TOOL 12

 ジェノサイドの考案により、グラビティは何事も無く、7区に戻れた。
 ホリックとか言うヤツの上で寝転がっていたせいで、あちこち身体が痛い。アイツの身体は、何であんなに硬いんだろうか。
 白くて広い部屋は、沢山のケージが並んでいる。まるで図書館の本棚のように高く積んである。
 その中に、一体ずつ潜む生物。
 動物と言うには人間に近く、人間と言うには動物に近い生き物たち。中には、明らかに異常な姿をしたものもいる。
 ケージの中で暴れるもの、奇声を上げるもの、動かないもの。…死んでいるものもいるだろう。
 そんなケージのひとつの中に、グラビティは戻された。
「なぁ、エレクトロ。オマエは、退屈じゃねぇのかよ?」
 狭いケージの中で、クラビティは寝そべったまま、エレクトロに声をかけた。
 声をかけたと言っても、自分の耳に入っている、エレクトロとの通信機にだけど。
“退屈?”
「だって、オマエよぅ、ずっとその部屋で座ってるんだろ?」
“うん。でも俺は、退屈という事がどういう感情から生まれるものなのか、解らない”
「ああしたいとか、こうしたいとか、そんな風に思わねぇのか?」
“解らない…”
「まぁ、いいけどよ」
 グラビティは、話しを止めた。
 エレクトロを悩ませてしまうと、いつもやっているという、演算処理とかいうのが遅れて困るだろうし。
 エレクトロは、こちらから話し掛けなければ、何も言わなかった。そして、この施設のことの質問にも、答えてくれないことが殆どだった。
 だからグラビティは、時々だが他愛のない会話をエレクトロにしていた。
 エレクトロは解らないだとか、そういう命令はされていないとか、答えることが多かったけど、それでも少しは嬉しそうに言い返してくれるから、きっと話をするのが楽しいんだと思う。
 グラビティにとっても、今までの苦痛なまでの退屈な時間を過ごすよりは、ずっとずっと楽しかった。
 グラビティは、数分くらい間をおいて、また話し掛けた。
「なぁ、ここにはさ、どれくらいのヤツがいるんだよ?」
“長く『TOOL』に居る者か? 能力値の高い実験体の事か? それとも、『TOOL』の総人数の事か?”
 グラビティの言葉の足らないせいで幅広くなる問いを、エレクトロはいつも正しく答えようとしてくれる。
「数だ、数。研究員じゃねぇヤツの数だ」
“今現在、未登録の実験体もいるし、死亡したが未報告の実験体もいる。正確な数は解らないが、約632万体だ”
「ふーん」
 グラビティは、万の単位の数がよく分からなかったけど、とりあえず、とても多い数であることは勘付いた。
「その中で、逃げ出そうとしたヤツは?」
“グラビティも含めて2410体だ”
「ここから出られたヤツは?」
“0だ”
「あー、そう…」
 0か。と、グラビティは小さく呟く。その可能性の全く無い数に、グラビティは目を伏せて、大きく息を吐いた。
 それだけ、エレクトロが完璧なんだろう。
“でもグラビティは、俺が『TOOL』と一体化する前に、あと少しの所まで逃げられたんだろう?”
「あぁ」
 グラビティは、目を閉じる。
 この施設の外を、見た事があった。出口から見えた外の世界は、冷たい灰色なんかじゃなくて、キレイで、手の届かないくらい広い水色の天井だった。その天井は空という名前だということを、誰かから教えてもらった。
「キレイだったぞ、外の空」
 エレクトロには見えていないかもしれないけど、グラビティは、にんまりと笑顔を浮かべた。
“俺は、グラビティのその脱出の日から、数日経たない内に『TOOL』を任された。もし、俺が『TOOL』と一体化していなかったら、グラビティは今頃、『TOOL』から出てたかもしれない”
「よせよ。それはオマエのせいじゃねぇ。オレが逃げ出そうとしてるから、オマエが色々と大変になったのかもしれねぇしな」
“グラビティ、俺は…”
「うん?」
 グラビティは、エレクトロの声が曇っていくのを感じた。
「どうした?」
“すまない。通信を中断する…”
 そう言い残して、エレクトロの声はぷつりと切れた。
 グラビティはきょとんとして、目をぱちぱち閉じる。
 いつもの演算処理が遅れるとか言うのなら、エレクトロは少し待っててくれと言うのに。
 何だか、嫌な予感がした。
 寝返りをして、身体を横にすると、格子の間から、隣のケージの実験体が見えた。皿に入っている餌をボリボリと食べている。こちらと目が合うと、その実験体はふいっと顔を逸らした。
 グラビティは身体を起こした。
 行くか。エレクトロの所へ。
 何があったのか知らないけど、このままじっとしていても、心配で落ち着いていられない。
 段々とケージの造りが頑丈になってきていたけれど、グラビティにはどうという事も無い。
 ただ、潰して壊すだけ。
 偶然なのか、神様とかいうヤツが味方してくれたのか、グラビティは他の者とは違う特殊な能力を持って生まれた。
 自分と、自分の視界に入るモノに掛かる重力を操れる。
 あらゆるモノを、羽根よりも軽く、鉄槌よりも重く。
 この力を使って、今まで何度も逃げ出そうとしてきた。物を壊したし、研究員だって殺した。
 かなりの問題児であるにも関わらず、研究員が手放そうとしないのは、やはりこの力を欲しているのかもしれない。
「冗談じゃねぇ…」
 無意識に呟いた。
 鉄くずになったケージを蹴飛ばして、部屋の出口に向かう。
 ケージの外を歩くグラビティを見て、怒鳴ってきた実験体もいるが、グラビティには何を言っているのか分からなかった。
 身体に流れる血液と同じ色をした瞳で睨みつけてやる。
「うるせぇ。潰されたくなきゃ、大人しくしてろ」
 そう短く言い放って、通り過ぎた。
 ふと、あの薄緑色の液体の入ったガラスの筒が目に入った。
 ガラスの筒の中で、指先くらいの大きさだった小さな物体は、今は握り拳くらいの大きさになっている。成長が異常に早いらしい。
「おっきくなったな」
 聞こえているかどうか分からないけど、胎児に声をかけてみる。やっぱり、何の反応も無く漂ってるだけだった。
 グラビティは無彩色の廊下に出ると、体中の神経を研ぎ澄ませた。
 研究員は実験やら会議やらで滅多に通路には出ないが、それでも全く遭遇しない訳では無い。
 たった1人にでも見つかれば、あっと言う間に数十人になる。
 特に自分は頻繁に逃げ出すものだから、その人数も捕獲手段も大掛かりになっていた。
 足音を立てないように、素早く走る。
 向かう先はひとつ。
 施設の中枢部。エレクトロのいる部屋。
 廊下の監視カメラに、きっと自分は映っているだろうけど、警報が鳴らないのは、多分エレクトロのお陰だろう。
 グラビティが廊下駆け抜け、その先を曲がろうとしたその時、見覚えのあるヤツと鉢合わせになった。
「やぁ、また会ったね」
「テメェは…」
 研究員とは全然違う、奇妙な姿のコイツは、確かホリックと呼ばれていたヤツ。
「テメェ、またエレクトロの所に行く気かよ?」
「そう言うキミこそ、エレくんの所へ向かっているようだがね?」
 ホリックはふふっと笑い、わざとらしく肩を竦めた。
 この余裕の態度が、何だか腹立たしくて、グラビティは異常に発達した犬歯をギリリと噛み合わせた。
「黙れよ。テメェと付き合ってるヒマはねぇんだよ。…どけ! 潰すぞ!」
「ハハハ。ボクは暴力は反対だよ。キミに壊されては、またマスターに迷惑をかけてしまうからね。マスターは、ああ見えて忙しい人だから」
 ホリックは手をひらひらさせると、グラビティの後ろを指差した。
「ボクはこれから、12区から来たツンケン蝙蝠と怪力鷹の世話をしに行くから、エレくんの所へは行かないさ。キミはエレくんと仲良しで、正直妬けてしまうがね」
 腕組をして、ホリックは深呼吸するように肩を大きく上下させた。実際、呼吸している気配はなかったけど。
 グラビティは、そんなホリックの横を素早くすり抜け、ある程度距離をおくと、ホリックの方へ振り返った。
「オレが逃げ出したって、チクらねぇのかよ?」
「ハハ、報告して欲しいのかい? 7区の実験体が逃走しても、ボクには関係ないさ」
 他人事のように笑って、ホリックは手をひらひら振る。
「今の時間帯なら、研究員は滅多に部屋から出ない。エレくんの監視から免除されたキミなら、すぐにエレくんの所へ行けるよ。…では、御機嫌よう、重力蜥蜴くん。キミを縛る“鎖”には気を付ける事だね」
 ホリックはそう言い残して、振り返りもせずに歩き去って行った。
「ヘンなヤツ」
 グラビティはふんと鼻を鳴らすと、エレクトロの所へ走り始めた。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 11

「暇!」
 部屋に響く、短くも素直な不満の大声。
 その声に、主人の怒りがぶつかってくるのではないかと、緑色の目玉型メカがビクリと動いた。
「あー、つまんね」
 ギガデリックは、ぷぅとほっぺたを膨らませて、ベッドの上で寝そべりながら、足をバタバタさせた。
 ジェノサイドに6区から連れ戻されて、今に至る。
 あまり外出しちゃダメだよ…と、ジェノサイドに念を押された。
 押されたが…。
「知るかっての!」
 ギガデリックは、がばりと勢い良く起き上がった。
 知りたい事が、いっぱいあるのに、じっとしてなんかいられない。
「…ジェノ兄が何も教えてくれねーから、悪いんじゃん」
 なぁ?…と、目玉メカに向かって同意を求めると、目玉メカは、返答に困ったように、くるりと横回転した。
「出かけるぞ」
 ギガデリックはベッドから下りて、灰色の冷たい廊下へ向かった。
 
 静かな廊下。
 人の気配が無いと言うよりは、死んだように静まり返った無気味な空間。
 高くも無い天井に点々と続いている蛍光灯が薄暗く、足下を照らす常夜灯が冷たい色の光を放っている。
 どうやら、今は夜らしい。
 外に出してもらえず、外を眺める窓すらも無い環境で、時間はすっかり時計の数字任せだった。
 だけど、ギガデリックは、そんな時計任せの生活が不安に思えていた。今、本当に外は夜なんだろうかと疑いたくなる。
 いつも同じ温度に保たれたこの施設の中は確かに快適だけど、陽光の暖かさも、雨に打たれる心地よさも、そよ風の爽やかさも感じられない。
 幼い頃から、当り前だった世界が、何だか遠くの世界のように思えるようになってしまった。まだ、この施設に来て、1年も過ぎていないのに。
 この施設にスカウトされて連れて来られたものの、その目的もイマイチ分からない。
 心に引っ掛かるものを感じながら、ギガデリックは、その気持ちが何なのか言葉にもできずに、ずっと黙って押し殺していた。
 だからこそ余計に、何でもいいから、知りたいのかもしれない。
 何でもいいから、知れば、きっと何か変わるような気がする。それが、良い方向なのか悪い方向なのかは分からないけど。
 何かを知るには、きっと第2区にいる管理者とかいうヤツに会う必要がある。これだけは、確信していた。
 それと、もうひとつ。
 研究員の目的が終わったら、この施設を出て、自分の両親に復讐をしなければならない。
 この能力を理解してくれなかった両親を、この能力で。
 ギガデリックは、大きく息を吐いた。
 自分の後ろを、ふわりふわりと一定の距離で着いて来ていた目玉メカが、ピクリと動く。その普通の人間では聞こえない電子の声の電波を、ギガデリックは聞き取った。
 前から研究員が歩いて来るらしい。
 薄暗い廊下の20メートル先は、暗闇で見えなかったが、そのまま歩き続けると、やがて白衣が浮かび上がるように見えてきた。
 夜勤というわけでもなさそうだが、研究員は疲れたような無表情の顔で、じっとギガデリックを見詰めながら近付いて来る。
 殆どの研究員が、同じ雰囲気だった。どうしてあんな目で見るのだろう。自分のもつ特殊な能力に恐れているような目では無い。かといって、頼りにしているような目でも無い。声をかけてくるわけでのないのに、お互いの身体がすれ違うまでじっと見てくる。
「ムカツク」
 すれ違った研究員に聞こえるように言ってやったが、研究員は何事も無かったように、そのまま過ぎ去って行った。
 その態度にカッとなって振り返ったが、目玉がふわりと動いて視界を塞いだ。主人を思っての行動だった。
 研究員に手出ししてはいけない…と、散々言われているのを思い出す。
「…解ってるっつの!」
 荒々しく言って、ギガデリックは再び廊下を進む。
 宛も無く進み、いつもは通らない階段を下りてみた。下の階も、同じような廊下が続いていて、ギガデリックは、更に階段を下りた。
 その下の階も、そのまた下の階も同じ。
「何階あるんだよ…。メンドクセ」
 ギガデリックが口をへの字に曲げて、あからさまに苛立ちの表情を浮かべ始めた頃、その階の廊下で人のすすり泣きが聞こえた。
 その泣き声を聞いて、ギガデリックは表情を苛立ちから興味へと変えた。
 階段の踊り場から、廊下へ入ると、2つ先の部屋のドアが半開きになっていた。どうやら、泣き声はその部屋かららしい。
 普通の人だったら、こんな薄暗い夜中にすすり泣きが聞こえたら、少しながら恐怖を感じるかもしれないけど、ギガデリックは心霊現象は完全否定派だった。
 機械を操れるのは、心霊現象に近いんじゃないの?…と、ジェノサイドに言われた事もあったけど、それとこれとは別。
 ギガデリックは臆する事無く、部屋を覗く。
 部屋の中には、部屋の隅っこで、常夜灯だけに照らされたピンク色の少女が座っていた。肩を震わせて、声を抑えるように泣いている。
「なー、何で泣いてんだ?」
 近付いて声をかけてみると、少女はびくっとして顔を上げた。その顔が、思っていたよりも可愛らしく幼い顔で、ギガデリックは言葉に詰まった。
 少女の方も驚きの顔を見せていたが、ふっと顔を赤らめて、今度は、わぁーっと泣き出した。
「な…何だよ! オレが泣かしたみたいに泣くんじゃねーよ!」
 いくら怒鳴っても、少女は大粒の涙を零すばかりで、話にならない。
「泣くなっつの! ウゼーな…。オレ、何もしてねーじゃん。オバケじゃねーんだから、怖がんな」
 何を言っても変わらず泣く少女に、怒りを通り越して困惑してきた。
「くそー、何だっての。…オマエ、何?」
 声の大きさを下げ、ゆっくり話してみると、少女の泣き声は元のすすり泣きくらいにまで、落ち着いた。
 良く見れば、少女の足には足枷が付いていて、近くの壁に繋がっている。
 コイツは実験体か…と、ギガデリックは思った。実験体は、どんな能力があるか解らないから、不用意に近付くのは危ないと、ジェノサイドに言われていた事を思い出す。人の姿をしていても、危険な実験体だっているらしい。
 少女は、ひとしきり泣き終わったらしく、腫れた目で見上げて来た。
「あ? 何だよ」
 ギガデリックが首を傾げると、少女は目を丸くした。
「あなたこそ、だぁれ?」
「オレは、ギガデリックってんだけど」
「わたしね、サン・ホライゾン。ごめんね、せっかく来てくれたお客さんなのに、ここには紅茶もおかしも無いの…」
 少女は、申し訳なさそうな顔をする。
「お菓子? なら、オレのやるよ」
 ギガデリックは、傍に浮いている目玉メカを軽く叩いた。目玉メカの天面に穴が開き、ギガデリックはそこへ手を入れると、クッキーの入った袋を出して、少女に渡した。
「わたしに?」
「うん、食っていいぜ」
「ありがとう!」
 少女は万遍の笑顔でお礼を言い、大事そうにクッキーの袋を受け取った。
「お前、何で泣いてたんだ?」
 ギガデリックは、少女の前に座って、少女と同じ目の高さで質問する。少女は両手を床に付け、身を乗り出すように顔を近付ける。話がしたいらしい。
「わたしね、寂しかったの」
「寂しい?」
「うん…。いつもね、ここにいるの。時々、研究員さんが、ご飯を持って来てくれるだけなの」
「ふーん。部屋から出してもらえねーの?」
「出ると、怒られちゃうから…」
「オレも好きじゃねーな、研究員。ムカツクし。どっちかっつーと、キライ」
 ギガデリックがわざとらしい嫌悪の表情を浮かべると、少女はクスクスと笑った。そのあどけない笑顔は、危険な雰囲気は全く無いし、攻撃してきそうな実験体には見えなかった。
「ねぇ、ギガデリックくんは、わたしと同じ力を持ってるの?」
「んー?」
 少女の問いに、ギガデリックは、パチパチと瞬きをする。
 少女は、ギガデリックの傍に浮いている、目玉メカを見詰めた。
「わたしもね、物を浮かせられるの」
 そう言って、少女はギガデリックから貰ったクッキーの袋を手に持つと、ふわりと上へ投げた。
 すると、袋はゆったりと空中へ浮いて漂い始める。
「おー! スゲーじゃん」
 ギガデリックは感嘆の声を上げた。
 確かに、物を浮かせる能力があるらしい。けれど、ギガデリックの能力では、本来浮かぶ機能の無いクッキーは浮かせる事は出来ない。似てはいるかもしれないけど、違う能力だった。
「んー、でも、ちょっと違うなー。オレの能力は、機械を自由に操れるってトコだからな」
「機械?」
「そ。オレの命令が聞けねー機械は無いんだぜ」
 自慢げに答えると、ギガデリックは天井の蛍光灯を一瞥した。
 時間外の点灯命令に従い、蛍光灯が灯り、部屋が明るくなる。
 少女は眩しそうに目を堅く閉じたが、すごいすごいと、身体を揺らして喜んだ。その様子に、ギガデリックは上機嫌だった。
「ギガデリックくん、探し物してるの?」
「え? 何で?」
 少女の、突然お問いかけに、ギガデリックはきょとんとした。
「わたしね、人の心がわかるの。こう…楽しいとか、悲しいとかの気持ち。ギガデリックくんは、何か探してる。それが、みつからなくて、悲しい。そうでしょう?」
「あー。まー、そんな感じ…」
 ギガデリックは、当初の目的を思い出した。
「きっと、辛いことになるけれど、その探し物は、見つけた方がいいとおもうの」
 少女はにっこりと笑う。
「ギガデリックくんは、つよいから、大丈夫」
 確信を持って言っているかのように、少女の瞳は真剣なものだった。
 ギガデリックは、無言で頷く。少女の言っている事は、何となくだけど、心に響いた。
 それから、ささやかな別れを告げて、ギガデリックは、少女の部屋を出た。少女は、笑顔で手を振りながら見送ってくれた。
「何か、変わったヤツだったなー」
ギガデリックは、再び廊下を宛も無く歩き始めて、目玉メカに向かって言った。
「すげーよな。人の心が分かるとか言ってた。何かさ、オレ、この施設にいれば、普通なのかもな。ここにいれば、機械を操ってても変な目で見られないし、怒られねーし」
 いくら語りかけても、会話にはならないけど、ギガデリックは目玉メカに話を続ける。
「オレさ、迷ってんだよな。この施設で用事が終わったら、帰ってもいいって言われてんだけど、ここから出たら、また親とか周りに変な目で見られんじゃん…。まー、親はぶっ殺すつもりだけど」
 にわかに重い足取りになりながら、話すというよりは、呟きのように小声になる。
「メンドクセーことばっかやらされるケド。ここならオレの能力を否定するヤツなんかいねーし…。オレ、ずっと、この施設にいたい…」
 くるりと、目玉メカが横回転して、その大きな目を細くする。
「あ? 何だよ」
 目玉メカの行動に、ギガデリックは首を傾げた。目玉メカが目を細くするのは、嫌がっていたり怒っていたりの、あまり良くない意思表示だった。
「何がダメなんだっつの」
 ギガデリックの方も、不満の色を乗せた声をあげる。
 目玉メカは何も言わずに、ただ、ギガデリックの後ろで一定の距離を保ちながら付いて来ているだけだった。
 ひたすら歩くと、狭い部屋へ行き着いた。常夜灯の明かりが、無気味にエレベーターのドアを照らしている。
 この施設で、エレベーターがあるというのは、珍しい方だった。他の地区への移動専用機はあるけど、上下に移動するタイプのエレベーターは少ないらしく、ギガデリックもこの施設の中では、エレベーターを見るのは初めてだった。
 どうやら、このエレベーターは下に直通らしく、行き先のフロアは、1つしかないらしい。
「なぁ、このエレベーター、降りるとドコ行くの?」
 目玉メカに尋ねてみると、目玉メカは空中でひょこひょこと跳ねるような動きをする。嬉しいや、楽しいという意思表示だった。
「じゃ、降りてみっか」
 ギガデリックは、エレベーターのドアに電子ロックが付いているのを確認すると、ドアを開けるように念じた。ピピッと小さな音と共に、長方形のディスプレイにパスワードの数列がアスタリスクマークで並ぶ。
 ギガデリックはあらゆる機器へ、キーボードのキーを押すよりも簡単に命令できる。機械は素直だ。命令すれば、実行してくれる。ウソも付かないし。
 重苦しい音を立てて、エレベーターのドアが開いた。
 ひんやりとした空気が、エレベーターから流れ出て足下を通り過ぎる。下の階は寒いのかもしれない。
 エレベーターに乗ると、再び重苦しい音と共にドアが閉じる。低い振動音をエレベーター内に響かせながら、エレベーターは命令通りに深い階層へと降りた。
 数分くらい降り続けただろうか。空気は肌寒さを感じさせ、僅かに耳の鼓膜が張り詰める。
 力の抜けていくような音がして、エレベーターは止まった。
 ゆっくりと開かれたドアの先は、広い空間。消灯時間というのもあってか、向いの壁も見えないその大きな部屋は、鈍い鉄色の壁で囲まれて、無音の空間だった。
 自分の足音すら吸い込まれて響かないくらい広い。大きな装置のような物体が置いてあるらしい。それがあまりにも大きいので、その全貌は見えなかった。
 ギガデリックは部屋を歩きながら上を見上げる。天井は見えない。代わりに、連絡橋がいくつも縦横に通じていた。
 目玉メカが、ふわりと浮かんでいる高度を上げて、ギガデリックの前へ出た。くるりと縦回転して、ギガデリックを案内するかのように先導する。
 ギガデリックはその後を小走りで追い、小さな昇降機に乗った。乗ると同時に、昇降機が上がり始める。ギガデリックが命令したわけではない。どうやら、目玉メカが命令をしたらしかった。
 大きな鉄板に鉄棒の手摺が付いただけの昇降機は、音も無く上へ上へと向かう。
 目線が高くなっていくと、ギガデリックは目を大きくしていった。
 何かの大きな装置かと思っていた物体は、足だった。
 この広い部屋には、巨大な人型ロボットがいる。
 昇降機は最上まで上り詰め、動きを止めた。目玉メカに導かれるように、昇降機を降りて連絡橋を進む。
 連絡橋の真ん中くらいまで進むと、すぐ近くに、この部屋の主とも言える人型ロボットの大きな顔が見えた。
「すげ…、でけーな」
 大きなロボットの顔に手は届かないが、そのあまりの大きさに圧倒されそうだった。
 目玉メカが、ロボットの顔の周りを飛び回る。命令してもいないのに、目玉メカは勝手に増えて、色とりどりの6体となり、踊っているみたいに輪を作った。
「お前、ジェノ兄の…?」
 ギガデリックはロボットに呟いた。
 分かる。この大きなロボットの事が。機器が複雑であればあるほど、人間の感情にも似た、何かを感じる事ができる。コイツは、ジェノサイドに造られたのだと。道理で、同じくジェノサイドに造られた目玉メカたちが、嬉しそうにはしゃぐワケだ。きっと、仲間みたいな関係なんだろう。
 メカのチーフをしていると、ジェノサイドが言っていた事を思い出す。
「こんなスゲーの造ってんだったら、もっと早く教えろっつの。なぁ?」
 ギガデリックは、目玉メカたちに向かって言うと、目玉メカたちは6体同時にくるりと回転した。
「こんなでけーの造って、どーすんだか…」
 そんな事を言いながらも、ギガデリックはジェノサイドを見直した。いつもへらへらとして、頼り無い感じだから、その実力なんて知らなかった。
「コイツ、動くのかな?」
 連絡橋の手摺から身を乗り出して、ギガデリックは巨大な顔を見詰める。しかし、あまりにも大きい所為なのか、どうにも操れる気配が無い。念じるのが足りないのか。
 数分くらいは粘ってみたが、それでもピクリとも動かない。
「無理か…。くそー」
 ギガデリックは大きく息を吐いて、口を尖らせた。
「オイ、帰るぞ」
 楽しそうに飛び回る目玉メカたちに言うと、目玉メカたちはひとつに集まって1固体に戻った。
 目玉メカを連れて、ギガデリックは来た道を帰る。
 ふと、記憶の隅っこに追いやられていた目的を思い出した。
「くそー。2区ってドコだよ…」
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 10

 今まで、考えもしなかった事を教えてもらった。
 あの、最初の【アーミー】と名乗った、ミニマという少年に。
 自分は、この施設に無理矢理に連れて来られたのだと言う。そして、施設の外では、双子の兄弟が暮している事も。
 もっと…、もっと色々な事を教えてもらいたかった。
 けれど、代わりの研究員がすぐに来てしまい、アーミィは部屋から出されてしまった。手には、「処分しておけ」と言われて拾い集めた、銃の部品が一式。上官に渡そうと思っていたけれど、これではもう使い物にならないだろうし、処分しろと命令されたのだから、処分するしかない。
 しかしアーミィは、そんな事よりも、気になる事があった。
 自分は、施設の外に居た事がある。
 どうして、この施設に来たのか。
 この施設の事。
 研究員たちの目的。
 何故、自分は同じくらいの歳の子供達と殺しあってきたのか。
 疑問にすら浮かばなかった事が、酷い違和感と共に押し寄せる。
 アーミィはゆっくりとした足取りで、自分の部屋に戻った。
 広い部屋に小さく区切られた独房部屋は、もう自分しか居ない。かつては、この小さく区切られた牢に、ひとりひとり【アーミー】がいた。
 物音ひとつしない部屋に、自分の裸足の足音だけが、軽い音を響かせる。
 アーミィは、自分の番号のプレートが下がっている牢部屋に入り、狭いそこのコンクリートの上に座った。
 処分しろと言われた銃の部品だけれど、どう処分して良いのか解らず、そのまま持って来てしまった。戦闘訓練をしている時は、壊れた銃や使い物になら無くなったナイフを回収班が集めてどこかへ持って行っていたから、自分ではどうしていいのか解らなかった。
 バラバラになった銃を、コンクリートの床に広げてみる。まったく損傷箇所は無く、組み立てる前の状態そのものだった。
 ふと、赤い帽子を被ったギガデリックという少年を思い出す。
 不可解な能力。あんな力を持った【アーミー】がいたら、とても苦戦していただろう。
 良く喋り、表情をころころ変えて。あんなにも先を読まれ易い態度をとっているだなんて、よほど自信があるのか、戦闘をなめているとしか思えない。
 憶測だけれど、戦闘経験は殆ど無いだろう。弾丸を受けた時の処置方法も知らないようだった。
 無警戒な笑顔に、どうしていいのか解らなかった自分。
 今までの自分とは、何かが変わるような気がした。
 長くも無い時間の間に、何かが。
 もやもやとした、曖昧で確定出来ない思考が気持ち悪くて、アーミィは首を振って振り解くように考えるのをやめた。
 研究員か上官から命令が出るまで、何も考えずにじっとしていようと思う。
 また勝手に行動したら、また変な奴と出会ったり、また色々な疑問が浮かんで気持ち悪くなってしまうかもしれない。
 けれど、やはり、居ても立ってもいられなかった。
 嫌に、神経が張り詰める。物音ひとつしない部屋で、身じろいでコンクリートと自分の足が擦れる音だけが耳障りなくらいだった。
 やる事も、やりたい事も無い。
 ただ、時間がしつこいくらいに、ゆっくりと流れていく。
 何度目かになる身じろぎで、銃の部品が足に触った。
 アーミィは、気怠そうに身体を起こし、その銃の部品たちを、手でカラカラと掻き回してみた。
 繋がっていれば人を殺せるくらいの代物ではあるのに、こうしてバラバラになってしまっては、何の役にも立たない無力なジャンクでしかない。
 何の気無しに掻き回していたが、やがてその部品の一部が、本来繋がっていた他の部品と少しの隙間を空けて揃った。
 それを見て、アーミィはその部品同士を手に取り、組み合わせた。
 またひとつ、またひとつ…。
 アーミィはいつの間にか、夢中になって銃を組み立てていた。
 それを止める理由も、止める者もいなかった。
「できた…」
 やがて全ての部品が一つの銃を形成した時、アーミィはぽつりと呟いた。
 肩から力が抜けるような、不思議な達成感。
 バラバラのものがひとつになると、その存在は力強いものになるという事を、アーミィは意識もせずに心の片隅に覚えたような気がした。
 アーミィは銃を握り、いもしない標的に銃を構えてみた。
 再び、ギガデリックの事を思い出す。
“訓練ばっかやってて、知りたいコトなんか、教えてもらってねーんだろ?”
彼の言葉が、突き刺さるように心に響いた。
 考えるのをやめようと思っていたのに。
 もう一度…。
 もう一度だけ、もう少しだけ、ミニマと話がしたくなった。
 話しをして、何をするのか。それは知らない。
 事を知って、どうするのか。それも解らない。
 それでも。
 アーミィは、銃をズボンのポケットに押し込むと、すっと立ち上がった。
 あの部屋へ、もう一度…。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 9

「大丈夫か?」
 苦しそうな顔をしたエレクトロに声をかけると、エレクトロは、元の無表情な顔に戻った。
「データは、コピーされていない」
 教えられた言葉を、そのまま言うだけみたいな答えが返ってきた。
 このエレクトロというヤツは、こういうヤツなんだと、グラビティは何となく理解していた。たった一度、ほんの少しだけの会話で、そう感じていた。
「そうじゃねぇよ、オマエだ、オマエ。データとかコピーってのは、どうでもいい」
「俺の身体に、大きな破損は無い…が…」
 そう言ってエレクトロは立ち上がると、身体に繋がっているコードやケーブルを引き摺りながら歩き、四角い鉄の塊の前に座った。指先でスイッチを押して、巨大な鉄の塊に繋がっているコードを抜く。
「その四角い鉄、前に来た時は無かったな」
 記憶力の良いグラビティは、前に来た時には見当たらなかった、その装置に視線を向けた。
「この装置は、ホリックが持って来た」
 淡々とした口調で、エレクトロが答えた。
 ホリックという名は初めて聞く。初めて聞いたが、察しはついた。
 蹴り飛ばしたヤツだ。
「ホリック? ああ、アイツか。思いっきり蹴り飛ばしちまったな」
 そのホリックの方へ目線を移動すると、ホリックは壁からずり落ちて倒れたまま動かずにいる。一応は手加減したから、死んではいないだろうけど。
 グラビティは、後頭部を掻いた。
「だってよ、この部屋に入ったら、オマエとアイツが取っ組み合いしてるじゃねぇか。オマエ、苦しそうな顔してたからよ。悪いヤツだと思って蹴っちまったぜ」
「グラビティのお陰で、助かった」
「そか。良かったな」
 グラビティは、結果が良いなら問題ないなと思い、ニィっと笑った。
 すると、ほんの少しだけ、エレクトロも笑ったように見えた。人形みたいだったから、笑い方なんて知らないんだと思ってたけど、そうでもないらしい。
 興味という感情だと思う。グラビティは、鋼鉄の椅子に座り直したエレクトロにずいっと詰め寄って、顔を近付けた。同じ血色とは少し違う、真紅色の瞳孔の無い目がじっと見返してきた。
「オマエは、何?」
 途方も無い、非常に幅の広い問いかけ。けれど、そう訊く以外の他の言葉が無かった。
「俺は、『TOOL』の管理者。この施設の全てを統括、管理、監視を任されている」
 返ってきた答えは、やはり問いた質問の意図とは少し違ったものだった。
 もともと、期待なんかしてないからいいけど。
「グラビティ」
 ぽつりと、エレクトロが囁いた。顔が近いから、それに合わせて小声にしているのだろうか。
「何だよ」
「グラビティは、第7地区の実験体だ。実験体は許可証が無いと、地区の外へは出られないはずだが」
「え?」
「でも、実験体が脱走したという連絡も受けていない。…俺は、どうしたらいい?」
「は?」
 一瞬、何を言っているのか解らず、グラビティは小さな眉毛をハの字に変えた。
「通常は、監視カメラで実験体が逃げ出したのを確認し、警報を鳴らしてゲートの封鎖をするように命令されている。だが、グラビティが来る前は、ホリックの装置のせいで、その確認が出来なかった。もうひとつの確認として、研究員が実験体が脱走したという連絡をくれる事になっているはずだが、一度きりで、それ以降は捕獲した連絡も、脱走中の連絡も受けていない」
「あー…」
 グラビティは、あさっての方向に目線を向けて、エレクトロから離れた。
 そうだった。このエレクトロというヤツは、自分にとっての脱出の障害になる存在だった。次に研究員に捕われたら、逃げられる保証も無い。下手したら殺されるかもしれない。
 今ここで、殺してしまおうか。
 訳無い事だ。ぐっと力を込めて、頭を潰すだけだ。コイツが反応する前に、無警戒の今に。
 グラビティは、再び、そっとエレクトロに近付いた。
 ゆっくりと、僅かに震えた両手で、エレクトロの頭を掴む。手の平から伝わる、鉄の冷たさとほんのりと温かい髪の温度差が、奇妙な感覚を生んだ。心臓の鼓動が早くなるのが自分でも解る。
 何を躊躇っているんだろう。
「グラビティ、危ない」
 静かに言って、エレクトロは頭を掴んているグラビティの両手に手を置き、そっと手を外した。特に力も入れていないエレクトロの行動に、グラビティの手は素直にエレクトロの頭から離れた。
「ホリックにハッキングされた時に、ヘッドギアがショートして小さな損傷箇所ができた。感電する可能性がある」
 その言葉に、グラビティは、だらりと両手を下ろした。何の疑いも無い。恐怖心が無いのか、それとも警戒心が無いのか。その反応に、目の奥が熱くなった。
「悪ぃ、エレクトロ…」
「何故、グラビティが謝るのか、理解不能だ」
 グラビティは、部屋の中を見回して一呼吸おくと、エレクトロに向き直った。
「エレクトロ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
「そうだ。オレは、この施設から出たい。出て、どうするのかは解らねぇが、とにかく出たい」
「それはいけない。実験体は、絶対に外に出すなと命令されている」
「だから、お前も、出るんだよ」
「俺は、ここから出られない」
「何で」
「俺は『TOOL』の管理者だ」
「それは、お前の考えか?」
「解らない。命令だから」
「何で、そこまでして命令に従ってんだよ」
「…解らない。考えようとすると、演算処理が遅れる」
「そんなに、大切な事なのかよ!」
 カッとなって、思わず怒鳴り声になってしまった。
 エレクトロは少しだけ目を大きくして、黙ってしまった。口を開いて、何か言葉を探しているようにも見える。
 マズイ事をしたと、グラビティは大きく息を吐いて、気を沈めた。
「お前よ、何がしたい? 命令ってのは無しで、自分で考えろよ」
「…解らない。…解らない、が…。グラビティと話していると演算処理が遅れるのに、もっと話していたい」
 それが精一杯の答えだったんだろう。僅かに困惑したような顔をしていた。
「グラビティ、怒っているのか?」
 エレクトロは、目の前に居るグラビティをじっと見上げて、小さく言った。
 グラビティは、何だか可笑しくなって、ふっと吹き出した。
「お前、何か、変なヤツだよなぁ…。でも、研究員から見りゃあ、お前みたいなヤツが当り前なのかもしれねぇ」
「俺は、本当に正常なのだろうか」
「え?」
「時々、原因不明の思考回路を支配するデータがある。それはどの地区のメインコンピュータにも無いはずのデータだ。いくらフォーマットし直しても、そのデータだけが消えない」
「お前の言う事は、難しくてよく分からねぇ」
「不鮮明な映像データがある。それはこの施設では無い別の場所のような風景で、白い部屋で俺は誰かに抱きかかえられている。それが誰なのかは分からない。…このデータが、消せない」
「それはデータとかってヤツじゃねぇよ。『思い出』ってヤツだ。大事にしろ。それだけは、何があっても忘れんじゃねぇぞ」
「うん、解った。思い出というフォルダを新規作成して、保存しておく」
 悩みが消えたのが嬉しかったのか、眩しそうに目を細めてエレクトロは笑った。
 グラビティは、その笑顔を向けられているのが、ちょっぴり照れくさくなって目線を逸らせる。
「さっきオレが言ったこと、言い換えるぜ。お前、やっぱり普通だよ。ちょっと変だけどな」
 
 
 それから、間もなくして、部屋に現れたヤツがいた。
「トカゲ君、無事にここに来れたんだねー」
「テメェは…!」
 グラビティは身構えた。赤と灰色の奇妙な服を着た、あの研究員だった。
「名前、教えてなかったっけ? あー、そんな時間無かったっけね~」
 あははと、気の抜けたように笑って、その研究員は、部屋の壁際に倒れている、ホリックとかいうヤツの所へ歩いて行った。
「僕ね、ジェノサイドって呼ばれてるんだ。君の逃走は、僕が黙っておいたん・・・あーーー!!!」
 こちらには振り向かず、倒れたホリックに何か作業しながら…叫んだ。
「酷~い! 故障しすぎてるじゃないか! ホリック~ッ!」
 今にも泣きそうな情けない声を上げて、ジェノサイドは慌て始めた。
「トカゲ君でしょ、こんなにしたの。もうちょっと手加減してあげてよ~。ホリックは自己修復できないし、戦闘装備もしていないんだからねー」
「そんなの知るかよ。…ところで、テメェ、何だって、そんな…。俺が逃げたのを黙ってた?」
 気を張り、じっとジェノサイドの後ろ姿を睨む。
「ここから…出たいんでしょ?」
「え…」
 返ってきたのは意外な言葉だった。
 ジェノサイドは、ホリックを台車に乗せ終わると、こちらに振り向いて、見えている口元に笑顔を浮かべた。
「僕にも立場ってものがあるから、直接な手伝いはできないけどねー」
 クスクスと笑って、首をかしげる。無邪気な仕草ではあったが、グラビティはこの研究員が何かを考えている事を感じた。
「【11-176-DB】…」
「なに~? 僕の事は番号で呼ばないで欲しいな~。ジェノサイドて呼んで」
 ジェノサイドは、エレクトロに呼ばれ、エレクトロの傍へぱたぱたと駆け寄った。
「ホリックは、データの不正コピーをしようとしていた」
「あはは、それは大変だったねー」
「マスターに命令された…と、言っていた」
「…ホリックのお喋り…」
 ボソリと小さな声を出し、ジェノサイドは動かないホリックの方をちらりと見遣った。
「処罰されるに値する行為だ」
「知ってるよ~。だから色々と、手回ししてたんじゃないか」
 エレクトロに言われ、尖らせながらジェノサイドが四角い鉄の塊を指差した。
「何ヶ月もかけて造ったのに…。やっぱり、君には勝てないね~。君を改造した人は、すごく優秀な人だったんだろうねー」
 へらへらと緊張感の全く無い態度でジェノサイドが笑う。
「僕とホリックの事は、ナイショにしててよ。映像データもデリートするんだ。トカゲ君とお話できたんだから、これくらい、許してくれてもいいでしょ~?」
「それは、命令なのか?」
「そうだよ」
「解った。ホリックが来なかったら、俺はグラビティに会えなかったかもしれない…」
「は~い、交渉成立!」
「おいおい…!」
 グラビティは、声を荒げた。ジェノサイドという研究員にではなく、エレクトロに。自分をダシに使われたのは気に入らないが、それ以上に…エレクトロの考えに驚いた。
「そんなに、あっさり命令を聞くのかよ! コイツは、ホリックとかいうヤツを使って悪い事しようとしたんだろ!?」
「はいはい、怒らないで~、トカゲ君」
 エレクトロに詰め寄るグラビティの両肩に、後ろから手を置いて、ジェノサイドが言ってきた。
「絶対命令以外の命令は、上手く言い聞かせれば命令変更できるのが、管理者君の良い所なんだからー」
「触るなよ、気持ち悪ぃ!」
 振り返りながら、ジェノサイドの両手を払い落とす。思ったよりもずっと身長の高い男で、一瞬面喰らうが、グラビティはジェノサイドを睨み上げた。
 この男は、信用できない。
 しかし、ジェノサイドはグラビティの睨みも気にしていない様子で、エレクトロに近寄りその紅い髪を軽く撫でた。
「良かったね、管理者君。友達ができて。きっとトカゲ君は、君を大事に思ってくれてると思うよ」
「友達? グラビティの事か?」
「そう、友達。友達っていうのはね、特別な存在なんだよ~。大事にしなきゃね。困っている時は助け合うものだよ。僕もね、少し前に友達ができたんだ。ちょっと凶暴で恐いけど」
「特別な存在…」
「そうだよ。時には、命令なんかよりも大事なんだから」
 ジェノサイドの言葉に、エレクトロは少し考え込んでいるようだった。
 そして、自分の腕の皮膚を一摘みして引き抜く。血は出ずに、肌の痕はすぐ治った。
「?」
 奇妙な行動に、グラビティが目を凝らしていると、エレクトロはグラビティを見て「来てくれ」と言った。
 言われるままに近寄ってみると、エレクトロは自分の肌のカケラを手の平に乗せて差し出してきた。
「ここには材料が無いから新たに造る事は出来ないが、俺のナノマシンでも十分機能するはずだ」
「え…何だよ、これ…?」
 わずか1センチメートルも無い、小さなエレクトロの肌のカケラを指先でつついてみる。体温は無く、硬い鉄のようだった。
「それを耳の穴の凹みに入れておいてくれ」
「こう…か?」
 小さな物質を耳の凹みに入れてみる。
“聞こえるか?”
「!」
 エレクトロは喋ってもいないのに、耳の凹みに入れた物質から、声が聞こえた。何だか、ちょっとくすぐったい感じがする。
“通信機だ。何か、困った事があったら、言ってくれ。だが、グラビティが言う、この施設から出たいという要望には応えられないが…”
「ありがとよ。十分だ」
 グラビティはニィっと笑った。自分も、エレクトロとはいつでも話をしていたいと思っていた。
「お話は、済んだ?」
 ひょこりと顔を出してくるジェノサイド。
「じゃあ、トカゲ君、7区に帰らないとね。そろそろ戻らないと、僕が作った言い訳も効かなくなるから」
「テメェ、何だって、そんなにオレを気にしてんだよ」
「君だけじゃないよ~。管理者君も、6区の【アーミー】たちも、7区の神様もクリーチャーたちも、11区の少女や、12区の黒い悪魔と戦士も。僕の友達であるギガ君もね。…皆だよ、み~んな」
 まるで、自分に言い聞かせるように、ジェノサイドは言った。
「何を、考えてやがる?」
「ここから出たがっているのは、君だけじゃ無い」
「……」
 グラビティは目を見開いた。黄色いゴーグルで、どんな目をしてこちらを見ているのかは分からないけど、この男は、もしかしたら…本当に、本気でここから出ようと考えているのかもしれない。そして、その方法を、少しながら知っているのかもしれない。
「まだ、時期じゃないんだ。まだ…出られない。…でも、必ず、出られる時が来るから」
 ジェノサイドは独り言のように小さく呟くと、ホリックを乗せた台車を押して、出入り口の近くへ行く。
「トカゲ君、無事に7区に帰してあげるよ~」
 そう言って、指を指したのは、台車の上のホリック。
「ここに乗って、寝たフリをしててね」
「なっ、おい! ちょっと待て!」
 グラビティは顔を引き攣らせる。得体の知れないヤツの上に寝ろというのか。
「だから、僕が実験のために、君を借りてたって事にしてあげるから」
「そうじゃねぇ! そんな、変なヤツに触りたくねぇんだよ!」
「失礼だねー。ホリックは変な奴じゃないってば~!」
「十分、変だろ! ソイツ、生きてるのか死んでるのかも、分からねぇんだぞ! 腕、おかしい方向に曲がってるし、首が真後ろ向いてるし!」
「もー、文句言わないでよ~! 壊したのは君なんだからね。それとも、警報を鳴らして、警備兵に麻酔銃撃ってもらいたいの?」
「やだよ!」
「台車、1台しか持って来て無いし、一度ホリックを運んでから、また来るのも面倒なんだからね~。今日はあちこちの地区に移動してたから、僕、疲れちゃったよ」
「うー」
 グラビティは、犬のうなり声に似た声を出す。
「あは」
 間の抜けた笑い声を出して、ジェノサイドは首を傾げた。
「物凄く不満みたいだねー。でも、ちょっとの間だから、我慢してよ」
「くそ…」
 グラビティは、恐る恐る台車の上のホリックに触ると、べしべしと叩いて確認してみた。まったく動く気配は無い。まるで、物みたいに、冷たかった。死んでいるのだろうかとも思えたが、死の匂いはしていなかった。
「エレクトロ、じゃあな」
 エレクトロの方を向いて、短く言うと、エレクトロは頷いた。
 グラビティは、しぶしぶながら、ホリックの上に乗り、寝そべる。
「これでいいのかよ?」
「うん」
 ジェノサイドはニッコリと笑った。
「管理者君、じゃあね~! あ、映像データの削除、ヨロシクね!」
 そう言って、ジェノサイドはグラビティとホリックの乗った台車を押し、エレクトロの部屋を出た。
 台車の上のホリックの上で、グラビティは妙に硬い感触に嫌な気分になりながら、じっと目を閉じていた。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 8

「だーから! 2区ってのは、どこだっつの!」
 子供の大声がする。
 丸いシェルターがある、あの部屋。そっと覗き込んで見ると、自分と大差ない年齢の、赤い帽子を被った少年が、研究員の胸ぐらを掴んでいた。背が足りないので、持ち上げるまでには至っていないが。
「2区は立ち入り禁止だ!」
「知るかっての! 教えねーと、ぶん殴…」
 と、言いかけて、少年はピタリと言葉を止める。
 アーミィは、少年に偽造都市で拾った銃を向けていた。気配を読まれない様に部屋に忍び込んだはずなのに、どうして少年に感付かれたのだろうか。
 ハッとして、アーミィは横に飛び退いた。自分がさっきまで立っていた位置のすぐ後ろに、一抱えはある大きな緑色の目玉型のメカが浮いている。その目が、こちらを追っていた。
「あー?」
 赤い帽子の少年が、突き飛ばすように研究員から手を放して、こちらを向く。確証は無いが、この少年と目玉型のメカは、情報交換をしている。そうでなければ、気付かれるはずは無い。
「アーミィ、そいつを追い出せ」
 研究員が言い、部屋の隅に下がる。
 アーミィは無言で頷いて、身構えた。
「アーミィ…、お前、アーミィね。オレ、ギガデリックってんだけどー。…何? オレと喧嘩すんの?」
 ギガデリックと名を明かした少年は、へへっと笑った。目玉型メカが音も無く空中を移動し、少年のすぐそばに寄り添う。
「出て行って」
 アーミィは、短く言い放った。
「2区の場所、教えろよ。そしたら出てってやるっつの」
「それは言えない」
「何だよ、いーじゃん、教えてくれたってさ」
 ギガデリックが、顔を顰めて口を尖らせた。
「どーせ、お前もさ、訓練ばっかやってて、知りたいコトなんか、教えてもらってねーんだろ?」
「……」
 アーミィは、少しだけ目を細めた。このギガデリックという少年は、特に深い意味も無く皮肉を言ったのだろうけれど、心当たりのある発言だった。
「研究員ぶん殴ったら、後で怒られるからメンドくせーし…。お前なら喧嘩してもよさそーじゃん?」
 キィンと、場の空間が張り詰めた。空気が鋭利な刃物になったかのような感覚がする。
 ギガデリックの深緑色と灰色のオッドアイが、両目とも真紅色に変わる瞬間を見た。
 目玉型メカが、確かに1つであったはずなのに、まるで重なっていたかのように、その後ろから全く同じ大きさの目玉型メカが2体現れた。
 常識では考えられない現象が同時に起こり、アーミィは気を張った。
 増えたのは、桃色と、橙色。3体になった目玉型メカは、ギガデリックを中心に、三角形の頂点の位置するように移動して止まった。
 戦闘体勢万全というわけだろう。
 アーミィは、ぐっと身を屈めて身構えると、銃口を向ける。狙いは、右前椀。ギガデリックの動きから、利き腕は右だと知れた。目玉のメカがどんな行動をするにせよ、操っている者の戦意を止めれば良いはず。利き腕を奪えば、動揺するだろう。
「アーミィ、殺すな。多少、負傷させて構わん」
 部屋の隅でじっとしている研究員が言った。その言葉に、ギガデリックが首から下げているネームプレートに目が行く。11区の重要実験体である事が暗号で明記してあった。
 第11地区。稀に研究員たちが話している事があったが、内容までは記憶していなかった。興味の無い事だったし、自分には関係なかった。
 しかし実際、11区の実験体…つまりは11区の【アーミー】のような存在だろうか…それと対峙する事になろうとは。今まで戦ってきた、6区の【アーミー】たちのようにはいかないだろう。
「外野、ウルセ。ったく、テメェがさっさと2区の場所言やいーっつの! バカちんが!」
 その、ギガデリックが研究員に顔を向けた瞬間、アーミィは銃のトリガーを引いた。
 銃声とほぼ同時に、ギギッっと鉄を擦り合わせるような不快な音が部屋に響いた。
「っ!」
 アーミィは、ドキっとして、一歩下がった。
 弾丸が、空中で止まっている。
 僅かに、赤く光る半透明の細い線の円が空間に発生していて、その中心で弾丸が壁にでも当ったかのように、潰れて止まっている。
 良く見ると、桃色の目玉メカが目を大きく見開いていた。
「不意打ちってヤツ? オレに効くワケねーじゃん」
 ギガデリックが、べぇっと舌を出した。その次の瞬間、顔を少しだけ伏せ、笑顔でギロっと睨んだ。
 その攻撃的な笑顔が合図だったのか、橙色の目玉メカが、ヒュっと襲い掛かってくる。
 大きな瞼を閉じ、再び開けた時には瞳は無く、代わりに鉄の刃がびっしりと生えていた。それはもう目玉と呼ぶよりは、口と呼んだ方がいいかもしれない。大きく開いて、噛み付こうとしてきた。
 アーミィは身軽に右に跳んで避け、ギガデリックの方を見据えると、今度は緑色の目玉メカがその場から動かずに目を大きく開けた。
 ビュンと無機質な音が響いて、細い光の筋が飛んでくるのを素早く屈んで避ける。
 そうか…と、アーミィは思った。
 桃色が防御、橙色が接近攻撃、緑色が遠距離攻撃という役割らしい。
 間髪入れずに、再び橙色の目玉が噛み付こうと大口を開けて向かってくる。壁際に寄って避けると、その目玉は勢い余って鋼鉄の壁にかじり付いた。それで少しは怯むであろうと思っての計算だったが、見事に壁を喰い千切り鋼鉄の壁に歯形を残して、直ぐさまこちらを向いた。
 そうこうしていると、緑色の目玉からレーザーが飛んで来る。
 滅茶苦茶だ。アーミィは苦い顔をした。常識外れな存在じゃないか。11区の【アーミー】は、全員に特殊な能力があって、こういう戦い方をするのだろうか。…いや、重要実験体と明記があった事を考えると、数少ないサンプルなのだろう。可能性的に、このギガデリックという少年だけなのかもしれない。
 当のギガデリックは、高みの見物でもするかのように腕を組みながら、僅かに緊張を含んだ笑顔でじっと戦闘を見ていた。その表情は殺意のあるものではなく、どちらかと言えば、興味と期待に満ちた興奮の笑顔だった。
「くっ…!」
 左足に熱と痛みと痺れ。避け切れなかったレーザーが足に当った。しかし、足に穴が開く事は無く、中程度の火傷で済まされた。避けて外れたレーザーは、鋼鉄の壁を少し溶かしてしまうほどの威力であったはずなのに。
 まさか。命中する事を知っていて、威力を弱めたとでもいうのか。
 その態度がどこか腹立だしくて、アーミィはギガデリックに弾丸を放った。…が、それは同じく桃色の目玉のシールドに阻止されて、虚しく弾丸を床に転がした。
 火傷の痛みは特に問題は無いが、痺れてしまったのは辛い。動きが鈍い。
-右に避けて-
「!?」
 突然、どこからか声が響いた。反射的に言われた通りに右に避けると、その場の床に橙色の目玉が噛み付き、その左側をレーザーが通って行った。
 声の主を探そうとあまり広くは無い部屋を見回すが、それらしき人物はいない。声の感じから、自分と同じくらいの子供の…自分に良く似た声だった。
 その後も、主の見当たらない声は、避けるべき的確な方向を教えてくれた。謎の声に助けられて、アーミィは足の痺れも負担にならずに攻撃を躱せていた。
-銃を 右上の天井へ撃って-
 今度は、避ける方向では無く、攻撃の方向。しかし、その方向は、ターゲットであるギガデリックどころか、何も無い所だった。
 だが、アーミィはすぐにその言葉の意味に気付き、言われた方向へ、トリガーを引いた。
 桃色の目玉が目を大きく開けた。
 …が。
「うわぁッ…! いってぇ! 痛ぇーッ!!」
 ギガデリックは口いっぱいに大きく叫んで、その場にしゃがんで腕を押さえる。
 弾丸は、シールドの奥に居るギガデリックに当った。天井を反射して。
 一度、反射して威力の弱まった弾丸は、右前椀を貫通する事無く、腕の中に弾丸が残る状態となった。押さえている指の隙間から、じわじわと血が流れ始める。
 アーミィは、それを見て、どこか安堵した。この不可思議な能力を持つ少年が、自分と同じ血の色だったからかもしれない。
 目玉メカたちは、主人の負傷と同時に、空中で動きが停止していた。
「ぅぐ…、くそ…、熱いし、超痛ぇ…! すっげムカツク!」
 目に涙を浮かべて、ギガデリックが睨み上げる。
 その目線の先は、こちらの顔では無く、手にしていた銃を見ている。
 持っていた銃がビクリと動いた気がした。カンと乾いた音がして、銃が軽くなる。弾倉が外れて、床に落ちている。その後には、銃がバラバラに分解されて手から落ちていった。
 信じられない光景に、アーミィは、身体が固まった。普通では考えられないが、ギガデリックが手も触れずに銃を分解したとしか思えない。
 こんな能力まで持っているとなると、人体にも影響する能力も持っている可能性も考えられる。
 痛みに慣れていない事から、戦闘訓練は受けていないのだろうか。ダメージを受けた事が極端に少ないのかもしれない。
 ギガデリックが、ふーっと長く息を吐くと、目玉メカたちが浮いている高度を徐々に下げて、ギガデリックの頭の高さで止まる。3体が同時に、こちらを向いた。
 緑色の目玉メカの後ろから、また重なっていたかのように、今度は薄紫色の目玉メカが現れた。それはこちらに向く事無く、ギガデリックの負傷した腕の前で止まると、丸い体からコードのようなものを数本伸ばす。弾丸の埋まった箇所にコードの先を集めて、弾丸を取り除こうとしていた。
「まだ、喧嘩、続けてや…」
 と、言いかけて、ギガデリックは思いっきり息を吸い込んだ。
「~~~っだああああーッ!! イデデデっ! 麻酔、効いてねーっつの! ヤダヤダ、やめろ!!」
 薄紫色の目玉メカをバンバンと叩く。
 目玉メカたちは慌て始め、キョロキョロと辺りを見回したり、ウロウロと不規則に動きだした。
 緑色の目玉メカが、ギガデリックの顔を覗くように、そっと近付く。
「え? 来んの? 今?」
 何か、会話でもしているのだろうか、ギガデリックは驚いた表情を浮かべて、開きっぱなしになっていた部屋の出入り口の方へ目を向けた。
 数秒後、出入り口にフラリと、身長の細長い銀髪の青年が現れた。赤と黒の奇妙な服を着て、黄色いゴーグルをかけている。
「ギ、ガ、く、んー!!」
 その青年は、息を切らしながら、堪えるような低い声を出す。
「ジェノ兄…」
 ギガデリックは、きまりが悪い顔をして、肩を竦めた。
「もー! ギガ君が6区で迷惑かけてるって連絡もらって、ここまで、走って来……ああー! ギガ君、怪我してるの~!? 痛い? 痛いよね? すぐ治してあげるから!」
「んー。麻酔、さっきよか効いてきたみてーだから…あんまし痛くねーや。平気じゃね?」
「平気なワケないでしょー! 血が出てるんだから! 痛く無いからって、放っておくと、大変だよ~!」
 どうやら、銀髪の青年は、ギガデリックという実験体の担当者らしい。…その割りには、随分と対等に会話をしているようだけれど。
 張り詰めていた空気が元に戻り、4体に増えていた目玉メカは、いつの間にか緑色の1体のみになっていた。
 銀髪の青年は、ギガデリックの腕に応急処置をしながら、研究員に頭を下げている。
 研究員は、文句を言っているようだったが、ギガデリックはつんと顔を背向けていた。
「ほら、ギガ君、『ごめんなさい』は?」
「はぁ? 何で謝んなきゃなんねーんだよ。喧嘩していいみてーなコト、言ってたんだぜ?」
「どうせ、その原因を作ったのはギガ君でしょ。はい、謝る!」
「何だよ…。……悪かったな…」
 小さな声でぼそぼそと謝るギガデリック。それを見て、銀髪の青年は満足したようだったが、研究員の顔は渋いままだった。
「アーミィ…だっけ?」
 くるりとこちらを振り返って、ギガデリックが声をかけてきた。
「お前、頭いいじゃん。オレに銃の弾当てたの、お前が初めてだぜ。痛ぇのはムカツクけどさ、お前はムカツカねーな」
 そう言って、ギガデリックはニィっと笑った。
 全く警戒心の無い、殺意も無い笑顔。アーミィにとっては、初めて見る類いの笑顔だった。
 その笑顔への対応が解らず、アーミィはゆっくりと頷くのが精一杯だった。
「ごめんね~、軍人君。ギガ君を相手に、大きな怪我しなかっただなんて、すごいね~。ギガ君と歳の近い子が少ないからさ、今度またギガ君と遊んであげてね。あ、今度は喧嘩じゃダメだよ~。普通に仲良く遊んでね!」
 銀髪の青年も同じく、何の殺気も冷たさも無い。
 他の人と明らかに違う二人。でも、決して悪い感じはしない。
 何だろう、この感じは。
 銀髪の青年は、ギガデリックの手を引いて部屋を出て行った。
「なーんかさ、アーミィとジェノ兄って、似てんのな」
「え~? どこが~?」
「んー、何か、雰囲気っつーか、感じっつーか…。…よく分かんね」
「僕の小さい頃っぽい? 髪が同じ色だから」
「ジェノ兄、アーミィみてーに早く動けねーじゃん。やっぱ、全然似てねーな」
「あはは~」
 と、そんな会話が段々と小さくなっていくのが聞こえていた。
「まったく…。あんな乱暴な実験体に、何故、レベル3もの行動許可範囲を与えているんだか。さっさと洗脳してしまえば良いのに。噂には聞いていたが、ジェノサイド博士は、相当な変わり者だな」
 二人が去った後、研究員は溜め息混じりに独り言を言って、デスクの上の書類をまとめた。
「アーミィ。私は4区に行く。代わりの者が来るまで、この部屋に誰も入れるな」
 そう言い残されて、アーミィは、独りになった。
 レーザーの焦げや歯形の痕が所々にある部屋の中で、ふと気が付くと、その痕が徐々に小さくなっているように見えた。
 壁に近付いて、その大きな歯形の痕にじっと見入っていると、やはり見間違いではなく、大きな痕は小さくなっていく。もしかしたら、あの偽造都市の崩壊したビルも、こうして直っているのかもしれない。
-エレクトロが 直してくれている-
「え…」
-この施設は エレクトロの一部だから 彼のナノマシンが直してくれる-
 また、あの声。しかし、周りを見回しても…。
 と、そこで気付いた。もうひとり、この部屋に居る。
 アーミィは、丸いシェルターのある場所から、少し離れた位置の壁に背を付けるように座り込んだ。シェルターの中の少年に目線を向ける。中の少年は、眠っているように、ずっと目を閉じたままだった。
「…ねぇ」
 いつもよりも大きな声で、その目を閉じたままの少年に声をかけてみた。ぶ厚いガラス越しに、自分の声が届いているのかどうかなんて、解らないけれど。
「さっきの声、君でしょ? どうして、助けてくれたの?」
-アーミィは 僕と同じだから-
 頭の中に響く声。
 間違い無い。このシェルターの中の少年が、直接、頭の中に話し掛けている。
「同じ…」
 やはり、新しい【アーミー】なのだろうか。
「君は、誰?」
-僕はミニマ 最初の【アーミー】-
「最初の…【アーミー】…?」
 ミニマという少年の言葉に、アーミィは息が停まりそうになった。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 7

「っ…」
 鋼鉄の椅子の上で、エレクトロはびくっと身体を揺らした。
 施設中全てに張り巡らされているネットワークのどこからか、異常なエネルギーが逆流してきた。
 エネルギーの逆流が起きる事は稀にある。エネルギーは、自分の動力源として使えるのだが、このエネルギーの量は多過ぎる。危険だ。
 エレクトロは、その場所が7区である事を感知し、一時的なネットワークの切断をした。各地区には、それぞれメインコンピュータがある。少しの間、7区はメインコンピュータだけで動いてもらうしかない。
 他の地区のネットワークを通じて、7区のエネルギー逆流の原因を調査する。どうやら、実験体の暴走らしい。データにあった記録よりも遥かに数値が異常上昇して、それが設置せてある装置の限界値を遥かに上回り、エネルギー体として流れてきたようだった。1時間もすればエネルギー体は分散して、メインコンピュータたちの動力源になる。特に問題は無い。
 気になる事が、ひとつ。
 この部屋へ向かって来ている者がいる。【11-176-DB】が作成した、【145-HT】。
 研究員以外の者がここに来るのは、これで二人目になった。
 しかし、【145-HT】がここに来る事は、予測の範囲外。今までの行動パターンから検証しても、有り得ない。
 ドアの前まで来て「入れてくれ」と言っている。
 入れてくれと、言っているのだから、入れるべきなのだろう。
 エレクトロは鋼鉄の椅子に座ったまま、ドアロックの機械を遠隔操作して、ドアを開けた。
「はじめまして」
 何の迷いも無く堂々と入って来た【145-HT】は、首周りに付けた派手な羽飾りを揺らすように、深く一礼した。
「はじめましてと言っても、キミはボクの事は知っているだろうけれどね」
【145-HT】は、自分よりも先に造られてはいるが、知っている。いつ造られたか、何をしているのかも把握している。全てデータにあるし、監視カメラで見ている。ただ、ひとつ解らないのは。
「【145-HT】は、何を目的として来…」
「ストップ」
【145-HT】は、手の平を向けて言葉を遮った。エレクトロは素直に言葉を止める。
「こうして、直接会うのは初めてだね。ボクをナンバーで呼ぶのはやめてくれないか?番号で呼ばれるのは好きでは無いのでね。ホリックと呼んでくれ」
「ホリック…。以後、【145-HT】をホリックと呼ぶ」
「いい子だね」
 ホリックは口の端を上げて笑った。
「ホリック、データ内の名称もホリックに変更するのか?」
「いいや、それは変更しなくて良い。研究員が後で煩く言いそうだからね。マスターに迷惑がかかる。…ふふ、仕事熱心なのだね、エレクトロは」
 研究員以外の者がここに来ると、エレクトロと呼ぶのは、どうしてなのだろうか。…余計な事に、メモリは使えない。考えては駄目だ。
 ホリックはつかつかと近付き、すぐ側で止まった。
「キミに…正確には、キミの管理するデータに用事があって、来たのだよ。命令なのでね」
 ホリックが、ゴトリと床に何かを置いた。一抱えくらいはある、四角い機械だった。その機械には、全く見覚えが無い。データにも記録されていない機械だった。
 エレクトロは、ホリックを見上げた。
 ホリックは、エレクトロのすぐ後ろにある巨大なコンピュータのひとつに、その四角い機械に接続されているケーブルの数本を繋ぎ始める。
「止めないのかい?」
 途中で手を止めて、ホリックがこちらに顔を向ける。
「命令は、受けていない」
 メンテナンスの時にしか触られていない巨大なコンピュータだが、メンテナンス以外の時には誰にも触らせるなという命令は受けていない。だから、エレクトロは黙ってホリックの行動を見ていた。
「本当に、受けた命令にしか従わないのだね。好都合だよ」
 残りのケーブルを全て繋ぎ終えると、ホリックは、もう一度、今度は少し身体を屈めて、同じ高さの目線で、こちらを見た。サイバーゴーグルを付けているので、目が合っているかは解らないが。
「この、大きなコンピュータたちは、キミのサポートをしている…言わば、キミ専用の周辺機。…合ってるかい?」
「合っている」
「監視カメラの音声と映像の保存、セキュリティ等を任せている。…そうかい?」
「そうだ」
「キミは、ここのコンピュータたちとリンクして、全ての作業を行っている。…間違い無いかね?」
「間違い無い」
「そして、『TOOL』のデータは全て、キミ自身の中にある。…正解だね?」
「正解だ」
 エレクトロは、ホリックの質問に淡々と答えた。その度に、ホリックが笑みを濃くする。
「エレクトロ、侵入者には、そう易々と答えるものでは無いよ」
「ホリックが侵入者の可能性は、限り無く0%だ。研究員のサポートマシンだと、データにはある」
「…そこが、マスターの狙いさ」
 ホリックは、四角い機械を起動させ、屈めていた身体を戻した。
「これの難点は、長時間使用不可な所、かな」
 
“他機カラノ応答ガ切断サレマシタ”
 
「!」
 エレクトロは、無表情ながらも、少しだけ目を見開いた。コンピュータとの接続が切れた。
「まず、監視カメラの映像が見えなくなり、音声が聞こえなくなる。セキュリティが無効化する。そして、ナノマシンの活動が沈静化する。キミがいなければ、ここのコンピュータは全て只の鉄クズだね」
「ホリック…」
「安心したまえ。キミの一番大事な仕事である『TOOL』データの演算処理だけは、今これが代行してくれている」
「……」
 エレクトロは、何か言いたそうに口を開けたが、何を言うべきなのか解らず、声には出来なかった。
「まぁ、こんなケースは初めてだろうから、混乱するのも、無理ないか」
 くくっ…と、人間の様に喉の奥で笑って、ホリックはエレクトロのすぐ正面まで歩き、向き合った。
 このままでは、いけない。いくら演算を代行されているからといっても、セキュリティを無効化されたままでは危険だ。ナノマシンの活動が止められたままでは、施設の破損の修復も出来ない。
 エレクトロは立ち上がろうとしたが、その両肩をホリックの両手で押さえ込まれた。
「まぁ、ゆっくり座っていたまえ」
「切断をやめてくれ」
「今は出来無いな。こちらも命令なのだよ。この機械には演算の量が多過ぎる。長くは持た無い。だから、早急に済ませるさ」
 ホリックは、エレクトロの後頭部に繋がっているコードを一本引き抜いた。
「いけない」
 エレクトロは無感情な声を無表情のまま出して、ホリックが抜いたコードを取り返そうと手を伸ばした。
「悪いね、エレクトロ。少しだけ、データをもらうよ」
 ホリックは抜いたコードの代わりに、自分のコードを差し込んだ。
 エレクトロは、一瞬だけ目を細めた。ホリックのプログラムに浸入される。
 
“プロテクト強化。ウォール展開。一切ノ浸入ヲ遮断”
 
「さすがに速いね…。だが、ボクも引き下がる訳にはいかないのだよ」
 プロテクト解除のパスワードを探られている。同時にウォールの構築を崩す数列をぶつけてくる。
 エレクトロは、ホリックのコードを抜こうとしたが、その腕を掴まれた。
「すぐに終わるよ。キミが温和しくしてくれれば、ね」
「駄目だ。各地区の最高責任者の許可無しに、直接…コピーは出来ない」
「キミが黙っていれば、誰にも解りはしない。だから、許可も必要無い」
 
“左腕ニ痛覚ヲ感知”
 
「…っ! 腕が破損する。手を離してくれ」
「痛いのか?」
 ホリックは、意外だなと小声で付け足した。腕を掴んでいる力を弱める。
「痛覚は、始めだけだ。痛覚神経から信号が流れたら、痛覚回路は遮断する」
「痛みは生物にとって、生きる為の大切な事なのだよ。良かったじゃないか、僅かでも残っていて」
「それは、知っている。だけど、ホリックの言う事は、理解不能だ。その言葉は、俺が生物であることを前提として言うべきだ」
「己の事は、何ひとつ知らないのだね」
「痛覚があるのは、俺が未完成だからだ。研究員は、そう言っている」
「いいや。キミは十分、完成しているさ」
「…ホリック、警告だ。不正行動を停止しないのなら、排除対象とする」
 エレクトロは、右腕を重火器に変形させて、ホリックへ向けた。
 侵入者ではないが、この行為は侵入者と同じ事。それならば、排除するしかない。
「温和しくして欲しいのだがね」
 ホリックは、溜め息を付いた。
「30秒以内に、不正行為を停止しなければ、侵入者と見做し、排除する」
「やれやれ。ナノマシンは苦手なのだが…。仕方無い」
 ホリックは自分の左手の先を銃口に入れた。
「少し…いいや、大分、苦しいかもしれ無いが…。ボクにも、それなりの負担が掛かるからね。お互い様だ」
 ホリックがそう言ったと同時に、身体の機能が著しく低下した。どうやら、ホリックが直接ナノマシンと接触して、機能を停止させようとしているらしい。
 
“循環機能大幅低下。及ビ、呼吸機能低下。継続ニヨル、本体ノ致命的大破ノ恐レ有リ”
 
「うっ…」
 エレクトロは、顔を顰めて短く呻いた。呼吸が止まるのを、何とか抑えたが、この状態が続くのは危険だ。
 ホリックから銃口を外そうとしたが、ホリックは、左手をしっかりと接続しているのか、全く動かせない。
「くっ…、マスター…の、嘘つき…!」
 突然、ホリックがノイズ混じりの声を出した。
「こんなに負担が掛かる…だなんて…。これでは…コピーどころか…検索すら…」
「テメェ! 何してんだーッ!!」
 ドガン!!
 物凄い衝撃音と共に、ホリックの姿が一瞬にして消えた。
 いや、消えたのではない。この位置から3メートルほど離れた左側の壁に張り付いていた。当然、繋がっていたコードも千切れているし、手も銃口から抜けている。
 ホリックがいたはずの場所の、少し右の位置で片足を上げている、見覚えのある姿があった。
「グラビティ…」
 その姿を見て、電子頭脳の中を検索する前に、その名前が音声になった。
「大丈夫か?」
 グラビティが、薄く短い眉毛を寄せる。この表情は、心配というものだろう。
「データは、コピーされていない」
「そうじゃねぇよ、オマエだ、オマエ。データとかコピーってのは、どうでもいい」
「俺の身体に、破損は無い…が…」
 自分に破損は無いが、ホリックが持って来た装置を止めなければ。
 エレクトロは鋼鉄の椅子から立ち上がると、身体に繋がっているコードやケーブルを引き摺りながら歩き、装置の前に座った。電源を落として、巨大なコンピュータに繋がっているコードを抜く。
 施設内の全ての情報が流れ込んでくる。
 第7地区で、実験体が逃げ出したと通報されていた。警報を鳴らさなければいけなかったようだ。
 しかし、時間が経過し過ぎている。その後の報告は特に無い。実験体は回収されたのだろうか。
「その四角い鉄、前に来た時は無かったな」
 グラビティが、すぐ隣で顔を覗かせた。ホリックが持って来た装置を、目を細くして見ている。
「この装置は、ホリックが持って来た」
 当のホリックの方へ目線を移動すると、ホリックは壁からずり落ちて倒れたまま停止している。ここからでは正確に確認できないが、故障した可能性が高い。【11-176-DB】に連絡して、回収してもらうしかない。
「ホリック? ああ、アイツか。思いっきり蹴り飛ばしちまったな」
 グラビティはホリックの方を見て、後頭部を掻いた。
「だってよ、この部屋に入ったら、お前とアイツが取っ組み合いしてるじゃねぇか。お前、苦しそうな顔してたからよ。悪いヤツだと思って蹴っちまったぜ」
「グラビティのお陰で、助かった」
「そか。良かったな」
 グラビティは、異常に発達した犬歯が良く見えるくらいの笑顔をした。
 この表情。
 今まで、どの研究員も見せた事のない、顔。
 それを見て、エレクトロは、微かではあるが、自然と笑顔になった。
 
 
 
 
 
つづく


TOOL 6

「は~ぁ…」
 溜め息が出る。
 不満を十分に含んだその溜め息は、周りの鳴き声やら叫び声に、あっさりと掻き消された。
 狭いケージの鉄格子の外に目を向けて、グラビティはまた溜め息をした。
 逃げ出しても、すぐに捕まる。この繰り返し。
 このままじゃ、だめだ。
 そうは思っていても、解決になる糸口は無く、余計に苛立つ。
 目を閉じ、あれこれと考えてみる。が、だんだんと思考が鈍り始める。
 うつらうつらと心地よくなってきた頃、何やらいつも以上に騒がしい雰囲気になりだした。
 目を開けると、広い部屋の一角に研究員が集まり、今まで見たこともない装置を組み立てていた。
 偶然にも、その装置全体を見ることができる位置のケージに、グラビティはいた。距離はわずか10メートルくらいで、見下ろすような状態。研究員の会話もよく聞こえる。
 格子の間から、じっと様子を伺う。
 仰々しい鉄の塊たちに囲まれ、最後に組み上がったのは、人ひとり入れるくらい大きなガラスの筒。
 間もなくして、そのガラスの筒は薄緑色の透明な水で満たされた。
 それから、研究員たちは、少し何かを話してから、立ち去って行った。声は聞こえていたものの、グラビティには皆目解らない内容の会話だった。
 研究員が立ち去った後、グラビティはいつもの様に鉄格子を潰して、ケージの外ヘと飛び降りた。
 廊下にさえ出なければ、警報は鳴らないはず。
 研究員たちが組み立てた新しい装置に、ゆっくりと近づく。ガラスの筒の周りを見回すと、太さの違うコードで沢山繋がり合い、耳に気にならない程度の機械音を立てていた。
 ガラスの筒の中で、時々小さな泡がぽこりぽこりと昇っていく。その溶液の中に、指先くらいの大きさの塊が漂っていた。
 グラビティは、ガラスにへばり付く様に顔を付けて、その小さな物体に目を凝らした。
 薄い紅色をしたその塊。僅かに透けた身体をしたそれは、小さな脈動をしていた。
「生きてんのか…?」
 グラビティは、ぽつりと呟いた。
 こんな小さな生き物は初めて見た。この部屋のケージに閉じ込められている生き物たちは皆、人並みの大きさをしているものだから。
 胎児という存在を、グラビティは知らなかった。
「なぁ、お前。オレの声が聞こえるかよ?」
 こつこつと爪先でガラスの壁を突いてみる。
 しかし、小さな生命は、何事も無いかのように、静かに漂っているままだった。
 無反応の態度に少しばかり腹が立ったが、大きく伸びをして気分を入れ直す。きっと、コイツは、寝ているんだ。だから、声が聞こえていないんだろう。
 グラビティは、ふらふらと部屋の中を探り始めた。
 ここから出るという事に集中していたため、この部屋の中を見て回った事が無かった。もしかしたら、ここから抜け出す手口になるものがあるかもしれない。出入り口がひとつとは限らないのだから。
 いつもなら、すぐに向かう出入口とは反対の方へ進む。
 高く積み上がったケージの中の生き物たちの視線が、自分に注がれているのを邪魔ったく感じて、グラビティは足を早めた。逃げる気も無いクセに、逃げ出そうとする者には不平をぶつける。そんな連中に構ってる時間なんて無い。
 こうして、この部屋の生き物たちを見ていると、ふと思うことがある。
 何で自分は、人間に似ている姿をしているんだろうか、と。
 このことを考えると、息苦しいような、変な気分になる。
 何でそんな気分になるのかも、分からない。
 もやもやとした感じが嫌になるから、いつも考えるのをやめてしまう。
「っ…!」
 ケージが積み上がってできた壁を曲がろうとして、グラビティは慌てて身体を退いた。
 曲がった先に、人間の姿が見えた。幸いなことに背中向きだったので、気付かれなくてすんだ。
 そっと顔だけを覗かせて見る。嫌でも見慣れた白衣の人間と、赤と黒灰の風変わりな服を着た銀髪の人間が、小さな声ではあるものの、激しい論争をしながら歩いて行く所だった。
「この実験は、やめるべきだよ」
「安定化させるまで、あと少しなんです」
「だから…、取り返しのつかない事になる前に、実験を中止するべきだってばー」
「何を、恐れていらっしゃるのです? 我々のチームは、あれを拘束し制御出来る自信があります。その為の準備も万端です」
「そんな自信すら、遊ばれてる気がするけどねー」
「諄いですよ。だいたい、他の地区の者には、関係ないでしょう。干渉して頂きたく無いのですがね」
 白衣の人間はふんと鼻を鳴らせて、少しだけ表情を変えた。
「…ところで、お伺いしますが。我ら7区の実験体を定期的に11区に回して差し上げてますが。何の実験をなさってるのです? まぁ、必要の無くなった実験体を処分して頂けるのは、有り難いのですがね」
「それは、お口チャックのナイショだよ。もし、知ったら、君の首、飛んじゃうかもよー?」
 銀髪の人間はクスっと笑い、自分の首の前で手を水平に動かして、首を切る真似をして見せた。
「ふざけないで下さい」
 白衣の人間は、わざとらしく大きな溜め息をする。
 2人はそのまま歩き続け、突き当りを左に曲がって行った。
 グラビティは、2人の後を追う事にした。
 会話から察すると、この2人は研究員たちの中でも、上にいる者のはず。この部屋から外に出る、別の出入り口を知っているかもしれない。
 十分に距離を保って、見失わないように、2人を追う。
 このケージ部屋は、こんなにも広かったのかと、グラビティは驚いた。どうやら、自分が入れられていたケージは、出入り口に近い場所だったらしい。
 進むにつれて、ケージの中の生き物たちの数が減っていった。煩い鳴き声や叫び声も少なくなる。
 やがてケージの積み上がってできた壁が、この施設のどこにでもある普通の灰色の壁に変わった。
 その通りの角を曲がった研究員を見失いそうになって、グラビティは足を早めた。
 しかし、その曲がった先に、すでに2人の姿は無かった。
 代わりに、狭い通路の先に出口と思われる扉が見える。今まで逃げ出していた扉と同じ形のものだった。
 グラビティはその扉に駆け寄ろうとして、咄嗟に飛び退いた。
 左側の壁。そこに、扉が開いたままの部屋があった。その部屋に、さっきまで見ていた研究員たちがいる。
「何だよ…あれ」
 エレクトロがいた部屋に似た、とても頑丈な造りの、広めの部屋だった。
 自分が、いつも入れられているケージのある部屋に新しくできたガラスの筒と同じような、もっと大きいガラスの筒が置いてある。高さは4メートルくらいだろうか。それを囲む鉄の塊たちも、もっと増えていて、大きなものばかり。ケーブルやコードも異常な数で、見ているだけで目が回りそうだった。壁や天井に繋がっている太いチューブまである。
 大きな違いと言えば、ガラスの筒の中に薄い緑色の水は無くて、代わりに煙りのみたいなものと放電した電気が動き回っていた。瞬間的に形らしい形になるものの、すぐに溶けるように消えてしまう。
 白衣の人間は片手に書類を持ちながら、その大きなガラスの筒を指差して、銀髪の人間に何かを話していた。銀髪の人間は、う~んと首を傾げながら聞いているみたいだった。
 何だろう。
 さっさと通り過ぎるつもりだったのに。
 何か、感じる。
 大きなガラスの筒の、その不思議な中身に見とれてしまった。
 目覚めた時にはすっかり消えて忘れてしまう夢の断片を、指先で触れたみたいな感じがした。夢を見ていたということは思い出せたのに、どんな夢だったのかが思い出せない。そんな感じだった。
 バチッ!
 大きな感電音がして、ガラスの筒の中の煙りのみたいな雷のようなものの動きが早くなった。そして、煙りが黒に染まって、固まり始める。完全に形になりきれていないが、その姿は折り畳まれた大きな漆黒色の翼に似ていた。
「なっ、数値が高い…、計測しきれない!?」
 白衣の研究員が、大慌てで隣にあるデスクのパソコンに向かい、キーボードを打ち始める。機械音が異常な音を立て始める。
 重なりあって交差している翼が、少しだけ隙間を作り、その隙間に燃えるような真紅の長い髪がゆらりと流れた。
「何だ、この質量は…!」
 すっかり顔色の青くなった白衣の人間は、銀髪の人間に何か指示をして、ガラスの筒の右手前にある装置の操作を手伝わせた。
 真紅の髪がさらりと揺れると、真っ白の陶器みたいな肌が見えた。それと同時に、細く開かれた目が片方だけ見えた。
 その目を見て、グラビティは息が止まった。
 白目の所が黒くて、血色の瞳をしている。
 自分と、同じ目だった。
 その目が、じっとこちらを見ている。
 思わず大声で叫びそうになって、グラビティは自分の口を両手で押さえた。
 恐怖とは違う。でも、心臓を握られたような気分だった。
 ほんの数秒間。
 たったそれだけの時間、グラビティと黒い翼の者は同じ目で見詰め合っていた。
 黒い翼の者は、細い目を閉じると、一瞬にして溶けた。元の、不定形な煙りと不定期な放電に戻る。
「…incarnationrate…7.29%…だと…? たった、これだけで…」
「この特殊強化ガラスでもダメみたいだねー。今ので、ヒビが入っちゃったよ。次はダイヤモンドで造ってみる? あはは、経費、大変そう」
 顔面蒼白の白衣の人間に、銀髪の人間はガラスの筒を撫でながら他人事みたいに、クスクスと笑った。
 グラビティは硬直したまま、口を押さえていた両手を力無く下ろす。
 何なんだ、アイツは。
 今まで自分が見てきた生き物たちよりも、明らかに違いすぎる。心の奥底まで見抜いてしまいそうな眼差しが、記憶に刺さりそうなくらい鮮明に残った。
「今、何を見てたんだろうねー、神様は・・・。あっ」
 銀髪の人間は、黒い翼の者の目線の先、つまり、こちらに振り返った。黄色いアイマスクに似たゴーグルを付けていて、当然こちらからは相手の目は見えてないが、目が合ったということは十分に分かる。
「貴様は!」
 白衣の人間も振り返った。
「やべっ」
 グラビティは全力で走り、奥に見えている廊下へ出る扉に向かった。
 自動ドアが開いた先は、いつもと変わらない廊下の、少し先の場所に出ただけだった。
 これでは、また警報が鳴る。
 いや、さっき2人の研究員に見られたのだから、どちらにしろ、通報されて警報は鳴ってしまう。
 せめて、さっきの2人の研究員に追い付かれないように、グラビティは腕に重力を込めて、扉のすぐ隣に出っ張っている四角い機械を叩き壊した。
 こうすれば、この扉が開かなくなるはず。
 この場しのぎでしかないが、グラビティは走り出した。
 ・・・が。おかしい。
 もうとっくに大音量の警報が鳴り響いてもいいはずなのに、まったく静かだった。
 あの2人の研究員が通報しなかったとしても、もうすでに廊下の監視カメラには見られている。
 それなのに。
「???」
 今日はいつもと違うことばかりで、グラビティは多少ながら、困惑した。困惑しながらも、いつもと違う方向へ逃げてみるものだなと、薄く笑った。
 グラビティは走るのをやめて、ぐっと身構えるように気合いを入れる。
 神経を研ぎ澄まし、エレクトロのいる部屋の方へ慎重に向かい始めた。
 
 
 
 
 
つづく