悲喜交々

Ⅸ籠の独白。思い付きの即興文。


 兄は最強の永久少年。
 聡明で優しくて、頼れる兄。
 そんな兄が大好きで、大好きで。
 だから。
 兄を殺さなければいけないということは、自分の生きる意味であると同時に、自分を殺すことに等しかった。
 
 自分は兄の複製。唯一無二の最強である兄を超えるために造られた。
 そのため、周りの大人たちからは、何かにつけて兄と比較して見られていた。
 オリジナルならできるのに…と、そんな言葉をよく聞かされていた。兄に劣ることはとても悪いことなんだと、深層心理に刷り込まれた。
 自分はクローンだから体の成長は早かった。だからといって兄が生きていた時間の差を埋められるわけじゃない。でも、そんな言い訳なんて許されなかった。
 身体能力を数値でいうなら兄より上だったけど、それだけでは兄を超えられないという現実。
 自分は、兄を超えられない。それがどんなに自分を苛んでいたか、自分が自覚するよりもずっとずっと本当は深かったのかもしれない。
 それを知っていながら、気づかないふりをしていた。それを認めてしまったら自分が生まれた理由が無くなる。
 そんな奥に潜む不安すら、優しい兄のお陰で深く考えずにすんでいた。
 でも、いつもすぐ傍で優しくしてくれる兄とは対照的に、周りの大人たちの態度は冷たかった。
 
 出来が悪い自分を、兄はいつも優しく面倒見てくれた。そんな兄が大好きで。
 その一方で、いつからか兄の笑顔と優しさを素直に受け止められなくなる自分がいた。
 兄がいるから比較される、優秀すぎる兄のせいで自分は劣ってしまう。兄のせいじゃないのに。悪いのは自分のほうなのに。こんな出来損ないの複製を弟として大事にしてくれているのに。
 ある日、心を潰そうとする何かに耐えられず、兄に当たってしまった。兄は驚いた顔をして、謝ってきた。
 自分は素直に謝れなかった。こんな気持ちすら兄に劣ってしまった気がして、自分に失望した。それと同時に、親身になってくれている兄を傷つけてしまった自分が嫌いになった。
 それでも、兄は変わらずに今まで通りの温情を注いでくれた。
 
 突然の出来事。
 兄の逃亡。兄は組織を裏切った。理由は分からない。
 いつも隣にいた兄がいなくなるというのは、生まれて今までに一度も無かったことだった。あまりに急なことで、自分は何がなんだか分からずにいた。いつも一緒にいて当たり前だったから、この事実を受け止められるわけがない。
 不出来な欠片を残して、オリジナルが消えたということは、組織にとって計り知れない損失だった。
 大人たちの態度が急変する。
 最強の永久少年の裏切りなのだから、それを処分するのに、そこら辺の戦力では到底足元にも及ばない。
 兄を始末するのに、自分が選ばれた。今この組織の最上の戦闘力を持つのは自分だけ。
 今まで大人たちが兄に向けていた目で、自分を見るようになった。ずっと欲しかったものだった。
 拠り所である兄を失った心の穴は、悲しいという感情を理解する前に、組織に必要とされているという代わりのものを押し込まれた。詰め込まれたものは、穴に全然合わないものだったけど、満たされたことには満足してしまった。
 こんな気持ちになってしまった自分が、何よりも兄を裏切ってしまったんじゃないかと自責の念に駆られた。そして、そんな自分を正当化しようと、兄を想う気持ちの裏に、兄を妬ましく思っていた自分に初めて気が付いた。
 周りの大人たちは、兄は出来の悪い自分を裏切って逃亡したんだと言い始め、最初こそ信じてなんかいなかった自分はただ聞き流していた。兄はいつも優しくて自分を大切にしてくれていた。兄が自分を嫌いになるはずがない。
 けれど、呪いのように心に残る大人たちの言葉は、次第に根深く刺さっていった。
 
 生まれた理由を脅かす兄を殺していい。兄を超えれば自分の存在が正しかったことになる。
 大好きで大事な憧れの兄を殺したくない。いい子にしていればきっと兄は戻ってきてくれる。
 大好きだから殺したくない。
 妬ましいから殺したい。
 相反する気持ちは衝突し、互いに一歩も退かずに大きくなる。
 泣きながら笑う自分は、どちらが本当の気持ちなのか分からなかった。
 
 
 
 
 
終わる

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