竜使いと白いドラゴン ~始まり~

サージェイドという存在に関わった人のお話。


 澄み渡る青い空には雲ひとつなく、暖かな光を注ぐ2つの太陽が互いの距離を置いて浮かんでいる。
 少年は宿部屋の窓から顔を出して大きく息を吸う。やわらかな風がどこからか花の香りを運んできた。
 今日はいい天気だ。雨も降りそうにない。
 気を引き締めるように拳を握り、窓から顔を引っ込めた。頭に布帯を巻いて外套で身を包むと、急いで荷物をまとめて部屋を出る。
 木製のドアを開けて階段を降りる・・・ところで足を滑らせた。
 ぐるぐると回る世界。鈍い音を響かせて、一階まで転げ落ちる。
「いってぇ…」
 痛みに呻き声をあげながらゆっくり目を開くと、目の前には宿屋の娘が口元を手で押さえて驚きの表情を浮かべている。
「あの…。お客様さま、大丈夫ですか…?」
 声をかけられ、少年はハッとして立ち上がると、慌てて荷物を背負い直した。
「足音うるさくて、お騒がせしました!」
「はぁ…」
 宿屋の娘は不思議そうに首を傾げたが、すぐににこやかな笑みを見せた。
「元気な子ですね」
「は、ははは…」
 少年は苦笑いを返しつつ、強打してじんじんと痛む尻を手で押さえながら、宿屋の娘の前を通り過ぎた。咄嗟に嘘をついてしまったが、今はそれを悔いる気もない。廊下の角を曲がって宿屋の娘から見えていないことを確認すると尻を擦りながら歩く。
 はあ、と。溜め息をひとつ。自分のそそっかしさに毎度呆れながら、一方で諦めている。
 宿のエントランスに出ると、筋肉隆々の強面男が小さなカウンターで番をしていた。ここの主だが、何をどうしたら先ほどの美人な娘が生まれてくるのか理解に苦しむ。完全に母親の面影しかない。
 宿の主に代金を払い、少年は宿屋を後にする。
「お気をつけていってらっしゃいませ。良い旅を」
 見送りに来てくれた宿屋の娘に、軽く手を振って挨拶を返した。
 
 “竜使い”。
 それは少年…ライエストにとって必ず到達しなければいけないものだった。
 ライエストの村では、竜使いになれば一人前の男として認められる。13の歳から相棒となるドラゴンを探すことを許され、幼い頃から一緒に育ってきた周りの友人たちの何人かは2年の間ですでに小型ながらもドラゴンを相方にしていた。
 悔し紛れに「俺はもっと強いドラゴンを相棒にするんだ!」と宣言してしまい、村を出て今に至る。
 長老たちは「よそのドラゴンは気性が荒いのもいる。やめとけ」と呆れ顔で警告してきたが、それを振り切って来たのだ。絶対に強いドラゴンを見つけなければならない。
 そしてその目星を付けて、村から遠く離れたこの地にやって来た。
 一晩過ごした宿があるこの町は田舎の小さい町と話に聞いていたけれど、ライエストにとっては大きな町だった。なんだか自分の村がいかに辺境の地にあるのかを思い知らされている気分になる。
 ライエストは町を出て北側にある森に向かった。この森の湖には、ドラゴンの一種である水龍の群れが来ていると噂を聞いた。龍の種族は非常に賢く、聡明な者にしか心を開かないと言われている。自分は決して聡明とは言えないが、何もしないで最初から諦める気もない。気の合う水龍がいるかもしれない。
 思っていたほど木は多くなく、森の中は木漏れ日のお陰で明るかった。森を抜けて開けた場所に出ると、そこには大きな湖。小さな川しかない村に住んでいたライエストにとって、感動するものだった。何日分の飲み水になるかなあと、無意味な考えが浮かぶ。
 大きな湖の中央付近で、太陽の光をきらきらと反射させて水面を泳ぎ回る水龍の姿が数体見えた。体長は15メートルくらいだろうか。
「おーい!」
 ライエストは湖の岸から落ちそうなくらい身を乗り出して大声を上げた。水龍たちはこちらの声に気づいてくれたようで、長い首を一斉に向けた。
 しかし、すぐに水龍たちは各々の方向に泳ぎ始める。それ以降は全く無視だった。
「やっぱり、そうだよなー」
 ライエストは大きな溜め息と共に、がくりと頭を垂れた。
 ドラゴンから信頼を得るのは難しい。ただ声をかけるだけで仲良くなれたら苦労はしない。人語を理解できるドラゴンは希少だし、人間に無関心なのもいる。
 背負っていた荷物を降ろし、その場に座った。ここに何日か滞在して様子を見るつもりだった。
 膝の上で頬杖をついて、ぼんやりと湖を眺める。水龍たちは思い思いに水面を漂っていた。前肢の大きなヒレを羽ばたかせて水上を飛ぶものもいる。
「キレイだな…」
 初めて見る水龍たちの青い鱗の輝きに見惚れ、無意識に感嘆を漏らす。本で見た水龍よりも、ずっとずっと綺麗だった。
 対岸の方に目を凝らすと、色の違う水龍が1体泳いでいた。色素が抜けてしまったのか、真っ白な水龍だった。その白い水龍が他の水龍たちに近づこうとすると、他の水龍たちは避けるように離れていく。
「突然変異か奇形種かな。泳ぎ方も変だし」
 白い水龍を目で追っていると、泳ぎ方も他の水龍とは少し違っていた。くねくねと体を動かさずにまっすぐ泳いでいる。どこから推進力を得ているのか謎だった。
「そこの少年、旅の者か?」
「うえっ!?」
 突然声をかけられて、ライエストはひっくり返りそうになりながら声がした方を見上げる。白黒混じりの長い髭を蓄えた老人が立っていた。老人は目を丸くしているライエストを見て、ほっほっほと笑い声を出す。
「ここの湖は危険じゃぞ。水龍がおるからな。魚釣りが目的なら、あちらに川がある」
 そう言って老人は森の奥を指差す。
「釣りじゃない」
 ライエストは立ち上がって首を振った。
「ふむ? 見たところ、お主はリスティア地方の者か?」
「リスティアよりもっと西の、サクディンテ…から…」
「サクディンテ? まさか…。おぉ、おぉ。昔聞いたことがあるぞ。ドラゴンたちと暮らしている貴重な民族がいるという土地じゃな。本当にいたとは…。こんな遠くまでよく来たのう。サクディンテのドラゴンは穏やかで友好的だそうじゃないか」
 老人はうんうんと頷きながら言った後、表情を曇らせる。
「ここの水龍に会いに来たのか? ここにいるのは群れからはぐれた奴らの集まりじゃ。人間たちに襲われて逃げてきた奴もおる。心を開いてはくれんよ」
「人間に襲われた…?」
「知らないのも無理ないかの。東の地方では水龍の鱗は高価な装飾品になるんじゃよ」
「え…」
 思いがけない話に、ライエストは言葉を失った。
「そういうわけじゃ。ここの水龍たちは諦めたほうがよいぞ。人間を嫌っておる。以前、ここを通りかかった町の者も襲われたことがあるんじゃ」
「そう…なのか…」
 ライエストは肩を落とした。でもそれはここまで来て諦めてしまうことではなくて、あんなに美しい水龍が装飾品のために狩られていることに対してだった。
 老人が去ったあとも、ライエストは湖から離れられずに、水龍たちを眺めていた。たまたま近くまで泳いできた水龍に笑顔で手を振ってみる。水龍はライエストと目が合うと急に方向を変えて、何度か振り返りながら離れていった。怯えと怒りを秘めた目だった。それを知ったライエストは振っていた手を力なく下ろした。
 双子の太陽の片方は地平線の下へ姿を隠し、もう片方も沈み始めて、辺りは薄暗い世界に色を変える。
 ライエストは水際から離れ、森に落ちている木の枝を集めて焚火にする。荷物から毛布を取り出して横になり、溜め息をするのと同時に目を瞑る。明日になったら北に向かってみようと考えた。特にあてがあるわけではないけれど。
 まどろむ意識の中、昼間に見た水龍たちの鱗が太陽の光を反射させて煌めく光景を思い浮かべる。ここの水龍たちは静かに暮らせるといいなと祈った。
 
 
 ガラガラとした地響き。散らばっていた意識が急速に集まって、ライエストは目を覚ました。焚火はとっくに消えていて寒さに身震いをする。
 何の音で起こされたのかと辺りを見回すと、湖畔に3人の男が立っていた。4メートルほどの荷車を引いていて、その上には荷車よりも長さのある大きな槍が設置されている。地響きは荷車の動く音だとすぐに分かった。
 男たちは荷車を湖に寄せると、乗っている大きな槍の刃先を湖にの向けた。話し合いながら、刃先の角度を少しずつ調整している。刃先が向けられた先には水龍の姿があった。
 その意味を知った瞬間、ライエストは駆けだしていた。
「やめろ!」
「何だァ?」
 男たちがライエストに気づいて機嫌の悪い顔をする。
「お前ら! 水龍を狩りに来たな!?」
 ライエストが声を張り上げると、男たちは怒りの形相に変えた。
「変な恰好のガキだな! どこから湧いてきやがった!」
「昨日からここにいた」
 答えながら、自分が寝ていた場所を指さす。
「んなのどうでもいいんだよ!」
 男が口をへの字に曲げて睨みつけてくる。そっちが訊いてきたくせに、とライエストは心の中で反論した。
「おい、ガキを捕まえろ! ふん縛って湖に沈めちまえ!」
「奴隷商人があれくらいの歳のが欲しいって言ってたから、売るのがいいなー」
「どっちでもいい! 早く捕まえろ!」
 リーダーらしき男が、2人の男に顎で指示をする。細身の男と腹の出た小太り男が剣を抜き、じりじりと距離を詰めてくる。
「痛い目見たくなかったら、おとなしく捕まりな」
「悪いようにはしないからねー」
 男たちが手の届きそうなところまで近づいて来たのを見計らって、ライエストは森の中へ走った。
「待ちやがれ!」
 男たちは逃げる子供の背中を追って走り出す。しかし右へ左へと木を避けて蛇行する背中はどんどん遠ざかっていき、5分足らずで見失ってしまった。
「くそ…、どこ行きやがった」
 男たちの走る速度が落ち、様子を伺う歩みになる。細身の男が顔を顰めて辺りを見回すと、少し進んだ先の大きな木の陰に追っていた子供が身に着けていた薄緑色の外套を見つけた。
「あそこだ」
 小太り男に小さく耳打ちして、2人は足音を立てないように近づく。勢いよく外套を掴んで引っ張ると子供の姿は無く、外套が低木に掛けられていただけだった。
 2人の男が呆気に取られていると、木の上から空を切ってライエストが飛び降りてきた。
 その姿を見上げる間もなく、2人の男は後頭部に衝撃を受け、その場に倒れる。
「魔物の餌になる前に目が覚めるよう、森の精霊に祈れよ」
 ライエストは太い木の枝を捨てて自分の外套を掴むと、湖に向かって走った。
 
「よしよし、いい位置で止まったな」
 水龍を狩りに来た男は仲間2人に子供を任せて、発射台の上で湖の水龍に狙いを定めていた。仲間の2人が戻る前にさっさと水龍に槍を撃ち込んでおきたかった。何せ水龍を引っ張り上げるほうが時間がかかる。日が暮れる前には戻らなければいけない。
「やめろって言ってるだろ!」
 前方に集中している男の背中に向かって、ライエストは走りの勢いに乗って蹴った。
「うがっ!」
 男は発射台の柱に頭をぶつけて倒れたが、すぐに立ち上がってライエストを睨み付けた。
「くそガキが…」
「水龍に悪さしてると、毎晩寝小便垂れるぞ。自分の寝小便で溺れて死ぬぞ」
「はぁ?」
 ライエストの唐突な話に、男が呆気にとられる。
「悪くないドラゴンたちに酷いことすると、竜神さまが怒るんだからな!」
「なんだその迷信。くだらねぇ」
 苦虫を噛み潰すような顔をして、男は荷台に乗せていた柄の長い斧を手に取った。
「ナメてんじゃねぇぞコラ!」
 斧を振り回しながら男が襲い掛かってくる。叩きつけるように下ろされる斧を躱して、ライエストは後方をちらりと見遣った。
 あと11歩。
 頭の中で距離を測り、男が振り回す斧を動きに合わせて避けながら後退する。ちょうど11歩目の所で、背中から倒れた。
「がはは! 終わりだな! くたばれ!」
 チャンスとばかりに、男が斧を大きく振り上げる。
 でもこれがライエストの狙いだった。この場所は自分が焚火をした場所。置きっぱなしになっていた荷物から素早く弓矢を出し、男に向かって構えると同時に矢を放った。矢は狙い通りに男の手の甲に刺さり、男の手から斧が落ちる。
「ちくしょう…」
 男は手の甲を押さえて蹲った。苦悶の表情を浮かべ、完全に戦意喪失しているようだった。
「お前の仲間は森で気絶してる。連れて帰れ!」
「チッ」
 男は覚えてろと月並みの捨て台詞を残して、森の方へ走って行った。
 男が森の中へ消えて暫くした後、ライエストは「あー」と声を出しながら深く安堵の息を吐いた。もし男たちに捕まっていたら殺されていたかもしれない。そう思うと生きた心地がしなかった。村で狩りや魔物退治をしながら育ったけど、人間と戦うなんてしたことがなかった。
 静かになった湖のほとりには、この場に似合わない槍の発射台が乗った荷車が残っていた。
そのままにしておいては危ないだろうと思い、男たちが引いてきた荷車を湖から離そうと引っ張る。
「何だよこれ、重い…」
 しかし、大人3人がかりで引いていた荷車が子供ひとりの力で動くはずもなく、一向に動く気配がない。
 仕方なく荷車を離すのを諦めて、湖に向けられている大きな槍を発射台から下ろすことにした。槍に跨るようにしてよじ登り、上の方にある弓形に掛かった金具を外そうと手を伸ばす。
「わっ」
 滑らせた片足に何かが当たり、ガチと音がした。その瞬間、槍はライエストを乗せて飛び立った。急な風圧に耐えられずライエストは槍から手を滑らせて湖に落ち、槍はライエストの重さで失速して水龍の群れよりもずっと手前で落ちる。
 山育ちだったライエストは泳げなかった。竜使いになるために水龍を探していたのは、水辺で困らないためでもあった。
 じたばたと動かす手足に反して、体は徐々に沈んでいく。水が口に入り大きく咳き込んだ。水龍たちは遠巻きに様子を見ている。
「クォォン!」
 不意に透き通るような鳴き声が聞こえた。真っ白な水龍が猛スピードで近づいてくる。
 顔が水面に沈みかけて目を閉じる瞬間、白い水龍が水面から飛び上がり、輝くような純白の羽毛に包まれた翼を広げた。
 水龍に羽翼…?
 有りえない光景を最後に、ライエストは意識を失った。
 
 
 
 
 
つづく

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