誕生日

Ⅸ籠と刺斬のお話。


 色の無い表情で、Ⅸ籠は部屋の奥にあるキッチンに身体を向けてソファーに座っていた。
 もう何度目になるのか忘れたが、刺斬に呼ばれて渋々とこの部屋に来た。
 Ⅸ籠としては、この部屋に来るのが面倒なわけではなく、長い付き合いであろう刺斬と鎖との距離に、自分の身を置くのが窮屈に感じていた。それでも、呼ばれれば拒絶せずに来るくらいの気持ちはある。2人のことが、嫌いなわけではない。
 狭いキッチンでは、刺斬が忙しそうに動き回っている。右へ左へ動いては、手に取るものを変え、見たことのない道具を使いこなす。その様子をじっと見ているというよりは、他にやることが無かったから、手際よく動く後ろ姿をただぼんやりと眺めていた。
 部屋は甘い香りで満ちていた。
 Ⅸ籠は、この甘い香りは嫌いではなかった。苦い煙の香りと違って喉が痛くならないし、気分も悪くならない。どちらかと言えば、好きかもしれない。
 けれど、昨日からモヤモヤとした気持ちが残っていて、素直に良い香りを楽しめる気分ではなかった。
「刺斬」
 Ⅸ籠は我慢に耐えず声をかけた。
 後ろ姿に声を投げると、動いていた身体を止めて、刺斬が振り返った。
「何でしょう」
「それ、本当に必要な情報か?」
「ええ」
 迷いの無い返事。刺斬が目を細めて笑顔を見せる。
 その後、Ⅸ籠が何も言い返さないのを納得の意とした刺斬は、再び背を向けた。
 Ⅸ籠は納得したから言葉を返さなかったのではなく、刺斬が楽しそうにしているのを邪魔する必要もないと判断してのことだった。自室に戻ろうかと思ったが、刺斬に呼び止められるのが容易に予想がついたから戻る気も失せた。それに、戻ったところでベッドの上で眠れない時間を過ごすか、薬を飲むかくらいしかやることがない。
 テーブルを挟んだ向かい側のソファーで口を開けて寝ている鎖を見て、前に刺斬が「寝る子は育つ」と言っていたのを思い出す。鎖が今よりも育つのかどうか分からないが、自分はこれ以上成長しない身体だから、そのせいで眠れないのかなと勝手な想像をした。
「ボスはご自身の誕生日ご存じではないんですよね?」
 背を向けたまま、刺斬が言った。
 Ⅸ籠は深く息を吐く。モヤモヤした気持ちの原因だった。
 昨日、刺斬に訊かれて、誕生日というものを初めて知った。生まれた日のことをそういうらしいが、Ⅸ籠は自分が生まれた日は知らなかったし、特に興味も無かった。でも「では、明日は誕生日なんで、一緒にお祝いしましょう」と、刺斬に言われた。刺斬と鎖のどちらの誕生日なのか訊く気はなかった。2人で好きなようにやればいいのにと思った。
「昨日も、同じこと訊いただろ」
「一応確認です。疑っているわけではないっスよ」
「知らない」
 口早に答えて、Ⅸ籠は口を噤んだ。自分が生まれた日を知らないのが悪いことのような気がして、奥歯を噛んだ。
「誕生日ってのは、生まれた日を祝うものではなくて、生まれてきた人を祝う日です。1年間無事に生きられたことを祝う日でもあります。旧時代から…」
 長々と続く刺斬の話に、Ⅸ籠は意識を逃がして聞き流した。全く興味が無いし、その知識を得たところで、戦闘の役に立ちそうもない。こちらの様子など背中から分かるはずもなく、聞いていると思い込んでしゃべり続ける刺斬。その後姿を目で追うのも飽きて目を離したころ。
「…実のところ、俺も鎖さんも、自分の誕生日は知りません。なので、俺と鎖さんが初めて会った今日を誕生日にしてます」
 Ⅸ籠はぴくりと身体を揺らして刺斬の背中へ目を向けた。刺斬の話し振りから、てっきり刺斬と鎖は自分たちの生まれた日を知っているものだと思っていた。
 刺斬がゆっくりと振り返る。
「丁度、今日なんですよ」
 喜々とした様子で完成したケーキをⅨ籠の前に置く。中央に苺が敷き詰められたケーキには、金色と緑色と紫色の蝋燭が1本ずつ立てられていた。
「良い偶然だと思いません?」
「何のこと?」
 Ⅸ籠は眉をひそめた。刺斬の話が、自分の思っていたものと少し食い違っているのが雰囲気で分かる。
「今日は、俺と鎖さんが初めて会った日」
 穏やかな笑顔を見せながら、刺斬は弾むような口調で言った。
「そして…俺と鎖さんが、”初めてクロウさんにお会いした日”です」
 
 
 
 
 
終わる

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