竜使いと白いドラゴン8 ~悪魔の孫~

「あー、肉食べたいな…」
 ライエストは木漏れ日の注ぐ森を歩きながら、焼いた真っ赤なキノコを齧って呟いた。
 書庫の国を目指して、南の方へ針路を取って2日ほど進んだ。
 ナティローズに会ってから、草ばかり食べさせられていた。いい加減、肉を食べないと気が滅入ってしまいそうだった。しかし、狩りをしようにも、そもそも獲物と出会っていない。
 隣りにはサージェイドが木の実をもぐもぐしながら歩いている。サージェイドは木の実でもキノコでも選り好みせずに食べているようだった。
 進行方向にある木に青いキノコが生えていて、サージェイドは青いキノコの匂いを嗅いだ。
「そのキノコはやめておいた方がいいぞ。舌が痒くなるやつだから」
 ライエストはサージェイドを注意する。サージェイドは素直にライエストの隣りへ戻った。
 木の隙間から、双子の太陽が見えて、ライエストは顔を顰めた。
「特に理由は無いんだけどさ、あの双子の太陽…。俺、小さい方の太陽が大嫌いなんだ」
 物心ついた時からか、太陽という存在を認識できるようになった頃からか、どういう訳か双子の太陽の小さい方が嫌いだった。世界を明るく照らしてくれる大切なもののはずなのに。
 サージェイドも上を見て目を細めた。グルルと少しだけ唸り声を出す。
「あー、サージェイドは嫌いにならなくていいんだぞ。多分、俺が変なだけだから。…でもいつか、あの小さい太陽、矢で撃ち落とせないかな」
 密かな夢であり、目標になっている。どれくらい練習すれば届くだろうか。
 時々目に入る木漏れ日に目を細めながら、森を見回す。
「この森、何で動物がいないんだろうな。森の精霊が死んだのか?」
 森は不気味なくらい静かで、小鳥すらいない。
 ふわりと吹いた風に、苦みと生臭さを感じて風上の方を向く。
「焼け跡と…血…? 何かあったのか? サージェイド、行ってみよう」
「クァ」
 不審に思ったライエストはサージェイドと風上へ足を速める。暫くすると森を抜けて、広い小麦畑の半分近くが焼け野原になっていた。焼けた民家も点在しているのが見える。
 その小麦畑を見て、ライエストはトルゥパ村のセイラばあちゃんを思い出した。村では珍しい、純血の人間で、パンの作り方を村に教えてくれた。ライエストも毎年の小麦の収穫の手伝いをしていた。虫がいっぱい出てくるのは嫌だが、小麦の束のかさかさとした音は耳に心地よくて好きだった。
「山火事とかじゃなさそうだな」
 森の動物がいなくなっている理由は、ここにありそうだった。
「クァ!」
 サージェイドが鳴いて、森の方に顔を向けて走り出す。
「どうしたんだ?」
 ライエストはサージェイドの後を追った。
 少し森を進んだ辺りで、遠くから声が聞こえてきた。
「そこ行く人! こっち、こっち! こっちですよー!」
 軽い口調で呼ぶ声がする。サージェイドと声の主を探すと、ぽつんと小さな檻が置いてあり、その中に人影があった。ライエストと同じ年くらいの、腰に布を巻いただけの少年がうつ伏せの状態で上半身だけ檻の中でに閉じ込められて手招きをしている。よく見ると、その少年の灰色の髪の隙間には獣のような耳と小さな角が生えていて、細長い尻尾を生やしていた。
「何してんだ、お前?」
「何って、困ってるんだよ。見て分かるだろ? こんな狭い檻に閉じ込められて、カワイソーって思わない?」
「そうか?」
 ライエストは聞き返した。檻に閉じ込められている少年はあまり困った様子ではないが、本人が困っていると言うのなから、困っているのかもしれない。
「な? な? 助けてくれよー。頼むよー」
 少年は細い尻尾を振りながら手を合わせる。
 ライエストは少年に言われるまま、留め金を外して、檻を開けた。
「ひひひ、ばーか!」
 少年は檻から飛び出すと、獣のように両手両足で走り出した。
 …が。
「きゃいん! ぎゃああああッ!」
 数メートル走った所で、悲鳴を上げて止まった。
 ライエストはサージェイドと顔を合わせて、走り去ろうとした少年の所へ向かう。
「もう1回訊いていいか。何してんだ?」
「助けてください…。すっごく痛いです…」
 少年は虎バサミに左手を挟まれて涙目になっていた。
 獣のような少年を助けてやると、少年はその場に胡坐をかいて、血の出た左手首をぺろぺろ舐める。その血の色はやや紫色がかった赤色だった。
 ライエストは怪我が気になって、少年の前に座った。骨は折れてなさそうだった。
「助けてくれて、どーも。いやー、慌てて逃げて損しちまった。アンタも混血だよなァ?」
 少年はケラケラと笑いながら言う。
「何で分かったんだ?」
「だって、ほら」
 少年はいきなりライエストの角を掴んだ。
「放せよっ」
 ライエストは少年を押し返して、角を隠すように頭に手を当てる。
「オレのとは違うけど、角生えてんじゃん」
「……」
 ライエストは半眼で少年を睨む。どうやら、頭に巻いていた帯布がずれて見えていたらしい。すぐに巻き直す。
「ま、見てくれもそうだけどさ。オレ、鼻がいいんだぜ? だから分かっちゃうだよな。アンタは人間と……………トカゲ?」
「トカゲじゃない」
「え~? だってトカゲに似た匂いしてますよ?」
「……竜だし」
「ほら当たった! でっかいトカゲじゃーん!」
「だから、トカゲじゃない!」
 ライエストが反論すると、少年はヒラヒラと手を振った。
「冗談だっつの。怒るなって。な? 混血同士、仲良くしよーぜ。オレ、ルガルーってんだ。ヨロシクなー」
「……」
「無視するなよ!? ヒドーイ。礼儀知らずー」
 ルガルーと名乗った少年は、わざとらしく口を尖らせて拗ねた態度をとった。
「俺はライエスト、こっちはサージェイド」
 ライエストは早口で言った。ルガルー名乗った少年のこれまでの言動に少し腹が立っていたが、こういう奴なんだと諦めることにした。ルガルーの様子を探ると、微弱だけどピリリとした魔力と、狼の匂いが感じられた。
「ルガルーは何で檻に入ってたんだ?」
「訊きます? 美味しそうな兎が置いてあったんで、取ったらガシャーンって閉まっちまったってワケ。可哀想なオレ!」
 ライエストに尋ねられたルガルーは、大袈裟な身振り手振りで話す。
「動物用の罠に引っかかるなよ」
「それ言わないで、恥ずかしい…」
「お前も混血なんだろ? 犬の。だから捕まったのかと思った」
「犬ってオレのことかよ? ブッブー! はい残念ハズレー! 人狼でぇ~す!」
「人狼だって犬の親戚みたいなものだろ」
「さっきトカゲって言ったの根に持ってるね!? 謝りますよ、悪かったってば」
 ルガルーが耳を伏せて謝る。それを見てライエストは仕返しできたと満足した。
「ライエストさ、竜だろ? 竜って聞いたことあるけど、詳しく知らないんだよ。どんなやつ?」
 ルガルーは興味津々のようだった。
「んー。竜っていっても、いくつか種類があるな」
 ライエストは興味津々なルガルーに説明を続ける。
「ワイバーンとか応龍とかの飛竜系は、翼が大きくて空を飛ぶのが得意だな。ドラゴン系は、サージェイドみたいに体がしっかりしてて丈夫だぞ。飛べるのと飛べない種類がいる。雷龍とか水龍とかの龍系は蛇みたいに長い体に小さい手足が生えてる。魔法が使えるし賢いんだ」
「へー、そっかぁ。牛だと思ったけど、サージェイドってドラゴンか! 初めて見た!」
 ルガルーは目を輝かせてサージェイドを見る。サージェイドはそれに応えるように、その場でくるりと体を回して見せた。
「じゃあ、ライエストはどの竜の混血?」
「俺の先祖は、竜神様だな」
「竜神サマ?」
「竜たちを創った竜だって教えてもらった」
「それじゃあ、ライエストって王子サマじゃん」
「俺の村、みんなそうだぞ」
「じゃあ王族一家だ」
「何か…違う気がする…」
 ライエストは、食い入るように話してくるルガルーと会話する内に、何だかよく分からなくなって首を傾げる。
「ルガルーはさ。人狼だって言ったけど、ちょっと違うよな?」
 ピリリとした魔力は人間のものではないし、人狼に魔力は無い。それが不思議だった。
「あれ? 気づいちゃうかー。竜の血が騒ぐってやつですかい?」
「弱いけど、ピリピリした魔力を感じる。人間の魔力とは違う感じがする」
「ひひひ。もし当てられたら、いい子いい子して褒めてあげちゃいまーす!」
「いや、教えてくれよ」
 ふざけているルガルーに呆れて、ライエストは苦笑いする。
「オレはちょいとばかし複雑でさぁ…」
 ルガルーは足をバタバタさせて目を逸らす。
「昔でもないけど、悪魔と人間が恋に落ちました。生まれた娘は幸運にも生き延びました。やがて娘は人狼と人間の混血と結ばれました。はい、そしてオレ誕生! 混血と混血の混血! 類稀なる罪深い存在が生きてますよ! まさに奇跡! もちろん悪い方のなァ! ひゃはははっ!」
「悪魔ってほんとにいるのか?」
「そっちにツッコむのかよ。上位魔族の中に悪魔もいるんですよー?」
「あー、魔族か。だから血の色が…」
 ライエストはルガルーの血が少し紫っぽい色だった事に納得する。魔族の血は青色だと大人たちに教えてもらった。このピリリとした魔力は魔族のものだと覚えておこうと思った。
「悪魔って、悪いことするのか? この近くで村が焼けてたぞ」
「はいきた! 偏見! 悪魔って怖くて悪いコトするって思われてる!」
 ルガルーは待ってましたとばかりに手をパンっと叩いて、にやにやと笑う。
「悪魔ってのは、とぉ~っても優しいんだぜ? 甘~い言葉で人を惑わし、心の奥の欲や衝動を引き出してあげてんの! 人が抑えて隠そうとしてる欲求を外に出すお手伝い! な? いいヤツだろ? ま、その結果までは責任持ちませんケドね?」
 ケラケラと笑っていたルガルーは、急に表情を消して溜め息をする。
「村が焼けてんのは、オレのせいかもな」
「じゃあ、やっぱり…!」
「はいはい、オレが原因ですぅ~!」
 ライエストが疑いの眼差しを向けると、ルガルーは開き直って両手を大きく広げた。
「でもよ、言い訳させてくれよ! オレだってどんなに憎まれても疎まれても石投げられても、殺されるのはゴメンだ! アンタだって混血なんだから分かるだろ?」
「それは…」
「人間に捕まったら何されるか知ってるか? まず、逃げられないように手足の腱を切られる。叫び声が煩くないように舌を切られる。手足の爪を剥がされて、指を1本1本切られちまう。歯を全部抜かれて、耳は削がれる。目を潰されて、殴られる蹴られるの大盤振る舞い! 全く嬉しくないフルコース! 欲しくも無いおかわりも付いてるよ!」
「そ、そんなことされるのか…?」
 ライエストはルガルーの話に震え上がって自分の体を抱く。無意識にサージェイドに体を寄せた。
「怖いだろー? 怖いよなァ? でも村を焼いたのはオレじゃねーんだぜ? 村同士で争っちまってるんだ」
「どういうことだ?」
 事態が読めずに、ライエストはルガルーに説明を求めた。
「オレはこんな身の上だからな。当然、人間たちは放って置いてくれないワケですよ。オレってば人気者! そんでさ、ラム村とロム村っていう、それはそれは信仰心の強~い村があって、悪魔許すまじ!混血滅びろ!って躍起になってんの。神の使いの天使サマに褒めてもらうには、悪いヤツをコテンパンにしなきゃ!…ってな。で、俺はラム村に捕まっちまってさー。散々酷い目にあわされて殺される運命! オレってばピンチ! どうにかこうにか逃げ出したワケです。そしたらよ、ラム村の連中は隣り村のロム村が悪魔を連れ去ったんだって勘違いしちまったんだよ。ロム村の連中は悪魔を匿うなんて天使サマのご意向に背くワケねーだろ不名誉だコノヤロウって怒っちゃったのよ。ラム村もロム村も天使サマに褒めてもらいたい一心で必死になっちゃってさー。…で、争い始めちゃったんです」
 ルガルーは身振り手振りを交えて、他人事のように説明した。
「…それ、どうするんだよ…」
 事の大きさにライエストは青ざめる。
「天使ってどこにいるんだ? 天使に頼んで、争いを止めてもらおう」
 天使という存在は、以前に死神を怒らせたヘンリックが造った彫像を見たから、姿だけは知っている。
「アンタ、マジで言ってんの? 悪魔は魔界にいますけどね、天使がいるかどうかなんて分かんねーよ」
「え? じゃあ、その村の人たちは、どこにいるかも分からない天使を信じてるのか?」
「そーゆーコト」
「どうやって争いを止めればいいんだ…」
 途方に暮れるライエストを見て、ルガルーは詰まらなさそうに息を吐く。
「アンタさ、何でそんなに考えるの? ライエストの村じゃないじゃん」
「村が争ってると、この辺りの森の動物が逃げる。今、この森に誰もいなくなっちゃっただろ?」
「ライエストはこの森に住んでんのかよ?」
「俺は通りかかっただけ」
「じゃあ関係ない。部外者じゃん。さっさとここを離れようぜ?」
「このままじゃ、森の精霊だって困るだろ」
 ライエストの表情は段々と険しくなってきた。
「どうだっていーじゃん。人間が悪いんだし」
「ルガルーはどうするんだよ?」
「どうするも何も、オレは逃げますよ? 見つかったら今度こそ危ない。アンタには感謝してる。危うく動物用の罠でアホ丸出しで見つかっちまうところだったしな。じゃあな!」
 ルガルーは立ち上がって去ろうとする。
「おい、待てよ」
 ライエストはルガルーの腕を掴んだ。無意識に手に力が入る。
「獲物がいないと狩りができない。…俺は腹が減ってるんだ」
「はい?」
 急に様子が変わったライエストは目が据わっていた。ルガルーはその異変にぞっとした。
「俺は肉が喰いたくてイライラしてんだよッ…!」
「ラ、ライエスト…? アンタ穏和そうだけど、もしかして腹が減ると豹変するタイプ…?」
 ルガルーは背筋が寒くなって身を退く。
「クァ」
 サージェイドがライエストとルガルーの間に頭を入れる。
「あ…」
 ライエストは我に返って、ルガルーの手を放した。
「おー怖い。食われるかと思った」
 ルガルーがわざとらしく身震いする。
 ライエストは長い溜息をつく。が、次の瞬間、鋭い眼光で空を見上げ、弓を構えると間髪入れずに矢を放った。矢の刺さった白鳥が落ちてくる。
 ルガルーはその様子をぽかんと見ていた。
「いいこと思い付いた」
 と、ライエストは目を細めてルガルーを見た。
 
「おいおいウソだろ!? 今の流れでこんなコトします!?」
 焼け残った民家の柱に縛り付けられたルガルーは、大声で叫んでいた。
「ライエストさーん? 近くにいるんですよね!? オレのコト見捨てたりしないよな!? オレたち友達だろ!?」
 きょろきょろと辺りを見回すが、誰もいない。
「薄情者! 冷血! やっぱりトカゲだアンタ!!」
 遠くから人の騒めきが聞こえて、ルガルーは耳をぴんと立てた。
「ロム村の人、来ちゃったよ!? なぁ、聞いてる!? オレ見つかっちゃうじゃん!」
 村人たちはルガルーに気付いて近寄って来た。
「恨むぞ!? オレもうすぐ死ぬだろうけど、一生恨んでやるからな!?」
 ぞろぞろと集まって来た村人たちに囲まれて、ルガルーは足をバタバタとさせた。
「悪魔のやつ、何でこんな所に縛られてるんだ?」
「誰か、ラム村に知らせて来い」
「はいはい! 悪魔を裏切るような巨悪がいるんですよ! アンタらも気を付けたほうがいいぜ!」
 程なくしてラム村の人たちも集まり、辺りは騒然となる。ルガルーは縮こまりながらぎゃあぎゃあと文句を言い続けた。
「おい、何だあれ?」
 村人のひとりが、声を上げて空を指差す。
「白い牛が飛んできたぞ!」
「誰か乗ってる!」
 空から飛んで来たのは、サージェイドに乗ったライエストだった。その背中には真っ白な翼が見える。
 どよめく人々の真上を通り過ぎ、ルガルーが縛られている柱の上で滞空する。
「天使…だぞ」
「クォン!」
 ライエストはぼそっと呟くように言った。サージェイドが注目を集めるように鳴く。
「悪魔を捕まえたのは褒めるぞ。村のみんな、よく頑張ったな」
 棒読みで言うライエストに、ルガルーはぶふっと噴き出した。
 村人たちは慌てふためき、ひとり、またひとりと膝を折って頭を下げ始めた。
「でも、その悪魔は危ないから、俺が連れて帰る。お前たちはお互いに協力して村を直して、仲良く暮らすといいぞ。あと森の精霊に迷惑かけないようにな」
「クァ」
 サージェイドが尻尾の先でルガルーの縄を切ると、そのままルガルーに尻尾を巻きつけて拾い上げた。
「小麦作りも頑張って」
 そう言い残して、ライエストはルガルーを連れてサージェイドとこの場を去る。後ろから天使様だとはしゃぐ村人たちの声が聞こえてきて、ライエストは安堵した。
 村から十分離れた所で、森の中へ下りると、着地するなりルガルーは腹を抱えて大笑いした。
「ぎゃはははっ!! 何さっきの! 棒読み! 演技下手かよ! 腹痛ぇ!」
「仕方ないだろ、あんなことしたの初めてだし…」
 ライエストは顔を真っ赤にして俯いた。外套の下から天使の翼に見せていた白鳥を取り出すと、羽毛を毟り始める。
「白鳥の翼でも、村の人たちは信じたみたいだな。ルガルーも喰うか?」
「オレ、鳥は食べないんで、エンリョします。…それよりさー! 助けてくれるんだったら、最初からそう言えよな! オレ、ホントに泣いちゃうトコだったよ!?」
「ルガルーは演技が大袈裟になりそうだったし」
「はーい、オレもそう思いまーす!」
 ルガルーは肩を竦めて舌を出した。
 ライエストは白鳥の肉を焼きながら、ルガルーを見上げる。
「ルガルー、もしよかったら、俺の村に来ないか?」
「それ何の告白? プロポーズ? オレを嫁にしたいの? それとも嫁にされたいとか? 物好きにもほどがあるよね!?」
「そうじゃない。俺の村は山奥にあるから、人間は滅多に来ないんだ。だから安全だと思う」
「ああ、そーゆーコト…」
 ルガルーは頭を掻く。
「オレ悪魔ですよ? 狼に変身もできない人狼ですよ? 自覚は無くても周りに悪いコトさせちまうんだよ。命の恩人の故郷で悪さしたくないじゃん?」
「でも…」
「…分かるだろ? 独りでいた方が世の中のためなんだよ」
 ルガルーは薄く笑って、背中を向ける。
「ありがとよ。生きてたらまた会おうぜ、竜の王子サマ!」
 と、ルガルーは両手両足で走り出した。
 ライエストとサージェイドは、森の奥へ姿を消すルガルーを静かに見送った。
 
 
 
 
 
つづく


竜使いと白いドラゴン7 ~草の医者~

 頬を撫でる風がひんやりと冷たく気持ちいい。薄く広がる雲は双子の太陽の輪郭を優しく包んでいる。
 サージェイドの背に乗り空を駆けるライエストは、目を凝らして遠くの空を見回していた。
 空には鳥の群れや魔物が飛んでいる姿が見える。しかし飛竜の類いはいない。村から離れれば離れるほど、竜種を見かけなくなっている。人間たちも竜について全く知らない地域ばかりで、これではサージェイドの仲間を探すどころではない。全く進展が無いことに、ライエストは少しだけ不安だった。
 ふと、魔剣の青年の話を思い出す。
 竜たちの体の一部が取引されていること、心臓が不老不死の薬になること、人型の竜が存在すること。
 どれも本当の事だ。ただ、一部は正確な情報ではない。噂には歪曲や誇張、脚色が付き物。
 ライエストもワイバーンの翼の骨と龍の髭で作った弓を持っている。どちらも村で一緒に住んでいた竜だ。トゥルパ村では竜が死ぬと敬意をもってその死骸をもらっている。…肉は同族喰いになるため、森に還しているが。だから防具や装飾品などに使われているのは間違いないだろう。ライエスト自身も水龍の鱗が装飾品になると水龍を狩りに来た人間に会っている。
 次に、不老不死の薬。これはトゥルパ村の言い伝えにもある。毒性の強い洞窟ドラゴンかヒュドラの心臓だ。大昔にその薬を完成させたという人間がいたが、その薬を巡って大きな争いが起き、薬の製造方法の書物は灰に、薬は誰の口にも入ることなく紛失した。その薬が本当に不老不死の効力があったのかどうか、定かではない。
 そして最後の、人型の竜。これは言い逃れようもなく、自分たちのことだろう。体は殆ど人間だけど、魔力は竜種と同じだ。ただ、魔力の質は最高で、量は無尽蔵。つまり、魔法を使うなら常に全力で制限なく無限に使えるということになる。でもそれは、魔法が使えれば、の話。人間の体では、竜種の魔力を魔法として発動できないのだ。相棒となる竜を媒介して魔法を使うことも不可能ではないが、扱いが難しく、村では禁止されている。非常時の際に熟練された大人が使うことを許された。普通の人間よりも体が異常に丈夫なくらいで、村の数人くらいが遠くまで目が効いたり些細な予知夢を見たり、魔力を直接使って小さな火を熾せる。その程度でしかない。そういう訳で、上位魔族を屠れるというのは間違いになる。魔族なんて魔物よりもずっとずっと強いし、対話が可能だから話し合いで解決できることの方が多い。一部を除いて、魔族は戦闘狂ではない。
「!」
 ライエストは視界の端に急接近してくる影を捉えてサージェイドの真っ白な背を軽くたたく。
「サージェイド、グリフォンだ!」
 向かってくる影は、上半身と翼が鷲で下半身がライオンの中型魔物だった。
 今日の飯が決まったと、ライエストは心の中で喜んで弓を構えた。
 矢を引き狙いを定めるも、グリフォンは狙われているのを理解しているらしく右へ左へと変則的に飛び回り、襲い掛かるタイミングを伺っている。サージェイドはライエストが狙いやすいようにグリフォンの周りを大きく旋回し始めた。
 グリフォンの首に向かって矢を射るも、動き回るグリフォンの首を通り過ぎ後ろ足に刺さった。
 ギャアと大声で鳴いて、グリフォンは高く上昇した後、急降下してきた。
 ライエストは2本目の矢を構えようとしたが、グリフォンの接近が予想よりも速く、慌てて体を逸らしたが間に合わず。グリフォンの前足の爪に頭を引っ掻かれた。
「クァ!」
 ゴゴっと、嫌な音がした。頭蓋骨にまで爪が当たったんだと分かり、血の気が引く。
 頭の帯布が頭から外れて空の放り出されたのを咄嗟に掴んで、傷口を押さえた。
「いってぇ…」
 痛みに呻くが、すぐに息を整える。危なかった。サージェイドが方向を変えてくれたお陰で、目を奪われずに済んだ。
 心配そうにクルルと喉を鳴らすサージェイドに大丈夫だと伝えて、サージェイドの背に仰向けになった。両足の裏で弓を支える、右手で傷口を押さえたまま、左手で矢を引き絞る。
 ライエストに攻撃が当たったことに勢いを付けたグリフォンは、今度こそと、真っ直ぐに向かって来ていた。
 放った矢はグリフォンの首を貫き、グリフォンは藻掻きながら落ちていった。
「はーーー…」
 ライエストは体の力を抜いて、長く息を吐いた。
 食うためには殺さなきゃいけないし、殺すためには殺される覚悟が必要だ。命の食い合いは死ぬまで続く。
 サージェイドはグリフォンが落ちた川原へ向かう。グリフォンは落ちた時に岩に頭を打ち付けたらしく、絶命していた。
 川原に足を付けると、サージェイドはすぐさま頭を擦り寄せてきた。
「ありがとな。目に当たらなかったのはサージェイドのお陰だ」
「クゥ、クゥ」
「え? あー、大丈夫だって。これくらいの怪我、たまにやってるし。明日には治るから」
 そう、たまにやっている。それは自分が未熟だから、歯痒く感じる。怪我の方はと言うと、自分の体の頑丈さと回復の早さは村の大人たちが舌を巻くほどのものだから問題ない。
「クゥゥ…」
「ん? 痛いのは痛いぞ。でも、痛いのってさ、裏を返せば生きてるってことじゃん。痛くない体になったら、それはきっと、もう自分の体じゃないと思うんだよな」
 サージェイドの頭を優しく撫でようと伸ばした手が真っ赤に染まっているのに気づいて、手を引っ込めた。ズキズキと痛む頭を押さえながら苦笑い。
 すぐ近くに川があってよかった。川の水で頭の血を洗い流して、帯布を頭に巻き直す。火を熾そうと振り返ると、サージェイドが木の枝を何本か咥えて持ってきてくれた。
 綺麗になった手でサージェイドの頭を優しく撫でる。集めた枝に火を点けて、グリフォンを見る。頭を押さえていた手を離すと、布越しに染み出た血が手に付いていた。血が足りなくなる前に、食べて寝てしまいたい。
 グリフォンの血の匂いに誘われて、肉食獣たちが遠巻きに様子を見ている。どうせサージェイドと2人で食べきれないから、残った分はこの周辺の生き物に譲ろうと思っていた。
 小さいナイフでグリフォンを捌く。こんなに大きい相手を狩れたのは久しぶりだった。サージェイドには、一番美味いこの辺りの肉を…。
「キャーーーーー!!」
 川原一帯に響く叫び声。顔を上げて見回すと、髪の短い片眼鏡をかけた女が立っていた。
 女はわなわなと体を震わせ、手に持っていた草の入った袋を手から落とす。
「貴方…それは…」
「……」
 ライエストは硬直した。まさか人間が近くにいたとは気づかなかった。人間は魔物を食べない…魔剣の青年の言葉を思い出す。
 どうしたものかと、そろりそろりとグリフォンから離れた。
「動かないで!!」
 女は言うが早いか、物凄い勢いで駆け寄って来た。その表情は鬼気迫るものがある。
「把握しました。貴方は、たまたまここへ牛を連れて歩いていた。そこにどういう事情か分かりませんが、空から魔物が落ちてきて、貴方に当たった。途方に暮れているところに獣たちが集まってきてしまって立ち往生していた、と」
「ん?」
 ライエストは顔を顰めた。早口だったため、上手く聞き取れなかった。
「その血の量…頭に深い創傷がありますね!?」
「あ、あぁ…」
 ライエストは思い出したように傷口に手を近づける。
「むやみに触ってはいけません!!」
「っ…」
 またも怒鳴りつけられて、ライエストはびくりと手を止めた。
「…診せなさい」
「え?」
「診せなさい」
 もう一度、ただし今度はもっと強い口調で。
「私は怪しい者ではありません。ナティローズと申します。ナティで結構です。私は医者です。…正確にはまだ医者ではありませんが、未来の医者です」
「はぁ…」
 あまりに突然で、ライエストは生返事を返すのが精一杯だった。
「私の事は分かりましたね? 医者なので、貴方の怪我の治療をします」
 じりりと詰め寄るナティローズと名乗った女。伸ばされた手が頭の帯布に向かっていると知ると、ライエストは後退った。
 傷を診られることになってしまったら頭を探られる。角を見られる訳にはいかない。それ以前に、何か…怖い。
「何故、逃げるのです? 痛い思いをしているのでしょう? 治療し完治すれば痛みは無くなります」
 じりりと詰め寄られ、その度に後退り。互いの距離は一定のまま移動する2人。そんな2人を首を傾げて見詰めるサージェイド。
「さぁ、診せなさい」
「いや…ダメだけど」
「診せなさい。致命傷です」
「このままでも治るから…」
「それほどの大怪我を自然治癒に任せるのは大変危険です。失血死。運よく生き延びても感染症になるリスクがあります」
「ほんと、大丈夫だし」
「怪我人を目の前にして放って置くわけにはいきません。医者である以上、どんな手を使ってでも治療します。私は見返りなど求めません。これはただの善意です」
 がしっ。そんな音が聞こえるくらい、強く肩を掴まれた。とても女性のものとは思えない力で。
「では参りましょう。すぐ近くに私の研究小屋があります」
 次の瞬間には腕を掴まれて、ぐいぐいと引っ張られる。
「いいって! いいってば! 俺のことは放っておいて!」
 抵抗するも、ずりずりと引っ張られていく。
 サージェイドが楽しそうにぴょこぴょこと軽い足取りで後をついてくる。
「サージェイド、違う! 俺は遊んでるんじゃない。緊急事態だぞ!」
「クァ! クァ!」
 サージェイドの鼻先でつんつんと背中を押されながら、昼下がりの川原で強制連行。
 遠巻きにうろついていた獣たちは、主導権を握っていたライエストが居なくなったと知ると、我先にとグリフォンに食らい付く。
 俺も食べたかったなぁと、怨めしい目で遠くなっていくその光景を眺めた。
 
 川原から少し離れた草原に、ぽつんと丸太小屋があった。
「どうぞ、お入りください」
 ナティローズは言いながら、有無を言わさずライエストを家の中へ引きずり込んだ。
 丸太小屋の中は目を見張るほどの多種多様の草。ガラス瓶に詰めたもの、壁に干してあるもの、半開きの鍋の中にも草の類いが見える。それらの草のせいで、爽やかさとちょっと刺激のある青臭い香りが充満していた。
 引きずられた先のベッドに無理矢理うつ伏せに転がされて、ナティローズは再び頭の帯布に手を伸ばしてきた。
 ライエストはその手を掴んで頭から遠ざけた。
「頼むから…触るな…!」
 低い声で、半分は脅すつもりで言った。
「そこまで頑なになるのは、どういう理由ですか? 死にたいのですか?」
 ナティローズは表情を変えず、静かに問う。
「そういう訳じゃない。誰だって嫌なこっあーッ!」
 理由を聞かれたから答えようとしたのに、最後まで言わせてもらえなかった。ナティローズにもう片方の手で素早く頭の帯布を取り上げられた。
「酷い…」
 咄嗟に両手で角を隠す。
「あなたの意思は分かりました。私はその意思を尊重します」
「俺の気持ち、分かった…?」
「はい。死にたいわけではない。それが分かれば十分です。治療します」
 あ、これ、話が通じない人だ…と、ライエストは戦慄した。この手のタイプは思い込みが激しく、人の話を聞いているようで聞いていないか都合のいいように解釈する。
 角を隠したまま起き上がろうとすると、すかさず押さえつけられた。
「血色が悪いです。悲報ですが、輸血用の血を切らしています。絶対安静を徹底してください」
「いやぁ…その…」
 何とか言い訳をしてこの場から逃げ出そうと考えを巡らせる。血の足りない頭は難しい思考を阻害して、何も思いつかない。
 ナティローズは手際よく何かの準備をしている。
「いてっ」
 自分の腕が死角になって見えなかったが、腕に小さく深い痛みを感じた。何をされたのか分からず、恐る恐るナティローズの顔を伺う。
 ナティローズはただ静かにライエストの顔を見ていた。
「どうやら、普通のものでは、貴方には効力が無いようですね。もっと強力なものにしてみましょう」
 再び腕がちくりと痛む。正体不明の痛みは、強い痛みよりも恐怖を覚える。数秒もせず、痛みのあった腕がじりじり痺れて力が入らなくなった。それは徐々に全身に広がり、頭がぼんやりとする。
 不安と恐怖と不満。そういう気持ちで睨むようにナティローズを見上げると。ナティローズはう~んと首を傾げていた。
「俺に、何…したんだ…?」
「麻酔です。おかしいですね。まだ意識があるとは。仕方ありません、このまま施術に入ります。死ぬほど痛いかもしれませんが、死を回避するためです。我慢してください」
 力の入らない手なんて、あっさりと角から離された。混血だなんて知られたら絶対殺される。
「…なるほど、把握しました」
 ナティローズは静かに、悟ったように呟いた。
「貴方は魔族ですね」
「え?」
「魔族は血縁関係を尊びますが、それ以上に上下関係には厳しい。こんな小さな角では、さぞ辛い目に遭ってきたのでしょう。奴隷のように扱き使われ、意味のない虐待を受け、多くの罵詈雑言を浴びせられ、命からがら逃げだしたのですね」
「いや、違うけど…」
「安心なさい。医療の前では全ての生き物はみな等しく治療を受ける権利があります。貴方の出生や身分など関係ありません。それに…」
 雄弁に語るナティローズの話を、ライエストは遠く冷めたように聞いていた。その言葉、混血の相手にも言えるのか。とはいえ、ナティローズが勘違いしてくれたことは助かった。このまま、魔族の端くれの振りをしよう。
「私は過去に魔族も治療をしたことがあります。安心してください」
 ナティローズはピンセットに曲がった針を挟んで近づく。何それ、何に使うの…と言おうと口を開いた瞬間。
「いてぇ!!」
 頭にじくっとした痛み。その後もじくりじくりと頭の痛みは続く。
「痛い痛い! やめろ、痛い!」
「死ぬよりはマシです」
「やだやめて、ほんと痛いからっ! いだだッ!」
 何とか全身に力を込めて、必死に抵抗する。
「動かないで。手元が狂って適正ではない箇所を縫ってしまいます」
どすっと背中に肘鉄をお見舞いされた。息が詰まって、がふっと咽る。こちらの様子などお構いなしに乱暴な処置は続く。
「ギャアァッ!!」
 あまりの痛さに堪え切れず、人間の喉からは絶対出ない竜の声を出してしまった。俺ってこんな鳴き声だったんだ…と、思考の片隅で思う。恥ずかしくて顔が熱くなった。トゥルパ村では生まれた産声は竜の声だ。物心つくまでは時々その声を出すが、言葉を覚えれば鳴くことは無くなる。こんな声を出してるのを村の皆に知られたら、絶対に笑われる。
 苦痛に本能が警鐘を鳴らす。痛みの元凶に牙を突き立て爪で引き裂きたい衝動を必死で抑える。楽になりたい本能と人間を傷付けたくない理性が鬩ぎ合って頭が混乱する。このまま本能に任せてしまえば、きっとこの動かない体も動かせるはずなのに。
「あなたは大人しいですね。この大型魔物用の麻酔が少しは効いているのでしょうけど。この麻酔が無かった時に治療をした魔物は私を敵視して、噛み付いたり引っ掻かれました。それは酷い暴れようでした」
 いや、それ、今俺もやりたくなってる…と、痛覚に呻きながら思う。両手で口を押えても、一度出てしまったその後は耐えることを忘れてしまい、何度か甲高い鳴き声で叫んでしまった。
 …やがて。
「完璧です」
 あまり感情が読み取れないナティローズの声に、達成感が含まれていた。
 するすると頭に包帯を巻かれて、ナティローズが離れていくのが分かると肺の底から息を吐いた。痛いのを治すのに、どうしてもっと痛い目に遭わされなければいけないのか。
「…ガァ…」
 ライエストはナティローズに向けて文句を言ったつもりだった。…が、出たのは低い鳴き声だった。これはダメだ。体が落ち着くまで、もう黙っていよう。
「麻酔が完全に抜けるまで数日かかるかもしれません。貴方に使った麻酔は初めて使用したので。眠ったほうがいいですね」
 がすっ。首筋に手刀が振り下ろされる。
 何でこんなに乱暴されてるんだろう俺…と、沈む意識の中で思った。
 
 
 
 体が重い。指先は少し動くくらいで、握れるほどの力までは出せず。まだ開くのを拒否する目蓋を諦めて、ラエストは耳を澄ました。
 ぐつぐつと煮沸の音がする。かさかさと…多分、草の擦れる音。もう慣れてしまったけど、青臭い草の香りがする。あー、そうだ。よく分からないけど酷い目に遭わされたんだった。身の毛の弥立つ恐ろしい記憶が蘇って体が竦む。
 頭の怪我の痛みは完全に無くなっていた。乱暴混じりの治療は、確かに意味があったらしい。乱暴な部分は無くても良かった気がするが。
 ようやく目を開けると、ランプの火に照らされたナティローズの横顔が見えた。机に向かい、真剣な面持ちで草を潰している。瓶に詰めたり、瓶に詰まった草を取り出して混ぜたり、煮立った鍋に草を入れたり。ひとつ何かをすればその度に羽ペンを手に持ち、紙の上にペン先を滑らせていく。
 正直、この人間に会わなければ必要以上に血を失わなかっただろうし、傷の痛みは残っただろうけど体はいつも通りに動かせたはずだ。けれど、言動はめちゃくちゃだけど、ナティローズからは至って真剣で直向きに治療をして助けたいという純粋な精神が感じられた。それはとても高尚なもので。…心に溢れる誠意と良心に乱暴が添えられてしまっているのが玉に瑕だが。
 力の入らない体に鞭打って身を起こそうとすると、ナティローズがこちらに気付いた。
「目が覚めましたか。まだ無理に動かないほうがいいです」
「…サージェイドは…?」
「貴方の牛のことですね。蝶々を追いかけて遊んでいたり、貴方に寄り添うように外の壁にくっついて寝ていましたよ」
 ライエストはサージェイドの状況を知って安心した。
「薬を作ったので、飲んでください」
「……」
 差し出されたカップを見て、ライエストは絶句した。
 これでもかというほど神経を逆撫で不快にさせる色、なにものも近づかせんと放つ異臭。この世が何故こんなものの存在を許したのか疑いたくなる、おぞましい何かだった。
「まだ体が動かないでしょう。飲ませてあげます。口を開けてください」
 開けるはずがない。これは断固拒否しなければならない。痛いのとは違う意味で命が危ない。
 口を噤んで顔を背ける。これが今の自分に出来る限界なわけで、この治療に熱心な人間の前では何の抵抗にもならなかった。
 しっかりと頭を固定され、あっさりと口をこじ開けられる。ここまで開けられてしまったら、入り込んできた指を牙で噛んでしまわないように力を加減するしかなかった。
 想像通り…いや、それ以上の地獄だった。表現ができない、筆舌に尽くし難い、完全に思考を停止させられる。いっそ気を失ったほうが楽になれるやつだ。
 ナティローズはぐったりと沈黙したライエストを見て満足気に頷くと、再び机に向かって草を弄り始めた。
 ライエストはその様子を薄く開いた横目で眺める。あんなに様々な草を潰して、何をしているのか。
「その草…」
 見覚えのある草を摘まんでいるのを見て、ライエストは呟いた。
「これですか? 最近調べ始めたばかりの草です」
 ナティローズは草をもって近づいて来た。
「その草、俺の村では磨り潰したやつを頭に乗せるんだ、熱が出た時に。冷たいから気持ちいいぞ。熱が酷い時は煮汁を冷まして飲む。味は変だけど」
「本当ですか? …なるほど、解熱効果があるのですね」
 ナティローズの感情に乏しい表情が明るくなる。
「他に、知っているのはありますか?」
 いそいそと草を並べて見せてくる。
「それと、これ。こっちは怪我した時に葉を貼っておくと血が固まるのが早くなる。そっちは茎を噛んでると腹痛が治る。でも葉っぱは舌が痛くなるから気を付けたほうがいいぞ」
 ライエストの話に、ナティローズは流れるように羽ペンを動かしていく。
「貴方の故郷では薬学に明るいんですか?」
「さぁ? 大人たちが教えてくれたんだ。んー…この中で、他の草は知らないな」
「ありがとうございます。私の研究が大きく飛躍できました。1種類の草の効果を調べるのに数か月…長くて数年はかかってしまうんです。貴方を助けたはずが…助けられたのは私の方ですね」
 羽ペンを走らせ終わり、その紙を宝物のように大切に両手で包む。
「私はどんな怪我や病気も治せると信じています。今はまだ治せない病気も、いつか必ず…。それが私の夢であり、医者の務めです」
 薄く微笑むナティローズの笑顔は、強い意志を秘めていた。
「そういえば、貴方の名前を聞いていませんでしたね。改めて自己紹介します。私はナティローズです。ナティと呼んでいただいて構いません」
「俺はライエストだ。……あの、さ。ナティ」
 ライエストは遠慮がちにナティローズに声を掛ける。ナティローズが医者であるのなら、病気に詳しいのなら。
「その…人が別の生き物になる病気って、知ってるか?」
 竜返り。トゥルパ村にある不治の病。もしこれを治す方法を知っていれば。
「別の生き物…ですか。具体的にはどのような状態ですか?」
「あー…」
 ライエストは呻いた。人間の姿をした竜の混血がある日突然竜の体になる…なんて、口が裂けても言えない。
「ええと…。人間でいえば…。猿…かな…」
 ちょっと違う気がするが、それ以外に思い付かなかった。
「先天性であれば、猿のように毛深い人や尻尾のようなものが生えている人は極稀にいますが、病気ではありません。生まれながらのものです。他の生き物になるというのは…そうですね、人狼に噛まれると人狼になることがあると聞いたことがあります。吸血鬼に噛まれると吸血鬼にされてしまいます。魔物や魔族が仲間を増やす行為なので、病気ではなく呪いです。残念ながら、医学では呪いは解けません」
「そっか…」
 ライエストは目を伏せた。
「貴方の求める回答ができず、申し訳ありません」
「あ、いや、いいんだ。ちょっと聞いてみたかっただけだし」
 慌てて笑顔を向ける。ただの冗談話にしてくれればいい。
「もしかしたら、貴方が求める回答は書庫の国にあるかもしれません」
「書庫の国…!」
 その国の名前を聞いて、ライエストは目を大きくした。バーシルが昔話していた、世界中の様々な知識の本を集めた国があると。
「ええ。ここからですと、南の方角になります。いくつか国を通過しなければいけない遠い場所ですが」
「南か。分かった。ありがとな!」
「お役に立てて光栄です」
 お礼を言うと、ナティローズは柔らかな笑顔を浮かべた。
 
 
 
 太陽が昇る前に目が覚めたライエストは、ベッドから起き上がった。ぎゅっと手を握る。もう体はいつも通りに動くし、痛みも不調も無い。頭の包帯をとって、巻き慣れた帯布を巻く。
 机を見ると、ナティローズは机の上に伏せ、小さな寝息を立てて眠っていた。ここに来て3日間、ナティローズが夜明けまでずっと草を調べていたのを知っている。ここまで頑張る彼女は、本当にすごいと思う。
 毛布をナティローズの背中に掛けて、草ばかりの部屋の中を見回す。瓶に入った乾燥した草に、見せられなかったけど知っている草がいくつか見つかった。羽ペンと紙を拝借して、草の効果を書く。へろへろした文字になってしまったが、文字は合ってるはず。小さい頃、大人たちにさんざん教え込まれたのが役に立った。そして紙の最後には“世話になった、ありがとう”と書き綴る。
「きっと、いい医者になれるぞ」
そう囁いて、丸太小屋を出た。
 
 
 
 
 
つづく


竜使いと白いドラゴン6 ~魔剣~

「なんだ? なんだ?」
 ただならぬ様子に、ライエストはたどたどしく辺りを見回す。日が暮れかかったころに森を抜けて小さな村にたどり着いたはいいが、村全体が何やら騒がしい。
「少年、どこから来たんだ? 早くこの村から離れるんだ!」
 ライエストに気付いた村人が、声を掛けてきた。
「なんかあったのか?」
 状況が分からないライエストは、のん気に村を見回しているサージェイドの首を撫でながら訊いてみた。
「魔物の群集がこの村に迫ってきているんだ! 命が惜しかったら、早く逃げるんだよ!」
 大声で言い残して、村人は走り去る。
「ええ…」
 ライエストは口を引き攣らせた。
 魔物はとても強い生き物で凶暴だ。しかもそれが群集になっているだなんて。
 村は逃げる準備をする女子供と、戦おうと準備をしている男たちが慌ただしく動いていた。
 ライエストは村に生えていた木に登り遠くを見回すと、確かに遠くに大小さまざまな何かが見える。蠢きながら少しずつ近づいていて、夜明け前にはこの村に到達しそうだった。
「数が多いな…」
 ライエストは呟いた。村の端に集まり武器の準備をしている男たちの様子を見て、あの数の魔物相手ではこの村の規模の戦力ではかなり厳しい戦いになると容易に予想が付いた。この村が自分の故郷にようにドラゴンと一緒に暮らしている村だったら、あれくらいの魔物の数は簡単なのに…と心の片隅で思った。
「あ、いたいた! そこの君!」
 木の下から声を掛けられて見下ろすと、男が手を振っていた。
 何の用かと木から下りると、男はライエストを見ながら興奮した様子でサージェイドを指差した。
「君、この白い馬は、ペガサスだろう!?」
「馬じゃない」
「君がこの馬に乗って飛びながらここへ向かってくるのを見ていたんだ! ペガサスに間違いない、本で見たことがある! ほら、翼だって生えてるし!」
「だから、馬じゃない」
「頼む! 君の馬なら飛べるから、山を3つ越えたところの川沿いにある鍛冶屋まで行ってくれないか!? この村の危機なんだ!」
「馬じゃないけど、村が大変そうだから話は聞くぞ」
 ライエストは馬ではないと否定しても全く聞く耳持たない男に諦めて、説明を促した。
 男は息を切らしながらこくこくと頷く。
「そこの鍛冶屋には伝説の剣がある。その剣を作った子孫がいるはずなんだ。伝説の剣を借りてきてくれないか!? 君の馬なら山を越えられるだろう? もう時間が無いんだ!」
「時間があまり無いのはすぐ分かったから、手伝うぞ」
 深く頭を下げる男に、ライエストは小刻みに首を縦に振った。
「あの魔物たちの動きだと、ここまで来るには夜明け前くらいになるはずだ。それまでに伝説の剣ってのを借りて戦う準備を済ませればいいんだな? 借りるのは剣だけでいいのか? この村に魔力を使える人間はいるのか?」
 ライエストは男を落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で尋ねてみた。
「魔力…? 魔導士様のことかい? そんな偉い人はこの村にはいないよ」
「え! 剣とか弓矢だけで戦うつもりなのか!? 絶対無理! あの魔物の数が半分でも無理! その伝説の剣ってのがどんな剣なのか知らないけど、あの数は追い返せないと思うぞ」
「…君は戦いの訓練でも受けていたのかい? 詳しそうだが…」
「普通に狩りしながら魔物と戦ってたら分かるぞ」
「狩り? この村は牧畜が盛んだから…狩りはしないんだよ…。たまに来る魔物も小型のが2匹程度だったから、牧羊犬らで追う払っていたくらいだし…」
「そう…なのか…」
 話を聞けば聞くほど、この村の未来が見えなくなっていく。時間も無いことだし、考えているよりも行動したほうが良さそうだった。
「と、とにかくさ、その伝説の剣ってのを借りてくる。山3つ越えた川のとこだな?」
 確認するように男に聞きながらライエストはサージェイドの背に乗る。
「サージェイド、村まで飛んできてくれたばかりだけど、まだ飛べるか?」
「クァ」
「疲れてるだろうけど、悪いな、頼むぞ」
ライエストの言葉と同時に、サージェイドは骨組みのような翼を大きく広げ、純白の羽毛の翼に変えた。
 
 
 
 村の男の説明の通り、切り立った山越えると渓谷があり、川沿いに小さな家が見えた。正直なところ、山は5つ越えた。3つだと言っていたけれど実際は違っていたらしい。ここまで来るのに思っていた以上に時間がかかってしまった。もう双子の太陽が地平線に沈んで結構な時間が経っている。
 そこには確かに小さな家があったが、とても鍛冶をしているような家には見えなかった。それどころか、人が住んでいるとは到底思えないほど、ぼろぼろになった家だった。日が暮れたというのに、明かりも点いていない。
「この家でいいのかなぁ…。絶対違う気がするけどなぁ…」
 不安に耐え切れず声を漏らしながら、ライエストは小さな家に近づく。家の前には、苔とキノコの生えた薪の束が散らばっていた。長い間誰も住んでいない雰囲気しか漂っていない。
 隙間の空いた扉を開く。ぎぎぎと酷い音を立てながら扉が開いた。
 家の中は思った通りに埃と静寂しか無かった。殆ど残っていない屋根から月明りが注いでいる。
「む…こんな所に子供が来るとは」
「わあ!!」
 突然の声にライエストは大声をあげた。全く気配が無くて気付かなかったが奥に人影があった。
 人影が立ち上がって少しだけ近づいて来る。月明りの下、細身で背の高い、端正な顔立ちの青年が立っていた。鉄でできてるのかと思うくらい硬そうな髪が鏡のように光を反射していて、嫌に印象的だった。
 青年はやや鋭さのある目線で、ライエストを不思議そうに見つめる。
「何の用だ? 迷子か?」
「あ、いや…ここに伝説の剣を作った鍛冶屋の子孫が居るって聞いたんだ。村が魔物の群に襲われそうになっていて…だから、剣を貸してほしい、と」
「……」
 ライエストの説明に、青年は呆然とした表情を浮かべる。少し間を置いて、再び鋭い目線をライエストに向けた。
「ここは鍛冶屋ではない」
「やっぱり…そうなのか…。じゃあ、この辺に鍛冶屋は…」
「無い」
 感情の無い言葉を返されて、ライエストはそれ以上何も言えなかった。
 言葉を続けられないライエストを見て、青年は口を開く。
「人の噂というものは尾ひれが付いたり間違った情報が伝わると聞いていたが、本当のようだ。残念だが、君が求める鍛冶屋の子孫は存在しないし、伝説の剣も無い」
 青年はライエストに背中を向けて深く長い溜息をした後、振り返った。
「だが、魔剣ならある…」
 青年はちらりと崩れかけた家の隙間から外を一瞥した。その仕草を見逃さなかったライエストはその視線の先へ目を遣る。盛り土の上に石が置いてあり、恐らく誰かの墓であろうと予想できた。
「持ち主は5年ほど前に死んでしまったが」
 ライエストの視線に気づいた青年は、先に答えを口にした。
「魔剣は元々魔剣だったわけではない。持ち主は正義感の強い戦士だった。人々に害を成す魔物を倒し国を守っていた」
 青年が昔を思い出すように目を細める。
「だが、その剣は多くの魔物を倒してきたせいで、魔物の恨みが積み重なり魔剣になった。魔剣は国を滅ぼすという言い伝えがあった国は、当然のようにその戦士を魔剣と共に処刑しようとした。戦士は魔剣とこの山へ逃れ、静かに暮らし生涯を閉じた。…ここにあるのは、無銘の剣だった名も無き魔剣だ」
 青年は唇を噛みしめ、拳を握り、悔しそうに話を続ける。
「少年よ、君はどう思う? 魔剣であっても、人は救えるだろうか?」
「え…」
 突然の問いかけに、ライエストは目をぱちくりと大きくした。
「私に名乗れる名は無いが…君の名前は?」
「ライエストだ」
「ライエストよ、君がここに来たのは誰かの命令か? 神の導きか? あるいは悪魔の囁きか? それとも奇跡を起こす概念か?」
 冗談なのか本気なのか分からない問いかけだったが、青年は大真面目のようだった。
「困ってる人がいたら、助けるのは当然だろ? 理由が欲しいなら、後から考えればいい」
 青年の問いかけの意味は分からなかったが、ライエストは自分の意見を率直に述べた。
 ライエストの言葉に、青年は何かを思い出したように目を開き、そして強い意志を秘めた微笑みを浮かべる。
「我が主も、そんなことを言ってくれる人だった」
 長く在ったわだかまりが解けたたように、青年はその顔を晴れやかな表情に変えた。
「ライエストよ、村へ案内してくれ。その魔物の群、私が撃退する」
 青年はライエストのすぐ近くへ寄りながら、急かすように言った。
「いいのか? 魔物の数は多いぞ」
 と、ライエストは一応念を押した。とはいえ、村の男が言っていた伝説の剣が無いとなると、この青年が加勢してくれるのは助かる。村の男たちよりは鍛えていそうな体付きだったし、魔剣というのが伝説の剣の代わりになってくれるかもしれない。
「あぁ。魔剣であっても人を守れると証明したい」
「すぐ行けるのか? 準備とか…それに、剣は…?」
 手ぶらの青年を見て、ライエストは首を傾げる。家の中には武器になりそうなものすら見当たらない。
 すると青年は左手を挙げる。掲げられた拳が一瞬だけ青白く光り、長い剣身になった。
「魔剣は、私だ」
 
 ライエストは魔剣の青年と共にサージェイドの背に乗り、夜空へ飛び上がった。
 家が廃れていたのは、この青年が剣だから人間と同じように生活しなくていい体だからだったからだと理解した。持ち主を亡くして、ひとりで何をしていいのかも分からず、長い年月を過ごしてきたのだろう。
 まさか本当だったなんて…と、ライエストは青年の存在を背に感じながら思った。物に魂が宿って神格化するというのは、ライエストの村の伝承にもあった。でも、動物や植物に精霊が宿ることは信じていても、物に魂が宿るのは信じていなかった。ただの昔話だと思っていた。
 月の位置は天高く、夜明けまでの時間が短いことを報せていた。
 
 
 
「本当にひとりで、大丈夫なのか?」
 ライエストは青年の指示に従い、魔物の群集の目の前で青年を降ろした。魔物の群集はもうすぐそこまで来ている。
「我が主は百戦錬磨の剣聖。私は無銘の剣だが、誇り高き我が主の心。決して折れず、敗北は無い」
 一切の迷いのない言葉。それは自信の表れであり、自身の顕れでもあった。
「…私に、この村を守らせてくれ」
 振り返る青年の表情はとても柔らかで。
 その宣言通り、魔剣の青年は無傷で魔物たちを次々と倒し、敵わぬと知った魔物の群集は退散を始めた。
 月明りに舞うように手の剣を振るい、その度に月の光を美しく反射させる。間合いの届かない魔物に対しては、魔力で構成した剣を空間に出現させて飛ばしていた。剣身は魔物の血すら付かず、とても魔剣とは呼べない美しいものだった。
 魔物の姿が遠くに去って行くと、村人たちは一斉に青年に駆け寄って来た。口々に「剣の神様」だと言いながら。
「私が剣の神様だと…? 私は魔剣なんだが…」
 青年は驚いた様子で人々を見回す。
「魔剣だなんて、とんでもない! 貴方様のような強い神様にこの村を救っていただけて、本当に、本当に感謝しかありません!」
 村長が頭を下げる。村の子供たちが青年の頭にたくさんの感謝の花輪を乗せた。
 魔剣の青年は、ゆっくりと息を吐きながら肩の力を抜いていく。うっすらと涙の浮かんだ目をぎゅっと閉じた。
「我が主よ、私は人々を守れましたか? かつての貴方のように振舞えましたか? 魔剣に堕ちたこの身であれど、人々に笑顔を向けられ感謝されることが許されました…」
 夜の明ける空を見上げて、名も無き魔剣は祈るように呟いた。
 
 
 
 眩しいくらい澄んだ空。双子の太陽が世界を照らしている。
 ひゅうと空を切る音、鈍い音と、草の潰れる音。
 それらが遠くから聞こえて、ライエストは弓を降ろした。
「やった…! 見たか、サージェイド。一発で仕留めたぞ!」
「クァ!」
 嬉しそうにぴょこぴょこと飛び跳ねるサージェイドと一緒に、矢の当たった場所へ向かう。蛇の尻尾を生やした大きな鶏が倒れているのを見て、ライエストは握り拳に力を入れた。
「よし、食うぞ! サージェイドは蛇のとこと鳥のとこ、どっちがいい?」
「クゥ?」
「ん? ああ、そうだよな。どっちも半分ずつにすればいっか」
 ライエストは慣れた手つきで獲物を捌き始める。肉を焼き始めて間もなく、足音が近づいて来た。
「ここにいたのか」
 見上げると、魔剣の青年が立っていた。
「剣の神様。いいとこに来たな。食うか?」
「そ、その呼び方はやめてくれ。…鞘があったら入りたくなる…」
 魔剣の青年は、ほんの少し頬を赤くして目を逸らした。
「まだ頭に花ついてるぞ」
「む?」
 魔剣の青年はわしゃわしゃと髪を探り、はらりと花びらが落ちたのを確認すると手を下げた。
「魔物の残りが居ないか探していたんだが、ライエストが退治してくれたようだな」
「腹が減ってたんだ。コカトリスは殆ど鶏肉と同じだけど、尻尾の皮が焼くとパリパリして美味いんだ」
「私は食事を必要としない…が…」
 魔剣の青年は何か言いたげな様子でライエストを見る。
「ん? 食べてみるか? このあたりが一番美味いぞ」
「いいや…ライエストは、魔物を食べるんだな。コカトリスは猛毒を持っているし、人間は魔物を食べないはずたが…」
「…………」
「…………」
 お互いに気まずい沈黙が続いた。
 肉を焼くライエストの手は誰が見ても明らかに震えていて、がちがちに固まった表情で一点を見詰めていた。
 ドラゴンの血が混ざった自分には毒が全く効かないから知らなかった。コカトリスの毒は人間にとっては猛毒らしい。
「…もしや、触れてはいけなかったことだったか? 私は元々剣だったから…人との接し方がまだよく分からなくてな。気に障ることを言ってしまったのなら、すまない」
「ダイジョーブデス…」
 大丈夫ではない声しか出なかった。
 魔剣の青年は申し訳なさそうに肩を竦める。
「話題を変えようか。君の村は良い牧畜をしているな。規模は大きいのにどの動物もとても元気だ」
「この村は俺の村じゃない」
「む? どういうことだ?」
「通りかかっただけ。昨日初めて来たんだ」
 ライエストの話を聞いて、魔剣の青年は目を大きく開いた。
「君は大した奴だな。見ず知らずの村人たちのために、村を救ったのか」
「村を救ったのは剣の神様だろ?」
「その呼び方…。…いいや、そういう意味ではなくて…」
「みんな無事だったんだし、いいじゃん?」
 そう言うと、魔剣の青年はくすくすと笑いながら「そうだな」と言葉を返した。
「通りかかったということは、君は馬と一緒にどこかへ行く目的でも?」
「馬じゃないけど…。探し物してる。見つけたら村に帰るつもりだ。…なぁ、ドラゴンって知ってるか?」
 肉を食べ終わってすやすやと寝ているサージェイドの鬣を撫でながら、ライエストは魔剣の青年に訊いてみた。
「ドラゴンだと?」
 魔剣の青年は腕を組み深く思考を巡らせる。程なくして「あぁ」と声を上げた。
「知ってるのか!?」
 ライエストは身を乗り出した。
「主と旅をしていた当時、私はただの剣だったから、いささか記憶に自信は無いが…。主と酒場で居合わせた男が話していた。多くの竜種がいて魔物よりも強く、肉は大変美味で骨は頑強な防具になる、と」
「…う、うん…」
「爪や牙は強力な武器になり、角や鱗は美しい装飾品になるらしいな。何より驚いたのは、特定の種のドラゴンの心臓からは不老不死の薬が作れるという話だった」
「……はい…」
「我が主も、いつかはドラゴンを討伐したいと言っていた。その思いは私が受け継いでいこうと思う」
「………そう…」
「あぁ、それと…。伝説には人型をしていて上位魔族すらも容易く屠るほど強い種がいるらしいな。この世の悪を全て集めた呪われた血だとか…」
「…………………」
 乗り出した身が無意識に引いていった。
「む? どうした? 気分が悪いのか?」
「…ダイジョーブ…デス…」
ライエストは震える手で頭の帯布を掴み、角が見えないように頭を抱える。
その後も、魔剣の青年は旅先の様々な話をしてくれたが、どの話も頭に入ってこなかった。
 
 
 
 見たことのない大きな建物がたくさん並んだ、大きな国。
 それを高い塔の上から眺めていた。
 ここ、どこだ?
 と、呟く自分の声は、声と言うより、低く唸るような鳴き声だった。
 異変を感じて自分の手を見ると、青灰色の鱗に包まれ鋭い爪の生えた手が視界に入る。まさかと思い手を握ったり開いたりするが、自分の意志通りに動くそれは間違いなく自分の手で。顔に手を当てれば明らかに鼻が長く、口に触れれば長い牙が生え揃っているのがすぐに分かった。
 何が起きているのか分からず、自分の体を見回すと、人間の姿ではなかった。長い首は容易に自分の背を見ることができて、形状の異なる3対の大きな翼があり、太く長い尻尾はしなやかに伸びて建物の下まで垂れていた。
 この姿は…。
「撃て!!」
 勇ましい女性の声が響き、反射的に自分はその場から飛び上がった。自分のいた塔の屋根に砲弾が当たり、崩れた塔は近くの建物を巻き込んで倒壊していく。
「第二波、構えよ!!」
 再び声がして、声の方へ顔を向けると、鎧を身に付けた女性が城壁の上からこちらを睨みつけ、大砲を構えるたくさんの兵士を指揮していた。
 敵だ。喰らえ、殺せ。
 自分が考えるよりも先に、そう思っていた。
 長く頑丈な尻尾は雨のように降り注ぐ無数の砲弾を叩き落とし、3対の翼は矢よりも速い飛行を可能とし、体に溢れる魔力は自制できないほど力を滾らせていた。
 城壁に体当たりするようにぶつかり、兵士たちは崩れた壁と共に地面に叩きつけられる。
 悲鳴と、罵声と、怒声。一瞬にして、地獄のような光景に変わった。
 空を震わせ、地が割れんばかりの咆哮を上げたのが自分だと気づいた瞬間、辺りに巨大な立体魔法陣が形成された。その規模は加減を一切許さない、暴走に近いのではと思う程のもので。様々な色に輝く魔法陣の模様は自分の体から膨大な魔力を複雑に組み上げ、物理世界に影響を及ぼす魔法に変換していく。
「この世の全ての悪たらん呪い子め!! 絶対に許さん!!」
 鎧を身に纏った女性は、頭から血を流しながら憎しみが込められた激昂の目で睨みつけていた。
 おい、やめろ…。
 自分ではそう思っていても、すでに完成された魔法は自分の意思に反し、女性に向かって放たれた。
 
「……」
 ライエストは、全力で走った後のような心臓で浅い呼吸をしながら、目が覚めた。体は疲れ切ったように怠くて、頭は霧の中にいるようにぼんやりとしている。
 ぺたぺたと自分の顔を触る。鱗は無い。口元に指をやると、普通の人間よりは鋭いが犬歯だと言い張れる大きさで。頭と腰を探ると、角はいつも通りの小ささで、尻尾は切り落とされた付け根の跡だけだった。
「あー…」
 項垂れるように息を漏らし、寝返りを打つ。
 良かったと、安心した。自分の村では体の一部が竜種になっている人が何人かはいるけど、自分はどうも他の人よりもその部分が多い気がする。食べる物もパンや野菜果物よりも、自然に肉ばかり食べていた。だって、血や肉の方が美味しい。腹が減っていると、どんな生き物も美味そうに見えてしまう。…それが人間でも。
「何でかなぁ…」
 自分の手の甲を見て血の気が引いた。青灰色の薄い鱗が皮膚を覆っていた。
 それを視認するや否や、喰い千切るほどの勢いで噛み付いた。痛みなんかどうでもいい。それよりも恐怖の方が上回っていた。
 昔から、たまに自分の体のほんの一部だけドラゴンに変わる時があった。不治の病の竜返りに似ていたが激痛は無く、こうして噛んでいれば元に戻る。この現象が何なのか、村の誰も教えてくれなかったし、怖くて誰にも聞けなかった。
 元の肌に戻った手を擦りながら、のろのろと身を起こす。
 隣で寝ていたサージェイドが首をあげて気遣うように頭を擦り寄せた。
「ん…。平気。ちょっと変な夢見ただけ。早く、この村を出よう。お前の仲間を探さないとな」
 声に出した言葉の半分は、村の人たちに自分の姿を見られたくない気分だった。
 見送りされるのが嫌いなライエストは、魔剣の青年にだけ別れを告げた。数日間泊めてもらったお礼を村人に伝えて欲しいと頼むと、魔剣の青年は快く引き受けてくれた。
 魔剣の青年は村人たちの希望で村に住むこととなり、カレトヴルッフという名前を付けてもらったらしい。魔剣の青年は、これからも村を守りたいと嬉しそうに言っていた。
「ライエストよ、君のお陰で私はあの山で錆びていくのを待つだけの生活ではなくなった。心から礼を言う」
「ん? 伝説の剣を借りてくれって言われただけだぞ? それより、村の人と仲良くなれて、よかったな」
「君のそういうところは、清々しいな。…君の探し物が見つかるよう祈っている」
 魔剣の青年・カレトヴルッフは魔力で作った剣を顔の前に構え、騎士の挨拶をした。
「ありがとな!」
 ライエストはサージェイドの背に乗って飛び立ち、手を振った。
 
 
 
 
 
つづく


ある博士の夢

サージェイドという存在に関わった人のお話。


 ある日、それは唐突に姿を現した。
 陸地から離れた海の沖にそびえ立つ、巨大な花のような物体。真っ直ぐに伸びた茎のような部分は海上から700メートル以上の高さもあり、頂上には睡蓮に似た形状をしている。形こそ蓮田に咲く睡蓮を思わせるが、水晶のように白みがかった透明の中身は満天に星が輝く宇宙が見えていた。
 世界中の科学者が花のような物体に興味を持ち調査に当たったが、何の結果も出せなかった。異常なまでに硬質で何をしても傷ひとつ付かないため、サンプルの採取ができず物質の解析ができなかった。
 世界各国のメディアは謎の花の話題で持ち切りになり、ある国ではエイリアンの侵略だと恐れ、ある国では新たなエネルギー資源になるのではないかと期待を寄せている。
「谷田部博士、あの花は一体何でしょう?」
 助手の笹原は隣に立つ白衣の男に声をかける。しかし谷田部は研究室のモニターに映る花のような物体を凝視したままだった。その瞳の奥には、覚悟を決めた強い意志が宿っていた。
「ついに来たか…」
「え? 何です?」
 谷田部の小さなつぶやきを聞き逃した笹原は首を傾げた。
 
 ヘリコプターの中で谷田部は目を閉じて考え込んでいた。隣の席に座っている笹原は落ち着かない様子で谷田部と窓の外を交互に見る。ヘリコプターは花のような物体へと向かっていた。
「谷田部博士は、あの花をご存じなんですか?」
 沈黙に耐えられなくなった笹原は遠慮がちに谷田部に声をかける。すると谷田部は薄目を開けた。
「笹原くん。君は多元宇宙論や並行宇宙を信じているかい?」
「へ?」
 問いを問いで返され、笹原は間抜けな声を出す。
「あ…いえ、僕は宇宙分野はあまり…。でも僕は、とても巨大な宇宙がひとつだけ存在していると思っています」
「そうだ。我々が観測できて認識できる宇宙は、ひとつだけなんだ。だからひとつしか存在しないという考えは正しい。しかし宇宙は複数存在する。通常では認識できない宇宙が多数に、だ。…その宇宙の総数を計ることはできないが、全ての宇宙を集約しようとしている存在が有る」
「谷田部博士…?」
 突然の話に訳が分からず、笹原は谷田部の様子を伺うように見上げる。谷田部の話は止まらなかった。
「宇宙が集約したらどうなるのか。複数ある宇宙が重なって存在するようになるのか、或いは超過密となって存在崩壊するのか、再びビッグバンが起きて宇宙創成が始まるのか…。どうであれ、人類がそれに耐えられるはずがない」
「は、はぁ…」
 谷田部の話に、笹原は意味が分からないまま頷いた。今まで谷田部がこんなに宇宙について話すことが無かったし、宇宙分野が得意ではない笹原にとって谷田部の話は途方もない内容に思えた。
 やがてヘリコプターは花のような物体へ近づき、谷田部と笹原は直径300メートルほどの睡蓮のような部分へ降り立った。谷田部は操縦士に少し離れた上空で待機するように命じた。
「うわぁ、すごい…。宇宙の上に立ってるみたいだ。絶景ですね」
 笹原は足元に広がる宇宙空間のような景色に感嘆の溜め息を漏らす。しかし谷田部は花の中心部分に当たる雌しべに似た部分を見詰めていた。
「この際だから…君に全てを話そう。笹原くんは、正夢や予知夢の類いは信じているかい?」
 谷田部はゆっくりと笹原へ顔を向ける。
「今度は夢の話ですか? 僕はそういったオカルトやスピリチュアルなんかは信憑性が欠けるので信じていません。でも物理科学は信じられる。だから僕はいろいろな発明や発見をして世界に貢献してきた谷田部博士に憧れて、ずっとついてきたんです」
「…そうか」
 谷田部はゆっくりと頷いて、少しだけ顔を伏せた。
「私は…世界的な発明や新発見をしてきたわけじゃないんだ。知っていたことを公表しただけなんだよ。君の気持ちを裏切ってしまうようで、本当に申し訳ない」
「え? …どういう意味ですか?」
「私は、別の宇宙の地球に住んでいる。そしてこの地球は、私にとって夢の世界なんだ」
「あの…さっきから、何を言っているんですか? 谷田部博士は冗談は好きではないと思ってましたが…」
「信じてもらえないだろうが、私は夢を通じて並行宇宙…いわゆるパラレルワールドを行き来している。私はこの能力で今までいくつかの地球の最期を見てきた。本当の私は延命処置を受けている386歳で、自分では指一本も動かせない。この体もこの夢の世界だけのものだ」
「すみません、谷田部博士。話が理解できないのですが…」
 笹原は谷田部の突拍子もない話に混乱し、怪訝な表情を浮かべる。けれど、谷田部の表情は訴えかけるような真剣そのものだった。
「この巨大な花のような物体は、宇宙を集約しようとしている存在だ。私の現実世界では“星喰らう化け物”と呼んでいる。形こそ様々だったが、私はこれを何度も見た。そして地球の最期も。私の現実世界の地球ではこの“星喰らう化け物”を危険視していて、世界各国が宇宙集約を止めようと必死になっている。いずれ、私の現実世界の地球にも“星喰らう化け物”現れる可能性があるからだ。私の現実世界の地球は、この地球よりももう少し文明が進んでいる。だが、夢の中のものを現実世界に持ち出すことはできないし、その逆もできない。私の現実世界でどんな強力な兵器を開発しても、どうすることもできない…。本当にすまない。私の本当の役目は、少しでも多くの“星喰らう化け物”の情報を得ることなんだ」
 谷田部は花の中心に向かって歩き始めた。理解できないままの笹原が後を追う。
 花の雌しべのような部分がぐにゃりと動いて白一色に染まる。見る見るうちに形を変え、長い尻尾を有した人型の形をとった。金色の2本の角と青色の長い髪を生やした真っ白な肌の子供の姿になり、あどけない表情を浮かべ谷田部と笹原を見る。
 その光景に口を開けて硬直する笹原と、知っていたかのように冷静な谷田部。
「久しぶりだな」
 と、谷田部は真っ白な子供に向かって言った。少しでも時間稼ぎをする算段だった。
 真っ白な子供は長い尾をゆっくりと振りながら、警戒心の無い様子でこちらを伺っている。
「君が宇宙をひとつにしようとしていることは知っている。…交渉に応じてくれないか」
 しかし真っ白な子供は、背中にコウモリの骨格だけのような翼を生やして大きく広げると首を横に振った。
「交渉に応じる気は無い…か。何故、宇宙の集約をしている? 集約された宇宙はどうなる?」
 谷田部の問いに、真っ白な子供は両手を胸の前へ重ねた。それはまるで誰にも言えない秘密の事であることを表しているように見えて、谷田部は「そうか」と呟いた。
 ぽつりぽつりと、周辺に光の粒子が漂い始める。それがこの世界の最期の始まりであると知っている谷田部は、唇を強く噛みしめた。時間稼ぎは失敗したようだった。
 別の並行宇宙でどんなに強力な兵器を用いても“星喰らう化け物”に傷ひとつ付けるどころか、兵器や機械自体が攻撃を拒むように作動しなくなる。その事を知っている谷田部は弾かれた様に走り出し、白衣のポケットに入れておいたナイフを握りしめて真っ白な子供に向かって突き立てる。何としてでも“星喰らう化け物”を止めなければいけなかった。この化け物に殺されてしまうかもしれないが、それでもこの体は夢の中のものだ。死ねば現実世界に戻るだけでしかない。だからどんな無謀にも恐怖は無かった。
 しかしナイフは真っ白な子供の肌に刺さる直前で色とりどりの花びらへ変化し、はらりはらりと散り落ちた。力の入った谷田部の手は数枚の花びらを握りしめるだけとなる。
 がくりと、膝をつく谷田部。どうあってもこの存在を阻止することが不可能であると知り、絶望する。頭の中はもう何も考えられなかった。
「谷田部博士!」
 笹原の声が遠くに感じた。
 真っ白な子供は穏やかな表情のまま谷田部に顔を寄せて、何かの言葉を囁いた。それは人間や動物が発するような声ではなく、鉄琴や弦楽器を組み合わせたような音に近かった。
 谷田部が恐る恐る顔を上げて真っ白な子供を見上げると、視界が歪んだ。世界の全てが光に包まれ一点に集まろうとする。目が回るような光景に意識が遠退く。
 痛みも苦しみも無く、何かの感情を覚える隙間すらない、何度目かの最期。
 
 
 
 気が付けば、見慣れた部屋にいた。
 生命維持装置のカプセルの中から分厚いガラス越しにいくつもの機械やモニターが見える。そのモニターのひとつに、谷田部が見てきた光景が映されている。
「…駄目だった…」
 殆ど声にならない掠れた声で、谷田部は呟いた。その声は誰にも届かない。
 悪夢から覚めた現実世界。骨と皮だけの体は指一本動かせず、内臓の大半もとっくに人工の物になっている。けれど、脳だけは精密な機器に包まれて若々しく保たれていた。
「谷田部さん、お疲れ様です」
 生命維持装置カプセルに内臓されているスピーカーから声がする。
「今回の件で“星喰らう化け物”に物理的な攻撃は一切効かないことが判明しました。また、人語を理解している様子が伺えました。そして大変貴重な音声を得られましたよ。さっそく解析が始まっています。…それでは、次の夢に備えてください」
 地球最期の悪夢はこれからも続く。次の夢の中の地球がどんな世界になっているのかは分からない。たった十数分だけの“星喰らう化け物”との対面のために、また生まれた瞬間からの人生を歩む夢を見なければいけない。
 谷田部は目を閉じて睡眠導入剤が投与されるのを待った。
 心の片隅で思うことがある。いつ終わるのか分からない“星喰らう化け物”の阻止を目的として生かされ続けているこの現実の方が、悪夢なのではないか…と。
 
 
 
 
 
終わる


ある高校生のおまじない

サージェイドという存在に関わった人のお話。


 暖か陽が差し込む教室で、静かな時間が過ぎる。
 和やかな雰囲気の授業風景。しかし、オデットの心はざわついていた。
 オデットは名門校であるアーテロイド高校で一番の成績を収める優秀な生徒で、容姿も麗しく、全生徒からの憧れの存在。
 でもそれは、エレーヌが転校してくるまでだった。
 エレーヌは2ケ月ほど前に転入してきた学生で、愛嬌がありとても可愛らしい容姿をしていた。それだけでなく、オデットに負けず劣らずの成績の生徒だった。
 生徒からの人気はオデットとエレーヌが二分するようになってしまい、オデットはそれが面白くなかった。エレーヌに負けたくなくて今まで以上に勉強に励むようになり、その反面ピリピリとした雰囲気になってしまっていた。
「ねぇ、オデット。エレーヌって生意気じゃない?」
「え?」
 ある日、授業の休み時間に友人のナタリーから言われた言葉は、意外なものだった。
「だって、転校してきたばかりなのに、あんなにチヤホヤされちゃってさ」
 ナタリーはじっと横目で教室の端を見遣る。その視線の先はエレーヌの姿があり、その周りには何人かの生徒が笑顔で囲んでいた。
「そ、そうよね…!」
 ナタリーの言葉に、オデットの心には今までに無かったエレーヌに対する攻撃的な感情が芽生えた。それはすぐに広がりオデットの心を包み込んだ。
 ナタリーはオデットの同意に気を強くし、身を乗り出すようにしてオデットに耳打ちをする。
「帰りに、こっそりエレーヌを追いかけて、どんな家に住んでいるか見てみない? きっとオデットみたいなお嬢様じゃないから、小さな家に住んでるに決まってるわ」
 ナタリーはエレーヌの容姿は悪くないが服装が少しみすぼらしいことから、そう思っていた。
「そうね、行ってみましょう」
 オデットはナタリーの提案に乗った。ナタリーの予想が当たっていたとしたら、少しでも自分のプライドを保てると思ったからだった。
 
「あらあら、やっぱり。こんな街外れまで来ちゃって。ねぇ、オデット?」
 ナタリーは周囲を見回しながら得意気に笑う。帰宅時間になり、こっそりとエレーヌの後を追っていた2人は、寂れた街外れに来ていた。
 オデットは遠くに見えるエレーヌの背中と周囲を交互に見ながら、ナタリーの言う通りだと思った。所々にヒビの入ったコンクリートの道にはゴミが落ちていて、建っている家はどれも小屋のように小さいものばかりで薄汚れている。
「あの家に入ったみたいよ」
 ナタリーは声を弾ませて、足を速めた。エレーヌの家は周囲と同じようなとても小さな家で古びていた。
 しかし…。
「エレーヌお姉ちゃん、おかえりなさい!」
「ただいま、みんな」
 小さな家には、たくさんの幼い子供たちがいて、エレーヌを玄関で出迎えていた。その奥から、顔色の悪い痩せ気味の女性が顔を出す。
「おかえり、エレーヌ。ごめんなさいね、夕飯がまだ途中なの」
「ただいま。母さんは無理しないで寝ていて。洗濯が終わったら、すぐに夕飯を作るから」
 エレーヌはそう言ってスクールバッグを玄関に置くと、家の外にある洗濯機の所へ行き手際よく衣服を入れていく。それが終わると狭い庭の草むしりと落ち葉拾いをし、少しした後に家に入って行った。間もなくして、温かな談笑の声が聞こえてくる。
「思った通りね」
 ナタリーはオデットに向かって言ったが、オデットはエレーヌが入って行ったドアをじっと見つめたまま呆然としていた。
 笑顔の弟妹たち、病弱そうな母、家事を頑張るエレーヌの姿、ぬくもりのある笑い声。裕福であっても、多忙で不在がちな両親の代わりにメイドたちと暮らしている一人っ子のオデットにとって、知らない世界がそこにはあった。
 
 翌日、オデットはナタリーと一緒に登校し、エレーヌの姿を見つけると駆け寄った。
「あ、オデットさん。おはようございます」
 エレーヌはいつもと変わらない様子で挨拶をする。
「エレーヌ、あの…。私と、友達になってくれない?」
 それは、オデットの心からの想いだった。昨日のエレーヌを見て、同情でも哀れみでもなく、純粋にエレーヌの直向きな姿に憧れていた。
「ほ、本当…? 私、ずっとお友達が欲しかったの! すごく嬉しい…ありがとう!」
 エレーヌは目を輝かせてオデットの手を握る。
「もちろんよ。あなたと友達になれるなら、私も嬉しいんだから」
 オデットはエレーヌの手を握り返し、微笑んだ。
「な、なによ…。どういうこと?」
 手を握り合う2人の様子を見ていたナタリーは、オデットの反応に戸惑い、口を尖らせる。
「ごめんね、ナタリー。私のこと気遣ってくれてるの分かってるから。でも私、分かったの。本当はエレーヌを嫉みたくないって」
「ま、オデットがそう言うなら、あたしは別にいいけど。あんたの気が楽になったってなら、それでいいわ。あんた友達作るの下手なんだから、良かったじゃない」
「うん、ありがとね、ナタリー」
 オデットがお礼を言うと、ナタリーはにっこりと笑顔を返した。
 そんな2人の隣で、エレーヌは祈るように手を組んで目を閉じる。
「お願い事、聞いてくれたんだ…。ありがとう、サージェイド…」
「え? 何?」
 初めて聞く言葉にオデットは首を傾げる。
「実は私ね、友達ができるように“おまじない”をしていたの。それが効いたんだって思って」
 と、少し照れ臭そうにエレーヌは笑った。
 
 
 以来、オデットとエレーヌはお互いに良き友として学問に励んだ。
 やがて、2人はアーテロイド高校が誇る最高の才女となり、学問の女神と呼ばれるようになった。そして国民たちから賞賛を浴びる未来となった。
 
 
 
 
 
終わる


あるサラリーマンの体験

サージェイドという存在に関わった人のお話。


 天使なのか悪魔なのか分からないものを見た。多分、あれは疲れのせいで見えてしまっただけの幻覚だと思う。
 私はしがない下っ端サラリーマンだ。料理も下手な一人暮らしの何の取柄もない男。空想世界に浸れるほどの余裕はない。
 早番勤務で日が昇る前に出社し、休憩もそこそこに数時間の残業をこなして帰宅。そんなくたくたに疲れた日の帰り道だった。
 
 電車を乗り継ぎ、夕日も沈みかけた住宅街の道を力無く歩いていた。寒くも暑くもない日だったのに、嫌に寒気を感じていた。恐らく風邪だろう。昨日も勤務疲れでリビングで眠りこけてしまったのを思い出す。
 いつもと変わらぬ道を歩いていると、あまりに白すぎてまるで光っているように見える猫が道端に座っていた。この辺りの飼い猫だろうか。凛とした気品さのある猫だった。その猫が真っ赤な目でこちらを見ていた。
 特に興味も湧かず白い猫の横を通り過ぎる。ところが、白い猫は私の前へ飛び出し、進行を妨げるかのように足元に擦りついてきた。邪魔ったくなった私は短い休憩時間のせいで食いそびれた昼飯のおにぎりがあるのを思い出し、鞄から取り出した。中身は鮭だ。猫でも食べられるだろう。包み紙を広げて地面に置くと、猫はおにぎりの匂いを嗅ぎ始めた。
「食っていいぞ」
 そう言い残して、さっさとこの場を離れた。案の定、猫は付いてこなかった。猫はいいな。ああやって愛想振り撒いていれば可愛がってもらえるんだから。
「もっと楽に生きたいなぁ」
 今までの人生、パッとしないものだった。積もり積もった様々な不満から、思わず独り言が出てしまった。
 その瞬間、一陣の突風が吹いて、私は目を閉じた。僅かに目に入った砂埃に目を何度か瞬いて涙で洗い流す。
 不可思議な風に違和感を感じて周囲を見回すと、電線の上に「何か」がいた。
 白く光って見える真っ白な肌の子供。鮮やかな青い髪はとても長く、その頭には牛の角のように曲がった金色の角が生えていた。そして、その背には鳥の翼やコウモリような翼がたくさん生えていて、どれも色が抜けたように真っ白だった。宗教画で似たようなのを見たことがある。天使は階級が高いほど異様な姿をしている。どこの世界も上司は怖いなと思ったほどだ。
 天使とも悪魔ともつかない子供の片手にはゲームでありそうな光輝く槍が握られていて、その先の刃には真っ黒なスライムのようなものが刺さっていた。
 どう考えてもおかしい。不思議と恐怖を感じないのは、恐らく現実離れしすぎてるからだろう。酷い疲れのせいで幻覚が見えているのかもしれない。明日は仕事帰りに病院に行こうと冷静に考えた。その反面、ほんの少しだけ期待してしまった。もしこれが現実なら、疲れて過ぎていくだけの日常から異世界へ迷い込むファンタジーものの漫画や小説の主人公みたいになれるのでは…と。
 子供は真っ赤な瞳で私を見て笑った。さっきおにぎりをあげた白い猫の姿が思考を過る。そしてふわりと飛び上がると、溶けるように消えていった。
 やはり幻覚だった。私は溜め息をして再び歩き始めた。
 
 あの日以来、私はすこぶる体調が良くなり、仕事もうまくいくようになって自信が付いた。偶然に出会った幼馴染と意気投合して結婚を前提に付き合うにまで至った。何もかも順調だ。あの幻覚で見た存在が私に憑いていた悪いものを取ってくれたのかもしれない。
 幻覚で見た存在が現実のものだったのかどうかなんて、今更分かるはずも無いし調べようもない。人に話したところで笑い話にされるオチだ。
 それでも、私にとっては人生の転機を与えてくれた神様のようなものだ。目の赤い猫にはあの日以来会えていないが、白い猫に会ったら挨拶するのが私の癖になっていた。
 
 
 
 
 
終わる


竜使いと白いドラゴン5 ~彫刻家~

 爽やかな風が吹く草原の中の道。見渡す限りの草の絨毯。
 程よい涼しさの風を浴びながら、ライエストはサージェイドを連れて拓かれた細い砂利道を進んでいた。
 サージェイドと同種のドラゴンを探すために村を出たものの、明確な手掛かりや当てがあるわけではなかった。
「お前、どこから来たんだ?」
 今更ながらサージェイドに聞いてみると、サージェイドはクゥと小さく鳴いて首を傾げる。分からないと言っているように思えた。
「分からないんじゃ、仕方ないよなぁ」
 ライエストはサージェイドの青い鬣を撫でて「お前の仲間、見つかるといいな」と呟く。
「何かを探すときは誰かから聞いたり、本を読むといいって聞いた。大きな国には人がいっぱいいるからそこで話が聞けるかもしれないし、色々な竜族がいる場所とか探して行けばいいよな。あと、本がいっぱいある国があるんだって」
 幼い頃、長老であるバーシルに訊いた話を思い出す。村からとても遠く遠く離れた場所に世界中の知識を集めたような巨大図書館を保有する、書庫の国と呼ばれる大国があると教えてくれた。何となくその国を探せばいいんじゃないかと思っていた。
 しばらく一本道を進んでいると、道の遠くから馬車が近づいてくるのが見えた。ライエストは馬車の進行の邪魔にならないようにサージェイドと道の端に寄ると、馬車は速度を落として止まった。
「ずいぶんと大きな牛だねぇ」
 馬車に乗っている男がサージェイドを見ながら声をかけてきた。
「牛じゃない」
 ライエストは首を横に振って答える。同時に、ここの地方はドラゴンに馴染みが無いんだなと思った。
 馬車の男はサージェイドのことは特に気にしてなかったようで、今度はライエストをじろじろと見ながら眉をひそめた。
「まだ子供なのに一人旅かい? ここから一番近い街に着くには、牛の足じゃ明日の朝になってしまうよ」
 馬車の男の話の意味が分からず、ライエストは返事に困った。そもそもサージェイドは牛ではないし、街に着くのが明日の朝になることに何か問題があるのか。
「この辺りは、夜になると狼の群れが徘徊するからね」
「ああ、そうなのか」
 話を理解したライエストは納得して頷いた。狼が徘徊しているということは、この付近に草食動物が多くいるはず。それに狼は太ももが美味い。
 食うに困らないことが分かって笑顔になるライエストを見た馬車の男は不思議そうな顔になった。
「平気かい? よかったら、近くの街まで送っていくよ? 馬の足のほうが速いから夕方までには街に着けるから」
「うん、平気。教えてくれて、ありがとな」
 ライエストは馬車の男にお礼を言って、再び歩き始めた。そんなライエストの背中を見ながら馬車の男は「大丈夫かなぁ」と呟いて馬に馬車を引かせた。
 
 砂利道を進み続けて街に着いた。夕方になる前に着いたものだから、ライエストは馬車の速度は思っていたよりも遅いんだなと思った。
 狼対策のためなのか、街は2メートルほどの高さの鉄柵に囲まれている。
 街に入ると人の険悪な空気を感じて、ライエストは顔を顰めた。石畳の通りを進んでいくと、数十人もの人だかりが見えてきた。
 女の悲痛な叫び声と男の激怒した罵声。周囲の者たちへ恨み言葉を撒き散らす。
 街の広場で、公開処刑が行われていた。
 がやがやとした喧騒とぴりぴりとした場の空気を肌で感じながら、ライエストは足早に人ごみの中を遠巻きに通り過ぎようとした。ライエスト以外の誰もが、処刑台の罪人たちに向かって非難の声を投げつけている。
 きょりきょろと辺りを見回すサージェイドの首を叩いて小走りするのを促しながら、誰とも目を合わせないように下を向いたまま進む。1秒でも早く、この場から離れたかった。
 時折、人とぶつかりそうになり「こんなところで牛を連れて歩くな」と言われ、サージェイドは牛じゃないと心の中で言い返しつつ、目立たないように静かにしていた。
 処刑の罪状は異種恋愛。人間の男とエルフの女には子供がいたらしかった。子供は少し前に処刑台で命を絶たれ、無残な姿を晒していた。
 無意味に命を奪うことよりも、異質な命を存在させる方がずっとずっと罪が重い。そのことを知らしめるため、こういった公開処刑を行っている地域がしばしばあった。
 秘境の村で幼い頃からそういう話は耳にしていたけれど、実際に村の外で目の当たりにしてしまい、ライエストは平常心ではいられなかった。自分だって混血なのだから。しかも、エルフよりも人の形からほど遠い、ドラゴンとの。
 エルフの女がひときわ大きな声で叫ぶ。その声が掠れて消えていくころ、続くように男の叫び声が上がり、やがて消えていく。
 しんと静まり返る周囲。次の瞬間にはわぁっと人々が騒ぎ出す。悪者をやっつけたような歓喜の声だった。
 ライエストは様々な声を背中で浴びながら、サージェイドを連れて広場から離れて行った。
「はー。着いて早々、嫌なもの見ちゃったなぁ」
 街の公園らしい場所にある円型の噴水の縁に座って、大きなため息をする。そんなライエストにサージェイドは頬を擦り寄せた。
「あんなの見ちゃったら、お前だって嫌だよな」
 ライエストがサージェイドの頭を撫でながら優しく声をかけると、サージェイドはクルルと喉を鳴らせて目を細める。
「…そんなに、悪いことなのかな…」
 違う血が混ざった存在は生きてるだけで罪人扱いされる。理由はわからないけれど、そういう世の中だった。
 公園の噴水は、鳥の翼の生えた人間の姿の彫刻が壺を持っていて、その壺から水が出ている。年代物なのか彫像には緑色の苔が少し生えていたけれど綺麗に手入れされているようだった。
 ライエストはその彫像をじっと見る。魔物とは違う姿。これだって、人間と鳥の間の姿ではないのだろうか。こういうのは美術品として大事に扱うのは何故だろう。
 身を乗り出してまじまじと彫像を見ているライエストの所に、水色のワンピースを着た女が歩み寄って来た。
「あなた、珍しい服を着ているけど、この街に観光に来たの? その彫像はこの街のシンボルよ。綺麗でしょ」
「この街は通りかかっただけ。…なぁ、この壺持ったやつ…翼の生えた人間っているのか?」
「あなた、天使を知らないの?」
「てんし?」
 聞いたことのない言葉に、ライエストは聞き返した。女はくすっと笑ってにこやかな笑みを浮かべる。
「天使は神様の遣いなの。ああ、素敵…。とても美しくて清楚で、慈悲深くて。この彫像は500年も昔にとても有名な彫刻家が造った最高傑作なの。その彫刻家はこの天使を領主様に献上した後、姿を消したそうよ。きっと…本物の天使様だったんだわ! この街に降り立った神の御使いなのよ! だから…」
 まるで自分に酔っているかのように恍惚とした表情で虚空を見詰め、両腕で自分を抱きしめながら語りだす。
 正直、何を話しているのか全く分からない。ライエストは徐々熱が入り声が大きくなっていく様子に薄気味悪さを感じて、気付かれないよう静かに離れた。程よく離れたところで振り返ると、女は昂った感情が抑えられなかったのか一人で踊りだしていた。
 ライエストは当ても無く街中を歩きながら、注意深く周囲の人たちを見ていた。この街の道行く人々の誰もが、サージェイドを牛だと思っているようだった。牛っぽい角が生えているけれど、体格が全然違うし、太い尻尾も生えている。小さいけれど翼だって生えているのに、牛に見えるらしい。
 ドラゴンを知らない場所では何の情報も得られないだろうと判断して、すぐにこの街を出ることにした。
 街から出るころには空は朱色になっていて、街を囲む鉄柵の門が閉められる直前だった。
 鉄柵の門番は、こんな時間に街の外に出るライエストを気遣って呼び止めた。狼の群れが出るから危ない、と。
 ライエストは平気だからと軽く言い返して、サージェイドと一緒に閉まりかけている門の隙間から出た。
 賑やかな街中と違って、外は風の音だけがする。少し離れた場所に森が見えたので、そこへ行くことにした。狼の群れ相手に引けを取る気は無いけれど、数十匹もの群れだとしたらさすがに分が悪い。森の中なら木の上で狼の群れをやり過ごせる。
 森に着くなり狼たちの唸り声が聞こえていた。狼たちは鳴き合って連携をとり、獲物を追っているのが分かる。
 薄暗い森の中で狼たちが追っていたのは。
「…人間か?」
 ライエストは森の奥に目を凝らした。狼たちに追われているのは人間の男だった。
 弱肉強食は世の掟だし、狼の食事の邪魔をするつもりも無い。けれど、人間に人間として認めてもらうには、助けるべきなんだと思った。それに腹も減っている。2~3頭くらいは狼が欲しい。
「サージェイド、行くぞ」
 ライエストはサージェイドに声をかけて駆け出した。
 獲物を追う狼の群れは十数匹程度で、左右に広く展開して男を囲もうとしている。
 最後尾を走っていた狼がライエストとサージェイドに気付き、声を上げて仲間に知らせる。すると狼の群れは2つに分かれ、分かれた群れは速度を落としてライエストとサージェイドに並走する形をとった。
「へえ、この群れのボスは賢いかも」
 走りながら弓を構え、ライエストは狼を1頭ずつ見定める。
「ガウッ!」
 大きな口を開けた狼が飛び掛かってくる狼をライエストが避けると、サージェイドはその狼を口に銜えた。
 ライエストはサージェイドによくやったと目線で伝えて、逃げる男に飛び掛かる狼に矢を射る。矢は狼の後ろ脚を貫いて、狼は悲鳴を上げて草むらに落ちた。走りながら狼を拾い上げて、縄で縛って背中に担ぐ。
 狼たちは互いに鳴き合い始めると、急に進路を変えて森の奥へと消えていった。
 逃げていた男は狼の群れから逃れられたと知ると、ふらふらと減速して倒れるように地面に倒れた。
「おい、大丈夫か?」
 倒れた男に近づいて声をかけると、細身の男は酷く興奮した様子で立ち上がって敵意が篭った目を向けてきた。
「クァ!」
 サージェイドがライエストを守るように前に飛び出す。襲い掛かってきた細身の男はサージェイドの首にぴたりと両掌を付けると、そのまま動かなくなった。
「え、いや、まさか…」
 男は小さく呟くとサージェイドから離れ、自分の足元に生えていた小さな花を無造作に摘み上げる。しおしおと枯れていく花とサージェイドを交互に何度も見ると、信じられないといった表情を浮かべて、その場に膝をついた。
「どうしたんだ…?」
 訳が分からないまま、ライエストは男に近づく。男の頭から流れている。狼に噛まれた怪我なのは容易に想像できた。怪我の様子が知りたくて手を伸ばすと、男は目を見開いた。
「私に触っては駄目だ!」
 男は声を大きくし、ライエストは驚いて手を挙げた。
「…す、すまない。取り乱していたんだ。許してくれ。助けてくれてありがとう」
 男は驚いて後退するライエストを見て、深々と頭を下げる。
 何か事情がありそうだと思ったライエストは、男の話を聞いてみることにした。男が自分の名前をヘンリックと明かして土の上に座ったので、向かい合うように草の上に座る。サージェイドがライエストに身を寄せるように座り、ヘンリックをじろじろと眺め始めた。
 ヘンリックは大きく深呼吸をし、ゆっくりと口を開こうとしたとき、ライエストは思い出したように「ちょっと待って」と言葉を遮った。落ちてる木の枝を集めて火を熾すとサージェイドと自分が捕えた狼を慣れた手つきで捌き始める。
「腹減ってたんだ。お前も食うか? 狼は太ももが美味いぞ」
「あ、いや…私は狼はちょっと…」
 ヘンリックはライエストの空気を読まないマイペースぶりに微かに気を悪くしたが、狼の群れから助けてもらった恩があるため苦笑いをして返した。それに狼を食べるなんて信じられなかった。
「話、してもいいかな…?」
「あっ、いいよ。聞きたい。焼きながら聞くから」
 ヘンリックが遠慮がちに言ってきたので、ライエストは切り分けた肉を枝に刺しながら相槌を打った。
「私は…死神に呪いをかけられたんだ」
「死神様の呪い? そんなことあるのか?」
「本当なんだ! 嘘ではない。頭がおかしいと思われるかもしれないが、信じてくれ!」
 立ち上がって必死の形相で声を荒げるヘンリックに、ライエストは不思議そうに首を傾げる。
「死神様は真面目で穏やかな性格だってババさまに教えてもらった。人に呪いをかけるような神様じゃないだろ?」
「あ…ああ、君は死神を信じている国の出身なのかい? 死神を信じてくれない人が多くて…。よかった、なら話は早そうだ」
 落ち着きを取り戻したヘンリックは座り直して話を続ける。
「私は、売れない彫刻家だったんだ。だけどチャンスが訪れて、領主様に天使の彫像を依頼された。成功すれば家族がしばらく生活に困らない金が入る。絶対に…完成させなきゃいけなかったんだ」
 ヘンリックは当時の事を思い起こして、組んだ両手に力を入れた。
「それなのに私は、重い病を患って余命を宣告されてしまった。残された時間では彫像の完成は不可能だった…。絶望したよ。家族は私の身を労わってくれたが、私は家族に顔向けできなかった」
「それは、辛かったなぁ」
「そんなある日、死神に会ったんだ。死神が見えるということは死期が近いんだと実感したよ。私は死神に彫像の完成に余裕のある期日まで生き延びたいと頼み込んだ。しつこく言い寄っていたら死神は折れてくれて、死期を伸ばしてくれた。私はアトリエに篭って 必死に掘り続けた。妻と娘は残りの時間を私と共に過ごしたいと言ってくれていたが、私の頭の中にあったのは私が死んだ後も家族が安心して過ごせるように、彫像を完成させることだけだった」
「ふぅん。それで、ちょーぞうってのは完成したのか?」
「ああ、もちろんだ。領主様にとてもお喜びいただけた。大絶賛だったよ。私の噂は街中に広がって、今まで世間に見向きもされていなかった彫刻家が一躍有名人だ」
「へえ、よかったな! でも、どうして死ななかったんだ? 病気が治ったのか?」
「それが…。世間から賞賛の目を向けられるようになって、次々と仕事の依頼をしたいという人が訪れるようになった。私は…死ぬのが惜しくなってしまったんだ。だから死神と約束した日に、私によく似た別人を死神に会わせたんだ。すぐに気づいた死神は、激怒してしまって…」
「あー、そりゃあそうだよなぁ…」
 ライエストはそれ以上何も言えなくなった。死神との約束を破ったヘンリックが悪いと思うし、ヘンリックの生き延びたくなった気持ちも分かる。
「それで死神は、私に死ねなくなる呪いをかけ、私は触ったものの寿命を吸ってしまうようになってしまったんだ」
「そんな呪いあるのか?」
 ライエストはう~んと唸る。死神が人間に呪いをかけるなんて聞いたことがないし、死なない人間だとか寿命を吸うだなんて信じられなかった。
「死神は信じてるのに、私の呪いは疑うのか? …じゃあ証拠を見せるよ」
 ヘンリックは近くに生えていた一輪の花を摘むと、ライエストの目の前に差し出す。花はすぐに鮮やかな色を失い、あっという間に枯れ落ちた。
 たった数秒の出来事は、死神の呪いが本物であることを証明するのに十分だった。唖然とするライエストと、枯れた花に鼻を近づけてふんふんと鼻を鳴らすサージェイド。
「信じてくれたかい? …それで、君が連れている牛に触っても死ななかったから、何か呪いを解くヒントがあるんじゃないかと思って」
「牛じゃないけど…」
「頼む! 呪いを解く方法を一緒に探してくれ!」
 ヘンリックは両手を地面につけて、深く頭を下げる。ライエストは気まずくなって唇を噛んだ。
「俺、呪いとか全然わかんないし…。死神様に謝るのがいいんじゃないか?」
「どこを探しても死神に会えないんだ。街を離れて死神を探していたんだが、どこを探してもいない。死期がなくなったせいで、見えなくなってしまったんだと思う。君は見慣れない格好をしているが、魔法使いか呪術師なのか? 魔法でも何でもいい、解呪してくれ!」
「そんなこと言われても…。魔力使うのはダメだし」
 申し訳無い気持ちになりながら、ライエストは言葉を返した。魔法の類いが全く使えないわけではないが、竜の血を帯びた魔力は人間が使う魔法と相性が悪く、村では使用禁止にされている。
「この呪いのせいで、私は愛しい娘を抱きしめて死なせてしまった。老いることも出来なくなってしまった体で、世間に気づかれないように家に籠るしかなかった。老いていく家族たちと死に別れ、私は人目を忍んで街を離れ…」
「あ、キノコ生えてる!」
 ライエストは木の根元に生えているキノコに気付いて、それを採った。このキノコは笠のぶつぶつした部分が美味い。
「聞いてるかい!?」
 ヘンリックはキノコに木の枝を刺して焼き始めるライエストに向けて大声を出した。
「うん。聞いてるぞ」
 焼き上がった狼の肉をサージェイドにやりながら、ライエストは悪びれる様子もなく答える。
「私は、もう…この体から解放されたい。湖に入ったら息が出来ずに苦しいだけで死ねなかった。火に飛び込んで体中が焼けただれても死ねなかった。崖から飛び降りたら体は潰れたが、それでも死ねなかった。体が元に戻るまで何ケ月も激痛を味わったんだ! もう十分、罰を受けたんじゃないかと思う。君もそう思うだろう!?」
 鬼気迫るように話すのに気圧されて、ライエストはやや身を引く。話の内容が想像を超えていて、夢物語なんじゃないかと思ってしまう。死なない人間なんて、本当にいるのだろうか。
「それに…私が魔物だという変な噂が広がったらしくて、数日前からどこからか討伐隊が来るようになった。矢で射抜かれ剣で斬られて酷い目に遭った。何とかして逃げ出せたが、また来るかもしれない。もう、痛い思いはしたくない。こんな生き地獄、終わりにし……って、いい食べっぷりだなぁ!!」
 ヘンリックは皮肉を込めて声を荒げる。うんうんと頷きながら話を聞いているライエストは盛大に肉を食べていた。
「食える時に食っておかないとな。明日も必ず獲物が手に入るとは限らないし」
 皮肉が通じなかったライエストは、真面目に言葉を返した。
 ヘンリックは込み上げる何を抑えて咳払いをする。
「私は呪いを解いて元に戻りたいとずっと願っている。今はそれだけが望みなんだ。他人の寿命を吸って死なない体なんて、なりたくなかった」
「クァ!」
 突然、今までずっと静かに話を聞いていたサージェイドが鳴いて、身を起こした。
「どうしたんだ?」
 ライエストがサージェイドを見上げると、サージェイドは普段は小さい翼を大きく広げていた。白い骨組みだけのような翼には、まるで星々の輝く夜空のような飛膜が見える。
 その時、ヘンリックが慌てて立ち上がりサージェイドと対峙した。
「ああ、そうだ。そうしてくれ!」
 サージェイドに向かって、ヘンリックは声を弾ませ期待に満ちた目になる。
「数百年の時間が帳消しになるのなら、それでいい」
「え?」
 ヘンリックとサージェイドの様子をライエストは訝しむ。ヘンリックだけが話しているように聞こえるけれど、サージェイドと会話をしているかのようだった。
「この不死の呪いを、代わりに」
 ヘンリックは目に涙を浮かべていた。
 空気が張り詰める。周囲がざわつくような感覚。
 サージェイドの周りにぽつりぽつりと光の粒が現れ、薄暗い森の中を明るく照らす。
「クォォォン!」
 サージェイドが天に向かって大きく鳴いた。
 それと同時に、光の粒は一点に集まり一筋の光となって天へと昇って行った。
「君たち会えて本当に良かった。君の牛のお陰で私は、やっと」
 ヘンリックは見る見るうちに年老いていき、髪が抜け落ちて痩せ細っていく。それはまるで、本来の寿命を超えて生き過ぎていた時間を急激に戻しているようだった。
 ライエストは変わりゆく様に恐怖を感じて、目を逸らす。きしきしと骨の軋む音、草の上に何かが落ちていく音。
「ありがとう…」
 しわがれた声が小さく聞こえた。
 恐る恐る視線を戻すと、ヘンリックが居た場所には、服と砂のようなものが小さな山となって残っていた。不思議な出来事に思考が追い付かず、呆然と砂の山を眺める。
「お前…死神様の呪いを解いたのか?」
 声をかけると、サージェイドはいつもの無邪気な様子で「クァ」と鳴いた。
「……」
 ライエストは暫く黙り込んだ。
 そして、にっと笑うとサージェイドに抱き着く。
「すごいな! 死神様の呪いを解くなんて!」
 サージェイドは嬉しそうにクルルと喉を鳴らす。
「そっか。お前、魔法が使えるドラゴンなんだな!」
 ライエストは、またひとつサージェイドのことを知れてよかったと思った。それに魔法が使えるドラゴンは種類がとても希少だった。竜種の特定がしやすくなる。これでサージェイドの仲間を探すために一歩近づけた気がする。
「よし! 明日、別の街に行こう! …あ」
 ライエストはヘンリックだった砂の山を見て、気付いた。
 街の噴水になっていた500年前の天使の彫像を思い出す。
「きっとヘンリックが作ったんだ…」
 街に帰れなくなって、ずっとこの森で暮らしていたのかもしれない。
 ライエストはヘンリックの砂を丁寧に袋に詰めた。
 翌日に街に戻り、噴水の池にそっとヘンリックを流す。
「家族のために作ったやつ、この街で大切にされてるみたいだぞ。よかったな」
 水の中でキラキラと光る砂を見ながら、ライエストは呟いた。
 
 
 
 
 
つづく