日常記録やゲームの感想とか、創作や二次創作の絵や妄想を好き勝手に綴っていく、独り言の日記。
 


しばらく日記更新お休み


 

穏やかな生活

二次創作小説

cult of the lamb(カルトオブザラム)の捏造話。
2023年4月24日のアップデート後、レーシィが子羊の教団に入って間もない頃のお話。


レーシィはその場に座り込んで、耳を澄ませていた。
周りから、遠く近くで様々な音がする。木の伐採音、水の音、誰かと誰かの談笑、何かを焼く料理の音。
隙間無く聞こえてくる音たちの、そのどれにも入れずにいた。
ナリンデルに襲われ眼を失い、緑の王冠の力で周りを視ていた。けれど、その王冠はもう自分の頭上に座していない。目が見えないということが、こんなにも世界から孤立してしまうことなのかと、痛感する。
忌々しい子羊。と、そう思っていたのはほんの最初の頃だけで、王冠を失う代わりに心はとても穏やかになっていた。
何故だろうか。と、自分に問う。
王冠を手に入れ、司教の身であった時は神として崇められ、何でも思い通りにして自由に振舞っていたはずなのに、今の方が自由であることを実感してしまう。
数え切れないほどの信者たちの信仰心に、自分は囚われていたのだろうか。
それとも、王冠の力で支配していたのではなく、王冠に自分が支配されていたのだろうか。
子羊に殺された自分がその後どうなったのか、よく覚えていなかった。薄く記憶にあるのは、自分が治めていた夜闇の森で大勢の信者たちに囲まれて、酷い痛みのする体を引きずるように立っていたこと。今となっては、長い悪夢を見ていたような感覚でしかない。
「レーシィ!」
離れた所から、幼く高い声で呼ばれて、レーシィは顔を上げた。
軽快な足音が近づいて来る。声と匂いで子羊だとすぐに分かった。
「子羊、何の用だ」
「うん、元気にしてるかなって思って。体に痛いところはない?」
「我に気遣いなど…いや、痛みは無い」
嫌味のひとつを言いかけて、やめた。子羊に完全に負けてしまった自分は大人しく服従するしかない。
「よかった!」
子羊の声が明るくなる。
命を奪い合う仲は、すっかり消えていた。
「あのね、レーシィ。君に頼みたいことがあるんだ。多分、君にしかできないかもしれない」
子羊から思いもしなかったことを言われ、レーシィは首を傾げた。
「実はね、もっと信者を増やしたいから、今の畑だけじゃ収穫が足りなくて…。畑にしたい場所は決まったんだけど、そこの土がとても硬くてボクたちじゃ掘れないんだ。だから、その…」
子羊の声が段々と小さくなる。
「君なら、掘ってやわらかくできるかなって…思って…」
「ふむ」
レーシィは小さく頷いた。できるも何も、土を掘るのがワーム族の性分だ。
別に子羊に恩を感じているわけではないが、孤独に浸るより子羊の信者たちのように自分も何かしたかった。そんな自分に、ただの退屈しのぎだ、と言い聞かせる。
「いいだろう」
「本当? ありがとー!」
子羊が飛び跳ねて喜ぶ気配がする。
「こっちだよ!」
不意に子羊に手を掴まれて、レーシィはびくりと体を震わせた。元々ワーム族に手足は無く、腕はこの姿になって初めて得たものだった。今まで無かった器官に触れられるのは落ち着かないし、腕をどう使えばいいのか未だに分からずにいた。
子羊に手を引かれ、それによって傾く体に任せて足を動かす。子羊は右へ左へと曲がりながら進んでいく。歩きやすい場所を選んでくれているのだと知れた。
「ここだよ」
そう言って子羊が手を放す。それに合わせて、レーシィは足を止めた。
子羊が連れて来た場所は、微かに掘り起こした土の匂いがするが、ほとんどは痩せた土の匂いが漂っていた。
「ここから、あそこまでなんだけど…」
子羊が指で示す距離は、レーシィには見えなかった。
「あっ、えっと…」
気付いた子羊は言葉を濁す。
「声で指示するがいい。土の中であっても地上の声は聞こえる」
「うん、わかった!」
子羊は元気に返事をした。
その声を背に、レーシィは土を掘り進める。石とまではいかないが、言われた通りに硬い土だった。この土では種も根を張れない。けれど、レーシィにとっては何ら問題なかった。それどころか、王冠を手に入れる前の昔を思い出して、少し楽しくなってしまった。
「そのまままっすぐ進んでー!」「そこを右に!」「ここで終わりだよ!」
子羊の指示で掘り終えて地上に出ると、「すごーい」「ありがとー」といった声がそこら中から聞こえ始めた。掘るのに夢中で気付かなかったが、信者たちが集まっていたらしい。
「ありがとう、レーシィ! 助かったよ。みんなも喜んでくれてる」
子羊にお礼を言われ、どう返事をしていいか分からず、無言で頷いた。何人か、優しい手つきで土を払ってくれるのがくすぐったくて、体を強張らせる。
その時、いくつかの知っている匂いがしたが、他の匂いに紛れてすぐに消えてしまった。
 
 
 
レーシィはその場に座り込んで、耳を澄ませていた。
増えた畑は順調そのもので、芽が出たと信者たちが声を上げてはしゃいでいた。
周りから、遠く近くで聞こえてくる様々な音は、もう聞き慣れた。
手を使って触れることで、自分の周りに何があるのかある程度は分かるようになった。
土を耕した日を境に、子羊の信者が話しかけてくるようになっていた。ただの他愛もない会話をひとつふたつ交すだけだが、悪い気はしなかった。
「…れっ、レーシィ…さ…ま…」
聞き覚えのある声がして、レーシィは一瞬だけ思考が止まった。
「…アムドゥシアス」
色々な花の香りに紛れてアムドゥシアスの匂いがする。土を掘り起こし終えた時の、土を払ってくれた手の匂いを思い出す。ヴァレファールとバルバトスもいるのだろう。
「はい、ここにおります」
正面の地面すれすれの位置から返事が聞こえる。深くひざまずいている…のではなく土下座していることが分かった。
「お前たちも子羊に引き入れられたのだな。それで、土下座の理由は?」
「えっ、見え…? はっ、はいッ!!」
アムドゥシアスが緊張で震えた声を出す。
「ほほほ本来であれば、もっと早く…いえ、レーシィ様がこっ…こちらへいらした時に、声をお掛けしゅべ、すべきでした! です…が、その…教祖さ…子羊に負けた俺は、レーシィ様に合わせる顔が無く…まして、子羊の信者…にっ…」
後半は泣きそうになっているアムドゥシアスの話に、レーシィは小さく溜め息をした。
「ここの生活は楽しいか?」
「へっ?」
「子羊に救われた命、大事にするといい。ここでは子羊が教祖だ」
「レーシィ様ぁ…!」
レーシィは咎めるつもりはないことを伝える。アムドゥシアスが感極まった声を上げ、直後に鈍い音がした。土下座する勢い余って頭を地面にぶつけるという分かりやすい行動だった。
「今の我は混沌の司教ではない。それに、目が見えぬ分、お前たちよりも劣る身なのだぞ」
「そっ、そんなこと! 他の種族から蔑まれてたワーム族を救ってくれたのはレーシィ様です! 今の俺たちがいるのはレーシィ様のお陰なんです! レーシィ様の御目の代わりは俺が! おそばに置いて何でも申し付けてください!」
「ずるーい! ねぇアム、その役僕がやりたい!」
「おいおい、ドジで有名なヴァレファールにそんな大役が務まるワケねぇだろ」
聞き馴染んだ声が増えて、レーシィは顔を緩めた。
「あ! 何だよ2人共、今更出てきて!」
「だって、レーシィ様に怒られると思ったんだもん」
「右に同じだ」
「お、お前らぁッ…!」
アムドゥシアスがぎりりと歯を食いしばる音がする。
元司祭3人の騒ぎが確実に大きくなってきて、流石にレーシィも黙ってはいられなくなった。
「ところで」
「はいっ!!」
一声かけると、3人の返事が重なる。
「あの畑…。3人いながら、あの程度の硬さの土も掘れないとは情けない」
「全く掘れなかったわけじゃないんです! 俺は1メートル掘れました!」
「僕…40センチ…。でもね、レーシィ様、僕すっごいがんばったんだよ!」
「オレは5メートルだ」
「でも、バルは筋肉痛になって2日も動けなかったよね!」
「おい、黙れ」
レーシィは平静を取り戻した3人からこの教団についての話を聞いた。
子羊は何よりも平穏を望んでいる事。信者たちを家族の様に大切にしている事。仕事の強制は無く、信者たちは自由に生活し、自主的に従事している事。
そして、アムドゥシアスたちは畑と花壇の世話をしている事。どうやらヴァレファールが「土の事についてワーム族の右に出る者はいない」と豪語したらしい。3人から色々な花の匂いがする理由も分かった。
さらには、他の司祭たちも子羊の信者として生活している事。
「残念ながら、ヘケト様、カラマール様、シャムラ様は…」
「…そうか」
バルバトスの話にレーシィは俯く。兄弟たちがいるなら、真っ先に匂いで分かったはずだ。それが無かったのだから、居るはずがなかった。
それでも、確認せずにはいられなかった。
 
 
 
日中とは全く違う表情の夜。
様々な音は止み、信者たちの小さな寝息と、小さな虫が地を這う音がする。
レーシィは子羊と2人きりで話がしたいとアムドゥシアスに頼んで、子羊のいる講堂へ案内してもらった。
「子羊よ」
子羊の気配のする方へ声を掛けると、子羊はとてとてと足音を鳴らしてすぐ近くまで駆け寄って来た。
「レーシィ、どうしたの? もうみんな寝てる時間だよ?」
「我は何故、生きている。お前に殺されたはずだ」
「……ごめんね」
子羊が、絞り出すような声を出す。
「あの時、僕が未熟だったから…。君たちの魂がこの世に残っちゃったんだ。君たちの信者は、君たちが死んだ後も信仰をやめなかった。その力が、死んだはずの君たちの体に魂を引き戻したんだよ」
子羊の声が、わずかに震える。
「生きることも死ぬこともできなくて、苦しかったでしょう?」
「……」
子羊の話に、レーシィはあの悪夢のような記憶を呼び起こされた。
周りを埋め尽くす、地が割れんばかりの歓声上げる大勢の信者たち。ひどい激痛で痙攣する体。むせ返るような血の匂いと腐敗臭は自分のものだと理解していて。子羊との戦いを終わらせなければいけないという焦燥感で気が狂いそうだった。そこへ子羊が現れて…。
「これは、僕の責任」
レーシィは子羊の言葉で我に返る。その言葉を、あの時にも言われた気がする。
子羊の話で、自分に起きたことを理解した。おそらく、兄弟たちも同じようなことになっているはずだ。
「レーシィ、もう寝たほうがいいよ。もう君の体は司教の時とは違うから…」
「もうひとつ、聞きたい」
手を引こうとする子羊の手に、もう片方の手を重ねる。
「蛙の樹林へ行くのだろう?」
「エリゴスたちから聞いたんだね。そうだよ、明日の説教の時間に言おうと思ってたんだ。だからどれくらいの日にちになるかわからないけど、ここを離れるよ」
「子羊…、その…」
レーシィは言葉を詰まらせた。
こんなことを子羊に頼める立場ではないことは苦しいくらい理解している。先に家族を奪ったのはこちらなのだから。
「分かってる。ヘケトのことだよね?」
いつもよりも優しい声で、子羊が言った。
「そのつもりで行くんだよ。ううん、つもりなんかじゃない。必ず見つけて、連れて帰ってくるから。もちろん、次はカラマールと、シャムラもね。そのために、畑を増やしたかったんだよ」
その言葉に、レーシィは頭を下げた。
「子羊よ、お前は何故…。我らはお前の一族を滅ぼし、お前を殺そうとしたのに…」
「僕ね、気付いちゃったんだ」
子羊は、噛みしめるように声を出す。そして物思いに耽るように、ゆっくりとっした歩みで、講堂内を回り歩き始める。
「この世には、本当に悪い人はいないんだって。何かをするのには、必ず理由があるんだよ。だからね、みんなが仲良くなって、心配事もなくなって、幸せになればいいんだよ」
うんうんと、子羊が頷く。
そんなことは不可能だ。と、レーシィは思った。子羊の考えは漠然としているし途方もない。各々の思想の違いが争いを生むというのに、それを統一できるはずがない。
「とても永い時間はかかると思うけど、きっと、いつかは…」
独り言のような、自分自身に言い聞かせるような子羊の言葉は、揺るがぬ強い意志が込められていた。
もしかしたら、この子羊なら…。
レーシィは不思議な安心感を覚えて、意識が薄らいだ。こくりと頭が傾く。
「子羊よ。姉上を、どうか…」
「うん。待っててね」
子羊が眠気で動きが鈍いレーシィの手を引き、講堂を出る。
その手の温かさに、レーシィは体を任せてゆっくりと歩いた。
 
 
 
「子羊めがッ!! 貴様、レーシィに気安く触れるとは許さぬぞ!!」
エリゴスがドヤ顔で大声を上げる。
ヘケトは無言で子羊の首を締め上げていた。その表情は怒りで歪んでいる。
「あ、姉上、誤解です…」
レーシィが慌てて弁解するも、ヘケトの気持ちは収まりそうも無かった。
「僕はレーシィの頭に付いてた葉っぱを取ろうとしただけで…」
ヘケトに首を絞められている子羊は、宙に浮かんだ足をバタバタと動かしながら事情を説明する。
「それはレーシィの毛だ馬鹿者がッ!!」
エリゴスが感情篭った迫真の声を出す。
周囲には、騒ぎを聞きつけた信者たちが集まり、怯えた様子で子羊たちを見ていた。
子羊によって信者となったヘケトは王冠の力を失い、殆ど声を出せなくなっていた。しかしヘケトの元司祭であるエリゴスが、ヘケトの感情を敏感に感じ取り、まるでヘケト本人の様に喋ることでその不便さは全く無かった。エリゴス本人も楽しそうである。
「姉上、お腹が空いてしまったので…、一緒に食事をしませんか?」
どうにかこの場を収めようと、レーシィが全く関係ない提案をする。
「そうか」
スン…とヘケトの表情が穏やかなものに変わる。
それと当時にヘケトから解放された子羊は地面に尻もちをついた。ゴホゴホと咳き込みながら、小さな声でレーシィありがとうと言う。いそいそとこの場を離れて行った。
すっかり機嫌のよくなったヘケトに手を引かれ、レーシィはヘケトの隣りを歩く。
目は見えなくても、しっかりと感じられる姉の気配に、確かな幸せを感じていた。
 
 
 


緑の毛玉

cult of the lamb(カルトオブザラム)の捏造話。
レーシィは足の生えたヒル族という妄想。


シャムラはそっと目を閉じて己の神殿の中で瞑想をしていた。
つい先ほどまで神殿に入りきれない程の信者で溢れかえっていたが、説教を終えると信者たちは恍惚の表情でそれぞれの持ち場へ戻って行った。
信者たちへの説教は大切な責務だが、こうしてひとり考えに耽る時間も同じくらい大切にしていた。
しかし、その時間はすぐに中断することとなった。
よく知った気配を感じて、ゆっくりと目を開く。
神殿の入口に目を遣って数秒後、石床が黒く波打ち、カラマールが姿を現した。
「シャムラよ、来てやったぞ。今日は良いものが手に入ったのだっ」
来て早々、カラマールは上機嫌で話しながら、連れてきた信者2人と共に近づいて来る。2人の信者はひとつの木箱を運んでいた。
「供物に珍しいものがあってな。我の信者が夜闇の森で拾ったそうだ。シャムラにも見せてやろう」
「ふむ」
シャムラは相槌をして話の続きを待つ。カラマールは何かあるとよくこの神殿に訪れていた。内容の軽重は問わず、自ら出向いて来る。話が面白くなければナリンデルに馬鹿にされ、下らなければヘケトに時間の無駄だと怒られているものだから、自然とこの場所に来ることが多くなっていた。
あらゆる知識を得て、既知ばかりの退屈な日々だが、こうしてカラマールが来ることで退屈というものを遠ざけてくれている。
「お前たち、下がってよいぞ」
木箱を運ばせていた信者を魔法陣で帰らせ、カラマールは木箱に目を移す。
それにつられて、シャムラも木箱を注視した。
「む? 静かだな。死におったか?」
カラマールの言葉から、木箱の中身が生き物であると分かった。生き物の供物は珍しいものではないのだが。
カラマールが木箱の錠を外して蓋を開ける。中には木の若葉を集めたような毛玉が入っていた。
「ヒル族か」
シャムラは毛玉の正体を呟く。夜闇の森では見飽きるほど多く生息し、見苦しいほど地べたを這いずり回っている下等な生き物だ。その事はカラマールも知っているはず。
「そう、ヒル族の子供だ」
カラマールは木箱から鎖を引っ張り上げる。首輪に繋がれた小さなヒル族の姿を見て、シャムラは目を大きくした。
その反応が見たかったとばかりに、カラマールが満足気な笑顔を浮かべる。
「どうだ、珍しいであろう? 何百年と生きてきても、初めてこんなものを見たであろう?」
カラマールの声が弾む。
ヒル族の子供には2本の脚が生えていた。ヒル族も教化してやれば人並みの姿を得ることもあるが、この姿で生まれたのであれば、非常に珍しい。
間もなくして、その足と尾がじたばたと動き始める。首輪で吊り上げられたのが苦しくなって、目を覚ましたらしい。
「まだ生きておったか」
カラマールは無造作に鎖を降ろすと、子供はしっかりと2本の足を石床について立ち上がる。
それを見てシャムラは、ほう、と感嘆を漏らした。
「ただ生えた飾りの脚ではないな」
「そうだとも。こやつを生贄にし…こら、逃げるでない!」
ヒル族の子供が走り出し、カラマールは慌てて鎖を掴み直して引き戻す。
「貴様を生贄にしてやるのだぞ。身に余る光栄と思え」
顔を近づけられたヒル族の子供は、臆することなく丸い口を大きく開けて威嚇した。
「理解できる知能も無いか」
カラマールは吐き捨てるように言って、顔をシャムラへ向ける。
その直後、カラマールは縦に伸びながら悲鳴を上げた。その腕にはヒル族の子供が噛み付いている。
慌てふためいて腕を振るカラマールを見て、思わずくすっと笑ってしまった。
何年振りに笑っただろうか。そんな事を考えたくなったが、目の前の現状に集中することにした。
「笑い事ではない! …ええい、放せっ!!」
カラマールはぐいと鎖を引く。その勢いでヒル族の子供は宙に投げ出された。
弧を描いて落ちてくる子供を、片手で受け止める。カラマールに子供を差し出すが、カラマールは一向に受け取ろうとしなかった。
「カラマール。これを我に寄越してくれるか」
「好きにしろ。我はそんな強暴な生贄はいらん。お前の驚く顔が見られたから満足だ」
カラマールはヒル族の子供に興味を失くしたようだった。
元の目的は我を驚かせることだったか、とシャムラはカラマールの子供じみた行動を微笑ましく思った。知ってはいたが、改めて分かるとなかなかどうして良い気分になる。
ヒル族の子供は、助けてやったにも関わらず、遠慮無しに手に噛み付いてきた。
「臆せず行動するのは、良い事だ。だが、才気の見極めが必要である」
シャムラは頷いて子供を見据える。
「ヒル族は下賤な一族だぞ。生贄にしか使い道は無いからな」
カラマールが呆れたように手をぷらぷらと振った。
「夜闇の森はまだ手付かずであったからな。これに任せてみようと思う」
「何!?」
カラマールが素っ頓狂な声を上げる。
これは確信。この子供はきっとよく育つ。
「お前も、生まれた地を何ものにも侵されないよう統治し、蔑まれるヒル族の地位を確立できるのであれば本望であろう?」
静かに語りかけると、ヒル族の子供は噛んでいた手をゆっくりと放した。話を理解している様子はないが、何かを悟った様子は見て取れた。
「その脚で立ち、我らと同じ目線でものを見る覚悟はあるか? その脚で進み、ヒル族を導き教えを説く矜持はあるか?」
「シャムラよ、考え直せ」
「我らの血を飲んだのだ。お前もその血を我らに捧げよ。それをもって兄弟と成す」
カラマールの制止を他所に、シャムラはもう片方の手でヒル族の脚を掴み、そっと牙を立てた。筋肉の発達していない肉はすぐに裂けた。
横目で見遣ると、ヒル族の子供はぶわりと毛を逆立てて4つの目を大きくしていたが、神妙な面持ちのままじっと見つめ返していた。
「お前にその資格があれば、いずれ王冠を授かるであろう」
ヒル族の子供の足を放し、首輪を指先で軽く叩く。鉄の首輪は音も無く砕け散った。体を降ろしてやると、決心とも諦めともつかない表情で見上げてくる。逃げようとはしなかった。
それを見ていたカラマールは、大きな溜め息をつく。
「勝手にしろ。…まぁ、お前が今まで過ちを犯したことは無いからな」
「カラマール、こちらに」
「ぬうぅ…」
手招きをすると、カラマールは高い声を低くして呻いた。身分に煩い彼がヒル族の血を飲まされるなんて思ってもなかった事だろう。
不服を表情に浮かべて、重い足取りでじりじりと近づいて来るカラマールを急かさず、見守った。断固たる拒否をしないのは、気が弱いからか、信頼してくれているからか。あるいはその両方だった。
数歩の距離を時間をかけて来てくれたカラマールにヒル族の子供を抱かせると、その表情は一転しぱぁと明るくなった。
「これは…、うむ。思っていたよりも…」
カラマールが己の中で何かを確かめた後、堪える表情で小さく囁く。
「こ、この毛玉め…ふわふわしおって…。我は誑かされんぞ…」
しかしその手は、しっかりと子供の頭を撫でていた。
 
 
 
カラマールはヒル族の子供をシャムラへ返す。
口に残る下賤な血の味も、不思議と不快ではないことに驚いた。
シャムラの事は信頼している。だからこそ、こんな事になるだなんて信じられなかった。でも、まぁ、悪くは無い気がしてきた。ヒル族も、満更でもない。
「我は構わぬが、ナリンデルとヘケトが許可するかは分からんぞ」
一応、警告はしてやった。
けれど、兄は意に介さずいつもの口調で「許可の必要は無い。討論で我に勝てる者はいないからな」と言った。
その言葉は、自慢でも自負でもなく、ただ事実を言葉にしただけでしかない。
この兄は感情が薄いのだ。もしくは、それを表に出すのが苦手なのか。この世の知識を得た代償がそれなのか。
毎日が退屈そうだった。だから今日もこうして来てやった訳だが、兄を驚かせ、笑い声を聞けたから、あの毛玉を連れて来た甲斐があった。
ナリンデルとヘケトが呼び出され、2人がヒル族の子供と血を交わすのを眺めていた。
シャムラにどう言い包められたのか知らないが、ナリンデルは緑の毛玉の頭や尻尾をぽふぽふと叩きながら「悪くない。末弟として兄に尽くせ」と言い、ヘケトは「今日からお前は弟だ」と嬉しそうに世話を焼き始めた。
あの毛玉は物怖じせずに立っていた。随分と肝が据わっている。その度量は褒めてやるべきか。
うむ、兄弟なのだから褒めてやろう。
そう思ったが、ヘケトが離さずにいるものだから、その機会を得られずにこの日を終えた。
 
 
 


死の傷跡

cult of the lamb(カルトオブザラム)の捏造話。
ナリンデルが他の兄弟を負傷させた時のお話。


それは5柱が集まる、いつも通りの定例会のはずだった。
何がかも分からない微かな違和感を最近感じていたものの、その正体が分からず些細なことだろうと思っていた。
しかし。
いつもと変わらぬシャムラの神殿。神殿のあちらこちらにかかる蜘蛛の糸は、複雑に絡み合って光を反射している。
そこでカラマールが見たのは、想像もつかない、有り得ない光景だった。
「シャムラ…?」
口に出た言葉は震えていた。
気を失って倒れていたのは兄のシャムラだった。
その頭は誰もが崇め敬う叡智の源が露わになっており、それを覆っていた頭蓋骨をナリンデルが手に持っていた。
「来たか。カラマール」
ナリンデルは真っ赤な三つ目をカラマールへと向けて、薄く微笑む。頭蓋骨を握り潰すと、払うように投げ捨てる。
カラマールは硬直し、息を呑んだ。
“死”
それを司る彼のことを昔から敬遠していたが、その理由が恐怖だったことを改めて認識した。
そして最近の違和感の正体が、彼の異変だったことも。
彼はシャムラとよく一緒にいた。シャムラもナリンデルをとても可愛がり、自ら知識の一端を教えていた。
その2人が距離を置き始めたのはここ最近の事だった。それと時期を同じくしてナリンデルから向けられる視線が冷えたものになったのも。
ナリンデルから悪戯されることがしばしばあったものだからさして気にしていなかったが、その視線の冷たさは自分だけでなく他の兄弟たちにも向けられているようだった。レーシィに相談されるまでは気付かなかったが。
ナリンデルの目に映っていたのは、兄弟から別の何かに変わっていた。
「ナリンデ…」
「何をしている!」
カラマールの言葉を遮って、清水のように澄んだ美しい声が響き、ヘケトが走って来た。
「ナリンデル、貴様、最近様子がおかしいと思ったら…!!」
来るなり状況を把握したヘケトは、ナリンデルに掴み掛かった。
激昂で顔を顰めるヘケトとは正反対に、ナリンデルは穏やかな表情で目を細める。
漆黒の一閃。ナリンデルの赤き王冠が大鎌となってヘケトの喉を切り裂く。
あまりに突然に、何の躊躇いも無く。
「うぐっ…」
ヘケトが呻き、膝をついた。げほげほと苦しみながら喉を押さえ、その場に蹲った。
「……」
カラマールは呆然と立ち尽くした。恐怖が根を張り足が動かなくなる。
「カラマールよ」
名を呼ばれて身が強張った。赤い三つ目が、三日月のような形で見つめてくる。
「貴様は、目だ」
その言葉が、次に自分が奪われるものだと察した。この傲慢な獣は昔からそうだ。先に何をするかを解らせて、行き過ぎた悪戯をしてくる。この状況を思えば、今までの悪戯がどんなに稚い事だったか。
“死”が軽い足取りで近づいてくる。赤き王冠が形を変え、大鎌となる。
わざとらしく、ゆっくりとした動きで。
カラマールは本能的な反射で身を退く。空を切る音は顔の左を縦に長く通過し目蓋を掠めて行った。
「ひぃッ!」
悲鳴をあげて、両手で目を隠す。
「目は…目だけはやめてくれぇ!」
「そうか」
ナリンデルは、あっさりと願いを聞き入れてくれた。でもそれは優しさでも慈悲でもなく、この獣の気紛れであることを長年の経験から知っていた。
「臆病者」
ただ一言、冷たい言葉を浴びせられ、嘲笑われた。
そんなこと、知っている。それを面白がられて悪戯されていたのも。それでも、今まではこんな笑い方はしなかった。
“死”の高笑いが、神殿に響く。
その残響と共に曇った音が2つ。左右それぞれに。
耳を切り落とされたのだと気づいたのは、痛みと耳鳴りがしてからだった。
「遅れてしまって、すみません」
背後から、レーシィの声がいつもより小さく聞こえた。レーシィからは自分が陰になってこの惨状が見えていないはず。
警告をしようと顔を上げたが、目の前にはすでにナリンデルの姿は無く。
振り返ると、会釈をする末弟の前に獣は立っていた。
「ナリンデル兄上、ご壮健で…えっ。わああっ!!」
脈打つ痛みと耳鳴りがする耳は、末弟の叫び声を小さく捉えた。
痛みと恐怖で歪む視界で“死”が去って行くのを見た。
「うぅ…目が熱い…痛い…。ナリンデル兄上、何があったのですか!?」
ヒル族の末弟は腕が無いせいで状況を探れず、その場で立ち往生している。獣に何をされたのかも分かっていないようだった。
「レーシィ…」
血の止まらない両耳を押さえながら、何も知らずに目を奪われた末弟の名を呼ぶ。
「…カラマール兄上? どこにいますか? ご無事ですか!? 今、ナリンデル兄上がいて…姉上と、シャムラ兄上はいますか!? ごめんなさい、目が見えなくて…助けに行きたいのに…」
レーシィは我が身よりも兄弟たちを心配していた。
その健気さがカラマールの心に刺さる。本当なら、目を失うのは自分のはずだったのに。
「レーシィ、すまない…」
自責の念に苛まれて出た謝罪は、罪悪感に押し潰されて震えたか細い声へと変わる。狼狽えているレーシィには届かなかった。
ヘケトがよろめきながら立ち上がり、レーシィを抱きしめる。
「レ…ジ…ィ」
くぐもり掠れた声。初めて聞いたその声が、あの美しい声のヘケトのものである事が信じられなかった。
「だ、誰…だ? 放せ…!」
相手がヘケトだと分からないレーシィは、抱きしめる腕から逃げようとする。
「レーシィ、落ち着け。それはヘケトだ」
そう伝えると、レーシィは動きを止めて、様子を伺い始めた。
「姉上…? そのお声は…」
「ヘケトはナリンデルに喉を切られたのだ。シャムラは頭蓋骨を割られた。お前は目を切られた」
声が出せないヘケトに代わり、状況を話す。他の兄弟に比べて自分の被害はあまりに小さいもので言えなかった。
「ナリンデル兄上が? どうして…」
レーシィの呟きに、その疑問こそ早く知るべきだったと思い出し、シャムラの方を見る。
いつの間にかシャムラは意識が戻ったようで、石床の上に座り込んでいた。焦点の合わない目は虚ろで、小さく独り言を言っている。耳を切られたのも相まって、この距離からはその内容は全く聞こえない。
カラマールはシャムラへ近づき、肩を揺する。
「シャムラ、何があったのだ!?」
揺すり始めて数秒後、兄と目が合った。…ような気がしただけだった。
「我は…、…不変は…、彼が…」
視線をふらふらと泳がせ、繋がらない言葉を淡々と並べる。
「ど、どうした…?」
いつもとは明らかに様子がおかしい兄に、寒気がした。
 
それから。
4人で力を合わせ、元凶である“死”を冥界の門へ封じ込めることに成功した。
末弟は、緑の王冠の力で周囲の気配を把握できるようになった。けれど、その目に光が届くことは無く、他の者たちの表情が分からないせいで感情を読み取るのに必死になる様子が伺えた。
妹は、黄の王冠の力で声を出せるようになった。けれど、喉から出るのは低く濁った声だった。凄みのある声になって威厳が出たと妹は言っていたが、ひとりのときに声を殺して泣き崩れていた。
兄は、紫の王冠の力で自我を取り戻した。けれど、正気ではなかった。話しかけても返答は上の空で、会話が成り立たないことも多々あった。時々には元の兄に戻るが、ほんの束の間だけだった。
自分は周囲の物音に過敏になっていた。聞こえが悪くなってしまった耳は青の王冠の力で補うのは容易だったが、ここに居るはずのない“死”の高笑いをいつまでも響かせていた。
負わされた傷はあらゆる治療を施しても癒えることなく、命の赤はじわりじわりと体から流れ出る。
 
それはまるで、遥か遠くに封じた“死”へと近づいていく感覚だった。
 
 
 


クローン隊のほのぼの話。
夏の風物詩…だよね。


「だああああああッ!!」
 叫び声と共に、部屋の蛍光灯が灯される。大声を上げた鎖は舌打ちして、明るくなった部屋を見回す。
「絶対ぇに…許さねぇ…ッ」
 と、威嚇するように低い声で呟く。
「…あいつ…」
 ベッドから体を起こしたⅨ籠は周囲を凝視しながら対象を探すも見つけられず、ギリギリと歯を噛みしめた。
 2時間ほどで、これを何度繰り返したことか。
 
 それは、暑くなりかけた季節に現れ始める。
 昼間は刺され血を吸われても気づかないくらいなのに、どうしてか就寝の時には嫌でも羽音が気になって落ち着かなくなる。ましてや耳元の近くで羽音が止まろうものなら、その後にチクリとした痛みが起きるのではないかと想像して眠気など吹き飛んでしまう。
 止まったであろう場所にばちんと掌を叩きつけ、静寂に安堵するのも束の間、ぷぅんと甲高い羽音が再び耳に入ってくる。
 小さな害虫への苛立ちは果てしなく大きい。
 
「おい、クロウ! お前の【SHADOW】でなんとかしろ!」
「できるんだったら、とっくにやってる! こんな小さいヤツに使うのは力の制御が難しいんだ」
 Ⅸ籠は頭をわしゃわしゃと掻きながら、鎖を睨みつけた。
「すんません。俺は眠いんで、寝ます」
 苛立って興奮する2人を他所に、刺斬は何事も無いかのように微動だにせず、目を閉じたまま呟く。
「こんな状況で寝れるってのか!? ウソだろ!? さ、刺斬? おい刺斬!?」
 鎖の呼びかけも空しく、刺斬の意識は深い所へと向かっていった。
「くそッ…普段はあれこれ細けぇくせに、こういうことには大雑把かよ!」
 鎖は口の端を引き攣らせながらとⅨ籠へ目を向けた。
「クロウ、俺らでやるしかねぇぞ…」
 両手の拳をばしっと打合せる鎖。その様子は殺意がまざまざと見えていた。
「俺らは、多勢の軍隊相手だって全滅させてきたんだ! こんな虫ケラ1匹に引けを取るわけにはいかねぇ! そうだろ!?」
「鎖ひとりでどうにかしろ。オレは眠いから」
「俺だって寝てぇんだよッ!!」
 熱の入った鎖は、Ⅸ籠に冷めた声色の言葉を返されて一層声を張り上げた。
 誰が見ても分かりやすいほど不機嫌な顔をしているⅨ籠に、鎖は半眼の目を向ける。
「いいのか? 朝になって、かゆ~いってなるんだぜ? ほっぺにかわいい赤丸が付くかもしれねぇぞ?」
「……殺そう」
 Ⅸ籠から、すっと表情が消えた。鎖の拙い煽り言葉でも、効果はあったようだった。Ⅸ籠は獣のような鋭い目付きで壁を見据えると一瞬にして刀を投げつけた。ごずっと音と共に、刀の切っ先が壁に突き刺さる。しかし惜しい所で仕留め損ねる。
「逃がすかよッ!」
 鎖が逃げ先であろう壁に拳を叩きつけるも、その風圧で敵は難を逃れる。鈍い音に続いて部屋が揺れ、棚の上に置いてあった本がバランスを崩して滑り落ちる。その着地点には、刺斬の頭があった。
「んがっ」
 鼻の奥から変な声を出して刺斬が飛び起きた。
「何やってんスか…」
 刺斬は壁に刺さった刀と、鎖の正拳突きで空いた穴を見て、真顔になった。
「刺斬、起きたか! アイツを始末しねぇと、俺らに明日はねぇんだよ!」
「あと3時間で起床時間っスよ」
「ンなこたぁ分かってんだ!」
「何度も言ってるスけど、部屋破壊すんのは勘弁してください。それにボスは刀を大事に扱わないと…刃毀れします」
「オレに刀を使わせるヤツが悪い」
「ま、そうですね」
 全く悪びれていない鎖とⅨ籠に、刺斬は小さな溜め息をした後ゆっくりと立ち上がった。
 鎖とⅨ籠が見守る十数秒ほどの静けさが過ぎた後、刺斬は目にも留まらぬ速さで何かを掴む。ふぅと息を吐き、握った手を開いてⅨ籠に見せる。その掌には動かなくなった諸悪の根源の姿があった。
「これでよろしいか」
「よくやった、刺斬。褒めてやる」
 ターゲットが始末されたことにⅨ籠は満足した様子で刺斬を見詰める。
 その一方、鎖はあまり納得がいかない様子で刺斬を見ていた。
「いや、できんなら最初からやれよ」
 
 
 
 
 
終わる


レシピの愛情

Ⅸ籠と刺斬のほのぼの話。


 Ⅸ籠は、狭いキッチンに立って料理をしている刺斬の微かな鼻歌を聞きながら、テーブルに肘をついて手持ち無沙汰に読む気の無い本をめくっていた。刺斬の機嫌はとても良さそうで、鼻歌は…多分聞こえてないと思ってるだろうけど、Ⅸ籠にはしっかり聞こえていた。何の歌なのかは知らないが。
 刺斬が食事時に必ず呼びに来るものだから、いちいち呼ばれるのも面白くないので、今日は先に来た。ただ、それだけの理由だった。タバコの匂いが微かに残るこの部屋は、正直言って好きではない。水槽に入った兄たちのいる部屋の方が落ち着くし、居心地がいい。
「ピーマンとパプリカ、どちらにします?」
 刺斬は背中を向けたまま、声をかけてきた。
「どっちでもいい」
 Ⅸ籠は気の無い返事をする。本当に、どうでもよかった。食に興味が無い。肉体維持に必要な栄養なんて薬で摂れば十分なのに、刺斬が部下に配属されてから食事を煩く言われるようになって、やむなく食べるのを付き合っている。その程度だった。それでも、付き合ってやれば刺斬は嬉しそうにする。そんな刺斬を見るのは嫌ではない。
「刺斬は、料理が好きだな」
「はは。そうですね。食べるのも好きですけど、作る方がもっと好きです」
 刺斬が手を止めずに言う。
 知ってる。と、Ⅸ籠は思った。そして作るよりも、鎖が「うまい」と言って喜んで食べるのがもっと好きだということも。
 やがてじゅうじゅうと油の跳ねる音が部屋に響き始めた。
「ボスが今読んでる本、鎖さんが好きな料理が多く載ってるんでよく読むんですけど、ボスは気になるのあります?」
 刺斬に再び声をかけられて、Ⅸ籠は興味なく眺めていた本に焦点を合わせた。暇つぶしに近くにあった適当な本を広げただけで、読みたかったわけではない。
 本は料理のイラストと、手書きの文字で材料と手順が書かれていた。写真を載せるほうが簡単なのに、精巧な描写のイラストと手書き文字にしているあたり、手の込んだ本であることが分かる。本の表紙を見ると「大切な人に作ってあげたい栄養バランスレシピ」と書かれていた。
「その本、他のレシピ本とはちょっと雰囲気が違うんですよ。かなり昔に刷られた本らしいんですけど、体に良さそうなんで俺も気に入ってます」
「ふぅん」
 Ⅸ籠は相槌を打って、ぱらぱらと本のページを送る。刺斬が作ってくれたことのある料理のイラストが所々に見受けられた。気になるものはあるかと言われても、興味の無いものを気にすることなんてできなかった。
「その本に載ってる料理の材料欄に必ず愛情って書いてあるんですが、作り方の手順には入れる工程が書いてないんですよ。本の冒頭には愛情を入れると料理は美味しくなるって書いてあるんですけどね。なのでその本のレシピは成功したことがないんです。気持ちを入れるという事なのは何となく解るんですけど、どう入れたらいいのやら…」
 と、刺斬が半分は独り言のように言った。その声色からは少し残念そうな雰囲気が感じられた。
「…気持ち…?」
 Ⅸ籠は不可解になって本に集中を向けた。確かにどのレシピの材料にも「愛情をたっぷり」と書いてある。
「鎖さんは味が濃いのが好きなんですけど、塩分は控えたほうがいいそうで。戦闘で怪我するのは仕方無いにしても、健康な体でいて欲しいんですよね。もちろん、ボスもですよ。なので、塩を少なくして代わりに酢や出汁粉や香辛料を入れてます。あ、これは鎖さんには内緒で…」
 刺斬はいつも自分の事よりも他人…特に鎖の事を考えている。鎖は煩いしすぐ怒るけど、刺斬にとっては兄弟みたいなものだから、大事に思う気持ちは分からなくはない。
「刺斬がそうやって、鎖のこと考えて作ってるのが、気持ちを入れたってことになるんじゃないか?」
「え?」
 刺斬は手を止めてⅨ籠の方へ振り返った。
「だから鎖はいつも、うまいって言って食べてる。それは成功してるってことだろ?」
「…ははっ、そういうことスか…」
 刺斬は小さく呟いて、ニット帽を深くかぶり直し目を伏せる。
「ボス、教えてくださって、ありがとうございます」
 そう言いながら、刺斬はキッチンの方へ向く。その間際で、刺斬のとても嬉しそうな横顔が見えた。
 料理を再開する刺斬の鼻歌は、少しだけ大きくなっていた。
 
 
 
 
 
終わる


「いってらっしゃい」

エレクトロとグラビティのお話。


 それは“行って、戻っていらっしゃい”を意味し、無事に帰るよう祈りを込めた言葉。
 
 
 
 息遣いのような小さな機械音だけが流れる部屋。そこにいつの日からか、明るく弾む声が響くようになり、冷たい機械音は耳に入らなくなっていた。
「でさ、そんとき気持ちがぐぐーってなって、こう…ドーンってやっつけたんだぜ!」
 グラビティが得意気な笑顔で、拳を振り上げる。
「それはすごいな。グラビティは強いんだね」
 エレクトロはグラビティの話に惹きつけられて、うんうんと頷いた。
 薄ら寒いこの部屋は、エレクトロが体の充電のために篭る部屋だった。何日かに一度、この部屋で数時間の時を過ごすことを余儀なくなさている。
 
 ラボの三分の一が壊滅した時、どうしていいか分からなかったエレクトロに声をかけ助けてくれたのは、ラボの戦闘員のボルテージだった。
 大勢の被検体が逃げ出すチャンスとなったラボの壊滅は、一部の被検体にとっては生きられない環境に陥る原因にもなった。そのひとりがエレクトロだった。
 エレクトロは機械と融合し半機械化できる能力を付加されていた。それは同時に、機械に生体機能の一部を依存させるものでもあった。内臓などの一部器官は完全に機械任せになっている。そのため、ラボから逃げ出せたものの、電力供給を絶たれた体は数日も持たなかった。昏睡状態になってしまったエレクトロに、ボルテージは定住の地を探し、充電できる環境を備えてくれた。
 以来、エレクトロは問題なく生活を送れるようになり、ボルテージに師事している。けれど充電している時の姿は見目に良いものではなく、長短太細な管に繋がれた姿は傍から見れば不気味に映っていることを自覚していた。
 だから、充電中の姿は他の子どもたちに見られたくないと思っていた。それなのに。
「ひとりで部屋にずっといるなんて、退屈じゃねぇ?」
 と、強引に部屋に入り込み、屈託ない笑顔で朗らかに声をかけてきたのはグラビティだった。
 ひょんなことからエグゼが連れて来てしまった3人の少年の内のひとりで、最初に会ったときの印象は決して良いものではなかった。
 エレクトロはラボにいたときに、実験体の情報や施設機器の管理などをする統括システムとして扱われていたため、グラビティたちを見てすぐに被検体の永久少年だと判別できた。3人の様子から、ラボ側でなく逃げて来た側だと分かった。逃げ出した永久少年であれば、同類ということになる。アーミィとグラビティとギガデリはお互いに都合がいいからという理由だけで行動を共にしていたらしい。
 そんな3人が居座り始めて月日が経ち、いつからかグラビティはボルテージの近くにエレクトロが居ないと知ると、充電部屋に来るようになっていた。グラビティが初めて充電部屋に来たときに、エレクトロはグラビティを追い返そうとしたが、グラビティはいつもと変わらない笑顔で興味津々に部屋を見回しコレは何だアレは何だと訊いてきた。
 それからというもの、エレクトロはあまり好きではなかった充電の時間が楽しみになっていた。この場所に留まり体の一部を通信機器として使って世界の情報を得ている自分と違い、世界を歩き回っていたグラビティは自らの体験談や感想などを話してくれる。映像や画像やテキストデータからでは知りえることが難しい、経験の知識。それを、拙い言葉と大袈裟な身振り手振りで教えてくれた。
 それが楽しくもあり嬉しくもあり、エレクトロはグラビティとよく会話を交えるようになっていった。
 
 闖入者の3人が加わった生活をするのが当たり前になってきたころ、アーミィがしばらく被ることが無かった赤いヘルメットを被り直してこう言ってきた。
「いつまでもここには居られない。世話になった。ありがとう」
 エレクトロはその理由を知っていながら訳を尋ねた。アーミィは複雑な顔をして「とても危険なやつに追われているから」とだけ答えた。
 アーミィの情報は、エレクトロのデータバンクの中にも入っている。ラボ壊滅を引き起こした張本人であり、ラボが開発した最強の永久少年。そして、その身を狙ってラボがクローンを差し向けていることも。ラボは一番に脅威となっているアーミィを捕えるか始末してから、他の逃げ出した永久少年たちを捕獲しようと計画している。アーミィの能力なら他の永久少年たちを容易に従えられるからだった。もしアーミィを始末することになったとしても、アーミィのクローンがいる。その能力は、もっと強制的で支配的なものだった。どちらにしろラボにとっては優位であることに変わりない。手荒な事をしてくる可能性は十分にあり得た。
 だから、アーミィを引き留めることはできなかった。もし、ここがラボの襲撃に遭ってしまったらボルテージが世話をしている行き場のない子供たちや匿っている永久少年たちにも大きな被害が出るし、元ラボの者だったボルテージも相当な処分がされるのは見当がつく。
 アーミィがこの場所を去るということは、グラビティとギガデリもこの地を去るということを意味していた。
 アーミィとギガデリがボルテージに別れの挨拶をしているとき、グラビティはエレクトロの所へ駆け寄って来た。
「…なぁ」
 グラビティにしては珍しく、いつもの元気がない、遠慮がちな声。
「エレクトロ、オマエも一緒に行かねぇ?」
「え…」
 グラビティからの思わぬ提案に、エレクトロは固まった。
「オレさ、オマエのこと気に入ったぞ。オマエといっぱい話して楽しかったし、まだいっぱい話したいことあるんだぜ。だから…」
 不意にグラビティは言葉を止めた。エレクトロがここを離れられない理由を、グラビティも知っていた。恩人であるボルテージから離れるわけにはいかないだろうし、何より体の充電の問題があった。
「そっか…。そうだよな…。オマエを困らせること言っちまった。わりぃ…」
「気にしないでくれ」
 肩をすぼめるグラビティに、エレクトロは優しく声をかけた。グラビティの気持ちも分かる。本当は、一緒に行ってみたかった。
 グラビティはアーミィとギガデリに呼ばれ、慌ただしく手を振った。
「んじゃ、オレいってくるぜ!」
「うん。さようなら、グラビティ」
 今迄に味わったことのない喪失の予兆に耐えながら、エレクトロは平静に別れを告げた。
「サヨナラなんて言うんじゃねぇよ」
 グラビティは不思議そうな顔をして、言葉を続ける。
「いってきますってさ、どこに“行って”も戻って“来ます”ってことだろ? だから必ず戻ってくるんだぜ!」
 グラビティの言葉に、エレクトロは、はっと息を呑んだ。そしてグラビティに笑顔を向け、真っ直ぐ見詰めて口を開いた。
 
「いってらっしゃい」
 
 
 
 
 
終わる


本物とは

クローン隊の雰囲気文。


“俺が本物になる”
 
 鎖はいつもそう言っていた。Ⅸ籠にとって、その言葉が何を意味して何を思ってのことなのか、理解できなかった。
 鎖は粗暴であっても、物事に筋を通して白黒を付ける裏表の無い快活な性格で、周囲の者たちから慕われていた。
 Ⅸ籠は鎖を命令し従わせていても、逆らえない立場のはずの鎖はよく笑い、何かとつけて構ってくるし、からかってくる。そんな鎖を煩く感じながらも、嫌いではなかった。
 もし鎖が望んでいる“本物”になれたとしたら、今の鎖はどうなってしまうのか、そんな思いがⅨ籠の中にはあった。
 鎖ではない、誰かになってしまうのではないだろうか。
 
“本物でなくても、本物であろうとするほうが、本物よりも本物らしいと俺は思いますけどね”
 
 躍起になる鎖を、何も言えずに見ていたⅨ籠の隣りに寄って、刺斬がそう言った。
 Ⅸ籠は刺斬に返事をしなかった。刺斬の言葉は、誰よりも鎖を理解している刺斬だからこその励ましの言葉に思えたが、刺斬が自分自身を保つために言っているように感じた。
 刺斬も、口には出さなくても本物になりたがっているのではないだろうかと、Ⅸ籠は思っていた。
 クローンという造られた複製品にとってオリジナルは本物であり、それを超えなければ存在価値は無い。造られた意味が無くなり、生きる理由が無くなる。Ⅸ籠自身も、そのことは理解していた。
 刺斬は鎖が必死になるわけを話し始めたが、Ⅸ籠はすぐにその内容が上辺だけの口実だと知り、自分のオリジナルであるアーミィのことを考え始めた。
 籠と呼ばれていた水槽の9基目の中で生まれたⅨ籠は、それが名前の由来になっていた。隔離された部屋で、生命維持装置に囲まれ保存液で満たされた水槽の中にいる、複製に失敗した残骸が兄たちだった。だから、そんな兄たちをオリジナルであるアーミィが裏切って逃げ出したと聞かされて許せなかった。そう、思っていた。
 けれど、後になってアーミィと一緒に暮らしていた記憶を取り戻した。それからというもの、アーミィに対する気持ちは複雑なものになっていた。
 好きなのか、嫌いなのか、憧れの兄として慕っているのか、裏切り者として恨んでいるのか。自分の中にいる失敗作の兄たちの為に殺したいのか、殺されたいのか。
 想いは複雑に入り混じっているが、組織からの命令は“始末しろ”という至って単純で明確なものだった。
 
 鎖と刺斬が本物になろうとするのが理解できないのは、自分とオリジナルが完全に別物であると認識してしまったからなんだろうと考えが行き着いた。
 オリジナルに会ったことが無い鎖と刺斬はオリジナルに対して求めているものがその立場であり、オリジナルと親しくなっていた自分がオリジナルに対して求めているのは個の存在として認知されること。その考え方の違いから、お互い分かり合えるはずない。
 本物であることに執着する2人を他人事とまではいかないが、どこか遠くに感じながらⅨ籠は刺斬を見上げた。
 
“鎖も刺斬も、オレが知っているのは本物だ”
 
 Ⅸ籠にとって、鎖も刺斬も他ならない個の存在であり、まぎれもない本物。嘘偽りは無い。
 刺斬は少しだけ目を大きくして、すぐに目を伏せた。そう…ですね、と小さく呟いて。
 肯定の返事は、風に消されそうなものだった。
 
 
 
 
 
終わる