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メンデスとアルマゲスト

昔に書き途中だった擬人化小説の、メンデスとアルマゲストの初接触。
メンデスはプライド高いツンデレなうさぎ、アルマゲストは仔犬幼女。
・・・っていう妄想による捏造。
擬人化についてはMS#2擬人化擬人化色々に描いてます。


 本部にて定期メンテナンスを終えて、メンデスは人通りの多いフロアを早足で歩いていた。
 メンテナンスをした後は、身体の調子は良いが、頭が痛くなる。
 頭痛の原因は不明で、担当者も頭を抱えるばかり。そんな原因不明という不安の気持ちもあってか、メンデスはこの頭痛の時には酷く機嫌が悪かった。
 フロアを行き来する者たちは、そんなメンデスの機嫌が悪い事を知ってか知らずか、道を譲るように慌てて距離を置く。
 メンデスは怯えた様相の者たちなど特に気にもせず進んでいたが、ふと背後に微かに悪寒にも似た奇妙な気配を感じて足を止めた。
 振り返って見た先には何も無く…と思ったが、視線を下げると、気配の主がいた。
 小さく幼い、白いワンピースを着た少女が、じっと様子を伺うように上目遣いに見詰めている。黒い玉のようなものを大事そうに両腕で抱えていた。
「・・・・・」
 メンデスは短く息を吐くと、再び早足で歩き始めた。
 いくら苛立っているとはいえ、子供に奇妙な気配を感じるなんて、どうかしている。
 しかし、何を考えているのか、その少女は早足で歩く後ろを、必死で追いかけて来る。
 メンデスは、付いて来る少女を横目で一瞥して、歩く速度を上げた。
「わぅ…」
 小さな呻き声。
 嫌な予感がして、振り返ると、白い少女は床に顔を付けて転んでいた。コロコロと黒い玉が持ち主の手を離れ床を転がる。
 白い少女は、のたのたとした鈍い動作で起き上がり黒い玉を拾うと、またこちらを見上げてきた。何か言いたげな顔をしている。
 廊下を歩く者たちも、その様子に何事かとざわめき始めた。
 メンデスはこめかみを押さえて溜め息をすると、身を屈めて白い少女に顔を近づけた。
「お前、何のつもりだ」
「アルマ」
「名前など訊いてない」
「わぅ…」
 白い少女はしゅんとして、黒い玉に顔を伏せる。
 何を考えているのか、さっぱり解らない。
「何故、私に付いて来るんだ」
「アルマは、メンデスと同じだよ」
 こちらから訊いてやれば、目を輝かせて訳の解らない事を言い出す。
 名前を知っていた事には少々驚いたが、本部でワンモアを知らない者はいないのだから、当然といえば当然だった。
 しかし、こんな幼い子供まで知っているとは。
「私と同じでたまるか。親はどうした」
「知らない」
「家に帰れ」
「お家、ここだよ」
 白い子供は、黒い玉を自慢するように近づける。
「・・・・・」
 返答に困り、メンデスは目を逸らした。
 心無しか頭痛が酷くなったように感じて、メンデスは顔をしかめた。
 警備員でも呼んで引き取らせようと思った時、ふわりと温かい風が吹いた。
 はっとして周りを見回すと、人通りの絶えないフロアであるはずなのに、自分と白い少女以外、誰ひとり居なくなっていた。
 のしかかるような空気の重さを感じて、メンデスは目を細めた。
 神経を研ぎ澄まし、周囲を電波探知してみる。
 異次元だろうか。視界に入る分だけの空間だけが切り取られたようだった。視界に入らない先は何も無い空間でしかない。
「何の真似だ」
 白い少女に問いかけてみる。
 異次元へと隔離された原因は、どう考えてもこの子供以外には考えられなかった。
「エクスシアがアルマを探しにきたの。でもアルマは、まだメンデスと一緒がいい」
「エクスシアだと?」
 聞いたことのある名前に、メンデスは記憶を探った。
 エクスシアとは、ワンモアに仕えるエクストラのひとり。つい最近知った名前だった。
 天使の光輪を頭上に携え純白の翼を生やした筋肉隆々の大男で、寡黙なために何を考えているのか解らない奴だと聞いたことがある。
 まだ、エクスシアのワンモアについての情報は何も無いが…。
「お前、ワンモアか」
「うん。メンデスと同じ」
 無邪気な笑顔浮かべながら、白い少女は答えた。
「そうか」
 メンデスは静かに頷いた。
 こんな子供が、か。
 まだ公にされていない理由は、まだ幼い子供だからだろうか。
「あと、数年くらい」
「何だ?」
「メンデスが戦えるの」
「・・・知っている」
 メンデスはふふっと笑った。
 自分の寿命が短いことくらい、知っていた。
 戦闘に出撃する度に更に寿命を短くしている事も、他を圧倒する異常なまでの戦闘力の代償だった。
「でもね、アルマがメンデスの代わりになるから、大丈夫だよ」
 万遍の笑みを浮かべて、白い子供が言った。
「アルマは、完成品だから」
 無垢に放つ言葉に、メンデスはびくりと身を震わせた。
 いつか、そうなるであろうことは知っていた。けれど自分には、まだやるべきことがある。
 メンデスは目を閉じて、小さく溜め息をする。
「ふん。笑わせるな」
 目を見開いて、装甲の翼を勢いよく広げる。その衝撃で、視界内の世界に亀裂が生じた。
「お前のような仔犬に、私の代わりは勤まらない」
「!」
 白い少女は目を大きくして、立ち尽した。
 ガラスのように砕け散った世界は元の空間に戻り、辺りは人通りと騒がしさで満ちる。
「アルマ様」
 大きな白い翼を生やした大男が、白い少女の後ろに立っていた。
「エクスシア…」
 白い少女は振り返り大男を見上げると、ばつが悪そうな声を出す。そんな少女を、大男は優しく片腕で抱きかかえた。
「手前はエクスシアと申します。メンデス様、ご迷惑をおかけしました。どうかご無礼をお許しください」
 大男が身体に似合わず深々と頭を下げると、白い少女は大男とメンデスを交互に見て、同じように頭を下げた。
「構わん」
 メンデスは意に介さず、大男と白い少女に背を向けて歩き始めた。
 頭痛が少し治まったが、気持ちは晴れなかった。
 誰にも言われたくなかったこと。それを面と向かって、しかも自分の上位互換であろう存在に。
 自分はあとどれくらい戦えるのか、あとどれくらいこの力を使えるのか。
「ふん…」
 余計な事を考えるのはやめようと、メンデスは軽く頭を振って足を速めた。
 
 
 
 
 
終わる


名前を教えて

接続組とⅨ籠の初接触。刺斬がひたすらお節介なだけの話。


 大将に会ってこい、と。そう上層部から言われて、刺斬と鎖は教えられた会議室へ向かった。
 何の飾り気も無い色合いの廊下に、2人の足音だけが響く。
 クローン隊の頂点に立つ存在がどんな人なのか、刺斬はやや緊張していたが、鎖は「面倒くせぇ」と口を尖らせていた。
 目的の部屋の前で部屋番号を確かめ、刺斬がドアノブに手をかけると、鎖はニヤリと笑った。
「どんな筋肉大男だろうな?」
 そう言うと、刺斬は苦笑いを浮かべた。最強の存在から造られたクローンであると上層部が言っていた事を思い出したらしい。
「どんな人でも、一応は従いますよっと」
 刺斬はゆっくりとドアを開けた。
 どんな屈強な大男がいるのかと思えば、部屋の中にいたのは年端も行かない子供。長机の端に突っ伏すように肘を付いて、クナイを弄っている。
 2人は呆気に取られて、お互いに横目で目を合わせた。
「何?」
 小さく声を出して、子供がこちらへ顔を向ける。黒いヘルメットに黒いマントを纏った姿は薄暗い部屋に溶け込んで、余計に背丈が小さく見えた。
 部屋を間違ったのかという考えが刺斬の脳裏を過ぎったと同時に、鎖は慌てて部屋の外へ飛び出して部屋の番号を確認していた。
「失礼…。俺は刺斬と申します。あちらは鎖」
 刺斬は会釈をすると、子供は手に持っていたクナイを懐にしまって、まじまじと見つめてくる。
「そうか」
 興味ありそうな態度とは裏腹に、興味が無さそうに言葉を返された。
「…この部屋で間違いねぇ」
 すぐ隣に戻ってきた鎖が、刺斬の耳元で囁く。刺斬はこくこくと頷いて、背筋を伸ばした。
「中隊長に任命されましたので、ご挨拶に参りました。改めまして、刺斬と申します」
「俺は鎖だ。堅苦しい挨拶はしたくねぇ」
 2人の顔をじっと見て、子供が小首を傾げる。
「・・・前に会ったような。いや、気のせいか・・・」
 小さく呟いた後、溜め息をする。
「わかった。出撃の時、呼ぶから」
 子供は素っ気無く答えて、目を伏せた。
 その様子に、鎖はやれやれといったように肩をすくめたが、刺斬はじっと子供を見据えて口を開く。
「お名前を伺ってもよろしいか」
「すぐ死ぬかもしれないのに、名前を知る必要があるのか?」
 刺斬の言葉に、子供は不思議そうな表情を浮かべた。皮肉ではなく、ただ本当にそう思って出た言葉のようだった。
「俺は簡単には死にませんよ」
「今までオレの部下に配属されたヤツ、皆そう言ってた。でも死んだぞ」
「俺と鎖さんは、他の連中とは違いますんで」
「今までのヤツも、同じような事言ってたけど・・・、まあいいや。お前たちは好きにしてていい。いちいちオレに構わなくていいぞ。お世辞とかご機嫌取りとか、そういうの好きじゃない。言いたい事は好きに言え。出撃の時、オレの言う事聞いてくれればいいから」
「分かりました。中隊長として肝に銘じます」
 刺斬は一礼した。
「何か、ずいぶんと冷めたガキだな」
 隣にいる鎖は渋い顔をして刺斬と目を合わせる。刺斬は至って真剣な顔で頷いた。
「ありゃあ、良くないっスね」
「だよなあ。全ッ然可愛げがねぇガキだ」
「顔色が悪い」
「は? 顔色?」
 予想外の刺斬の言葉に、鎖は目を丸くした。
 刺斬は子供に近づいて、長机を挟んで対峙する。
「俺個人として、捨て置けない事があるんで、進言させていただきます」
「何?」
「このお部屋は暗いです。目が悪くなります」
「…はぁ?」
 子供はひと回り大きな声を出した。
「それに、顔色が優れないようですね。髪の艶も少し薄い…。ちゃんとした食事はしてますか? 睡眠は?」
「薬飲んでるし、多分寝てる…。・・・いや、お前に関係ないだろ」
「俺や鎖さんを指揮するんですから、健康管理はしっかりしていただきます」
「オレの管理は他のヤツがやってる」
「組織からの最低限の管理とお見受けします。俺は常に最高の管理をさせてもらいます」
「お前、何言って・・・」
「好きにしていいと言いましたよね? 好きにさせてもらいます」
「おい、刺斬・・・!」
 鎖が顔を引きつらせて刺斬の肩を掴んだが、刺斬は完全に子供の方に集中していた。
 当の子供は、あからさまに怪訝な顔をしている。
「何なんだお前。何が目的だ? 名前が知りたいんだったな? オレはⅨ籠って呼ばれてる。クロウでいいぞ。これで気は済んだか?」
「ではクロウさん、ボスとお呼びさせていただきます。曲りなりともあなたの部下なので。・・・早速ですが、今日の夕飯から食事のご用意は俺がします」
「…好きにしろ!」
 Ⅸ籠と名乗った子供は、大声で言い捨てて会議室から走り去って行った。
 静まり返った会議室で、バタンと派手な音を響かせて刺斬が長机の上に顔を伏せた。
「やっちまった!」
「刺斬、お前の悪いクセだぜ・・・」
 鎖は張り付いたように机の上で微動だにしない刺斬の頭をぽんぽんと叩く。
「だって、俺らのボスっスよ? あんな子供だなんて、しかも健康不良児・・・。筋肉大男どこいった・・・」
「気持ちは分かるけどよ。お前は色々やりすぎだ。初日から踏み込みすぎて…」
「あ!」
 鎖の言葉を遮って、急に刺斬が頭を上げる。
「しまった、クロウさんの好きな料理を聞きそびれた」
「・・・子供だし、カレーかオムライスでいいんじゃねぇの?」
 半ば呆れた鎖は、目を泳がせながら適当に返事をした。
 
 
 
 
 
終わる


短文 2本

鎖&Ⅸ籠と刺斬&Ⅸ籠の短いお話2本。
書いた時期が違うので、何となくキャラ同士の温度差があるのはご愛嬌で…。


 しとしと降る雨。
 汚染された大気を含む黒ずんだ雨雲は、濁った色の雫を地上に撒く。
「あ~ぁ。予報じゃあ、降るのはまだ先だったってのによ」
 不満の気持ちを込めて、鎖が呟いた。いつもならツンツンと鋭く逆立った深紅の髪も、すっかり水気に負けて頭や顔に張り付いている。溜め息をひとつして、顔に張り付く髪をかき上げると、辺りを見回した。
 戦いが終わった平地。ぽつりぽつりと死体が転がっているだけで、雨宿りできそうなものは無い。
「刺斬が迎えに来るまで、もうちょっと待ってろよ」
 隣に立つⅨ籠に声をかける。
 Ⅸ籠は返事をせずに、遠くを見ているだけだった。
 薄暗い空から落ちてくる雫は辺りの死体の血を洗い流し、気まぐれに吹き付ける風は生臭い鉄の匂いを押し流す。
 寒い時期ではないとはいえ、冷たい雨はゆっくりと身体の熱を奪っていく。
 鎖は片手で自分のロングコートの裾を掴んで広げると、Ⅸ籠が雨風を受けないようにした。
「どういうつもりだ」
 Ⅸ籠が怪訝な顔で鎖を見上げてきた。
 その様子に鎖は少し安心した。戦闘後なものだから、もしかしたらⅨ籠の気がおかしくなっているのではないかと、心配していた。Ⅸ籠は、時々そういう事がある。
「鳥って、羽がすぶ濡れになると飛べなくなるって聞いたからな。飛べないと困るだろ?」
 鎖はニッと笑って答える。やはりというか分かってはいたが、Ⅸ籠の反応は良くない。眉間にしわを寄せて睨まれた。
「オレは鳥じゃないし、雨に濡れたくらいで機動力は変わらないぞ」
「冗談だっつの」
 正論で返されて、鎖は少し苦笑いを浮かべる。
「寒いから風邪引くだろ?」
「オレは戦闘に支障が出ないように管理されてる。だからお前が心配する必要は無い」
 心配から出てきた本音を言えば、身も蓋も無い返事が返ってくる。構われたくない。優しくされたくない。Ⅸ籠からはそういう態度がひしひしと伝わってくる。
 “戦闘に支障が出ると困る”・・・そう考えているとⅨ籠に思われた事が、少し悲しかった。風邪を引いて辛い思いをさせたくなかっただけなのに。
「まあ、いいじゃねぇか。俺がこうしてたいんだよ。お前が嫌だってなら、やめるけどよ」
 鎖はⅨ籠の睨む視線を押し返す気持ちで、笑顔を見せた。
 Ⅸ籠に対する気遣いは、優しさになれない。世話焼きでもなければ、お節介にすらさせてもらえない。
 完璧である事を強要された不完全な生物兵器には、他人の厚意なんて心に届かない。
 だから、これはただの自己満足。
「……変なヤツ…。好きにしろ…」
 Ⅸ籠が遠くを見るように視線を戻した。
 人の優しさを避けようとするが、その殆どを許してくれる。もしかして、これがⅨ籠なりの優しさなんじゃないだろうか。鎖はふとそんなことを思った。我ながら、バカバカしいくらい都合のいい解釈だと思うけど。
「お前も、刺斬も、必要ない事をやろうとする…。オレなんかに…、……」
 ぽつりと、やっと聞き取れるくらいの言葉が聞こえた。最後の方は聞こえなかったが、Ⅸ籠の目つきが少しだけ穏やかになったように見えた気がする。
 その横顔に、鎖は顔を綻ばせる。雨の冷たさも張り付く髪の不快さも、どうでもよくなった。
 
 
 
◆◇◆◇◆
 
 
 
 ガンガンと、ドアを叩く音がする。
 狭い部屋にその騒音はやたらと響いた。
 ノックにしては乱暴で、ドアを叩き壊すには不足すぎる。まるで、力の加減ができていないような。
 刺斬は疲れが残ってる身体をソファーから立ち上がらせた。
 鎖が鍵を忘れて部屋を出たか、それとも鍵を失くしたか。ドアを開ければすぐに分かる事だから、考える気にはならなかった。
 しかしドアを開けると鎖の姿は無く、少し目線を下げれば、闇夜を纏うような金色の目が見上げていた。
「ボス…何故ここに?」
 ここに来るはずのない人物の姿に、刺斬は咥えていたタバコを落としそうになって、慌てて掴んだ。
「来てやったぞ」
「はぁ…、そりゃどーも」
 刺斬は軽く頭を下げる。突然の事に呆気に取られて、気の抜けた返事をしてしまった。
 珍しい。というか、初めてだ。まともな食事をしてもらいたくて時折、Ⅸ籠を無理矢理に連れて来る事はあったが、Ⅸ籠自らここへ来る事は今まで一度も無かった。何か大事な話でもあるのだろうか。
 刺斬はⅨ籠を部屋へ入れてソファーに座るよう促す。Ⅸ籠は音も無くソファーに腰掛けると、黒いヘルメット取ってそれを膝の上に置いた。
 漆黒色のヘルメットと闇夜色のマントの身なりとは正反対の、透ける様な白銀色の髪が流れる。自分自身の事を全く気にしていないのか、その白銀色美しさには到底似合わない乱雑な髪型だった。いつか綺麗に切り整えさせてあげたいが、そんな事を言ったら怒ってしまうだろうか。
 刺斬はすぐにタバコと灰皿を片付けた。子供の身体にタバコの煙は良くない。
「何か…、大事なお話しでも…?」
 Ⅸ籠と同じ目線の高さになるように片膝を着いて、少し緊張しながらⅨ籠に問う。
 Ⅸ籠に注意されるであろう事は目星がついていた。会議に遅刻する常習犯であり、内容が全く役に立たない話が続くと退室している。鎖によく止められてはいたが、それを振り切るのも毎度の事だった。
 他には、Ⅸ籠の忍器が少し刃毀れしていたから、勝手に研いだ事もあった。
 他には、自室のキッチンにある機材では調理できないからと、料理長に内緒で厨房へ侵入して料理した事もあった。
 他には…。
「大事な話は無い…けど…」
 あれこれと巡らせていた思考が、Ⅸ籠の言葉でぴたりと止まった。Ⅸ籠は、はにかむような顔を微かに見せた。こんな顔を向けてくれたのも初めてかもしれない。いつも機嫌が悪そうな顔か怒った顔した見たことが無かった。
「お前の料理を食べてやるから、作っていいぞ」
「へ?」
 思っても無かった話に、刺斬は固まった。今、Ⅸ籠が言った言葉は、あまりにも自分の耳を疑う内容だった。
「嫌ならそれでいい。これは命令じゃないからな」
「いえ、是非に! お作りしますよ!」
 刺斬は思わず大きな声を出した。Ⅸ籠から命令ではなく頼み事をされたのは初めてで、しかもしれが自分が好き好んでやっている料理なのだから。断る理由が無い。
「何をお作りします?」
 嬉々として尋ねると、Ⅸ籠はきょとんとした顔で目を丸くした後、口ごもった。
「あの…、あれ。前に、食べたやつ…の…」
 たどたどしく言いながら、何か考え込むように目を閉じるⅨ籠。
「黄色い皮の中に小さいウジ虫みたいなのがいっぱい入ってて、血みたいなのが乗ってるやつ。それか、白っぽい血管みたいなのがたくさんあって、すり潰した内臓みたいなのが乗ってるやつ。どっちでもいい」
「あの…、それ…食べ物…ですよね…?」
 刺斬は極力平静さを保って言葉を発した。何だろう、何を言っているのかさっぱり分からない。食べ物を言ってるのか死体を言ってるのか。もしかして謎々のつもりか。いや、Ⅸ籠はそんな無意味な事をするはずがない。
 刺斬が考え込んでいると、Ⅸ籠は顔をしかめた。怒っている様子ではなく、困惑しているようだった。
「刺斬の料理の名称は、知らない」
 と、小首をかしげて、Ⅸ籠が言った。
 ああ、そうか。と刺斬は納得した。料理を食べさせてはいたが、知ってるものだとばかり思って料理名をⅨ籠に教えたことは無かった。まさかとは思ったが、本当に知らないらしい。
「すんません。料理名をお伝えするの失念してましたね」
 刺斬は立ち上がって、部屋の隅にある机の引き出しから、クリップで留められた薄い紙の束を取り出した。もう随分と見ていない、料理本から抜き取った数十ページの束。それの埃を払って、Ⅸ籠へ手渡す。
 Ⅸ籠は紙の束を1枚ずつ見て、そこから2枚を抜くと、こちらへ見せた。そこに載っている写真は、オムライスとミートソーススパゲティだった。
 なるほど。Ⅸ籠が言った死体のような例えを理解した。薬ばかり食べさせられて、まともな食事をしていないから妙な例え方になってしまうのは仕方ないのかもしれない。
「今、卵切らしてるんで、ミートソースを作ります。その…内蔵すり潰した方です」
 そう言うと、Ⅸ籠は頷いてレシピの束を返してきたが、刺斬はそっとⅨ籠へ押し戻した。
「そのレシピは、ボスに差し上げます。気になるのがありましたら言ってください。お作りしますんで」
 そう言って刺斬は狭いキッチンへ向かった。そろそろ鎖が帰ってくるかもしれないから、鎖の分も一緒に作ろうと思った。昨夜もミートソースだったが、鎖なら文句は言わないだろう。
 食材を用意しながらⅨ籠の方を見遣ると、Ⅸ籠は興味津々にレシピの束を眺めていた。
 その様子に刺斬はくすりと笑う。今日は思いっきり美味しいミートソースを作ろうと心に決めた。
 
 
 
 
 
終わる


籠ノ鴉-カゴノトリ- 4

刺斬とⅨ籠の話。


 毒砂を運ぶ乾いた風が吹く。
 淀んだ大気の空に浮かぶ月は、頼りない輪郭で夜の世界を薄く照らしていた。
 崩れたビルが並ぶ死んだ街。かつては文明が発展していた場所であったことを誇示するように、そこかしこに用途不明な機械が散乱している。
「わざわざボスが出るまでもないでしょうに」
 刺斬は、少し前を走るⅨ籠に声をかけた。
「上からの命令だ。眠れなかったからちょうどいい」
「そうですか」
 Ⅸ籠が睡眠薬に頼らないと眠れない事を知っている刺斬は、それ以上は何も言わなかった。
 ひび割れたアスファルトに散らばるコンクリートの瓦礫を飛び越え、周囲の気配を探りながらターゲットを追う。
 クローン3体が、組織から逃げ出した。どれも部隊長候補として育成中のクローンだ。手に余る相手だからと、Ⅸ籠が呼び出された。どんな内容でも上層部からの命令となれば、Ⅸ籠は従順だった。
 Ⅸ籠ひとりではどうしても心配だった刺斬は、Ⅸ籠に同行を申し出た。心配だからという理由ではⅨ籠が怒るのは分かっていたので、戦うところを見学したいという幼稚な理由を付けた。Ⅸ籠は少し厭そうな顔をしたが、了承してくれた。
「夜中に逃げ出すなんて、バカだな」
 Ⅸ籠がくくくと笑った。捕食を確信した、獣のような顔で。
「相手さん、ボスが出向くとは思ってないでしょうからね」
 刺斬は薄く笑いながら、返事をした。夜に行動するのは正しい判断だが、Ⅸ籠にとって光の少ない夜は有利でしかない。
 大きな瓦礫の山を越えた所で、Ⅸ籠は急に足を止めた。
「止まれ…」
「…っと」
 刺斬は急に止まった反動で倒れそうになった身体を、半歩踏み出して踏ん張って耐えた。Ⅸ籠がターゲットを発見した事を察して、その場に身を屈める。
 すぐ隣で立つⅨ籠は、一点を見つめていた。鎖のような美しい月色ではなく、攻撃的な鋭い獣のように金色に輝く瞳。それは、狙ったものは絶対に逃さない、残酷で完璧な狩りを彷彿させる。
 刺斬は、Ⅸ籠が見る視線の先にある廃ビルの陰に目を凝らしたが、暗闇に慣れた目でも何も見えなかった。暗い方がよく見えるというⅨ籠の目には、相手がはっきり見えているのかもしれない。
「すんません、自分には見えません」
「お前は出る予定じゃなかったんだから、何もしなくていい」
 そう言い残して、Ⅸ籠は歩き始めた。音も立てず気配も感じさせない、完全に闇に溶け込んだ様は、地に足が着いてるのを疑うほどのものだった。
 刺斬はⅨ籠の邪魔にならないように十分距離をおいてから、後を追った。上層部からどういう命令を受けているのか分からないが、狙撃しない事を考えると、捕らえる事が目的なのだろうか。
 ほどなくしてから叫び声が聞こえた。何かのぶつかる音とビルのコンクリート壁が崩れる音、ターゲットが逃げる際に持ち出したと思われる銃の銃声が数発。
 一方的な戦いだった。3対1であっても、Ⅸ籠に攻撃が掠る事すらなかった。
 Ⅸ籠の近くへ寄ると、ひとりはすでに血だらけで倒れていた。
 残りの2人は壁の角に追い詰められていた。すっかり戦意喪失したらしく、しゃがみ込んで寄り合いながら怯えている。よく見れば、まだ若い青年だった。
「Ⅸ籠さま、許してください…」
 片方の子が、怯え縋る目をⅨ籠に向けて声を出した。
 Ⅸ籠は首を傾げる。
「許すかどうか決めるのは、オレじゃない。お前たちの事は、生きたままでも殺してもいいって言われてる。オレはどっちでもいい。お前たちが決めていいぞ」
 淡々とした口調で、Ⅸ籠が答えた。その後で、今度はゆっくりと少し低い声で言う。
「でも、一度裏切ったら、前と同じ扱いはされないからな? …分かるだろう?」
 その言葉は、この場に居ない、遠い誰かに対して言っているようにも思えた。
 許しを願った方の子が、地面に頭をつけるように土下座をする。
「お願いです、どうか弟だけは見逃してください」
「…へぇ…」
 びくりと、Ⅸ籠の身体が動いたのが見えた。
 それを境に、刺斬は何かが変わったのを感じた。
「…あはは! お前たち、兄弟なのか」
 笑い声を上げてⅨ籠の様子が一転した。先ほどまでの静かな態度ではなく、興奮したように落ち着き無く身体を揺らす。
 刹那。弟であろう片方の子が悲鳴を上げた。下腿に深々とクナイが刺さっている。Ⅸ籠がクナイを投げた瞬間が全く見えなかった。
 痛みに苦しむ弟を見て、青ざめた顔で抱き寄せる兄。それをじっと興味津々に、Ⅸ籠は見ていた。
「ボス…」
 不穏な空気を感じて、刺斬はⅨ籠にそっと声をかける。Ⅸ籠は何の気色も無く、見上げてきた。いつもの顔付きと違う。
「お前は、さぎり…だったな」
「?」
 Ⅸ籠の言葉に、刺斬は奇妙な引っかかりを感じた。Ⅸ籠は兄弟の方に目線を戻して、まじまじと様子を見る。怒りや哀れみといった感情は一切無く、ただただ観察するという目だった。
「ボス、…どうしました?」
「うん? Ⅸ籠がどうしたって?」
 視線はそのままに、Ⅸ籠が返事をした。
「いえ…」
 刺斬は言葉に詰まった。どう言えばいいのか。明らかに何かが違うのは分かるのだけど、それが何であるのか言葉に表せなかった。
 辺りには、痛みで呻き声を出す弟と、その弟の手当てをする兄の必死な励ましの声が響く。
「その脚では走れない。逃げないの? 弟を捨てて」
「そんな事…できない…」
「ふぅん…」
 涙目で答える兄を見て、Ⅸ籠が不思議そうに頷いた。
「おかしいなぁ…。弟が動けないなら、置いて逃げると思うけど? あ、それとも、逃げようとしたら殺されると思った? そうでしょ? そうだよね? 間違ってないんだけどさ、あははっ!」
 空を切る音。
 消えた呻き声。
 Ⅸ籠の含み笑い。
「ほら、逃げないの? …君の弟、死んだよ?」
 刀を鞘へ納めて、Ⅸ籠が言った。
 鈍い転がる音。その正体が首だと知った逃亡者の兄は絶叫した。
「よくも…よくも、殺したな…!」
「どうして怒るんだ?」
「怒らないヤツなんているか!」
 逃亡者の兄は持っていたナイフをⅨ籠へ放った。
 Ⅸ籠は小さな虫を払うように、投げつけられたナイフを払い落とす。
「そうなの? 怒る事なのか?」
 Ⅸ籠の言動を見ていた刺斬は、顔を引きつらせた。なんだこれは。Ⅸ籠は一体何を考えてるんだ。最初の時と態度が全然違う。
「兄さんは、どうしてⅨ籠を置いて行ったんだ? Ⅸ籠を殺せば、兄さんは怒るのか? でも兄さんは殺さなきゃいけないから、Ⅸ籠を先に殺すのは…」
 腕を組んで考え込み、ぶつぶつと独り言を言い始めるⅨ籠。
 耐えられなくなった刺斬はⅨ籠の腕を掴んで、こちらに振り向かせた。
「あんた、誰だ」
 不意に口を衝いた疑問。でも、それが一番知りたかった事だった。明らかにいつものⅨ籠じゃない。
「どうしたの? 前に会いに来たのに、僕の事忘れたの?」
 ぽかんとした表情で、Ⅸ籠が目を瞬いた。
「僕は…『Ⅴ番目』だよ」
 その言葉に寒気がした。
 刺斬は、無意識にⅨ籠を掴む手から力が抜けた。
 そんなの有り得ない。目の前に居るのは、間違いなくⅨ籠のはず。けれど、いつもより少し低い声、似てはいるが別人のような顔付き。そして今、『5番目』と答えた。これでは、まるで…。いや、悪い冗談だろう。そうとしか思えない。
 Ⅸ籠は呆然と立ち尽くす刺斬の横を通り過ぎて、弟の死体に泣きつく兄の方へ近寄ると、しゃがんで顔を近づけた。
「もう飽きた。君、本当はコイツの兄さんじゃないよね? そうでなきゃ、おかしいでしょ? ねえ?」
 答えを求めるような物言いの後、Ⅸ籠が何かを囁いたが、刺斬には聞こえなかった。
 
 
 
 弱々しい月明かりの下、眠たそうに目を擦りながら隣を歩くⅨ籠に、刺斬はゆっくりと声をかける。
「ボス、お迎え呼びましょうか」
「いらない」
 突っ撥ねるような短い返事。いつものⅨ籠の声。他人の温度を寄せ付けない変に強がりな所も、いつも通り。それに少し安心した。眠りこけて倒れたら、担いで帰るつもりだから構わない。
 廃ビルの陰にⅨ籠が殺した死体を3つ残して、眠気で歩みの遅いⅨ籠を気遣いながら、基地へと向かっていた。
 Ⅸ籠が言った通り、生きたまま連れ戻した所で以前と同じ扱いをされる事は無い。酷い人体実験の果てに処分される。それを思えば、あの3人にとってはマシな結果だ。兄弟には後味悪い最期だっただろうけれど。
 刺斬は先ほどの事を思い出していた。
 あの時のⅨ籠は何だったのか。異常なほど、兄という存在を気にしていたようだった。常日頃、部屋にいる失敗作の兄たちを気にしている事はあるが、その感じとは全く異なっていた。ターゲットを始末した後は、元のⅨ籠に戻って、眠たそうにし始めた。
「無粋な事を承知で、お聞きしてもいいですか?」
 意識が正常でない相手に質問するのは、本当はよくない事だと分かってはいる。それでも、聞かずにはいられなかった。正常な時では、絶対に答えてくれないだろう。
「ボスのお兄様たちは、赤ヘル…いえ、行方不明のお兄様を、どう思ってますか?」
 我ながら、変な質問だとは思う。Ⅸ籠の失敗作である兄たちは会話できる状態ではない。Ⅸ籠がその兄たちの気持ちを知っているはずはないのだから。
 それなのに。
「殺したい。好き。嫌い。会いたい。憎い。戻ってきて欲しい」
 ぽつりぽつりと、小さい声でⅨ籠は答えた。ちょうど、6つ。あの部屋の兄たちの人数分、迷い無く。
「ボスは、どう思ってます?」
「…裏切って逃げた事…絶対に許せない」
「そうですか…」
 刺斬は頷いた。これで、今までの事の辻褄が合う。
 いつだったか本で読んだことがある。こんな事なら流し読みするんじゃなかったと、刺斬は悔やんだ。
 急に別人のように怒り出すのも、以前に殺戮をして鎖を本気で殺そうとしたのも、先ほどの執拗に兄を気にしていた様子も、Ⅸ籠の別の人格。
 解離性同一性障害、いわゆる多重人格というやつだ。
 にわかには信じがたい事だが、別の人格はそれぞれⅨ籠の兄と思い込んで性格が独立しているのかもしれない。
 刺斬は目を細めた。こんな重大な疾患がある事を、上層部が知らないはずが無い。上層部がⅨ籠の処罰を変えたのもこれが理由だと確信した。
「っと…」
 刺斬は倒れそうになったⅨ籠を片手で押さえた。
 本当に世話が焼ける。同行して正解だった。ここに来る前に、相当な量の睡眠薬を飲んでいたようだったから無理も無いか。
 完全に力の抜けた小さな身体を肩に担いで、刺斬は深く息を吐いた。
「俺も鎖さんも、ボスの事は必ず守りますから。信じてくださいね」
 普段こんな事を言ったらきっと怒るだろうから。聞こえないことを承知で、自分の気持ちを言葉にした。
 
 
 
 
 
つづく


命の挿花

アーミィとⅨ籠が一緒にいた昔話。アーミィが組織を裏切って逃亡した理由の妄想。


「兄ちゃん、ただいま」
「おかえり、Ⅸ籠」
 よく似た声、鏡でも見てるかのようにそっくりな姿の弟が、部屋に帰って来た。
 少し背が低くて、金色の瞳と、他の人が見分けやすいようにと左頬には黄色い刺青の線が入っている以外は、何もかも同じ。
 Ⅸ籠は文字通り血肉を分けた兄弟。弟として一緒に育てられたクローンだった。
「今日の訓練、教官に注意されちゃった…」
 Ⅸ籠の話を聞いて、僕は読んでいる本を閉じて机の端に置いた。
「どうして?」
「銃の使い方、なかなか覚えられなくて…」
 苦笑いを浮かべるⅨ籠。
 Ⅸ籠は少し、ほんの少しだけ、物覚えが遅い。いつも僕から2~3歩遅れて、ゆっくり時間をかけて覚える。
 その代わり感覚的な戦闘技術のセンスは抜群にいい。機械に頼らず、単純に斬る殴るといった戦闘の方が得意だった。
「Ⅸ籠は忍器の方が得意なんだから、そっちを伸ばすようにすればいいのにね」
「全ての重火器も扱えるようにしなさいって言うんだもん」
 口を尖らせて、Ⅸ籠はソファーに座って足をぶらぶらと揺らした。
「でも、いいんだ。オレも兄ちゃんみたいに、上手に使えるようになりたいし…」
 目を閉じて、自分に言い聞かせるようにⅨ籠が言った。
 僕はⅨ籠の隣に座って、Ⅸ籠の頭を撫でた。
「じゃあ、覚えるまで僕が教えてあげる」
「ほんと? ありがと!」
 明るい弾む声。自分と同じ声なのに、心地よい響きに感じる。
「兄ちゃん大好き!」
 Ⅸ籠が嬉しそうに抱き付いてきた。
 僕はそっとⅨ籠を抱き返して、背中を撫でた。
 
「それ、どうしたの?」
 ある日部屋に戻ると、Ⅸ籠がお菓子が詰まった大きな袋を持って待っていた。
「真っ赤な髪の人と、大きな刀持った人がくれた。ちょっと怖かったけど」
「ちゃんと、お礼は言ったの?」
「うん、言ったよ。そしたら頭撫でてくれた。兄ちゃん以外に頭撫でてくれたの、初めてかも」
 そう言って照れ笑いをするⅨ籠に、何だか心くすぐられた。
 Ⅸ籠はよく笑い、屈託の無い笑顔をする。
「一緒に食べよ」
 お菓子の袋を差し出すⅨ籠に、僕は笑って頷いた。
 Ⅸ籠といつも一緒にいて、笑顔を向け合い、笑い声を重ねる。
 毎日の日課のような、当たり前の日常。
 それを失ってしまう日が来るなんて、考えもしなかった。
 
 
「Ⅸ籠、空を見に行かない?」
 僕はソファーに寝そべって本を読んでいるⅨ籠に声をかけた。
「空?」
 Ⅸ籠が目を丸くする。
「今日は毒砂が少ないから、綺麗な空が見られるかも」
 いつも有毒な砂を含む風のせいで、綺麗な空が見られるのはすごく珍しい。
 きっとこんな日は滅多に無い。Ⅸ籠と一緒に見てみたかった。
「うん、見たい!」
 笑顔で答えるⅨ籠の手を取り、僕は屋上へ向かった。
 空に浮かぶ太陽は、Ⅸ籠の瞳に似た金色をしている。きっと、Ⅸ籠も見たら喜ぶはず。
 2人ではしゃぎながら、薄くホコリが積もった長い長い螺旋階段を駆け上がった。
 階段を登りきると、目の前には少し錆びが付いた小さな鉄の扉。鍵は掛かっていなかった。
 少し力を入れて扉を押すと、隙間から光が差す。
「すごい! 今日の空は青い!」
 僕は思わず大きな声を上げて、屋上へ飛び出した。
 広い広い、外の世界。
 久しぶりに見る空は、記憶にある薄黒い濁った色と全然違っていて、太陽は目に沁みるくらい輝かしい金色だった。
 なんて美しい世界だろう。Ⅸ籠と一緒に来て本当に良かった。
「Ⅸ籠もおいでよ」
 振り返ると、Ⅸ籠は階段で立ち止まったままだった。
 不安げな顔で目を細めて、じっと僕を見ている。
「大丈夫。何も怖くないよ」
 躊躇っているⅨ籠に声をかけた。
「…うん…」
 Ⅸ籠は、恐る恐る屋上へ踏み出した。
 外へ出て陽の光を受けると、Ⅸ籠は悲鳴を上げた。その場にうずくまって、両手で目を覆いながら泣き叫ぶ。
 突然の事態に、僕は身体が硬直した。心臓を抉られるような痛みを感じた。
 
 すぐにⅨ籠は医務室に搬送された。
「Ⅸ籠ごめん。ごめん…。僕、ひどい事した…」
 ベッドの上でうわ言のように痛い痛いと呟くⅨ籠の手を握って、ただただ謝る事しかできなかった。
 知らなかった。Ⅸ籠が光に弱い目をしていたなんて。僕と同じだと、ずっと思い込んでいた。
 Ⅸ籠はどうなってしまうんだろう。こんなに痛がっているのに、何も出来ない自分に腹が立った。
 大人たちが数人集まり、部屋に戻るように言われて、医務室を追い出された。
 罪悪感を引きずりながら、重い足取りで部屋に戻った。
 倒れるようにベッドにうつ伏せになる。目を閉じても、流れる涙は止まりそうも無い。
 その日はずっと眠れずに過ごした。ひとりの夜は信じられないくらい長くて、暗いものだった。
 
 
 翌日、すぐにも部屋を飛び出した。早足で医務室へ向かう。
 大通路を進んでいると、白衣を着た大人たちが歩いて行くのが見えた。
 言い争いをしているらしく、お互いに睨み合っている。
 嫌な予感がして、柱の陰に隠れた。
「やっと成功したと思ったのに、とんだ失敗作だ」
「あそこまで成長するのに、どれだけ手がかかったと思ってる」
「そうは言っても、外に出せない生物兵器では役に立たない」
「眼球を移植するのは…」
「永久少年は特殊な細胞のせいで移植は不可能」
「新しいのを造って、処分した方がいいのでは?」
「次に成功するのは、いつになる? ただでさえ永久少年の複製は困難なのに」
「では、あのまま欠陥品を使えと? それこそ無駄でしょう?」
「それでは、やはり…」
 血の気が引くような寒気がした。Ⅸ籠の事を話しているのは察しが付いた。
 あいつら、何を言ってるんだ。ふざけるな。
 込み上げる気持ちを抑えて、医務室まで全力で走った。
 真っ白な部屋のベッドの上で、目に包帯を巻かれたⅨ籠が眠っていた。
 飛び付くように駆け寄って、Ⅸ籠の身体を揺らす。
「Ⅸ籠! Ⅸ籠起きて! 殺されちゃうかもしれないよ! ねえ、起きてよ!」
 いくら声をかけても、Ⅸ籠は起きなかった。
 このままじゃⅨ籠は殺される。
 どうすればいい?
 焦る気持ちが頭の中を支配する。
 Ⅸ籠の腕に刺さっている点滴針を抜いて、Ⅸ籠を背負った。
 医務室を出ようとした所で、見つかってしまった。
 不審な行動をした事を咎められ、左足に枷を付けられて牢屋に詰め込まれた。
 
 狭い牢屋の一室。冷えた床の上で、膝を抱えてじっと座っていた。
 Ⅸ籠の事ばかりが頭に浮かぶ。いくら考えても、最悪の事態にしかならなくて、その度にぎゅっと唇を噛んだ。
 しばらくした後、物音が聞こえて僕は顔を上げた。
 鉄格子の向こう側に、白衣を着た中年の男が姿が見える。
「Ⅸ籠はどうなったの?」
 僕はすぐに声をかけた。
「処置はしたけど、目が覚めないと何とも言えないね。運よく失明じゃなかったとしても、視覚に障害が残る可能性は高いかな」
 感情の色の無い返事が返ってきた。
 そして手に持っている鍵を使って牢屋扉を開けると、ゆっくりと入ってきた。
「Ⅸ籠を…殺すの…?」
 近づいてきた白衣の男に、もう一度問いかけた。
「知力はともかく戦闘能力の伸びは目覚しい…。でも欠陥品と分かってしまってはね…」
 白衣の男は溜め息をする。
「永久少年は複製がとても難しい。正直なところ、ナンバー9の完成は奇跡的だったんじゃないかな」
 腕を組み、ひとり納得するように白衣の男はうんうんと頷く。
「夜間でも支障無く活動できるようにと視細胞を弄ったのがミスになったのかな。視神経のアレが…いや、桿体細胞が悪かったのかも…」
 白衣の男は、長い独り言を続けていたが、僕と目が合うと独り言を止めた。
「心配するな。いずれ新しい弟ができるさ。また仲良くすればいい」
 慰めの言葉のつもりだったんだろうか。
 もう何を言われても、どんな言葉も、耳には入らなかった。
 思いついた。Ⅸ籠を守れるかもしれない方法が。
 もう、この方法しかない。
「ほら、弟が欲しいなら、お前が必要だ。ラボに行こう。次はもっと物覚えの良い賢い弟が出来…」
 白衣の男の言葉が途切れた。
 鈍い音が牢屋に反響する。
 目の前の男を蹴り倒していた。その勢いで、壁に繋がっていた足枷の鎖も切れた。
 脆い。こんなにも簡単に気絶するなんて。非戦闘員なんてこんなものか。
 白衣の男が持っていたカードキーと護身用の拳銃を奪って、急いで牢屋を出た。
 ひとり倒せば、あとは何人でも倒す事に抵抗は無くなっていた。警備兵を倒し包囲網を突破する事に、何の迷いも感情も沸かなかった。
 この身体の血と肉を奪われなければ、クローンは造れない。Ⅸ籠が殺される事も無いはず。
 新しい弟なんていらない。
 どうか、Ⅸ籠が殺されませんように…。
 その事だけを祈り、願いながら。
 この日、僕は組織から逃亡した。
 何よりも大切な弟を守るために、誰よりも大事な弟を置いて。
 そんな矛盾にも似た行動が正しかったのかどうかなんて、分かりようもなかった。
 
 
 
 あれからずっと逃げ回り続けて、たまに追っ手たちを撃退する日々を過ごした。
 追っ手と戦っていた時に、Ⅸ籠がクローン兵たちのボスになったという情報を得た。
 生きていたことが本当に嬉しかったし、失明していなかったことに心から安堵した。
 けれど、僕の知っているⅨ籠とは全然違うことも知ってしまった。
 とても凶暴で残忍で、平気で部下を殺すような恐ろしい生物兵器だ、と。
 
 Ⅸ籠は今、何を思ってるんだろう。
 あの日屋上へ連れ出した事。
 何も言えずに置いて行ってしまった事。
 僕の事を恨んでいるだろうか。
 
 
 
 
 
終わる


距離と差

刺斬と鎖がほのぼのしてるけど、Ⅸ籠はそうでもないっていう温度差。


 その姿は、誰が見ても闇夜を天駆ける鴉に思えるだろう。最初の印象はそうだった。
 初めて任務に同行したが、自分は何もしないで終わった。
 ターゲット数名を葬るのに、時間は掛からなかった。正確で確実、最小限の攻撃で目標を仕留める様は華麗で芸術的で、一種の競技のようにも見えた。
 周りの空気を凍らせるような鋭い殺気を纏った小さな鴉が、こちらへ戻って来た。
 誰の事も信用していないのだと見ただけで分かる冷たい目線は、見かけの年齢よりも大人びた雰囲気を感じる。
「帰るぞ」
 涼やかな月の光の下で、その少年はこちらを見上げて口の端を上げた。
 
 テーブルを挟んで向き合うように座っている少年は、あの時の鴉なのは間違いない。
 蓋を開けたらこんなもんだ。だが、悪くはない。
「ちゃんと食べて下さい、ボス」
「……」
 芳ばしい香りが満ちた部屋に響く、刺斬の低い声。
 目の前のやり取りを眺めながら、鎖は笑いを堪えていた。
 テーブルには整然と並べられた食器。その上を飾るのは見た目にも食欲を誘うオムライスと付け合わせの野菜。こんもりと盛られたチキンライスの上のふわふわとした玉子は、テーブルが揺れるたびにぷるぷると震えていた。
「美味しいもの食べてもらいたいんです」
「……」
「味気無い薬よりも、ずっといいですよ?」
「……」
「丈夫な身体は食事からって言いますし…」
「……」
 刺斬の話を無視して、だんまりを決め込むⅨ籠。完全に防御態勢の子供だ。笑いたくもなる。この子供が闇夜の中では最強の生物兵器だって誰が信じるだろうか。
「鎖さんからも、言ってやって下さいよ」
 席に座るⅨ籠の隣で、刺斬が助けを求めるようにこちらを見てくる。困惑した表情をありありと浮かべている。
「刺斬のオムライス、美味いぞ?」
 鎖は自分の事のように得意気に言って、にやりと笑った。
 いつもの事だが、刺斬の料理は美味い。今日はⅨ籠に合わせたのか、甘めでやや薄味だった。それでも味の遜色は無い。
「いらない」
 思った通りのⅨ籠からの返答。かれこれ15分ほどこの状態。Ⅸ籠の前に鎮座するオムライスもなみなみと注がれたスープも、とっくに湯気を出すのを放棄してる。
 Ⅸ籠の食生活が異常だと知った刺斬が、Ⅸ籠の食事は全て作ると言い出してこのザマだ。
 刺斬の話によると、Ⅸ籠は得体のしれない薬ばかり食べてるらしい。世話焼きの刺斬が、それを知って放っておくはずがない。いつも2人分作る食事を少しだけ増やすくらい、どうってことないから、と。
 刺斬が後ろ頭を掻いて、小さく溜め息をした。
 Ⅸ籠はその溜め息を聞いて、振り返って刺斬を見上げたが、またすぐに何も無い方に目線を移す。人が気になる、けど拒絶するというような不思議な行動だった。
 そろそろ危ない予感がする。
 あまりⅨ籠にしつこくすると、別人のようにキレる。
 鎖は食べ終わった自分の分の食器を重ねて、テーブルの端へ置いた。頬杖を付いてⅨ籠を見つめると、Ⅸ籠は一瞬だけこちらを見た。
 ただのアテの無い勘だが、物は試し。言い方を変えてみるか。
「あ~、残念だなー。クロウがメシ食ってくれりゃあ、俺は嬉しいけどなー。作った刺斬も喜ぶのになー」
 わざとらしく首を振って残念がって見せると、Ⅸ籠がまじまじとこちらを見てきた。
「…そうか。じゃあ食べてやる」
 そう言って慣れない手つきでスプーンを握ると、オムライスの端に突き刺す。
 やっぱりそうかと、鎖は思った。
 この子供は構われるのは嫌うが、誰かを喜ばせることには素直らしい。分かりづらい性格をしている。
 Ⅸ籠はオムライスを食べると、少し表情を明るくした。どうやらお気に召したようだ。当然の反応だな。刺斬の料理が不味い訳がない。
 食べ始まったⅨ籠を見て、刺斬は目を丸くしていた。慌てたようにこちらへ近づいてきて、耳元に顔を寄せてくる。
「鎖さん、ボスに何したんスか」
 何かと思えば、変な疑いが。別に何かしたわけでもない。
「よかったな、刺斬。哀れな部下たちに、大将がお情けくれたぞ」
 わざと皮肉を言うと、刺斬は半分呆れたように目を細めた。
「押して駄目なら引いてみろとは、よく言ったもんだよなぁ」
 鎖はケラケラと笑った。その言葉に、刺斬も気が付いたようで、くすっと笑った。
 
 
 
 ■・裏側・■
 
 
 
 分からない。
 全然意味が分からない。
 刺斬が呼ぶから付いて行った。そしたら刺斬の部屋だった。この部屋は喉が痛くなる煙の匂いがするから好きじゃない。
 テーブルの席には鎖が座っていて、その向かい側に座らされた。
 向かいにいる鎖は、こっちを見るとにっと笑う。
「お先、食ってるぜ」
 そう言って、オムライスを食べていた。
 この人は、すぐ怒る怖い人。
「どうぞ、ボス」
 刺斬がオムライスとスープを運んできた。
 この人は、優しいから怖い人。
「ボスはアレルギーありませんよね? 好きなだけ食べて下さい」
 どうして、オレにこんな事するんだろう。
 この2人は、オレの部下にされたから、一緒に居ようとしてる。
 そんなことしなくていいのに。
「食えよ。冷めちまうぞ」
 鎖が手に持ったスプーンをぷらぷらと振る。
「ちゃんと食べて下さい、ボス」
 隣で立っている刺斬が、促すように手を差し出した。
 どうしてオレに食べさせようとするんだろう。
「美味しいもの食べてもらいたいんです」
 オレにそんなことしなくていいのに。
「味気無い薬よりも、ずっといいですよ?」
 薬でいいのに。
「丈夫な身体は食事からって言いますし…」
 オレの身体を気にしてどうするんだ。
 分からない。
 どうしてオレのこと気にかける?
 怖い。
「鎖さんからも、言ってやって下さいよ」
「刺斬のオムライス、美味いぞ?」
「いらない」
 もうやめて。
 オレなんかに構わないで。
 隣で刺斬が溜め息をついたのが聞こえて、反射的に刺斬を見上げた。刺斬、怒ったのかな。
 怖い。
 兄さんたちの所に帰りたい。
 上からの命令で、任務も欠かさずこなしてるし、ボスらしい振る舞いをしろって言うから、それもやってる。
 大人しく言う事聞いているんだから、構わないで欲しい。
「あ~、残念だなー。クロウがメシ食ってくれりゃあ、俺は嬉しいけどなー。作った刺斬も喜ぶのになー」
 そうなのか。意味分からないけど。
 喜んでくれるなら。
「…そうか。じゃあ食べてやる」
 
 
 
 
 
終わる


籠ノ鴉-カゴノトリ- 3

前妄想全開だけど、懲りずに書いた。今回は鎖視点。


 上から連絡があって、鎖は部屋から出た。
 殺風景な狭い廊下に出ると、ざわざわとした嫌な気配を感じた。
 遠くから響く、恐怖に染まった悲鳴と、狂ったような甲高い笑い声。
 上から入った連絡は、『Ⅸ籠を止めろ』だった。
 地下14階の大通路にいるらしいと追加の連絡を受けて、鎖は足を速めた。
 血の匂いが濃くなる。下っ端や隊員たちの無残な死体が床に点在していた。
 首を切り落とされた者、心臓を貫かれた者、内臓を引きずり出された者。強固な防護服の上からでも仕留める手腕は、見事なものだった。が、感心している場合ではない。
 床に血痕と何かの引っ掻き傷が続いている。それと辿っていくと、大通路から入った狭い廊下の先で血に塗れた後姿を見つけた。
 鎖は廊下には入らず、様子を伺った。
 Ⅸ籠は一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと歩きながら、返り血が滴り落ちる黒いマントを揺らしていた。得意武器としている身の丈ほどある巨大な手裏剣を片手に持って引きずっている。床の引っ掻き傷はそのせいだと分かった。
 廊下を通りかかった下っ端がⅨ籠を見るなり悲鳴を上げて逃げ出したが、Ⅸ籠はすぐに飛び掛かってその頭を片手で壁に叩きつける。ガスマスクが潰れて隙間から血が溢れ出た。
 小さい身体からは想像もつかない速さと力強さ。あまりにも一瞬の事だった。
「あはっ、あはははっ!」
 心底楽しんでいるような無邪気な笑い声。だけど明らかに正気とは思えない狂ったものを含んでいた。
 気配を隠して十分に距離を取っていたのに、Ⅸ籠はこちらを察して、ゆっくりと振り返った。その顔付きはいつも見る顔とはまるで別人で、張り付いたような笑顔だった。
 にやりとⅨ籠が笑みを濃くすると、頭を潰した下っ端をこちらに投げつけてきた。
 鎖は咄嗟に右へ避けた。が、目の前にⅨ籠の巨大な手裏剣が飛んできていた。死体を避けるのを見越して時間差で投げてきたらしい。
「チッ…」
 間一髪で身を屈めて避ける。手裏剣の刃が赤い髪先を掠めていった。
「おい、クロウ!」
 Ⅸ籠に向かって声を投げたが、視界にⅨ籠の姿は無かった。
 急いでその場から飛び退く。自分が居たコンクリートの床にクナイが数本刺さった。
 鎖はすぐに床を蹴ってまた避けると、今度は突き刺すように刀を構えたⅨ籠が上から降ってきた。
 微かな音だけで着地したⅨ籠は、目標を取り逃がしたのが気に入らなかったのか、笑顔が消えていた。首をかしげて、冷ややかな目で鎖を見つめる。
 空を切る音と共に巨大な手裏剣が落ちてきて、Ⅸ籠はそれをぴたりと片手で受け止めた。
「落ち着け。どうしたよ?」
 もう一度Ⅸ籠に声をかける。
「く、くく…、あは、ははっ…」
 Ⅸ籠が引きつった笑い声を出す。でも、その顔は笑っていない。
 気味が悪い。いつものⅨ籠はこんな笑い方をしないはず。
「何があった?」
「ふふっ…」
 Ⅸ籠はこちらを無視して、迷子の子供のようにきょろきょろと辺りを見回す。まったく落ち着く様子が無い。
「お前…」
 口を開いた瞬間、Ⅸ籠が間合いを詰めてきた。鎖は身体を仰け反らせると、刀の刃先が首の皮を斬る。迷いの無い一太刀。本気で殺そうとしてる。
 鎖は刀を叩き落とそうと刀を握る手に拳を向けたが、すぐに手を引いた。その刹那、手裏剣の刃が目の前を横切った。
「くそっ!」
 後ろに飛び退いて、間合いを取る。あのまま殴っていたら手を斬り落とされる所だった。
 Ⅸ籠は相変わらず、視線をあちこちへ向けていた。とても戦闘に集中しているようには見えないが、狙いは正確だった。
 次に瞬きをした後、床に突き立てた巨大な手裏剣だけ残してⅨ籠の姿は消えていた。
 鎖は神経を研ぎ澄まして身構えると、天井から立て続けにガラスが割れる音が響いた。それに合わせて照明が消えて景色が暗くなる。少し間をおいて、たくさんのガラスの破片とⅨ籠が降ってきた。
 嫌な予感がした。暗所はⅨ籠にとっては好条件だ。
 鎖は暗がりに目を凝らした。常人ならば暗くて何も見えないだろうが、軌跡の神の加護を受けたグラビティのクローンである鎖には、Ⅸ籠の姿を捉える事ができる。
 闇の世界で、Ⅸ籠は幼い子のようにはしゃいで飛び跳ねていた。
「くくく…。オレは、あいつの影でしか、いられないの? あははっ! ねぇ? そうなの?」
「え…」
 やっとⅨ籠の言葉を聞けた。けど意味が分からなかった。悲しそうな顔で笑っている。
 Ⅸ籠は巨大な手裏剣を天井へ投げ、こちらへ3本のクナイを投げると同時に刀を構えて飛び掛ってきた。
 明るかった時よりも速い。
 鎖はクナイを全て叩き落として、Ⅸ籠の刀を避けた。刀を振り下ろしたⅨ籠の腕を掴もうとすると、Ⅸ籠は身体を反転させて躱す。瞬時に投げてきたクナイが鎖の頬を掠めて赤い線を描いた。
 一歩踏み込み、Ⅸ籠のみぞおちを狙って拳を放つと、突然目の前に鉄の壁が現れて、それを突く。鉄の壁はⅨ籠が投げた手裏剣だった。防御するために投げたのか。
 鎖は後ろへ飛び退く。床に突き立った巨大な手裏剣の向こう側で、Ⅸ籠はこちらに背中を向けたまま両腕を広げていた。その姿は影の世界を快楽する小さな鴉に見えた。
「クロウ、さっき何の事言ったんだよ?」
 話が通じるかと思って声をかけたが、Ⅸ籠には全く届いていないようだった。鎖の方へ振り返ると、目を細める。
「冥暗…闇…影…従え…」
 Ⅸ籠は両手の指で印を結び、踊るようにその場でくるりと身体を1回転させた。煌々と輝く金色の目が合う。
 その瞬間。
「っ…!」
 眩暈がして、急に感覚が鈍った。夢の中にいるような、不確かな世界になる。
「てめぇ!!」
 鎖は声を張り上げた。身体が重くなる。Ⅸ籠の特殊能力である影の支配だった。
 徐々に感覚を奪われていく身体に悪寒が走った。
「鎖さん!」
 ふいに、聞き慣れた声が大通路に響いた。
 Ⅸ籠の後ろ側の廊下に、刺斬が小隊を連れて来ていた。隊員たちはサーチライトや麻酔弾のライフルを持っている。
 サーチライトの光で辺りが眩しくなると、Ⅸ籠はわぁっと叫んで腕で顔を覆った。それと共に身体が軽くなった。
 Ⅸ籠は振り返って刺斬たちを睨むと、巨大な手裏剣をそちらへ放った。その隙を狙って、鎖はⅨ籠との間合いを詰める。鎖に気が付いたⅨ籠が刀を振り下ろしたが、それよりも速くⅨ籠の首を片手で掴んだ。
「ぅぐっ…」
 Ⅸ籠が短い呻き声を上げて、刀で鎖の腕を斬ろうとする。その腕をもう片方の手で掴んで、そのまま床に押さえ付けた。
 刺斬たちへ目を遣ると、巨大な手裏剣は床に倒れていた。刺斬が何とかしてくれたらしい。小隊も無事だった。
「すんません、遅くなりました」
 刺斬が駆け寄って来る。
「鎖さん、首…」
「掠っただけだ、心配すんな」
 鎖は口早に返事を返す。Ⅸ籠との戦いに集中してて気が付かなかったが、首から流れる血は思ったよりも多かった。
 押さえ付けているⅨ籠に違和感を覚えて見下ろすと、Ⅸ籠は身体の力を抜いてうっすらと笑っていた。それは挑発的でほのかに妖艶さを感じる、諦念したような顔だった。しかし首を絞める力を抜くと血相を変えてまた暴れて、首を掴む手を自分から首に押し付けた。
「お前、まさか…」
 それは、殺してほしいかのような行動だった。
「…様子がやべぇ、早く眠らせろ」
 そう言うと、刺斬はすぐに隊員に指示をした。
 
 
 
 白い壁と、眩しいくらい明るい蛍光灯の光が照らす医務室の個室。
 鎖はパイプ椅子に座って小さい円卓の上に頬杖を付いていた。
 小さなサイドテーブルの上には十数枚もの書類。目を通す気にもなれない小さい文字の連なりは、Ⅸ籠に対する警告文や処分等の内容だという事は読まなくても分かっていた。
 すぐ傍のベッドの上で寝ているⅨ籠の両手両足には、枷が付けられてベッドの四隅に繋がれていたが、Ⅸ籠が目を覚ませば、そんなのすぐに引き千切られる。
 上はⅨ籠を分かってない。甘く見てるし、軽く思ってる。
 ここで造られたクローンは、組織から制御されるように造られている。でもそれは能力を抑制してしまい、最大限の力が出せないという見えない二重の枷だ。
 だけど、Ⅸ籠にはその二重の枷は無い。【最強の永久少年】を超える事を目的とされて造られたⅨ籠は、誰にも制御されない放し飼いの生物兵器だ。
 Ⅸ籠は、ここで生まれ育って、ここに兄たちが居る、それだけの理由でこの組織に居る。組織に対しての忠誠心なんか無い。
 組織の存在は、Ⅸ籠の鳥籠にならない。それが、どれほど危険な事か。
 鎖は立ち上がって、蛍光灯を半分消して部屋を薄暗くした。Ⅸ籠は片方の目が暗い方が良く見えるという特殊な目をしているから、明るい所を嫌う。目を覚ました時に、少しでも嫌な思いをさせたくなかった。
 鎖はパイプ椅子に座り直して、眠っているⅨ籠を眺める。いつも被っている黒いヘルメットが無いと、余計に幼く見えた。
 永久少年は、歳を取らない。成長が止まるタイミングは個体差があり、長い年月をかけてゆっくりと成長を続ける個体もいるが、必ず歳が止まるか若返る。
 皮肉なものだと思う。自分は永久少年のひとりであるグラビティのクローンだ。けれど、歳を重ねて成長している。今ではすっかり、オリジナルのグラビティよりも年上の見かけだ。それはつまり、永久少年としての複製に失敗している可能性を示唆している。
 でもⅨ籠は違う。Ⅸ籠はクローンであっても永久少年としての特性を失っていない。もしそれが、組織からの抑制を受けずに造られたからだという理由だとしたら。
 何ものにも縛られない、自由な存在こそ、永久少年。そう思えてくる。
 暫くして、Ⅸ籠の小さいうめき声が聞こえた。布団の中で身じろぐ音が聞こえる。
「…?」
 目を覚ましたⅨ籠は、予想通りに左腕の枷を引き千切った。身を起こそうとするⅨ籠を、鎖は押さえた。
「鎖、何のつもりだ…」
「俺がやったんじゃねぇよ。それ外すな。もっと邪魔くせぇの付けられちまうぞ。大人しく横になってろ」
 なるだけ優しい口調で言うと、Ⅸ籠は訝し気な表情ながらも力を抜いた。状況が把握できないらしく、不安と不満が混じった目で見上げてくる。暴れる様子は無く、平静に戻っていた。
 Ⅸ籠があそこまで気をおかしくして暴れるのは久しぶりだった。少しずつだが、Ⅸ籠の精神状態は良くなってきていたはず。
 それなのに。
 鎖はパイプ椅子をベッド近くに引き寄せて背もたれ側を前にして座ると、背もたれの上で頬杖を付いた。
「どうして暴れた? 何があった?」
「え…?」
 こちらの問いかけに、Ⅸ籠は眉を寄せた。
「20人以上殺したら、処罰されるって言われてただろ?」
「…うん…」
 鎖の言葉に、Ⅸ籠は静かに頷いた。
「お前が殺した人数は、20人どころじゃねぇぞ」
「何のこと?」
「とぼけんな」
「オレ、殺してないよ?」
「あぁ?」
 Ⅸ籠の返事に、鎖は唖然とした。冗談じゃない。
「お前、ふざけんな…!」
 少し声を荒げると、Ⅸ籠は肩をすくめて、目の下まで布団を被った。威嚇する野良猫のような目を向ける。布団を握る手は微かに震えていた。
「あー、いや、違う。怒ってねぇぞ?」
 鎖は目を伏せた。こういう時、刺斬だったらもっと上手く話せるんだろうなと思う。刺斬はⅨ籠の件で状況報告に行ってるから、暫く戻ってこない。優しく話すというのは苦手だ。
「その…、なんだ。暴れまわるような理由があったんだろ?」
「さっきから何言ってんだ? …言ってることが、分からないよ…」
 お前こそ何言ってやがんだ!と、言いたいのを我慢した。喉に詰まった言葉を押し込むために、咳払いをする。
 鎖は様子がおかしかったⅨ籠の事を思い出す。Ⅸ籠とは別人だったと思えば、そう思えなくもない。だが、医務室まで担いできたのは、紛れも無くこの子供だ。
「…鎖、ケガしたのか?」
「あ?」
 すっかり忘れていたが、刺斬に包帯を巻かれていたのを思い出す。Ⅸ籠は憂う目で鎖の首を見ていた。
「お前が首にケガするなんて、珍しい…」
「……あぁ。…そうだな…」
 鎖はゆっくりと返事をした。本当に覚えてないのだと確信した。
「部屋に帰りたい…」
 Ⅸ籠がぽつりと言った。
「それは…」
 鎖は言葉に困った。円卓の上の書類に目を遣る。書類を受け取ったときに視界の端に入った文字は「指定の部屋にて監禁」だった。
 書類を手に取ると、Ⅸ籠の前に差し出した。Ⅸ籠がどう言い訳しようと、結果は変わらない。上層部からの決定だからどうしようもない。
 鎖から書類を受け取ったⅨ籠はそれに目を通すと、目を見開いた。
「何で…。オレ、知らないよ…。殺してない…」
 青ざめた顔をして、こちらを見てくる。
「こんなの、やだ…、やだよ…。兄さんたちと一緒にいたい!」
 悲痛な声を上げるⅨ籠に、鎖は固まった。
「うぅ…っく、やだぁ…、兄さんたちに、会わせて…。何でもするからぁっ…!」
「おい、泣くなよ…」
 困った。予想外の事態だ。Ⅸ籠なら、怒って怒鳴り散らすと思っていた。暴れるならいくらでも捻じ伏せるつもりだったが、泣かれるとなるとどうしていいのか分からない。
 声を上げて泣くじゃくるⅨ籠の横で、鎖はこめかみに指をあてて唸る。
「刺斬、早く戻ってきてくれ…」
 無意識に口を付いた言葉で、ふと思い出した。昔、幼かった頃の自分はよく泣いていた。泣いていた理由は忘れたが、刺斬がいつも頭を撫でてくれた。撫でてもらうと、不思議と気分が落ち着いた。
 Ⅸ籠の頭を撫でようと手を伸ばすと、Ⅸ籠は顔を背けて拒絶した。その行動に手を下げようか迷ったが、透けそうなくらい白い髪が生えた頭を撫でた。すると、Ⅸ籠は泣き腫らした目で、こちらを見上げてきた。恐怖とは違う、忌避するような目だった。
 鎖は撫でる手を戻した。信用されてないのか。普段怖がらせてる事があるから、仕方ないのかもしれない。
 Ⅸ籠は目を細めて、小さく口を開いた。
「鎖は…悪くないよ…」
 その言葉の意図が何であって、何に対してだったのかは分からなかった。
 長く泣き続けていたⅨ籠が少し落ち着いてきたころ、鎖は真剣にⅨ籠を見据えた。
「本当に、やってねぇんだな?」
「やってないよ…」
「…分かった。俺と刺斬で上に掛け合ってやる。でも、期待すんじゃねぇぞ」
 どうあってもⅨ籠の仕業に他ならないのだが、Ⅸ籠は自分が何をしたのか全く覚えていない。
 自分にとって謂れの無い罰を受ける事がどんなに残酷な事であるかは、それを経験してる鎖にはよく分かっていた。だから他人事には思えなかった。
 
 
 
 その後、鎖は戻ってきた刺斬と一緒に上層部に足を運んだ。
 今回の件について、Ⅸ籠の状態が平常ではなかった事を理由にして、処罰の軽減を申し出た。
 お偉い連中は、互いに目を合わせて口を閉ざした。長い沈黙の後、手のひらを返したように、処罰内容を5日間の自室軟禁に変えた。殆ど自室に籠って過ごしているⅨ籠には痛くも痒くもない。好転した結果をⅨ籠に伝えると、飛び跳ねるように喜んでいた。
「どう思います?」
 刺斬の部屋に戻ってソファーに腰を下ろすと、すぐ隣でタバコに火を付けた刺斬が言った。
「何か怪しいな。クロウが暴れた理由、上の連中は知ってんじゃねぇのか」
「そんな気がするっスね」
「釈然としねぇなぁ」
 鎖は大きく息を吐いた。
 Ⅸ籠の首を絞めた時に、Ⅸ籠が死にたがっているような行動をした事は、刺斬には黙っていた。確証は無かったし、不愛想な見た目のくせに心配性な刺斬に負担をかけたくなかった。
 その代わり、Ⅸ籠の頭を撫でたら嫌がられた事を、笑い話として話した。「俺、クロウに嫌われてんだよなぁ」と苦笑いをすると、刺斬は「俺もっスよ。頭撫でたらそっぽ向かれました」と苦笑いをした。
 2人で大笑いした。そして2人同時に溜め息をして、Ⅸ籠に嫌われている事に落ち込んだ。
 
 
 
 
 
つづく