籠ノ鴉-カゴノトリ- 2

前回の「籠ノ鴉」の続き的な話。


 実の無い内容の会議は好きでは無い。長ったらしいなら尚更の事。
 毎度のように会議の時間に遅れたが、途中で馬鹿らしくなって、刺斬は退室した。
 鎖に止められたが、それを振り切った。鎖は変な所が真面目で、会議には遅刻しないし、どんなに下らない内容でも最後まで居る。ただ、居眠りはしているが。
 廊下の空気は冷えていて、すぐに頭が冴えた。
 狭い廊下を進んで何人か隊員とすれ違った後、突き当りを曲がった所でふらふらと歩く黒い後ろ姿を見つけた。
 よく見知っている、背の低い子供。しかし、覚束ない足取りに常とは違う状態だとすぐに分かった。
「クロウさん?」
 近づいてⅨ籠の顔を覗くと、いつもの殺気を纏わせる覇気は無く、虚ろな半眼で虚空を見つめている。
 こちらに目を向けたが、焦点が定まっていないようで、すぐに目線を泳がせた。
「どうしました? 俺が分ります?」
 目の前で手を振ってみると、Ⅸ籠は歩くのを止めて、反応の悪い目で手の動きを追う。
 これは、明らかに様子がおかしい。
「ボス、医務室行きましょうか」
 声をかけて、Ⅸ籠の背を押そうとして留まった。
 一昨日にⅨ籠が「明後日は大事な検査があるから、会議は行かない」と言っていた事を思い出した。
「検査、ねぇ…」
 刺斬は溜め息をついた。
 Ⅸ籠の様子がおかしいのは検査の薬のせいだと分かったが、検査とは名ばかりの、過度な実験でもれされたのではないだろうか。そうでなければ、ここまで強い薬を使う必要なんかないはず。
 Ⅸ籠は永久少年と呼ばれる特別な存在のクローンだ。しかも、普通の永久少年じゃない。【最強】と謳われているお墨付きの永久少年のだ。
 何度も失敗して、やっとここまで成長できたのだから、色々調べたい事は山ほどあるだろう。それは分からなくもないが、こんな状態にさせるのは問題があるんじゃないだろうか。
 検査が終わったからといって、薬が切れる前に検査室から出されたのだと察しは付いた。随分と雑なやり方だ。
「お部屋、帰れますか? ここ、どこだか分かってます?」
 少し声を大きくしてみたが、やはり返事はない。
 Ⅸ籠はこちらを無視して、ふらふらと歩き始めた。
 向かったのはⅨ籠の部屋の方向ではない。
 これは、駄目だ。
「こっちですよ」
 刺斬はⅨ籠の肩を掴んで、方向転換させる。Ⅸ籠は少しふら付きながらも方向を変えてくれた。
 Ⅸ籠の性格は、組織の中でも扱いが難しいとされている鎖の方がマシだと言われているくらい、酷く狂った性格だと知れ渡っている。
 組織の下層部は表向きには上下関係があるが、弱さを見せたらその関係は終わり。強い奴に従う暗黙のルールがある。だから、上を狙う雑魚は山ほどいる。
 そんな連中にクローン隊の頂点に居るⅨ籠は雲の上の存在だろうが、今の状態のⅨ籠が相手となれば、何をしてくるか分からない。
 刺斬は、Ⅸ籠の手を握った。見た目の年相応の小さな手。だけど、見た目の年に似つかわしくない筋張った武骨な手だった。
「一緒に、お部屋戻りましょう」
 そう言って手を引いて誘導すると、Ⅸ籠は歩き始めた。いつもこれくらい素直ならいいのになと、不謹慎ながらも思ってしまった。
 いつものⅨ籠と行動を一緒にするのは、本当に難儀でしかない。
 命を奪う事に何の躊躇いもないくせに、人一倍の寂しがり屋。好きといったものが、次には嫌いと言い出す。やっと懐いてくれたかと思えば、狂気じみた笑い声を上げながら殺そうとしてくる。
 全く気持ちが読めない子供の下に配属されて、正直言って最初の頃は逃げ出したかった。
 多重人格か人格が破綻してるかもしれないと、鎖と話し合った事もあった。
 それでも、この子を放って捨てるほど、自分は冷徹にもなれなくて、それは鎖も同じようだった。この子を守らなければいけない気持ちは、ボスだからという理由では無いのかもしれない。
 暫く廊下を歩いていると、小隊長が歩いて来た。
 手を繋いで歩いているのだから、妙な光景に見えるのは当然だろう。その小隊長は足を止めてこちらを見てきた。
「何か用スか?」
「いえ、別に…」
 睨みつけると、そいつは訝し気にしながら目を反らして歩き始める。
 嫌な気配を感じながらも、刺斬はⅨ籠の手を引いて進んだ。
 それから特に問題もなく、Ⅸ籠の部屋の前に着いた。
 分厚い鉄の扉の先には、重要機密と言えば聞こえはいいが、失敗作のⅨ籠の兄たちが閉じ込められている。呪われた部屋だと思う。
 着いたはいいが、部屋の扉を開ける方法が分からず、刺斬は鉄の扉を凝視した。カードロックらしいものも、キーロックらしいものも無い。
 刺斬はⅨ籠に身を屈めて、Ⅸ籠と目線を合わせた。
「着きましたよ?」
「んー…」
 Ⅸ籠がぱちぱちと瞬きをして、辺りを見回す。間が良い事に、薬の効果が切れてきたらしい。
「検査終わりましたよ、ボス。お疲れ様です」
「…あ…。検査…。終わった…の?」
 Ⅸ籠は検査と聞いて一瞬顔を歪めたが、終わった事を知って安堵したように息を吐いた。
 その様子を見て、やはり普通の検査では無さそうだと刺斬は感づいた。
 Ⅸ籠の半眼だった目がゆっくりと開いていくのを見ていると、完全に開いた目で焦点が合った。
「刺斬! 何の用だ!!」
 完全に覚醒したⅨ籠に、思いっきり警戒された。鬼気迫る表情で睨んできて、今にも斬り付けられそうな気配がする。
 ここまで連れて来たと話しても、きっと何も覚えていないから不審がらせてしまうのは十分予測がついた。
「えと…、お兄様方に、ご挨拶しようかと」
 咄嗟に、変な嘘を言ってしまった。
「あいさつだと?」
「ええ。以前はご無礼してしまって、きちんとご挨拶できなかったもので…」
 血を見る覚悟で言い訳をすると、返ってきた反応は意外にも上機嫌そのものだった。
「そうか、いいぞ。刺斬はいつも頑張ってるから、特別に会わせてやる。鎖にはナイショだからな!」
 Ⅸ籠がくくっと無邪気に笑う。そのあどけない顔は精神年齢の低さが垣間見える。先ほどまでの鋭い気迫は完全に消えていた。
 その刹那。
 Ⅸ籠が急に眼を見開いて、腕を振り上げた。
 刺斬は反射的に身構えたが、すぐに状況を把握した。Ⅸ籠がクナイを投げたらしい。廊下の角の陰で叫び声が上がり、硬質な音を響かせて拳銃が床に落ちた。さっきⅨ籠を気にしてすれ違った小隊長だった。
 小隊長が首を押さえて壁にもたれ掛かる。首を押さえる手の隙間から、血が流れた。
「オレを狙いに来たんだろ? バカなヤツ。あははっ」
 Ⅸ籠は小隊長に近づいて、見上げる。
 その様子を、刺斬は横目で見ていた。あの小隊長はⅨ籠が弱っていると思い込んで、わざわざ追ってきたのだろう。腹立たしい気持ちはあったが、それを抑える。
 すっかり戦意喪失した小隊長に対して、Ⅸ籠は容赦が無かった。廊下にⅨ籠の笑い声と血の匂いが広がる。許しを請う小隊長を、Ⅸ籠は面白がっていた。
 廊下を通りかかった下っ端たちや、騒ぎを聞きつけた隊員たちが人だかりになって、青ざめた表情で様子を眺め始める。
 これ以上、騒ぎが大きくなるのは良くない。
「もういいでしょう? 死んでしまいますよ」
「弱いから死ぬんだろ? 死ぬのが悪い」
「ボスが強すぎるんです」
 刺斬は、Ⅸ籠と血溜りに倒れる小隊長の間に入った。Ⅸ籠は不貞腐れた顔をしたが、ふんと鼻を鳴らせて身を引いてくれた。倒れたまま動けない小隊長の様子を伺って、息があるのを確認すると、髪を掴んで顔を上げさせた。
「あんた、クロウさんを手にかけようとしたんだ。それなりの処罰は覚悟しとけよ」
 少々脅しめいた低い声で言い聞かせた後、近くの下っ端を捉まえて、瀕死の小隊長を医務室へ連れて行くように指示した。
「散れ」
 刺斬が野次馬たちを一瞥すると、塊になっていた人だかりは我先にと逃げ去り、廊下に静けさが戻る。
 ふいに、後ろに引かれて、刺斬は振り返った。
「刺斬、刺斬、早く来い」
 今し方の騒ぎなど全く何もなかったように、Ⅸ籠が刺斬の服を引っ張る。どうやったのか分からないが、Ⅸ籠の部屋のドアは開いていた。
 薄暗い部屋。他の部屋と違って壁が厚いのか、中に入ると部屋の外の気配を全く感じられない。
 部屋を見回すと、Ⅸ籠の兄がそれぞれ入っている水槽が並んでいるのと、部屋の隅に棚と机があるのが目に入った。
 以前この部屋に来た時にはよく見る事ができなかったが、改めて見るとⅨ籠の兄たちは不気味な存在だった。
 刺斬自身もクローンで、自分の前に作られた兄のような存在がいた事は知っている。幼い頃に、研究員の気まぐれで自分と同じクローンの入った水槽を見せられた事があったが、そこで感じたのは恐怖と嫌悪。こうして部屋で一緒に居ようとは、とても考えられなかった。
「刺斬が、あいさつしたいって!」
 Ⅸ籠が言った。兄たちへ言ったのだろうけど、当然ながら返事は無い。
 その後、刺斬はⅨ籠に水槽の前へ案内されて、兄たちの事を色々と説明された。
 2番目の兄は、生きた肉塊。
 3番目の兄は、内臓が無い。
 4番目の兄は、人間に見えない奇形。
 5番目の兄は、無理矢理に細胞を生かされている死体。
 7番目の兄は、檻に閉じ込められている廃人。
 8番目の兄は、植物人間。
 どれもこれも刺斬にとっては、一刻も早く忘れたいくらい気持ち悪いものだった。そんな兄たちを、Ⅸ籠は自分に都合のいい思い込みをして、本当に心から大切にしている。
 刺斬はⅨ籠が精神的に成長するには、この部屋から引き離すしか無いと思っていたが、ここまで想いが強いとなると逆効果な気がしてきた。不安定なⅨ籠の心の支えになっている兄たちを奪ったら、きっとこの子は完全に精神崩壊する。
「くくくっ。刺斬はいいな」
「どういう意味です?」
「オレの部下になったヤツ、気に食わないのばっかりだった。弱かったしな、あはは!」
「そりゃどーも」
 笑顔を作ったつもりだったが、顔が引きつった。それでも、Ⅸ籠は気にしていない様子だった。「お腹すいた」と小さく独り言を呟いて、部屋の隅にある机の方へ走っていく。いつも行動が唐突だ。
「刺斬、腹減ったか?」
 こちらを振り返って、Ⅸ籠が言った。
「いえ…」
 刺斬は、短く返事を返す。長い会議の後で腹は減っていたが、Ⅸ籠の兄たちを見て食欲なんて綺麗さっぱり消えていた。
 Ⅸ籠は「そうか」と頷いて、机の上にあった大きな瓶を掴む。色も形も様々な薬が詰まったラベルの付いていない瓶を抱えて、Ⅸ籠はお菓子でも食べるように口に運んでいた。水で飲み込む事を必要としていないらしく、平気でぼりぼりと食べている。
 離れた位置からでも目に痛いほど鮮やかな色だと分かる薬は、栄養剤の類いでは無さそうに見えた。
 刺斬が目を離せずに見入っていると、Ⅸ籠は首を傾げる。
「ん? コレは、他のヤツにはあげちゃダメって言われてるから、刺斬にはコレをやる」
 薬を食べたいのかと勘違いしたらしく、そう言ってⅨ籠が机の上に置いてあった何かを投げてきた。飛んで来た物を受け取ると、値の張りそうな洋菓子の詰合せ袋だった。
「甘いものは苦手なんで」
「なら、鎖にくれてやれ。あいつ、甘いの好きだろ?」
「ボスが食べて下さい」
「オレはこっちのほうがいい」
 Ⅸ籠はまた薬を食べ始めた。
「それ…、何の薬です?」
「これか? 痛くなくなるのと、眠れるのと、あとは知らない。7番目の兄さんも食べてたって」
 Ⅸ籠が何の疑いも無く、舌足らずな幼い子のように話す。
「7番目って…」
 刺斬はⅨ籠に紹介された兄たちを思い出した。7番目の兄は檻に入ってる半狂乱の廃人じゃないか。
 この良識から離れた子を知れば知るほど、言い知れ様の無い違和感に似た薄ら寒い恐怖を感じる。こちらの気が滅入ってしまいそうだった。
「ボス、その薬を食べるのは控えた方がいいと思いますよ」
「ん?」
「もっと味気のある、美味しいもの食べるのはどうです?」
「…うるさい…」
 Ⅸ籠は急に顔色を変えた。空気を凍りつかせるような鋭い視線を向けてくる。ぎりりと歯を噛むのが見えた。
 これは失敗したと、刺斬は思った。この気配はまずい。Ⅸ籠の為を思っての言葉だったが、気分を害してしまった。Ⅸ籠の豹変は、不規則で掴めない。
 刺斬は、気を張って身構えた。命を落とすまでは無いだろうと思いつつも、それなりの覚悟はした。
 
 
 
「おい、刺斬どうした!?」
 自室に戻ると、ソファーに寝転がってた鎖が飛び起きて目を丸くした。無理もない。血だらけだ。
「ちょっと転んだんスよ」
「ウソつけ!」
「自爆しちゃいました」
「勝手に会議抜けやがった挙句、クロウにボコられてんじゃねぇよ」
 鎖が顔をしかめる。Ⅸ籠とのトラブルを自爆と言うのが鎖との間では自然に定着していた。
「クロウさん、強いっスね」
「お前、本気出してねぇだけだろ」
「そんな事したら、余計に怒らせて殺されちゃいますよ。ははは」
「チッ…、無理しやがって」
 鎖がソファーから立ち上がって、机の引き出しから包帯を出す。
「さっさと、血洗って来い。骨折れてねぇだろな?」
「浅い切り傷だけっスよ。今日はご機嫌よかったようで」
 そう言って、鎖に洋菓子の袋を渡した。
「あぁ? 何だよこれ」
「クロウさんからスよ」
 刺斬の返事に、鎖が一瞬固まった。
「…はぁ? ウソだろ?」
 信じられないらしく、片眉を上げる。
「本当ですって。鎖さんが甘いもの好きなの、覚えてくれてますよ」
「よく分かんねぇガキだな…」
 鎖が悪態をつく。けれど、その顔は少し嬉しそうに見えた。
 それを見て、刺斬も自然と笑顔になった。
 
 
 
 
 
つづく


籠ノ鴉-カゴノトリ-

Ⅸ籠は9番目の成功作クローンだろうと、名前から思いついた妄想。
失敗作の兄たちと、キャッキャウフフしてるクロウちゃんのお話。
性格が歪んでるというか、狂ってるというか気持ち悪い弟なので要注意。


カゴノトリ
籠 ノ 鴉
 
 
1番目は死滅した。
 
 2番目は脈打つ肉塊。
 
  3番目は臓器が無い。
 
   4番目は人の形をしていない。
 
    5番目は呼吸をしていない。
 
     6番目は不慮の事故で死んだ。
 
      7番目は人格が崩壊してる。
 
       8番目は目が覚めない。
 
 
 9番目の【籠】から生まれたクローンは、想像以上に良い出来上がりだった。
 だから、Ⅸ籠-クロウ-と名づけられた。
 オリジナルを超えるのにも、十分な素質を持っていた。
 8番目までは破棄する予定だったが、9番目の願いがあってそれを中止とした。
 廃棄物になるはずだった8番目までは、9番目を逃がさないようにする【籠】となった。
 
 
 
 【籠】が並ぶ、薄暗い部屋。
 大切な兄たちと一緒に居られる時間は、Ⅸ籠にとって幸せの時間だった。
 本当はこの部屋は立ち入り禁止だが、Ⅸ籠は上層部に兄たちの部屋に入る事を願い出た。
 Ⅸ籠の出来の良さに満足している上層部は、それを許してくれた。
 2人の兄はⅨ籠が物心つく前に死んでしまったが、まだ7人の兄がいる。
「兄さん。今日、オレに部下ができたよ」
 Ⅸ籠は、8番目の【籠】の水槽にいる兄に話しかけた。
 8番目の兄は耳がちゃんと付いてるし、目が覚めないだけで意識はあるはず。だから、きっと話を聞いてくれる。そう思って毎日あった事をお話ししている。
「名前は、えっと…鎖とかいったな。あと、さぎ…刺斬だったかな」
 水槽の中で膝を抱えるようにして浮いている8番目の兄は、ゆっくりと呼吸を繰り返すだけ。
「鎖ってやつは態度悪かった。刺斬は自己紹介してくれた」
 一方的な会話。
「あいつらの担当者が言ってたんだけど、あいつらもオレと同じに兄さんがいるんだって。でも【本物】の兄さんが【外】にいるって言ってた。本物ってどういう事かな?」
 言葉は返って来ない。
「【本物】なんて言うとさ、まるで兄さんたちを偽物だとでも言うみたいで、気に入らなかった…」
 それでもいい、聞いてくれていれば。
「兄さんたちだって、本物だよね!」
 Ⅸ籠は声を大きくして、部屋に居る兄たちに声をかけた。
 静寂の部屋は、何も変わらない。生命維持装置の音だけが静かに流れる。
「…ほら、やっぱり本物」
 兄たちの無反応に満足して、Ⅸ籠はくくくと笑った。兄たちはいつも無言で肯定してくれる。なんて優しい兄たちだろう。
「そろそろ、時間だから行くよ。逃げた雑魚を消すだけだから、すぐ戻ってくるね」
 Ⅸ籠は立ち上がって黒いマントを纏うと、部屋を出た。
 
 
 Ⅸ籠が兄たちの部屋に戻ると、7番目の兄が奇声を上げていた。
「兄さん、どうしたの!?」
 狭い【籠】の檻の中で暴れる兄に、Ⅸ籠は慌てて駆け寄った。
 暴れる兄の手足は枷が当たって、うっ血していた。それを見て、Ⅸ籠は青ざめた。
「兄さんやめて! 血が…」
 なだめようと手を伸ばしたら、引っ掻かれた。
「ご、ごめん! オレ、兄さんの気に障る事したかな? ごめんなさい…」
 Ⅸ籠は静かに身を引いた。7番目の兄は怒りっぽいのか、時々喚き散らす。理由は教えてくれないから、きっと自分で悪いところに気付けという事なんだろうなとⅨ籠は思っている。厳しいけれど、本当はいい兄なのだと。
 暫く暴れていた兄は、やがて落ち着いて横になった。ぶつぶつと何か言っているが、よく聞き取れない。
 7番目の兄が落ち着いたのを確認すると、Ⅸ籠は部屋の隅にある棚から消毒液と包帯を持ってきた。
 兄は手首も足首も、枷のせいで皮が剥けて血が出ていた。
 格子の隙間から手を伸ばして、兄の手首と足首に消毒をする。枷が邪魔だったが、なんとか包帯を巻いた。
 また痩せたな、とⅨ籠は思った。7番目の兄は、酷く痩せている。この兄は水槽に入っているわけではないから、他の兄たちと違って食事を摂らないといけない。
 檻の中に置かれた食器に目をやると、今日も食べていないようだった。近頃すっかり食欲が無いから、心配でならない。
「兄さん。オレ、いい子にするから…、お願いだから食べてよ。明日の朝ご飯は、たくさん持ってくるからね」
 そう声をかけて、Ⅸ籠は消毒液と包帯を片付けた。
 
 
 5番目の兄は8番目の兄と見た目は同じ。けれど、呼吸をしていないから体中に循環器が付いている。
 生き物は呼吸をしないと死んでしまう。でもこの兄は生きている。だから、それをとても凄い事だとⅨ籠は思っている。
 自分は、命がけの任務をする事があるから、いつか死んでしまうかもしれないけど、この兄はきっとどんな攻撃を受けても死なないんじゃないかと思う。
「オレも、兄さんみたいに強くならないとね」
 尊敬する兄だ。こんな兄をもって誇らしい。少しでもこの兄に近づきたくて、強くなりたいと思う。
 
 
 2番目の兄の傍で寝るのが好きだった。
 水槽に耳を当てると、生命維持装置の音と一緒に、鼓動の音がする。身体が小さい肉の塊だから、鼓動の音が大きく良く聞こえる。自分よりも少しだけ速く規則正しい脈打つ鼓動を聞いていると、とても安心する。
「兄さんと一緒に寝てるなんて、あいつらに知られたら笑われちゃうかな」
 Ⅸ籠は、鎖と刺斬を思い出した。
「でも、あいつら、兄さんが【外】にいるんだもんね。一緒に寝た事ないんじゃないかな。可哀想だよね」
 少し優越感に浸る。兄たちと一緒に居られることは、とても幸せなことだから。
「ねえ、兄さんもそう思うでしょ?」
 水槽の中の肉塊に向かって声をかけて、無邪気に笑う。
 Ⅸ籠は水槽に寄りかかって、眠りについた。
 
 
 こつ、こつ、と、微かな音で、Ⅸ籠は目を覚ました。この音は4番目の兄が呼んでいる音だった。
 4番目の兄はとても元気で、遊ぶのが大好きだ。
 どこが頭なのかもわからない。腕なのか脚なのかもわからない、太さも長さも違うものが数本生えていて、それを水槽の壁に当てて音を出している。
「兄さん、遊びたいの?」
 兄の前へ駆け寄って、声をかける。
 兄はこつこつと、また水槽を叩いた。それに応えるように、Ⅸ籠も水槽を叩く。
 そうすると、兄は別の場所を叩く、そこに合わせてⅨ籠も叩く。
 何度か兄の叩く所を真似た後、今度はこちらから、別の場所を叩く。そうすると兄は叩いた所をたたき返してくれる。
 4番目の兄はこちらの動きに反応してくれる。それがたまらなく嬉しい。
 暫く続けていると、だんだんと兄の反応は遅くなり、疲れたのか動かなくなった。
「楽しかったね。また遊んでね」
 
 
 3番目の兄は内臓が無い。だからⅨ籠はこの兄を病弱だと思っている。
「兄さん、身体の具合はどう? 少しは良くなったのかな?」
 肋骨から下の腹は、中身が無いから潰れている。
 眼球が無いから、瞼が窪んでいる。
 脳が無いから、頭蓋骨が凹んでいる。
「早く元気になれるといいね」
 水槽の壁に額を付けて、兄の快復を願った。
 
 
 いつものように、7番目の兄の身体を拭いていたら、兄は突然発狂して右手の指を噛まれた。
「っ…、兄さっ…やめて、指は許して。刀が…握れなくなる…!」
 指を食い千切られるのは困る。戦闘に支障が出る事になれば、上がうるさい。
 兄の口から無理矢理指を引き抜くと、3本の指の付け根が青く変色していた。
「ごめん、ごめんなさい…。指はダメだけど、腕ならいいから」
 Ⅸ籠は、指を隠すように握って、腕を差し出すと、兄は腕に噛み付いた。
 食い千切られて、血が滴った。
 腕の痛さよりも、兄を怒らせてしまった事の方が心が痛かった。
 兄は食い千切った腕の肉を飲み込んだようだった。
 それを見て、Ⅸ籠は気が付いた。
「そっか、兄さん、生肉が食べたかったんだね。だからご飯食べてなかったんだ」
 嬉しくて笑った。
「良かった。兄さん、オレの事怒ってなかったんだね。ごめんね、もっと早く気が付けばよかった。お腹空いてるよね? 生肉持って来るから、いっぱい食べてね」
 Ⅸ籠は立ち上がって、走り出した。腕から流れる血も痛みも、どうでもよくなった。
 食料庫の責任者から鮮肉をもらって、Ⅸ籠は足早に部屋へと戻った。
 適当な大きさに肉を切り分けて皿へ置くと、7番目の兄は食べ始めた。
 Ⅸ籠は、檻の前に座り込んで、兄の食事を眺める。
 兄がご飯を食べてくれて、本当に良かった。もっと早く気が付いてあげれば、兄はこんなに痩せる事なかったのにと、自分の不甲斐無さを責めた。
「クロウさん」
 ふいに名を呼ばれて、Ⅸ籠はびくりと身体を揺らした。
 振り返ると、部屋の入り口に、顎先にヒゲを生やした男が立っていた。
「刺斬…」
 Ⅸ籠は目を細めた。慌てて部屋に戻ったから、扉を閉めるのを忘れていたことに気付く。
「さっき廊下を走ってたの見かけたんで。血痕あったし…クロウさんがそんな怪我するなんて思えないから、血痕辿って、様子見に来たんスよ」
「余計な心配だ」
 Ⅸ籠は刺斬から目を逸らした。
「お世辞にも、健全とは言えないお部屋っスね」
「…え?」
 思いも寄らなかった言葉を言われて、Ⅸ籠は刺斬を見上げた。
「俺のボスですから、言いづらいっスけど。…でもクロウさん、この部屋にいるのは精神衛生的によくないですよ」
「何だと! どういう意味だ!!」
 Ⅸ籠は声を張り上げた。
 その声に驚いたのか、7番目の兄が一声、叫び声を上げた。
「あ…。兄さん、ごめんね、うるさくしちゃって。こいつ追い出すから」
「兄さん? …それ、お兄さんスか。まさか、この部屋の全部…」
「出て行け!」
「…歪んでますね。もっと子供らしい部屋にお住まいかと思ってました」
 刺斬が顔をしかめる。
「クロウさん、世の中にはね、死ぬよりも、生かされてる事の方が辛い場合もあるんですよ」
「うるさい!!」
 何を言ってるんだ、この男。意味が分からない。
「罪悪感ですか? 自分だけ、五体満足で生きてるから」
「お前、さっきから何言ってんだ! 兄さんたちに失礼だぞ!」
「この部屋にいたら、いつまでも兄弟に縛られて、【籠】の中から出られないっスよ」
「うるさい! うるさい! お前、何なんだよ!」
 もう我慢の限界だった。
「クロウさ…、おっと」
 瞬時に間合いを詰めて一閃、刀を抜いた。刃先が刺斬の首筋を掠める。
「いい加減にしろ…。刺斬、これ以上は許さない。殺すぞ」
「すんません、ボス。言い過ぎました。お兄様たちへの御無礼を詫びます」
 刺斬は溜息をして、両手を上げて降参の意を表した。
「もう戻りますよっと。腕、お大事に…」
 去り際に刺斬がそう言った。そのときの目が、寒気がするくらい、哀しそうに見えた。
「あいつ、兄さんたちの事、馬鹿にしやがって…」
 Ⅸ籠はぎりりと歯を噛んで、刀を鞘へ納めた。
「ねえ、兄さんたちは生きるのが辛いなんて事ないよね? 死にたいなんて思ってないよね? あいつの言ってる事おかしいよね? ねえ、そうでしょ?」
 いくら声をかけても、兄たちからの返事は無い。聞こえるのは静かに流れる生命維持装置の音。
 無言の肯定。大好きな兄たちは、とても優しい。
「くく…、あはは! そうだよね! あいつ、頭おかしいんだ! あはっ、あははは!」
 Ⅸ籠は笑い声を上げながら、薄暗い部屋を走り回った。
 
 
 
 それから1週間後、Ⅸ籠は【本物】の兄の存在を知らされた。
 一番目の兄の前に存在する【本物】の兄は、弟たちを見捨てて【外】にいると教えてもらった。
 見捨てられたという事が、酷く悲しかった。それと同時に、怒りがこみ上げた。
 見捨てるような兄が【本物】なわけがない。あの部屋にいる兄たちこそが【本物】だ。
 
 絶対に、許せない。
 そう思った。
 
 
 
 
 
つづく


あの子

鎖に「グラビティ可愛い」って言わせたかっただけで思いついた話。設定も割と暫定。
ほんのり刺斬×鎖な風味。


「あー、グラビティ可愛い」
 3人掛けの革ソファーに座り、背もたれにぐったりと身体を預けて、鎖はそう言った。
「可愛いんスか…」
 刺斬は少し距離を置いて隣に座り、タバコに火を付けて呟いた。横目で鎖の方を見やると、鎖は赤い髪を垂らすように上を見上げてぼんやりとしている。
 まさか鎖の口から「可愛い」という単語を聞くようになるとは、思いもしなかった。
 鎖の言うグラビティと呼ばれている少年は、可愛いという言葉とは縁遠い、見た目通りの凶暴な子だ。
 上層部が、鎖の闘争心を煽ろうとして、グラビティの存在を明かしたのだが、その思惑は大いに外れた。
 鎖はグラビティに対して、一目惚れに近い状態になった。本人曰く、小動物に対する愛情のような感じらしい。それ以来、口癖のように「グラビティ可愛い」と漏らす。
「1000歩譲っても可愛いだろ」
「あれに譲れる余裕あるすんスか…」
 刺斬は鎖と一緒にモニター越しで見たグラビティの姿を思い出す。偵察に向かわせた下っ端数名を次々と倒していく様は、どう頑張って絞り出しても可愛いという形容詞が出てこない。
 けれど、あの少年は誰が見ても、鎖の幼い頃を彷彿する容姿だった。そう思えば可愛く見えなくも無いかな…と、思う。
「あー、可愛い…グラビティ」
 物思いに耽るように目を細める鎖を横目で見て、刺斬は目を閉じた。
 目が合っただけで殴りかかる事もある鎖を、ここまで骨抜きにするのだから余程重症なんだろうなと思う。恋煩いに似てる。そう思うと少し腹が立つ。…これは嫉妬かな。
「そんなに気になるなら、直接会いに行けばいいんじゃないスか」
「そんな事しちまったら、掻っ攫っちまうよ。【こっち】に連れて帰りたくなる」
「拉致っていいんじゃないスか? あの子、扱いは難しそうっスけど戦闘能力高いみたいだし、主戦力にするには申し分無い」
「赤ヘルぶっ倒して『TOOL』を奪えって教え込むのか? その赤ヘルの仲間なんだよ、あいつは」
「それは初耳っスね。…調べたんスか」
「クロウには黙っとけよ」
「分かってますって」
 刺斬はタバコの煙を吐いて、ぼんやりと空間を見つめた。いくら話を聞いても、あの少年を可愛いと言う鎖を理解できなかった。
 鎖はグラビティのクローンだ。
 オリジナルに対して劣等感や羨望を感じるのならまだしも、可愛いと思うのはどういう事なのかさっぱり分からない。
 文字通り血肉を分けた存在だから、何か惹かれるものでもあるのだろうか。
 自分もクローンだが、オリジナルの事は何ひとつ教えてもらっていない。もし自分のオリジナルを知ったら鎖の気持ちが分かるのかなと、淡い期待をしている。
「赤ヘルの仲間だって事がバレるのは、時間の問題っスよ」
「ンなこたぁ分かってんだよ」
「殺せって命令きたらどうすんスか」
「さぁな」
 鎖は吐き捨てるように答えて、タバコを咥えた。
「鎖さんがあの子欲しいなら、俺が捕まえてきますよ。クロウさんに感づかれる前なら間に合いますし」
「……」
「あのヤンチャっぷりだと簡単には捕まりそうにないスから、多少手荒にしますけど…そこは勘弁して下さいね」
「…いや、いい」
 鎖はひらひらと手を振って、提案を断った。
「あっちで仲良くやってるみたいだしな。引き離すのは気が引ける」
「鎖さんらしく無いセリフっスね」
 刺斬は溜め息をついた。欲しいものは何でも力で捻じ伏せて手に入れていた鎖を、ここまで変えさせるあの少年を変に意識してしまう。やっぱり、これは嫉妬だな。
「小動物でいいなら、何かペットでも飼ったらどうっスか」
「めんどくせぇ」
「世話なら俺がしますって」
 そう言うと、鎖はこちらを横目で見た。睨む目ではない。
 漆黒色の強膜に金色の瞳という特殊な目。他の連中は、この鎖の目を不気味で気持ち悪いというが、そうは思わない。
 闇夜に浮かぶ月のような瞳。稚拙な自分にはどう表現していいか悩むが、率直に言えば美しい。
 オリジナルの少年も同じように強膜が漆黒色だが、瞳は血の色をしているからそっちの方がよっぽど気味が悪い。
「……。めんどくせぇよ」
 間をおいて、鎖がもう一度言った。
「やっぱ、面倒っスよね。ははは」
 思わず苦笑い。鎖が思っている事が分かった。
 クローンは捨て駒みたいなもんだ。しかもオリジナルと違って長くは生きられない。オリジナルを超えようとして、いろいろ弄ったのなら尚更だ。下手したら、ペットより先に死ぬ。そうなったら誰が面倒見るのか。
「おい、火ィ貸せ」
 鎖がそう言って、刺斬の後ろ髪を掴んで引き寄せた。タバコの先を合わせて火を移す。タバコを吸うクセに、面倒だからとライターは持たない鎖は、いつもこうして火を点ける。
 毎度の事ながら、この時の薄く開いた目で見下ろしてくる鎖の表情が、えらく煽情的で腹に重く響く。この事を本人に言ったら、死ぬほどぶん殴られそうだから黙ってる。
 狭い部屋にむせそうなくらい甘い香りが広がる。鎖は見た目に似合わず、甘いタバコを好む。この香りは好きになれそうもない。
 刺斬はしばらくの間じっとしていたが、やっぱり無理だった。鎖に詰め寄ってその両肩に両手を置く。
「すんません。堪え性なくて」
 先に謝っておく。この方法に鎖が弱いのは知っている。殴られなくて済む。
「お前、30分後に招集かかってんだろが」
 何をされるのか察した鎖が、怪訝な顔をして睨んでくる。
「構わないスよ。俺は鎖さんと違って、遅刻の常習犯ですし」
「チッ…。勝手にしろ。ただし、さっきの話はクロウに言うなよ」
「俺の口が堅いのは、鎖さんが一番よく知ってるはずです」
 そう言って、鎖の口からタバコを抜き取って、自分のタバコと一緒に灰皿へ投げ捨てる。
 そっと唇を寄せて舌を入れると、思いっきり舌を噛み付かれた。これも毎度の事。
 でも2回目は素直に受け入れて、舌を絡めてくる。この不思議なパターンにも慣れた。
「俺は、鎖さんの頼みなら何でも聞きますから、遠慮なく言って下さいね」
「…ふん」
 鎖が興味無さそうに鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
 その様子を見て、刺斬は笑った。この態度の意味も知ってる。
「好きにしろ」だ。
 
 
 
 
 
終わる


日常

エレチュンとギガデリとグラビティの話。
この内容は過去に書いた小説『TOOL』を元にした設定なのでご注意。


 特殊な波長を感知して、エレチュンは目を開いた。
 人間の感覚器官では感じる事ができないこの特殊な波長は、機器だけに影響する。
 エレチュンはキャンセラーが効かないこの波長がとても苦手だった。
 この波長を発している主を知っている。
 だからこそ、エレチュンは早々にデータ整理を中断して、周辺機器と繋がっているコードを全て身体から抜いた。
 急いで立ち上がり、24階の窓の縁に片足をかけ、背中に飛行用の翼を形成する。ナノマシンの身体にはこれくらい簡単な事だった。
 飛び立とうとしたが、翼が機能せず落ちそうになり、エレチュンは寸での所で、身体を支えた。
 飛べない訳ではない。正確には、飛ばせてもらえなかった。
「よう、どこ行くんだ?」
 飛行機能を奪った、波長の主が来た。
 エレチュンはゆっくりと振り返る。
 赤い帽子の少年。その後ろには色とりどりの目玉型のメカが複数浮いている。
 コード番号【11-173-NG】、名はギガデリ。特殊な波長で機器を操る特殊能力がある実験体で、一緒に『TOOL』から脱出したが、エレチュンにとっては不具合ばかり発生させられる超危険人物だった。
「で? どこ行くんだ?」
 同じ質問をされる。
 どこかへ行きたかった訳ではない。この場から逃げたかった。
 どう返答しようか考えていると、ギガデリはちょいちょいと指をさす。
 指さした先は、エレチュンがいつも座っている位置だった。
「聞きてー事あるから。座れよ」
 エレチュンは無言で頷いて、ギガデリに従った。拒否したら機器を操る波長で無理矢理に座らされる。拒否権なんて無い。
 ギガデリが腕組みをして、見下ろしてくる視線がとても高圧的に見えた。
「ジェノ兄、ここ来なかった?」
「来ていない」
 ギガデリの問いに、エレチュンは即答した。
「じゃ、探せよ。あいつ生意気にも変な妨害電波使いやがんだよ」
「分かった」
 言われるままに、エレチュンは目を閉じて、ジェノサイドを探し始めた。確かに高性能な妨害電波を感じる。
 目的の位置を特定したのと同時に、通信が入った。当事者であるジェノサイドからだった。
-管理者君、そっちにギガ君行ってない?-
-来ている。ジェノサイドを探せと言われた-
-あはは、やっぱり? 管理者君、悪いけど僕の居場所はナイショにしておいて~。ヨロシクね!-
 のん気にに笑いながら、ジェノサイドは通信を切った。
「まだ? お前の性能なら数秒で見つかるだろ?」
「…それは、言えない……」
「あー?」
 ギガデリが目を細めた。
 それを見て、エレチュンは目を逸らした。
 演算処理が遅くなる。生体機能に誤作動を起こしそうになる。これを人間は「恐怖」と言うのだろうか。
 黄色の目玉型メカが、ギガデリに向かって電波を飛ばす。
「分かってるっつの」
 ギガデリは電波を飛ばした目玉型メカを一瞥して、再びこちらに視線を戻した。
「お前、ジェノ兄に口止めされたな?」
「!」
 身体の人間部分の本能的なものが、そうさせたのだろうか。エレチュンは飛び上がるように立ち上がって走り出した。
 しかし、部屋の入り口まで走って、がくりと床に両膝を着いた。壁に手を着いて倒れるのを防いだが、歩行機能もギガデリの支配下に置かれた。
 エレチュンはその場に座り込んで、壁に向かったまま、立ち上がれなくなった。
「まだ話終わってねーじゃん」
 後ろから威圧的な声がする。
「ま、お前、半分くらいは人間だし。これでも手加減してやってんだぜ?」
「手加減…」
 エレチュンは掠れた声で呟いて、ギガデリの方を振り返る。
 完全に主導権を奪っておいて、これを手加減と言うのか。
「口止めされたのは間違いなさそーだな。くそジェノめ」
 ギガデリが舌打ちをする。
 エレチュンに近づいてすぐ近くに胡坐をかくと、目玉型メカを抱えて、その上に頬杖を着く。
「言えよ。ジェノ兄どこにいんの?」
「言うなと、言われた…」
「あ、そ」
 ギガデリが、眉を寄せる。
 黄色い目玉型メカが、また電波を発した。
「だから、分かってるっつの」
 ギガデリが黄色い目玉型メカを軽く手で押し退ける。少しの間考え込んで、口を開いた。
「機械は正直だ。命令は何でも聞く。ウソつかねーしな。でも、今お前が言わねーのは、ジェノ兄に頼まれたからだろ? 命令でもねーし。ジェノ兄は、お前のご主人様じゃねーぞ?」
「話の意味は解る。だが、命令と頼みの違いが解らない」
 ギガデリの話に、エレチュンはこくこくと頷いた。施設に居た時は、命令しかなかった。
「ったく…。じゃ、オレからの命令だ。ジェノ兄の居場所を言え」
「ユーザーが異なるから、命令の変更はできない」
「お前・・・メンドクセーやつだな。頼まれごとされたくらいで、個別ユーザー認識してんじゃねーよ」
 ギガデリは口の端を引きつらせた。苦い表情を浮かべ、がしがしと後ろ頭を掻く。
 ふと、生体反応を感知して、エレチュンは壁越しに地上を見下ろした。この生体反応はグラビティのものだった。
「お、目玉の大将じゃねェか」
 ふわりと、24階の窓の外からグラビティが入って来る。重力操作で地上からここまで跳んで来たらしい。部屋に入るなりギガデリに手を振った。
「ギガ様って呼べよ、黒白目」
 ギガデリも軽く手を上げて挨拶を返す。
「おい、黒白目。こいつにジェノ兄の居場所吐かせろ。お前、仲良しだからできるだろ?」
 ギガデリが、親指でエレチュンを指してグラビティに言うと、グラビティはきょとんとした顔で首を傾げた。
「ジェノサイド? アイツなら、さっき西の林にある空き地で何かやってたぞ」
「そーかよ」
 ニヤリと笑みを浮かべたギガデリは立ち上がって、緑色と橙色の目玉型メカに顎で指示をする。2機の目玉型メカは西に向かって風のように飛び去っていった。
「どしたんだ?」
 グラビティが不思議そうな顔をすると、ギガデリはふんと鼻を鳴らせた。
「くそジェノのヤツ、オレのお気に入りのチョコ食いやがった。激沈させてやる…」
 凶悪な笑顔を浮かべる。その笑顔にエレチュンは目を反らしたが、グラビティはケラケラと笑っていた。
「ところで…。エレチュン、何でそこにいんだ?」
 壁に向かって座り込んでいるエレチュンを見て、グラビティは首を傾げた。定位置に座っていない事を疑問に思ったようだった。
「今、立てないんだ」
 エレチュンの返答に、グラビティが怪訝な顔をする。原因の予想がついたのか、ギガデリへ視線を向ける。
「エレチュンに何したんだよ?」
「逃げようとしたから、動けねーようにしただけ」
「んなっ…! やめろよ、そういうの!」
 グラビティがギガデリを睨む。
 電波を飛ばしていた黄色い目玉型メカが、ピコピコと跳ねた。
 ギガデリは少し困ったような表情を浮かべ、跳ねている目玉型メカを見る。
「え、だって…。怖がらせるなって言うから…オレ、そーしてたんだけど?」
 目玉型メカに言い訳をしてから、グラビティの方へ顔を向け、口を尖らせる。
「逃げようとしたからって、ぶん殴ってねーし。一部の機能停止はさせたけど、強制操作はやってねーじゃん」
 ギガデリの言葉を聞いて、グラビティが顔色を変えた。唸り声を上げて牙を剥き出す。
「エレチュンを物あつかいすんじゃねェ!」
 みしりと、空気が重くなった。
「あぁ!? だから手加減してやってたっつの!」
 ギガデリの暗緑色の瞳が赤色に変わり、特殊な波長が強まった。
「潰してやる!」
「上等じゃん! 激沈させてやんよ!」
 お互いに近寄って睨み合う。
「喧嘩はやめてくれ」
 エレチュンは、2人に向かって声をかけると同時に睨まれた。
「エレチュンは下がってろ!」
「おとなしくしてろ!」
「……」
 2人に怒鳴られ、エレチュンは固まった。
 何故、こうなってしまったのか。ギガデリの目的はジェノサイドの場所の特定だった。これはグラビティの発言で解決したのに。
 グラビティが怒った原因を解決すればいいのかと思い、エレチュンはグラビティを見上げて、注意を引くように手を振った。
「俺はマザーコンピュータとして使われていたから、物扱いされるのは慣れている。だから怒る事は…」
「慣れてるとかの問題じゃねェだろ!」
「……」
 グラビティに怒鳴り返されて、エレチュンは手を上げたまま固まった。
 何がいけなかったのか。グラビティは施設に居た時に、束縛や強要されるような扱いをされていたから、こういう事には敏感なのかもしれないと、ひとり納得して、エレチュンはまた考え込んだ。
 次にどう言えばいいのか、エレチュンが悩んでいる内に、2人はお互いに攻撃を始めた。
 『TOOL』でもトップクラスの実験体同士のぶつかり合いは、手加減をしているとはいえ激しいものだった。
 あっという間に廃ビルの壁にヒビが走り、そこからコンクリート片が零れ落ちる。
 ギガデリの黄緑色の目玉型メカから発するレーザーを、グラビティは野生的な感で察して、圧力をかけて軌道を逸らせる。レーザーで破壊された壁のコンクリート片を重力で操り、ギガデリに向けて飛ばす。
 ギガデリに当たりそうになるコンクリート片を、桃色の目玉型メカが空間に半透明のシールドを形成して弾き返した。
「どうしよう…」
 エレチュンは暴れる2人を止める方法が思いつかなかった。
 この2人は頭に血が上ると、言葉では落ち着かせられない。2人の間に割って入りたかったが、今はギガデリに歩行機能を停止させられているから立ち上がれない。
 無意識に『TOOL』の自己防衛システムが不可視のシールドを展開して、飛んでくるコンクリート片やレーザーからエレチュンを守る。
 天井は上の階ごと消し飛び、壁は全て崩れ落ちて鉄筋だけが残る。その鉄筋もグラビティの重力でバネのように縮んだ。
 エレチュンはいつも使っている周辺器たちが、潰れて壊れたり、はるか地上へ落ちていく様子を見て、また自分の一部のナノマシンから周辺機を作り直さないとと思いながら、ぼんやり見ていた。データのコピーを自分に移しておいて正解だった。
 程なくして、24階は屋上のように開けた空間になった。
 床にも亀裂が入り始めたころ、西の方から電波を感じて、エレチュンはギガデリの方を見た。波形からして、ギガデリの緑色の目玉型メカからのもので間違いない。
「くそジェノ! 逃げやがったな!」
 その電波を感じ取ったギガデリが我に返る。
「お前ら、追うぞ!」
 言うが速いか、ギガデリは水色の目玉型メカの上に飛び乗り、目玉型メカたちを引き連れて西の方へ飛んでいった。
「なんだよ…」
 取り残されたグラビティは、ぼそりと呟く。周りに浮いている瓦礫が元の重力に戻って、ガラガラと床に落ちた。
 エレチュンはギガデリの特殊な波長から解放されて、立ち上がった。身体に損傷箇所は無さそうだった。
 微かに花の香りがする風が、この状況を思い知らせるように吹いた。壁も天井も無くなって、風通しが良くなったと笑って済まされる状況ではない。
「……」
「……」
 エレチュンとグラビティは辺りを見回して、お互いに目を合わせた。
「アーミィ、…怒るよな?」
「その可能性は極めて高い」
「……」
「……」
 その後2人は、アーミィが戻るまで、無言の時間を過ごした。
 
 
 
 
 
終わる


管理者

エレチュンとアーミィのお話。
この内容は過去に書いた小説『TOOL』を元にした設定なのでご注意。


 それは、獣の咆哮に似ていた。
 夜の廃墟の街に響く、叫び声。地響きと轟音。
 仕事から戻ったアーミィは、闇夜に目を凝らし、声の主を探そうとした。
 常人なら暗闇で見えないだろうけど、アーミィには時折、遠くでビルが崩れていくのが見えていた。
 ビルを破壊するほどの力を持った何かがいる。
 こんな時に限って仕事の都合上、通信機を持たずに出かけてしまったものだから、エレチュンと連絡が取れない。
 声の主は確認できなかったが、アーミィはエレチュンとグラビティの安否が気になり、急いで2人のいるビルへ向かった。
 廃屋ビルの24階の一室。いつ誰に襲われるか分からないから、夜になっても明かりは点けない部屋に戻ると、エレチュンは大量の機器が置いてあるいつもの定位置に座らずに、ガラスが割れて無くなった窓から身を乗り出すように外を見ていた。
「アーミィ、お帰り」
 アーミィを感知したエレチュンが振り返る。その落ち着いている様子を見て、アーミィは安堵した。
「あれは何? グラビティはどこ?」
 エレチュンに駆け寄り、すぐに質問をする。
「あれ…が、グラビティだ。今は近づかないほうがいい。重力操作しながら暴れている」
 そう言ってエレチュンは、再び窓の外へ視線を向ける。
 アーミィは身軽な動きで窓の縁に飛び乗り、身を乗り出した。
 死んだ街には明かりひとつ無い。遠くに雷のような閃光が見え、地響きがするのが伝わってくるが、グラビティの姿を見ることは出来なかった。
 アーミィは暗視スコープを取り出して外を見たが、グラビティの重力操作で空間が歪んでいるらしく、やはり姿は見えなかった。
 エレチュンを見ると、エレチュンは神妙な面持ちでじっと一点を見つめている。
 エレチュンの機械の目にはグラビティの姿が見えているのだろう。
「どうして、あんな…」
 アーミィの言葉に、エレチュンは少し言いづらそうに顔を歪めたが、ゆっくりと口を開いた。
「グラビティは、施設に居たときに、依存性のある成分が含まれた食事をさせられていた」
「え…?」
「それを得ることが無くなったせいで、時々発作のような症状がでる。今まではアーミィが出かけていた時に起きていたから、アーミィが知らないのも無理は無い」
 エレチュンはアーミィの赤いヘルメットに手を置いた。
「どうにかしてあげたいが、落ち着くまで待つしかない」
「……」
 エレチュンの辛そうな顔を見て、アーミィは何もいえなくなった。
「グラビティには、この事は言わないであげてくれ。きっと、ショックを受けるだろうから」
「うん」
 アーミィは頷いた。
 せっかく施設から逃げ出して、自由になったのに。
 未だに見えない檻から出られないのかと、アーミィは思った。
 獣に似た叫び声は、怒っているようにも悲しんでいるようにも聞こえる。
 普段から野生動物っぽい所があるグラビティだが、あんな声を聞くは初めてだった。
「…僕は…」
 言いかけて、怖くなった。
 もし、自分もグラビティと同じだとしたら、いつかああなってしまうのだろうか。
「大丈夫。アーミィにはそういう記録は無い」
 アーミィの言葉の意図を汲んだエレチュンは、しっかりとした声で答えた。
「そう…」
 アーミィは嘆息交じりに頷いた。安心はしたが、気分は晴れなかった。
「僕たち、本当に…『TOOL』から逃げられて、自由になれたのかな?」
 アーミィが呟くと、エレチュンはグラビティから視線を外さないまま目を大きく見開いた。
 その様子を見て、アーミィは感づいた。
 エレチュンはアーミィの視線に居心地悪そうに身じろぐ。
「エレチュンは、知ってるんだね」
「それは…っ」
 アーミィの言葉に、エレチュンは何か言いかけて自分の喉を押さえた。
「言えないように、プログラムされているんだ」
「…その…事に、関して…は、…っ」
「無理しなくていいよ」
 苦しそうに声を出すエレチュンを気遣って、アーミィは体温のあまり感じられないエレチュンの背中を撫でてやった。
「…すまない。俺は、『TOOL』に逆らえないから」
「うん、分かってるよ」
 アーミィは頷く。エレチュンは絶対に嘘は言わない。
 『TOOL』の管理者は、誰よりも『TOOL』に支配されている。
 きっと、『TOOL』の施設を再建しろと命令があれば、いくら嫌でも無理やり実行させられてまうんだろうなと思う。そういう身体にされているのだから。
 管理者ですら未だに囚われているのだから、管理されていたモノたちも当然囚われたままなのだろう。
 施設が無くなっても、『TOOL』はエレチュンの中に存在している。
「聞いてもいい?」
 アーミィはエレチュンに顔を寄せる。
「俺に答えられる事なら」
 エレチュンはアーミィを見て、再びグラビティの方へ視線を戻す。
「『TOOL』って、本当は何なの?」
 施設自体を指す名前なのは知っているが、エレチュンの中にあるシステムデータも『TOOL』と呼ばれている。
「強い兵器を造るためのもの。それを実行するためのもの。それらの全てを管理するもの。支配し操るもの」
 淡々とした口調で、エレチュンは答える。教えられたことをそのまま言うだけのようなその答えは、広義で漠然としていた。
 エレチュン自身も、よく解っていないのかもしれない。
「! グラビティ!」
 突然、エレチュンは大声を上げた。
「どうしたの?」
 グラビティの姿が見えないアーミィには、状況が読めない。
「自分に加圧を始めた、あれでは圧死する」
「何してんだ、あの馬鹿!」
 アーミィは反射的に走り出す。その腕を、エレチュンに掴まれた。
「アーミィ危ない。今グラビティに近づいたら、潰される」
「でも…!」
 それでも何とか助けたくて、掴んでいるエレチュンの手を引っ張った。
 冷静で居られない自分と、そんな自分を「らしくない」と冷静に思う自分。どちらにも嫌気が差した。
「エレチュン、グラビティが死んじゃう…!」
 今にも手を振りほどいて走り出しそうなアーミィを傍へ寄せて、エレチュンは眼を閉じた。
 少し迷ったあと、ゆっくりと目を開く。
「『TOOL』起動…」
 人形のような無表情、視点の定まらない視線で虚空を見つめ、囁くような小さな声を出す。同時に何も無い空間にいくつかのモニタの立体映像が現れた。
『TOOL』の管理者として、機械人形としてのエレチュンだった。
 それぞれのモニタ画面には、複雑なグラフや文字が並んでいたが、アーミィには皆目解らない内容だった。
「…強制実行…【7-125-BB】を鎮静…」
 間もなくして、獣に似たグラビティの叫び声が消え、騒がしかった夜の街に静寂が戻った。
 アーミィは言葉を失って、エレチュンを見上げていた。
 立体映像が消えて我に返ったエレチュンは、アーミィの視線に気付いて、眼を伏せる。
「グラビティの心身に負担が掛かるから、やりたくなかったが…」
 少し悲しそうな顔をしたエレチュンを見て、アーミィは心が痛んだ。
 傷付いているのはエレチュンの方だ。
 アーミィやグラビティを含め、『TOOL』の施設にいた殆どの実験体は『TOOL』を良く思っていない。それどころか忌み嫌い、恨んでいる者もいる。
 エレチュン自身も、その事を知っている。
 施設から出た後、アーミィとグラビティは、他の親しい実験体も交えて施設であった事や『TOOL』について、あれこれと文句や愚痴を言い合っていた時がしばしばあった。
 エレチュンは静かに聴いているだけで、話を振っても「解らない」とか「それに関しては答えられない」と『TOOL』の重要な内部情報については一切口にしなかった。
 今思えば、エレチュンは同じ実験体とはいえ『TOOL』なのだから、どんなに傷つけていた事か。
 アーミィはエレチュンの手を握った。
「エレチュンの判断は、正しいよ」
 迷い無くそう言い、エレチュンの手を引いてグラビティの方へ向かう。
 エレチュンは表情の乏しい顔に、ほんのり笑顔を浮かべた。
 
 
 
 崩壊したビルと瓦礫の山は、どれもこれも歪な形をしていて、明らかに異常現象が起きていたことを物語る。
 そんな光景を纏う様に、中央には直径10メートルほどのクレーターが出来上がっていた。
 クレーターの真ん中に倒れているグラビティは、まるで天から落ちてきたかのように見えた。
 静かに近づくと、グラビティは動けないまま、犬に似た唸り声を上げた。
 エレチュンがグラビティを抱き起こすと、力の入らない手でエレチュンの腕に爪を立てる。
「俺に触んな…」
 意識が混濁しているのか、目の前にいるのが誰なのか分かっていないようだった。力が入らないとはいえ、鋭い爪はエレチュンの腕に食い込んで血を滲ませる。
「グラビティ、迎えに来た」
 グラビティの抵抗を全く気にせず、エレチュンはグラビティを背負って立ち上がった。
 足場の悪い帰路を、アーミィはグラビティを背負うエレチュンを気遣いながら先導する。
 グラビティはゆるゆるとした動作で暴れて、エレチュンの頭や肩を噛み付いたり引っかいたりしていた。
 見るに見かねて、グラビティを押さえ付けようとしたが、エレチュンに止められた。無理に押さえ付けると怖がらせてしまうから、と。
「放せ…」
「辛かったね」
「嫌だ…俺に何すんだ…」
「もう、怖い人はないよ」
「俺は物じゃねェ…」
「うん、知っている」
「うぐ…、…グルルル…」
「まだ苦しいだろうけど、我慢してくれ」
 混乱しているグラビティに、エレチュンは優しく言葉を返す。
 グラビティは施設に居るような気になっているらしく、怯えているようだった。グラビティがどういう扱いをされていたのか、管理者であるエレチュンはよく知っている。
 グラビティの抵抗を何一つ厭わずに受け入れているエレチュンは、ささやかな罪滅ぼしをしているようにも見えた。
 
 
 
 暴れていたグラビティは、廃ビルの24階に戻る前には、力尽きて眠っていた。
 アーミィは床に毛布を敷いて、エレチュンはその上にグラビティを寝かせた。
 グラビティの症状は落ち着いたらしく、静かに寝息を立てている。
 エレチュンが、やや乱雑に並んだ機器たちに囲まれるような位置に座り、周辺の機器のコードを自分の後頭部に繋ぐ。
 その慣れたその動作を、アーミィはじっと見ていた。
「アーミィに頼まれているデータの解析は、あと1時間41分で終わる」
「うん…」
 アーミィは、エレチュンの話に空返事をする。
 グラビティの近くの壁に身を預けるように座り込む。
 グラビティを鎮めた、管理者としてのエレチュンを思い出していた。
 この体は、『TOOL』に完全に支配されている。何処へ逃げても、逃げられない事実。
 奇妙な不安感に落ちてしまいそうになるのを紛らわせるために、目の前にあるグラビティの乱雑に伸びた茶色い髪を撫でる。
 常日頃、引っ張る事はあっても、撫でた事は今まで無かった。
「…俺は」
 ふいに、エレチュンが声を出した。
 グラビティの頭を撫でているのを見られたかと思い、アーミィは慌てて手を引っ込めた。
 エレチュンは目を閉じたまま、膝を抱えていている。
「『TOOL』をデリートできない。自己破壊も出来ないようにされている。アーミィが言う自由は、…俺が存在している限り…絶対に不可能だ…」
 淡々とした口調ではあったが、少しずつ声は掠れていった。
 この管理者にされた実験体は、誰かに傷つけられても、誰かを傷つける事は出来ないんだろうなと思った。
 そんな優しさに、『TOOL』の存在はあまりに残酷なものだった。
「僕は、エレチュンの事、嫌いにならないよ」
 アーミィは、一言ずつハッキリと自分の気持ちを言葉にした。
 エレチュンが驚いたように顔を上げて、真紅色の目で見つめてくる。
「エレチュンは、エレチュンだから」
 そう言って、普段は絶対にしない万遍の笑顔を見せると、エレチュンはすぐに顔を伏せて、膝を抱える腕に力を入れた。
 顔を隠して身を縮こませるその仕草は、エレチュンが嬉しいときにするもの。どういう表情をしていいか解らないからという理由で、感情が薄い彼なりに相手を気遣っての行動らしいが、正直意味が分からない。
 時々見せてくれる、薄い笑顔でも十分なのに。
 アーミィは、腹減ったと寝言を言い始めたグラビティの鼻をつまんだり、ほっぺを引っ張ったりしながら、ゆったりと時間が過ぎるのを楽しんでいた。
 
 
 
 
 
終わる


願う事について

エレチュンとホリックのお話。
この内容は過去に書いた小説『TOOL』を元にした設定なのでご注意。


 使われなくなって、忘れ去られた廃屋ビルの24階。
 さして広くも無い一室には、大小さまざまな機器がやや乱雑に並び、それぞれの役割を果たすべく機械音を発している。
 その機器たちに囲まれ、一身にまとめるように無数のコードを頭に繋いだ少年が、膝を抱えて床に座っていた。
 ふと、薄く閉じていた目を開き、部屋に入ってきた者を見上げる。
「やあ、エレチュン。元気かい?」
 入ってきた男は、大げさな身振りで一礼した。
「ホリック。120時間6分前にグラビティとアーミィに、二度と来るなと言われてたはずだが」
「その件について、承諾した覚えは無いよ。ボクに命令できるのは、ボクのマスターだけさ」
 ホリックはゆっくりと歩いて、エレチュンの前まで近づいた。
「キミはボクに対して、二度と来るなとは言わないね」
「ホリックによる大きな損害・支障をきたした事は、今までの経緯を検索しても施設に居た時のハッキング以降は無い」
「あれはマスターの命令だったから、仕方なく…ね?」
「命令での実行だった事を考慮した上で、現時点での危険性は、極めて低いと判断している」
「いい子だね」
 ホリックはしゃがんで、エレチュンに顔を近づける。
 人間に良く似た瞳孔の無い目に、ほんの一瞬だけ光が横切ったのが見えた。
「おや…? 今ボクの事をスキャンしたのかい?」
「あらゆる対象に、自発的に定期スキャンをしている。検知結果によっては、適切な対処をする」
「ボクはウイルスなんて持っていないよ。マスターが毎日検査してくれているのだから」
 ホリックは口を尖らせる。
「あの2人にもスキャンしてるのかい?」
「対象は全てとしている。グラビティとアーミィの場合は、身体に異常が無いか調べている」
「随分と大事にしているのだね」
 ホリックがそう言って間もなく、周囲の機器の機械音が少しだけ静かになった。
「検索、及びデータの集成を完了…」
 エレチュンは小さく呟いて、頭に繋がっているコードをいくつか抜き取る。
「何を調べていたんだい?」
「アーミィに頼まれていた。内容は公言しないよう言われている。だから言えない」
 少し申し訳無さそうな顔をするエレチュンを、ホリックはまじまじと見つめる。作業が終わる前までは、瞬きひとつしなかった顔に生気が戻るのが見て取れた。
 データ処理の量が減ると、エレチュンは少しだけ人間らしくなる。
「今日は、キミの体を弄りに来たワケではないよ」
「その行為に関しても、グラビティとアーミィに禁止とされていたはずだ。今の発言は、今後その行為に及ぶと予測できるが」
「2人にはいつも寸での所で邪魔されるけどね。まあ、キミの演算処理に差し障るような事は絶対にしないさ」
「それなら問題ない」
「それは、邪魔されるという部分での返答かい? それとも演算処理についてかい?」
「質問に対して意味は理解したが、意図が不明」
「隙があるのだか無いのだか・・・」
 ホリックは小さく独り言ちてから立ち上がると、部屋を見回す。
 人間らしい生活感は全く無く、ただ多くの機器が置いてあるだけだった。
「キミはデータよりも、自分を大事にしたほうがいいよ」
「それについては、どうしていいのか解らない」
「人間になりたいというのは、まだ諦めてないのかい?」
「俺は元々人間だった。だから、人間に戻るべきだと思っている」
「では、人間について、話をしてあげようか。キミが人間になるには、正直な所を言えば、とても難しいことだよ」
 ホリックはエレチュンの前に再び身を屈めて、エレチュンと目線を合わせた。
「ボクたちは機械だから睡眠をとらなくていい。それにキミは完璧な永久機関だからエネルギーも食事も必要ない。この世で誰もキミを破壊できない…不滅の存在だから遺伝子を残す必要も無い。人間の三大欲求と言われているものは、全てクリアしているからね」
「スリープモードはできる。胃は退化してしまったが、物を食べる事は可能だ。消化吸収は無理だが、分解はできる。遺伝子・記憶・意識はデータ化してあるからコピーできる」
「そういう意味で言ったのでは無いのだけれど・・・」
 苦笑いを浮かべるホリック。
 そんなホリックに、エレチュンは興味深そうに少しだけ顔を近づけた。
「それ」
「何だい?」
「その笑い方が、俺はできない」
「キミは素直だからね」
「俺は、おかしな事を言ったんだろう?」
「おかしくはないさ。間違っていない答えだったよ」
「……」
 エレチュンは黙って、ホリックから目を逸らした。
「気分を害したかい?」
「解らない」
「キミは感情が希薄過ぎるよ。特に願望や欲に関してはね」
 目を細めて考え込んでいるエレチュンと見て、ホリックは首を傾げた。
「ボクの返答は気に入らなかったのだろう? 人間はそういう時に、不満をぶつけたり怒るものさ」
「・・・こら!」
「プッ…! …失敬。そう来るとは思わなかったよ」
 全く怒った様子の無い顔で叱咤するエレチュンに、ホリックは口元を押さえた。
 笑いを堪えているホリックを見て、エレチュンは目を伏せる。
「ホリックには、人間のような感情がある。でも、俺は…」
「擬似的なものさ。人間の感情に酷似しているだろうけれど、コミュニケーション能力に特化したプログラムだよ。ボクのマスターは天才だから」
 ホリックは得意気に笑顔を見せて、少し考えてから口を開く。
「精神面の話は、まだキミには難しそうだね。では、具体的に予想しやすい話にしようか」
「予想しやすい話?」
「キミは、例え独りで何も無い空間に居ても、永久に稼動できる。ひとつの存在として、完全に完結しているから。これは他の誰もが望んでも不可能な事だよ」
「あらゆる環境下において、不足無く正常に機能し続けられるように造られているのは、知っている」
「でも…キミがただの人間になったとしたら、どうなると思う?」
「人間と同じに暮らせる?」
「そうだろうね。でも、それでいいのかい? 今まで出来ていた事が出来なくなるんだよ?」
 ホリックの言葉に、エレチュンは表情を曇らせた。漠然とした内容で考えがまとまらない様子だった。
「簡単な所を言えば、自力で空は飛べないよ? 人間は好きな時に体を変形させて飛ぶ事は、出来ないからね」
「移動に関しては徒歩、もしくは適正の機器に頼る事になるのは、理解している」
「機器は物理的な操作が必要になるからね? 電波やコードを繋いだりしての直接操作は出来なくなるよ?」
「その点に関しても、理解している」
「腕を切り落としたら、今のキミなら再生できるし痛覚も遮断できる。でも、人間はそうはいかない」
「腕は治せるかどうか分からないが、痛覚は我慢する」
「キミは自分が最重要機密だという事、忘れてないかい? 今でもキミの中の『TOOL』を欲しがる人はいるだろう。全身兵器のキミなら問題ないけれど、生身の人間では襲われたら何の抵抗も出来ないからね?」
「それは…」
「キミの大事な友達だって、襲われる可能性は十分にある。どうする気だい?」
「……」
 何も言い返せなくなって俯くエレチュンを見て、ホリックは肩を竦めた。
「すまないね。キミを困らせたかったワケじゃないさ」
「解っている」
「キミは何かを願うことが滅多に無いから、協力してあげたいけれど、現実的には難しいよ」
「現状維持が最善である事は、理解した。…理解は、した…が…」
「納得できないかい? その気持ちは人間らしいじゃないか」
 ホリックは俯いたままのエレチュンの頭を撫でたが、すぐに手を引いた。
「おっと、危ない。キミに触ると、お友達が怖いんだよね。・・・って、もう遅いか」
 ホリックがくるりと振り返ると、部屋の入り口に少年が2人立っていた。
「テメェ!! 何してんだッ!」
「エレチュンから離れて、変態」
 2人はすぐに駆け寄ってきて、エレチュンとホリックの間に割って入る。
「グラビティ、アーミィ、お帰り」
 エレチュンは、柔らかな表情を見せた。
 その様子を見て安堵した2人は、ホリックに鋭い視線を送る。
「ちょっと放熱装置の髪を触らせてもらっただけさ。正常に機能しているか、調べてあげてたんだよ」
「本当に?」
 アーミィは上目遣いにホリックを睨んだ後、エレチュンの方を向いた。
「髪の調子が悪いの? 体が熱い?」
「特に異常は無い」
「ちょっ…エレくん、そこは話を合わせてくれたまえ」
 ホリックは引きつった笑顔を浮かべる。
「潰されたり、蜂の巣にされるのは困るよ。壊されて困るのは、ボクじゃなくてマスターだけどね」
 グラビティに大きな犬歯を剥き出して睨まれ、アーミィに銃口を向けられて、ホリックは降参と言わんばかりに両手を挙げた。
「ホリックと、大切な話をしていた」
「そう…」
 エレチュンの言葉に、アーミィは頷いた。
 機械同士でないと分からない話もある事を、アーミィは理解している。でも、その目はまだホリックを警戒しているようだった。
「エレチュンに変な事言ったんじゃねェだろな?」
 疑いが晴れないグラビティは、犬に似た唸り声を出す。
「はいはい。ボクは邪魔者だから、帰らせてもらうよ」
 ひらひらと手を振って、ホリックは足早に部屋を出て行った。
 その後ろ姿を3人で見送る。
 ホリックの気配が消えたのを確認すると、アーミィはすぐさまエレチュンに詰め寄った。
「大丈夫? 本当に髪を触られただけ?」
「うん。問題ない」
「よかった…。ホリックの前だから、本当の事が言えないのかと思ったよ」
 今度こそ安心したアーミィは、深く息を吐いた。
 同じく眉を開いたグラビティは、ふんと鼻を鳴らせた。
 気が落ち着いた2人に、エレチュンは静かに口を開く。
「グラビティとアーミィは、俺が守るから。何があっても、絶対に」
 エレチュンの言葉に、グラビティとアーミィはお互いに目を合わせた後、すぐにエレチュンを見た。
「あのヤロー、やっぱ変な事言ったんじゃねェのか!?」
「ありがとう。僕もエレチュンとグラビティを、絶対に守るよ」
 
 
 
 
 
終わる


牛と龍

夢で見た牛と龍の内容に、少し話を加えたもの。短い話。題名思いつかなかった。非公式設定も含まれてるのでご注意。


「おい、肉」
呼ばれたのだと気づいて、バッファローは振り返った。
肉と呼ばれるのは、自分が牛だからなんだろうとは思うけど、どうも納得いかない。というか気に入らない。
その直後、思考が判断する前に手が反射的に顔を守った。
手のひらに何かが当たってそのまま掴んだ物を見る。
黒い箱だった。
「なんだ、顔に当たらなかったか。反射神経はいいんだな」
「な、なんだよ・・・」
バッファローは黒い箱を顔面目掛けて投げつけられたのだと分って、投げつけてきた犯人に苦い顔を向ける。
くつくつと喉の奥で笑うその犯人は、闇夜のような黒いローブを身に纏っている。
地に足が着いてるのか疑わしいふわりとした仕草と、飄々とした態度がどことなく実態が無いような印象を与えてくる。ドラゴンと呼ばれている、かなり凄腕のダークロードだった。
バッファローにとって、一番苦手な相手である。
「・・・で、俺に何か用?」
バファローは嫌々ながら、一応ドラゴンに声をかけた。
「それをくれてやる。我には不用だからな」
ドラゴンは、先ほどまで悪魔みたいに笑っていたのに、今度は少女のように小首をかしげて笑みを見せた。手がすっぽりと入って見えない長い袖を持ち上げて、わざとらしく振っている。
ドラゴンの言う「それ」が、投げつけられた黒い箱だと気づいて、バッファローは黒い箱を開けてみた。
「今のお前では、使いこなせないだろうけどな」
ドラゴンは意地悪い表情を浮かべて、またくつくつと笑った。
黒い箱は手のひらに乗る小さいものだったが、その中に入っていたのは大きな剣。ゴツゴツとした黒い刃は微かに熱を帯びていて、鎖が巻かれていた。どう表現していいか難しいが、誰が見ても威圧感のある剣だった。
どんな仕組みで小さい箱に入っていたのか理解に苦しむが、バファローはこの剣が異界の存在であることは理解した。
「これって・・・」
言いかけて、バッファローは黒い箱から完全に取り出した剣を落としそうになった。
黒い箱の中の空間から出された剣は思っていた以上に重く、腕が痛みのような痺れのような感覚に襲われた。
今まで色々な剣を振ってきた剣闘士の勘で、バッファローはこの剣が自分を拒絶してると感じた。
「お前がその剣に認められるように、もっと強くなれればいいがな」
ドラゴンはバッファローにこの剣を渡すのが目的だったのか、目的を果たしたらすっかり関心が失せたらしく、くるりと背を向けて歩き出した。
「あんた、あの凶暴な鎮魂を…たったひとりで倒したのか?」
バッファローはドラゴンがメガロポリスの町並みに行き交う人ごみの中へ消える前に、剣の出所を予想してドラゴンを呼び止めた。
ドラゴンは足を止めて、気だるい様子で横目で振り返った。
「我は群れるのが嫌いだ」
「そんな理由で、あんなバケモノをひとりで倒せないだろ」
冗談なのか本気なのか。バッファローは理由に納得いかなかった。異界からの招かれざる存在である凶暴な鎮魂は強大な力を持っていて、とてもひとりで倒せるような相手ではない。
バッファローの真剣な態度に、ドラゴンは面倒だと言わんばかりに顔を歪めた。
少し間をおいてバッファローの方へ向き直ると、目線を遠くにやって口を開く。
「あの依頼者は、また兄に会いたいと寂しそうに言ってきた。血縁は大事なものだ」
いつもより小さな声で、ドラゴンは言った。
依頼者とは、ポワロのことだなと、バッファローは思った。凶暴な鎮魂に実の兄を取り込まれて、必死に兄を救おうとしている。けれど凶暴な鎮魂は根深く取り憑いているらしく、思うように事が進まないのだった。
「我の他に、近場に都合の良い戦える者が居なかった…と、言えば納得するか? 戦ってる最中、我の近くで誰かに気絶されても邪魔なだけだしな。我には好都合だった」
ドラゴンはため息をついて、もう話は済んだだろうと、また背を向けて歩き始める。
バッファローは言葉を失ってドラゴンの背中を見つめたまま、立ち尽くした。
あんな危険な戦いを、たったひとりで背負ったのか。
そう思うと、寒気がした。
それと同時に、ドラゴンは本当は良い奴なんじゃないかと、人らしい一面が見れたようで安心した。性格はかなりひん曲がった天邪鬼だけど、人が傷付くのや困っているのを嫌う節があるらしい。
「あんた、本当はイイ奴だったんだなあ」
バッファローは、ニッコリ笑ってドラゴンに言った。
ドラゴンはゆっくりと不快全開の表情で振り返った。が、すぐに嘲笑うようにくつくつと笑った。ふわりと身体を揺らして、鱗が綺麗に生え揃った竜の尾をゆっくり揺らす。
「頭の中を診てもらえ、重症だぞ」
「なんだよ、褒めたのに」
バッファローは不貞腐れて口を尖らせた。
けれど、ドラゴンがゆっくりと尾を揺らすのは機嫌が良い感情の表れである事を知っていた。この事を言ったらまた突付かれそうだから、あえて黙っている。
「ああ、そうだ…」
ふと、ドラゴンは思い出したように、少しだけ目を大きくした。
その後、悪魔のような黒い笑みを浮かべて、大きな袖を口元に当てる。
「凶暴な鎮魂を、我のダークゴースト同様に使役できるようになったら、面白いと思わないか?」
「面白くねぇよ」
バッファローは引きつった顔で即座に言い返した。
今度こそ冗談だろう。いや、冗談ってことにしてくれ。でも、このドラゴンならやりそうな気がしないでもない。凶暴な鎮魂に取り憑かれたとしても、凄まじい魔力と精神力で平然としていられそうな気がした。
「取り憑いたのが依頼者の兄ではなく、我だったら良かったのにな」
呟くように言ったドラゴンの言葉の奥に、ポワロの兄を救ってやりたいという気持ちが隠れているのを感じた。
バッファローは血縁は大事だと言ったドラゴンの言葉を思い出す。
ドラゴンには兄がいて、今は訳あって会わないでいる事を、以前聞いたことがあった。
やっぱりイイ奴じゃないか。と言おうとして、バッファローは我慢した。
その代わりに、
「剣、あんがと」
と、ドラゴンからもらった重たい剣を持ち上げて見せた・・・が、すでにドラゴンの姿は無かった。
いつもこうだ。気が付くと現れて、いつの間にか姿を消す。
「ったく、お礼くらい、言わせろよ・・・」
バッファローは独り言を言って、剣を担いだ。
この剣の重さが、ドラゴンが凶暴な鎮魂と戦う気持ちの重さのような気がして、バッファローは拳を強く握った。
この剣を使いこなせるように強くなって、ドラゴンと一緒に凶暴な鎮魂と戦えるようになりたい。
そうすれば、ドラゴンの負担を減らしてやれる気がする。
「絶対に強くなってやるぜ!!」
バッファローは自分に叱咤して走り出した。
 
 
 
終わる