「いってらっしゃい」
エレクトロとグラビティのお話。
それは“行って、戻っていらっしゃい”を意味し、無事に帰るよう祈りを込めた言葉。
息遣いのような小さな機械音だけが流れる部屋。そこにいつの日からか、明るく弾む声が響くようになり、冷たい機械音は耳に入らなくなっていた。
「でさ、そんとき気持ちがぐぐーってなって、こう…ドーンってやっつけたんだぜ!」
グラビティが得意気な笑顔で、拳を振り上げる。
「それはすごいな。グラビティは強いんだね」
エレクトロはグラビティの話に惹きつけられて、うんうんと頷いた。
薄ら寒いこの部屋は、エレクトロが体の充電のために篭る部屋だった。何日かに一度、この部屋で数時間の時を過ごすことを余儀なくなさている。
ラボの三分の一が壊滅した時、どうしていいか分からなかったエレクトロに声をかけ助けてくれたのは、ラボの戦闘員のボルテージだった。
大勢の被検体が逃げ出すチャンスとなったラボの壊滅は、一部の被検体にとっては生きられない環境に陥る原因にもなった。そのひとりがエレクトロだった。
エレクトロは機械と融合し半機械化できる能力を付加されていた。それは同時に、機械に生体機能の一部を依存させるものでもあった。内臓などの一部器官は完全に機械任せになっている。そのため、ラボから逃げ出せたものの、電力供給を絶たれた体は数日も持たなかった。昏睡状態になってしまったエレクトロに、ボルテージは定住の地を探し、充電できる環境を備えてくれた。
以来、エレクトロは問題なく生活を送れるようになり、ボルテージに師事している。けれど充電している時の姿は見目に良いものではなく、長短太細な管に繋がれた姿は傍から見れば不気味に映っていることを自覚していた。
だから、充電中の姿は他の子どもたちに見られたくないと思っていた。それなのに。
「ひとりで部屋にずっといるなんて、退屈じゃねぇ?」
と、強引に部屋に入り込み、屈託ない笑顔で朗らかに声をかけてきたのはグラビティだった。
ひょんなことからエグゼが連れて来てしまった3人の少年の内のひとりで、最初に会ったときの印象は決して良いものではなかった。
エレクトロはラボにいたときに、実験体の情報や施設機器の管理などをする統括システムとして扱われていたため、グラビティたちを見てすぐに被検体の永久少年だと判別できた。3人の様子から、ラボ側でなく逃げて来た側だと分かった。逃げ出した永久少年であれば、同類ということになる。アーミィとグラビティとギガデリはお互いに都合がいいからという理由だけで行動を共にしていたらしい。
そんな3人が居座り始めて月日が経ち、いつからかグラビティはボルテージの近くにエレクトロが居ないと知ると、充電部屋に来るようになっていた。グラビティが初めて充電部屋に来たときに、エレクトロはグラビティを追い返そうとしたが、グラビティはいつもと変わらない笑顔で興味津々に部屋を見回しコレは何だアレは何だと訊いてきた。
それからというもの、エレクトロはあまり好きではなかった充電の時間が楽しみになっていた。この場所に留まり体の一部を通信機器として使って世界の情報を得ている自分と違い、世界を歩き回っていたグラビティは自らの体験談や感想などを話してくれる。映像や画像やテキストデータからでは知りえることが難しい、経験の知識。それを、拙い言葉と大袈裟な身振り手振りで教えてくれた。
それが楽しくもあり嬉しくもあり、エレクトロはグラビティとよく会話を交えるようになっていった。
闖入者の3人が加わった生活をするのが当たり前になってきたころ、アーミィがしばらく被ることが無かった赤いヘルメットを被り直してこう言ってきた。
「いつまでもここには居られない。世話になった。ありがとう」
エレクトロはその理由を知っていながら訳を尋ねた。アーミィは複雑な顔をして「とても危険なやつに追われているから」とだけ答えた。
アーミィの情報は、エレクトロのデータバンクの中にも入っている。ラボ壊滅を引き起こした張本人であり、ラボが開発した最強の永久少年。そして、その身を狙ってラボがクローンを差し向けていることも。ラボは一番に脅威となっているアーミィを捕えるか始末してから、他の逃げ出した永久少年たちを捕獲しようと計画している。アーミィの能力なら他の永久少年たちを容易に従えられるからだった。もしアーミィを始末することになったとしても、アーミィのクローンがいる。その能力は、もっと強制的で支配的なものだった。どちらにしろラボにとっては優位であることに変わりない。手荒な事をしてくる可能性は十分にあり得た。
だから、アーミィを引き留めることはできなかった。もし、ここがラボの襲撃に遭ってしまったらボルテージが世話をしている行き場のない子供たちや匿っている永久少年たちにも大きな被害が出るし、元ラボの者だったボルテージも相当な処分がされるのは見当がつく。
アーミィがこの場所を去るということは、グラビティとギガデリもこの地を去るということを意味していた。
アーミィとギガデリがボルテージに別れの挨拶をしているとき、グラビティはエレクトロの所へ駆け寄って来た。
「…なぁ」
グラビティにしては珍しく、いつもの元気がない、遠慮がちな声。
「エレクトロ、オマエも一緒に行かねぇ?」
「え…」
グラビティからの思わぬ提案に、エレクトロは固まった。
「オレさ、オマエのこと気に入ったぞ。オマエといっぱい話して楽しかったし、まだいっぱい話したいことあるんだぜ。だから…」
不意にグラビティは言葉を止めた。エレクトロがここを離れられない理由を、グラビティも知っていた。恩人であるボルテージから離れるわけにはいかないだろうし、何より体の充電の問題があった。
「そっか…。そうだよな…。オマエを困らせること言っちまった。わりぃ…」
「気にしないでくれ」
肩をすぼめるグラビティに、エレクトロは優しく声をかけた。グラビティの気持ちも分かる。本当は、一緒に行ってみたかった。
グラビティはアーミィとギガデリに呼ばれ、慌ただしく手を振った。
「んじゃ、オレいってくるぜ!」
「うん。さようなら、グラビティ」
今迄に味わったことのない喪失の予兆に耐えながら、エレクトロは平静に別れを告げた。
「サヨナラなんて言うんじゃねぇよ」
グラビティは不思議そうな顔をして、言葉を続ける。
「いってきますってさ、どこに“行って”も戻って“来ます”ってことだろ? だから必ず戻ってくるんだぜ!」
グラビティの言葉に、エレクトロは、はっと息を呑んだ。そしてグラビティに笑顔を向け、真っ直ぐ見詰めて口を開いた。
「いってらっしゃい」
終わる