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籠ノ鴉-カゴノトリ- 4

刺斬とⅨ籠の話。


 毒砂を運ぶ乾いた風が吹く。
 淀んだ大気の空に浮かぶ月は、頼りない輪郭で夜の世界を薄く照らしていた。
 崩れたビルが並ぶ死んだ街。かつては文明が発展していた場所であったことを誇示するように、そこかしこに用途不明な機械が散乱している。
「わざわざボスが出るまでもないでしょうに」
 刺斬は、少し前を走るⅨ籠に声をかけた。
「上からの命令だ。眠れなかったからちょうどいい」
「そうですか」
 Ⅸ籠が睡眠薬に頼らないと眠れない事を知っている刺斬は、それ以上は何も言わなかった。
 ひび割れたアスファルトに散らばるコンクリートの瓦礫を飛び越え、周囲の気配を探りながらターゲットを追う。
 クローン3体が、組織から逃げ出した。どれも部隊長候補として育成中のクローンだ。手に余る相手だからと、Ⅸ籠が呼び出された。どんな内容でも上層部からの命令となれば、Ⅸ籠は従順だった。
 Ⅸ籠ひとりではどうしても心配だった刺斬は、Ⅸ籠に同行を申し出た。心配だからという理由ではⅨ籠が怒るのは分かっていたので、戦うところを見学したいという幼稚な理由を付けた。Ⅸ籠は少し厭そうな顔をしたが、了承してくれた。
「夜中に逃げ出すなんて、バカだな」
 Ⅸ籠がくくくと笑った。捕食を確信した、獣のような顔で。
「相手さん、ボスが出向くとは思ってないでしょうからね」
 刺斬は薄く笑いながら、返事をした。夜に行動するのは正しい判断だが、Ⅸ籠にとって光の少ない夜は有利でしかない。
 大きな瓦礫の山を越えた所で、Ⅸ籠は急に足を止めた。
「止まれ…」
「…っと」
 刺斬は急に止まった反動で倒れそうになった身体を、半歩踏み出して踏ん張って耐えた。Ⅸ籠がターゲットを発見した事を察して、その場に身を屈める。
 すぐ隣で立つⅨ籠は、一点を見つめていた。鎖のような美しい月色ではなく、攻撃的な鋭い獣のように金色に輝く瞳。それは、狙ったものは絶対に逃さない、残酷で完璧な狩りを彷彿させる。
 刺斬は、Ⅸ籠が見る視線の先にある廃ビルの陰に目を凝らしたが、暗闇に慣れた目でも何も見えなかった。暗い方がよく見えるというⅨ籠の目には、相手がはっきり見えているのかもしれない。
「すんません、自分には見えません」
「お前は出る予定じゃなかったんだから、何もしなくていい」
 そう言い残して、Ⅸ籠は歩き始めた。音も立てず気配も感じさせない、完全に闇に溶け込んだ様は、地に足が着いてるのを疑うほどのものだった。
 刺斬はⅨ籠の邪魔にならないように十分距離をおいてから、後を追った。上層部からどういう命令を受けているのか分からないが、狙撃しない事を考えると、捕らえる事が目的なのだろうか。
 ほどなくしてから叫び声が聞こえた。何かのぶつかる音とビルのコンクリート壁が崩れる音、ターゲットが逃げる際に持ち出したと思われる銃の銃声が数発。
 一方的な戦いだった。3対1であっても、Ⅸ籠に攻撃が掠る事すらなかった。
 Ⅸ籠の近くへ寄ると、ひとりはすでに血だらけで倒れていた。
 残りの2人は壁の角に追い詰められていた。すっかり戦意喪失したらしく、しゃがみ込んで寄り合いながら怯えている。よく見れば、まだ若い青年だった。
「Ⅸ籠さま、許してください…」
 片方の子が、怯え縋る目をⅨ籠に向けて声を出した。
 Ⅸ籠は首を傾げる。
「許すかどうか決めるのは、オレじゃない。お前たちの事は、生きたままでも殺してもいいって言われてる。オレはどっちでもいい。お前たちが決めていいぞ」
 淡々とした口調で、Ⅸ籠が答えた。その後で、今度はゆっくりと少し低い声で言う。
「でも、一度裏切ったら、前と同じ扱いはされないからな? …分かるだろう?」
 その言葉は、この場に居ない、遠い誰かに対して言っているようにも思えた。
 許しを願った方の子が、地面に頭をつけるように土下座をする。
「お願いです、どうか弟だけは見逃してください」
「…へぇ…」
 びくりと、Ⅸ籠の身体が動いたのが見えた。
 それを境に、刺斬は何かが変わったのを感じた。
「…あはは! お前たち、兄弟なのか」
 笑い声を上げてⅨ籠の様子が一転した。先ほどまでの静かな態度ではなく、興奮したように落ち着き無く身体を揺らす。
 刹那。弟であろう片方の子が悲鳴を上げた。下腿に深々とクナイが刺さっている。Ⅸ籠がクナイを投げた瞬間が全く見えなかった。
 痛みに苦しむ弟を見て、青ざめた顔で抱き寄せる兄。それをじっと興味津々に、Ⅸ籠は見ていた。
「ボス…」
 不穏な空気を感じて、刺斬はⅨ籠にそっと声をかける。Ⅸ籠は何の気色も無く、見上げてきた。いつもの顔付きと違う。
「お前は、さぎり…だったな」
「?」
 Ⅸ籠の言葉に、刺斬は奇妙な引っかかりを感じた。Ⅸ籠は兄弟の方に目線を戻して、まじまじと様子を見る。怒りや哀れみといった感情は一切無く、ただただ観察するという目だった。
「ボス、…どうしました?」
「うん? Ⅸ籠がどうしたって?」
 視線はそのままに、Ⅸ籠が返事をした。
「いえ…」
 刺斬は言葉に詰まった。どう言えばいいのか。明らかに何かが違うのは分かるのだけど、それが何であるのか言葉に表せなかった。
 辺りには、痛みで呻き声を出す弟と、その弟の手当てをする兄の必死な励ましの声が響く。
「その脚では走れない。逃げないの? 弟を捨てて」
「そんな事…できない…」
「ふぅん…」
 涙目で答える兄を見て、Ⅸ籠が不思議そうに頷いた。
「おかしいなぁ…。弟が動けないなら、置いて逃げると思うけど? あ、それとも、逃げようとしたら殺されると思った? そうでしょ? そうだよね? 間違ってないんだけどさ、あははっ!」
 空を切る音。
 消えた呻き声。
 Ⅸ籠の含み笑い。
「ほら、逃げないの? …君の弟、死んだよ?」
 刀を鞘へ納めて、Ⅸ籠が言った。
 鈍い転がる音。その正体が首だと知った逃亡者の兄は絶叫した。
「よくも…よくも、殺したな…!」
「どうして怒るんだ?」
「怒らないヤツなんているか!」
 逃亡者の兄は持っていたナイフをⅨ籠へ放った。
 Ⅸ籠は小さな虫を払うように、投げつけられたナイフを払い落とす。
「そうなの? 怒る事なのか?」
 Ⅸ籠の言動を見ていた刺斬は、顔を引きつらせた。なんだこれは。Ⅸ籠は一体何を考えてるんだ。最初の時と態度が全然違う。
「兄さんは、どうしてⅨ籠を置いて行ったんだ? Ⅸ籠を殺せば、兄さんは怒るのか? でも兄さんは殺さなきゃいけないから、Ⅸ籠を先に殺すのは…」
 腕を組んで考え込み、ぶつぶつと独り言を言い始めるⅨ籠。
 耐えられなくなった刺斬はⅨ籠の腕を掴んで、こちらに振り向かせた。
「あんた、誰だ」
 不意に口を衝いた疑問。でも、それが一番知りたかった事だった。明らかにいつものⅨ籠じゃない。
「どうしたの? 前に会いに来たのに、僕の事忘れたの?」
 ぽかんとした表情で、Ⅸ籠が目を瞬いた。
「僕は…『Ⅴ番目』だよ」
 その言葉に寒気がした。
 刺斬は、無意識にⅨ籠を掴む手から力が抜けた。
 そんなの有り得ない。目の前に居るのは、間違いなくⅨ籠のはず。けれど、いつもより少し低い声、似てはいるが別人のような顔付き。そして今、『5番目』と答えた。これでは、まるで…。いや、悪い冗談だろう。そうとしか思えない。
 Ⅸ籠は呆然と立ち尽くす刺斬の横を通り過ぎて、弟の死体に泣きつく兄の方へ近寄ると、しゃがんで顔を近づけた。
「もう飽きた。君、本当はコイツの兄さんじゃないよね? そうでなきゃ、おかしいでしょ? ねえ?」
 答えを求めるような物言いの後、Ⅸ籠が何かを囁いたが、刺斬には聞こえなかった。
 
 
 
 弱々しい月明かりの下、眠たそうに目を擦りながら隣を歩くⅨ籠に、刺斬はゆっくりと声をかける。
「ボス、お迎え呼びましょうか」
「いらない」
 突っ撥ねるような短い返事。いつものⅨ籠の声。他人の温度を寄せ付けない変に強がりな所も、いつも通り。それに少し安心した。眠りこけて倒れたら、担いで帰るつもりだから構わない。
 廃ビルの陰にⅨ籠が殺した死体を3つ残して、眠気で歩みの遅いⅨ籠を気遣いながら、基地へと向かっていた。
 Ⅸ籠が言った通り、生きたまま連れ戻した所で以前と同じ扱いをされる事は無い。酷い人体実験の果てに処分される。それを思えば、あの3人にとってはマシな結果だ。兄弟には後味悪い最期だっただろうけれど。
 刺斬は先ほどの事を思い出していた。
 あの時のⅨ籠は何だったのか。異常なほど、兄という存在を気にしていたようだった。常日頃、部屋にいる失敗作の兄たちを気にしている事はあるが、その感じとは全く異なっていた。ターゲットを始末した後は、元のⅨ籠に戻って、眠たそうにし始めた。
「無粋な事を承知で、お聞きしてもいいですか?」
 意識が正常でない相手に質問するのは、本当はよくない事だと分かってはいる。それでも、聞かずにはいられなかった。正常な時では、絶対に答えてくれないだろう。
「ボスのお兄様たちは、赤ヘル…いえ、行方不明のお兄様を、どう思ってますか?」
 我ながら、変な質問だとは思う。Ⅸ籠の失敗作である兄たちは会話できる状態ではない。Ⅸ籠がその兄たちの気持ちを知っているはずはないのだから。
 それなのに。
「殺したい。好き。嫌い。会いたい。憎い。戻ってきて欲しい」
 ぽつりぽつりと、小さい声でⅨ籠は答えた。ちょうど、6つ。あの部屋の兄たちの人数分、迷い無く。
「ボスは、どう思ってます?」
「…裏切って逃げた事…絶対に許せない」
「そうですか…」
 刺斬は頷いた。これで、今までの事の辻褄が合う。
 いつだったか本で読んだことがある。こんな事なら流し読みするんじゃなかったと、刺斬は悔やんだ。
 急に別人のように怒り出すのも、以前に殺戮をして鎖を本気で殺そうとしたのも、先ほどの執拗に兄を気にしていた様子も、Ⅸ籠の別の人格。
 解離性同一性障害、いわゆる多重人格というやつだ。
 にわかには信じがたい事だが、別の人格はそれぞれⅨ籠の兄と思い込んで性格が独立しているのかもしれない。
 刺斬は目を細めた。こんな重大な疾患がある事を、上層部が知らないはずが無い。上層部がⅨ籠の処罰を変えたのもこれが理由だと確信した。
「っと…」
 刺斬は倒れそうになったⅨ籠を片手で押さえた。
 本当に世話が焼ける。同行して正解だった。ここに来る前に、相当な量の睡眠薬を飲んでいたようだったから無理も無いか。
 完全に力の抜けた小さな身体を肩に担いで、刺斬は深く息を吐いた。
「俺も鎖さんも、ボスの事は必ず守りますから。信じてくださいね」
 普段こんな事を言ったらきっと怒るだろうから。聞こえないことを承知で、自分の気持ちを言葉にした。
 
 
 
 
 
つづく



命の挿花

アーミィとⅨ籠が一緒にいた昔話。アーミィが組織を裏切って逃亡した理由の妄想。


「兄ちゃん、ただいま」
「おかえり、Ⅸ籠」
 よく似た声、鏡でも見てるかのようにそっくりな姿の弟が、部屋に帰って来た。
 少し背が低くて、金色の瞳と、他の人が見分けやすいようにと左頬には黄色い刺青の線が入っている以外は、何もかも同じ。
 Ⅸ籠は文字通り血肉を分けた兄弟。弟として一緒に育てられたクローンだった。
「今日の訓練、教官に注意されちゃった…」
 Ⅸ籠の話を聞いて、僕は読んでいる本を閉じて机の端に置いた。
「どうして?」
「銃の使い方、なかなか覚えられなくて…」
 苦笑いを浮かべるⅨ籠。
 Ⅸ籠は少し、ほんの少しだけ、物覚えが遅い。いつも僕から2~3歩遅れて、ゆっくり時間をかけて覚える。
 その代わり感覚的な戦闘技術のセンスは抜群にいい。機械に頼らず、単純に斬る殴るといった戦闘の方が得意だった。
「Ⅸ籠は忍器の方が得意なんだから、そっちを伸ばすようにすればいいのにね」
「全ての重火器も扱えるようにしなさいって言うんだもん」
 口を尖らせて、Ⅸ籠はソファーに座って足をぶらぶらと揺らした。
「でも、いいんだ。オレも兄ちゃんみたいに、上手に使えるようになりたいし…」
 目を閉じて、自分に言い聞かせるようにⅨ籠が言った。
 僕はⅨ籠の隣に座って、Ⅸ籠の頭を撫でた。
「じゃあ、覚えるまで僕が教えてあげる」
「ほんと? ありがと!」
 明るい弾む声。自分と同じ声なのに、心地よい響きに感じる。
「兄ちゃん大好き!」
 Ⅸ籠が嬉しそうに抱き付いてきた。
 僕はそっとⅨ籠を抱き返して、背中を撫でた。
 
「それ、どうしたの?」
 ある日部屋に戻ると、Ⅸ籠がお菓子が詰まった大きな袋を持って待っていた。
「真っ赤な髪の人と、大きな刀持った人がくれた。ちょっと怖かったけど」
「ちゃんと、お礼は言ったの?」
「うん、言ったよ。そしたら頭撫でてくれた。兄ちゃん以外に頭撫でてくれたの、初めてかも」
 そう言って照れ笑いをするⅨ籠に、何だか心くすぐられた。
 Ⅸ籠はよく笑い、屈託の無い笑顔をする。
「一緒に食べよ」
 お菓子の袋を差し出すⅨ籠に、僕は笑って頷いた。
 Ⅸ籠といつも一緒にいて、笑顔を向け合い、笑い声を重ねる。
 毎日の日課のような、当たり前の日常。
 それを失ってしまう日が来るなんて、考えもしなかった。
 
 
「Ⅸ籠、空を見に行かない?」
 僕はソファーに寝そべって本を読んでいるⅨ籠に声をかけた。
「空?」
 Ⅸ籠が目を丸くする。
「今日は毒砂が少ないから、綺麗な空が見られるかも」
 いつも有毒な砂を含む風のせいで、綺麗な空が見られるのはすごく珍しい。
 きっとこんな日は滅多に無い。Ⅸ籠と一緒に見てみたかった。
「うん、見たい!」
 笑顔で答えるⅨ籠の手を取り、僕は屋上へ向かった。
 空に浮かぶ太陽は、Ⅸ籠の瞳に似た金色をしている。きっと、Ⅸ籠も見たら喜ぶはず。
 2人ではしゃぎながら、薄くホコリが積もった長い長い螺旋階段を駆け上がった。
 階段を登りきると、目の前には少し錆びが付いた小さな鉄の扉。鍵は掛かっていなかった。
 少し力を入れて扉を押すと、隙間から光が差す。
「すごい! 今日の空は青い!」
 僕は思わず大きな声を上げて、屋上へ飛び出した。
 広い広い、外の世界。
 久しぶりに見る空は、記憶にある薄黒い濁った色と全然違っていて、太陽は目に沁みるくらい輝かしい金色だった。
 なんて美しい世界だろう。Ⅸ籠と一緒に来て本当に良かった。
「Ⅸ籠もおいでよ」
 振り返ると、Ⅸ籠は階段で立ち止まったままだった。
 不安げな顔で目を細めて、じっと僕を見ている。
「大丈夫。何も怖くないよ」
 躊躇っているⅨ籠に声をかけた。
「…うん…」
 Ⅸ籠は、恐る恐る屋上へ踏み出した。
 外へ出て陽の光を受けると、Ⅸ籠は悲鳴を上げた。その場にうずくまって、両手で目を覆いながら泣き叫ぶ。
 突然の事態に、僕は身体が硬直した。心臓を抉られるような痛みを感じた。
 
 すぐにⅨ籠は医務室に搬送された。
「Ⅸ籠ごめん。ごめん…。僕、ひどい事した…」
 ベッドの上でうわ言のように痛い痛いと呟くⅨ籠の手を握って、ただただ謝る事しかできなかった。
 知らなかった。Ⅸ籠が光に弱い目をしていたなんて。僕と同じだと、ずっと思い込んでいた。
 Ⅸ籠はどうなってしまうんだろう。こんなに痛がっているのに、何も出来ない自分に腹が立った。
 大人たちが数人集まり、部屋に戻るように言われて、医務室を追い出された。
 罪悪感を引きずりながら、重い足取りで部屋に戻った。
 倒れるようにベッドにうつ伏せになる。目を閉じても、流れる涙は止まりそうも無い。
 その日はずっと眠れずに過ごした。ひとりの夜は信じられないくらい長くて、暗いものだった。
 
 
 翌日、すぐにも部屋を飛び出した。早足で医務室へ向かう。
 大通路を進んでいると、白衣を着た大人たちが歩いて行くのが見えた。
 言い争いをしているらしく、お互いに睨み合っている。
 嫌な予感がして、柱の陰に隠れた。
「やっと成功したと思ったのに、とんだ失敗作だ」
「あそこまで成長するのに、どれだけ手がかかったと思ってる」
「そうは言っても、外に出せない生物兵器では役に立たない」
「眼球を移植するのは…」
「永久少年は特殊な細胞のせいで移植は不可能」
「新しいのを造って、処分した方がいいのでは?」
「次に成功するのは、いつになる? ただでさえ永久少年の複製は困難なのに」
「では、あのまま欠陥品を使えと? それこそ無駄でしょう?」
「それでは、やはり…」
 血の気が引くような寒気がした。Ⅸ籠の事を話しているのは察しが付いた。
 あいつら、何を言ってるんだ。ふざけるな。
 込み上げる気持ちを抑えて、医務室まで全力で走った。
 真っ白な部屋のベッドの上で、目に包帯を巻かれたⅨ籠が眠っていた。
 飛び付くように駆け寄って、Ⅸ籠の身体を揺らす。
「Ⅸ籠! Ⅸ籠起きて! 殺されちゃうかもしれないよ! ねえ、起きてよ!」
 いくら声をかけても、Ⅸ籠は起きなかった。
 このままじゃⅨ籠は殺される。
 どうすればいい?
 焦る気持ちが頭の中を支配する。
 Ⅸ籠の腕に刺さっている点滴針を抜いて、Ⅸ籠を背負った。
 医務室を出ようとした所で、見つかってしまった。
 不審な行動をした事を咎められ、左足に枷を付けられて牢屋に詰め込まれた。
 
 狭い牢屋の一室。冷えた床の上で、膝を抱えてじっと座っていた。
 Ⅸ籠の事ばかりが頭に浮かぶ。いくら考えても、最悪の事態にしかならなくて、その度にぎゅっと唇を噛んだ。
 しばらくした後、物音が聞こえて僕は顔を上げた。
 鉄格子の向こう側に、白衣を着た中年の男が姿が見える。
「Ⅸ籠はどうなったの?」
 僕はすぐに声をかけた。
「処置はしたけど、目が覚めないと何とも言えないね。運よく失明じゃなかったとしても、視覚に障害が残る可能性は高いかな」
 感情の色の無い返事が返ってきた。
 そして手に持っている鍵を使って牢屋扉を開けると、ゆっくりと入ってきた。
「Ⅸ籠を…殺すの…?」
 近づいてきた白衣の男に、もう一度問いかけた。
「知力はともかく戦闘能力の伸びは目覚しい…。でも欠陥品と分かってしまってはね…」
 白衣の男は溜め息をする。
「永久少年は複製がとても難しい。正直なところ、ナンバー9の完成は奇跡的だったんじゃないかな」
 腕を組み、ひとり納得するように白衣の男はうんうんと頷く。
「夜間でも支障無く活動できるようにと視細胞を弄ったのがミスになったのかな。視神経のアレが…いや、桿体細胞が悪かったのかも…」
 白衣の男は、長い独り言を続けていたが、僕と目が合うと独り言を止めた。
「心配するな。いずれ新しい弟ができるさ。また仲良くすればいい」
 慰めの言葉のつもりだったんだろうか。
 もう何を言われても、どんな言葉も、耳には入らなかった。
 思いついた。Ⅸ籠を守れるかもしれない方法が。
 もう、この方法しかない。
「ほら、弟が欲しいなら、お前が必要だ。ラボに行こう。次はもっと物覚えの良い賢い弟が出来…」
 白衣の男の言葉が途切れた。
 鈍い音が牢屋に反響する。
 目の前の男を蹴り倒していた。その勢いで、壁に繋がっていた足枷の鎖も切れた。
 脆い。こんなにも簡単に気絶するなんて。非戦闘員なんてこんなものか。
 白衣の男が持っていたカードキーと護身用の拳銃を奪って、急いで牢屋を出た。
 ひとり倒せば、あとは何人でも倒す事に抵抗は無くなっていた。警備兵を倒し包囲網を突破する事に、何の迷いも感情も沸かなかった。
 この身体の血と肉を奪われなければ、クローンは造れない。Ⅸ籠が殺される事も無いはず。
 新しい弟なんていらない。
 どうか、Ⅸ籠が殺されませんように…。
 その事だけを祈り、願いながら。
 この日、僕は組織から逃亡した。
 何よりも大切な弟を守るために、誰よりも大事な弟を置いて。
 そんな矛盾にも似た行動が正しかったのかどうかなんて、分かりようもなかった。
 
 
 
 あれからずっと逃げ回り続けて、たまに追っ手たちを撃退する日々を過ごした。
 追っ手と戦っていた時に、Ⅸ籠がクローン兵たちのボスになったという情報を得た。
 生きていたことが本当に嬉しかったし、失明していなかったことに心から安堵した。
 けれど、僕の知っているⅨ籠とは全然違うことも知ってしまった。
 とても凶暴で残忍で、平気で部下を殺すような恐ろしい生物兵器だ、と。
 
 Ⅸ籠は今、何を思ってるんだろう。
 あの日屋上へ連れ出した事。
 何も言えずに置いて行ってしまった事。
 僕の事を恨んでいるだろうか。
 
 
 
 
 
終わる


距離と差

刺斬と鎖がほのぼのしてるけど、Ⅸ籠はそうでもないっていう温度差。


 その姿は、誰が見ても闇夜を天駆ける鴉に思えるだろう。最初の印象はそうだった。
 初めて任務に同行したが、自分は何もしないで終わった。
 ターゲット数名を葬るのに、時間は掛からなかった。正確で確実、最小限の攻撃で目標を仕留める様は華麗で芸術的で、一種の競技のようにも見えた。
 周りの空気を凍らせるような鋭い殺気を纏った小さな鴉が、こちらへ戻って来た。
 誰の事も信用していないのだと見ただけで分かる冷たい目線は、見かけの年齢よりも大人びた雰囲気を感じる。
「帰るぞ」
 涼やかな月の光の下で、その少年はこちらを見上げて口の端を上げた。
 
 テーブルを挟んで向き合うように座っている少年は、あの時の鴉なのは間違いない。
 蓋を開けたらこんなもんだ。だが、悪くはない。
「ちゃんと食べて下さい、ボス」
「……」
 芳ばしい香りが満ちた部屋に響く、刺斬の低い声。
 目の前のやり取りを眺めながら、鎖は笑いを堪えていた。
 テーブルには整然と並べられた食器。その上を飾るのは見た目にも食欲を誘うオムライスと付け合わせの野菜。こんもりと盛られたチキンライスの上のふわふわとした玉子は、テーブルが揺れるたびにぷるぷると震えていた。
「美味しいもの食べてもらいたいんです」
「……」
「味気無い薬よりも、ずっといいですよ?」
「……」
「丈夫な身体は食事からって言いますし…」
「……」
 刺斬の話を無視して、だんまりを決め込むⅨ籠。完全に防御態勢の子供だ。笑いたくもなる。この子供が闇夜の中では最強の生物兵器だって誰が信じるだろうか。
「鎖さんからも、言ってやって下さいよ」
 席に座るⅨ籠の隣で、刺斬が助けを求めるようにこちらを見てくる。困惑した表情をありありと浮かべている。
「刺斬のオムライス、美味いぞ?」
 鎖は自分の事のように得意気に言って、にやりと笑った。
 いつもの事だが、刺斬の料理は美味い。今日はⅨ籠に合わせたのか、甘めでやや薄味だった。それでも味の遜色は無い。
「いらない」
 思った通りのⅨ籠からの返答。かれこれ15分ほどこの状態。Ⅸ籠の前に鎮座するオムライスもなみなみと注がれたスープも、とっくに湯気を出すのを放棄してる。
 Ⅸ籠の食生活が異常だと知った刺斬が、Ⅸ籠の食事は全て作ると言い出してこのザマだ。
 刺斬の話によると、Ⅸ籠は得体のしれない薬ばかり食べてるらしい。世話焼きの刺斬が、それを知って放っておくはずがない。いつも2人分作る食事を少しだけ増やすくらい、どうってことないから、と。
 刺斬が後ろ頭を掻いて、小さく溜め息をした。
 Ⅸ籠はその溜め息を聞いて、振り返って刺斬を見上げたが、またすぐに何も無い方に目線を移す。人が気になる、けど拒絶するというような不思議な行動だった。
 そろそろ危ない予感がする。
 あまりⅨ籠にしつこくすると、別人のようにキレる。
 鎖は食べ終わった自分の分の食器を重ねて、テーブルの端へ置いた。頬杖を付いてⅨ籠を見つめると、Ⅸ籠は一瞬だけこちらを見た。
 ただのアテの無い勘だが、物は試し。言い方を変えてみるか。
「あ~、残念だなー。クロウがメシ食ってくれりゃあ、俺は嬉しいけどなー。作った刺斬も喜ぶのになー」
 わざとらしく首を振って残念がって見せると、Ⅸ籠がまじまじとこちらを見てきた。
「…そうか。じゃあ食べてやる」
 そう言って慣れない手つきでスプーンを握ると、オムライスの端に突き刺す。
 やっぱりそうかと、鎖は思った。
 この子供は構われるのは嫌うが、誰かを喜ばせることには素直らしい。分かりづらい性格をしている。
 Ⅸ籠はオムライスを食べると、少し表情を明るくした。どうやらお気に召したようだ。当然の反応だな。刺斬の料理が不味い訳がない。
 食べ始まったⅨ籠を見て、刺斬は目を丸くしていた。慌てたようにこちらへ近づいてきて、耳元に顔を寄せてくる。
「鎖さん、ボスに何したんスか」
 何かと思えば、変な疑いが。別に何かしたわけでもない。
「よかったな、刺斬。哀れな部下たちに、大将がお情けくれたぞ」
 わざと皮肉を言うと、刺斬は半分呆れたように目を細めた。
「押して駄目なら引いてみろとは、よく言ったもんだよなぁ」
 鎖はケラケラと笑った。その言葉に、刺斬も気が付いたようで、くすっと笑った。
 
 
 
 ■・裏側・■
 
 
 
 分からない。
 全然意味が分からない。
 刺斬が呼ぶから付いて行った。そしたら刺斬の部屋だった。この部屋は喉が痛くなる煙の匂いがするから好きじゃない。
 テーブルの席には鎖が座っていて、その向かい側に座らされた。
 向かいにいる鎖は、こっちを見るとにっと笑う。
「お先、食ってるぜ」
 そう言って、オムライスを食べていた。
 この人は、すぐ怒る怖い人。
「どうぞ、ボス」
 刺斬がオムライスとスープを運んできた。
 この人は、優しいから怖い人。
「ボスはアレルギーありませんよね? 好きなだけ食べて下さい」
 どうして、オレにこんな事するんだろう。
 この2人は、オレの部下にされたから、一緒に居ようとしてる。
 そんなことしなくていいのに。
「食えよ。冷めちまうぞ」
 鎖が手に持ったスプーンをぷらぷらと振る。
「ちゃんと食べて下さい、ボス」
 隣で立っている刺斬が、促すように手を差し出した。
 どうしてオレに食べさせようとするんだろう。
「美味しいもの食べてもらいたいんです」
 オレにそんなことしなくていいのに。
「味気無い薬よりも、ずっといいですよ?」
 薬でいいのに。
「丈夫な身体は食事からって言いますし…」
 オレの身体を気にしてどうするんだ。
 分からない。
 どうしてオレのこと気にかける?
 怖い。
「鎖さんからも、言ってやって下さいよ」
「刺斬のオムライス、美味いぞ?」
「いらない」
 もうやめて。
 オレなんかに構わないで。
 隣で刺斬が溜め息をついたのが聞こえて、反射的に刺斬を見上げた。刺斬、怒ったのかな。
 怖い。
 兄さんたちの所に帰りたい。
 上からの命令で、任務も欠かさずこなしてるし、ボスらしい振る舞いをしろって言うから、それもやってる。
 大人しく言う事聞いているんだから、構わないで欲しい。
「あ~、残念だなー。クロウがメシ食ってくれりゃあ、俺は嬉しいけどなー。作った刺斬も喜ぶのになー」
 そうなのか。意味分からないけど。
 喜んでくれるなら。
「…そうか。じゃあ食べてやる」
 
 
 
 
 
終わる


籠ノ鴉-カゴノトリ- 3

前妄想全開だけど、懲りずに書いた。今回は鎖視点。


 上から連絡があって、鎖は部屋から出た。
 殺風景な狭い廊下に出ると、ざわざわとした嫌な気配を感じた。
 遠くから響く、恐怖に染まった悲鳴と、狂ったような甲高い笑い声。
 上から入った連絡は、『Ⅸ籠を止めろ』だった。
 地下14階の大通路にいるらしいと追加の連絡を受けて、鎖は足を速めた。
 血の匂いが濃くなる。下っ端や隊員たちの無残な死体が床に点在していた。
 首を切り落とされた者、心臓を貫かれた者、内臓を引きずり出された者。強固な防護服の上からでも仕留める手腕は、見事なものだった。が、感心している場合ではない。
 床に血痕と何かの引っ掻き傷が続いている。それと辿っていくと、大通路から入った狭い廊下の先で血に塗れた後姿を見つけた。
 鎖は廊下には入らず、様子を伺った。
 Ⅸ籠は一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと歩きながら、返り血が滴り落ちる黒いマントを揺らしていた。得意武器としている身の丈ほどある巨大な手裏剣を片手に持って引きずっている。床の引っ掻き傷はそのせいだと分かった。
 廊下を通りかかった下っ端がⅨ籠を見るなり悲鳴を上げて逃げ出したが、Ⅸ籠はすぐに飛び掛かってその頭を片手で壁に叩きつける。ガスマスクが潰れて隙間から血が溢れ出た。
 小さい身体からは想像もつかない速さと力強さ。あまりにも一瞬の事だった。
「あはっ、あはははっ!」
 心底楽しんでいるような無邪気な笑い声。だけど明らかに正気とは思えない狂ったものを含んでいた。
 気配を隠して十分に距離を取っていたのに、Ⅸ籠はこちらを察して、ゆっくりと振り返った。その顔付きはいつも見る顔とはまるで別人で、張り付いたような笑顔だった。
 にやりとⅨ籠が笑みを濃くすると、頭を潰した下っ端をこちらに投げつけてきた。
 鎖は咄嗟に右へ避けた。が、目の前にⅨ籠の巨大な手裏剣が飛んできていた。死体を避けるのを見越して時間差で投げてきたらしい。
「チッ…」
 間一髪で身を屈めて避ける。手裏剣の刃が赤い髪先を掠めていった。
「おい、クロウ!」
 Ⅸ籠に向かって声を投げたが、視界にⅨ籠の姿は無かった。
 急いでその場から飛び退く。自分が居たコンクリートの床にクナイが数本刺さった。
 鎖はすぐに床を蹴ってまた避けると、今度は突き刺すように刀を構えたⅨ籠が上から降ってきた。
 微かな音だけで着地したⅨ籠は、目標を取り逃がしたのが気に入らなかったのか、笑顔が消えていた。首をかしげて、冷ややかな目で鎖を見つめる。
 空を切る音と共に巨大な手裏剣が落ちてきて、Ⅸ籠はそれをぴたりと片手で受け止めた。
「落ち着け。どうしたよ?」
 もう一度Ⅸ籠に声をかける。
「く、くく…、あは、ははっ…」
 Ⅸ籠が引きつった笑い声を出す。でも、その顔は笑っていない。
 気味が悪い。いつものⅨ籠はこんな笑い方をしないはず。
「何があった?」
「ふふっ…」
 Ⅸ籠はこちらを無視して、迷子の子供のようにきょろきょろと辺りを見回す。まったく落ち着く様子が無い。
「お前…」
 口を開いた瞬間、Ⅸ籠が間合いを詰めてきた。鎖は身体を仰け反らせると、刀の刃先が首の皮を斬る。迷いの無い一太刀。本気で殺そうとしてる。
 鎖は刀を叩き落とそうと刀を握る手に拳を向けたが、すぐに手を引いた。その刹那、手裏剣の刃が目の前を横切った。
「くそっ!」
 後ろに飛び退いて、間合いを取る。あのまま殴っていたら手を斬り落とされる所だった。
 Ⅸ籠は相変わらず、視線をあちこちへ向けていた。とても戦闘に集中しているようには見えないが、狙いは正確だった。
 次に瞬きをした後、床に突き立てた巨大な手裏剣だけ残してⅨ籠の姿は消えていた。
 鎖は神経を研ぎ澄まして身構えると、天井から立て続けにガラスが割れる音が響いた。それに合わせて照明が消えて景色が暗くなる。少し間をおいて、たくさんのガラスの破片とⅨ籠が降ってきた。
 嫌な予感がした。暗所はⅨ籠にとっては好条件だ。
 鎖は暗がりに目を凝らした。常人ならば暗くて何も見えないだろうが、軌跡の神の加護を受けたグラビティのクローンである鎖には、Ⅸ籠の姿を捉える事ができる。
 闇の世界で、Ⅸ籠は幼い子のようにはしゃいで飛び跳ねていた。
「くくく…。オレは、あいつの影でしか、いられないの? あははっ! ねぇ? そうなの?」
「え…」
 やっとⅨ籠の言葉を聞けた。けど意味が分からなかった。悲しそうな顔で笑っている。
 Ⅸ籠は巨大な手裏剣を天井へ投げ、こちらへ3本のクナイを投げると同時に刀を構えて飛び掛ってきた。
 明るかった時よりも速い。
 鎖はクナイを全て叩き落として、Ⅸ籠の刀を避けた。刀を振り下ろしたⅨ籠の腕を掴もうとすると、Ⅸ籠は身体を反転させて躱す。瞬時に投げてきたクナイが鎖の頬を掠めて赤い線を描いた。
 一歩踏み込み、Ⅸ籠のみぞおちを狙って拳を放つと、突然目の前に鉄の壁が現れて、それを突く。鉄の壁はⅨ籠が投げた手裏剣だった。防御するために投げたのか。
 鎖は後ろへ飛び退く。床に突き立った巨大な手裏剣の向こう側で、Ⅸ籠はこちらに背中を向けたまま両腕を広げていた。その姿は影の世界を快楽する小さな鴉に見えた。
「クロウ、さっき何の事言ったんだよ?」
 話が通じるかと思って声をかけたが、Ⅸ籠には全く届いていないようだった。鎖の方へ振り返ると、目を細める。
「冥暗…闇…影…従え…」
 Ⅸ籠は両手の指で印を結び、踊るようにその場でくるりと身体を1回転させた。煌々と輝く金色の目が合う。
 その瞬間。
「っ…!」
 眩暈がして、急に感覚が鈍った。夢の中にいるような、不確かな世界になる。
「てめぇ!!」
 鎖は声を張り上げた。身体が重くなる。Ⅸ籠の特殊能力である影の支配だった。
 徐々に感覚を奪われていく身体に悪寒が走った。
「鎖さん!」
 ふいに、聞き慣れた声が大通路に響いた。
 Ⅸ籠の後ろ側の廊下に、刺斬が小隊を連れて来ていた。隊員たちはサーチライトや麻酔弾のライフルを持っている。
 サーチライトの光で辺りが眩しくなると、Ⅸ籠はわぁっと叫んで腕で顔を覆った。それと共に身体が軽くなった。
 Ⅸ籠は振り返って刺斬たちを睨むと、巨大な手裏剣をそちらへ放った。その隙を狙って、鎖はⅨ籠との間合いを詰める。鎖に気が付いたⅨ籠が刀を振り下ろしたが、それよりも速くⅨ籠の首を片手で掴んだ。
「ぅぐっ…」
 Ⅸ籠が短い呻き声を上げて、刀で鎖の腕を斬ろうとする。その腕をもう片方の手で掴んで、そのまま床に押さえ付けた。
 刺斬たちへ目を遣ると、巨大な手裏剣は床に倒れていた。刺斬が何とかしてくれたらしい。小隊も無事だった。
「すんません、遅くなりました」
 刺斬が駆け寄って来る。
「鎖さん、首…」
「掠っただけだ、心配すんな」
 鎖は口早に返事を返す。Ⅸ籠との戦いに集中してて気が付かなかったが、首から流れる血は思ったよりも多かった。
 押さえ付けているⅨ籠に違和感を覚えて見下ろすと、Ⅸ籠は身体の力を抜いてうっすらと笑っていた。それは挑発的でほのかに妖艶さを感じる、諦念したような顔だった。しかし首を絞める力を抜くと血相を変えてまた暴れて、首を掴む手を自分から首に押し付けた。
「お前、まさか…」
 それは、殺してほしいかのような行動だった。
「…様子がやべぇ、早く眠らせろ」
 そう言うと、刺斬はすぐに隊員に指示をした。
 
 
 
 白い壁と、眩しいくらい明るい蛍光灯の光が照らす医務室の個室。
 鎖はパイプ椅子に座って小さい円卓の上に頬杖を付いていた。
 小さなサイドテーブルの上には十数枚もの書類。目を通す気にもなれない小さい文字の連なりは、Ⅸ籠に対する警告文や処分等の内容だという事は読まなくても分かっていた。
 すぐ傍のベッドの上で寝ているⅨ籠の両手両足には、枷が付けられてベッドの四隅に繋がれていたが、Ⅸ籠が目を覚ませば、そんなのすぐに引き千切られる。
 上はⅨ籠を分かってない。甘く見てるし、軽く思ってる。
 ここで造られたクローンは、組織から制御されるように造られている。でもそれは能力を抑制してしまい、最大限の力が出せないという見えない二重の枷だ。
 だけど、Ⅸ籠にはその二重の枷は無い。【最強の永久少年】を超える事を目的とされて造られたⅨ籠は、誰にも制御されない放し飼いの生物兵器だ。
 Ⅸ籠は、ここで生まれ育って、ここに兄たちが居る、それだけの理由でこの組織に居る。組織に対しての忠誠心なんか無い。
 組織の存在は、Ⅸ籠の鳥籠にならない。それが、どれほど危険な事か。
 鎖は立ち上がって、蛍光灯を半分消して部屋を薄暗くした。Ⅸ籠は片方の目が暗い方が良く見えるという特殊な目をしているから、明るい所を嫌う。目を覚ました時に、少しでも嫌な思いをさせたくなかった。
 鎖はパイプ椅子に座り直して、眠っているⅨ籠を眺める。いつも被っている黒いヘルメットが無いと、余計に幼く見えた。
 永久少年は、歳を取らない。成長が止まるタイミングは個体差があり、長い年月をかけてゆっくりと成長を続ける個体もいるが、必ず歳が止まるか若返る。
 皮肉なものだと思う。自分は永久少年のひとりであるグラビティのクローンだ。けれど、歳を重ねて成長している。今ではすっかり、オリジナルのグラビティよりも年上の見かけだ。それはつまり、永久少年としての複製に失敗している可能性を示唆している。
 でもⅨ籠は違う。Ⅸ籠はクローンであっても永久少年としての特性を失っていない。もしそれが、組織からの抑制を受けずに造られたからだという理由だとしたら。
 何ものにも縛られない、自由な存在こそ、永久少年。そう思えてくる。
 暫くして、Ⅸ籠の小さいうめき声が聞こえた。布団の中で身じろぐ音が聞こえる。
「…?」
 目を覚ましたⅨ籠は、予想通りに左腕の枷を引き千切った。身を起こそうとするⅨ籠を、鎖は押さえた。
「鎖、何のつもりだ…」
「俺がやったんじゃねぇよ。それ外すな。もっと邪魔くせぇの付けられちまうぞ。大人しく横になってろ」
 なるだけ優しい口調で言うと、Ⅸ籠は訝し気な表情ながらも力を抜いた。状況が把握できないらしく、不安と不満が混じった目で見上げてくる。暴れる様子は無く、平静に戻っていた。
 Ⅸ籠があそこまで気をおかしくして暴れるのは久しぶりだった。少しずつだが、Ⅸ籠の精神状態は良くなってきていたはず。
 それなのに。
 鎖はパイプ椅子をベッド近くに引き寄せて背もたれ側を前にして座ると、背もたれの上で頬杖を付いた。
「どうして暴れた? 何があった?」
「え…?」
 こちらの問いかけに、Ⅸ籠は眉を寄せた。
「20人以上殺したら、処罰されるって言われてただろ?」
「…うん…」
 鎖の言葉に、Ⅸ籠は静かに頷いた。
「お前が殺した人数は、20人どころじゃねぇぞ」
「何のこと?」
「とぼけんな」
「オレ、殺してないよ?」
「あぁ?」
 Ⅸ籠の返事に、鎖は唖然とした。冗談じゃない。
「お前、ふざけんな…!」
 少し声を荒げると、Ⅸ籠は肩をすくめて、目の下まで布団を被った。威嚇する野良猫のような目を向ける。布団を握る手は微かに震えていた。
「あー、いや、違う。怒ってねぇぞ?」
 鎖は目を伏せた。こういう時、刺斬だったらもっと上手く話せるんだろうなと思う。刺斬はⅨ籠の件で状況報告に行ってるから、暫く戻ってこない。優しく話すというのは苦手だ。
「その…、なんだ。暴れまわるような理由があったんだろ?」
「さっきから何言ってんだ? …言ってることが、分からないよ…」
 お前こそ何言ってやがんだ!と、言いたいのを我慢した。喉に詰まった言葉を押し込むために、咳払いをする。
 鎖は様子がおかしかったⅨ籠の事を思い出す。Ⅸ籠とは別人だったと思えば、そう思えなくもない。だが、医務室まで担いできたのは、紛れも無くこの子供だ。
「…鎖、ケガしたのか?」
「あ?」
 すっかり忘れていたが、刺斬に包帯を巻かれていたのを思い出す。Ⅸ籠は憂う目で鎖の首を見ていた。
「お前が首にケガするなんて、珍しい…」
「……あぁ。…そうだな…」
 鎖はゆっくりと返事をした。本当に覚えてないのだと確信した。
「部屋に帰りたい…」
 Ⅸ籠がぽつりと言った。
「それは…」
 鎖は言葉に困った。円卓の上の書類に目を遣る。書類を受け取ったときに視界の端に入った文字は「指定の部屋にて監禁」だった。
 書類を手に取ると、Ⅸ籠の前に差し出した。Ⅸ籠がどう言い訳しようと、結果は変わらない。上層部からの決定だからどうしようもない。
 鎖から書類を受け取ったⅨ籠はそれに目を通すと、目を見開いた。
「何で…。オレ、知らないよ…。殺してない…」
 青ざめた顔をして、こちらを見てくる。
「こんなの、やだ…、やだよ…。兄さんたちと一緒にいたい!」
 悲痛な声を上げるⅨ籠に、鎖は固まった。
「うぅ…っく、やだぁ…、兄さんたちに、会わせて…。何でもするからぁっ…!」
「おい、泣くなよ…」
 困った。予想外の事態だ。Ⅸ籠なら、怒って怒鳴り散らすと思っていた。暴れるならいくらでも捻じ伏せるつもりだったが、泣かれるとなるとどうしていいのか分からない。
 声を上げて泣くじゃくるⅨ籠の横で、鎖はこめかみに指をあてて唸る。
「刺斬、早く戻ってきてくれ…」
 無意識に口を付いた言葉で、ふと思い出した。昔、幼かった頃の自分はよく泣いていた。泣いていた理由は忘れたが、刺斬がいつも頭を撫でてくれた。撫でてもらうと、不思議と気分が落ち着いた。
 Ⅸ籠の頭を撫でようと手を伸ばすと、Ⅸ籠は顔を背けて拒絶した。その行動に手を下げようか迷ったが、透けそうなくらい白い髪が生えた頭を撫でた。すると、Ⅸ籠は泣き腫らした目で、こちらを見上げてきた。恐怖とは違う、忌避するような目だった。
 鎖は撫でる手を戻した。信用されてないのか。普段怖がらせてる事があるから、仕方ないのかもしれない。
 Ⅸ籠は目を細めて、小さく口を開いた。
「鎖は…悪くないよ…」
 その言葉の意図が何であって、何に対してだったのかは分からなかった。
 長く泣き続けていたⅨ籠が少し落ち着いてきたころ、鎖は真剣にⅨ籠を見据えた。
「本当に、やってねぇんだな?」
「やってないよ…」
「…分かった。俺と刺斬で上に掛け合ってやる。でも、期待すんじゃねぇぞ」
 どうあってもⅨ籠の仕業に他ならないのだが、Ⅸ籠は自分が何をしたのか全く覚えていない。
 自分にとって謂れの無い罰を受ける事がどんなに残酷な事であるかは、それを経験してる鎖にはよく分かっていた。だから他人事には思えなかった。
 
 
 
 その後、鎖は戻ってきた刺斬と一緒に上層部に足を運んだ。
 今回の件について、Ⅸ籠の状態が平常ではなかった事を理由にして、処罰の軽減を申し出た。
 お偉い連中は、互いに目を合わせて口を閉ざした。長い沈黙の後、手のひらを返したように、処罰内容を5日間の自室軟禁に変えた。殆ど自室に籠って過ごしているⅨ籠には痛くも痒くもない。好転した結果をⅨ籠に伝えると、飛び跳ねるように喜んでいた。
「どう思います?」
 刺斬の部屋に戻ってソファーに腰を下ろすと、すぐ隣でタバコに火を付けた刺斬が言った。
「何か怪しいな。クロウが暴れた理由、上の連中は知ってんじゃねぇのか」
「そんな気がするっスね」
「釈然としねぇなぁ」
 鎖は大きく息を吐いた。
 Ⅸ籠の首を絞めた時に、Ⅸ籠が死にたがっているような行動をした事は、刺斬には黙っていた。確証は無かったし、不愛想な見た目のくせに心配性な刺斬に負担をかけたくなかった。
 その代わり、Ⅸ籠の頭を撫でたら嫌がられた事を、笑い話として話した。「俺、クロウに嫌われてんだよなぁ」と苦笑いをすると、刺斬は「俺もっスよ。頭撫でたらそっぽ向かれました」と苦笑いをした。
 2人で大笑いした。そして2人同時に溜め息をして、Ⅸ籠に嫌われている事に落ち込んだ。
 
 
 
 
 
つづく


籠ノ鴉-カゴノトリ- 2

前回の「籠ノ鴉」の続き的な話。


 実の無い内容の会議は好きでは無い。長ったらしいなら尚更の事。
 毎度のように会議の時間に遅れたが、途中で馬鹿らしくなって、刺斬は退室した。
 鎖に止められたが、それを振り切った。鎖は変な所が真面目で、会議には遅刻しないし、どんなに下らない内容でも最後まで居る。ただ、居眠りはしているが。
 廊下の空気は冷えていて、すぐに頭が冴えた。
 狭い廊下を進んで何人か隊員とすれ違った後、突き当りを曲がった所でふらふらと歩く黒い後ろ姿を見つけた。
 よく見知っている、背の低い子供。しかし、覚束ない足取りに常とは違う状態だとすぐに分かった。
「クロウさん?」
 近づいてⅨ籠の顔を覗くと、いつもの殺気を纏わせる覇気は無く、虚ろな半眼で虚空を見つめている。
 こちらに目を向けたが、焦点が定まっていないようで、すぐに目線を泳がせた。
「どうしました? 俺が分ります?」
 目の前で手を振ってみると、Ⅸ籠は歩くのを止めて、反応の悪い目で手の動きを追う。
 これは、明らかに様子がおかしい。
「ボス、医務室行きましょうか」
 声をかけて、Ⅸ籠の背を押そうとして留まった。
 一昨日にⅨ籠が「明後日は大事な検査があるから、会議は行かない」と言っていた事を思い出した。
「検査、ねぇ…」
 刺斬は溜め息をついた。
 Ⅸ籠の様子がおかしいのは検査の薬のせいだと分かったが、検査とは名ばかりの、過度な実験でもれされたのではないだろうか。そうでなければ、ここまで強い薬を使う必要なんかないはず。
 Ⅸ籠は永久少年と呼ばれる特別な存在のクローンだ。しかも、普通の永久少年じゃない。【最強】と謳われているお墨付きの永久少年のだ。
 何度も失敗して、やっとここまで成長できたのだから、色々調べたい事は山ほどあるだろう。それは分からなくもないが、こんな状態にさせるのは問題があるんじゃないだろうか。
 検査が終わったからといって、薬が切れる前に検査室から出されたのだと察しは付いた。随分と雑なやり方だ。
「お部屋、帰れますか? ここ、どこだか分かってます?」
 少し声を大きくしてみたが、やはり返事はない。
 Ⅸ籠はこちらを無視して、ふらふらと歩き始めた。
 向かったのはⅨ籠の部屋の方向ではない。
 これは、駄目だ。
「こっちですよ」
 刺斬はⅨ籠の肩を掴んで、方向転換させる。Ⅸ籠は少しふら付きながらも方向を変えてくれた。
 Ⅸ籠の性格は、組織の中でも扱いが難しいとされている鎖の方がマシだと言われているくらい、酷く狂った性格だと知れ渡っている。
 組織の下層部は表向きには上下関係があるが、弱さを見せたらその関係は終わり。強い奴に従う暗黙のルールがある。だから、上を狙う雑魚は山ほどいる。
 そんな連中にクローン隊の頂点に居るⅨ籠は雲の上の存在だろうが、今の状態のⅨ籠が相手となれば、何をしてくるか分からない。
 刺斬は、Ⅸ籠の手を握った。見た目の年相応の小さな手。だけど、見た目の年に似つかわしくない筋張った武骨な手だった。
「一緒に、お部屋戻りましょう」
 そう言って手を引いて誘導すると、Ⅸ籠は歩き始めた。いつもこれくらい素直ならいいのになと、不謹慎ながらも思ってしまった。
 いつものⅨ籠と行動を一緒にするのは、本当に難儀でしかない。
 命を奪う事に何の躊躇いもないくせに、人一倍の寂しがり屋。好きといったものが、次には嫌いと言い出す。やっと懐いてくれたかと思えば、狂気じみた笑い声を上げながら殺そうとしてくる。
 全く気持ちが読めない子供の下に配属されて、正直言って最初の頃は逃げ出したかった。
 多重人格か人格が破綻してるかもしれないと、鎖と話し合った事もあった。
 それでも、この子を放って捨てるほど、自分は冷徹にもなれなくて、それは鎖も同じようだった。この子を守らなければいけない気持ちは、ボスだからという理由では無いのかもしれない。
 暫く廊下を歩いていると、小隊長が歩いて来た。
 手を繋いで歩いているのだから、妙な光景に見えるのは当然だろう。その小隊長は足を止めてこちらを見てきた。
「何か用スか?」
「いえ、別に…」
 睨みつけると、そいつは訝し気にしながら目を反らして歩き始める。
 嫌な気配を感じながらも、刺斬はⅨ籠の手を引いて進んだ。
 それから特に問題もなく、Ⅸ籠の部屋の前に着いた。
 分厚い鉄の扉の先には、重要機密と言えば聞こえはいいが、失敗作のⅨ籠の兄たちが閉じ込められている。呪われた部屋だと思う。
 着いたはいいが、部屋の扉を開ける方法が分からず、刺斬は鉄の扉を凝視した。カードロックらしいものも、キーロックらしいものも無い。
 刺斬はⅨ籠に身を屈めて、Ⅸ籠と目線を合わせた。
「着きましたよ?」
「んー…」
 Ⅸ籠がぱちぱちと瞬きをして、辺りを見回す。間が良い事に、薬の効果が切れてきたらしい。
「検査終わりましたよ、ボス。お疲れ様です」
「…あ…。検査…。終わった…の?」
 Ⅸ籠は検査と聞いて一瞬顔を歪めたが、終わった事を知って安堵したように息を吐いた。
 その様子を見て、やはり普通の検査では無さそうだと刺斬は感づいた。
 Ⅸ籠の半眼だった目がゆっくりと開いていくのを見ていると、完全に開いた目で焦点が合った。
「刺斬! 何の用だ!!」
 完全に覚醒したⅨ籠に、思いっきり警戒された。鬼気迫る表情で睨んできて、今にも斬り付けられそうな気配がする。
 ここまで連れて来たと話しても、きっと何も覚えていないから不審がらせてしまうのは十分予測がついた。
「えと…、お兄様方に、ご挨拶しようかと」
 咄嗟に、変な嘘を言ってしまった。
「あいさつだと?」
「ええ。以前はご無礼してしまって、きちんとご挨拶できなかったもので…」
 血を見る覚悟で言い訳をすると、返ってきた反応は意外にも上機嫌そのものだった。
「そうか、いいぞ。刺斬はいつも頑張ってるから、特別に会わせてやる。鎖にはナイショだからな!」
 Ⅸ籠がくくっと無邪気に笑う。そのあどけない顔は精神年齢の低さが垣間見える。先ほどまでの鋭い気迫は完全に消えていた。
 その刹那。
 Ⅸ籠が急に眼を見開いて、腕を振り上げた。
 刺斬は反射的に身構えたが、すぐに状況を把握した。Ⅸ籠がクナイを投げたらしい。廊下の角の陰で叫び声が上がり、硬質な音を響かせて拳銃が床に落ちた。さっきⅨ籠を気にしてすれ違った小隊長だった。
 小隊長が首を押さえて壁にもたれ掛かる。首を押さえる手の隙間から、血が流れた。
「オレを狙いに来たんだろ? バカなヤツ。あははっ」
 Ⅸ籠は小隊長に近づいて、見上げる。
 その様子を、刺斬は横目で見ていた。あの小隊長はⅨ籠が弱っていると思い込んで、わざわざ追ってきたのだろう。腹立たしい気持ちはあったが、それを抑える。
 すっかり戦意喪失した小隊長に対して、Ⅸ籠は容赦が無かった。廊下にⅨ籠の笑い声と血の匂いが広がる。許しを請う小隊長を、Ⅸ籠は面白がっていた。
 廊下を通りかかった下っ端たちや、騒ぎを聞きつけた隊員たちが人だかりになって、青ざめた表情で様子を眺め始める。
 これ以上、騒ぎが大きくなるのは良くない。
「もういいでしょう? 死んでしまいますよ」
「弱いから死ぬんだろ? 死ぬのが悪い」
「ボスが強すぎるんです」
 刺斬は、Ⅸ籠と血溜りに倒れる小隊長の間に入った。Ⅸ籠は不貞腐れた顔をしたが、ふんと鼻を鳴らせて身を引いてくれた。倒れたまま動けない小隊長の様子を伺って、息があるのを確認すると、髪を掴んで顔を上げさせた。
「あんた、クロウさんを手にかけようとしたんだ。それなりの処罰は覚悟しとけよ」
 少々脅しめいた低い声で言い聞かせた後、近くの下っ端を捉まえて、瀕死の小隊長を医務室へ連れて行くように指示した。
「散れ」
 刺斬が野次馬たちを一瞥すると、塊になっていた人だかりは我先にと逃げ去り、廊下に静けさが戻る。
 ふいに、後ろに引かれて、刺斬は振り返った。
「刺斬、刺斬、早く来い」
 今し方の騒ぎなど全く何もなかったように、Ⅸ籠が刺斬の服を引っ張る。どうやったのか分からないが、Ⅸ籠の部屋のドアは開いていた。
 薄暗い部屋。他の部屋と違って壁が厚いのか、中に入ると部屋の外の気配を全く感じられない。
 部屋を見回すと、Ⅸ籠の兄がそれぞれ入っている水槽が並んでいるのと、部屋の隅に棚と机があるのが目に入った。
 以前この部屋に来た時にはよく見る事ができなかったが、改めて見るとⅨ籠の兄たちは不気味な存在だった。
 刺斬自身もクローンで、自分の前に作られた兄のような存在がいた事は知っている。幼い頃に、研究員の気まぐれで自分と同じクローンの入った水槽を見せられた事があったが、そこで感じたのは恐怖と嫌悪。こうして部屋で一緒に居ようとは、とても考えられなかった。
「刺斬が、あいさつしたいって!」
 Ⅸ籠が言った。兄たちへ言ったのだろうけど、当然ながら返事は無い。
 その後、刺斬はⅨ籠に水槽の前へ案内されて、兄たちの事を色々と説明された。
 2番目の兄は、生きた肉塊。
 3番目の兄は、内臓が無い。
 4番目の兄は、人間に見えない奇形。
 5番目の兄は、無理矢理に細胞を生かされている死体。
 7番目の兄は、檻に閉じ込められている廃人。
 8番目の兄は、植物人間。
 どれもこれも刺斬にとっては、一刻も早く忘れたいくらい気持ち悪いものだった。そんな兄たちを、Ⅸ籠は自分に都合のいい思い込みをして、本当に心から大切にしている。
 刺斬はⅨ籠が精神的に成長するには、この部屋から引き離すしか無いと思っていたが、ここまで想いが強いとなると逆効果な気がしてきた。不安定なⅨ籠の心の支えになっている兄たちを奪ったら、きっとこの子は完全に精神崩壊する。
「くくくっ。刺斬はいいな」
「どういう意味です?」
「オレの部下になったヤツ、気に食わないのばっかりだった。弱かったしな、あはは!」
「そりゃどーも」
 笑顔を作ったつもりだったが、顔が引きつった。それでも、Ⅸ籠は気にしていない様子だった。「お腹すいた」と小さく独り言を呟いて、部屋の隅にある机の方へ走っていく。いつも行動が唐突だ。
「刺斬、腹減ったか?」
 こちらを振り返って、Ⅸ籠が言った。
「いえ…」
 刺斬は、短く返事を返す。長い会議の後で腹は減っていたが、Ⅸ籠の兄たちを見て食欲なんて綺麗さっぱり消えていた。
 Ⅸ籠は「そうか」と頷いて、机の上にあった大きな瓶を掴む。色も形も様々な薬が詰まったラベルの付いていない瓶を抱えて、Ⅸ籠はお菓子でも食べるように口に運んでいた。水で飲み込む事を必要としていないらしく、平気でぼりぼりと食べている。
 離れた位置からでも目に痛いほど鮮やかな色だと分かる薬は、栄養剤の類いでは無さそうに見えた。
 刺斬が目を離せずに見入っていると、Ⅸ籠は首を傾げる。
「ん? コレは、他のヤツにはあげちゃダメって言われてるから、刺斬にはコレをやる」
 薬を食べたいのかと勘違いしたらしく、そう言ってⅨ籠が机の上に置いてあった何かを投げてきた。飛んで来た物を受け取ると、値の張りそうな洋菓子の詰合せ袋だった。
「甘いものは苦手なんで」
「なら、鎖にくれてやれ。あいつ、甘いの好きだろ?」
「ボスが食べて下さい」
「オレはこっちのほうがいい」
 Ⅸ籠はまた薬を食べ始めた。
「それ…、何の薬です?」
「これか? 痛くなくなるのと、眠れるのと、あとは知らない。7番目の兄さんも食べてたって」
 Ⅸ籠が何の疑いも無く、舌足らずな幼い子のように話す。
「7番目って…」
 刺斬はⅨ籠に紹介された兄たちを思い出した。7番目の兄は檻に入ってる半狂乱の廃人じゃないか。
 この良識から離れた子を知れば知るほど、言い知れ様の無い違和感に似た薄ら寒い恐怖を感じる。こちらの気が滅入ってしまいそうだった。
「ボス、その薬を食べるのは控えた方がいいと思いますよ」
「ん?」
「もっと味気のある、美味しいもの食べるのはどうです?」
「…うるさい…」
 Ⅸ籠は急に顔色を変えた。空気を凍りつかせるような鋭い視線を向けてくる。ぎりりと歯を噛むのが見えた。
 これは失敗したと、刺斬は思った。この気配はまずい。Ⅸ籠の為を思っての言葉だったが、気分を害してしまった。Ⅸ籠の豹変は、不規則で掴めない。
 刺斬は、気を張って身構えた。命を落とすまでは無いだろうと思いつつも、それなりの覚悟はした。
 
 
 
「おい、刺斬どうした!?」
 自室に戻ると、ソファーに寝転がってた鎖が飛び起きて目を丸くした。無理もない。血だらけだ。
「ちょっと転んだんスよ」
「ウソつけ!」
「自爆しちゃいました」
「勝手に会議抜けやがった挙句、クロウにボコられてんじゃねぇよ」
 鎖が顔をしかめる。Ⅸ籠とのトラブルを自爆と言うのが鎖との間では自然に定着していた。
「クロウさん、強いっスね」
「お前、本気出してねぇだけだろ」
「そんな事したら、余計に怒らせて殺されちゃいますよ。ははは」
「チッ…、無理しやがって」
 鎖がソファーから立ち上がって、机の引き出しから包帯を出す。
「さっさと、血洗って来い。骨折れてねぇだろな?」
「浅い切り傷だけっスよ。今日はご機嫌よかったようで」
 そう言って、鎖に洋菓子の袋を渡した。
「あぁ? 何だよこれ」
「クロウさんからスよ」
 刺斬の返事に、鎖が一瞬固まった。
「…はぁ? ウソだろ?」
 信じられないらしく、片眉を上げる。
「本当ですって。鎖さんが甘いもの好きなの、覚えてくれてますよ」
「よく分かんねぇガキだな…」
 鎖が悪態をつく。けれど、その顔は少し嬉しそうに見えた。
 それを見て、刺斬も自然と笑顔になった。
 
 
 
 
 
つづく


籠ノ鴉-カゴノトリ-

Ⅸ籠は9番目の成功作クローンだろうと、名前から思いついた妄想。
失敗作の兄たちと、キャッキャウフフしてるクロウちゃんのお話。
性格が歪んでるというか、狂ってるというか気持ち悪い弟なので要注意。


カゴノトリ
籠 ノ 鴉
 
 
1番目は死滅した。
 
 2番目は脈打つ肉塊。
 
  3番目は臓器が無い。
 
   4番目は人の形をしていない。
 
    5番目は呼吸をしていない。
 
     6番目は不慮の事故で死んだ。
 
      7番目は人格が崩壊してる。
 
       8番目は目が覚めない。
 
 
 9番目の【籠】から生まれたクローンは、想像以上に良い出来上がりだった。
 だから、Ⅸ籠-クロウ-と名づけられた。
 オリジナルを超えるのにも、十分な素質を持っていた。
 8番目までは破棄する予定だったが、9番目の願いがあってそれを中止とした。
 廃棄物になるはずだった8番目までは、9番目を逃がさないようにする【籠】となった。
 
 
 
 【籠】が並ぶ、薄暗い部屋。
 大切な兄たちと一緒に居られる時間は、Ⅸ籠にとって幸せの時間だった。
 本当はこの部屋は立ち入り禁止だが、Ⅸ籠は上層部に兄たちの部屋に入る事を願い出た。
 Ⅸ籠の出来の良さに満足している上層部は、それを許してくれた。
 2人の兄はⅨ籠が物心つく前に死んでしまったが、まだ7人の兄がいる。
「兄さん。今日、オレに部下ができたよ」
 Ⅸ籠は、8番目の【籠】の水槽にいる兄に話しかけた。
 8番目の兄は耳がちゃんと付いてるし、目が覚めないだけで意識はあるはず。だから、きっと話を聞いてくれる。そう思って毎日あった事をお話ししている。
「名前は、えっと…鎖とかいったな。あと、さぎ…刺斬だったかな」
 水槽の中で膝を抱えるようにして浮いている8番目の兄は、ゆっくりと呼吸を繰り返すだけ。
「鎖ってやつは態度悪かった。刺斬は自己紹介してくれた」
 一方的な会話。
「あいつらの担当者が言ってたんだけど、あいつらもオレと同じに兄さんがいるんだって。でも【本物】の兄さんが【外】にいるって言ってた。本物ってどういう事かな?」
 言葉は返って来ない。
「【本物】なんて言うとさ、まるで兄さんたちを偽物だとでも言うみたいで、気に入らなかった…」
 それでもいい、聞いてくれていれば。
「兄さんたちだって、本物だよね!」
 Ⅸ籠は声を大きくして、部屋に居る兄たちに声をかけた。
 静寂の部屋は、何も変わらない。生命維持装置の音だけが静かに流れる。
「…ほら、やっぱり本物」
 兄たちの無反応に満足して、Ⅸ籠はくくくと笑った。兄たちはいつも無言で肯定してくれる。なんて優しい兄たちだろう。
「そろそろ、時間だから行くよ。逃げた雑魚を消すだけだから、すぐ戻ってくるね」
 Ⅸ籠は立ち上がって黒いマントを纏うと、部屋を出た。
 
 
 Ⅸ籠が兄たちの部屋に戻ると、7番目の兄が奇声を上げていた。
「兄さん、どうしたの!?」
 狭い【籠】の檻の中で暴れる兄に、Ⅸ籠は慌てて駆け寄った。
 暴れる兄の手足は枷が当たって、うっ血していた。それを見て、Ⅸ籠は青ざめた。
「兄さんやめて! 血が…」
 なだめようと手を伸ばしたら、引っ掻かれた。
「ご、ごめん! オレ、兄さんの気に障る事したかな? ごめんなさい…」
 Ⅸ籠は静かに身を引いた。7番目の兄は怒りっぽいのか、時々喚き散らす。理由は教えてくれないから、きっと自分で悪いところに気付けという事なんだろうなとⅨ籠は思っている。厳しいけれど、本当はいい兄なのだと。
 暫く暴れていた兄は、やがて落ち着いて横になった。ぶつぶつと何か言っているが、よく聞き取れない。
 7番目の兄が落ち着いたのを確認すると、Ⅸ籠は部屋の隅にある棚から消毒液と包帯を持ってきた。
 兄は手首も足首も、枷のせいで皮が剥けて血が出ていた。
 格子の隙間から手を伸ばして、兄の手首と足首に消毒をする。枷が邪魔だったが、なんとか包帯を巻いた。
 また痩せたな、とⅨ籠は思った。7番目の兄は、酷く痩せている。この兄は水槽に入っているわけではないから、他の兄たちと違って食事を摂らないといけない。
 檻の中に置かれた食器に目をやると、今日も食べていないようだった。近頃すっかり食欲が無いから、心配でならない。
「兄さん。オレ、いい子にするから…、お願いだから食べてよ。明日の朝ご飯は、たくさん持ってくるからね」
 そう声をかけて、Ⅸ籠は消毒液と包帯を片付けた。
 
 
 5番目の兄は8番目の兄と見た目は同じ。けれど、呼吸をしていないから体中に循環器が付いている。
 生き物は呼吸をしないと死んでしまう。でもこの兄は生きている。だから、それをとても凄い事だとⅨ籠は思っている。
 自分は、命がけの任務をする事があるから、いつか死んでしまうかもしれないけど、この兄はきっとどんな攻撃を受けても死なないんじゃないかと思う。
「オレも、兄さんみたいに強くならないとね」
 尊敬する兄だ。こんな兄をもって誇らしい。少しでもこの兄に近づきたくて、強くなりたいと思う。
 
 
 2番目の兄の傍で寝るのが好きだった。
 水槽に耳を当てると、生命維持装置の音と一緒に、鼓動の音がする。身体が小さい肉の塊だから、鼓動の音が大きく良く聞こえる。自分よりも少しだけ速く規則正しい脈打つ鼓動を聞いていると、とても安心する。
「兄さんと一緒に寝てるなんて、あいつらに知られたら笑われちゃうかな」
 Ⅸ籠は、鎖と刺斬を思い出した。
「でも、あいつら、兄さんが【外】にいるんだもんね。一緒に寝た事ないんじゃないかな。可哀想だよね」
 少し優越感に浸る。兄たちと一緒に居られることは、とても幸せなことだから。
「ねえ、兄さんもそう思うでしょ?」
 水槽の中の肉塊に向かって声をかけて、無邪気に笑う。
 Ⅸ籠は水槽に寄りかかって、眠りについた。
 
 
 こつ、こつ、と、微かな音で、Ⅸ籠は目を覚ました。この音は4番目の兄が呼んでいる音だった。
 4番目の兄はとても元気で、遊ぶのが大好きだ。
 どこが頭なのかもわからない。腕なのか脚なのかもわからない、太さも長さも違うものが数本生えていて、それを水槽の壁に当てて音を出している。
「兄さん、遊びたいの?」
 兄の前へ駆け寄って、声をかける。
 兄はこつこつと、また水槽を叩いた。それに応えるように、Ⅸ籠も水槽を叩く。
 そうすると、兄は別の場所を叩く、そこに合わせてⅨ籠も叩く。
 何度か兄の叩く所を真似た後、今度はこちらから、別の場所を叩く。そうすると兄は叩いた所をたたき返してくれる。
 4番目の兄はこちらの動きに反応してくれる。それがたまらなく嬉しい。
 暫く続けていると、だんだんと兄の反応は遅くなり、疲れたのか動かなくなった。
「楽しかったね。また遊んでね」
 
 
 3番目の兄は内臓が無い。だからⅨ籠はこの兄を病弱だと思っている。
「兄さん、身体の具合はどう? 少しは良くなったのかな?」
 肋骨から下の腹は、中身が無いから潰れている。
 眼球が無いから、瞼が窪んでいる。
 脳が無いから、頭蓋骨が凹んでいる。
「早く元気になれるといいね」
 水槽の壁に額を付けて、兄の快復を願った。
 
 
 いつものように、7番目の兄の身体を拭いていたら、兄は突然発狂して右手の指を噛まれた。
「っ…、兄さっ…やめて、指は許して。刀が…握れなくなる…!」
 指を食い千切られるのは困る。戦闘に支障が出る事になれば、上がうるさい。
 兄の口から無理矢理指を引き抜くと、3本の指の付け根が青く変色していた。
「ごめん、ごめんなさい…。指はダメだけど、腕ならいいから」
 Ⅸ籠は、指を隠すように握って、腕を差し出すと、兄は腕に噛み付いた。
 食い千切られて、血が滴った。
 腕の痛さよりも、兄を怒らせてしまった事の方が心が痛かった。
 兄は食い千切った腕の肉を飲み込んだようだった。
 それを見て、Ⅸ籠は気が付いた。
「そっか、兄さん、生肉が食べたかったんだね。だからご飯食べてなかったんだ」
 嬉しくて笑った。
「良かった。兄さん、オレの事怒ってなかったんだね。ごめんね、もっと早く気が付けばよかった。お腹空いてるよね? 生肉持って来るから、いっぱい食べてね」
 Ⅸ籠は立ち上がって、走り出した。腕から流れる血も痛みも、どうでもよくなった。
 食料庫の責任者から鮮肉をもらって、Ⅸ籠は足早に部屋へと戻った。
 適当な大きさに肉を切り分けて皿へ置くと、7番目の兄は食べ始めた。
 Ⅸ籠は、檻の前に座り込んで、兄の食事を眺める。
 兄がご飯を食べてくれて、本当に良かった。もっと早く気が付いてあげれば、兄はこんなに痩せる事なかったのにと、自分の不甲斐無さを責めた。
「クロウさん」
 ふいに名を呼ばれて、Ⅸ籠はびくりと身体を揺らした。
 振り返ると、部屋の入り口に、顎先にヒゲを生やした男が立っていた。
「刺斬…」
 Ⅸ籠は目を細めた。慌てて部屋に戻ったから、扉を閉めるのを忘れていたことに気付く。
「さっき廊下を走ってたの見かけたんで。血痕あったし…クロウさんがそんな怪我するなんて思えないから、血痕辿って、様子見に来たんスよ」
「余計な心配だ」
 Ⅸ籠は刺斬から目を逸らした。
「お世辞にも、健全とは言えないお部屋っスね」
「…え?」
 思いも寄らなかった言葉を言われて、Ⅸ籠は刺斬を見上げた。
「俺のボスですから、言いづらいっスけど。…でもクロウさん、この部屋にいるのは精神衛生的によくないですよ」
「何だと! どういう意味だ!!」
 Ⅸ籠は声を張り上げた。
 その声に驚いたのか、7番目の兄が一声、叫び声を上げた。
「あ…。兄さん、ごめんね、うるさくしちゃって。こいつ追い出すから」
「兄さん? …それ、お兄さんスか。まさか、この部屋の全部…」
「出て行け!」
「…歪んでますね。もっと子供らしい部屋にお住まいかと思ってました」
 刺斬が顔をしかめる。
「クロウさん、世の中にはね、死ぬよりも、生かされてる事の方が辛い場合もあるんですよ」
「うるさい!!」
 何を言ってるんだ、この男。意味が分からない。
「罪悪感ですか? 自分だけ、五体満足で生きてるから」
「お前、さっきから何言ってんだ! 兄さんたちに失礼だぞ!」
「この部屋にいたら、いつまでも兄弟に縛られて、【籠】の中から出られないっスよ」
「うるさい! うるさい! お前、何なんだよ!」
 もう我慢の限界だった。
「クロウさ…、おっと」
 瞬時に間合いを詰めて一閃、刀を抜いた。刃先が刺斬の首筋を掠める。
「いい加減にしろ…。刺斬、これ以上は許さない。殺すぞ」
「すんません、ボス。言い過ぎました。お兄様たちへの御無礼を詫びます」
 刺斬は溜息をして、両手を上げて降参の意を表した。
「もう戻りますよっと。腕、お大事に…」
 去り際に刺斬がそう言った。そのときの目が、寒気がするくらい、哀しそうに見えた。
「あいつ、兄さんたちの事、馬鹿にしやがって…」
 Ⅸ籠はぎりりと歯を噛んで、刀を鞘へ納めた。
「ねえ、兄さんたちは生きるのが辛いなんて事ないよね? 死にたいなんて思ってないよね? あいつの言ってる事おかしいよね? ねえ、そうでしょ?」
 いくら声をかけても、兄たちからの返事は無い。聞こえるのは静かに流れる生命維持装置の音。
 無言の肯定。大好きな兄たちは、とても優しい。
「くく…、あはは! そうだよね! あいつ、頭おかしいんだ! あはっ、あははは!」
 Ⅸ籠は笑い声を上げながら、薄暗い部屋を走り回った。
 
 
 
 それから1週間後、Ⅸ籠は【本物】の兄の存在を知らされた。
 一番目の兄の前に存在する【本物】の兄は、弟たちを見捨てて【外】にいると教えてもらった。
 見捨てられたという事が、酷く悲しかった。それと同時に、怒りがこみ上げた。
 見捨てるような兄が【本物】なわけがない。あの部屋にいる兄たちこそが【本物】だ。
 
 絶対に、許せない。
 そう思った。
 
 
 
 
 
つづく