話。


 実の無い内容の会議は好きでは無い。長ったらしいなら尚更の事。
 毎度のように会議の時間に遅れたが、途中で馬鹿らしくなって、刺斬は退室した。
 鎖に止められたが、それを振り切った。鎖は変な所が真面目で、会議には遅刻しないし、どんなに下らない内容でも最後まで居る。ただ、居眠りはしているが。
 廊下の空気は冷えていて、すぐに頭が冴えた。
 狭い廊下を進んで何人か隊員とすれ違った後、突き当りを曲がった所でふらふらと歩く黒い後ろ姿を見つけた。
 よく見知っている、背の低い子供。しかし、覚束ない足取りに常とは違う状態だとすぐに分かった。
「クロウさん?」
 近づいてⅨ籠の顔を覗くと、いつもの殺気を纏わせる覇気は無く、虚ろな半眼で虚空を見つめている。
 こちらに目を向けたが、焦点が定まっていないようで、すぐに目線を泳がせた。
「どうしました? 俺が分ります?」
 目の前で手を振ってみると、Ⅸ籠は歩くのを止めて、反応の悪い目で手の動きを追う。
 これは、明らかに様子がおかしい。
「ボス、医務室行きましょうか」
 声をかけて、Ⅸ籠の背を押そうとして留まった。
 一昨日にⅨ籠が「明後日は大事な検査があるから、会議は行かない」と言っていた事を思い出した。
「検査、ねぇ…」
 刺斬は溜め息をついた。
 Ⅸ籠の様子がおかしいのは検査の薬のせいだと分かったが、検査とは名ばかりの、過度な実験でもれされたのではないだろうか。そうでなければ、ここまで強い薬を使う必要なんかないはず。
 Ⅸ籠は永久少年と呼ばれる特別な存在のクローンだ。しかも、普通の永久少年じゃない。【最強】と謳われているお墨付きの永久少年のだ。
 何度も失敗して、やっとここまで成長できたのだから、色々調べたい事は山ほどあるだろう。それは分からなくもないが、こんな状態にさせるのは問題があるんじゃないだろうか。
 検査が終わったからといって、薬が切れる前に検査室から出されたのだと察しは付いた。随分と雑なやり方だ。
「お部屋、帰れますか? ここ、どこだか分かってます?」
 少し声を大きくしてみたが、やはり返事はない。
 Ⅸ籠はこちらを無視して、ふらふらと歩き始めた。
 向かったのはⅨ籠の部屋の方向ではない。
 これは、駄目だ。
「こっちですよ」
 刺斬はⅨ籠の肩を掴んで、方向転換させる。Ⅸ籠は少しふら付きながらも方向を変えてくれた。
 Ⅸ籠の性格は、組織の中でも扱いが難しいとされている鎖の方がマシだと言われているくらい、酷く狂った性格だと知れ渡っている。
 組織の下層部は表向きには上下関係があるが、弱さを見せたらその関係は終わり。強い奴に従う暗黙のルールがある。だから、上を狙う雑魚は山ほどいる。
 そんな連中にクローン隊の頂点に居るⅨ籠は雲の上の存在だろうが、今の状態のⅨ籠が相手となれば、何をしてくるか分からない。
 刺斬は、Ⅸ籠の手を握った。見た目の年相応の小さな手。だけど、見た目の年に似つかわしくない筋張った武骨な手だった。
「一緒に、お部屋戻りましょう」
 そう言って手を引いて誘導すると、Ⅸ籠は歩き始めた。いつもこれくらい素直ならいいのになと、不謹慎ながらも思ってしまった。
 いつものⅨ籠と行動を一緒にするのは、本当に難儀でしかない。
 命を奪う事に何の躊躇いもないくせに、人一倍の寂しがり屋。好きといったものが、次には嫌いと言い出す。やっと懐いてくれたかと思えば、狂気じみた笑い声を上げながら殺そうとしてくる。
 全く気持ちが読めない子供の下に配属されて、正直言って最初の頃は逃げ出したかった。
 多重人格か人格が破綻してるかもしれないと、鎖と話し合った事もあった。
 それでも、この子を放って捨てるほど、自分は冷徹にもなれなくて、それは鎖も同じようだった。この子を守らなければいけない気持ちは、ボスだからという理由では無いのかもしれない。
 暫く廊下を歩いていると、小隊長が歩いて来た。
 手を繋いで歩いているのだから、妙な光景に見えるのは当然だろう。その小隊長は足を止めてこちらを見てきた。
「何か用スか?」
「いえ、別に…」
 睨みつけると、そいつは訝し気にしながら目を反らして歩き始める。
 嫌な気配を感じながらも、刺斬はⅨ籠の手を引いて進んだ。
 それから特に問題もなく、Ⅸ籠の部屋の前に着いた。
 分厚い鉄の扉の先には、重要機密と言えば聞こえはいいが、失敗作のⅨ籠の兄たちが閉じ込められている。呪われた部屋だと思う。
 着いたはいいが、部屋の扉を開ける方法が分からず、刺斬は鉄の扉を凝視した。カードロックらしいものも、キーロックらしいものも無い。
 刺斬はⅨ籠に身を屈めて、Ⅸ籠と目線を合わせた。
「着きましたよ?」
「んー…」
 Ⅸ籠がぱちぱちと瞬きをして、辺りを見回す。間が良い事に、薬の効果が切れてきたらしい。
「検査終わりましたよ、ボス。お疲れ様です」
「…あ…。検査…。終わった…の?」
 Ⅸ籠は検査と聞いて一瞬顔を歪めたが、終わった事を知って安堵したように息を吐いた。
 その様子を見て、やはり普通の検査では無さそうだと刺斬は感づいた。
 Ⅸ籠の半眼だった目がゆっくりと開いていくのを見ていると、完全に開いた目で焦点が合った。
「刺斬! 何の用だ!!」
 完全に覚醒したⅨ籠に、思いっきり警戒された。鬼気迫る表情で睨んできて、今にも斬り付けられそうな気配がする。
 ここまで連れて来たと話しても、きっと何も覚えていないから不審がらせてしまうのは十分予測がついた。
「えと…、お兄様方に、ご挨拶しようかと」
 咄嗟に、変な嘘を言ってしまった。
「あいさつだと?」
「ええ。以前はご無礼してしまって、きちんとご挨拶できなかったもので…」
 血を見る覚悟で言い訳をすると、返ってきた反応は意外にも上機嫌そのものだった。
「そうか、いいぞ。刺斬はいつも頑張ってるから、特別に会わせてやる。鎖にはナイショだからな!」
 Ⅸ籠がくくっと無邪気に笑う。そのあどけない顔は精神年齢の低さが垣間見える。先ほどまでの鋭い気迫は完全に消えていた。
 その刹那。
 Ⅸ籠が急に眼を見開いて、腕を振り上げた。
 刺斬は反射的に身構えたが、すぐに状況を把握した。Ⅸ籠がクナイを投げたらしい。廊下の角の陰で叫び声が上がり、硬質な音を響かせて拳銃が床に落ちた。さっきⅨ籠を気にしてすれ違った小隊長だった。
 小隊長が首を押さえて壁にもたれ掛かる。首を押さえる手の隙間から、血が流れた。
「オレを狙いに来たんだろ? バカなヤツ。あははっ」
 Ⅸ籠は小隊長に近づいて、見上げる。
 その様子を、刺斬は横目で見ていた。あの小隊長はⅨ籠が弱っていると思い込んで、わざわざ追ってきたのだろう。腹立たしい気持ちはあったが、それを抑える。
 すっかり戦意喪失した小隊長に対して、Ⅸ籠は容赦が無かった。廊下にⅨ籠の笑い声と血の匂いが広がる。許しを請う小隊長を、Ⅸ籠は面白がっていた。
 廊下を通りかかった下っ端たちや、騒ぎを聞きつけた隊員たちが人だかりになって、青ざめた表情で様子を眺め始める。
 これ以上、騒ぎが大きくなるのは良くない。
「もういいでしょう? 死んでしまいますよ」
「弱いから死ぬんだろ? 死ぬのが悪い」
「ボスが強すぎるんです」
 刺斬は、Ⅸ籠と血溜りに倒れる小隊長の間に入った。Ⅸ籠は不貞腐れた顔をしたが、ふんと鼻を鳴らせて身を引いてくれた。倒れたまま動けない小隊長の様子を伺って、息があるのを確認すると、髪を掴んで顔を上げさせた。
「あんた、クロウさんを手にかけようとしたんだ。それなりの処罰は覚悟しとけよ」
 少々脅しめいた低い声で言い聞かせた後、近くの下っ端を捉まえて、瀕死の小隊長を医務室へ連れて行くように指示した。
「散れ」
 刺斬が野次馬たちを一瞥すると、塊になっていた人だかりは我先にと逃げ去り、廊下に静けさが戻る。
 ふいに、後ろに引かれて、刺斬は振り返った。
「刺斬、刺斬、早く来い」
 今し方の騒ぎなど全く何もなかったように、Ⅸ籠が刺斬の服を引っ張る。どうやったのか分からないが、Ⅸ籠の部屋のドアは開いていた。
 薄暗い部屋。他の部屋と違って壁が厚いのか、中に入ると部屋の外の気配を全く感じられない。
 部屋を見回すと、Ⅸ籠の兄がそれぞれ入っている水槽が並んでいるのと、部屋の隅に棚と机があるのが目に入った。
 以前この部屋に来た時にはよく見る事ができなかったが、改めて見るとⅨ籠の兄たちは不気味な存在だった。
 刺斬自身もクローンで、自分の前に作られた兄のような存在がいた事は知っている。幼い頃に、研究員の気まぐれで自分と同じクローンの入った水槽を見せられた事があったが、そこで感じたのは恐怖と嫌悪。こうして部屋で一緒に居ようとは、とても考えられなかった。
「刺斬が、あいさつしたいって!」
 Ⅸ籠が言った。兄たちへ言ったのだろうけど、当然ながら返事は無い。
 その後、刺斬はⅨ籠に水槽の前へ案内されて、兄たちの事を色々と説明された。
 2番目の兄は、生きた肉塊。
 3番目の兄は、内臓が無い。
 4番目の兄は、人間に見えない奇形。
 5番目の兄は、無理矢理に細胞を生かされている死体。
 7番目の兄は、檻に閉じ込められている廃人。
 8番目の兄は、植物人間。
 どれもこれも刺斬にとっては、一刻も早く忘れたいくらい気持ち悪いものだった。そんな兄たちを、Ⅸ籠は自分に都合のいい思い込みをして、本当に心から大切にしている。
 刺斬はⅨ籠が精神的に成長するには、この部屋から引き離すしか無いと思っていたが、ここまで想いが強いとなると逆効果な気がしてきた。不安定なⅨ籠の心の支えになっている兄たちを奪ったら、きっとこの子は完全に精神崩壊する。
「くくくっ。刺斬はいいな」
「どういう意味です?」
「オレの部下になったヤツ、気に食わないのばっかりだった。弱かったしな、あはは!」
「そりゃどーも」
 笑顔を作ったつもりだったが、顔が引きつった。それでも、Ⅸ籠は気にしていない様子だった。「お腹すいた」と小さく独り言を呟いて、部屋の隅にある机の方へ走っていく。いつも行動が唐突だ。
「刺斬、腹減ったか?」
 こちらを振り返って、Ⅸ籠が言った。
「いえ…」
 刺斬は、短く返事を返す。長い会議の後で腹は減っていたが、Ⅸ籠の兄たちを見て食欲なんて綺麗さっぱり消えていた。
 Ⅸ籠は「そうか」と頷いて、机の上にあった大きな瓶を掴む。色も形も様々な薬が詰まったラベルの付いていない瓶を抱えて、Ⅸ籠はお菓子でも食べるように口に運んでいた。水で飲み込む事を必要としていないらしく、平気でぼりぼりと食べている。
 離れた位置からでも目に痛いほど鮮やかな色だと分かる薬は、栄養剤の類いでは無さそうに見えた。
 刺斬が目を離せずに見入っていると、Ⅸ籠は首を傾げる。
「ん? コレは、他のヤツにはあげちゃダメって言われてるから、刺斬にはコレをやる」
 薬を食べたいのかと勘違いしたらしく、そう言ってⅨ籠が机の上に置いてあった何かを投げてきた。飛んで来た物を受け取ると、値の張りそうな洋菓子の詰合せ袋だった。
「甘いものは苦手なんで」
「なら、鎖にくれてやれ。あいつ、甘いの好きだろ?」
「ボスが食べて下さい」
「オレはこっちのほうがいい」
 Ⅸ籠はまた薬を食べ始めた。
「それ…、何の薬です?」
「これか? 痛くなくなるのと、眠れるのと、あとは知らない。7番目の兄さんも食べてたって」
 Ⅸ籠が何の疑いも無く、舌足らずな幼い子のように話す。
「7番目って…」
 刺斬はⅨ籠に紹介された兄たちを思い出した。7番目の兄は檻に入ってる半狂乱の廃人じゃないか。
 この良識から離れた子を知れば知るほど、言い知れ様の無い違和感に似た薄ら寒い恐怖を感じる。こちらの気が滅入ってしまいそうだった。
「ボス、その薬を食べるのは控えた方がいいと思いますよ」
「ん?」
「もっと味気のある、美味しいもの食べるのはどうです?」
「…うるさい…」
 Ⅸ籠は急に顔色を変えた。空気を凍りつかせるような鋭い視線を向けてくる。ぎりりと歯を噛むのが見えた。
 これは失敗したと、刺斬は思った。この気配はまずい。Ⅸ籠の為を思っての言葉だったが、気分を害してしまった。Ⅸ籠の豹変は、不規則で掴めない。
 刺斬は、気を張って身構えた。命を落とすまでは無いだろうと思いつつも、それなりの覚悟はした。
 
 
 
「おい、刺斬どうした!?」
 自室に戻ると、ソファーに寝転がってた鎖が飛び起きて目を丸くした。無理もない。血だらけだ。
「ちょっと転んだんスよ」
「ウソつけ!」
「自爆しちゃいました」
「勝手に会議抜けやがった挙句、クロウにボコられてんじゃねぇよ」
 鎖が顔をしかめる。Ⅸ籠とのトラブルを自爆と言うのが鎖との間では自然に定着していた。
「クロウさん、強いっスね」
「お前、本気出してねぇだけだろ」
「そんな事したら、余計に怒らせて殺されちゃいますよ。ははは」
「チッ…、無理しやがって」
 鎖がソファーから立ち上がって、机の引き出しから包帯を出す。
「さっさと、血洗って来い。骨折れてねぇだろな?」
「浅い切り傷だけっスよ。今日はご機嫌よかったようで」
 そう言って、鎖に洋菓子の袋を渡した。
「あぁ? 何だよこれ」
「クロウさんからスよ」
 刺斬の返事に、鎖が一瞬固まった。
「…はぁ? ウソだろ?」
 信じられないらしく、片眉を上げる。
「本当ですって。鎖さんが甘いもの好きなの、覚えてくれてますよ」
「よく分かんねぇガキだな…」
 鎖が悪態をつく。けれど、その顔は少し嬉しそうに見えた。
 それを見て、刺斬も自然と笑顔になった。
 
 
 
 
 
つづく

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