">

カレー

刺斬の代わりに鎖とⅨ籠が料理をするお話。
頭がゆるいお馬鹿な内容でも許せる人向け。


 けほ。と、乾いた咳をする。刺斬は放心した目つきで天井を眺めていた。
 何故、こうなるんだ。まさか風邪を引くなんて。
 不甲斐無い自分を責める。声も全くでない状態だった。
 いや、問題はそこではなくて。
 少しふら付きはするが、動けなくはなかった。だから日常生活においては何の問題もなかった。それなのにあの2人は。
 鎖かⅨ籠のどちらが先だったのか忘れたが、安静にしてろ、と言い出した。
 普段、2人は互いに小さな言い合いをして、時には喧嘩に発展する仲なのに、こういう時は阿吽の呼吸で謎の団結力を発揮するのか。
 身の危険を感じて逃げ出そうとしたが、Ⅸ籠の影の力に捕まった。こんなことに特殊能力を使う意味はあるのか。いや、無い。というか、病人相手にやるようなことではないはずだ。物事の加減を知らなすぎる。
 そして動けない所を鎖に縄で縛られて、ベッドに転がされて布団を掛けられた。
 2人の優しさが厳しいっス…。
「ゆっくり寝てな」
 と、心配してるのか楽しんでるのか分からない笑顔の鎖に言われて。
「刺斬にはいつも世話になってるからな。たまには世話してやる」
 と、いつもは隠そうとする子供らしい無邪気さでⅨ籠に言われて。
 恐ろしいことに、2人は「何か作る」と言って、キッチンに入っていった。
 素直に喜べる状態ではない。気持ちだけで十分っス。いや、遠慮ではなくて。本当、余計なことして欲しくない。
「はぁ…」
 額の上に乗せられた、ひたひたに水を含んだタオルの水滴がこめかみの辺りを流れていくのを気にしながら、刺斬は溜め息をついた。
 ほどなくして、キッチンの方から物音がし始めた。聞き耳を立てて意識を向ける。
「クロウ。カレー作ろうぜ」
「分かった」
 どうやらカレーを作る気らしい。少し安心できる。以前、鎖と一緒にカレーを作ったことがある。無難な料理を選んでくれた。これなら余程のことが無い限り失敗しないし、多少味が悪かったとしても後から挽回もできる。
「そっちにジャガイモ無かったか?」
「……鎖、これ? これ、じゃがいもってやつ?」
「それだ。それ10個もってこい」
 は? 10個? まてまて、3人分っスよね…?
 冷蔵庫を開ける音がする。
「ニンジン…。あと、何を入れてたっけかなぁ? これも入ってたような…」
「これ、刺斬がよく食べてるやつだ。これ入れたら、きっと喜ぶぞ」
「んじゃ、それも入れようぜ」
 何を…何を入れる気っスか…。
「包丁は危ねえ。俺が切るから、お前はジャガイモ洗え」
「お前、殴るしか能が無いだろ。オレのほうが斬るの得意だ」
「何で刀抜いてんだよ」
「オレにやらせて。こっちの方が使い慣れてる」
「まな板ごと切る気かよ。やめろ」
 喧嘩になるかなと刺斬は気を揉んだが、その後2人は静かになった。
 とんとん、と、少しぎこちない音が響く。
「…ってぇ。指切った」
「だからオレにやらせろって言っただろ」
「るせえよ。お前、武器しか握ったことねえだろが」
「武器以外も持ったことあるし!」
「言葉の綾だ。真に受けんじゃねえよ」
 また少し険悪になりながらも、2人は喧嘩をせずにいるようだった。
 刺斬は気を張っていたが少し緩んだ。鎖は切るのに慣れてきたらしく、音の間隔が短くなっていった。指は大丈夫だろうか。速さよりも、慎重に切って欲しいのだが。
「ぐああっ!」
 突然、鎖が声を上げた。
「何だこれ! 危険物か!?」
 Ⅸ籠が驚いた声を出す。
え、何スか? 危険物? そんなものは置いてないはず。
「やべぇ! クロウ、離れろ!」
 緊張した雰囲気に包まれる。
 刺斬は慌てて身を起こそうとしたが、無理だった。こんなことなら縄抜けを学んでおけばよかったと、悔やむ。2人の身に何かあったらと思うと気が気でなかった。
「目ぇ、閉じるな。閉じるとよけいに痛くなるぞ! 早く、目ぇ洗え」
「刺斬はこんな危険なもの切ってるのか…。ねえ、これ粉砕して相手に投げつければ催涙弾の代わりになる?」
「食べ物粗末にすんな」
 玉ねぎ…。
 刺斬は一気に力が抜けた。
 それから暫くして、包丁の音が止まった。
「刺斬が作るのは、もっと色々入ってるよな」
「そうなの? オレ分からない」
「何か、探せ」
 ばたばたと、冷蔵庫を開ける音と、戸棚や引き出しを開ける音が続く。
 数分後、Ⅸ籠がヘンテコな叫び声を上げて騒ぎ始めた。
「それをオレに近づけるな!! 殺すぞ!! あー! 入れるな!」
 ボスのこの取り乱し様は…キノコかな…。
「ダメだっての、食え。…あっ、コラ! てめぇ!」
 ガシャン!
 部屋に響く、硬質な高音。
 皿を割ったなと、刺斬は察した。
 キッチンからこちらを覗く2人の顔が視界の端に映る。2人が怪我をしていないか心配だったが、こちらに気を使わせる気がして、寝たふりをした。2人はぼそぼそと小声で囁き合いながら、顔を引っ込めた。
 間もなくして、カチャカチャと割れたであろう皿を片付ける音がする。指を切らなければいいが。
「これ、刺斬はいつもカレーに入れてるぜ?」
「刺斬には、入れるなって言った!」
「お前が、気付いてねえだけだ。いつも入ってんだよ」
 あー! 鎖さん、何で言っちゃうんスか。ボスには秘密にしてたのに!
「刺斬に訊くといつも、大丈夫ですって言ってたぞ!」
「その大丈夫ってのは、お前が気付かねえように入れたから食えるよって意味だろ」
「…刺斬め…!」
 ……。それを言っては…。
 身も蓋も無い。刺斬は溜め息をした。次はどうやって気付かれないようにキノコを入れようか。警戒心が高まったⅨ籠を欺くのは相当に苦労しそうだった。
「これも入れていい?」
「あ? ああ、それか。まあ、いいんじゃねえ?」
 今度は何を入れたのか。鎖が断らないのだから、問題ないものだと信じたい。
 他にも何か入れているようだった。でも、2人の話し声からそれを窺い知ることはできなかった。
「隠し味に、果物入れるといいって刺斬が言ってたな」
 鎖が思い出したように言った。
 鎖さん覚えていてくれた。林檎摩り下ろして入れてくださいね。
「う~ん…。何入れたんだったかな…」
 そこは覚えてないのか。頑張って思い出してください。
「忘れちまったなあ。…とりあえず、これ入れるか」
「いくつ入れるんだ?」
「5本でいいんじゃねえ?」
 本!? 本単位で数えるもの!?
 刺斬は目を見開いて、思考をフル回転させた。冷蔵庫に入っている果物で、本単位で数えるものを必死に検索する。
 …バナナだ。
 カレーにバナナを入れるのは上級者向けだ。一歩間違ったらとんでもないことになる。5本は間違いなく適正範囲を超えている。
 これはまずい。2つの意味でまずい。
 やがて部屋に漂ってくる、むせ返るほどの甘ったるいトロピカルな香り。自己主張の強いバナナが猛威を振るい始めた。
 せめて…、せめて換気扇回して欲しいっス…。
 至近距離にいる2人の嗅覚はどうなっているのか。もうすでに麻痺しているのか。
「あー、あったあった、これだ。これ入れるとカレーになるんだ」
 鎖がカレールーを見つけたようだ。というか、カレールーを見たからカレーにしようと計画したのではないのか。もし見つからなかったらその煮込んだものはどうするつもりだったのか。
 刺斬は棚の手前にカレールーの箱を置いておいてよかったと心から思った。
「ねぇ、この石みたいなの、全部入れるのか?」
「知らねえ。テキトーに入れちまえ。もう1箱ある」
 鎖さん? 鎖さん!? 箱の裏に使用目安が書いてあるのに! 強行突破はやめてください!
 鼻に纏わり付くバナナの香りが、鼻の奥をツンと刺激させる香辛料交じりに変ってきた。
「何か、刺斬が作るやつとちょっと違うけど、刺斬が美味しいって言ってたのいっぱい入れたから大丈夫だな!」
 そうですね、ボス。多分、ちょっとどころじゃないですけどね。過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉、覚えましょう。
「今まで作ったことねえカレーを作ったからな。きっと刺斬は驚くだろうぜ!」
 挑戦することはいいことっス。でも鎖さん、その勇気ある行動は無謀です。すでに十分驚いてます。肝も冷えてます。
 足音が近づいてくる。
「刺斬ー! よく寝たか?」
 鎖が快活な声を上げて戻ってきた。
 いや、全く。全然眠れてないっス。
「顔色悪ぃな」
 ええ、お陰様で…。
「カレーっぽいの作ったぞ!」
 自信ありげな笑顔で、Ⅸ籠が見上げてきた。
 っぽい…。広義的にはカレーに分類されるとボスも思ってるんですね…。
 刺斬は、極力笑顔を浮かべるようにする。何にせよ、2人は頑張ってくれたのだから。
 縄を解かれて食卓の席に案内される。卓の上には鍋が置いてあった。
 米は炊かなかったのか。まあ、それはこの際気にしない。2人も忘れていそうだった。
 鎖が鍋の蓋をとる。
 中身を見て、刺斬は目が点になった。まず目に入ってきたのは、青々と茂る、まるで小さな樹だった。
 何でブロッコリーが丸ごと入ってるんスかねえ!? 飾りつけ!? 飾りつけのつもりっスか!? 豪快で許される規模じゃないっスよ!?
 バナナの強い香りに誤魔化されていた。嗅ぎ分けると青臭い。
 あろうことか、カレーのようなものを皿に盛り、その上にブロッコリーを乗せた。それを目の前に差し出される。
 …何故。これを…齧れと…?
 嫌でも存在を見せ付けてくるブロッコリーは見なかったことにして、刺斬はカレーに混ざる具を注視した。
 この大きめの具…白い半透明。これは…大根…。もしや、俺がよく食べてるって言ってたのはこれっスか。大根もバナナに並ぶ調整が難しい具材だ。…まあ、これくらいなら。俺を思ってくれてのことだし。…ん? この白い玉のようなものは何スか? 小粒のじゃが芋にしては小さ…いや、これは…ボスの好物の白玉団子!? しかも、こし餡が入ってるやつ! 鎖さん、何故ボスを止めなかった…!? …あ、これは輪切りのピーマン……じゃねぇ!? 何だ!? 何でキュウリ!? 嘘だろ!? まさかピーマンと間違えたのか!?
 もう冷静でいられなかった。
 他にも、カレーには似つかわしくない具が見えるが、もうその正体を知る勇気が無い。
 想像を絶する摩訶不思議な状況に身が震える。これは只事ではない。
 刺斬は数回深呼吸して、気分を落ち着かせようとした。笑顔にしている口の端が引きつる。
 期待の眼差しを向ける2人を裏切るわけにはいかない。
 恐る恐るカレーのようなものを口へ入れる。
 今まで数々の修羅場も死線も越えてきた2人だ。万にひとつでも、可能性はあるかもしれない。
 世の中、神はいなくても、奇跡が起きるときはある。
 ……起きなかった。
 ガタンと音を立てて、刺斬はテーブルに突っ伏した。
 形容詞にしがたい、例えようのない味だった。喉に力が入る。風邪のせいで狭い気道が、更に締まるような息苦しささえ感じる。
 すごい。こんな味初めてだ。全身の毛が逆立ち悪寒が走る。体が本能レベルで危険を感じて飲み込むのを拒否してる。
「よかったな、鎖。刺斬、喜んでるぞ」
 Ⅸ籠が鎖に声をかける。
 ええ。お気持ちは大変嬉しいです。…お気持ちだけは。
 自分が今、どういう感情なのか分からなくなった。あらゆる感情が高まると、人は無心になれる。
 刺斬は、手近にあった取り分け用の小皿を手に取る。大変心苦しいが、この現実を2人に伝えなければいけない。
 カレーのような何かを小皿に盛ると、2人の前にそれぞれ差し出した。
 2人は各々それを食べる。
 自信満々だった表情が見る見るうちに険しくなっていく。鎖は口元を押さえ、Ⅸ籠はゲホゲホと咽た。
 青ざめた顔で2人が頭を垂れる。
「…ごめんなさい…」
 2人の声が、消え入るようなか細い声で重なった。
 
 
 
 
 
終わる


闇界

Ⅸ籠と刺斬のお話。


 昏い夕刻。
 毒素を含んだ大気は、沈みかける太陽の光で濁った血のような色に染まっていた。
 崩れた高層ビル群の隙間、底が見えないほど深い亀裂が入ったアスファルトの上を、Ⅸ籠は軽い足取りで歩いていた。
 途中まではギ・ターレン・カルクスで飛んで来たけれど、あの巨体を待機させておける場所がこの先に無いことを知っている。傾いたビルを薙ぎ倒して停まらせられなくもないが、この地をこれ以上破壊するようなことはしたくなかった。
 そこかしこに残る大型の機械や崩れたビルから突き出た鉄骨は、風化して殆ど原型を失っている。時々吹き抜ける風が、獣の唸り声のような音を立てて過ぎ去っていった。
 ここはかつて、世界の頂点にまで昇り詰めた工業国家であり、最先端の科学技術、最高の経済力、最強の軍事力を有していた。
 けれど今は、静かで誰も居ない、滅んだ国。それでもⅨ籠にとっては無下にできない場所だった。自分が生まれた国だから。
 本当はひとりでここに来たかった。けれどそれが許されるわけなく、後方には刺斬が付いて来ている。見失わない程度に距離をおいて付いて行くということで、お互いの譲歩となった。
 
 刻々と景色は色を変え、暗くなっていく。それに合わせるように、Ⅸ籠の右目は世界を正確に捉えるようになる。
 夜はいい。世界が明瞭に見える。昔、人は夜になると何も見えなくなると教えてもらった。だから暗闇を恐れるということも。そう教わっていたが、夜になると見えなくなるという感覚がⅨ籠には分からなかった。
 その代わり、目を閉じることには少し恐怖を感じるときがあるし、視界を塞がれるのは何よりも大嫌いだった。それと似たようなものかなと勝手に想像している。
 Ⅸ籠は、暗くなっていく世界と相反するように、普段は立てることの無い足音をわざと大きくして、歩みの速度を落としていった。
 刺斬は鎖よりも耳が利くと言っていた。視界が悪くてもある程度は音で周囲を視ることができる、と。だから、足音を立ててゆっくり進めば刺斬は迷わないはず。
 倒れた巨大な高層ビルのすぐ近くに差し掛かり、Ⅸ籠は不意に飛び退いた。
「っ…!」
 心臓が高鳴って身構えそうになった。割れたガラスに映った自分の顔を、あいつと見間違った。気の昂ぶった身体を抑えるように息を吐く。
 昔は、あいつの顔を見ると安心したりもした。
 でも、今は…。
 
 自分の顔が嫌いになったのも、あいつのせいだった。部屋に自分の姿が映るようなものは置かないし、鏡のある場所も避けていた。
 自分はあいつのクローンだから、同じ顔なのは当然だと分かっている。オリジナルとして、兄として、存在しているあいつのことが、憎たらしいのに大好きで、様々な感情がよく分からない錯覚を起こしてしまう。それが嫌で、自分の顔に傷をつけたことがあった。周りからの騒がれようが大事になって、上から怒られた。その時の顔の傷はとても深かったのに、もう跡形もなく消えている。少しくらい傷痕が残ってくれたほうが、よかったのに。
 
 倒れた巨大な高層ビルを通り過ぎるころには、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。一切の光を許さない暗黒の世界は、この右目にとても鮮明に映る。研ぎ澄まされる感覚は、鋭利に、精密に。拡がる意識は、万物を掌握できるような、この闇そのものが自分の一部のような。
 刺斬にはもうとっくに見えない世界になっているかもしれない。そう思った矢先、後方の離れた所からゴツとぶつかる音がして「…ってぇ」と小さな呻き声が聞こえた。
 Ⅸ籠は足を止めた。これ以上進むのは、刺斬には難しいだろう。この先は、更に崩壊が酷く、瓦礫の丘をいくつか登ることになる。
 ここから、あと5キロメートル進んだ先にある建物が、自分が造られた研究施設だった。
 そこまで行くつもりだったが、行ったところで研究に使っていたであろう機材の残骸しかない。執着するような私物があるわけでもないし、感傷に浸れる思い出があるわけでもない。
 自分の気持ちと刺斬を秤に掛ければ、自ずと刺斬に傾く。
「刺斬」
 振り返って呼ぶと、遠くから「はい」と聞こえた。
 Ⅸ籠は早足に通ってきた道を戻る。刺斬のすぐ前まで来ても、刺斬にはⅨ籠の姿が見えていないらしく、反応が無い。刺斬はいつも付けているヘッドフォンを外していた。その様子から、聴力だけを頼りに足場の悪い道をここまで付いて来たんだと知れた。こんな芸当ができるのは、刺斬だからなんだろうとⅨ籠は思った。
「戻るぞ」
「…っと。ボス、そこに居ます?」
 再び声をかけると、刺斬は驚いて身体を揺らした。
「暗視鏡、持ってこなかったのか?」
「あれ、嫌いなんで」
「そんなんで歩けるのか? 転ぶぞ」
「はははっ。ま、何とかなります」
 刺斬は笑いながら、小型の懐中電灯を取り出した。暗闇に、ぽつりと明かりが灯り、転がっているコンクリート片を照らし出す。それと同時に、刺斬の張っていた気が緩む気配がした。
 急な光の刺激に、Ⅸ籠はぎゅっと目を閉じた。この広大な闇の世界に、その光は今にも呑まれそうで、頼りないものに見える。こんなものでも人は安心するんだなと、何の気なしに思った。
 Ⅸ籠は、そんなもの持っているならもっと早く使えばよかったのにと言おうとしてやめた。きっと、ひとりで来たかったという自分の我侭に、刺斬は気遣ってくれて極力存在を感じさせないようにしていたんだろう。
「散歩はもういいんですか?」
「ん。付き合せて悪かった」
「お気遣いなく」
 刺斬は穏やかな表情で言った。
「ボス、足音立てていましたね。お陰で見失わずにすみました。鎖さんなら、この暗さでも少しは見えるかもしれませんが、俺は全く見えません。お気遣いいただいて感謝です」
「……」
 Ⅸ籠はどう応えればいいのか分からずに、口を噤んだ。刺斬は優しい笑顔のままだった。
 その様子を見流して、Ⅸ籠は歩き始めた。
 戻る道のりは、来るときよりも少しだけ速く進む。出生の地の滅び様を見回しながら、記憶に残っている景色と重ね合わせていた。
 電波塔が根元から折れて大きく傾いているのが遠くに見える。あそこは、兄と行ったことがある。遊び半分で研究員の目を盗んで施設を抜け出して、最後はあそこで捕まった。その時に、兄も自分も全く同じ服装をしていて、研究員は見分けが付かず、自分は暫くの間アーミィと兄の名で呼ばれていた。兄は勘違いしている研究員も困惑する自分のことも、面白がって高みの見物を決め込んでいた。
 Ⅸ籠は、少し後ろを歩く刺斬に顔を向ける。
「刺斬は、オレだって分かる?」
「へ?」
 刺斬が疑問符を浮かべて、目を大きくする。
「オレとあいつのこと、見間違わないか?」
「あいつ? …ああ…」
 刺斬はⅨ籠の言葉足らずの話から、何を言っているのか察したようだった。
「はは、そうスね。目の色しか違いが無いんで、目の色まで変装されたら、難しいかもしれません。こんな暗がりでは、見分けはできないでしょうね。…っと」
 話しながら、刺斬がアスファルトの亀裂に足をとられて傾いた身体のバランスをとる。
「でも俺も鎖さんも、ボスがどういう行動するか分かってるんで、間違うことはないですよ」
「何だそれ」
「クロウさんはクロウさんってことです。人を見分けるのは、見た目だけじゃないんスよ」
「ふうん…」
 Ⅸ籠は、よく分からないまま相槌を打つ。
 そういうものなんだろうかと、半信半疑だった。
 けれど、もやもやとした気持ちは軽くなっていることに気が付いて、自然と微笑んだ。
 
 
 
 
 
終わる


グラビティ

弐寺 永久少年 グラビティ:ガルフエッジ重圧を感じさせるような存在感があるのに、仕草や言動が可愛い印象が強い。
野生動物のような感じがするのも好き。
公式で腹ペコキャラになってしまった。だが、それも良い。


ある町の買い物

殺伐としていないアーミィとⅨ籠が書きたかっただけのお話。


 アーミィは薄雲のかかった空を見上げて、今日は雨が降らないだろうと確信した。
 人口の多いこの町は、生活物資の豊かで活気がある貴重な町。
 そんな町並みを歩いていると。
 聞き覚えのある声がして、アーミィは声のする方に目をやる。視線の先にあった姿を見て、俄かには信じられずに思わず三度見した。
 菓子の露店の前で、子供がせわしなく商品を選んでいる。黒いヘルメットを被っていなかったが、どう見てもⅨ籠だった。
「それ6個欲しい。あっちのも。あと、これ12個…」
 あれもこれもと、嬉々とした様子で菓子を指さして選んでいる。他の客は唖然とした様子で遠巻きに見ていた。
「坊や、こんなに買うのかい? お小遣いは足りるのかい?」
 店員が心配そうにⅨ籠に声をかける。その両手に持っているカゴには、菓子がいっぱい入っている上、足元にもすでに菓子の詰まったカゴが2つ置かれていた。
「金のことは気にするな。いくらでも払う」
「そうかい?」
「あとオレ、子供じゃない」
「そ、そうかい…」
 困惑した表情の店員には目もくれず、Ⅸ籠は菓子を選び続けていた。
 悪目立ちしているのは明白で、アーミィは兄として注意しなければいけない義務感が湧くほどだった。Ⅸ籠からしたら、もう兄だと思ってくれてないかもしれないけれど。
 Ⅸ籠が戦闘態勢に入る可能性はゼロではないが、日中であればⅨ籠を押さえられる自信があった。
 そっとⅨ籠に近づく。隣に立っても全く気付かない。いつもは気配を消していてもすぐにこちらを察知するのに。それほど菓子に夢中らしい。
 アーミィはⅨ籠の肩をぽんぽんと叩いた。
「そんなに買うのか?」
「いいだろ、別に……え? はぁ!?」
 Ⅸ籠に三度見された。そしてⅨ籠が驚愕の表情のまま2メートルほど飛び退く。咄嗟に腰の刀に手を伸ばしたが、ここで騒ぎを起こすことを躊躇ったようで、手をゆっくりと戻した。
「おい…。どうしてここにいるんだよ!」
 半眼で睨むⅨ籠。
「何か、目立ってたから…つい…」
 アーミィは他意なく素直に答えると、Ⅸ籠は周囲をちらりと見やって肩を竦めた。周囲からの奇異の視線の意味は分かったようだった。
「もういい。早く会計して」
 Ⅸ籠は口早に言いながら、店員にカードを押し付ける。店員は頷いて精算所へ走っていった。周囲の野次馬は、Ⅸ籠の異常な大量買いが終わったと分かるとそれぞれに去っていった。
 アーミィは一瞬だけ見えたカードに書かれていた名前が”八咫烏”だったので、Ⅸ籠のものに間違いないことに少なからず安心した。Ⅸ籠の本名でなくても、その名で通っているのは知っている。
「……」
「……」
 2人の間に沈黙が流れる。気まずい空気でお互いに目を合わせられなかった。
 暫くしたあと、Ⅸ籠が口を開いた。
「…あっち行けよ…」
 そう言われ、アーミィはこれ以上ここに居てもⅨ籠の反感をこうむることになりそうだと思い、振り返ろうとした。…が。
「ほら、半分は兄ちゃんが持ってやれ」
 声がして、アーミィは目の前に差し出された大きな袋2つを反射的に受け取ってしまった。袋の向こう側の店員はにんまりとした笑顔を浮かべている。アーミィを一緒に来た兄弟だと思ったようだった。そうじゃないけど、間違ってない。
「こんなに買って、大丈夫かい? 気をつけて帰りな? 喧嘩しないで、兄弟仲良く分けるんだよ?」
 店員が残りの袋とカードをⅨ籠に渡して、アーミィとⅨ籠の頭をそれぞれ撫でた。目の前の兄弟が殺しあう仲だとは夢にも思っていないだろう。
「……」
「……」
 再び気まずい空気に包まれ、アーミィは唇を噛み、Ⅸ籠は引きつった表情になった。2人はどちらからともなく、そそくさと店から離れた。
 
 
 町の大通りから、1本曲がった少し細い道を歩く。大通りほどではないものの、ここも多くの人が行き来している。
 アーミィはどこへ向かうのか分からないまま、Ⅸ籠に行き先を合わせていた。両手に提げた菓子が詰まった大きな袋を、Ⅸ籠に渡すに渡せない状態だった。なにせ、Ⅸ籠も同じように大きな袋を両手に提げている。
「こんなに買って…。どうやって持って帰るか、考えなかったのか?」
「お前に関係ない。ここじゃなかったらその首斬ってるところだ」
 アーミィの問いに、Ⅸ籠が敵意を露わにして声を大きくする。しかし、両手に提げた菓子袋のせいで凄味は皆無だった。
「あの2人は来てないの?」
 アーミィはⅨ籠の部下を思い浮かべながら訊いた。Ⅸ籠は滅びた工業国家の生物兵器として扱われている。簡単にひとりで出歩けるような身分じゃないことは知っていた。部下の目を盗んで出てきたのは容易に想像がつく。大量に買い込んだ菓子から推測されることがいくつか思い浮かんだが、どれも他愛のない子供思考のものだと分かって、アーミィは考えるのをやめた。
「今日は、…その…」
 と、Ⅸ籠は言いかけて口を閉ざし、代わりに「今日、オレがここに来たこと誰にも言うなよ?」と話を続けた。
「言わないよ。僕が危険を冒してまで組織に密告できるわけないだろ? ギガデリやグラビティに言っても「殺されなくてよかったな」で終わるよ」
 アーミィはゆっくり頷きなが答えると、Ⅸ籠はそれもそうかと納得したようだった。こくりこくりと数回頷くⅨ籠の仕草が、昔のⅨ籠と変っていないことにアーミィは少しだけ安心した。
「Ⅸ籠、団子好きだったよね? この町の東通りの店で売ってるよ。今日は手一杯だから、次に来たときに買いなよ」
「…あぁ、そ。……ありがと…」
 Ⅸ籠は顔を伏せてぼそりと小さく呟いて、ちらりとアーミィを見上げた。そして間を置かずして、はっと顔を上げた。
「いや! そうじゃなくて!」
 声を張り上げて、アーミィとの間合いを取って対峙する。
「…こいつを殺せばオレは…。今は命令されてないし…、だけど…」
 Ⅸ籠は身構えて険しい表情でぼそぼそと独りごちたあと、人が変ったようにころりと態度を変えた。薄い笑顔を浮かべる。
「今日はいいや。戦うのはまた今度。兄さんのことは好きだけど、オレはオレにならなきゃいけないし、本物になりたいから殺したい。会えたのは嬉しいけど、憎いし許せない。今すぐ殺したいけど、兄さんになら殺されてもいいし」
 支離滅裂な発言を穏やかに流暢に語る。何の陰りも無いその様子に、アーミィは薄ら寒い違和感を感じた。そのどれもが本心からの本音なのは分かるものの、どれが核心の本性なのかまでは分からなかった。Ⅸ籠はⅨ籠のはずなのに。
「次に会った時は・・・」
 Ⅸ籠は上機嫌で呟きながら、風のように走り出した。
 アーミィは慌てて手に持った菓子の袋を挙げる。
「Ⅸ籠、これ!」
「いらない、あげる。持って帰るの面倒になった! どうせお前、半分野宿暮らししてるんだろ? それ持ってけよ。鎖はお菓子が好きだから、鎖のオリジナルもお菓子好きだと思うけど?」
 にやりと意地悪い笑顔を浮かべるⅨ籠。アーミィはありがとと礼を言うと、Ⅸ籠は一瞬だけ複雑な表情を見せた後、はにかんだ笑顔になった。
 そして振り返ることなく、呆然と立ち尽くすアーミィを置いて走り去って行った。
 
 
 
 
 
終わる


Quakesの子

弐寺 QuakesQuakesの巻き角の子が可愛いのだぜ。鹿角の子もいいが、巻き角ケモのほうが好みだな。
もこもこ、角、獣毛、髪、肌と、描き応えがある。巻き角描くのに苦労したという。



再会の距離

アーミィとⅨ籠のお話。
鴉ノ籠のお話の後あたりに位置する内容かもしれない。


 細かな毒砂の風が頬を撫でる。
 崩れたビルが点在するこの誰もいない廃れた街を選んだ理由は特に無いけれど、場所で言えばお互いに有利でも不利でもないとアーミィは考えていた。
 ただ、時間で言えば悪条件なのは自分だけで、その理由は夜だからだった。でも、それでもいいと思っていた。
 暫くの間、アーミィは視界の悪い暗い世界を進み、指定の場所に着いた。
 霞んだ三日月の光の下、公園だった広場にある水の無い円形の噴水の縁に腰をかけている黒い後姿が見える。アーミィは十分に辺りを注意しながら広場に足を踏み入れた。他の者の気配が無いと分かると、少しだけ気が緩んだ。
 アーミィは深く息を吐いた。数年間、ずっと離れていた弟との再会。背の低かった弟は、あの頃と違って背丈も体格も同じくらいになっている。
 1対1で会いたい、こちらの用件が済めば後は自由にしていい。という条件。本当に応じてくれるとは思っていなかった。罠を仕掛けてるだろうと覚悟していたけど、そんな様子も無さそうだった。
 憎まれていることは知っていたし、今更元通りにできないことも知っている。全て、自分のせいであり、そのせいで大切な弟を傷つけた。
「へぇ…。本当にひとりで来たんだな」
 どう声をかけようか迷っていると、先に声をかけられた。
 Ⅸ籠がゆっくりとこちらへ振り返る。同時に、隠す気のない鋭い殺気を向けられる。
 良く知っているはずの弟の、初めて見る顔。軽蔑するような冷たい目線。そういう顔をされることは十分承知していたけれど、いざ目の前にすると心に爪を立てられた気分になって、声をかけようと薄く開いていた唇を噤んだ。
「よほど余裕なのか、ただのバカなのか…。先に言っておくけど、オレを殺せるなんて期待するなよ?」
 一切の温度を感じさせない口調で、Ⅸ籠が言った。こちらへ身体を向けて座り直すと、目を細めて睨みつけてくる。
 こんな言い方をするようになってしまったのかと、アーミィは昔のⅨ籠とはすっかり変わってしまった様子に喉が引き攣るような息苦しさを覚えた。
「そんなつもりで呼んだんじゃないよ。話がしたかっただけ…」
 アーミィは首を振って答えた。
「Ⅸ籠こそ、ひとりで来てくれたんだね」
「お前がそう条件を付けたんだろう?」
「うん。応じてくれて、ありがとう」
「…何それ…気持ち悪い…」
 あからさまに嫌悪の表情を浮かべて、Ⅸ籠が呟いた。そんな顔をされるのが苦痛に感じて、アーミィはⅨ籠から目を反らせた。あんなに懐いていた弟の変り様に指先が震える。目の前の弟は本当に9番目の弟なのか、疑念すら浮かぶほどだった。
「Ⅸ籠…だよね?」
 不安から思わず声に出してしまって、アーミィは下手したとすぐに気付いた。思った通り、Ⅸ籠は表情を険しくする。
「はぁ? 破棄されたと思ってた? ああ、そうだよね、お前と違って”オレたち”は欠陥兵器だからな」
「違うよ。そういう意味で言ったんじゃない。Ⅸ籠は完全な永久少年だよ。僕と同じ」
Ⅸ籠の卑屈な言い返しに、アーミィはすぐさま否定の言葉をかけた。
「…ねぇ、Ⅸ籠。”オレたち”って、どういうこと?」
 もしかして、10人目が存在するのか。でもその可能性は有り得ない。10人目を造らせないために、逃亡したのだから。可能性としては、処分したと聞かされた8番目までが本当は処分されていなくて、Ⅸ籠がその存在を知ったとしか思えない。
「お前と無駄話するつもりは無い」
 触れられたくないことだったのか、Ⅸ籠が低く強い口調で言った。
「で? 用件は何?」
 と、吐き捨てるように言いながら、Ⅸ籠が立ち上がって近づいてきた。暗闇に透ける様な、黒い姿。凍てつくような視線。
 たった5メートルほどの間合い。その先にいる弟が、とても遠くに思えた。
「ごめんね、Ⅸ籠」
 アーミィは、真剣な眼差しを向けて、ゆっくりとしたひと言を口にした。
 ずっと言いたくても言えなかったことを、やっと言えた。この言葉を、今まで何度心の中で叫んだ事か。
 Ⅸ籠は驚いたように目を見開いた後、すぐに顔を歪めた。
「はぁ? どういうつもり?」
 その声色には疑惑も不満も怒りも混じっていた。
「今日、呼んだのは、Ⅸ籠に謝りたかったからなんだ」
「あははっ、何それ? 命乞いのつもり? そういうの、オレには通用しないよ?」
 首を傾げて冷笑するⅨ籠に、アーミィは唇を噛んだ。これも、こうなるであろうとある程度の予想はしていたけれど、実際に目の当たりにしてしまうと、やりきれない気持ちになった。
「Ⅸ籠…。僕のこと、恨んでるよね」
「それはお前が一番分かってるだろう?」
「屋上に行った時のこと、覚えてる? Ⅸ籠が光に弱い目だったなんて、知らなかったんだ。酷いことしたと思ってる」
「……」
「Ⅸ籠の目の事で、大人たちが話し合ってるのを聞いたんだ。新しいクローンを造るって。新しいのができたらⅨ籠を処分するって言うから、僕はクローンを造らせないように逃げた」
「…嘘だ…。そんな話、信じるわけないだろう?」
「Ⅸ籠が信じたくないなら、それでもいい。でも、僕はその事を謝りたくて、今日会いに来たんだよ」
「黙れッ!」
 Ⅸ籠が急に飛び掛かってきて突き倒す。アーミィはⅨ籠の行動をそのまま受け入れた。最初から受身を取るつもりはなかった。
 硬い石畳に背中を強く打って、肺が呼吸するのを拒んで息が詰まった。
 そんなアーミィに、馬乗りになってⅨ籠が見下ろす。その顔は不服そのものだった。
「…どうして抵抗しない?」
「僕の用件は済んだから。あとはⅨ籠の好きにしていいよ。殺したいなら、そうすればいい」
「お前…何言って…。…ふざけるな!! 今まで尻尾すら掴ませなかったクセに!! 何なんだよッ!!」
 大声を出して、Ⅸ籠は手にしたクナイを振り下ろした。右肩に激痛が走って身体が強張った。
「オレのこと、出来が悪い劣化品だって見限ったんだろ!?」
 堪えるような声で、Ⅸ籠が言った。
「え…」
 アーミィは目を大きくした。そんな事、一度も思ったことがない。一体何を言っているのか。
「お前がいない間、オレはずっと、出来が悪い代用品扱いされて…どんなことされて、どんな思いで過ごしたか…。こんな…謝ったくらいで…! 絶対に…許すもんか…!」
 その話にアーミィは息を呑んだ。Ⅸ籠の様子から、想像していたよりも深刻だと感付いた。でも、Ⅸ籠が出来が悪いなんてことは無い。光に弱い目ではあったけれど、それを補うに十分過ぎる絶対的な支配能力を持っていた。それに9番目にしてやっと成功した永久少年なのだから、厳酷な扱いをされるはずがない。Ⅸ籠は何を言われたんだ。何があった。
「僕はⅨ籠を悪く思ったことなんてないよ!」
「嘘つくんじゃねぇッ!!」
 Ⅸ籠が声を荒げて刀を抜いた。
 アーミィは反射的に身構える。けれど、振り上げた刀が振り下ろされることはなかった。
 Ⅸ籠は振り上げた右手を、自分の左手で押さえていた。
 その時に、アーミィは確かに聞いた。Ⅸ籠がとても小さな声で「兄さんを殺さないで」と呟くのを。
 Ⅸ籠は舌打ちをして刀を石畳に突き刺す。威嚇するような鋭い視線を向けたまま、ゆっくりと立ち上がって身を引いた。
「帰れよ…。今日は、見逃してやるから」
 掠れた声で、Ⅸ籠が言った。
 アーミィは血の流れる右肩を押さえながら立ち上がる。Ⅸ籠の不可解な言動も気になったけれど、それを訊くための言葉が思いつかなかった。
 Ⅸ籠の中で、まだ少し、ほんの少しだけでも、まだ気持ちがあるのなら。
「これだけは信じて。僕はⅨ籠を裏切ったんじゃない。国家を裏切ったんだよ」
 と、そう言うと、Ⅸ籠はぴくりと身体を揺らして目を見開いた。そしてすぐに歯を食いしばった。
「うるさいッ!! さっさと消えろ!!」
 そう叫んでⅨ籠がクナイを投げてきた。左腕を掠めて後ろのコンクリート片に刺ささる。
 何もかも拒絶するような目で見据えてくるⅨ籠に、これ以上はどんな言葉をかけても反感を買うだけだと判断したアーミィは、踵を返して歩き始めた。
 後ろから斬りかかってくるなら、それでもいいと思った。
 しかし、数メートルほど歩いたところで、背中に刺さったのは刀の切っ先ではなく、嗚咽を殺して泣く声。
 それはずっと昔に聞いていた弟の泣き声と、全く同じだった。
「Ⅸ籠…!」
 耐えられなくなって振り返る。
 けれど、そこに弟の姿は無かった。
 
 遠くの空が明るんできた広場に、苦い毒砂の風が通り過ぎていった。
 
 
 
 
 
終わる